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大学教師が新入生にすすめる100冊

 恒例の100冊リスト。

 ただし、これまでの趣向を外した。「ベスト100ランキング」は楽しいが、変わりばえしない。毎年似たような「ベスト100」をヒネり出すのも飽きた。ホントのところ、「大学新入生」と銘打っているものの、わたしのためのブックリストなのだ。読んできたやつ、未読のやつ、読みたいやつを抽出したりふり返るためのきっかけなのだから。

 だから、今回はランキングをしない。母体のリストは、「大学教師が新入生にオススメする本」なんだけれど、そこからの選出はわたしの手になるもの。今までのリスト作成の過程で知り合えたものや、「読まねばリスト」に追加したもの。積読山に刺さったまま、課題と化しているものを中心に100挙げた。

 もちろんこの100冊を参考にしてもいいし、母体リストから自分専用の一覧を作ってもいい。母体のリストは三千弱になるが、元となったのは、以下のリスト。ブックガイドは多々あるが、「大学新入生」をターゲットにしたもので、一定の質・量があるのは、これぐらいだろう。

  1. 東大教師が新入生にすすめる本
  2. 東大教師が新入生にすすめる本2
  3. 教養のためのブックガイド
  4. 広島大学新入生に薦める101冊
  5. 広島大学新入生に薦める101冊 【新版】
  6. 必読書150
  7. 京都大学新入生に勧める50冊の本
  8. 北海道大学教員による新入生への推薦図書



東大教師が新入生にすすめる本東大教師が新入生にすすめる本2教養のためのブックガイド
広島大学新入生に薦める101冊 広島大学新入生に薦める101冊新版必読書150

 わたしの場合、計画読書には程遠いけれど、少なくとも毎年「これだけは読みたい」ものを見直すために、このエントリは有用なのだから。

 このblogを続けるようになって犯した失敗は、「楽に読める本≒すぐ記事にできる本」を意識して選ぶようになったこと。来るもの拒まずで漫然と読み流していたら、一生はあっという間に終わる。せめて、読むべき本は選びたい。

 そのための、戒めとしてのブックリスト。

理科系の作文技術■ 理科系の作文技術(木下是雄)[レビュー]

 文系理系無関係、学生は全員読め。

 大事なことだから、もう一度いう。学生は必ず読め。論文・レポートの作成技術に関する本は沢山あるが、コンパクトな新書にここまで丁寧+徹底して「学生のレポート」に特化したものはない。類書が沢山でているが、真っ先にこれを読め。ライティングの手ほどきを受けている方なら、「あたりまえ」のことばかりが書いてあるが、その「あたりまえ」が大切なんだ。

 たとえば、「事実と意見は分けて書け」という。当然だ、どこまでが事実の報告で、どこからが仮説・意見なのか分からない文書だと、まともに扱ってすらもらえないだろう。

 本書では、そもそも「事実とは何か」から定義している。事実とは、「自然に起こる事象や自然法則、過去の事件などの記述で、しかるべきテストや調査によって真偽を客観的に確認できるもの」を指す。しかも、「事実の書き方」と「意見の書き方」まで指南してくれる。「分けて書く」とは、分割して書けというだけではない。その記述が事実なのか意見なのか、読み手に分かるようにすることが重要なんだ。

 何度でも言う、学生は全員読め(かくいうわたしは読まなかったので、しなくてもいい苦労をしたと告白しておく)。


詩学■ 詩学(アリストテレス)[レビュー]

 創作にかかわる人は、必読。

 古典というより教典。著者アリストテレスは、悲劇や叙事詩を念頭においているが、わたしはフィクション全般に読み替えた。フィクションを創造するにあたり、観客(読み手)に最も強力なインパクトを与え、感情を呼び起こすにはどうすればよいか?構成は?尺は?キャラクターは?描写は?「解」そのものがある。

 これは、「現代にも通ずる古典」というのではない。二千年以上も前に答えは書かれていて、今に至るまでめんめんとコピーされてきたことに驚いた。本書が古びていないのではなく、新しいものが創られていないんだね。

 著者に言わせると、わたしたちヒトは、「再現」を好むのだという。この概念はミーメーシスといい、模倣とも再生とも翻訳される。現実そのものを見るのは不快で、その現実を模倣したもの――演劇だったり彫刻、絵画だったりする――を見るのを喜ぶのだという。彫刻や舞台を用いることで、これは「あの現実を模倣したのだ」とあれこれ考えたり語り合うことに、快楽をおぼえるのだ。そのカラクリが明かされている。


生命とは何か■ 生命とは何か(シュレディンガー)[レビュー]

 量子力学の巨人が生命の本質に迫る。

 アプローチは秀逸だが、「生命」そのものに対するズバリの答えはない。むしろ、「生命体」や「生命活動」とは何か、といったお題が適切かと。生きている細胞の営みを物理的に定義しなおした場合、どのようになぞらえることができるか? について、実にうまく表している。

 半世紀を経てなお刺激的なのは、シュレーディンガーの「問いの立て方」が上手いからだろう。たとえば、「原子はどうしてそんなに小さいのか」という問いへのブレークスルーな答えがある。それは、この問いの言い換えによる。つまり、本当は逆で、「(原子と比べて)人はどうしてそんなに大きいのか」という疑問に答えているのだ。

 さらに、生物を「時計仕掛け」と見なすことで、さまざまな「発見」が得られた。染色体は生物機械の歯車になるし、生命活動を遺伝子のパターンの維持と読み替えられる。遺伝子の突然変異を非周期性結晶の「異性体的変化」に置き換えてしまうところはお見事。メタファーの力を利用して、物理学と生物学の両方から手を伸ばして握らせようとしている。

 余談になるが、福岡伸一は「生物と無生物のあいだ」にて、シュレディンガーを批判している。そして、改版された「生命とは何か」の解説のなかで、そんな福岡がバッサリと斬られている。分かりやすさと正確さは、さじ加減が難しい。


日本人の英語■ 日本人の英語(マーク・ピーターセン)[レビュー]

 「英語の本質がわかると言っても過言ではない」とか、「全学共通科目の英語なんぞ 100 年続けても、この1冊には適うまい」といった最大級の賛辞が贈られている。

 著者は明治大学で教鞭をとっていたそうな。その経験が活かされている。新入生の「異様な英語」から、修士や博士論文に出てくる「イライラする文」までを、達意な「日本語」で説明してくれる。なぜ「異様」なのか、そしてなぜ「イライラ」するのかを理解するとき、英語の壁を一つ越えるだろう。

 本書を読むか否かを判断する、簡単なテストをしてみよう。

     a) Last night, I ate chicken in the backyard.
     b) Last night, I ate a chicken in the backyard.

 「どちらが正解?」という問題ではない。実は、どちらも正解。ただし、どちらも正しい英文として読むと、ある一方はスゴい光景になる。その想像がつくのであれば、本書は読まなくてもOK。ピンとこないようなら、ぜひ手にとって欲しい。わたし自身、「学生のときに読んでおけばよかった…」と強く感じる、薄くて濃い一冊。


知的複眼思考法■ 知的複眼思考法(苅谷剛彦)[レビュー]

 学生向けの、論理思考指南書。そこらのロジシン本を蹴散らす出来。

 読むべきは、第3章「問いの立てかたと展開のしかた」。ここでは、MECEとなるための思考方法を説明してくれる。実は、優れたツリーの裏側に何十枚もの「デッサン」がある。書いちゃ捨て、拾っては直しのスクラップ&ビルドが必要なんだが、フツーの指南本はそこを省く。本書には「デッサン」の線が沢山見えてくる。

 あるいは、アウトプットのための手法に限らず、インプットも批判的にできる。第1章「創造的読書で思考力を鍛える」が素晴らしく、ここを読むだけで、以降、目的を持った読書ができることを請合う。学生さんを想定しているため、噛み砕き具合がハンパじゃなく、まさに「読めば分かる」一冊として仕上がっている。


1984年■ 一九八四年(オーウェル)

 全体主義国家による監視社会を描いたディストピア。

 だが、「小説の技巧」でアッと驚く"読み方"を知った。主人公とヒロインをアダムとイヴに置き換えて解説している。すると、偉大なる指導者(ビッグ・ブラザー)の密やかな監視と処罰は、たちまち別の光沢を帯びてくる。ラヴ・ロマンスと二人がたどった運命が、違った色合いで見えてくる。陳腐な言い回しだが、宿命付けられた悲劇を、「近未来小説」で読むという皮肉に、自嘲したくなる。

幼年期の終わり■ 幼年期の終わり(クラーク)[レビュー]


 SF史上不朽の名作。

 地球上空に、突如として現れた巨大な宇宙船――というベタな話と思いきや、SFとしてだけでなく、ミステリとしても超一級のおもしろさをお約束。あるいは、感傷を超越して、自分ではどうしようもない、取り返しのつかないものを眺めている―― そんな気分を味わうこともできる(わたしの場合、ラストの件で思わず涙してしまった)。

 ハヤカワ文庫で読んだのだが、光文社から新訳が出ている。第一部が改稿されており、amazon評を見る限り、新訳のほうが良い出来とのこと。このblogを読むような方なら既読だろうが、万が一、未読なら、是非読むべし


カラマーゾフの兄弟1■ カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー)

 最強の小説。これぞ小説のラスボス。

 毎年くりかえしになるが、この blog で「すごい本」を探している方には、これがそうだと断言できる。「なんか面白い小説ないかなー」というなら、これ読め(命令形)。最強・最高の読書体験を約束する。とっつきにくいって? 大丈夫!光文社から出ている新訳、これが信じられないぐらい読みやすくなっている。読むなら、いまだ。

ガリヴァー旅行記■ ガリヴァー旅行記(スウィフト)

 「子どものころに読んだよ」という方がほとんどだろうが、童話ではなく完全版を読むべし。エロいしバッチイし強烈だぞ。風刺が利きすぎて鼻につくぐらいだし、おもわず「アチチ」と声が出るぐらい恥ずかしい思いをするかも。

 読むべきは最終章、馬の国の話。児童書だと間違いなくカットされているだろうが、これこそスウィフトの真骨頂だろう。究極のユートピアを描くことで、人間社会がいかに矛盾に満ち、汚れきっているかがよく分かる。しかもそのユートピアでの人間ときたら!

 童話しか知らない人はきっとガツンとやられる。読了後に[貧家の子女がその両親並びに祖国にとっての重荷となることを防止し、且社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案]を読むと二度おいしい。


チベット旅行記(上)■ チベット旅行記(河口慧海)[レビュー]

 面白スゴ本。

 著者は明治時代の坊さんで、鎖国中のチベットに入国した最初の日本人。ただ独りで、氷がゴロゴロする河を泳ぎ、ヒマラヤ超えをする様子は、「旅行記」ではなく「冒険記」だな。

 ではこの坊さん、どうしてチベットまで行かなければならなかったのか?

 サンスクリットの原典は一つなのに、漢訳の経文は幾つもある。意訳、誤訳、適当訳が沢山ある。翻訳をくりかえすうちに、本来の意義から隔たってしまっているのではないか? それなら原典にあたろうというわけ。インドは小乗だし支那はアテにならん。だから西へ行くんだ。

 まるで三蔵法師!住職を投げ打ち、資金をつくり、チベット語を学び始める。周囲はキチガイ扱いするが、本人はいたって真剣。しかも、普通に行ったら泥棒や強盗に遭うだろうから、乞食をしていくという。

 この実行力がスゴい。最初は唖然とし、次に憤然としているうちに、だんだんと慧海そのひとに引き込まれる。これはスゴい人だ、と気づく頃には夢中になっている。ヒマラヤの雪山でただ一人、「午後は食事をしない」戒律を守る。阿呆か、遭難しかかってるんだって!吹雪のまま夜を迎え、仕方がないから雪中座禅を組む。死ぬよ!


目玉の話■ 目玉の話(バタイユ)[レビュー]

 旧タイトルは「眼球譚」。新訳では、告白体のしゃべりがくだけた感じになり、さらに読みやすくなっている。

 特に目を引いたのが「玉」の語感。原文にある、"oeuf","oeil","couille"(ウフ、ウエ、クエ)の音感を、「目玉」、「玉子」、「金玉」と「玉」でつなげて訳しているのは素晴らしい。また、性器一帯を「尻」で統一しているのも良い感じ。

 エロスの極限に神性をもってきているのが鼻に付くが、冒涜行為は「神」相手でないとできないから仕方ないか。より強いショックを受けるには、キリスト教に入信するか、ヘーゲルを読んでおくといいらしい。

毒書案内 わたしの脳に、「セックスと排尿」をバインドした張本人がバタイユ。愛し合う男女はセックスの際、尿をかけあうという誤った刷りこみのおかげで、変態あつかいされますた。余談だが、かわいい女の子が顔まっかにしておもらしするエロマンガの最高峰はぢたま某「聖なる行水」。「目玉」に辟易したらどうぞ。

 バタイユを含む、「人生を狂わせる毒書案内」は→「読んではいけない」をどうぞ


何でも見てやろう■ 何でも見てやろう(小田実)

 「外へ出ること」「遠くへ行くこと」を強く動機づけた一冊。

 「ガイコクを旅すること」がマイナーだった時代に、欧米・アジア22ヶ国を貧乏旅行した記録。「まあなんとかなるやろ」といった楽天的な態度とバイタリティーに影響され、わたしも一人旅したぞ。この「旅に出たい熱」ってハシカのようなものだね。古くは芭蕉やケルアック、最近だと沢木耕太郎や藤原新也あたりが、この熱病をバラまいている。

 免疫のない中高生が読んだら一発でかかる一冊。もちろんわたしもかぶれたぞ。大学生になってからがちょうどいいのかも。


ガルガンチュアとパンタグリュエル■ ガルガンチュアとパンタグリュエル(ラブレー)

 おっぱい星人には悪いが、女は、尻だ(異論は認めない)。なぜなら、おっぱいの谷底と、尻のあわいめ、どちらが見たい?と自ら質みればいい。しょせん、おっぱいは尻の代替物なのだ――などと、お尻について情熱的に語っていたら、コメント欄で本書を教えてもらった。

 ルネサンス文学を代表するラブレーの傑作大長編だそうな。しかも新訳版が出ていたので、そいつに手を出してみる。いわゆる風刺+冒険譚を密度の濃い文体で連弾するように描いているみたいだ。底抜けに明るいスカトロジーを楽しめそうナリ。


コインロッカー・ベイビーズ■ コインロッカー・ベイビーズ(村上龍)

 新聞や週刊誌で見かける経済時評は全く評価しない。読み物としても情報源としても痛々しいのだが、かつてこんなスゴい物語をつむいでいたんだよな。

 コインロッカーを胎内としてこの世に生まれ出た罪の子らの、痛みすら伴う憎しみが伝わってくる。これを fairly tail として読むのは勝手だが、実行してきた若者はマスコミで見かけたことがあるだろう。彼らは「ダチュラ」を手にしていなかっただけ。その代わりにダガーやハンマーを握ったわけだ。強烈な破壊のエネルギーと疾走する文体に酔いしれるべし。


安土往還記■ 安土往還記(辻邦生)[レビュー]

 「西洋人」というフィルターを通したからこそ見える、信長の行動原理を描く。

 同時代の日本人の視点ではとても捉えきれないとし、日本の外側から、イタリアの船員という語り部を持ってきている。

 ひたすら虚無をつきぬけ、完璧さの極限に達しようとする意志と、生死のぎりぎりの場にあって「事が成る」ために全力の生の燃焼の前に、妥協や慈愛は一蹴される。狂気のように、理(ことわり)を純粋に求め、自己に課した掟に一貫して忠実であろうとする生き様が書簡断片に輝いている。

 辻邦生は「春の戴冠」を読むべし、と誉れ高い。積読リストに入れて幾年月…


リア王■ リア王(シェイクスピア)[レビュー]

 シェイクスピアは「リア王」が一番ドラマティックで面白い。新訳で読めるぞ。

 かの松岡正剛は「シェイクスピアの最高傑作である」と断言しているぞ。人間の弱さ・醜さ・おぞましさが、スラスラ読めるおそろしさを噛みしめるべし。

 親子の確執と愛情(陰謀も!)と、物語へのからまり具合が絶妙―― と、覚めて読んだ自分がかわいそう。これは夢中になって読むもの。以前は愛憎劇と斬っていたが、親子だけでなく、男女のもドロドロに混ざっていることに、ようやっと気づいた。不倫と駆引き、姉妹丼、さらに嵐の一夜のリアと○○○の掛け合いは、老人と若者の同性愛のように読める。

 コアを担うキャラクターが幾幕ごとに「ストーリー」を渡していく様が見事だ。ストーリーという道があって、サブストーリーが脇を走ってて… ではない。もつれた人間関係を話者が光を当てるように行き来していき、だんだん浮かび上がらせていくような感覚。でも全員が乗っている「場」がある運命に向かって船のようにずんずん進んでいく。小説の延長として読むよりも、演劇の下読みとして接すると面白いかも(そう、気に入った役になりきるわけだ)。


アイディアのつくり方■ アイディアのつくり方(ジェームズ・ヤング)[レビュー]

 「一時間で読めて一生役立つアイディアの作り方」

 そんな惹句どおり、確かにシンプルで強力な方法だ。しかし、こいつを愚直に実践していくことはかなりの努力を要する。「アイディアとは、既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」と喝破する方法は、マネして→習慣化→血肉化してこそ意味がある。付せん貼ってブックマークして終わりなら、読まなかったことと同義。「いま」「すぐ」動かなければ、タタミの水練以下。実行すれば人生を変える一冊となる。言うは易く、JUST DO IT.


アブサロム、アブサロム!■ アブサロム、アブサロム!(フォークナー)[レビュー]

 南北戦争時代のアメリカを舞台にした、繁栄と没落の物語。重層的な語りの中に、呪われた血の歴史が浮かびあがる。わたしは、どろり濃厚なミステリとして読んだ、2008年のスゴ本ランキング入り。

 ただし、最近のエンターテインメントに甘やかされた読者には、ちと辛いかも。物語は複数の語り手の視線によってさらされ、吟味されているのだから。ストーリー消化率を向上させるための「何でも知ってる説明役」は一切ない。たとえ三人称であってもだまされるなかれ。聞き手の内省であったり対話(!)だったりするのだから。

 同じ描写、同じシーンが、微妙に異なる言葉・視点でくりかえし述べられている。ジグソーパズルを外側から埋めていくように、行きつ戻りつ繰言がくりかえされる。さらに、先ほどまで聞き手だった者が、次は語り手となって地の文に参入してくる。過去へ過去へと遡るうちに、おぞましい過去が追いかけてくる。

 物語そのものが語りだす声を訊くべし。


オリエンタリズム(上)■ オリエンタリズム(サイード)

 歴史とは自らを正当化するためのラベリングの歴史そのものだということを暴く。つまり、「オリエンタル」という言葉・概念は西洋によって作られたイメージであり、文学、歴史学、人類学の中に見ることができる。「オリエンタル」というレッテルのおかげで西洋は優越感や傲慢さや偏見でもって、東洋と接することができたという主張を念入りに検証している。

 皮肉なのは、オリエンタリズムを批判する証拠物として、東洋で作られた著作物や芸術作品が提示されていないこと。そして、「西洋から見た東洋」の作品が挙げられていること。もちろん事実上「東洋」で作成されたものもあるが、それは「こういう『東洋』なら西洋は買ってくれるに違いない」という意図のもとで、自分で自分をステレオタイプ化しているに過ぎない。レッテルを貼られた被告人の告発ではなく、まさにそのレッテルこそが証拠なのだ。


ゲーデル、エッシャー、バッハ■ ゲーデル、エッシャー、バッハ(ホフスタッター )

 未だに積読山に刺さっている。「読みます」宣言を毎年繰り返し、本棚の一番目立つところに鎮座したまま、幾年か。

 テーマは「自己言及」。ゲーデルの不完全性定理が、エッシャーのだまし絵やバッハのフーガをメタファーとして渾然と展開される。導入部のアキレスと亀の会話で分かった気になり、本編で叩きのめされる。いまは「単純な数学システム(MUパズル)で完結しているにもかかわらず、証明できないことが存在することを証明する」あたりでひっかかっていたが、「ゲーデルの哲学」[レビュー]のおかげでようやく理解できた。毎年、このシリーズを書くたびにエンジンかけている。これは、少しずつ読んでもダメだな。外堀埋めて、一気に読まないと。


銃・病原菌・鉄■ 銃・病原菌・鉄(ジャレド・ダイアモンド)[レビュー]

 昨年の、「東大、京大、北大、広大の教師が新入生にオススメする100冊」の第一位。そして、「この本がスゴい2008」の第一位もこれ。

 世界の富や権力は、なぜ現在あるような形で分配されてしまったのか? たとえば、なぜヨーロッパの人々がアフリカや南北アメリカ、オーストラリアを征服し、どうしてその逆ではないのか? この究極の問いをとことんまで追いかける。

 数千~数万年単位の歴史を、猛スピードでさかのぼり、駆け下りる。大陸塊を横長・縦長で比較しようとする巨大視線を持つ一方で、たった16キロの海峡に経だれられた文化の断絶ポイントを示す。時間のスケールを自在にあやつり、Google Earth をグルグルまわす酩酊感と一緒。地球酔いしそうな人類史から明かされる「富の偏在」の謎――それは、驚くとともに納得できるだけの理由をもっている。


アフリカ■ アフリカ――苦悩する大陸(ロバート・ゲスト)[レビュー]

 「なぜ、アフリカは貧しいままなのか?」という問いに、ひとつの結論が出る一冊。

 アフリカの貧困問題に対し教科書どおりに答えるならば、植民地時代からの搾取、不安定な政府、内戦や伝染病、人種差別、部族主義や呪術主義、インフラや教育の欠如からHIV/AIDSの跋扈――と枚挙に暇がない。

 著者はこの質問に明快に答える。すなわち、政府が無能で腐敗しているからだという。私腹を肥やす権力者、国民から強奪する警察官、堂々とわいろを要求する官僚――これら腐りきった連中がアフリカを食い物にし、援助や支援が吸い取られる。資源に恵まれた国であっても同様だ。奪い合い→内戦化→国土の荒廃を招くか、あるいは、外資が採掘場所を徹底的に押さえ、オイルダラーが国民まで行き渡らない構造になっていると一刀両断している。

 もちろん本書だけでもってアフリカ問題を語りだすのは危険だし、そういう思考の失敗も見せてもらった。非常に興味深いことに、自説を強固に主張する方であればあるほど、その一面的な観点から一歩も出られないことがわかった。同じ愚を犯さないために、(相反する)類書をいくつか読んだが、それはそれだけアフリカ問題の巨大さを実感することとなった。


フォークの歯はなぜ四本になったか■ フォークの歯はなぜ四本になったか(ヘンリー・ペトロスキー)[レビュー]

 モノの見方が確実に変わる一冊。

 フォーク、ナイフ、クリップ、ジッパー、プルトップなど、身近な日用品について、「なぜそのカタチを成しているのか」を執拗に追求する。日ごろ、あたりまえに使っているモノが、実は現在のカタチに行き着くまでに途方も無い試行錯誤を経たものだったことに気づかされる。

 いわゆるデザインの定説「形は機能にしたがう(Form Follows Function)」への論駁が面白い。著者にいわせると、「形は失敗にしたがう(Form Follows Failure)」だそうな。もしも形が「機能」で決まるのなら、一度で完全無欠な製品ができてもいいのに、現実はそうなっていない。モノは、先行するモノの欠点(失敗)を改良することによって進化していると説く。これが膨大なエピソードを交えて語られるのだから、面白くないわけがない。


不都合な真実■ 不都合な真実(アル・ゴア)[レビュー]

 写真の持つ訴求力はスゴい。例えば、同じ場所の2枚の写真。まるで「使用前」「使用後」のように明らかだ。特に目を引いたのが、1975年のブラジルの衛星写真。一面緑に塗りつくされているのが、2001年では同じ場所とは思えない無残さ。あるいは、p.222の禿山が連なるハイチと、隣のp.223の緑に覆われたドミニカ共和国の国境を真ん中にすえた写真は、政策の違いが如実に「見える」。

 また、夜の地球の写真が面白い。むかし親父が教えてくれた「宇宙から地球を見たとき、三つの光が見える。都市の白い光、焼畑の赤い火、そして油田の黄色い炎だ」に加えて、もうひとつ、青白い光があることが分かった、日本海に集中して見える漁火だ。

百年の愚行 だが、何かが足りない。

 それは、事前に「百年の愚行」を見たから。人類が地球環境と自分自身に対して及ぼした数々の愚行の「象徴」が、れっきとした「現実」として写っている。近々人類が滅びるとするならば、その原因が写っているのは、「不都合な真実」ではなく「百年の愚行」だろう。環境プロパガンダ本としては「愚行」の方が上。大学教師オススメのリストには「愚行」が入っていなかったが、両者は合わせて読みたい。


夜と霧■ 夜と霧(ヴィクトール・フランクル)[レビュー]

 ホロコーストの記録。強制収容所に囚われ、奇蹟的に生還した著者の手記。限界状況における人間の姿が、淡々と生々しく描かれる。

 極限状態に陥ったとき、目の前の苦悩そのものの意味を問わない。わたしは、そこから逃れようとするだろうし、適わないのなら、次元を変えてでも達成しようとするだろう。つまり、物理的に逃げられないのなら観念の世界へ逃げるとか、外界をシャットアウトして自分を外在化してしまうとか。しかし、著者フランクルは違う。

すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。
 そして、この経験を通じ、人間とは何か、に結論を出す。「人間とは、人間とは何かをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」――生きる目的を未来に託すのではなく、さりとて過去に取り付くのでもない。目の前の現実に対し、自ら決定していく存在を、思い知らされる。それは、わたしであり、あなたなのだ。


誰のためのデザイン■ 誰のためのデザイン?(ドナルド・ノーマン)


 ありとあらゆる「ユーザーインタフェース」の基底となる本。

 これは、コンピュータのGUI に限らない。モノの持つ属性(色や形)が、そのモノ自身をどう取り扱ったら良いかについてのメッセージをユーザに対して発している、いわゆる affordance の根っこが分かる。「使いやすいとはどういうことか」が肌で分かる。ボタンの配置だとか見出しの色だとか、Webデザインネタが巷に数多にあるけれど、あくまで表層的なもの。もっと根源的な「どうしてそうだと分かるか」についてここまで実例を掘り下げて書いてあるのはめったにない。

 デザイン本をいくつも漁るよりも、デザイン本とは縁遠いようなコレをしっかりと読み込むほうが近道。同著者の近著として、「未来のモノのデザイン」があるが、「誰のための」の方が良い出来。


哲学、脳を揺さぶる■ 哲学、脳を揺さぶる(河本英夫)[レビュー]

 オートポイエーシスの練習問題。慣れ親しんだ世界が「揺さぶられる」感覚を訓練できるぞ。

 本屋で見かけたとき、タイトルどおり「哲学」のエリアに置いてあったけれど、中身はちがうような気が。むしろ自己啓発書として使いたい。

 著者曰く、「学習」と「発達」を区別せよという。視点や観点の選択肢が一つ増えることは、学習の成果で、それに伴い知識も増える。けれども、能力そのものの形成や、能力形成の仕方自身を習得するのでなければ、テクニックが一つ増えたにとどまるという。
。つまり、思考技術や、フレームワークの紹介ではなく、「あたらしい感覚・あたらしい経験を再獲得するやり方」が書いてあるんだ。「自転車の乗り方」が書いてあるのではなく、「自転車に乗れるようになるとき、何がはたらいているのか」が書いてあるんだ。

 感覚のエクササイズに対し、既に知っていることと関連付けたり、今の知識に加えようとするのは禁物。学習の「前」に、その意味をカッコに入れ、自分の経験そのものを「動かす」ことを訓練してゆく。意味によって経験をラベリングするのではなく、再・経験する(創・経験する)のだ。

 100リストは、以下のとおり。

┌―――――――――――――――――――――――――――――――
│□□□ フィクション(国内)
└―――――――――――――――――――――――――――――――

1.「安土往還記」(辻邦生、新潮文庫)
2.「蝉しぐれ」(藤沢周平、文春文庫)
3.「こころ」(夏目漱石 、新潮社 )
4.「コインロッカー・ベイビーズ」(村上龍 、講談社 )
5.「ドグラ・マグラ」(夢野久作、現代教養文庫)
6.「宮本武蔵」(吉川英治 、講談社 )
7.「鍵」(谷崎潤一郎 、新潮社 )
8.「孤高の人」(新田次郎 、新潮社 )
9.「枯木灘」(中上健次、小学館文庫)
10.「高野聖」(泉鏡花、新潮文庫)
11.「笹まくら」(丸谷才一 、新潮社 )
12.「三国志」(吉川英治 、講談社 )
13.「山月記・李陵」(中島敦 、岩波文庫 )
14.「春の雪」(三島由紀夫 、新潮社 )
15.「春の戴冠」(辻邦生 、新潮社 )
16.「春琴抄」(谷崎潤一郎、新潮文庫)
17.「万延元年のフットボール」(大江健三郎、講談社)
18.「夕凪の街桜の国」(こうの史代、双葉社)
19.「果しなき流れの果に」(小松左京 、徳間書店 )
20.「神聖喜劇」(大西巨人、光文社)
21.「蒼穹の昴」(浅田次郎 、講談社 )

┌―――――――――――――――――――――――――――――――
│□□□ フィクション(海外)
└―――――――――――――――――――――――――――――――

22.「アブサロム、アブサロム!」(フォークナー 、講談社 )
23.「アンナ・カレーニナ」(トルストイ 、岩波書店 )
24.「イワン・デニーソヴィチの一日」(ソルジェニーツィン、新潮社 )
25.「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー 、新潮社 )
26.「ガリヴァー旅行記」(ジョナサン・スウィフト、岩波文庫)
27.「ガルガンテュアとパンタグリュエル」(ラブレー、岩波文庫 )
28.「ドン・キホーテ」(セルバンテス、岩波書店 )
29.「ハムレット」(ウィリアム・シェイクスピア 、白水社 )
30.「ボヴァリー夫人」(フローベール、新潮文庫)
31.「ファウンデーション」(アイザク・アシモフ 、早川書房 )
32.「オデュッセイア」(ホメロス 、岩波書店 )
33.「リア王」(シェイクスピア、白水Uブックス)
34.「レ・ミゼラブル」(ヴィクトル・マリー・ユゴー 、岩波書店 )
35.「外套」(ゴーゴル、岩波文庫)
36.「完全な真空」(スタニスワフ・レム 、国書刊行会 )
37.「眼球譚」(ジョルジュ・バタイユ 、河出書房新社 )
38.「神曲」(ダンテ・アリギエーリ 、集英社 )
39.「大聖堂」(ケン・フォレット 、新潮社 )
40.「緋文字」(ナサニエル・ホーソーン 、新潮社 )
41.「百年の孤独」(ガルシア=マルケス、新潮社)
42.「不滅」(ミラン・クンデラ 、集英社 )
43.「幼年期の終わり」(クラーク 、早川書房 )
44.「一九八四年」(オーウェル、ハヤカワ文庫)

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│□□□ ノンフィクション(国内)
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45.「「甘え」の構造」(土居健郎 、弘文堂 )
46.「オイラーの贈物」(吉田武 、筑摩書房 )
47.「この数学書がおもしろい」(青木薫他、数学書房)
48.「自分のなかに歴史をよむ」(阿部謹也、ちくま文庫)
49.「知的複眼思考法」(苅谷剛彦、講談社α文庫)
50.「チベット旅行記」(河口慧海 、講談社 )
51.「読書からはじまる」(長田弘、NHKライブラリー)
52.「ミラノ 霧の風景」(須賀敦子 、白水社uブックス )
53.「何でも見てやろう」(小田実、河出書房新社)
54.「ローマ人の物語」(塩野七生 、新潮社 )
55.「理科系の作文技術」(木下是雄、中央公論社)
56.「論理トレーニング101題」(野矢茂樹、産業図書)
57.「本はどう読むか」(清水幾太郎 、講談社 )
58.「福翁自伝」(福沢諭吉、岩波文庫)
59.「人間臨終図巻」(山田風太郎 、徳間書店 )
60.「知の技法」(小林康夫 、東京大学出版会 )
61.「定本言語にとって美とはなにか」(吉本隆明 、角川書店 )
62.「哲学、脳を揺さぶる」(河本英夫、日経BP)
63.「日本語の作文技術」(本多勝一 、朝日新聞社 )
64.「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎、岩波文庫)
65.「言志四録」(佐藤一斎 、講談社 )
66.「自分の中に毒を持て」(岡本太郎 、青春出版社 )

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│□□□ ノンフィクション(海外)
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67.「アイデアのつくり方」(ジェームズ・ヤング 、TBSブリタニカ )
68.「アフリカ――苦悩する大陸」(ゲスト、東洋経済新報社)
69.「イェルサレムのアイヒマン」(ハンナ・アーレント、みすず書房)
70.「エセー」(モンテーニュ 、中央公論新社 )
71.「エレガントな宇宙」(ブライアン・グリーン 、草思社 )
72.「オリエンタリズム」(エドワード・サイード、平凡社ライブラリー)
73.「ゲーデル、エッシャー、バッハ」(ホフスタッター 、白揚社 )
74.「システムの科学」(ハーバート・サイモン 、パーソナルメディア )
75.「銃・病原菌・鉄」(ダイアモンド、草思社)
76.「沈黙の春」(カーソン、新潮文庫)
77.「パワーズ オブ テン」(フィリップ・モリソン、日経サイエンス)
78.「フェルマーの最終定理」(サイモン・シン、新潮社)
79.「フォークの歯はなぜ四本になったか」(ペトロスキー 、平凡社 )
80.「不都合な真実」(アル・ゴア、ランダムハウス講談社)
81.「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(ヴェーバー 、岩波書店 )
82.「ホーキング、宇宙を語る」(ホーキング 、早川書房 )
83.「夜と霧」(フランクル、みすず書房)
84.「リスク」(ピーター・L.バーンスタイン 、日本経済新聞社 )
85.「愛するということ」(エーリッヒ・フロム、新訳版紀伊國屋書店)
86.「宇宙のたくらみ」(ジョン・D.バロー 、みすず書房 )
87.「君主論」(ニッコロ・マキャヴェリ 、岩波書店 )
88.「詩学」(アリストテレス、岩波文庫 )
89.「自然界における左と右」(マーチン・ガードナー 、紀伊国屋書店 )
90.「人はなぜエセ科学に騙されるのか」(カール・セーガン、新潮社)
91.「世論」(リップマン、岩波書店)
92.「生命とは何か」(シュレーディンガー、岩波新書)
93.「精神の生態学」(グレゴリー・ベイトソン 、新思索社 )
94.「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン 、NTT出版 )
95.「誰のためのデザイン?」(ドナルド・A.ノーマン 、新曜社 )
96.「統計はこうしてウソをつく」(ジョエル・ベスト、白揚社)
97.「日本人の英語」(マーク・ピーターセン、岩波新書)
98.「罰せられざる悪徳・読書」(ヴァレリー・ラルボー 、みすず書房 )
99.「方法序説」(デカルト、岩波書店)
100.「利己的な遺伝子」(リチャード・ドーキンス、紀伊国屋書店)


 全リストは、以下のリンク先に置いた。

「2009年版_大学教師が新入生にすすめる100冊.csv」をダウンロード

 読みたいリストは決して消えないし、それどころか、あっという間に増殖してゆく。人生は有限なのに、読みたいリストは無限だ。せめては、定期的に振り返ってブラッシュアップしていきたい。

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10ドルの大量破壊兵器「AK-47」がもたらした世界

AK47

「こうと分かっていれば、自分は時計職人にでもなるべきだった」
 アインシュタインのこの言葉を思い出す。自分の研究の"成果"である原子爆弾がもたらした惨事を知ったときのセリフだ。ミハイル・カラシニコフは、自分がつくったAK-47について、こう語っている。

「わたしは自分の発明を誇りに思っている。しかし、それがテロリストたちに使われているのが哀しい。人びとが使えて、農民の助けになるような機械を発明すればよかった。たとえば芝刈り機のようなものを」

 単純な構造のため誰でも扱え、めったに故障せず、きわめて安価なアサルト・ライフルAK-47。この突撃銃は、戦争の形態から世界のパワーバランスまで変えてきた。累計一億挺以上つくられてきたAKの構造と、世界に蔓延していく様を、(悪い意味での)ジャーナリスティックに描いている。「アフリカのクレジットカード」と呼ばれるほどコモディティ化しており、人類史上最も人を殺した兵器として名をはせた理由がわかる。

 面白いのは、M16の開発秘話やAKと対決した様子を描いているところ。米ソ対決を象徴するかのように、M16とAK-47は好対照をなしている。信頼性、コストパフォーマンス、浸透度、ほぼ全ての面において、AKが圧倒している。にもかかわらず、それぞれの開発者の人生行路が皮肉じみている。M16を開発したユージン・ストーナーは、銃が一挺売れるたびに、一ドルが懐に入る。比べて、AKを開発したカラシニコフは、一銭ももらえない。

カラシニコフ あわせて読みたいのが、松本仁一著「カラシニコフ」。

 「AK-47 世界を変えた銃」は、「AKという兵器」を中心に据え、冷戦の終結によりバザール化される様子を描写してみせる。いっぽう「カラシニコフ」では、世界の紛争地帯や、失敗国家で起きている状況を、AKで説明しようと試みる。

 残念ながら、その試みは成功しており、AKがベトコンやムジャヒディンの「貧者の兵器」として浸透している様子がよくわかる。同時に、操作性・メンテナンス性にすぐれたAKが、優秀な「子ども兵」の原動力となっていることが明らかにされる。

 誰でも簡単に扱える銃が誰でも簡単に手に入るようになったことにより、人を殺せる層が拡大する。つまり戦闘のプロ「兵士」の範囲が拡大し、女子供でも大量殺傷が可能となった。加えて途上国での不安定な国情に乗じた安易な「徴兵」の結果、ティーンエイジの子ども兵と化す。

子ども兵の戦争 つなげて読みたいのが、「子ども兵の戦争」。

 子ども兵は、「見えない兵士たち」と呼ばれており、その意味は強烈だ。小さいから見えにくいといったことではないし、非戦闘員として危険視されない存在という意味でもない。

 つまりこうだ。拉致や誘拐で動員された子ども兵は、安価で使い捨てられる存在なのだ。生き長らえる子どもはごく少数で、文字通りこの世の中から消えてなくなる。「見えない兵士」あるいは「子ども兵なんて最初からいない」という真の意味はここにある。

 そうした子ども兵に与えられる武器が、AKだ。先に述べたように、メンテナンス性にすぐれ、わずかな訓練で誰にでも扱うことができる。「子ども兵」を成り立たせている要因はさまざまだろうが、AKが誘因となっていることは事実だろう。

 10ドルの大量破壊兵器は、誇張でもなんでもなく、文字どおり世界を変えている。


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喫煙者の命の値段は高いか安いか「人でなしの経済理論」

人でなしの経済理論 ひっかけ問題な。

 まず、この話題がタバコについてだということを、いったんワキに置いといて、ある仮想的な――Xという製品について考えてみる。その特徴とは、こうだ。

  1. 製品Xは、ずいぶん昔から多くの人が使っているものだ
  2. 何年もかけて製品Xを使うと、健康被害が出たり、死んだりする確率が増えることを示す、まちがいのない証拠が山ほど集まっている
  3. 身近な愛する人と一緒に製品Xを使うと、彼(女)も死んだり、健康被害を受けたりする可能性が高まってしまう
  4. 全く見知らぬ人の周辺で製品Xを使っても、彼(女)も死んだり、健康被害を受けたりする確率が増える
 さて、これだけネタが出そろえば、製品Xを禁止するのが、マトモな社会政策だという結論を出してもいいのだろうか?

 答えは、「クルマ。なぜ喫煙は悪者あつかいされるのに、運転はそうじゃないんだろうか、という疑問を、著者はつきつけてくる。実際のところは、それぞれの便益と費用を比較した結果、喫煙派を上回る"反喫煙派"が形成されてしまったことが原因だと喝破する。

 そう、とどのつまりはトレードオフだという。社会問題を考える上で、経済学的な議論は有意義だという。ややもすると「正しいか間違っているか」という正義のイデオロギーの泥仕合に堕ちてしまう議論が、費用と便益に注目することで、同じモノサシで比べることができるのだ。

 もちろん、そのモノサシとは「カネ」だ。費用については損失分を金額で出せるだろう。想定される被害額と期待値で出せばいい。いっぽう便益側については、助かる人命や、回避されるケガなどについて、金銭で相当額を計算できる。「人の命はお金で贖えない」「人命をカネで計算するなんて!」という方が読んだら、一発で気を悪くするだろう。

 しかし、両方を同じ単位で見積もることで、比較検討ができるようになるわけだ。先の喫煙・嫌煙問題も、「いくらなら吸うか?」というミもフタもない話にできる。気づかされたのが、著者のこの指摘→「喫煙者がタバコを楽しんでいるという便益が見落とされがち」。

 んなことはない、喫煙者は「タバコの楽しみ」という便益を評価しているよ、というツッコミは、嘘だ。なぜなら、その便益を評価しているならば、「いくらなら吸うか?」という疑問に金額で答えられるから。「自身の健康を害してでも」という抽象的な議論ではなく、タバコそのものの費用や税金、保険料からクリーニング代を負担しても、という具体的な金銭の話になる――これが、トレードオフのミソ。「何物にも代えがたい」ということは、ありえないのだ。

 著者はタバコ問題をどうこうしたいワケじゃない。裁定をしたいのではなく、判断方法としてトレードオフが使えるよ、と言いたいのだ。けれども語りや例が極端で露悪的なので、読み人を選ぶ。例えば、「死んだ人から強制的に臓器摘出したら」とか、「HIV検査がAIDSの拡大を防げるなんて嘘かも」といったヒヤリとするネタを"トレードオフの論理に従って"展開する。

 しかし、著者は巧妙に結論を避ける。「そういう研究成果もある」という言い方をして、統計に当たることもなく「どっちもどっち」とアイマイに終わらせている。デリケートな問題に快刀を求めているのであれば、肩すかしを食らうかもしれない。が、これは著者の言うとおりだろう。「正しいか間違っているか」が問題なのではないのだ。

 結局のところ、個人的にどう思うかではなく、一種の思考訓練だと考えた方がいい。例えば、臓器市場について賛否それぞれの書籍を[人体売買の告発書]集めたが、まさにこのトレードオフの考え方で議論が可能となるだろう。ただし、どっちに加担するのかによって、カネの計算方法が変わってくるから厄介だろうね。お題の「喫煙者の命の値段」は、どっちに付くかによって変わってくるだろうし。

 本書の本質について、訳者の山形浩生氏はズバリこう述べる。「裏テーマは、経済学者はいかにして人の神経を逆なでするか」。くだけた語り口や、ミもフタもない論旨に、最初は「山形氏がイザヤ・ベンダサンをやろうとしてる!?」などと思ったものだ。つまり、本書は翻訳書の体裁をとっているものの、原著者はフェイクで実体は山形氏――などと妄想して楽しめる。

 むしろ山形ファンにオススメしたい一冊。

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