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「服従の心理」はスゴ本

服従の心理 他人を服従させるマジックワードは、「責任はとるから」。

 この一言で、善良な市民が信じられない残虐なことをする。良心の呵責に耐えきれなくなると、記憶の改変を行う。「自分はまちがってない、あいつが悪いからだ」と平気で人をおとしめる。信じられるか? わたしは信じられなかった … 最初は。

 たとえば簡単なバイトを思いうかべて欲しい。心理実験のバイトだ。

 実験室に入ると、いかにも研究者然とした人が指示してくる。あなたは先生の役で、一連のテストを行うんだ。で、生徒役の人がまちがえると、罰として、電気ショックをあたえるのがあなたの仕事だ。

 そして、何回もまちがえると、そのたびに電撃は強くなってゆき、最後には耐え難いほどの強いショックを与えることになる。生徒は叫び声をあげてやめてくれやめてくれと懇願する。あなたは心配そうに研究者を見やるが、彼は「あなたの仕事を続けてください、責任はわたしが取りますから」とキッパリ。

 実をいうと、この実験の被験者は先生役の「あなた」。生徒は役者で、電撃はウソ、叫び声は演技。実験のテーマは「権威 v.s. 個人」なんだ。つまり、良心に反するような行為を強いられたとき、権威に対して、どこまで服従し続けるのかを見るのが、この実験の真の目的なんだ。

 もちろん、40年前に行われた実験の結果は[ミルグラム実験]で確認できるが、あなたの予想を裏切っている。人は権威に命じられると、かなり非人道的な行為まで手を染めてしまう。良心の痛みは覚えるかもしれないが、あえて権威に逆らうようなことはしないという。

 この結果は、あなたをかなり不愉快にさせるかもしれない。事実、この実験は、結果だけでなくプロセスの倫理的問題も含め、厳しい批判にさらされることとなった。

 なぜなら、著者スタンリー・ミルグラムは、この結果でもって、ナチスのアイヒマンがやったことは「悪の陳腐さ」にすぎないとみなしたから。ユダヤ人をせっせとガス室に送ったアイヒマンは、悪魔でもサディストでもなく、権威にからめとられたただの官僚にすぎないと主張する。単に彼は自分の役割を果たしていただけであって、民族や文化、人格に関係なく、「あなた」にも起こりうる――そうした「問題」を突きつけてくる。

良心と権威の葛藤によるジレンマは、社会の持つ性質そのものに内在するものであり、ナチスドイツが存在しなかったとしても、われわれの問題となっただろう。この問題について、単なる歴史問題であるかのように扱うのは、それを実際以上に遠ざけようとすることになってしまう
 これを、不愉快だと斬って捨てるのはもったいない。あるいは間違っているとナンクセつけるのも不毛だ。結果は結果として受け止めて、そこからどういう知見を引き出すのかが、読み手に求められている課題だろう。

 わたしは、第11章「服従のプロセス」を注意深く読んだ。「被験者(先生役)が…」と表現されているところは全て「あなたが…」に読み替えて、わたしが同じ葛藤に陥ったとき、どのように「服従」していくのかを予見しながら、読んだ。

 どうやら、わたしの場合、「責任の喪失」と「行動の連続性」に弱いらしい。つまり、権威ある人から「責任は取るから」といわれたとき、わたしはスイッチを押すだろう。そして、過去の行為を正当化するために、スイッチを押し続けるだろう。今やめたら、さっきまでやってきたことが「悪いこと」だと認めてしまうことになるからね。

 そうした権威に対し、どうあらがうか?いや、その前に、自分が陥っている状況をどうやって客観視するかが課題になる。権力にからめとられたとき、目先の細々した作業にいっしょうけんめいで、その結果がどうなるか、それが倫理的に許されるか――なんて判断は放棄してしまうだろうから。

そのとき、エンジニアは何をするべきなのか そんな場合、「そのとき、エンジニアは何をするべきなのか」[レビュー]で考えたことが役に立ちそうだ。「エンジニアとしてなすべき判断と、会社の期待がズレるとき、どうすればいい?」ときは、判断プロセスを共有化し、複数の意見を聴いた上で決める。「おおっぴら」にできないのであれば、それはそもそもしちゃいけないことなのだから。さらに、現状を知るためだけでも、「社外の目」は必要だろう。オフのつきあいを濃ゆくしないと。

――そんなフツーのわたしの読みと比べて、「訳者あとがき」の山形浩生氏の読みはスゴいぞ。おかしな話かもしれないが、最後の最後、彼の「服従実験批判」がいちばんおもしろい。翻訳仕事の余滴をもって、同じ実験結果から全く違う知見を引き出し、みごとに説明しつくしている。

 その批判の着眼点が秀逸で、展開に説得力があるんだ。前提に揺さぶりをかけ、プロセスを別の観点から洗いなおし、最後は実験の解釈そのものをくつがえしてしまう。読み手は、ああっと言ったりおおっと呻いたりいそがしい。ラスト数ページでドンデン返しがあるなんて、ミステリみたいw

 山形氏は「蛇足」と称するが、この十ページで本書から別のスゴ味を見出せた。「服従は信頼の裏返し」なんて、ミルグラムが示したぞっとしない結論からずいぶん救われたぞ。すばらしい洞察だと思う。

 誉めたついでにおかしな点を挙げておく。

 まず、実験の三者の表記が紛らわしかった。「実験者、被験者、被害者」と表記するので、「○験者」が共通し、「被○者」も共通しているため、字形のカタマリで読むわたしには、いつもここでつまづいた。

 さらに、被験者は「先生」、被害者は「学習者」とも読みかえられているので、まぎらわしさに輪をかけている。案の定、p.161の図18で、「被験者」と書くべき人物が「被害者」になっている。

 さらに、この実験への倫理的な批判に対する弁明文(p.261)で、腑に落ちない部分があった。次の太字で示した部分だ。文脈からすると、「いちばん悪いこと」ではなく、「いちばん良いこと」のような気がするのだが…

さらにもう一点。従順な被験者は被害者に電撃を加えたことについて自分を責めたりはしません。その行動は自分自身から出たものではないからです。そして従順な被験者が自分について述べるいちばん悪いことは、将来はもっとうまく権威に抵抗することを学ばなくてはならない、というものです。
実験が一部の被験者を刺激してこうした考えを抱かせたというのは、わたしから見れば(中略)実験の帰結として満足のいくことです

 こんな瑣事はともかく、本書は「この本がスゴい2008」に入れるべきスゴ本。もう発表しちゃったので、覚えてたら来年版に入れよう。

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愛書家へのプレゼント「図書館 愛書家の楽園」

図書館愛書家の楽園 古今東西の図書の蓄積に関する薀蓄がぎっしり。

 「図書館」というお題であるものの、公的施設に限らない。個人的な蔵書、私設ライブラリーも、「愛書家の楽園」であることに変わりないから。図書館というよりは、図書室、しかも、シンと静まりかえった夜の図書室がお似合いかも。

 夜もふけて本棚の前に立つとき、目になじんだ背表紙が語りかけてくる。それは、入手したいきさつや、書名からつむぎだされる連想、読了したときの感動を呼び起こす。さらに、そこに仲間入りさせたい「ほしい本」の装丁を想像し、ならべ方は著者順がいいのか関連性を重視すべきなのか、独り思いめぐらす。

 そうなんだ、原書のタイトルは "The Library at Night" といって、深夜に本棚の前に立ったときの、あの静けさと饒舌さそのままがエッセイとなっている。もちろんその "The Library" とは、スタートは著者マングェルの図書室になる。その縦横無尽な語り口から察するに、とてつもない読書家ですな。

 それから"The Library"は、古代アレクサンドリア図書館、ネモ船長の図書室、ヒトラーの蔵書と強制収容所の図書室、ラブレーやボルヘスによる架空の書物などに拡張する。現実・空想を隔てなく語りつむぐ人と書物の歴史は、饒舌をはるかに過ぎて奔放というべき。

 ただし、書き手の発想は連想から連想へと跳んでおり、秩序だった時系列や分類を求めている読み手は、寄り道と閑話休題に途方にくれるかもしれない。章だてを見ればわかる。

  神話としての図書館
  秩序としての図書館
  空間としての図書館
  権力としての図書館
  形体としての図書館
  …

 こんな切り口で網羅的かつ徹底的に、人類の外部記憶装置としての図書館を考察する。その博覧強記っぷりに、ちょっと近寄りがたくなるが、親しみのもてる所もある。たとえば、カフカの「掟の門」を図書館の門になぞらえているあたりで、強い親近感をいだいたぞ。わたしだけではないだろう、この「掟」を「知」と読み替えたのは。

 気になったエピソードをいくつか挙げよう。まずはヒトラーの蔵書から。

 ヒトラーの個人蔵書は一万六千冊ほどあったといわれている。うち七千冊は戦争史、一千冊以上は芸術関係の評論、一千冊は大衆小説で、ポルノ小説もいくつかあったそうな。有名どころなら「ガリヴァー旅行記」、「ロビンソン・クルーソー」、「ドン・キホーテ」もあったが、ヒトラーお気に入りの作家カール・マイによる冒険小説は、ほぼ全巻そろっているという。

 ヒトラーのコレクションはワシントンのアメリカ議会図書館に収められている。「本棚は人をあらわす」というのであれば、この本棚こそみるべきなのだが、不思議なことに、第三帝国を研究する歴史学者からは無視されてるんだって(もったいない)。

 次に、図書館と情報技術の考察が興味深かった。たとえば、Googleが図書館プロジェクトを断念していたことは知らなんだ。

 Googleの図書館プロジェクト、すなわち "Google library Project" とは、世界を代表する図書館――ハーヴァード大学図書館、ボードリアン図書館、スタンフォード大学図書館、ニューヨーク公共図書館――と連携して、蔵書をスキャンし、オンラインで読めるようにするという計画で、2004年の発表当時はえらく興奮したものだ。「知」がネット共有されるってね。

 ところが、本書によると、予算や運営の問題で、Googleは2005年7月にプロジェクトを断念しているという(p.77)。いまではスケールダウンして、図書カードを拡張した程度の検索カタログにとどまっている[参照]。また、NIKKEI-NETの「ネットも本も」覇権握るグーグルによると、著作権をめぐる訴訟がプロジェクトを阻んでおり、Googleのフェアユースに対する抗弁の成否がキーとなっているそうな。

 情報技術に対するマングェルの視線は、いささか冷ややかだ。書籍情報のデジタル化によって、検索や調査効率が飛躍的に向上することは認めるものの、デジタル化された「メディア」への信憑性は、イギリスの「ドゥームズディ・ブック・プロジェクト」で疑問符をつきつける。

 「ドゥームズデイ・ブック」とは、11世紀に作成されたイングランドの土地台帳のことで、千年の歳月を経たメディア――書籍の形でいまも読むことができる。1986年、BBCは250万ポンドを費やして、コンピュータ仕様のマルチメディア版「ドゥームズデイ・ブック」を製作した。

 この、電子版「ドゥームズデイ・ブック」には25万の地名、2万の地図、5万の写真、3千のデータセットと60分の動画が含まれていた。このプロジェクトには100万人以上が協力したという――しかし、16年後の2002年3月、その情報を読み出そうとしたが、できなかった。データを復旧させようとさまざまな試みがなされたが、どれもうまくいかなかった。

 ディスクやCD-ROMの寿命はせいぜい10年。情報のデジタル化は便利をもたらす一方で、深刻な危険性をはらむと指摘する。そのいっぽうで、紙メディアである書籍をさりげなくもち上げているところにニヤリとする。

解決策がないまま、現在も膨張しつつある人類のコンピュータ上の財産は、いつ消滅してもおかしくないという深刻な危険を抱えている。それとは対照的に、およそ千年前、紙の上にインクで書かれたオリジナルの「ドゥームズデイ・ブック」はロンドン南西にあるキュー公文書館に完璧な状態で保存されており、いまでもはっきりと読むことができる
 もちろん「夜の図書館」なので、「闇」の部分――焚書や禁書についても語られる。有名なアレクサンドリア図書館の炎上エピソードにも紙幅を費やしているが、2003年にイラクで行われた略奪・焚書は目玉ひんむいて読んだぞ。
ときには図書館が意図的に破壊されることもある。2003年4月、イラクに米英軍が駐留していた間に、バグダッドでは国立公文書館、考古学博物館、国立図書館が略奪された。数時間のうちに、人類史上で最古の部類に入る記録のほとんどが忘却の彼方へと追いやられた。現存する最古の書物である六千年前の草稿、サダム・フセインの部下たちによる略奪を免れた中世の年代記、寄進財務省に保管されていた幾多の美しいコーラン――それらすべてが、おそらく永久に消えてしまった。
 ほかにも、カリグラファーの手による美しい写本の数々は消失し、10世紀の書籍商が残した「千夜一夜物語」などの貴重な説話集も失われたという。いわゆる時事的な視点――人道的問題や駐留軍の財政難、地政学的均衡といったネタばかり追いかけていた。が、そんな文化的狼藉がなされていたなんて知らなかった。焚書は前時代のもの、と考えていたが、おめでたい奴だったね、わたしゃ。

 つまみ食いで紹介してきたが、本書の1/1000にも足りない。本好きであればあるほど、本書は魅力を発揮する。人はなぜ書物を収集したがるのかという根源的な問いからはじまり、自分好みのライブラリーをつくりたいという欲望、さらには、棚や部屋の物理的な大きさと、無制限に増殖したがる本にはさまれた葛藤までが、歴史的エピソードを交えて紹介されている。

 ある本を選ぶということは、別の本が選ばれなかったということ。なんてエロゲ的な。すべてを包含しようという欲望と、排除しようという矛盾にはさまった碩学の悩みは、とても近しい。

 書物を愛するすべての人に。

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この本がスゴい2008

 今年もよい出会いがあり、それはあなたのおかげ、とても感謝しています。

 ここでいう「あなた」とは、親切にもコメント欄よりオススメいただいたアナタだけでなく、某所で罵倒しまくってたキミも含まれる。なぜなら、「○○がスゴいんだってーフフン、じゃぁ△△読んでないだろ」なーんて教えてくれたから。

 ありがたいのはまさにソレ、「そんならコレを読め」と言ってくれる方は、○○も△△も読んでる。わたしが知らない△△を、わたしが読んだ○○から教えてくれるのだから、これほど有益なものはない。

 わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる所以はここにある。反面、これができずに唯我独尊を貫くと、非常に限定された世界の読書王となる。なまじ蓄積があるだけに、外からのアドバイスが受け入れられず、読書はすべて自意識の確認作業となる。気の毒だけど、よい反面教師だ。この道は、いつかきた道。わたし自身が陥らないよう、用心用心。

 ことし読んできたなかで、「これはスゴい」とスゴ本認定したものから、さらに選びぬいたものを紹介する。ベスト10とかムリで、かなりのボリュームになったぞ。すべて、「あなた」の縁を経ている。はてなで、amazonで、2chで、そしてこのblogを通じて知ったベストだ。昔の「今年のベスト」と比べるとよくわかる、「あなたのオススメ」を集めると、こんなに豊かなリストになるということを。

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│□□□ この小説がスゴい2008
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 今年「も」小説はあたりどしだった。いい小説読むと人生トクした気分になれるのだが、知らない人は残念無念。たとえるならば、ウマいメシ喰っった後に、頭頂から垂れてくるナニかのように人性をハイにさせてくれるもの、といったら分かるか。

 いい小説は人生を変える、はホントだ──そういえるスゴ本群はこれ。

■ ルーツ(アレックス・ヘイリー)  [レビュー]

ルーツ1ルーツ2ルーツ3

 親子七代、200年に渡る壮大な物語から描かれた米国の黒人奴隷の歴史に圧倒される。あらゆるものを奪いつくされ、失いつくしたとしても、それでも一歩一歩、自分の生活を築いていく系譜が、ここにある。合衆国の黒歴史ともいえる黒人奴隷の問題を描いた本書は、1977年のピューリッツァー賞を受賞し、世界的ベストセラーとなり、TVドラマ化され、一大センセーションを巻き起こした。「クンタ・キンテ」といえば、ご存知の方もいらっしゃるかと。

 白人社会の黒人への仕打ちは、かなりショッキングだ。どうかフィクションであってくれと祈りたくなるような強烈さだ(なかでも奴隷船の描写はかなりキツい。ここだけ劇薬指定)。肉体的な暴力もさることながら、精神的文化的なダメージも大きい。しかも、問題は「色」だけではないのだ。裕福な白人と貧乏白人、奴隷と自由黒人、先住インディアンと混血、メソジストとバプチスト、開拓民と新興移民――「色」に限定されない差別問題がわんさとでてくる。合衆国の問題の根っこがドラマティックに見えてくる。

■ 存在の耐えられない軽さ(ミラン・クンデラ)  [レビュー]

存在の耐えられない軽さ 物語の体裁をした長い長いクンデラの独白。「プラハの春」を歴史背景に、愛し合う男と女を鮮烈にエロチックに描いている。新訳で10年ぶりに再読できた。物語を読んでいるのに、「人生の一回性について」という哲学の問題を考えさせられる。未来からの重みを感じれば、一回きりしかない人生はとてつもなく重要に思えてくるだろう。しかし、わたしたちはそれを確かめるすべを持たないのではないか? 著者クンデラは物語の合間合間に、そんな疑問をナマで問い合わせてくる。

人生が一度きりなら、そして予め確かめるどんな可能性もないのなら、人は、みずからの感情に従うのが正しいのか、間違いなのかけっして知ることがない。それでも彼・彼女はよく考えたり感情的になったりして、かなり重要な決定を下す(あるいは下さない)。結果が偶然なのか必然なのかは、わからない(著者は指し示すだけ)。

 肝心なのは、その「決定」だ。結果によって「決定」が運命になったり偶然に扱われたりするのなら、未来によって選択の軽重が決まってくる。結果は重いかもしれないが、決定は(決断すら思い及ばず偶然の連鎖も含めて)下されるそのとき分からない

 読み手はぐるぐる回りながらも、この問い合わせに応えることができない。そんな読者をよそに物語は転んでゆく。塞翁が馬と片付けられればいいのだが、それはそれ、男と女の物語なのだからそうはいかない。

■ 巨匠とマルガリータ(ミハイル・ブルガーコフ)  [レビュー]

巨匠とマルガリータ 現実と幻想が濃厚に融合している怪作。ケタケタ笑って読んでもいいし、いくら深読みしても耐えられる、軽薄かつ堅牢なつくり。小説としてしっかりしていれば、その容器(うつわ)に何を入れても許される好例。

 単なるファンタスティックに走り出さない。リアリズムからつかず離れず、一定の間隔をおいている。この距離感が絶妙なので、ナザレ人のイエスが蝿まみれになって死んでゆく様が異常なほど克明に見える。さらに、モスクワじゅうを大混乱に陥れる荒唐無稽さをたぐり寄せてゆくと、 スターリン時代の恐怖がズルズル剥けだしてくる。裸エプロンのメイドや全裸のメイドが豚に乗って飛び回るシーンが圧巻。非常に映像的で、疾走感覚あふれまくりで、アドレナリンだかドーパミンだか脳汁があふれ出すこと請合う。

 不遇をかこち、ついに日の目を見なかった著者ブルガーコフの強烈なカウンターとして読んでもいいし、「夢に出るリアル」を味わってもいい、傑作認定。

■ アブサロム、アブサロム!(ウィリアム フォークナー)  [レビュー]

アブサロム、アブサロム 「文学」なのにもかかわらず、どろり濃厚なミステリとして読んだ。物語そのものが語りだす声を訊くことができるぞ

 舞台はアメリカ南北戦争の時代。「ある出来事」を要に、独白・告白・伝聞を用いて、語り手のさまざまな立場で述べられる。同じ描写、同じシーンが、微妙に異なる視点でくりかえし述べられている。ジグソーパズルを外側から埋めていくように、行きつ戻りつ「繰言」がくりかえされる。

 複雑に張られた伏線と設定を読み解き、「出来事」そのものに到達するのも喜びながら、その出来事が「なぜ」引き起こされたのかを推し量るのも本書の醍醐味だろう。

 ただし、最近のエンターテインメントに甘やかされた読者には、ちと辛いかも。物語は複数の語り手の視線によってさらされ、吟味されているのだから。ストーリー消化率を高める「何でも知ってる説明役」は出てこない。だから、たとえ三人称であってもだまされるなかれ。聞き手の内省であったり対話(!)だったりするのだから。

■ 虎よ、虎よ!(アルフレッド・ベスター)  [レビュー]

虎よ、虎よ! 「スペース・ファンタジー」というべきSF。あるいは、「この未来はもう見ているぞ!」と叫びそうになる。

 1956年に発表されているので、その影響を受けた作品から間接的に知っている世界に既視感覚ありまくり。石ノ森章太郎の「加速装置」や、スティーヴン・キングの「ジョウント」の本家はこれだったんだーと狂喜乱舞する。他にも説明抜きでじゃんじゃん投入されるアイディアは、ぜんぜん古さを感じない。

 物語自体が強烈な迫力と磁力と理力を帯びたハリケーンみたいで、ぼんやり読んでると跳ばされる。男の情念の炎にゃ、読み手の「手」も焼かれること間違いなし。冒頭で突きつけられた、主人公を燃え狂わせる「動機」は物語全体を横切り、結末にぶつかって粉々になる。その軌跡がスゴい

 ブッ飛んだSFに、振り落とされないように読むべし。

■ ザ・ロード(コーマック・マッカーシー)  [レビュー]

ザロード ピューリッツァー賞を受賞した傑作…だけど、昨年のスゴ本2007に入れた「血と暴力の国」とは手触りがちがう。運命なんてクソの役にもたたないものだと思い知らされたわたしにしては、このラストは衝撃を受けた。マッカーシー「らしくない」ってね。

 終末世界で人として生きるのは、かなり難しい。カタストロフ後の世界を旅する、父と子の物語。強奪と喰人が日常化した生き残りを避けて、南へ南へ――食べ物を求めて? 食べられないように? 残った弾丸の数を数えながら、こんな地獄ならいっそ―― わたしと同じことを、この「父」も考える。

 文体はかなりクセがある。地の文から句読点を外し、会話をくくるかっこ「 」を廃した、全編独白のような文体は、慣れるのに苦労するかも。来年あたり、マッカーシーのNo.1と誉れ高い"Blood Meridian"の邦訳が出てくるだろうか――ここ数年はマッカーシー祭りになりそうだな。

■ シャドー81(ルシアン・ネイハム)  [レビュー]

シャドー81 スリルとスケールたっぷりのスゴ本。

 プロットはシンプル。最新鋭の戦闘機が、ジャンボ旅客機をハイジャックする。犯人はジャンボ機の死角にぴったり入り込み、決して姿を見せない。姿なき犯人は、二百余名の人命と引き換えに、莫大な金塊を要求する。

 シンプルであればあるほど、読者は気になる、「じゃぁ、どうやって?」ってね。完全武装の戦闘機なんて、どっから調達するんだ? 誰が乗るんだ? 身代金の受け渡し方法は? だいたい戦闘機ってそんなに長いこと飛んでられないよ!――なんてね。

 本書の面白さの半分は、この表紙を「完成」させるまでの極めて周到な計画にある。一見無関係のエピソードが巧妙に配置され、意外な人物がそれぞれの立場から表紙の一点に収束していく布石はお見事としかいいようがない。

 そして、もう半分は、表紙が「完成」された後だ。ハイジャッカーと旅客機のパイロット、航空管制官の緊張感あふれるやりとりや、大迫力のスペクタクルシーンなど、見所たっぷりだが、時代がアレなだけに映画化不能だね。

■ 妖女サイベルの呼び声(パトリシア・マキリップ)  [レビュー]

妖女サイベルの呼び声 極上のファンタジー

 キャラとイベントで物語を転がす濫製ファンタジーの対極にある。「ファンタジー」なんて、しょせん剣と魔法、光と闇の活劇でしょ? ――なんて、ファンタジーを見くびってた。誤ってた。

 予めお約束のコードがあって、そいつをどんなパラメーターでなぞるかでヴァリエーションを増やす。そんな固定化した観念がまるっきり見当違いだったことを思い知らされる。この物語はファンタジーでしか書けないし、テーマはファンタジーを、(少なくともわたしが勝手にファンタジーだと思いこんでた範囲を) 完全に超えている。

 かといって、テーマが深遠だとかフクザツだとかいうわけではない。魔法使いサイベルが、人の心と愛を知り、そしてそれゆえに苦悩し、破滅へ向かおうとする話。お約束の台本どおりに進まない心理劇を眺めている気分になる。

Calling_

 粗製乱用ファンタジーに慣れきった人が読むと、アタマガツンとやられる。ピンとこない人には、ハヤカワFT(ファンタジー)文庫の第一作だったことや、世界幻想文学大賞が創設された1975年、最初に受賞したのが本作だったことを指摘しておく。そうそう、「コーリング」という名前でマンガ化されているが、こいつも極上だったぞ。

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│□□□ 劇薬小説・トラウマンガ
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 ことしの劇薬モノは、即クるものではなかったな。読んでて、即、吐気におそわれるよりも、後々になって歯痛のように引っ張るものばかり。読むときは、覚悟してどうぞ。

■ ジェローム神父(マルキ・ド・サド×澁澤龍彦×会田誠)  [レビュー]

ジェローム神父 澁澤龍彦の「ホラー・ドラコニア少女小説」の5冊をイッキ読みしたんだが、なかでも最もエロティックかつ残虐・極悪・非道なのがコレ。エロスって幻想的で具体的だな、と実感できる。あるいは、「まっとうな狂気」に出会える

 まず表紙。ポニーテールの少女(全裸)が、アッケラカンとした笑顔で見上げている。ただし両手足は切断されており、ぐるぐる包帯からにじむ血肉(腐肉?)と蝿が生々しい。あるいは挿絵。少女の腹を指で押すと、股間の割れ目からイクラがぽろぽろと出てくる「とれたてイクラ丼」は目を見張る。

 んで、中身。恋人どうしの若い男女を連れ出し、まず男を射殺。そして女を姦するのだが、ただじゃすまないのがサド節。小枝やトゲのある蔓で女の柔らかい場所を刺したり痛めつける。男の死体を切り裂いて、そこから心臓を抜き取り、娘の顔を汚す。あまつさえ心臓の幾片かを無理やり娘の口のなかに押し込んで、噛んでみろと命令する。

 ただ処女をレイプするだけじゃもの足りなくて、自分がイク瞬間に女をメッタ刺しにする。悶死する肉体がケイレンし、収縮するさまが、えもいわれぬ恍惚感をひきおこすそうな。普通人はドンビキする話なので、読・ん・で・は・い・け・な・い・。

■ ブラッドハーレーの馬車(沙村広明)  [レビュー]

ブラッドハーレーの馬車 Wikipediaによると、「赤毛のアンのような作品を描きたい」という作者の希望により連載が開始されたそうだが、「赤毛のアン」を陵辱する、読み手の心を引き裂く話

 はじまりは、孤児院。身寄りのない少女たちの憧れは、ブラッドハーレー歌劇団。1年に1度、容姿に恵まれたものが選ばれ、資産家・ブラッドハーレー家の養女として迎えられる。貴族としての生活や、歌劇団で華々しく活躍することを夢見る少女たち。

 本気で読む気なら、予備知識はこのくらいで。ただし、「劇薬注意」とだけ添えておく。帯の説明は地雷なので、外しておこう。沙村広明版「キャンディ・キャンディ」のつもりで扉を開いた。おかげで、こうかはばつぐんだ。

 第一章を読んだだけで、みるみる顔色が変わっていくのが自分でわかる。血の気が引いて、戻ってこない。体が冷たくなってくる。どうやったって「おもしろがって」読めないし、フィクションだよね、ネタなんだよねとつぶやきながら見る・観る・視る――目が張り付いて離れない。陵辱の陰惨さだけでなく、よくぞこんな話をつくりおったとため息がとまらない。

 不慣れな人は手を出さない方が吉。劇薬好きは――もう読んでるね。

 本書は「たまごまごごはん」さんとこで知った。「帯はネタバレ」予告ありがとうございます、おかげで血の凍る思いをしました。さらに、プリキュア等におけるスパッツ女子主義は開眼させられました、ぱんつや中身に拘泥していた自分の未熟さを思い知らされます。

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│□□□ このマンガがスゴい2008
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■ 石の花(坂口尚)  [レビュー]

石の花1石の花2石の花3

 「アドルフに告ぐ」級の傑作。読め(命令形)。

 1941年、ナチスによって寸断されたユーゴスラビアを舞台に、戦乱に巻き込まれてゆく少年を軸にした群像劇。アウシュビッツ収容所で、レジスタンスの戦場で、二重三重スパイの現場で、極限状況にありながら理想を求める生き様が生々しく描かれる。

 最初に釘刺しておく。読者がいちばん不満に思うのは、何らかのカタルシスが得られないだろう。というのも、善悪正邪の構図に片付かないからだ。悲痛な叫びもドス黒い血潮も、何も贖うことなく話は進む。

 もしも、単純に「ナチス=悪」を討つといったハリウッド的展開であれば、もっと分かりやすかったかもしれない。「『地獄の黙示録』を凌駕する山岳戦」といった惹句があるが、そういう見所はたっぷりあるからね。大義名分は決まっているので、戦争活劇のフレームに押し込んでしまうこともできる。

 しかし、7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つのユーゴスラビアを描くには、そんなにカンタンな構図で収まるはずもない。それぞれの側で苦悩があり、希望と絶望がないまぜになっている。それぞれの立場で自己欺瞞にもだえながら、終わらない地獄絵図を歩み続ける。

 圧倒的な物語を、読むべし、読むべし、読むべし。

■ おもいでエマノン(梶尾真治 + 鶴田謙二)  [レビュー]

Emanon_8 彼女とのわずかなひとときと、その「おもいで」を大切にして生きること。

 すんなり伸びた肢体、長い髪、おおきな瞳、そばかす――ちょっとエキセントリックな彼女には、くわえ煙草が似合う。鶴田謙二氏が「SFオールタイムヒロイン」というのもむべなるかな。わたしのSFオールタイムヒロインのベスト3はこれ。

  エマノン(おもいでエマノン/梶尾真治+鶴田謙二)
  コーティー・キャス(たったひとつの冴えたやりかた/ティプトリーJr.)
  芳山和子(時をかける少女/筒井康隆)

 傷心をかかえた「ぼく」と怖いくらい共鳴しながら読む。物語を消費するのではなく一体化する感覚。思い入れが強すぎて、レビューよりも、思い出話をしたくなる。マンガ読んでこんなに切ない気持ちになったのは久しぶり。そうそう、月刊COMICリュウで再開してるね。カラー見開きで「あれ」みて鼻血たれたことは秘密だ。

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│□□□ 世界観をひっくりかえすノンフィクション
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■ 中国臓器市場(城山英巳) [レビュー]

中国臓器市場 中国の臓器移植は、「早い・安い・うまい」だという

 まず、早さ。肝臓や腎臓移植であれば、早くて1週間、遅くとも1ヶ月以内、心臓や肺移植でも1ヶ月以内にドナーが決まる。主要都市まで飛行機で数時間、ドナーが出れば、その場で飛べる。

 次に、安さ。腎臓移植を日本人が米国で受けると、1,600-2,000万円だが、中国なら600-750万円。肝臓移植の場合、米国7,000万-1億円に比べ、中国なら1,300-1,800万円でいける。渡航費や滞在費も考慮すると、圧倒的に安い。

 そして、うまさ。腎臓移植の場合中国国内で年間5000例以上、米国に次ぐ世界第2位の移植大国。移植医療は数をこなしてなんぼの世界、一大市場を築く中国は、物量共に他を圧倒している。

 この移植先進国を支えているのは、毎年1万人執行される死刑囚だという。交通事故などによる「不慮の死」によって突発的にドナーがもたらされる某国とは、かなり違う。実際、中国のドナーの9割が死刑囚で、そのメリットは大きい。

 要するにこうだ。若くて健康な臓器が用意でき、事前検査を行うため、肝炎やエイズウィルスなどの感染リスクはないし、死刑執行の日時や場所が事前にわかるため、摘出直後の移植が可能だ。おまけに、死刑は毎年大量に執行されるため、ドナーが途切れることがない。

 まさにオイシイとこだらけなのが中国臓器市場。その光と闇が徹底的に描かれている。もちろんドナーを求める代表は日本人だ。眉をひそめる方もいるかもしれないが、いつ自分もどうなるかわからない。揺さぶりをかけるように、中国での移植サポートをしている日本人は、こう問うんだ。

  アメリカで移植を受けると美談として扱われ、
  フィリピンで移植すると臓器売買だと罵られ、
  中国だと倫理問題はどうなのだと問い詰められる

 自分の問題だと意識しにくい場合は、自分の子を思い浮かべてみる。すると――劇薬小説「闇の子供たち」と同じ悲劇になるかと。

■ 冷血(トルーマン・カポーティ) [レビュー]

冷血 謳い文句は「ノンフィクション・ノヴェルの金字塔」。アメリカの片田舎で、一家4人が射殺された。父、母、息子、娘はロープで縛られ、至近距離から散弾銃で顔や頭を破壊されていた。犯人は二人の若者で、彼らの運命も既にわかっている。著者カポーティは、感情や評価を極力廃し、徹底的に事実を積み重ねる。「what」や「how」を追求することで「why」をあぶりだしているのがスゴい

 犯行状況を時系列の外に置き、調書を取る対話で生々しく表現したり、「なぜ若者が犯行に及んだか」はズバリ書かず、手記や調書から浮かび上がるようにしている。「書き手である自分」を、地の文から取り除くことに成功している。カポーティはノンフィクション・ノヴェルと呼んでいるが、レポートやドキュメントを読まされる感覚。読んだ「あなた」が判断せよ、というやつ。

■ コンゴ・ジャーニー(レドモンド・オハンロン) [レビュー]

コンゴ・ジャーニー上コンゴ・ジャーニー下

 コンゴの奥地へ恐竜を探しにいく、とんでもない旅行記。臨場感たっぷりの破天荒さに、最初は小説だと思ってた…が、これが本物のノンフィクションだと知ってのけぞった。

 著者のレドモンド・オハンロンは、筋金入りの探検家。いわゆる、イカダで太平洋を渡ったり、犬ぞりで極北を目指すジャーナリスティックな冒険家ではない。「○○が見たい、だから行く、どんなことをしてでも」と、自分の好奇心を満足させるために全財産を投げ打つようなタイプだ。

 蚊、ノミ、ダニ、シラミ、ナンキンムシ、アブ、ブユ、ツェツェバエ――血と汗を吸い、皮膚の下にタマゴを生みつけようとするやつら。爪の間や性器に入り込もうとする線虫・回虫・寄生虫もあなどれない。そしてゴキブリ!ベッドマットを持ち上げたらゴキブリがざーっとあふれ出る場面は全身トリハダ立ちまくり。

 マラリア、眠り病、梅毒、イチゴ腫、エイズ、エボラ出血熱、コレラ―― 描写のいちいちが克明で、読んでるこっちが痒くなる。風土病や感染症だけではない、人を襲うヒョウやワニ、ニシキヘビといった猛獣について、いちいち挿話とウンチクを並べ立てる。その恐怖におののきながら、いそいそと出かけるところは笑うところなのか?

 狂気と笑いが伝染してくる。後半、「旅行記」からスピンアウトしはじめる。著者狂った? と思えるような描写もしばしば。この地に白人が長くいると、おかしくなるのかもしれないね。

 本書は、「悪漢と密偵」のBaddieBeagleさん経由で知った。スゴい本を教えていただき、感謝しています。いつも冷静に淡々と紹介しているのに、「コンゴ・ジャーニー」だけ妙にチカラこめていたのが印象的でした。

■ アフリカ 苦悩する大陸(ロバート・ゲスト) [レビュー]

アフリカ苦悩する大陸 「なぜ、アフリカは貧しいままなのか?」という問いに、ひとつの結論が出る一冊。

 アフリカの貧困問題に対し教科書どおりに答えるならば、植民地時代からの搾取、不安定な政府、内戦や伝染病、人種差別、部族主義や呪術主義、インフラや教育の欠如からHIV/AIDSの跋扈――と枚挙に暇がない。

 著者はこの質問に明快に答える。すなわち、政府が無能で腐敗しているからだという。私腹を肥やす権力者、国民から強奪する警察官、堂々とわいろを要求する官僚――これら腐りきった連中がアフリカを食い物にし、援助や支援が吸い取られる。資源に恵まれた国であっても同様だ。奪い合い→内戦化→国土の荒廃を招くか、あるいは、外資が採掘場所を徹底的に押さえ、オイルダラーが国民まで行き渡らない構造になっていると一刀両断している。

 最貧困層のためにあるはずの援助の実態は違っており、「援助とは富裕国の貧困層から、貧困国の富裕層への富の移転にすぎない」という皮肉は、残念ながらあたっているという。ではどこへ?

わかりやすく言えば、高級ホテルで行う会議や、議員先生たちのワシントンへの出張旅費、それに外国人の援助スタッフを連れまわすためのランドクルーザーの購入費に、援助資金の多くが費やされているのである
 もちろん本書だけでもってアフリカ問題を語りだすのは危険だし、そういう思考の失敗も見せてもらった。非常に興味深いことに、自説を強固に主張する方であればあるほど、その一面的な観点から一歩も出られないことがわかった。同じ愚を犯さないために、(相反する)類書をいくつか読んだが、それはそれだけアフリカ問題の巨大さを実感することとなった。

   だめな国は何をやってもだめ「最底辺の10億人」
   「アフリカ・レポート」から行動する
   良いニュースです、「貧困の終焉」が可能であることが証明されました

 議論よりも行動、自戒を込めて記す。

■ 17人のわたし(リチャード・ベア) [レビュー]

17人のわたし 虐待で多重人格障害となった女性が、精神科医の助けにより、人格を統合する。

 不謹慎な言い方だが、そこらの小説より遥かに面白い。多数の人格が生まれた理由、記憶の共有や人格の入替えメカニズム、人格を統合する方法など、物語形式で500頁みっちりと詰まっている。

 彼女は発狂するか、自殺しかねないような凄惨な体験を重ねている。辛すぎる現実に潰されないよう、「自分」を守るため、恐怖や痛みを引き受ける人格がどうしても必要になる。ほとんどの人格は年を取るのをやめ、成長を拒絶し、異なった時期で時間が止まっている。そして、その時点で起きていたこと――たとえば、レイプされたこと、親が「死ねばいいのに」と言っていたこと――の中で、ずっと時をすごしている。

 著者は、そのひとりひとりと話し合う。同情し、励まし、慰めるが、時には強く出ることもある。おかしくなってしまった「人格」に対してセラピーをすることもある。その過程で明らかにされる「カレン」の人格システムがスゴい。人間の強さと心の柔軟さを痛感させられる。さらに、「カレン」の統合エピソードを通じて、人格とはすなわち記憶そのものではないかという気になってくる。

 本書は、渡辺千賀さんの紹介で知った、感謝感謝。「誰にも勧めないすごい本」と絶賛されていたが、ああ、確かに。劇薬耐性がないとツラいかも。

■ 夜と霧(ヴィクトール・E・フランクル) [レビュー]

夜と霧・旧訳夜と霧・新訳

 これはホロコーストの記録。強制収容所に囚われ、奇蹟的に生還した著者の手記。限界状況における人間の姿が、淡々と生なましく描かれる。高校のときに手にした記憶がまざまざとよみがえる(「あの写真」があまりにも恐ろしく、読むことができなかったのだ)。

 目を覆いたくなるのは、その姿の痛々しさや残酷さだけではない。そんなことを合理的に効率的に推し進めていったのが、同じ人間だという事実―― このことが、どうしても信じられなかった。

 でも大丈夫、今回読んだ新訳版では、「あの写真」はないから。だからといって、悲惨さはいささかも損なわれていない。丸刈り・個性の剥奪、強制労働、飢え、飢え、飢え、「世界はもうない」という感覚、ガス室、鉄条網へ向かって走る―― さまざまなメディアにコピられ、反すうされているから、隠喩としてのアウシュヴィッツのほうに馴染みがあるかも―― ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争での "ethnic cleansing" なんて最優秀コピーだろう。

 ホロコーストの悲劇そのものよりも、そんな狂気の状況で著者がたどりついた結論のほうに目がいった。つまり、死や苦しみそのものの意義を問い、そこに無意味しか見出せないのであれば、収容所生活をサヴァイヴすることに意味などないのだ、と言い切る。もちろん、生きること、生きのびることを至上と考えるわたしには、とてもマネできない。ただ、そこへ至った著者の思考は非常に明晰で、いかなる狂いも歪みも見出せないことがわかる。

 「人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」――なぜ生きるのかを知っているものは、どのように生きることにも耐えうる――ニーチェの箴言を実践した一冊。

■ 数学で犯罪を解決する(キース・デヴリン) [レビュー]

数学で犯罪を解決する 天才数学者が犯罪者を追い詰める。アメリカのドラマ「NUMB3RS」の話だけれど、実際の事件をベースにしている。科学捜査官ならぬ数学捜査官。そのエピソードを糸口にして、元ネタとなっている様々な数学概念を解説するのが本書。サスペンスのドキドキ感と数学のエウレカ!を楽しみながら読む。

 しかも、ドラマの紹介と思いきや枕にすぎず、データマイニング、オペレーションズ・リサーチ、ベイズ確率、ゲーム理論、暗号、指紋とDNA鑑定の尤度など、「数学という武器」が縦横無尽に活躍している。ドラマとはいえ、ホントに「囚人のジレンマ」を使って数学による裏切りの説得をするトコなんて爆笑もの。理論的な下支えといった裏方的仕事ではなく、数学が直接現場に役立っているところがスゴい。

 もちろん、数学を武器として扱うため(捜査に役立たせるため)には、地道な裏取り調査や正規化された膨大なデータが必要だ。しかし、そうしたデータの大海から結果を出すためには、数学的にアタマを使う必要がある。

 つまり、重要な要素だけに集中して、他は無視すること。一見複雑な問題を、少数の主要変数に還元すること。変数の振る舞いから、問題の本質をつかまえ、表現すること。言うのはカンタンだが、やるのは難しい。パターン化って言い換えてもいいかも。

 文字どおり、数学を武器にする一冊。わが子が「数学なんて役に立たない」なんて言いだしたら渡そう。本書は、山形浩生さん経由で知った。スゴい本を教えて(訳して)いただき、感謝、感謝。

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│□□□ 仕事に使える純度100パーセントの原液
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 本屋に行って、ビジネス書がひしめいている棚を眺めるのは愉しい。赤・黄・緑、デハデハしい表紙に極太ゴシックの書体や、顔・キャラ・惹句など、ありとあらゆるマーケティング手法が駆使されており、非常に勉強になる。

 で、半年ぐらい経ってから、同じ棚に行ってみるとさらに愉しい。生き残っているものは壊滅状態で、目に付くものといえば、半年前に目に付いたものと同じ本だから。時間は残酷だね。

 ここでは、そんな時間の淘汰に耐えうる/耐えてきたスゴ本をご紹介。そのまま仕事にコピーできるようなヤワなやつじゃなく、咀嚼が必要。紹介した以上、わたし自身、猛精進しないとね。

■ 影響力の法則(アラン・R・コーエン) [レビュー]

影響力の法則 肩書、権威はないが、うまく周りを巻き込んだり上司を動かして、結果を出せる人がいる。いっぽう、呼び名は何であれ、その役職名に見合った影響力を発揮できない人がいる。いわゆる、「部下をちゃんと使えない上司」というやつ。両者の違いが戦略レベルで理解することができる。

 本書は、当人の肩書・権威とは別に、仕事をする上で充分な影響力を行使するための法則と方法がまとめてある。やり方を知っている人にはアタリマエというか、当然のコトばかりなんだけれど、ここまで徹底しているのは初。

 チャルディーニ「影響力の武器」という名著がある。いかにYESを言わせるかを徹底分析しており、人間が社会的証明、権威、希少性などひっかかりやすいことが、これでもかというほどあらわにしている。これは人間関係間の影響力について「開いて」書いてある本で、交渉や対話の場に応用できるテクニック本として有益だろう。

 いっぽう本書は、ビジネスの場に「閉じた」指南書で、より具体的で実践に即したものとなっている。個々の対話ではなく、より戦略的に相手に影響を与えるための方法論なのだ。「武器」が個対個を想定したナイフや銃器であるならば、本書は爆撃機やミサイルなど、より広範囲なパワーを行使する、さしずめ「影響力の兵器」といったところ。

 サブタイトルが「現代組織を生き抜くバイブル」とあるが、看板に偽りなし。

■ プロパガンダ(アンソニー・プラトカニス) [レビュー]

プロパガンダ 「だまされた」と思わせずに大衆を騙すテクニックがわんさと紹介されている。

 広告・政治宣伝のからくりを見抜くスゴ本。コマーシャルで衝動買いしたり、連呼されるワンフレーズ・ポリティクスに洗脳されることはなくなるだろう。マスメディアの欺瞞を意識している方なら自明のことばかりかもしれないが、それでも、ここまで網羅され研究し尽くされているものはない。

 もちろん、チャルディーニの「影響力の武器」と激しくカブってる。その研究成果が幾度も引用されており、暗黙のお返しを求める返報性の罠や、小さなものから大きなコミットメントを求める一貫性の自縄自縛のテクニックなんて、そのまんまだ。

 しかし、破壊力が違う。「影響力の武器」を一言であらわすならば、「相手にYesといわせる」ことを目的としているが、本書はそれに加えて「相手を説得し、積極的に賛同させる」ことがテーマなのだ。さらに、一人ふたりではなく、大衆レベルで実現しようとしている。あたかも自分自身の考えであるかのように、自発的に受け入れるように仕向けるテクニックが「プロパガンダ」なのだ。

 誉め言葉としては最悪かもしれないが、ナチスやカルトを興すノウハウが沢山ある。広告や政治家に騙されないことを目的としている本だが、それに限らず、自分の営業活動に応用したり、モテるテクニックとして悪用(?)も可能だ。

■ マネジメント(P・F・ドラッカー) [レビュー]

マネジメント1 ビジネス書というより鈍器だったドラッカーの主著が、新訳で4分冊のハンディタイプで出た。これはニュースといってもいい。

 マネジメントとは何か、生産性とは何か、企業とは、責任とは――マネジメントの原則がわかる、いわば原液のような本がこれ。

 「生産性とは何か」について、ドラッカーの答えはシンプルだ。「生産性は、貢献で測れ」という。そして、何がどう貢献したかについて、マネージャーが注意深く考え直すことで、生産性について正しく定義できると述べている。

 つまり、生産性を定義づけるものは、企業にとっての貢献であり、何を貢献と見做すかは、企業によって違うはず。ホントにコードを量産するだけで許されるような企業なら――もしあればだけど――単位あたりのコード量こそ生産性を測るモノサシとしていいだろう

 そして、「貢献」という言葉を使うとき、必ず「○○に貢献した/する」と目的語が必要だ。その目的語こそが、目標になる。そして、目標を決める際、「自社の事業は何か、将来の事業は何か、何であるべきか」という問いを元にせよという。

 この問いは、幾度も読み手に突きつけられる。既存の製品、サービス、業務プロセス、市場、最終用途、流通チャネルなどを体系的に分析し、現在も有用性を備えているだろうか? 今後も顧客に価値を届けているだろうか? 人口構成、市場、技術、経済の見通しに、適合しているだろうか?

 その答えが「ノー」なら撤退せよという。あるいはそれ以上資源を使わずにすます方法を考えろという。この問いを真剣に、体系的に追求し、その答えを受けて経営層が動く必要がある。ビジネスの現場をちょっと便利にするような薄っぺらな本ではなく、本書が使えるようにふるまいなさい、そう後押しされる本。

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│□□□ 2008年のNo.1スゴ本
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 え、選べねぇ…ジェニファー・ビールスとジェニファー・コネリーとジェニファー・アニストンから選ぶくらい難しいので、3つ挙げる。そのうち、ムリヤリつけるなら、3つめが今年のNo.1になる。

■ なぜ私だけが苦しむのか(H.S.クシュナー) [レビュー]

なぜ私だけが苦しむのか ひとサマに向かって命令口調で上から目線で、「ぜったい読め!」という本は、あまりない。なぜなら、シュミも考え方も違うあなたに、「ぜったい」なんてないのだから。

 けれども本書は例外だ。「たったいま、ぜったい読んでおけ」と言い切れる。なぜなら、あなたの人生は平凡で順風である保障はないから。トラブルも悲劇も無縁なままだとは限らないから。耐えられないほど辛いめにあったとき、心が壊れそうな気持ちにとらわれたとき、本書のことを思い出してほしい。ひょっとすると、そんなときはほぼ錯乱して書名すら覚えていないかもしれない。

 だから、いまのうちに読んでおいて欲しい。そう断言できる。本書はあなたの保険になるんだ

 心に痛みを抱きながら、日々なんとかしのいでいる人がいる。あるいは、「なぜ私がこんな酷い目に遭うのか?」と悲嘆に暮れている人がいる。突然、わが身に降りかかった災厄──病や事故、わが子や配偶者の死──から立ち直れない人がいる。そんな人にとって、伝統的な宗教はあまり役に立っていない。「神がいるというのに、なぜ、善良な人に悪いことが起きるのか?」 この問いかけに答えたのが本書。

 そんな人びとにとって、いちばん重要なのは、ただ「あなたは一人じゃない」と伝えることだという。ただ、一緒にいて、黙って聞いてあげる。苦しむ人がなんの罪もなく、何のいわれもなく不幸に見舞われていることを認めてあげる。時には、そうした不条理そのものを共に苦しみ、共に怒りを燃やすこと。そして、「あなたは孤独ではない」と伝えること――そこに至るまでの思考が、著者自身の辛い経験を交えて語られる。

 本書は、苦しいことにであったときの「処方箋」ではない。苦しいことは避けることもなくすこともできないのだから(できる程度の苦しみなら本書は不要)。本書は、苦しいことにどう応ずればよいのか、そのヒントを与えてくれる。自分の人生のなかで、ゆっくりと読んで使って欲しい。もちろん、本書が役立たないような人生なら、これほどありがたいことはないのだが…

 これを教えてもらったのはfinalventさん、ありがとうございます。「○○がいいなら△△を読め」なんて、finalventさんの十八番ですな。

■ アラビアの夜の種族(古川日出男) [レビュー]

アラビアの夜の種族1アラビアの夜の種族2アラビアの夜の種族3

 おもしろい物語を読みたいか?
 ならこれを読め!【完徹保障】だッ!

 ――と自信をもって断言できる身も心もトリコになる極上ミステリ。物語好きであればあるほど、本好きであればあるほど、ハマれる。抜群の構成力、絶妙な語り口、そして二重底、三重底の物語…このトシになって小説で徹夜するなんて、実に久しぶりだ。

 これは、陰謀と冒険と魔術と戦争と恋と情交と迷宮と血潮と邪教と食通と書痴と閉鎖空間とスタンド使いの話で、千夜一夜とハムナプトラとウィザードリィとネバーエンティングストーリーを足して2乗したぐらいの面白さ。そして、最後の、ホントに最後のページを読み終わって――――――驚け!

 それまで、検索厳禁な(amazonレビューも見てはいけない)。それから、明日の予定がない夜に読むべし、でないと目ぇ真っ赤にして、その予定をキャンセルすることになるから、もちろん続きを読むために、ね。

■ 銃・病原菌・鉄(ジャレド ダイアモンド) [レビュー]

銃・病原菌・鉄上銃・病原菌・鉄下

 「東大、京大、北大、広大の教師が新入生にオススメする100冊」の第一位。

 世界の富や権力は、なぜ現在あるような形で分配されてしまったのか? たとえば、なぜヨーロッパの人々がアフリカや南北アメリカ、オーストラリアを征服し、どうしてその逆ではないのか? この究極の問いをとことんまで追いかける。

 最初は違いがなかったはずだ。今から13,000年前、最終氷河期が終わった時点では、人類は世界各地でみな似たり寄ったりの狩猟採集生活をしていた。それが16世紀には、南アメリカ大陸のインカ帝国をユーラシア大陸からやってきたスペイン人が征服するまでになる(表紙にもあるとおり、インカ帝国の絶対君主であったアタワルパの捕獲は、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の征服を象徴している)。

 その直接の原因は、スペイン人が持ってきた「銃・病原菌・鉄」であった。銃で殺し、結核で殺し、サーベルで殺した血の歴史になる。だが、著者は地球を逆回転させる。「では、なぜ『銃・病原菌・鉄』を持てたのか? 紀元前11,000年から西暦1,500年の間で、何がおこっていたのか」を突き詰める。

 その謎解きがスゴい。単に仮説を積み重ねてストーリーをつむぎだす「物語作家」ではなく、科学者が見た人類史であるところがミソなんだ。必ず客観的データによって検証を行っている。仮説を裏付けるエビデンスのひとつひとつは、炭素年代測定法やDNA解析を用いた科学的手法に裏付けられており、強い説得力を持っている。

 数千~数万年単位の歴史を、猛スピードでさかのぼり、駆け下りる。大陸塊を横長・縦長で比較しようとする巨大視線を持つ一方で、たった16キロの海峡に経だれられた文化の断絶ポイントを示す。時間のスケールを自在にあやつり、Google Earth をグルグルまわす酩酊感と一緒。

 地球酔いしそうな人類史から明かされる「富の偏在」の謎――それは、驚くとともに納得できるだけの理由をもっている。

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│□□□ おわりに
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 昔の「この本がスゴい!」をならべてみるとわかる。みてくれ、昔のリストは質量とも貧弱だったのが、あなたのおかげでこんなに充実するようになった。

  この本がスゴい!2007
  この本がスゴい!2006
  この本がスゴい!2005
  この本がスゴい!2004

 もちろん請われるがままに諾々と読んできたわけではなく、自分好みの取捨選択と偏りがあったことはいうまでもない。けれども、自分がつくった壁の内側で深堀をつづけ、自分の世界の王様気分に耽るよりは、その壁を破り・超え・無効化できた。

 それは、わたしが知らないスゴい本を教えてくれた、あなたのおかげ。偏り上等!煽り上等!ただし、重心をどんどんうつしていこう。来年も、あなたを探して、信じて、あおられて、スゴい本を見つけていくよ。

 なぜなら、わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるのだから。

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