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大人のための数学「無限への飛翔」

 やりなおし数学シリーズ。今回は、カントルの無限と取り組む。

無限への飛翔 結果は……惨敗だった。可算集合と濃度、対角線論法のあたりまでは、「数学ガール」のおかげで追いかけられたけれど、「カージナル数の大小比較」や「選択公理から整列可能定理」になると、脳汁があふれた。それでも、(負け惜しみだけど)、エラい経験をさせてもらえた。

 たとえば、有理数の全体が可算集合である証明を追っていくうちに、「有理数」に対して持っているイメージというか、概念がぐにゃりと変わってしまった。もちろん、有理数は、整数 m, n (ただし n≠0)を使って m / n という分数で表せる数なのだが、わたしのアタマでは、それらは数直線上にぎっしりと詰まっている点のイメージだった。2/3だろうと、9967/9973だろうと、いくらでも細かくできるからね。

 では、これをどうやって1, 2, 3, … と番号を付けて数え上げるのか?有理数を、数直線に乗っかった点の集合ではなく、 m / n で表せる既約分数の (m, n) の組み合わせのように見えてくる。2つの自然数 (m, n) のつくる集合 A を考えると…

  A = { (1,1),(2,1),(2,2),(1,2),(1,3),(2,3),(3,3)... ,(m,n),...}

 そして、座標平面上に格子点 (m, n) をとると、格子上にある(自然数,自然数)の点を行き来する矢印を見せるのだ。

Mugen

 すると、数直線上に詰まっていた有理数が、1つ1つの (m, n) の組み合わせにバラせてしまう。あとは格子状をぐねぐねと行き来する矢印は必ずたどれるので、数え上げが可能になる(つまり、可算集合だと分かる)。

 この見方からだと、有理数は「直線上の無数の点」というイメージが破壊され、「1つ1つ取り出して並べてみせることができる組み合わせ」という概念に塗り替えられる。「大人のための数学」シリーズの第一巻であれほど培ってきた、イメージが崩れ落ちるのだ。著者は、集合論という新しい光のなかで数を見ていると表現している。

 この、概念のドンデン返しがすごい。「数学ガール」だと、ミルカ嬢に手を取られて、おぼつかない足取りで「二人だけのヒミツの場所」へ連れて行かれるようなウキウキ感覚だった。ところが、「大人のための数学」だと、有無もいわさず深淵をムリヤリ覗きこまされるようだ。1、2巻の「手取り足取り」をかなぐり捨て、一気に深みへ潜行してゆく。

 「個別的な数」としての自然数と、「数直線上の連続体」としての実数の、それぞれの「大きさ」を測ろうとする試みは、わたしの脳にはかなりの負担となった。もちろん、高校生のときのように「暗記してしまう」ことは可能だ。しかし、せっかくやり直しているのだから、少しでも理解を進めたい。だいたい、「測る」というのは、目の前にある量に対して行われることだ。本書で実数の集合は可算集合ではないことが背理法によって示されている。これは、無限を測ったといえるのだろうか?

 著者はこの問いに、「無限を集合を通して論証の場に上げたことを意味するのではないか」という。そして、当時のカントル批判を通じて、数学の存在そのものに対する抽象性が問われ、受け入れられることによって、創造性が大きく展開されているというのだ。

 後半の「選択公理」と「連続体仮説」は全然わからなかった。「それがどういうものか?」はWikipediaで分かったフリができるかもしれないが、だからといって証明できるかというと、手も足も出ない(本書の助けを借りてもだ)。悔しいなぁと読み進めていると、「バナッハ-タルスキの逆理」が出ている。これは、豆と太陽が同じ大きさだということを証明する逆理で、今年の正月に挫折した数学書「バナッハ=タルスキの逆説」のことだー!と喜ぶが、やっぱり分からない。

 こんな手ごわいやつこそ、ミルカさんに解説してほしいものだなぁ…

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コメント

いやあ懐かしい話でした。 70年代に数学科の学生でした。専門は「数学基礎論」もっとも抽象度の高い数学のジャンルですね。 中でも「集合論」を専攻したのでまさに今回の内容を1年生のころ必死に考えたものです。暇さえあれば、友人(時には一人で)黒板に向かい議論したものです。自分の使える黒板がないときは、別の大学まで行って空き教室を無断で借りて黒板上で議論を続けました。 選択公理難しいですよね。しかし連続体仮説のあたりは最もドキドキするところでハイライトですね。 数学は30代までの学問といわれていますが、若い時に学部2年くらいまでの素養を身につけていれば年をとっても(現在57)十分に楽しめます。自分は途中から投資会社を作り別の分野に転身してしまいましたが、54でリタイアして今南の国で過ごしていますのでまた数学の本でも手にとってみようかなと思いました。 続き楽しみにしています。 では!!

投稿: coolcebu | 2010.02.22 12:52

バナッハ=タルスキー、最近読みました。やっぱり、ウニィ?ていう感じです。正直、同等分割なんて、物理的には、作れませんけど、後書きで著者が、その方向で妄想してるのは、数学書にしては珍しいかと思います。

投稿: 金さん | 2010.02.22 18:33

>>coolcebuさん

コメントありがとうございます。学生時代の数学は、受験のための暗記科目でした(もったいない!)。「数学の素養」がついぞ無いまま、今にいたり、激しく後悔しているところです。どこまでやり直せるか分かりませんが、脳みそから汗をかくような思いをしながら、精一杯ストレッチしています。


>>金さんさん

青土社のやつですよね。難度の濃淡が激しく、いきなり深みに入るので、潜水病をおこしてました。「大人のための数学」シリーズを一通り済ませてから、再挑戦します。

投稿: Dain | 2010.02.23 00:17

ストレッチ頑張ってください。
バナッハタルスキー本の妄想部分はおくとして、ポアンカレは天才だなと思いっ切り思いました。同等合同分割作れるんですよ(ちょっとズルはしますが)。
ところで、その業績は別にして、バナッハ自身が結構謎な存在なので、今、「バナッハとポーランド数学」を読んでます。
全然別もんですが、素数たちの孤独 - りつこの読書メモを読んで、この本も読みました(いきなり普通の小説ですが)。これは良いですよ。切ないと言うか。

投稿: 金さん | 2010.02.26 11:23

>>金さんさん

おお、ご紹介ありがとうございます。直感にしたがうのではなく、積み上げた論理を、(それがいかに不可思議だろうと)確信を持てるようにトレーニングします。以前、ヤギ問題(モンティ・ホール問題)でお話したときも、直感を裏切るような論理に対し、自分を従わせることに苦労しました。「バナッハ=タルスキ」もじっくり取り組みます。

「素数たちの孤独」は激しく惹かれます。「こういう小説に出会いたくて本を読んでいるのだと思った」なんて、りつこさん上手いこといいますね。ぜひ読みます。


投稿: Dain | 2010.02.27 10:17

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今回読んだのは、ブログ記事「大人のための数学「無限への飛翔」: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」、志賀浩二さんの『無限への飛翔 集合論の誕生 (大人のための数学 3)』への書評です。 書評者は「結果は……惨敗だった。」と書いています。それは、... [続きを読む]

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