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「本の未来をつくる仕事/仕事の未来をつくる本」がスゴい

本の未来をつくる仕事・仕事の未来をつくる本 一冊のうちの、どちらもスゴ本。

 「どちらも」という言い方をしたのには、ワケがある。

 なぜなら、本書は右開きにも左開きにもなる、両面仕立てなのだ。右開きのタテ書き側は、「本の未来をつくる仕事」というタイトルで、ブック・コーディネーターとして手がけたプロジェクトが紹介されている。左開きの横書きサイドでは、「仕事の未来をつくる本」という題名で、会社を辞めてから今に至るまでの仕事のノウハウを抽出し、同世代向けへのメッセージにしている。レコードならA面B面なのだろうが、本書はどちらも「A面」であるところがミソ。

      「本の未来をつくる仕事」 ≡ 「仕事の未来をつくる本」

という本書そのものが、昨今の書籍の流通・販売についての問題提起と解決事例となっているところがスゴい。「一冊で二度おいしい」というよりも、むしろ「一冊で二倍うまい」というべき。

■ 本の未来をつくる仕事

 まずは、「本の未来をつくる仕事」。「本が売れない」とお悩みの出版・流通関係者の方は、頭ガツンとやられる一冊(の半分)となっている。いままでの"本"観からブッ飛んだアイディアをごろうじろ。

 たとえば、古本の文庫がクラフト紙に包まれている。中身が見えない代わりに、その本の一節を引用したテキストが印刷されている。なんだシズルかと侮るなかれ。もう片面には、なんと住所とメッセージを書く欄が印字されているのだ。

 つまり、これは本を「絵葉書」にしてしまったのだ(実際、210円のゆうメールで送達可能)。購入者はこの「絵葉書」を選ぶ際、引用文から類推するだけでなく、誰に贈るかも考える愉しみが生まれてくる。タイトルや著者といった先入観をとっぱらったところで本を選ぶという体験だけでなく、贈った相手に「どうだった?」とコミュニケーションのきっかけになる。

 あるいは、この「非マスプロダクトとしての本」という発送がスゴい。本というものは、印刷された段階ではマスプロダクトといえるが、何かしらの書き込みが加わった瞬間に、世界に一冊しかないオリジナルなものとなる。通常ならば「書き込み有」でブックオフで100均箱にされてしまうのに、これを逆手にとって、むしろ商品価値が上がっている、と考えるのだ。

 このコンセプトをもとに、訪れた人が任意の色とペンを選んで、好きな本に自由に書き込みをすることができる。昔の図書館の貸出カードのように、名前と日時が記録する用紙が添付されており、自分の痕跡を残すことができる(飲み屋やラブホの"ノート"やね)。本は期間中展示され、購入者は後日、郵便で届けられるという仕組み。何が書き込まれているかのドキドキ感は、購入者のもの。「本とはノートだ」と喝破したのは松岡正剛だが、ここではさらに一歩進めて、複数人による「シェアードされた知」として本と向き合える。

 まだまだある。一部を抜粋すると、こうなる。

  • 会員制・予約制・入場料制、新しい本との出会いを提供するブックルーム
  • 本が一冊もない書店 (←コロンブスの卵!)
  • 本好きの美容師を呼んで「あなたの一番好きな本を一番かっこよくカットしてください」
  • 文庫本のカバー背だけを使ったコラージュ的平面作品
  • カバーを外した文庫本の表紙をくりぬいて、フォトスタンドにする
 著者・内沼晋太郎の手にかかると、本が「本」っぽくないのだ。本・書籍・書物を、わたしとは異なる観点から捉えなおし、関係を再構築しているかのようだ。「本→読むもの→書店、amazon、図書館」といった"閉じた"発想しかできないわたしには、驚くばかり。

 こうした成果を通じ、著者は、ある仮説が事実である手ごたえを見つける。出版不況といわれるが、出版業界「の外側」には、本を取り扱いたいというニーズを指摘する。一方の出版業界の側にも、既存の流通システムに疑問や限界を感じていることも事実だ。そして、そうした「枠」を超えた取り組みを、具体的なプロジェクトの形で見せてくれるのだ。

■ 仕事の未来をつくる本

 次は、「仕事の未来をつくる本」。「自分の仕事」に自信が持てない人が読んだら、頭ガツンとやられる一冊(の半分)となっている。やりたいことを考えるにあたり、「お金をもらう仕事」と「お金をもらわない仕事」の違いを意識しながら、戦略的に仕掛ける「しかけ」そのものを解説する。

 もちろん、「定職+週末起業」や「定業+バイト」の2足のワラジの話はよくある。しかし著者がスゴいのは、片いっぽうのワラジを「お金をもらわない」と位置づけてしまっているところ。ただ内的に消費する「趣味」ではなく、外側へ向かって立ち上げる活動(プロジェクト)だと強調する。

 では、金銭に結びつかないことが「仕事」になるのかって?まぁ結論を急ぎなさんな。

 著者はまず、「お金をもらわない仕事」を見つけろという。ポイントは「やりたいこと」を実現するというよりも、「なりたい感じ」のイメージを抱いて、そのイメージを「かけ算」で少数派にせよという。つまりこうだ。自分の好きなもの、経験があるもの、誰かの相談に乗れるようなモチーフを、複数組み合わせるのだ。

 たとえば「花」×「売る」なら「花屋」にしかならないので普通だが、「花」×「食べる」だと、Edible Flower になって、ちょっと意外。さらに、「花」×「食べる」×「音楽」だとどうだろう。花を敷き詰めたクラブイベントで、食用花を使ったフードを提供し、花にあわせて選曲したDJをやる――単純なアイディアがかけ算を経ると飛躍的に希少なものになっていく様が面白い。

 さらに、「お金をもらわない仕事」に強度をつけるために、戦略的アルバイトを推奨する。キャリアや銭金のためではなく、上記のモチーフを裏付ける経験を積むことを目的としたアルバイトだ。漠然と「社会経験を積む」とはまるで違って見えてくるだろう。他にも、業界の全体像を知ることで、業界「の外側」からの位置を自覚して斬りこみができるという指摘や、旗印は鮮明にして、メンツは疎結合の方が合うという考えは、たいへん参考になった――というか、意識して自分のモノにしたい。

 そして、「お金をもらわない仕事」が「お金をもらえてしまう仕事」にシフトするかもしれない。ところが、ここでもまだ、「お金をもらわない仕事」にこだわるのだ。最初に「お金をもらわない」と定義した仕事で食べていけるようになったら、それは「お金をもらう仕事」として扱えばいい。しかし、だからといって「お金をもらわない仕事」をしなくてもいい理由にはならないのだ。

 なぜなら、「お金をもらわない仕事」は、「お金をもらわない」という前提で成立しているのだから。ややこしくてすまぬ。著者はもっとズバリとこう言い表している。

繰り返しになりますが、「お金をもらう仕事」である限り、フィールドは競争の激しい、「資本主義経済」です。しかし、「お金をもらわない仕事」は、「お金はいりません」といえるからこそ、「ビジネス」を度外視した、「見たことも聞いたこともないもの」を生み出せるのです。「お金をもらわない」ということの強みは、そこにあります。
 「やりたいこと」が実現できてハッピーだった人が、いつしか「(やりたいことが)お金になってうれしい」に変わり、いつしか「お金がもらえないと嬉しくない」に変わってしまう――著者は、その危険性を指摘する。これは、たくさんの起業家が踏みしめてきた地雷道やね。似たような道に入り込んでいるわたしにとって、よい戒めとなったナリ。

自分の仕事をつくる その一方で、デザイナーの西村佳哲が書いた、「自分の仕事をつくる」[レビュー]を強烈に思い出す。いい仕事をする人は、「働きかた」からして違うはずなのだが、まさにその通りだと確信できる。やり方が違うから結果が違う。いい仕事をする人のセンスは、まず最初に、「働きかた」を形作ることに投入されている。

 もちろん出発点は「自分」なんだが、仕事を通じて、他の誰も肩代わりできない「自分の仕事」をすることになる。資本主義経済で生きていくことには変わりがないが、その外側からの発想を得るためのやり方(=お金をもらわない)がスゴい。これも「働き方」の具体的な一つだと思う。マネするというよりも、わたしの中で実現していこう。

 本そのものと、本が置かれる場所と、本に込められたメッセージを通じて「人」が見えてくる、なによりも、著者・内沼晋太郎がスゴい。そういうスゴ本。

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やっぱり尻が好き「お尻とその穴の文化史」

お尻とその穴の文化史 女は、尻だ。

 もちろん、おっぱいも大切だ。そんなことはガッテン承知してる。しかし、おっぱいの谷底と、尻のあわいめ、どちらが見たい?と自ら質してみよう。結果は明白だ、おっぱいは尻の代替物なのだから。おっぱいの谷間から出てくるものは、色香や乳首にすぎない。いっぽう、お尻のあいだからは、糞尿だけでなく釈迦やキリスト、あなたやわたしも出てきたのだ。

 そんなお尻好きへの逸品が、これ。

 本書は、偏見と差別の仕打ちを受けてきたお尻とその穴について、医学的・歴史的観点から考察している。アヌスの機能にはじまり、浣腸やスパンキング、ソドミーの歴史が、豊富な図表とともに紹介されている。同時に、お尻やアヌスに魅せられた人びとの芸術的成果が、古今東西関係なく紹介されている。肉体の最も秘められた部位に関する知見をもとに、古代からある命題「アヌスは性器か排泄器か?」について、あらためて考えると興味深い。

 まず「お通じ」とは何かを、医学的見地から徹底的に解説する。人間の行為としての排泄を微に入り細をうがち説明する。回数、内容物、固形から液体、気体の分析から、成分、色、においを「まるで目の前で見ているかのように」示す。そして、「お通じ」を通じて人の健康状態を診る医師の歴史も詳らかにしてくれる。匂いや味(!)によって、病状を判断していたそうな。

 お通じの歴史は、浣腸の歴史につながる。主に器具を中心に、浣腸の歴史をオーバービューする。浣腸と洗浄剤は、肉体と魂を洗浄すると信じられてきたそうな。特に、中世~19世紀までは、浣腸の黄金時代ともいうべき時代で、紳士も淑女も、老いも若きも、病気になったら浣腸するのが日常だったという。ときには装飾品と見まごうほどの浣腸セットもあるが、なかでも一人でできる「セルフ浣腸キット」には瞠目した。無駄に豪華ナリ。

 好奇心を満たされるだけでなく、実用的な知識も得られるぞ。「正しい座薬の入れ方」なんて、まさにそれ。これまで、尖っているほうが「入れる方向」だと信じていたが、まったく逆だそうな。座薬は平らなほうから入れるのが正しい。そうすると、尖ったほうは直腸内で座薬を奥へ推進する役割を果たすそうな。腸管が狭まろうとする圧力が尖ったほうに働くため、平らかなほうが前に進むという原理らしい。

 あるいは、マリリン・モンローの死の真相は浣腸の事故であるという仮説は、大胆かつ説得力がある。死因となった毒物が消化管から見つかっておらず、飲み込んだ痕跡がなかったことや、大腸や直腸の状態が充血して紫色になっていたことから、クロラール浣腸の事故だと推察する。浣腸の失敗かぁ…マリリンおそるべし。

 さらに、ソドミー(アナル・セックス)の歴史が圧巻だ。キリスト教の最大のタブーなのだが、古代ギリシャやインド、中国、日本の例を挙げて、性的快楽の器官として愛されてきた歴史を振り返る。筆者に言わせると、アナルに対する性的な願望は、眺め、さわり、撫でさすり、つかみ、挿入したいという欲求にかわるという。そんな欲求が社会的・宗教的抑圧をくぐりぬけ、文化として花開くさまは涙ぐましいほど。

アヌスとお尻は、想像力のあまりない人間にとってすら魅力的な場所であり、すこし大胆な人間にとっては、あたらしい喜びを与えてくれる謎めいた穴であり、さらに大胆な人間にとっては、タブーを破ることでなおさら刺激的になる性の香辛料なのである。
 もう一歩進むと、尻はスカトロジーの殿堂になる。

 象徴としてのアヌスから、地獄の門としてのアヌスを紹介している。尻は刑罰の対象ともなっていたようだ。たとえば、真っ赤に焼けた鉄の棒を尻穴に押し入れる刑や、飢えさせたネズミを尻穴に押し込み、狂ったネズミの歯と爪で穴を押し広げさせて出血・ショック死させるものが紹介されている。読んでるこっちの尻がムズムズしてくること請合う。

 自分のモノなのに、あまり馴染みがないアヌス。液・固・気体を自動判別し、外界とのエアロック役を果たすアヌス。巧妙精緻なインタフェースであるアヌス。

 そんなアヌスに、親しみを感じられるようになる一冊。

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【告知】 「このキスシーンがスゴい」3冊を選んで、週刊アスキーにてご紹介

キスシーンがスゴい3冊を選んで、週刊アスキー5/26号で紹介した。人生を変えてしまうようなキスだ。バリエーションもシチュエーションも様々な三態なので、これを超えるキスも沢山あるかと。スゴいキスをご存知なら、ぜひ教えて欲しい。

週刊アスキーのブックレビュー「私のハマった3冊」で書かせていただいている。好きに選んでいいのと、好きに書いていいので、かなり嬉しい。かれこれ一年以上続いているので、このエントリにて改めて告知。掲載より一定期間を経た後、このblogにて公開する(編集部より許諾済み)。もちろん過去分も公開しますぞ。

3冊縛り・文字数制限つきの「スゴ本」を、お楽しみに。

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つい悪用したくなる「サブリミナル・インパクト」

サブリミナル・インパクト 自衛のためだけでなく、活用のために読むべし。

 無意識の認知メカニズムが、本人の意思を「意思決定」しているよ、という。さらに、そうした認知系に直接トリガーをかけ続けているのが現代社会で、わたしたちは自分で選んでいるようにみえても、それは制御された結果なんだよ、と主張する。

 SFでさんざん弄ばれてきたテーマなので、別に驚きゃしない。が、ここまで検証されると、恐ろしいを通り越してこっちが利用したくなる。マスメディアを通じた大衆誘導や世論操作、欲望を活性化させるコマーシャリズムは、もはや「古典」。むしろ、騙されていることに自覚的になることで、毒をもって毒をコントロールできるようにならないと。

 たとえば、新型インフルエンザ。甘く見るのは問題だが、露出操作の裏側に、"意図"を垣間見ることはできないか。マスコミ露出が激しくなるにつれ、「なぜ今?」という疑問が出てくる。流行は以前からあったにもかかわらず、あるタイミングでバースト的に報道され、大型花火を打ち上げるようだ。火花の陰に目立たなくなったのは、たとえば、クライスラーの経営破綻がある。

 もちろん陰謀論にするつもりはないが、インフルエンザの報道により相対的にインパクトが減ったのは事実。パンデミックという恐怖でもって、世界恐慌の恐怖を糊塗したことになる――本書のリクツを適用すると、こんな「見方」を描くことができる。

 上記の「想像」は、わたしの妄想かもしれない。ただ、本書を読むと、どうしてもそんな目になってしまう。たとえば本書では、「なぜそれを買うのか?」や「リメイク版がヒットする理由」といった消費者心理にターゲットをあてている。消費行動の正体は予想どおりかもしれないが、翻って自分は?と問い直すと愕然とするはず。本書で指摘された、まさにそのまんまだから。

 さらに、盗めるアイディアもある。「"快"はどこから来るのか?」なんて話からは、「親近性と新奇性」という古典的なアイディアをいただいた。

 つまりこうだ。革新的なアイディアが世を席巻するとき、そのアイディアそのものは完全に新しいものではない。どこかで目にし・耳にしたという、なじみ深さが必要なんだ。懐かしくて、新鮮に感じられるものに、わたしたちは快を見出す[「詩学」は原則本]。音楽であれ、舞踏であれ、原則は一緒。アリストテレスの時代から、なじみ深さと目新しさが快楽の原則なんだね。これを応用すると、ベストセラーの傾向と対策を押さえ、仕掛ける書き方・売り方ができる(ハリポタ+スターウォーズ→ドラゴンライダーとか)。

 いっぽうで、疑問も出てくる。大衆心理の操作と認知メカニズムを論じているにもかかわらず、その基本の書が欠けているのが不思議だ。参考文献として真っ先に挙るべき「プロパガンダ」と「影響力の武器」が、二冊とも欠けている。本業が知覚心理学なのだから、知らないはずはないのだが…

 あるいは、政府やマスコミによる意識操作の例としては、「KY」や「自己責任」といった格好の素材があるにもかかわらず、スルーされている。「納豆ダイエット」や「ポケモン事件」といった"無難な"ネタを引いてくる。斬鉄剣で豆腐を両断しているようで、残念。いくらでも悪用が利くのに、自制して筆を矯めている(溜めている?)ようだ。

 ならば読者が利用してやろうではないか、と思わせる一冊。

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