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「線の冒険」はスゴ本

線の冒険 「線」にまつわる様々なイメージ・記憶・連想が次々と喚起させられる。

 著者は、グラフィックデザイナー松田行正。彼の「掻き立て」がすばらしく、知らず知らずわたしが抱えていた固定観念と化学反応を起こしまくる読書になった。実存ネタに触れずに、自らの視覚世界を疑うなんて芸当は、本書が初かも。

 「線」とは、ふだん見えないもの、気にも留めないもの。しかし、区別のための境界・輪郭や、点の軌跡、抽象化や透視によって現れてくる「線」を、あえて表現することで、はじめて意識に現れてくることが分かる。動きの結果としての「線」や、分ける役割としての「線」、あるいは骨組みとしての「線」という、線の機能が具体例をもって示される。

 たとえば、ヴェルヌ「海底二万里」を、一種のロードムーヴィだと見切る。そして、ノーチラス号の旅路のダイアグラムを作りあげる。まず、小説内の描写を手がかりに、ノーチラス号が移動した軌跡を直線状にして、どのくらいの深さのところを航行し、どの深度でどんな出来事に遭遇したかを描く。折れ線グラフのように表される海底深度は、そのまま読者の興奮度にシンクロするようで面白い。

 さらに、ノーチラス号の航路を、「80日間世界一周」のルートに重ね、世界地図にプロットする。当時の列強、イギリスとフランスの植民地図に色分けされており、とても興味深い。ルートに沿った塗られていない地域は、「間接的に植民地化の欲望を高めた」と著者の深読みを誘っている。しかしわたしは、文明から逃げ出そうとする方向(潜水艦)と、文明を利用しようとする方向(鉄道+蒸気船)に、引き裂かれているように見えた。二作品の軌跡は世界の断面図であり、傷口なのかもしれない。

 見慣れたルートでも、角度を変えると違った「線」に見えてくる場合もある。地下鉄路線図はおなじみでも、地下鉄「深度」地図なんて見たことないでしょ?東京の地下鉄が、どのくらいの深さを走っているのかを図にしたもので、「上から」見たネットワーク図とはまるで別世界が広がっている。上へ下へうねうねと走る丸の内線や銀座線は、まさにジェットコースターだ。いちばん深いのは半蔵門線永田町――って、やっぱり議員さんの地下シェルターが隠してあるから?と邪推する。あるいは、大深度地下といえば大江戸線じゃあなかったっけ?とツッコむが、本書では省略されてた。

 また、ヨコの線からタテの線といった、発想の切り替えがやわらかい。

 たとえば、太平洋戦争で日本本土を初空爆した、アメリカ爆撃機隊の軌跡を紹介している。全16機の進入ルート、空爆箇所、離脱ルートが、あざやかなラインで示される。おっかなびっくり落とし、あたふたと逃げ出す様子が航跡に顕れている。さらに、戦後から現在までの、無差別都市爆撃史が世界地図にプロットされる。これを見る限り、爆撃された歴史が最も長いものは、カシミールとベイルート(レバノン)であることが分かる。いっぽう、東京やゲルニカは歴史的には「瞬間」であることも。

 ヨコ方向の航路は、タテ方向の発想を生む。著者は、空爆をこう定義する。「爆撃を命令する側も爆弾を落とす兵士も、爆弾がもたらす惨禍を目にすることなく実行でき、心に痛みを感じずに殺戮できる、垂直降下を利用した究極の死刑執行システム」。

 そして、「垂直降下を利用した死刑執行システム」の"はしり"として、ギロチンの歴史をたどる。垂直方向の動線を利用した、貴族でも平民でも身分を問わず平等に死がすみやかに訪れる処刑方法だ。ただ、ギロチンの効率のよさは、一瞬で終わる処刑ショーとなり、「観客」を満足させられないことから、公開処刑がどんどん演劇化していったそうな。

眼の冒険 ヨコの線からタテの線、垂線、視線、放物線。動線・前線・骨組み線・旋回線、二分割線・線状人間と、「線」をめぐる鮮烈な体験(帯コピー)を通り抜けることになる。どのページにもネタがぎっしりと詰まっていて、著者の発散に追随するもよし、反発して独自の発想に乗るもよし、好きに「使える」。前著「眼の冒険」[レビュー]が眼の経験に拠っているように、本書は線の経験――方向だったり境界だったりする線の使い途――に有用かと。

 読むことが即、経験につながる。アイディア盗人ご用達の一冊。

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死にたくなったら図書館に行け

 自殺しようとしている男の下に、こう書いてある「自殺したくなったら、図書館へいらっしゃい」。つまりこうだ。図書館には様々な手引書や目録があり、司書は、あなたの調べもののお手伝いをいたしますよというのだ。あなたの「死にたい」という問題を解決に導くだけの自信があってこそ、このセリフを吐けるのだろう。

library


Library Instructions,by Ann F. Roberts. Littleton, CO., Libraries Unlimited, 1982,p.46

 死なんとする人の「問題」や「解決」がどこかの本に書いてあるからといって、その人の苦悩が減ずるわけはない。しかし、それでも、アプローチを見つけるために図書館へ向かうのは、良い選択肢の一つに違いない[逃げ場としての図書館]

 その悩みは、既に誰かが経験済みのものだし、うまくすると、自分では気づかなかった解決策も書いてあるかもしれない。あるいは、自分の絶望と同じ感情を爆発させている人を探し、そこに同志的な慰めを見出すかもしれない。さんざ探し回った挙句、「それは時のみが解決する」ことがわかっても、その時の気持ちが変わっているかもしれない。D.H.ローレンスが上手いこと言った。

将来のことを考えていると
憂鬱になったので
そんなことはやめて
マーマレードを作ることにした
オレンジを刻んだり
床を磨いたりするうちに
気分が明るくなっていくのには
全くびっくりする
 図書館という「外」へ探しにいくことは、このマーマレードを作ることに似ている。あるいは、そんな漠然としたものでなく、もっと具体的な苦悩には、具体的な本が似つかわしい。

なぜ私だけが苦しむのか
 たとえば、「われこそは現代のヨブ」と自負する方には、「なぜ私だけが苦しむのか」[レビュー]がオススメされるかもしれない。心に痛みを抱きながら、日々なんとかしのいでいる人がいる。突然、わが身に降りかかった災厄──病や事故、わが子や配偶者の死──から立ち直れないのだ。そんな人にとって、伝統的な宗教はあまり役に立っていない。不幸に見舞われた人が望んでいるのは、ただ黙って聞いてもらい、同情を寄せてもらうことなのに――そんな趣旨の一冊。

お金の味 あるいは、借金に苦しんでいる人には、「お金の味」[レビュー]が渡されるかもしれない。1億2千万円の借金を負ってしまったフリーターの転落~起死回生の記録だ。雇う側と雇われる側の論理、カネを活かす人とカネに殺される人の「差」が生々しく描かれている。かつてこうしたノウハウは、弁護士や取立人といった債務整理の関係者が独り占めするところだった。しかし、今ではメールやWebを用いて、「ヨコの」連携ができるようになったのだから、隔世の感がする。

 いやいや、積極的にかかわらなくてもいい。だいたい自死を選ぼうとする人が、「問題」を「解決」しようなんてポジティブになっているワケない。本なんて読んでられないだろうに。「これから図書館員のみなさんへ」(竹内 、図書館問題研究会、2001)で、図書館の役割の一つとして、「気持ちを休める場所を提供してくれるところ」が挙げられている。独りでひきこもっているより、近所の図書館でボーっとしてみるがいい、そう勧めるのだ。あるいは、雑誌「世界」2005年8月号「自殺したくなったら、図書館に行こう」に、こうある。

活字のない場所にも、言葉があります。その人を生かしめているものが言葉だからです。手押し車を押してきて、ただ座っているだけのひと、来ていただいてうれしいです。行き場のないひと、ケンカをしても隠れる場所がないひとを孤立させない、自殺させない、そう思います。
 けれども、図書館員がハウスマヌカン(死語)よろしく寄ってたかってカウンセリングしたがるのは勘弁。むしろ、心地よい居場所だけ提供してもらい、生温かく見守っておくのが正解かと。「本のかたち」フォーラムでの橋本大也氏の提言「万人を迎え入れてくれて、放っておいてくれる場所」のほうがしっくりする。

 本屋さんの「買え買えビーム」や「読まねば損々オーラ」が眩しく入り乱れており、落ち着かない。あたらしい本ばかりというのもアレだし。その点、図書館はいいカンジでアクが抜けてて安らげる。新人のコを物色するというなら新刊書店で、なじみの店でくつろぐというのが図書館という構図。図書館は現代のアジール、老若男女を問わない駆け込み寺なんだ。イヤなものは館外にうっちゃって、しばし避難しよう。

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東大の受験生に何を読んでもらうか?

 ブックディレクターという仕事がある。

 人や場所に応じて、本を選ぶ「棚作り」をするのだ。本をたくさん読んでるだけではダメで、読み手(候補)とのコミュニケーションを通じ、「手にとってもらう/読んでもらう」工夫を創造しなければならない。

 さて、仮にアナタが「ブックディレクター」だとして、こんな注文が来たとしよう。「駿台予備校駿河台3号館の本棚をディレクションしてください。ここに通う受験生は、東京大学を第一志望としています」アナタなら、どんな本をどうやってレイアウトする?

 答えは最後のお楽しみ。これは、ブックディレクター幅允孝氏が、実際に手がけた仕事なんだ。先日、彼の話を直接聞ける機会があったので、反応のようなものを綴ってみる。

 その場は「ホントーク」、本にまつわる本気のトークという意味らしい[参照]。ゲストに本を5冊選んでもらい、それをサカナに幅氏と本気のトークをするという企画。今回のゲストは、candle JUNE氏で、争いや災害のあった地を巡り火を灯し続ける人だ。

 幅氏の面白さは、本との対峙の仕方に現れている。本をツールとして使うことこそが重要だという。曰く、本をたくさん読んでいるからといって、エラいわけではない。本をうまく「使えて」いる人こそ、エラいのだというのだ。「一日に本を○冊読んだ」と自慢するのは、本を読むこと自体を目的化してしまっている。それより、読む本を一冊にとどめておき、残りの時間は、いましがた読んだ本をマクラに、誰かと出あったり、語ったりすることに使うのだ。たとえ一冊しか読まない人でも、そこで得た気づきや情報を、縦横無尽に使いこなせる――それが、本読みの理想だという。

 もう一つ、わたしと違った良いところは、レンジの広く柔軟なところ。わたしの場合、「人生は短く、スゴ本は多い」にしたがって、読むべき本を選ばねばー、なんて堅苦しく考えてしまう。名作どころを順番に読もうとする姿勢がストイックだしwww。一方、彼の場合レンジがものすごく広い(というか、ない)。基本的にタイクツにできている世の中をかいくぐるうえで、もっとも重要なのは、自分の好奇心。だから、好奇心を奮い立たせるため、アンテナに本が入ってくる瞬間に気を配る。偶然に出会った一冊を大切に読もうとするのだ。この人の個人的な「本棚」はさぞ興味深い+カオスの極みだろうなぁと、想像するだけでニコニコしてくる。

 今回のトークで紹介された本のうち、一番響いたのは、 ヴィスワヴァ・シンボルスカ「終わりと始まり」。戦争「後」をテーマにした詩の朗読があったのだが、胸をつかまれた。ぜひ手に入れて、味読したい。

終わりと始まり

 おっと、「解答」を記さないと。

 だいたい、東大を受験するような輩は本なんて読みたくない。言い方に語弊があるなら、「受験に関係のない本」は読まない。そんな彼(女)らに、どうしたら本を手にとってもらえるのだろうか、読んでもらえるのだろうか?実際、選書は手ごわかったそうだ。予備校の本棚といったら、各大学の赤本がズラリ鎮座ましまするもの。わたしだったら、せいぜい「16歳の教科書」か「ドラゴン桜」、あるいは「アカデミックグルーヴ」を差し込むことぐらいしか思いつかない。

 しかし、幅氏の仕事は違っていた。

 インタビューの方向を変えて、「なんで、東大に行きたいの?」と問うたそうな。すると、ちょっと奇妙な答えが返ってきたという――それは、さまざまな形をとっていたけれど、要約すると、「東大という"アイコン"が欲しい」になる。とにかく東大に入りたい、入れるのなら、入れるのなら、学部はどこだっていい、というのだ。どの学部で誰が何を教えているか、知らないという人がほとんどだったそうな。

 そこで、幅氏が選んだのは、

    1. 東大の教授が書いた本を、学部別にズラリ
    2. 東大生がつくったフリーペーパーを、ゴッソリ
    3. 東大卒業生の本を、卒業年、学部別にズラリ

と揃えたのだ。特に3. が大切で、吉田茂からドクター中松、かこさとしと経歴のバラエティを広げることに気を配ったという。明確な言葉にしていないにせよ、「東大でても、やることは無数にあるよ」というメッセージが込められている。実際の棚の写真は[ここ]、いい仕事、してますな。

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