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「ドン・キホーテ」はスゴ本

 「死ぬまでに読みたい」シリーズ。

ドン・キホーテ ひたすら面白い+泣ける+ハラハラしながら読む。いわゆる「ジュニア版」で筋は知っていたのだが、前編だけだったことが分かった。後編とあわせると、こんなにも芳醇な物語になっていたなんて!

 あまりにも有名な「風車に突撃」は、可笑しいというより痛々しい。ほら、仁侠映画を見たら肩で風切りたくなるのと同じで、厨二病をこじらせて邪気眼が開いたと喜んでいるようなもの。ちょっと痛いか、かなり気の毒かだ。

 ドン・キホーテの場合は、騎士道物語(今でいうならライトノベル)に熱中するあまり、ついに自分を伝説の騎士だと思い込んでしまう。都合のいい/悪いことに、その場その場の思いつきで「なりきる」人物をキャラチェンジするので、周りを混乱させたり自分が酷い目にあったり。このネタは魅力的だ。「ライトノベル」というジャンルが確立し、伝説級のキャラクターもいるから、このプロットは使いまわせるぞwwwたとえばこんな風に――主人公はアニメやマンガの影響をモロに受け、「邪気眼」に覚醒する(と、信じ込む)。そして、陰謀論の渦中に巻き込まれたと思い込み、きわめてフツーな日常を波乱万丈の冒険にしてしまう。従者サンチョの代役には、ちょっとトロそうな女の子がよろし――って、それなんてシュタインズゲート?

 冗談さておき、「ドン・キホーテ」がスゴいのは構造とキャラクターが互いに影響しあっているところ。実はこの物語、次のような多重入れ子構造になっているのだ。

  セルバンテスが編集する
  [
    無名の誰かが翻訳する
    {
      ベネンヘーリがアラビア語で書いた
      (ドン・キホーテとサンチョの物語)
    }
  ]

 つまり、「ドン・キホーテとサンチョの物語」は、いったんアラビア語で記され、そいつをセルバンテスが偶然発見し、アラビア語に堪能な人に翻訳してもらったという触れ込みで始まるのだ。普通に読む分には外側のカッコは隠されており、、「ドン・キホーテとサンチョの物語」が三人称で描かれる。原作者・ベネンヘーリが冒険のいちいちに感動し、さらにそいつにセルバンテスがツッコミ入れる構造が隠れている。

 もちろん、これは、小説としては珍しくないフレームだ。「○○という驚くべき手記が見つかったので、(読者のアナタだけに)これを教えよう」という体裁は、多くのフィクションが採る手法だ。ネタバレなのでタイトルは秘すが、「○○○○の○の○○」なんて大傑作は、このフレームを踏襲してる。

 しかし、「ドン・キホーテ」後編になると、キャラがこの構成を割って出る。まるでgotoジャンプのように、入れ子を脱出してくる。「ドン・キホーテとサンチョの物語」が出版され、広く読まれた世の中へ、その主人公としてドン・キホーテが旅立つのだ。なんというメタ小説。

 しかも、原作者や紹介者セルバンテスに触れたり、自身の冒険が続編として出版されることを見越した発言することで、入り組んだ自己言及をなす。ややこしいことに、贋作「ドン・キホーテ」が出回っており、ニセモノの物語にホンモノのドン・キホーテが憤る。いつ「このおはなしはウソだ!」と物語の中で自分で暴露(=自爆)するかヒヤヒヤさせられながら読んだ。

 さらに、自分の狂気の行動を自覚し、相対化し、整合性を取ろうとし始める。前編では、「自分を漂泊の騎士だと思い込んだ狂人が、平凡な田舎生活を掻き回すお話」を面白がっていればよかったものの、後編になると、「そんな狂人」を自覚した主人公が実存の領域へ踏みだす。

 もはや風車は巨人でなく、宿屋は城郭ではない。目前の事物が邪気眼を通さなくなり、自分の狂った行動を正当化するため、ドン・キホーテは明晰な論理で自己正当化を図る。そのいちいちが説得力と自信にあふれており、おかしいのは可笑しがっている自分かも……という気になってくる。狂気が伝染しだすのだ。

 そして、前編で狂っているのは彼一人だったのに、後編ではその狂気を受け入れる人が出てくる。偽ドン・キホーテの若者然り、「ドン・キホーテ」愛読者の公爵夫人然り、物語のチカラに取り込まれているように見える。あまりに強力な物語は、読むものを喜ばせたり感動させたりするだけでなく、そこから戻ってこれなくさせるのだ。ある者はドン・キホーテを正気に戻すため、またある者は彼の超日常を愉しむため、近づいてゆく。彼・彼女が陥った運命は、まさに物語の世界に取り込まれた人のそれだろう。そして、まさにその「ドン・キホーテ」を読んでいるわたし自身も、その一人なのだ。

 この感染力はスゴい。「小説ベスト100」を挙げるとき、常に第一位になるのは、この物語への感化力によるもの。今回はひたすら面白い面白いと読んだのだが、換骨奪胎して現代でドン・キホーテを書いたらスゴい話になるだろうなぁ……あるいは、従者サンチョに焦点を当てて、彼の視点から再構成したらネタの宝庫になるだろう。いわゆる小説家たちがこの作品を高く評価しているのは、自身の創作意欲に火をつけたり、ガソリンを注入してくれるからかもしれない。

 最も公平で厳粛な評者は、「時間」だ。時の風雪に耐えて生き残った古典は、それだけ沢山の時代の人々に読まれたから。けれども、「ドン・キホーテ」を読むと、それだけではないような気になってくる。要するにこれは、パクれるのだッ!。盗れるところがいっぱいあるぞ。表立って堂々とやるか、あるいはコッソリ借用するかの違いはあれど、沢山の時代の作者たちに盗まれたからこそ、古典として生き残れたのだともいえる。

 ハマるだけでなく、自分でも書きたくなる狂気の物語を、読むべし。

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コメント

一度挑戦して途中で挫折していたのですが、評を読んでもう一度読もうと思いました。後半、面白そうっ。

Dainさんの最後の方のお話、そのままの作品がボルヘスの「ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール」(『伝奇集』)なんじゃないか、と思ったりも。

投稿: sarumino | 2010.02.12 01:20

>>saruminoさん

後半は前半を下敷きにしているので、ドン・キホーテの"狂気"の伝染度が楽しめます。メタ・フィクションの面目躍如でしょう。
ボルヘスは、長年の課題図書です。教えていただき、ありがとうございます。大期待しながら読みますね。

投稿: Dain | 2010.02.12 10:02

ドン・キホーテは出版当時たちまちベストセラーになり、スペインには万を超える海賊版(いまでいう二次創作)が出回ったそうです。
いまだったら人間失格みたいに装丁次第では大売れするかもしれませんね

投稿: | 2010.02.19 01:28

名無しさん@2010.02.19 01:28

その「二次創作」へあてつけたのが、「ドン・キホーテ後編」なのです。こいつを厨二病ラノベとして売ったら、面白いように入れ食いでしょうね。

投稿: Dain | 2010.02.19 01:33

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