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死とは、最後の苦痛にすぎない「老いぼれグリンゴ」

パタゴニア・老いぼれグリンゴ 革命時のメキシコを舞台とした、エロマンティックな愛憎劇。

 実はハナシはシンプルだ。老いた男と、若者と、女が出会って別れる話。老いた男は死に場所を求め、若者は革命を求め、女は最初メキシコを変えようとし、最後はメキシコに変わらされようとする物語。「女ってのは処女が売春婦かどちらかなんだ」とか、「世界の半分は透明、もう半分は不透明」といった警句が散りばめられており、ヒヤリとさせられる。

 しかし、「語り」が断りなく多重化したり、「今」が反復ヨコ跳びしており、読みほぐすのに一苦労する。「ひとり彼女は坐り、思い返す」――この一句から始まり、要所要所で形を微妙に変えつつ挿入されている。読み手はこれにより、彼女視点から時系列に描かれるのかと思いきや、別の人物のモノローグや観察に移ったり、いきなり過去話に飛ばされる。ときには地の文に作者の意見がしゃしゃり出る。まごまごしていると、「ひとり彼女は坐り、思い返す」が繰り返され、彼女視点に戻っていることに気づかされる。読み手は、このポリフォニックな技巧に翻弄されるかもしれない。

 そして、登場人物の告白をとおして、アメリカの影としてのメキシコがあぶりだされてくる。あるいは、アメリカのなれなかった未来としてメキシコが写し取られる。ちがう肌色と交じるとき、アメリカは殺し滅ぼし、メキシコは犯し孕ませたのだ。

 圧倒的なチカラの格差があるとき、殺すほうがいいのだろうか、それとも、犯すほうが人間的なのだろうか。殺した方が後腐れなく、かつ速やかに土地を奪える。一方、犯すということは、(本人の感情さておき)結果、子孫の誕生につながってくる。混血の私生児たちは成長し、国のあり方そのものを変えてくる。

 解説で池澤夏樹は、アメリカとスペインを対照化させている。つまり、アメリカ(合衆国)ではインディアンを殺したため容易に統一できたとし、一方メキシコが近代国家になるためには、長期にわたる革命を必要としたという。

「もう、目をしっかりと見開くんだ、ミス・ハリエット。そして、思いだすんだ。わたしたちがインディアンを殺したことを。インディアンの女とセックスをし、少なくとも混血の国を創る勇気を持たなかったことを。わたしたちは肌の色が違う人びとをいつまでも殺しつづけるという事業にとらわれている。メキシコはわたしたちがなりえたものの証拠なんだ。だから、目をしっかりと見開いているんだ。」
 これは、老いぼれグリンゴのセリフ。アメリカは殺し、メキシコは犯した。そして、この主張は書き手であるフエンテスのものでもあり、アメリカ合衆国批判へとつながっていく。たとえば、ラス・カサスのような直接的な糾弾の仕方もあっただろう。「インディアスの破壊についての簡潔な報告」を引いてくるという手もあったはずだ。だがフエンテスは、アメリカ合衆国からきた白人(グリンゴ)の口から言わせる。グリンゴは白人の蔑称なんだが、その正体に意味がある。もちろん文中にヒントは多々あるが、彼が何物であるかを知ると、このセリフがいきなり重たく感じられるはずだ。

 ラス・カサスは未読なので、次は「インディアスの破壊についての簡潔な報告」かな。

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設計された旅「パタゴニア」

パタゴニア・老いぼれグリンゴ モレスキンをこよなく愛した旅人が書いた紀行文。著者チャトウィンは、こんなセリフを遺している。

   Losing my passport was the least of my worries;
   losing a notebook was a catastrophe.

 彼にとっての「ノート」とは、モレスキン。モレスキンを無くすくらいなら、パスポートのほうがマシなんだろうね。これは、モレスキンのキャッチコピーでもあるそうな。

 チャトウィンは歩く旅人でもあった。「パタゴニア」には何度も歩く場面が出てくる。ヒッチハイクしようにも、だいたい車がないのだ。曰く、「僕の神様は歩く人の神様なんです。たっぷりと歩いたら、たぶんほかの神様は必要ないでしょう」。歩いた先で出会う人や会話との間に、歩いた場所でかつて起きた歴史を積み重ねるようにしてつむがれる。

 たとえば、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドの後日談。「明日に向かって撃て」で壮絶な最期を遂げたあの二人と言えばピンと来るだろうか。もし彼らが生きていたら?ではなく、彼らが生きのびていたという事跡を元に、パタゴニアでのエピソードが物語られる(騙られる?)。

 あるいは、アラウカニアの王になろうとした男の話。本物か狂人か、ついに読み手には分からないような書き口で描く。「王になろうとした男」といえばショーン・コネリーの同名の映画が出てくるが、こっちは未見。むしろ、ハリソン・フォードの「モスキート・コースト」を思い出す。ぜんぜんストーリーは違うのだが、その熱と圧はよく似ている。

 また、この地を訪れた、ダーウィンについても痛烈に語る。ダーウィンは、博物学者が犯しがちなあやまちを犯したという――複雑で完璧なほかの生物を賞賛するあまり、人類の見苦しさに顔をそむけたのだ。

ダーウィンは、フエゴ人を「見たこともないほど卑しくみじめな生き物」と感じた。ダーウィンは彼らのカヌーや言葉をあざわらった。「彼らの言葉に意味があるとは思えない」彼らが同じ世界に住む仲間とはとうてい信じられなかったと告白するのである。
 訪れた場所と、出会った人びと、そこから喚起される歴史とが、一つ一つのエピソードとしてぎっしりと折り重なるように詰まっている。それぞれのお話が実に興味深いのにもかかわらず、展開が早いので、「もう終わり?」と物足りなく思いながらページを繰ることになる。しかも話の転がり方が見えない。血なまぐさい移民史だったり古代生物ハンターだったり、思いもかけない方向へ飛び回る。

 その奔放さ、饒舌さはモザイク模様のようだ。いや違うか。モザイクなら「全体と部分」に分けられるが、エピソードのそれぞれを積み上げてもパタゴニア全体像にならない。だからこれは、その場所を様々な視点・時間軸で表現しなおし、再構成したものになる。チャトウィンはこの本のことを「あの土地のことをキュビズムの手法で書こうと思った」と言ったそうな。言い得て妙なり。

 しかも、(これは意図してのことだろうが)歩いたルートが時系列に記されていない。ご丁寧に冒頭に地図があり、旅は北部から始まるので、わたしは「南下する話だ」と信じ込んでしまった(実際は東西にジグザグしていくし、"跳躍"もある)。パタゴニアの地域史をいかに面白く見せるか考えた結果だろう。池澤夏樹が解説で、「"パタゴニア"は旅の前に充分に準備され、旅の後で巧妙に編集された旅行記でもある」と述べているが、その通りだね。

 徒歩の旅、旅と創作の組み合わせ、事跡と好奇心の交歓――ここから池澤は、「パタゴニア」の構成について、びっくりするような連想をしている。わたしは「なるほど」と思うほど連想先を読んでいないので、なんともいえない。ここでは明かさないが、読んだ方のお楽しみということで。

 良い機会だ、新訳も出ている「ソングライン」にも手をだしてみよう。


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嫁と「天元突破グレンラガン」

 未見の方に配慮して書く。先ずは結論から。

続きを読む "嫁と「天元突破グレンラガン」"

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男と女はどのように壊れるのか「軽蔑」

軽蔑 オシドリ夫婦が壊れていく話。

 「よくあることじゃん、現実にも」という方には、次の点を強調しておこう。この小説は、男性側から一方的に見た、「オシドリ夫婦が壊れていく話」なんだ。インテリであり作家である夫が告白する形式なのだが、その回想描写が正確であればあるほど、心理分析が的確であればあるほど、疑わしく思えてくる。なにが?なにもかもが。

わたしたちは愛し合っていた。この物語の主題は、わたしが依然として妻を愛し、妻を無批判に受けいれていたときに、どのようにしてエミーリアがわたしの欠点を見出し、あるいは見出したと思いこみ、わたしを批判し、ついにはわたしを愛さなくなったかを語ることである。
 愛さなくなっただけでなく、夫のことを軽蔑し、静かな怒りまで抱くようになったという。夫にしてみれば、身に覚えもなく、やましいことも一切していない(と思っている)。なので、最初は戸惑い、次に怒り、ついには泣きつく。

 読み手は、「なぜ妻はわたしを愛さなくなったのか」という夫の繰り言に強制的に付き合わされることになる。夫が見過ごしてしまった言動の中にその原因を探す、いわば探偵役としてストーリーに入っていく。序盤から中ほどまでは、この探す楽しみがミステリのようで面白い。ただし、出だしから不吉な通低音が鳴り響いているので、カタストロフを覚悟しながらの読書になる。

 夫は、過去の数ヶ月をさかのぼるようにして、当時においては何の意味もなく、自分でも気づかないまま過ぎてしまった出来事の痕跡を、忍耐強くまさぐり、再構成する。彼と一緒になって過去を分析するうちに、彼女に愛されていることそのものが実は幻想だったのではないかという疑いに達する。つまり、変わったのは妻ではなく、夫のほうではないのかという、恐ろしい仮定が浮かび上がってくる。

 二人の愛を疑うまいという彼の涙ぐましい努力は、そのまま彼を「信頼できない語り手」に貶める。妻は容姿こそ優れているとはいえ、教育のないタイピストであり、自分は教養のあるインテリなのだ――そんな思考の前提により、読み手が抱く「語り手への疑惑」が加速する。分かっていないのは、実は、夫なのではないか?

 最後に到達した「真実」が、彼女の真意であるかどうか、検証されない。ずっと理由を渇してきた読者は、喜んで飛びつくだろう、この男のように。しかし、この「理由」が、男サイドの独りよがりの可能性もあるのだ。語りのエピソード一部が幻想的どころか、ホントにお花畑しているのを見ると、そう思えてくる。にもかかわらず、解説者がコロッと騙されていて面白い。「どうしてアナタは○○なの!」を枕詞に女房に怒られ、戸惑い悩んだことがないのだろうか?

 女は、理由もなく怒れるもの。たとえその怒りに最初は原因があったとしても、そしてその原因が除かれたとしても、女は、怒り続けることができる。身勝手とかいうのではない、女は、理屈で怒らないのだ。理屈ドリブンではなく、感情ドリブンなのだ(ソース俺)。過去の「出来事」が原因でこじれた感情は、出来事をどう正そうとも直らない。別の感情で上書きしてもらうしかない。このへんの機微が分からない男性が不用意に読むと、主人公が「信頼できない語り手」であることに気づかないままラストで同意してしまう。

 そういう危険を秘めた、サスペンスフルな一冊。

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【PMP試験対策】 PMP試験はどんな試験か?

 【PMP試験対策】は、PMBOK4版をベースに、PMP試験の傾向と対策をまとめるシリーズ。

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 ここで躓く人がかなりいる模様。PMP試験は、PMBOKガイドで覚えたことを試すものではない。もちろんPMBOKガイドからズバリ出る問題もあるが、そうした記憶に頼る試験準備だと、合格は難しい。なぜなら、「ガイドからズバリ」は、ほとんど無いからだ。代わりに、実際のプロジェクトの経験に沿った「ベターな選択肢」を求める問題が山と出る。その「ベター」とは何かというと、PMBOKガイドに準じているんだ。

 PMP試験は、選択肢の中から正解を一つみつける出題形式だ。200問を4時間かけて解く。25問は事前公開問題(prerelease question)とされ、採点されない。どれが事前公開問題なのかは、ランダムに決められており、受験者には分からない。結局、175問が採点対象となり、合格するためには、この中から最低でも106問の正答が求められる。およぞ61パーセントの正答率で合格となるのだ。

 問題はデータベースで管理されており、かなりの数にのぼるようだ。その中から、200問選ばれるというわけ。出題順はバラバラで、PMBOKガイドのように系統だってはいない。そのため、隣の受験生と違う問題に向き合うことになるわけ。なお、誤答だった場合のペナルティはない。

 ただし、問題の出題率は、プロセスグループごとに決まっており、だいたい下記のような割合を占めている。だからといって安心するなかれ。PMIは定期的に試験の見直しをしており、出題傾向を変えている。動向は公式サイトをチェックすべし。

  立ち上げプロセス(11%)
  計画プロセス(23%)
  実行プロセス(27%)
  監視・コントロールプロセス(21%)
  終結プロセス(9%)
  プロフェッショナルと社会責任(9%)

 以下は、難しいさのレベル。一般に難しいと感じられている順に並べると、次のようになるという。つまり、↑上にいくほど、難しくなり、↓下にいくほど、易しくなる。最初のリストは、知識エリアで切った場合。次のリストは、プロセス群単位に見た場合だ。このリストによると、知識エリアでは「プロジェクトマネジメントプロセス」、プロセス群では「監視・コントロールプロセス」が最も難しく感じられるようだ。

 たしかにそうかもしれない。「プロジェクトマネジメントプロセス」の分野は全知識エリアにまたがっているため、広範な知識を要するし、監視・コントロールプロセスもやはり、全てのプロセス群に連結しており、同様に範囲は広いといえる。

知識エリアごとに分けると、

  1. プロジェクトマネジメントプロセス
  2. 調達マネジメント
  3. リスクマネジメント
  4. 統合マネジメント
  5. 品質マネジメント
  6. タイムマネジメント
  7. コストマネジメント
  8. プロジェクトマネジメントフレームワーク
  9. スコープマネジメント
  10. 人的資源マネジメント
  11. コミュニケーションマネジメント
 調達マネジメントは少し特殊で、実務で携わる人の少なさを物語っている。いわゆる総務での発注・検収の仕事をしていれば入りやすいが、普通のPMではなじみが薄いだろう。反面、人的資源やコミュニケーション関連は、普段の仕事と直結した内容のため、易しいと感じる人が多いのかと。

プロセス群ごとの場合だと、

  1. 監視・コントロールプロセス
  2. 立ち上げ
  3. 実行
  4. 計画
  5. 終結
  6. プロフェッショナルと社会責任
 いわゆるプロジェクトの立ち上げに携わる人は少ない。そのため、難しいと感じる人が多いようだ。「新しいプロジェクトがあるから行ってくれ」と命じられたときには、プロジェクトをする場所や予算が既に決められており、成果物やメンバーは曖昧になっている。何を作るか玉虫色なのに、納期だけはなぜだかしっかりと決められているんだ。「立ち上げ」は、そもそもそれをプロジェクトとしてする価値があるの?という判断も含まれており、かかわる人は上層部+コンサルタントがほとんどかと。

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PMBOK4日本語 【PMP試験対策】シリーズについて。

 ベースは、PMBOKガイド4版と、"PMP Exam Prep"、通称Rita本の2本立て。PMBOKガイドを傍らに一連のエントリを「読むだけで合格する」ようなシリーズにするつもりだ。過去の記事は、以下のリンク先が入り口となっている。PMBOKガイドの古い版が元となっているが、「PMIイズム」「PM的思考」は学べる。ぜひ参照してほしい。

   【PMP試験対策】 PMBOK2000版
   【PMP試験対策】 PMBOK3版

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逃げ場としての図書館、あるいはプロ眼力の価値

 「本のかたち」という変わったフォーラムに行ってきた。本の未来のビジョンとスキームを語らおうという場だ。詳細は[公式サイト]を参照。

 出版界の危機を反映した、真っ向勝負のテーマなのに、キャッチボールのようなやりとりに拍子抜け。初回だからこんなものか。もっと殺伐とした、顔面ありドッジボールを期待するわたしが悪か。とはいえ、普段なら得られない「気づき」があったので綴ってみる。

 まずは"逃げ場としての図書館"に反応した。これは、橋本大也氏の提言の一つ「教会としての物理的図書館」の話の中で出てきた。曰く、管理教育に馴染めなかったとき、地域の図書館が一種の避難所として役に立ったという。そして、大検という選択肢があることを図書館の本で知り、人生を拓いたそうな。図書館とは「情報による救済と癒しの場」であって、「万人を迎え入れてくれて、放っておいてくれる場所」として重要だという。

 おお、なんというシンクロニシティ。わたしの場合は、もっと青い理由で「こんな授業出られっか」とばかりに学校の図書室に引き籠もってた。ミソは「学校の」図書室だというところ。外へ出る度胸もないし、憧れのあの娘が昼休みに来るからという理由で、学校の図書室を逃避先としてたところが痛い。

 ただ橋本氏と違うのは、図書室での出会いは「本」ではなく「人」だったこと。殊勝に読書してたと思いきや、ほとんど読まなかった。代わりに、本好きな人たちとひたすら話してた。「こんな本がスゴい」から、「それが良いなら、これをオススメ」まで、まさにこのblogでやっているやりとりをリアルでしてた。

 本が集まってくる場所は、本好き(主に女子)が集まってくる。司書の先生(女)を始めとし、一種の読書サロンになってた。グレアム・グリーンや尾崎翠を教えてくれたのは憧れの女子。話の糸口に絶対必要なので、そりゃ必死になって読んだものだ。

 動機が不純であればあるほど、人は必死になって努力するもの。結局のところ、わたしの恋はm9(^Д^)プギャーだったものの、図書館とは、本を介して人を探す場所でしたな。

 次に、津田大介氏の"特定の情報に対するファンクラブ化"に反応した。物体としての「本」というパッケージは、CDやiPodのようなデジタルな情報とコスト構造からして違うよという文脈から出てきたネタ。

 「本」というパッケージにお金を払うのではなく、セグメント化された分野の情報そのものに価値を見出せる人が、受け手となる。だから、著者自身が情報の追っかけとなって、集めたものをイベントのような形で提示する。著者や編集者がエージェントのような役割を果たし、受け手にプッシュすることで課金する仕組みがうんたら…とゴメンなさい、よく分からなかった…というのも、「たとえば」で始まる事例がなかったから(巻きが入っていたから端折られたのだろうか、あるいはわたしの意識がトんだか)。

 なので、自分で事例を考えてみる。

 わたしが有益だなーと思っている情報に、「本屋の棚」がある。これに平台も含めてもいい。八重洲や紀伊國屋、ABCや1stといった、大型書店の棚だ。もちろんミーハーのための新刊とベストセラーだけの書架もあるだろうが、その店ならではの特徴、ぶっちゃけて言うと、店員さんの趣味が出ているところがある。選別やレイアウトに、好みが現れるのだ。大きな本屋だと、「○○特集」と銘打って趣味全開なコーナーまである。本屋をハシゴしてまわると、同じ「文芸書」棚でも微妙どころか大いに違っていて、これがまた面白い。そしてとても有益。

 なぜ有益かというと、「わたしが知らないスゴ本は、店員さんが読んでいる」から。わたしが高評価を与えている本の隣にある、わたしが知らない本こそ、チェックすべき。もし書店でそうした気になる本を見つけたら、迷わず手に取るだろう。しかも書店のハシゴでそんな本がカブったら、迷わずレジに向かうべし。

 もちろん、図書館の棚でも同様な「オススメ」が見つかるかもしれないし、amazonの「この本を買った人は~」機能も使っている。しかしだ、両者にクセがないんだ。図書館はスタンダードな棚を目指し、amazonは単純統計をダダ見せているだけ。書店にもよるが、有名どころであればあるほど、店員さんの好みがにじみ出る。

 だから、有名どころの書店の「棚」を定期的にパチリと撮って、ジャンル別時系列に並べて見せたら、書店ごとの傾向が見えてくるはず。加えて、各書店での「特集」棚やベストセラー棚も一緒に居ながらにして見えるのならば、お金を出してもいい。どの本を選び、どうアレンジメントしているか、書店の魅せどころがよく分かるはず。

東京ブックストア&ブックカフェ案内 東京に限られるが、特徴的な書店ばかりをカタログ的に紹介しているガイドがある。写真がふんだんに使われているため、店内の雰囲気や、書架に並んでいるタイトルまで見える。これをもう一歩進めて、特徴的な書店の書棚(情報)を収集し、比較できるような仕掛けがあると、面白いかも…おっと、Shelfariやlibrarything、booklogといったSNSではないよ(わたしのやり方が悪いのか、ノイズありすぎ)。欲しいのは、集合知ではなくプロの目利きなのだから。

――とまぁ、本題とは関係のないところで妄想をたくましくさせてくれたフォーラムだった。Ustreamで中継してたのはさすがだが、参加者のつぶやきを主催側が twitter でフォローしてたのは笑った。誰かの「フォーラムの趣旨が分からん」というつぶやきに、進行途中で司会の岡本氏がキレ気味に趣旨説明しだしたのには驚いた。手ぶらで行ったので、twitterでの空気が分からなかったのよ。キャッチボールのようなのんびりした会場の雰囲気とは裏腹に、ネット上は殺伐としていたのだろうか… 顔面ありのドッジボールのように。

 そうそう、丸香は重要。会場近くのうどん屋、丸香で食べた釜玉が絶品だったことを申し添えておく。初めてバーガーキングのワッパーを食べたときの感動、あるいは、初めて道頓堀で神座を食べたときと同じ悦びを味わった。興奮気味に語ると、「最低三回は食べないと」と言われた。神座と一緒だな。

 次回も、ぜひ、神保町で。

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「筆談ホステス」に学ぶ

筆談ホステス 銀座のクラブのNo.1は、「筆談するホステス」という話。

 幼い頃の病気で、耳が聞こえない。そのため、声によるコミュニケーションができない。当然のことながら疑問が出てくる。耳の聞こえないコに、ホステスなんてつとまるの?

 そんな問いかけに、彼女は明るく、"Yes!"と応える。メモとペンを使った筆談だけで、銀座No.1ホステスになったと帯にある。表紙のタイトルは、彼女の自筆で、本文中にもちょくちょく出てくる。ていねいで、美しい字だ。

 字ばかりでなく、ご本人も然り。いわゆる美人顔だ。営業中(?)の写真を見るかぎり、一流の雰囲気がただよう――とはいっても、会話ができないというのは、接待職ではかなりのハンディキャップなのでは?と、いらぬ心配がページを進める動力となる。

 しかしながら、余計なおせっかいのようだ。愛用のロデアのメモパッドにとモンブランの万年筆を使って筆談をする。普通の会話に比べると、どうしてもやりとりのテンポはゆっくりになる。が、そもそもクラブに来るような客は落ち着いて飲みたいという人が多いので、筆談会話が成り立っているのだそうな。さらに、メモ片がラブレターになったり、みんなで回し書きをして楽しむ交換日記になったり、便利に活躍をするという。

 「文字による会話」において、彼女がいかに心配りをしているかが、エピソードの一つ一つから垣間見ることができる。「辛」の話はじんときた。それはこうだ。いつもは元気なお客様なのに、今日は意気消沈している。彼はメモに一言、「辛」と書いたそうだ。それを見た彼女は、「辛」に一文字を足して、こう返す。

    辛いのは、幸せになる途中ですよ

「辛」に横棒を足すと「幸」になる。いまが「辛」いのなら、それは「幸」になるまであと少しなのだ。もしわたしが、こんな言葉の贈り物を受け取っら、思わず泣いてしまうだろうなぁ… 他にも、出世レースに負けたと落ち込んでいる人に、「少し止まると書いて『歩』く。着実に前に進んでいます」と贈る。会話だとわざとらしさが入るセリフも、書いたものだと心に届きやすいのかも。

 爆笑モノもある。サブプライムローン禍で資産を失ってしまった50代の部長が、「今まで築いてきたものを、一瞬で失くした」、「もう一度頑張ろうという気になれない」、「自殺したい」…と泣き言をいってきたとき、彼女は、こう書く。

    立って半畳
    寝て一畳
    アソコは勃っても数インチ

ハハ、読んでるこっちが笑ってしまう。そもそも「資産を失った」のがホントなら、銀座の一流店で飲みゃしないだろうに。だからこれは、ヤケドしたお客となぐさめるホステスとの高度な掛け合いなのかも。

 さらに、下種の勘ぐりとして抱いていた疑問にも、ちゃんと答えているくだりがある。つまりこうだ。すごい美人なんだけど聴覚障害者なのだから、そこに付け込めるのではないかと男が期待する。だから、こんなに出世したのでは?という卑しい疑問だ。これには、彼女が勤めるクラブのママがこう答えている。

耳が不自由だから、その弱い部分につけこめば自分でもなんとか口説けるのではないかと勘違いをして、露骨に近づいてくる男の人も多くいました。そうした誘いをかわすのが下手でしたね。露骨で強引な誘いが続くと、そのうちお客様に直接怒りをぶつけてしまうんです。里恵にだってもろい部分や弱い部分もあるんですが、そうした部分を「怒り」という形でしか表現する方法がなかったんでしょうね。
卑しい疑問を持った自分が恥ずかしくなる。さらに、彼女の真面目な性格が、文章から現れている。本当に接客が好きなことが分かる。いわゆる水揚げを伸ばすため、枕は間違ってもできないだろうなぁ、と思えてくる。そういう、彼女の人柄を垣間見る。

 彼女から「気づき」もいただけた。褒め上手と呼ばれるホステスならでは技術だ。お客様を褒めるとき、表面的な評価だけではNGだという。お客様が身につけているモノや話題・知識などをそのまま褒めるのではなく、「それを身に着けているお客様自身」を褒めるのだ。モノを褒めることを通じてお客様自身を褒めるのが、一流の褒め方だという。

 たとえば、「素敵な時計をしているのね」だと、時計を褒めているにすぎないが、時計を指摘した後に「あなたって、ファッションのセンスが抜群ね」だと、「そんな時計をするあなたってステキ」になる。おいしいワインをご馳走になっても、「このワイン、おいしいわ」ではなく、「こんなおいしいワインを知っているあなたって、本当に博識ね」と褒めるのだ。

 これは意識せずとも使っていることに気づいた。「褒める」というより「感心する」のだ。美味しい料理を作ってもらったとき、「おいしい」だけでなく「こんなうまいもの作れるなんて、料理のセンスある」と言う。褒めようと思って言うのではなく、そのように考えるのが"自然"になるよう自分を変えていったんだと思う(昔は「俺だって作れる」と反発したり、アラを探そうとしてた)。自分にないもの、足りないものを受け取ったとき、そのまま感心する素直さを大事にしたい。

 そういう素直な気持ちになれるのも、本書からにじみでる彼女の人となりの影響なのだろうか。銀座のクラブには縁がないし、ましてや音のない世界は想像すら難しい。しかし、コミュニケーションの根っこは同じなんだと感じ取れる一冊。


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毒と薬の差は、その量にすぎない「お金の味」

お金の味 壮絶な生還記。

 あるいは、1億2千万円の借金を負ってしまったフリーターの転落~起死回生の記録。雇う側と雇われる側の論理、カネを活かす人とカネに殺される人の「差」が生々しく描かれている。

 ただし、本書は生還したからこそ書けたのであって、アウトになった人のほうがはるかに多いはず。バブル崩壊後から今日、こうした話はそこかしこで聞くのだが、先物や不動産でババを引き、借金地獄に陥ったほとんどの人は還って来ない。だから、この姿勢を鵜呑みにするのは危うい。本書で紹介される、「毒をもって毒を制する」やり方は、エマージェンシーボタン、緊急回避措置として、アタマの隅においておくのが吉かと。

 本書の"勘所"は三つある。ひとつは、ふつうの青年が、いったいどうしてこんな莫大な借金を背負うことになったのかという転落の記録。二つ目は、どん底からどうやって足掻いて藻掻いて浮き上がって行ったかという脱出の記録。そして、そのあいだで著者が得た「気づき」がスゴい。

 まず、転落の記録はヒトゴトじゃない。蹉跌のきっかけはわずかなものだし、泥沼ルートも今となってはよく知られたものだ。膨らんでゆく借金に追い立てられ、正常な思考ができなくなっていくのは、誰だってそうだろう。「そんな時代だから」と笑うなかれ、誰でもじゅうぶんにありうる話だ。

「自分の運命のハンドルから手を離して他人に委ねた人間は、自分の人生を滅茶苦茶にされても文句は言えない」
 著者は淡々とふりかえるが、あとがきによると涙で前が見えなかったらしい。「ナニワ金融道」や「カバチタレ」に出てくる人のように、(悪い意味でマンガのように)カタにハめられてゆく。

 ふつうの人は、ここで自死を選ぶかもしれない。しかし、この人は違っていた。「ヤバい状況になっても、寝てしまえばなんとかなる」と構えるのだ。そして、この状況で、地獄に陥った他の人を訪ねては、訊いてまわるのだ。なぜそうなったのか、どうやって抜け出すのか、公表できる限り詳しく紹介している。これはネット時代の賜物だろう。以前なら、弁護士や取立人といった債務整理を生業としている人が経験を独り占めしていたのが、今はメールやWebを用いて、「ヨコの」連携ができるようになったのだから。

 さらに、ある気づきを経て、浮上してゆくのだが、"ふつうのオッサン"であるわたしにとっては、リスクがあまりにも大きい。あの時代、その状況、かつこの人だったからこそできた大逆転だと思う。自分が成功したからといって、その方法が一般にも通用すると考えるのは危うい。著者が気づきを手に入れ、「覚醒」する場面は、正直胸がアツくなった。だが、彼が紹介しているフルローンによる不動産購入・資産形成については冷静になるべきかと。著者は肥え太らせたカモとして狩られたことがあるが、読み手がそうなってはいけないのだから。

 転落から再生への振幅があまりに大きいため、著者はもはや、"ふつうの青年"ではない。雇われる立場であるサラリーマンから、雇用を創出する事業主の思考にシフトしている。

 たとえば、「世の中には、"はたらくおじさん"の背後に、"はたらかせるおじさん"が存在する」といった指摘や、「学校教育は、"はたらくおじさん"=労働者の育成所と化している」という分析は鋭い。あるいは、「金持ちが高級車に乗っているのと、ローンで高級車を買っている人では、裏で動いているロジックが全く違う」という、その違いを数字で示されると、"金持ちのロジック"がよく分かる。

 しかし、だからといって、「学校の勉強 = 役に立たない」と断言するのは極端かと。社会に出るまでにマネーリテラシーの教育が必要なことは承知しているが、そのリテラシー(著者は"実学"と呼んでいる)を支えるのも、「学校の勉強」がもとにあってこそだろうに――まぁ、こう考えている時点で、わたしは"はたらくおじさん"の軛から一生逃れることがないのだろうね。


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「死ぬときに後悔すること」ベスト10

死ぬときに後悔すること25 余命、数週間。不自由な体、満足に歩くこともできない。日中も寝ている時間が多くなり、頭もうまくはたらかない ──そんな人生の最終章の人に向かって、こう問いかける。

   いま、後悔していることは、何ですか?

 「死ぬときに後悔すること25」の著者は、終末期における緩和医療に携わる医師。現場で見聞した、「余命いくばくもない状態で、後悔すること」をまとめたのが本書なのだ。得られた答えは、多様でいて一様だし、複雑なようで単純だったりする。

 もうすぐ自分が死ぬと分かっている人が、何を悔いているのか。これを知ることで、わたしの人生で同じ後悔をせずにすむのだろうか。考え考え読んで、いくつかの「先立つ後悔」を得ることができた。後悔は後からしかできないものだが、これはわたしにとって「先悔」となるものを、ランキング形式でご紹介。本書では25章に分かれているが、わたし流にベスト10に絞ってみた。


第10位 健康を大切にしなかったこと

 著者によると、「健康を大切にする」とは、宣伝を信じてサプリを摂ることではなく、定期的に検査をし、医師のアドバイスに従うことだという。もっと具体的に言うと、四十超えたら、毎年人間ドックで検査してもらえという。

   「先生、もう少し早く検査をしておけばよかった…」

 終末医療の現場にて、このセリフをよく聞くそうな。もちろん、検査をしておけば100%発見できるとは限らないが、検査をしておけば発見できた可能性もあるわけだ。それゆえ、検査しなかったことに煩悶する人が後を絶たないという。

 著者に言わせると、最初に金を使うか、そうでないかだけの違いだという。金銭を惜しまず人間ドックを定期的に受診するのは、いわゆる富裕層で、テレビの怪しげな情報を鵜呑み、予防に金をかけるのを厭うのが一般層だという。結果、早期発見で縮小手術で根治する金持ちと、進行がんになってから見つかり、金のかかる抗がん剤の副作用に苦しみながら死んでいく庶民の構図が見える。予防の1オンスは治療の1ポンドに勝るというやつか。


第9位 感情に振り回された一生を過ごしたこと

 おそらくこれは、わたしも同じ後悔に陥るかも。誰かを恨んだりうらやんだり、怒ったり泣いたりして、あれこれと心を惑わせていくだろう。そして、自分の死に際になってはじめて、そんなことは「自分の死」からすれば、微々たるものだということに気づくだろう。最期になって振り返ってみると、「何であんなに泣いたり、怒ったりしたのか分かりません」という気持ちになるに違いない。

 こうしたことを、もっと前に知っていれば、もっと穏やかに生きられたのに。自分の感情に左右されずに、冷静な判断ができたはずなのに───ちょうどいい訓練として、「自分の死に際を徹底的に想像しつくすこと」がある。ひとは生きてきたように死ぬ。自分が「正しい」と思う死に方を目指すことは、そのまま、自分が「正しい」と思う生き方に直結している。これは、隆慶一郎「死ぬことと見つけたり」で学んだ。

正しい死に方「死ぬことと見つけたり」

死ぬことと見つけたり上死ぬことと見つけたり下


第8位 仕事ばかりだったこと

 これは耳に痛い。社畜に甘んじていても、銭のためと割り切っていても、どこまで行っても仕事から離れられないのは悲しい。島耕作のようにセルフ洗脳する人生もアリなのだが、本書では六十代で末期がんの女性が出てくる。家族を犠牲にしてまで、仕事に励んできたそうな。仕事だけが、寄りかかれる柱だった人生。だから彼女は、体力が落ち、歩くのが難しくなり、呼吸困難になっても、仕事に行くことを望んだのだ。

 仕事人間から仕事を取り上げると、老いるのも死ぬのも早い。そんな人生を望んだのなら、それでもいいのだが… 仕事以外で生きがいを見つけたとき、「もっと早くに知っておけばよかった」と後悔するのかもしれない。


第7位 子どもを育てなかったこと

 ありがたいことに、わたしには子どもがいる。子どものおかげで生きてこれたようなものだ。いっぽう、さまざまな理由で、子どもがいないまま人生を終える人がいる。著者の経験によると、「子どもなんていなければよかった」という人は一人もいないそうな。反面、「子どもがいればよかった」という人は少なくないという。事情は人それぞれかもしれないが、心に留めておきたい。


第6位 タバコを止めなかったこと

 かつてのわたしも含め、タバコを日常的に吸っている人は、「喫煙は自己責任」だと自覚している(はずだ)。他人にメーワクをかけないように吸えば、誰に文句を言われる筋合いもなし、と思っている。「タバコで病気になっても、自分で決めたことだから」とか、「太く短く生きるのだ」と広言する人もいる。

   「肺気腫でこんなに苦しい思いをするなら、タバコを止めればよかった」

 まさに、あとの祭り、そのもの。死ぬ前に後悔することとして、「健康を大切にしなかったこと」があるが、それとは別個にタバコについて章が立てられているほど、この後悔は深いようだ。最初の頃、「リスクは承知の上」だと強弁していても、死が避けられないものとして近づくにつれ、おしなべてタバコの恐怖に押しつぶされる。


第5位 行きたい場所に行かなかったこと

 これは二通りあるそうな。旅行という意味と、会いたい人という意味に分かれている。体力が落ちると移動すらままならなくなる。特に、会いたいという人がいるならば、思ったその場で会いに行けという。相手がこの世を去ってしまうこともあるのだから。そんな人の後悔を見越して「一期一会」という言葉はあるのだが、実践はなかなか難しい。

 旅行はできるうちに。会いたい人は、会えるうちに。


第4位 自分のやりたいことをやらなかったこと

 耐えて忍んでガマンして、いまわの際になって初めて、自分に嘘をついて生きてきたことに気づく。本当にしたかったことを後回しにしてきた結果、もう回すべき「後」がないことが分かる。

   「先生、ひたすら耐えるだけの私の人生は、何だったんでしょう?」

 空気読みすぎた人生。仕事、家庭、血縁、夢や望みを犠牲にした(と本人は思っている)人生。「忍従」は美徳の一つと言われているが、人生のラストでこんな思いに囚われるなんて… かわいそうとしか思えない。あるいは、ひょっとすると、実現する「いつか」を糧にして生きてきたのだろうか?


第3位 自分の生きた証を残さなかったこと

 若くして幼い子どもを残して逝くような場合、この後悔が多いという。子どもは親の死を理解できないため、何らかのメッセージを残していくという。つまり、お父さんあるいはお母さんはこういう人間で、こういう風に生きたんだよ、と将来子どもが読むための手紙やビデオレターを残すんだ。

 たとえば、映画「マイ・ライフ」がまさにそうだったね。予告編だけで号泣した映画も珍しい。あるいは、映画「死ぬまでにしたい10のこと」は、ボイスレターだった。「娘が○歳になったら聞かせること」というメモをつけて、その年頃の娘へのアドバイスや注意を吹き込む。これらの映画は、ハンカチじゃなくてタオルが必要だ。人生は有限だが、ときどきそのことを忘れてしまう。自分の死を思い起こす仕組みをつくり、定期的にくりかえすことが肝要かと。映画や本は、そのための良いツールだね。

死を忘れないための3冊+

最後の授業モリー先生との火曜日冷蔵庫の上の人生


第2位 美味しいものを食べておかなかったこと

 病であれ、老いであれ、死期が迫ると、味覚が変わることが多いようだ。さらに、食欲そのものが落ちてくる。食べようとしても、「その気にならない」ようになり、たとえ無理に口にしても、「砂をかむような気分」になるという。

 こんな状態になって、食べられなかったことや、もっと食べておけばよかったと後悔する人が出てくる。舌がんの摘出手術をする人の、最後の晩餐につきあったことがある。舌の大半を取ってしまうので、食事は流動食になる。懐具合より、居酒屋の刺身盛りが精一杯の贅沢だったが、それでも彼は美味しそうに、本当においしそうに、味わっていた。食べることは生きること、生きることとは食べることを、彼から教わった。


第1位 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと

 「ありがとう」、「すばらしい」、「素敵です」、「好きです」、「愛しています」… 人との交わりの嬉しいことやポジティブな面に目を向けて、そいつを言葉で示す。これらはタイミングもあるが、人に対する「姿勢」のようなものではないかと考えている。だから、こうした言葉はチャンスを捕まえて積極的に使っていきたい。「ありがとう」が言い足りなかった人生は、後悔の連続だろう。ありがとうは最強の言葉。言われた人も、言う人も幸せにする魔法の言葉なのだから。


 ベスト10はこれにておしまい。本書には他にもさまざまな後悔が出てくる。「遺産をどうするか決めなかったこと」、「治療の意味を見失ってしまったこと」、面白いといったら不謹慎だが、「子どもを結婚させなかったこと」なども。わたしなら、「読みたい本を読めなかったこと」が入ってくるかも。そうならないためにも、世の時評に振り回されない選書眼を養わないと。

 他人(ひと)の死にざまから、己の生きざまを学ぶ、格好の事例集として読みたい。

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【PMP試験対策】 なぜPMP試験を受けるのか?

 【PMP試験対策】は、PMBOK4版をベースに、PMP試験の傾向と対策をまとめるシリーズ。

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 人それぞれだろうが、「業務命令」な方が多いようだ。リーダー級の仕事を任されているうちに、「そろそろどうだ?」と勧められ、泣く泣く準備をしている話を聞く。たしかに忙しい毎日で勉強時間を確保するのは至難の業だが、ちょっとアタマを切り替えてみてほしい。PMBOKは読みどころがあるぞ。

 まず、苦労話がにじみ出ているのが面白い。ベースとなるPMBOKガイドは、タテマエとしては、「プロジェクトマネジメントの"ベター"プラクティス」なのだが、あちこちで「こんなことをしてはいけない」という怨嗟のようなグチを垣間見ることができる。共同執筆・共同レビューのドキュメントなのだが、皆さん苦労しているんだなぁ、と思うとニヤッとできる。

 あるいは、PMとしての「ハク」がつくことを考えてみよう。本家の米国では、「プロジェクトマネージャー」は一種の専門キャリアといえる。予算策定から人事(の一部)までを担っており、日本でいうならシニアマネージャー(部長)級だろう。ニッポンは違うぞ
という意見もごもっとも。貧弱な権限と、過大な責任を負わされるのがニッポンのPMかもしれないが、それでも、「会社の肩書き」を超えるキャリアに仲間入りすることができる。

 Rita本によると、「まるっきり人生を変えた」という人が出てくる。国際的な資格を取得したということで、その人の能力が(周囲から)見直されたという。これは、ありうる話。試験勉強ひとつでその人が有能になるとは思えないが、「あの人がPMPを…」的な目で見られるようになったのだろう。もちろん、PMPホルダーだからといってプロジェクトをスイスイまわせるとは限らない。だが、周りは、そうは見ない。

 結局これは、吉と見るか凶いと見るかの違いだ。「PMPホルダーだから、あいつにやらせてみるか」は、チャンスになる。ひょっとすると腐臭ただよう爆弾プロジェクトを押し付けられるかもしれない。それでも、持ってないときよりは、PMとしてのチャンスは巡ってくる。さらに、(挑戦すれば明白だが)この試験は、とても実践的だ。「こんなときどうする?」「あんなときどうしたらいい?」といった状況で、いかに"ベター"な解決策を選ぶか、教訓(Lesson Leaned)を得られるのだから。

 プロジェクトマネジメント、この言葉にピンとくる方は、ぜひ挑戦してほしい。

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PMBOK4日本語 【PMP試験対策】シリーズについて。

 ベースは、PMBOK4版と、"PMP Exam Prep"、通称Rita本の2本立て。PMBOK4版は英語版のみリリースされており、日本語版は7月だったのが延期され、9月に流通予定。"PMP Exam Prep"は、Ritaという方が書いており、最強の試験対策本。3回読めば合格できるという触れ込みだが、厚い・デカい・英語で書いてある。3版であれ4版であれ、PMBOKガイドがあれば読み進められるようにまとめるつもりだ。

 いわゆる20代後半から30代の中堅社員向けの、プロジェクトマネジメントにおけるガイドになればうれしい。過去の記事は、以下のリンク先が入り口となっている。PMBOK2000やPMBOK3版が元となっているため古さは否めないが、「PMIイズム」「PM的思考」は学べる。ぜひ参照してほしい。

   【PMP試験対策】 PMBOK2000版
   【PMP試験対策】 PMBOK3版


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究極の、"ものがたり"「オデュッセイア」

オデュッセイアI 究極の物語り、「オデュッセイア」を読む。

 「オデュッセイア」とは、英雄オデュッセウスの冒険譚で、ご存知の方も多いかと。一つ目の巨人キュクロプス(サイクロプス)や、妖しい声で惑わすセイレーンといえば、ピンとくるだろう。トロイア戦争に出征し、活躍をしたのはいいのだが、帰還途中に部下を失い、船を失い、ただ一人で地中海世界を放浪し、十年かけて帰ってくるんだ。

 このオデュッセウス、勇猛果敢なばかりか、知恵と弁舌がはたらく策士でもある。あわやというところで、(運もあるが)機転を利かせてくぐりぬける様は痛快だ。一つ目のキュクロプスの目を潰すとき、自分の名前を「ウーティス(誰でもない)」だと騙す話なんて、様々な物語に翻案されている。魔法で豚の姿に変えられたり、冥界に降りて予言を聞いたり、前半の奇譚集はどこかで聞いた覚えのあるネタの宝庫だろう。

 そして後半は、求婚者の誅殺がメイン。オデュッセウスの不在を良いことに、妻ペネロペイア(美人)を陥落せしめんとする求婚者どもが入り浸る。主がいない邸を我がもの顔で徘徊し、宴会し、財産に手をかけている。彼ら40人を相手に、策略と豪腕が炸裂する場面は、スペクタクルそのもの。D.マレル「一人だけの軍隊」や、S.ハンター「極大射程」のラストの大殺戮、やりたい放題し放題のカタルシスを味わえるぞ。

オデュッセイアII そして今回、と変わった「読み」を試してみた。これがなかなかなので、紹介しておく。

 オデュッセウスは、とにかく弁が立つ。物語るのが上手いんだ。相手の力量や真意をはかるため、自分の身分を騙るのが得意ときたもんだ。翻訳者の注釈のおかげで、読み手はそれが「嘘」だと分かるが、あまりの立て板に水っぷりに、地の文まで疑いたくなる。

 つまり、十年におよぶ冒険話も、ぜんぶホラ話なのではないかと。トロイア戦争に出たのはホントだけど、土地の女といい仲になり、帰るに帰れなくなってしまったのではないかと。海の女神カリュプソーが彼を気に入って、帰そうとしなかったとあるが、オデュッセウスの口からでまかせだとしたら?

 そうすると、俄然おもしろくなる。巨人退治や大渦潮の化け物の話は、旅先の土地にまつわる伝説をネタにでっちあげ、お土産の金銀財宝は海賊行為で集めたとしたら?十年も家をほったらかしていた理由を、この壮大な物語で言いわけしようとしたら?と仮定すると、「智謀に富むオデュッセウス」が「ずるく悪賢いオデュッセウス」に見えてくる。

 その一方で、後半の復讐シーンが生きてくる。怪物相手だと、さらりと言い流しているにもかかわらず、相手が人間になると、準備・実行・後始末が念入りに語られる。結局、一番恐ろしく、厄介なのは、人間なのだ。「芸術とは、真実を気づかせてくれる嘘である」と喝破したのはピカソだが、この場合にも当てはまる。

 もちろん、ゼウスやアテネをはじめとした神々の視線にさらされており、吟遊詩人の叙事詩という形式なので、上で述べたのは妄想にすぎない。でも、物語の名人、オデュッセウスがホラ話を紛れ込ませていても、ホントかウソか区別がつかなのも事実。なぜなら、語るとは、騙ることなのだから。

 だからこれは、究極の物騙りなのかもしれない。

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