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ドラゴンの飼いかた教えます

ドラゴン飼い方育て方 ドラゴンブリーダー指南書。

 タイトルは「ドラゴン ――飼い方 育て方」。読めば必ず、ドラゴン飼いたくなる。ドラゴンとは何か?から始まって、コカトリス、ピアサ、サラマンダー、ヒドラ、タラスク、水龍など、品種ごとの特徴や飼育の上での注意点がフルカラーイラストで丁寧に説明されている。備品や設備、えさから健康管理まで、最高のドラゴンにするための秘伝(?)が明かされている。上級者(?)向けに、卵や幼体からの孵化・生育のコツから、品評会での審査基準まで、まさに至れり尽くせり。

 小学生の息子に与えたら、大喜びで読み始める。いちおう児童書なのだが、ルビがないし文体も硬めの解説書となっている。「デルトラクエスト」「ビーストクエスト」で洗礼を受けているので、ドラゴン譚の素地はある。特に、「物語」の体裁をとっていないところがいたく気に入ったようだ。

 西洋からインド、果ては南アメリカまで、様々なドラゴンがいる。変種・珍種(?)に気をとられているようだ。剣と魔法のファンタジーに出てくる、翼があって炎を吐くといった、固定化されたイメージを揺さぶってやろう。マンガやゲームでおなじみの、キャラクター化されたシェンロンやチキは出てこないのが残念。

 装丁がまた凝っている。ソフト地のいかにもな表紙に、古文書のようにひも綴じが演出されている。さらに、ギザギザのページ断ちが雰囲気と所有欲を掻きたてる。これを傍らに、ドラゴンが出てくる物語を読むのも一興。

エラゴン ためしに「エラゴン」を読んでみる――が、いくらも経たないうちに気づく。これ、星球大戦やがな!息子はまだ観てないので、オマージュとリスペクトとインスパイアに満ちたこれを"オリジナル"として受け取るんだろうな… いやその前に、映画版「エラゴン」を見せるという手もあるな。

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科学とSFの界面活性剤となる三冊

サイエンスインポッシブル 科学とSFの界面活性剤となる三冊を選んだ。

 楽観的に語られる未来予想図は生々しく、ときに禍々しいが、善悪を決めるのは科学じゃなくて人なんだといまさらながら気づかされる。

 まずは、「サイエンス・インポッシブル」。光学迷彩から恒星間飛行、念力やテレポーテーションといったSFネタを、最先端科学でもって検証してみせる。面白いのは、「何が不可能か?」に着眼しているところ。つまり、オーバーテクノロジーを技術上の課題に分解し、どうしたら可能になるかを検討するのだ。大質量の恒星を用いるガンマ線バースター砲の射程は数百光年といった極大から、自己複製する無人のインテリジェント・ナノシップを何百万と送るほうがコスト安といった極小まで、SFを超えたスケールに驚愕すべし。

操作される脳 次は、「操作される脳」。

 インターネットやステルス技術で有名な、米国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)の「人体」への研究成果が紹介されている。脳を改変し、恐怖や眠気を感じさせない改造人間や、自己治癒能力を高め、傷を急激に治すといった研究を見ていると、メタルギア・ソリッドは、もはや「近未来」でなくなっていることが分かる。

 最後は「宇宙旅行はエレベーターで」。

宇宙旅行はエレベーターで アーサー・C・クラークが描いた軌道エレベーターは、SFでなくビジネスの話まで具体化されている。ケーブルの素材やエレベーターの動力といった技術的課題から、敷設場所や建造工法、さらには安全性、運用方法、宇宙ビジネスの収支まで、グローバルレベルの風呂敷が広げられている。いや、話は月や火星エレベーターまで広がっているから、太陽系レベルの超大風呂敷だ。わたしたちが生きているうちに、「そうだ、宇宙、いこう」という時代になるのだろうか。

 魔法と区別がつかないくらい発達したテクノロジーを見ているうちに、不可能とは、可能性の一つにすぎないことがわかる。

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人はなぜレイプするのか

1 レイプについて、進化生物学から答えている。

 挑発的なタイトルや表紙とは裏腹に、まじめに、科学的に解き明かす。そして、オブラートにも修辞学的にも包んでいない、ある種の人びとの逆鱗を掻きむしるような結論に達する。さらに、こんな本を出せば大騒ぎになることを織り込んで、ある種の人たちの「主張」のいちいちに反証をあげている。

 まず結論から。なぜ男はレイプし、女は苦痛を感じるのか?その理由は、養育の投資量に男女差があるからだという。

 つまりこうだ。女は妊娠、出産、授乳に多大な時間とエネルギーを費やさなければならない。だから男選びも慎重になる。レイプは父親を選べず、子育てを困難にするため、女に大きな苦痛をあたえることになる。いっぽう男は養育投資が少ないことから、繁殖のため、多数の相手に関心を向けることになる。そんな男のセクシュアリティの進化が、レイプの究極要因だという。要するに男は色を好み、女は選り好みするんだね。

 ただし、レイプそのものが適応なのかどうかについては、判断を保留している。レイプとは、男の性淘汰の中における、偶然の副産物だという考えと、ずばりレイプは適応であるという仮説の両論を併記している。性淘汰における繁殖に有利な形質として、レイプが選び取られていたなんて、考えるだにゾッとするのだが、それが生き物としての雄の姿なのだろうか。

 その一方で、社会科学+フェミニストのアプローチ「学習理論」も紹介する。レイプの動機は「男は支配的であれ」という教育によっており、家父長的な文化が「女をレイプしろ」と教えるのだという。男がレイプを"学習"しない限り、レイプは起こらないというのだ。すなわち、レイプとは"自然な"ものではなく、男性本位の歪んだ文化によってもたらされたというのだ。

 本書を手にするまで、わたしは後者の考えに立っていたことに気づく。性交は"できる"ことだが、レイプは(その存在を)"知る"ところから始まっていると考えていた。力・欲望・女というストーリーの中で育つことによって、「暴力で女を支配する」ことが可能だということを"知る"のだ。もちろん、そんなことは"してはいけない"。自分の中に抑止力が働くのを感じるとともに、そういう選択肢が確かに存在することを学ぶのだと思っていた。

 ところが本書は、そんなわたしの考えを粉砕する。遺伝とは、遺伝子が表面上に現れたものだと理解していたのだが、著者に言わせるともっと広く、わたしたちが文化と呼んでいるものも含まれている。遺伝とは、遺伝子上の要因と環境要因がともに働くことで表面に現れたものだという。わたしの勉強不足かもしれないが、本当なのだろうか。文化的な行動の遺伝メカニズムと、生理学上や形態学上の遺伝メカニズムの間に「違いはない」と断定されると、かなり戸惑う。著者の言うとおり、「文化⊂遺伝」であるのなら、「レイプは遺伝である」という極論(?)が成り立つのだから。

 たたみかけるように著者は続ける。レイプは人に限ったことではないという。人間以外の種におけるレイプについての研究は、あまりに数が増え、無視できないそうな。昆虫、鳥類、魚類、爬虫類や両生類、海生哺乳類、人間以外の霊長類についての研究論文を引き、レイプが文化ではなく、遺伝であることを説明する。

 そして、進化生物学的な見地からレイプを根絶するための方法を提案している。最も効果的な懲罰は、レイプ犯の繁殖成功度を著しく損なうようなことだという。例えば、繁殖競争に参加できなくするような「監禁隔離」あるいは、「化学的去勢」になる。後者は耳慣れない言葉だが、男性ホルモンであるアンドロゲンを抑制する薬品を投与することだそうな。

 世界がどうあるべきかということよりも、現実がどうあるのかを理解するべきだ、という姿勢は共感できる。その反面、かなり言葉を選ばない直截な書きくちにタジタジとなる。科学的に、知的に真摯であろうという態度が伝わる分だけ、自らの感情的な反応がよく見えてくる。進化生物学からの提案はとてもロジカルなのだが、受け入れる感情は複雑。

 賛否が割れる一冊。読んだら、ただじゃすまなくなる。

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