« 2008年9月14日 - 2008年9月20日 | トップページ | 2008年9月28日 - 2008年10月4日 »

早い・安い・うまい「中国臓器市場」

中国臓器市場 中国の臓器移植をヒトコトで言うと、「早い・安い・うまい」だそうな。

 まず、早さ。肝臓や腎臓移植であれば、早くて1週間、遅くとも1ヶ月以内、心臓や肺移植でも1ヶ月以内にドナーが決まる。主要都市まで飛行機で数時間、ドナーが出れば、その場で飛べる。

 次に、安さ。腎臓移植を日本人が米国で受けると、1,600-2,000万円だが、中国なら600-750万円。肝臓移植の場合、米国7,000万-1億円に比べ、中国なら1,300-1,800万円でいける。渡航費や滞在費も考慮すると、圧倒的に安い。

 そして、うまさ。腎臓移植の場合中国国内で年間5000例以上、米国に次ぐ世界第2位の移植大国。移植医療は数をこなしてなんぼの世界、一大市場を築く中国は、物量共に他を圧倒している。

 この移植先進国を支えているのは、毎年1万人執行される死刑囚だという。交通事故などによる「不慮の死」によって突発的にドナーがもたらされる某国とは、かなり違う。実際、中国のドナーの9割が死刑囚で、そのメリットは大きい。

  • 若くて健康な臓器が用意できる
  • 事前検査を行うため、肝炎やエイズウィルスなどの感染を防止できる
  • 死刑執行の日時や場所が事前にわかるため、摘出直後の移植が可能
  • 死刑は毎年大量に執行されるため、ドナーが途切れることがない
 「死刑囚ドナー」という仕組みそのものが大量供給を可能としており、その結果、新鮮な臓器を必要なタイミング(ジャスト・イン・タイム)で供することができる。死刑囚の家族には当局から謝礼が渡され、病院は良い外貨稼ぎになり、(カネ持っている)患者は待たずに移植が受けられる。――と書いたら言いすぎだろうか。

 いいことばかりじゃない。年間1万人の臓器という「資源」では到底足りないのが実情らしい。中国国内では年間150万人が移植手術を必要としているが、実際に受けられるのは、およそ1万人にすぎない。ドナーは慢性的に不足しているが、それはそれ、カネとコネがモノをいう世界。

 利益を追求する病院と、その甘い汁を吸おうとする幹部の癒着っぷりがさらされる。ホンネとタテマエを上手に使い分ける斡旋人たちの活躍(の一端)が描かれる。そして、いつものパターンだが、全ての後回しにされ、虐げられる民衆の声が拾われている。どのページを開いてもわかる――世の中カネだと。

 日本人も例外ではない。2004年の天津の事例はシャレにならない。ある日本人女性患者が臓器移植手術を受け、歩けるまでに回復したが、手術費用が当初の400万円から1,500万円に膨れ上がり、払えなくなった。日本の在外公館に相談したが金の問題はいかんともしがたく、結局病院は治療をストップし、女性は死亡したという。まさに、カネの切れ目が命の切れ目というお話。

 つまり、大陸の非情に「現実的」な考え方が、臓器移植というテーマでクローズアップされているといってもいい。現実に移植を求める患者がいて、(たとえ歪であっても)供給できるシステムがある以上、両者を結びつけるのは市場のルールなのだろうね。

 そして、中国での移植サポートをしている日本人は、こう問いかける――「アメリカで移植を受けると美談、フィリピンで移植すると臓器売買だと罵られる。そして、中国だと倫理問題はどうなのだと問い詰められるのはなぜか?」――わたしには答えることができない。さらに、この日本人ブローカーは、本書の冒頭でこう述べている。

もし、愛するわが子が余命宣告を受け、残り数ヶ月の命と診断され、そこに子どもを救うことができるドナー(臓器提供者)がいたならば、あなたは倫理問題を持ち出すことができるでしょうか
 わたしは、何も言うことができない。梁石日の「闇の子供たち」なら小説の虚構を味わうゆとりがあるが、本書の現実はその斜め上にある。

 中国の死刑執行は、記念行事の直前に大量に行われる。

 そして来週10月1日は、国慶節だ。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

フィクションとノンフィクションがせめぎあう「戦争の悲しみ」

戦争の悲しみ ヴェトナム戦争を、ハリウッド映画で知ったつもりの頭に、ガツンと一撃。

 オリバー・ストーンやコッポラ、キューブリックだけじゃない。カチアートを追跡してその狂気に交ざり、おとなしいアメリカ人のダブスタに戸惑い、輝ける闇を覗き込んで震えた――が、これらはレイプする側か、現場を視姦する立場から描いたヴェトナム戦争。

 反面これは、蹂躙される側から描いた抗米戦争。投下される爆弾と流れる血の量はハンパじゃないので気をつけて。空爆と空襲の違いは、片方が一方的に圧倒的なところにある。あんまりな描写にフィクションとして扱いたくなる。キャタピラにこびりついた人肉が腐りきって辟易し、河に入って戦車を洗車するくだりは見た人にしか書けない。

「…中でハンドルを握ってると、その感じがピンと来る。地面の小高くなっているとことか、木の切り株とか、倒れた煉瓦塀とかに乗り上げるのと全然違うぜ。あっ、こいつ間違いなく人間だ、人間を轢いたんだと確かにわかるんだ。水で満杯の袋みたいに、音を立てて体が破裂する。その、はじけるときに、キャタピラーを軽く押し上げるんだよ、ほんと!」
 戦争の狂気はこの物語の時間軸を侵している。つまり、順番がバラバラなんだ。フラッシュバックのように蘇る過去を後悔する形式かと思えば、一人称「俺」でありたけの感情を吐き出したあと、突き放したように「そういう物語を書く男の話」にする。

 どのエピソードもプロローグにふさわしいし、どの挿話もエピローグにふさわしい。時間軸上を自在に行き来する叙述に、ひょっとすると、読み手はジョーゼフ・ヘラーを思い出すかもしれない。

 しかし、「キャッチ=22」よりも異様なのは、同じ出来事が繰り返されるところ。塗り重ねられる油絵のように、微妙に異なるタッチで描きなおしたりしている。それは、この物語を書いている人物に流れている時間が、過去を再評価しているから。かつて否定した出来事を肯定的に受け止めようとしたり、失敗したりしているから。

 脈絡のなさのおかげで、歴戦のヴェトコンの勇士が別のページでは幽霊におびえたりするし、純潔の処女への思い出が綴られた矢先、思う存分に踏みにじるシーンが炸裂したり(そう、これは破壊されたラブ・ストーリーでもある)。

 情感たっぷりに愛を語ったり、スペクタクルな戦場シーンを織り交ぜたり忙しい。最大の賛辞のつもりなのだが、どうしても罵倒に聞こえる誉め言葉を使ってもいいなら、「まことにハリウッド的な物語を刻んでみた」になる。

 フィクションの嘘くささを消臭するために、ある仕掛けを施しているが、開高健の「ベトナム戦記」と「輝ける闇」を思い出す。前者はルポルタージュ形式の小説、後者は小説形式のルポルタージュに読める。本書は両者を混ぜたといっていい。

 戦争の狂気を伝えるためには、ふつうのやり方では無理があるんだろうね。

| | コメント (3) | トラックバック (2)

補整しながら読む残雪の「暗夜」

暗夜 中国の不条理小説。痛勤電車で両手バンザイさせて読んだわたしもシュールだw

 おもしろい…けど、いつものように素直にオススメできない。というのも、「ワケ分からん」小説でもあるから。編者の池澤氏は「カフカをおもわせる」と評するが、カフカ的とはちょっと違うような…(著者がカフカ本を書いていることに引きずられているぜダンナ)。

 おそらく池澤氏は、「虫」や「城」や「掟」を念頭に置いているんだろう。しかし、あれはちゃんと目指すものがあるぞ。不条理な世界を突きつけることで、現実へ"揺さぶり"をかけることが目的なの。だから、「その世界」でのつじつまはちゃんと合っている。試みに、「虫」や「城」や「掟」を別名で置換してみるがいい。たとえば、「病」や「官僚機構」、あるいは「良識(≒KY)」の隠喩にすると腑に落ちる。

 これが、残雪の小説だとまるで違う。物語がものがたりの体をなしていない。どの短編でも主人公は要領を得ず、うろうろした挙句、きまって途方にくれる。まわりは不安と敵意に満ちており、理由のない悪意に翻弄される。

 まるで、大事なことが抜け落ちている夢を強制的に見させられているようだ。メッセージ性なんて一切ない。そもそも何を伝えたいのか、まるで見当もつかない。阿Qの不安定感と、内田百ケンの暗がり、安部公房の超常識、最近ならペレーヴィンとかブッツァーティをホーフツとさせられる。

 遠近法や物理法則を無視した描写に対し、一切説明するつもりはないようだ。ではファンタジーにしちゃえ、とギアを切り替えられない。日常に徹底しており、この世界を出たりヨソの世界から持ってくるつもりはなさそうだから。

 こういうズレを含む小説を読むとき、わたしは無意識に「補整」をやってしまう。自分で読んでいるものを、自分ら説明・予測してしまう。環境を捉える感覚は穴だらけなので、色や形や方向を補いながら認識するのと一緒。横断歩道を渡るとき、全てのクルマを観察することはしない。ヒューリスティックに判断しているにすぎない。

 同様に、あまりに理不尽な跳躍を見つけたり、説明の大穴があったりすると、読み手(わたし)がそこを埋めようとするのだ。すなわち、作者の背景を考えて理由付けをしてあげたり、書かなかった意味を見出したりする。

 もちろんわれらが池澤氏は、そんなタネ明かしをしてくれる。大丈夫、これくらいバレたって、彼女の小説はちっとも瑕疵にならないから。

文化大革命が残雪の文学を解くキーワードの一つであることは間違いない。この暴力的な不条理の時期は彼女の13歳から23歳に当たった。その前には大躍進政策の失敗による全国的な飢餓があった。
 文革についてわたしは、ほとんど無知に等しい。歴史の教科書からとりこぼされ、新聞が伝えるプロパガンダは信用できず、知識人が恥ずかしそうに語る話でしか知らない。だから、巨大な力が働いた跡を小説上から想像するしかない。彼女が確信をもってつむぎだす超現実を、主人公と一緒にさまようしかない。

 読み人を選ぶ小編ばかりだが、「痕」の、あの理由のなさが好きだ。「暗夜」のどこへ連れて行かれるかワケ分からなさが好きだ。長編「突囲表演」が傑作らしいので読む。


| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2008年9月14日 - 2008年9月20日 | トップページ | 2008年9月28日 - 2008年10月4日 »