« 油断のならない語り手「庭、灰」 | トップページ | 通勤電車でよむ詩集 »

【成人限定】 「フロム・ヘル」はスゴ本

フロムヘル上フロムヘル下

 100年前のロンドンを舞台に、切り裂きジャックをモチーフにした傑作。血の色は黒、どす黒い闇と同じであることを思い知った。もちろん、よい子は、読んでは、いけない。

 「コミック」や「マンガ」という呼び方は適当でない。画とフキダシはあれど、物語装置は精密で、伏線は丁寧に織り込まれており、「見る」というより「解く」ように読みしだく。巷の呼び名「グラフィック・ノベル」が合っているね。

 そして、全編モノクロ。バッキンガム宮殿の女王陛下からホワイトチャペルの娼婦まで、ありとあらゆる階層の人物が、文字どおり、「黒」と「白」に塗り込められる。全体的に、重くて、寒い。光の当て具合が絶妙で、独白のときは横顔を浮かび上がらせ、凶行の場面ではもちろん後ろから照らす(当然、表情は見えず、わずかに光る白目が強い殺意を顕す)。「解体」現場は明々と照らされた手術室のようなシーンで立ち会える。嬉しくはないが。

 ほとんどのページが、タテ三横三の九コマ分割されている。シリアル・キラーの牛のよだれのような薀蓄が続いた後、連続静止画像のようなショットでその心理を(読者に)探らせる。陰惨なシーンもストイックなまでに九コマに収めており、日本のコミックのお約束、「大事なところは大ゴマで」、「親切な語り役」に慣れたわたしには、かなり戸惑う読書だった。

 物語形式は、小説でいうなら「ヒストリカル・フィクション」かと。歴史上に残っている人物や舞台設定をもとに、(史実として残されている箇所は)極めて忠実に写し取るのだ。そして、登場人物に、「言ったかもしれないこと」をしゃべらせ、「したかもしれないこと」を実行させる。その上で、「切り裂きジャック」を精密に再現させるのだ。

 事実と虚構のスキマがゼロ距離なので、作者アラン・ムーアのイリュージョンが幻想に見えない。殺人鬼が見たかもしれない、きわめて写実的な情景を目の当たりにするので、吐き気よりも狂気が伝染してくる。狂っている=異物として排除できれば苦労はしない。読み手はそこまでトコトンまで濃密な物語世界に浸っているので、事実上無理というもの。モノクロ色調は、ロンドンの冬の凍りつくような寒さを際立たせる一方で、対照的に、切除された子宮や腸の「あたたかさ」を感じ取ることができる。あるいは、社会から疎外された犠牲者の絶望を全身で味わってもいい。

 酸鼻をきわめる「解体」シーンでは、メスさばきは鮮やかなれど、その対象が切り刻まれる様に、思わず目を背けてしまう。正視したくない本能を押さえ込んで、直視する。大ゴマを使わず、今までどおりの九分割で淡々と、偏執的なまでに執念深くネチネチと描写する。映画でいうクローズアップやフラッシュバック、カットバックが多様されており、その根拠が分かったときにおののく仕掛け。読み手は後になって、このシーンに繰り返し立ち戻るに違いない、「あれ」は予兆(予知?)だったんだと。

 アラン・ムーアは10年かけてこの大著を作ったという。後半に殺人鬼が徴(しるし)として出現する様は、洗礼者ヨハネの首を髣髴とさせる。誘惑を拒絶した代償としてサロメが求めた首だ。ムーアは、10年かけて100年前のロンドンを復元した代償として、○○の首を求め、徴として登場させたかったのかもしれない。

 血の色は闇の黒。よい子は、読んでは、いけない、スゴ本。

|

« 油断のならない語り手「庭、灰」 | トップページ | 通勤電車でよむ詩集 »

コメント

実はすでに映画化されています。映画の出来は今ひとつですが、主演ジョニー・デップで予知能力を持つ警部が切り裂きジャックと対決します。当時のロンドンの雰囲気とかはよく出ていて、確かにアラン・ムーア原作らしい皮肉なラストが効いています。
すでに映画を観ているので、お値段もちょっと高めの原作には手が出かねていたところでした。
アラン・ムーアというと『ウォッチメン』が大好きですが、『フロム・ヘル』はいかがなものですか。

投稿: よしぼう | 2009.11.25 00:58

>>よしぼうさん

早速コメント、ありがとうございます。
映画は未見で、「ウォッチメン」は未読なので、比較の仕様がありません(あしからず)。これを「小説」として読むならば、前半の複線が重厚すぎてダレてしまうかもしれません(反面、後半の回収が怒涛なのですが)。
ともあれ、いずれ「ウォッチメン」は読むつもりです。比較レビューしますね。

投稿: Dain | 2009.11.25 01:10

こんにちは。
ビクトリア時代は、興味があるのでなんとなく気になった本ですが
内臓系が弱いのでちょっと無理かなと感じています。
(そのくせ「夢幻紳士・怪奇編」などという漫画を読んでますが(^_^))

「ヒストリカル・フィクション」って、こんなこと実際の人物に対して
書いていいのと思う反面、にやっといった感じの面白さも感じてしまいます。
最近、おもしろかったと思ったのは、柳広司著の「シートン(探偵)動物記」です。

実際の人物の名前を出しておいて、SFなり、ファンタジーな話は
なんていうのでしょうね。「ドラキュラ紀元」という本は
なんでもありでおもしろかったです。(ここにも、切り裂きジャックが
出てきてキーマンとなります。)

あと、ファンタジーものでおもしろかったのは、ティム・パワーズ著の
「石の夢」。バイロンやシェリー、キーツ等が登場します。
ただ、廃刊になっている可能性が大です。この著者の作品は好きなのですが
一般受けしなかったみたいで、4冊ぐらい翻訳がでたきりみたいで
残念です。

「ウォッチメン」って映画でみました。わざわざ映画館で見るほどでは
なかったなと思いましたが、妙にひっかかる作品でした。
これは、登場人物のひとりのダミ声は、多分、日本の声優さんでは
むずかしいと思うので、字幕で見た方がいいかもしれません。
では、では。

投稿: ざわ | 2009.11.25 19:51

初めまして、お邪魔します。
from hellの日本語版、もう、出ていたんですね。実は、5,6年前に、どうしても読みたくて、英語の原著(漫画でも原著といっていいのかな)をアマゾンで入手するも、ギブアップしたという苦い経験があるのです。スヌーピーもいい加減つらかったのに、身の程知らずの買い物をしたものです。
貴HPは、私にとってはウェブの「ダ・ビンチ」。貴重な情報源として拝読しております。がんばってください。

投稿: phantom84 | 2009.11.25 20:21

>>ざわさん

Historical Fiction は英米で見かけますが、日本ではあまり知られていないかもしれません。以前、主だった作品がないか調べたことがありますが、日本では、時代小説や架空戦記モノとして扱われているようです。

「実際の人物の名前を出しておいて、SFなり、ファンタジーな話」――は、換骨奪胎(ちがう)、想を得(ちがう)…あ~う~思い出せないです。何か気のきいた用語があったはず…

それから、オススメありがとうございます、「シートン(探偵)動物記」は手にとってチェックしてみますね。それから、「夢幻紳士」シリーズはわたしも大好きなのですが、内臓系ありましたっけ?おどろおどろしいのですが、シンプルな線のおかげで救われています。


>>phantom84さん

うおお、あれを原書で挑戦したのですか――そのチャレンジング魂、尊敬します。それから、「ダ・ビンチ」は言いすぎですぞ。わたしの場合、独力で良書を掘り出してくることは難しいです。みなさんのオススメからわたしの琴線にクるものが「スゴ本」になるのですから。

投稿: Dain | 2009.11.27 02:11

こんにちは。
本題とは関係のない「夢幻紳士ー怪奇編」での話ですが、
男の腹を食い破って出てきた女や、幻覚の中で化け物の襲われ
腹を割かれるとか、それなりにありました。
特に、かわいそうで、切ない話は、時計職人の娘の話で
体内に時計を持つことで命を永らえてきたけど、父親が
死んでメンテナンスをする人がなく、そして最後は...
という展開がありました。

耐性がないので、この程度の話でうわっと思ってしまいます。(^_^;)

ラリー・ニーブンというSF作家の「不完全な死体 」という
作品があったのですが、臓器移植があたりまえで、不合法な
臓器売買を取り締まる話ですが、直接的なスプラッタ描写が
なくても、気持ち悪くなってしまいました。

どうも、内臓がとびちるは弱いです。
(しかし、ブラック・ジャックは平気で読んでました。
矛盾してますね。(^_^))

投稿: ざわ | 2009.11.27 19:12

>>ざわさん

なんて素敵な…おっと、確認しました。わたしが読んだのは、「幻想篇」と「逢魔篇」だけでした。早速入手します、「怪奇編」。いいものを知ることができました、ありがとうございます。
苦手苦手といいながら、スプラッタの話題になるということは──ひょっとして饅頭こわいかも?と思いつつ、いいのをオススメしますよ。たとえば…

投稿: Dain | 2009.11.28 08:29

Dainさん、こんばんわ。
「夢幻紳士ー怪奇編」で、すみません、時計職人の娘の話は、
早川書房で発売されたリメーク版では載っていないかもしれません。
何回も出版社を変えて出ているのでややこしいです。

投稿: ざわ | 2009.11.28 20:21

>>ざわさん

入手しました、ハヤカワ文庫版。黒猫amazon、仕事が早い。で、先ほど読みましたが──時計職人の娘の話は、ありましたよ。ああ、確かに内臓展開が衝撃的ですが、むしろ娘の行動の裏にある哀しさに惹かれました。イチバンは、ハヤカワ文庫への書き下ろしの掌編、「おいてけ」でした。
いいのをオススメいただき、ありがとうございます。

投稿: Dain | 2009.11.28 22:37

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18285/46853022

この記事へのトラックバック一覧です: 【成人限定】 「フロム・ヘル」はスゴ本:

« 油断のならない語り手「庭、灰」 | トップページ | 通勤電車でよむ詩集 »