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ヒト臭くない知性「雷神帖」

雷神帖

 本についての本は、池澤夏樹がいい。

 いい本を探してくるし、紹介のしかたが上手い。古典と新しい本とのバランス感覚にすぐれ、私見や体験をおりまぜて「この本が好き」な理由を語りだす。その語りが好き。じっさい、珠玉のブックガイド「読書癖」はお世話になった。生々しい人間臭い読書から距離をおきたいとき、重宝する。

 で、今回は「雷神帖」。「風神帖」と対を成しているが、立ち読みでこっちに決めた。いつものように気の利いたメタファーが並んでいて安心して読める。

よく書かれた小説はもっとも高密度の、人間的な、具体から抽象までの幅広いスペクトルを持つ、叡智のパッケージである。この本についてならぼくはまだいくらでも、かぎりなく、読む人がうんざりするまで、考えを展開することができる。ぼくはこういう読書の記憶を何百冊分か持っている。

 プリズムを通した分光スペクトルのイメージが浮かぶが、よく分からない。スペクトルの語源「像」を想定して使っているのだろうか。小説一般ではじめながら、具体的な目の前の一冊でも示してみせる(ここではトニ・モリスン「パラダイス」)。あたりまえのことを上手い表現で再解釈させる。そこに「気づき」をもたらし、思わず手にとってしまう仕掛けだ。

 あるいは、ジョイスについて。「ユリシーズ」はすごいすごいと聞くけれど、ちょっと手が出せない(理由はお手にとっていただければお分かりだろう)。これを、ジョイスからの問いかけだという。「読むとは何か?」という問いを、実作を提出することで読者に突きつけているのだというのだ。そしてジョイスになり代わってこう述べる。

読みはじめて、登場人物の運命に一喜一憂し、やがて最後のページに至る。それが読むということだと信じているナイーヴな通俗小説のファンに対して、「読む」という知的行為はどこまでも拡張することができる

 このように、時には読み手を挑発しながらも、読書の世界へいざなう。幾度か挑戦しては挫折してきたが、もういちどやってみようかという気にさせられるから不思議だ。

 いっぽうで、ハテナと思わせる主張もある。トシとって色が出てきたか、もともとついている色にわたしが気づくようになったのか。たとえば、ケヴィン・カーターが撮影した「ハゲワシと少女」[google画像]について。餓死寸前の少女をハゲワシが狙っている構図で、ピューリッツァーを受賞している。この写真が公開されると、写真を撮るだけで彼女を助けなかったとして、撮影者は強烈な批判にさらされた。ピューリッツァー受賞後、自らの命を絶ったケヴィン・カーターを、池澤は擁護する。それは一つの主張としてかまわないのだが、その立論が半分しか立っていないので大いに戸惑う。

今ぼくは彼を非難した人々を非難したい気持ちでいる。彼が撮らなければその地域の基金のことは外部に知られなかった。それがフォト・ジャーナリズムの使命だ。そのたった一人の少女を助けてどうするのだ?それはその場かぎりの偽善ではないか。見えるものに対してはセンチメンタルになるけれど、その背後にある見えないものを思う想像力は大衆にはない。

 池澤の「非難したい気持ち」は分かるが、立論がおかしい。撮影者が非難されている理由は、「したこと」ではなく、「しなかった」ことなのだから。「写真を撮ったことで災禍を知らしめたのだから評価すべき」は理解できるが、だからといって、彼女を放置してよい理由にはならない。「ジャーナリズムか人道か」の問題ではなく、「したこと」で「しなかったこと」を正当化させるリクツが歪んでみえる。

 写真には絶対に入らない「撮影者」を見たからこそ、大衆は非難したのではないか?むしろ、「無責任な大衆に裏切られたのがケヴィン・カーター」と丸める方が、よほどセンチメンタルに見える。Wikipediaを参照すると、「母親が傍にいた」説もあるが、あえて本書で展開されている「事実」で考えてみる。

 サン=テグジュペリの再評価、岡本太郎批判など、数十年の幅をもち、文化や政治まで踏み込んだ議論に、読み手も触発されるに違いない。無邪気に同調するのではなく、逆に著者との温度差・青白さに鼻白むこともあるかも。

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コメント

遅レスいいんでしょうか?気になったものですから。
いつも読書生活の参考にさせていただいてますm(__)m

スペクトルなのですが、
医学用語にも使われる事があります。
抗菌薬「スペクトル」=抗菌薬の効果のある細菌の範囲
という意味で使われます。
広ければより多くの細菌に効き、
狭ければより少ない種類の細菌に効くというわけです。
池澤さんは物理畑の方なので医学系とは関係ないかもしれませんが、
ご参考までに…

投稿: AtoM | 2009.04.07 21:10

>>AtoMさん

おおー、スペクトルにそんな意味があろうとは、知りませんでした。ありがとうございます。Wikipediaを見ると、まさに繚乱といった感じで、スペクトルは、様々なニュアンスを含むんですね。

投稿: Dain | 2009.04.08 00:15

「異文化へ向かう姿勢」は私にとってもかなり刺激的でした。異文化への敬意という視点より権威にあぐらをかいてはいけないぞと私は解釈した。

その時の岡本太郎さんと今の北野武さんが、私の中で、かさなってみえた。最近の北野武のテレビがつまらない。なんで?と思うくらい。そこには権威に甘んじる姿があるのではないか、と。たけしさんに文句言うために北野さんの番組を観るということもしなくなったし。

ならば爆笑問題の太田光でいいんじゃね?と思い観てます。でも太田さんが1億円も税金納めてるっーことは最低でも1億円の年収はある。で、弱者の代弁者ってなんだよって。あるテレビ番組で太田さんはお金もらわなくともテレビに出続けますと言った。ならテレビの高額なギャラすべてを寄付してから言えばいいのに。いつか太田光も、その当時の岡本太郎のように、今の北野武のようになってしまうんだろうか。

読書癖1~4もあわせ読んだ。厳選したお気に入りのエッセーはコピーをとり(普通本のコピーとりません、抜書きのみ)、抜書きしています。文章や構文は応用できると思ったからです。Dainさんいつもサンクスです。

投稿: シュークリーム | 2009.04.24 18:20

>>シュークリームさん

お役に立てて、光栄です。
爆笑問題は、プロデューサーの努力の賜物かと…

投稿: Dain | 2009.04.27 00:18

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