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死を忘れないための3冊+

 いずれ死ぬときを思い浮かべて、いまを生きる。これがむずかしい。

 「死を忘れるな」と思い刻んだつもりでも、毎日に追われていると、この日が尽きることを忘れる。本は買っただけで満足し、欲しいモノを追い求め、毎日あくせくしている割には充実からは遠い。いつか来る「死」からは目を背ける――わたしのことだ。

 "Memento mori" は、「死を忘れるなかれ」と訳されるが、LifeHack的に言い代えるなら、「未来の死を思い起こす仕組みをつくり、定期的にくりかえせ」だね。そんな場合に効いてくる本と映画をご紹介。余命を自覚した人からのメッセージは、文字通り最後のレッスンとなる。定期的にこのレッスンを受けることで、自分の死を、翻っては生を意識することができる。

  1時限目 「最後の授業 ぼくの命があるうちに」
  2時限目 「モリー先生との火曜日」
  3時限目 「冷蔵庫のうえの人生」
  課外授業 「死ぬまでにしたい10のこと」

 この授業の効果は、自分が死ぬ日を想像し、そこから遡って今があると思えるところ。上手く頭をはたらかせると、こんな風に自分をだませる。

    わたしの人生はもう終わろうとしていた。
    命が尽きる瞬間、天使か悪魔があらわれて、こう告げる。
    「まだ生きたいのか? ならばちょっと戻してやろう」
    そして、時間を巻き戻してもらう。どれくらい? さあ?
    猶予をもらった代償として、そこまでの記憶は失われる。
    薄れゆく意識の中で、天使か悪魔の、この言葉だけが残る。
    「やりなおすんだ、今を」

――で、気づいたら今だった。さぁ、死ぬまでにしたいリストをアップデートしよう。家族や友人と笑おう。うまいメシを食おう。濃いセックスに励もう。たっぷり眠ってガンガン仕事・勉強しよう――という能動夢(自力で見る夢)。これらの本(と映画)は、そんな想像を働かせるのに役立つ。

最後の授業■ 1時限目 「最後の授業 ぼくの命があるうちに」

 2007年9月18日にカーネギーメロン大学で行われた講義を本にしたもの。なぜ「最後の授業」なのかというと、講演したランディ・パウシュ教授は不治の病に侵されていたから。すい臓ガン。46歳。あと3カ月から半年。

 この講義はYoutubeでも視聴できるのだが、目を惹くのは超がつくほどポジティブなところ。この運命を呪ったこともあるだろうし、夫婦で泣き明かした夜もあっただろう。それでも、前向きに時間を使っていこうという姿勢が文章にも動画にも表れている。ラインホルト・ニーバーだっけ?

   神よ――
   変えられないものを受け入れる冷静さと、
   変えられるものを変えていく勇気と、
   この二つを見分ける叡智を、どうかお与えください

 この祈りの文句は目にするけれど、実践しているのはパウシュ教授だ。変えられない体を受け入れ、自分は何者であるかを鑑み、残り時間を考えながら、するべきことをした。夢を語り、それをどのようにかなえていったかを、ユーモアたっぷりに紹介する。そして、これから夢をかなえようとしている読者・聴衆へ、人生をどう生きるかをアドバイスする。

 面白かったのは「頭のフェイント(head fake)」というやつ。「学んでいる途中は理解できないが、後になって分かることを教えること」だそうな。この授業そのものが頭のフェイントであることを伝えたかったのだろう。

 だから、病気のことが講義で触れられなかった理由を考えたり、本書の前日談・後日談で補ったりすることで、視聴者・読者は気づくはずだ。これは、本とYoutubeによる「遺書」なのだろう(訳者あとがきでは否定されているが)。少なくとも、生者への、特に家族へのラスト・メッセージであることにはまちがいない。映画「マイ・ライフ」のようなプライベートなものではない。その映像が沢山の人びとに見られることを知った上で、教壇に立ったのだから。彼の「頭のフェイント」は本とYoutube動画の両方で完成する。

 本書を読んで心に刻んだこと――子どもを撮るときは、わたしも一緒に写りこまないと(自分撮りというやつ)。普通とーちゃんはカメラマン役なので、写っているものは子どもと嫁さんだけ。明日トラックにはねられたら、残る映像のほとんどに、わたしはいない。もし治らない病気になったら、「闘病するとーちゃん and 子ども」という映像になる(顔は笑っているだろうがな)。だから、いま、幸せだと感じられる顔で、子どもと一緒に写りこんでやれ、と強く刻んでおく。

 余談だが、「頭のフェイント」について。映画「ベスト・キッド」(The Karate Kid)を思い出して独りニンマリした。入門者の少年に空手の達人は、まずペンキ塗りをやらせる。刷毛の動きが手刀の練習になっていたというオチなんだが… 古いな(1984公開)。

 本書はマインドマップ的読書感想文の smooth さんからのオススメ。おかげで素晴らしい本に出合えました、ありがとうございます。

モリー先生との火曜日■ 2時限目 「モリー先生との火曜日」

 泣いた。DVDも号泣するだろう。

――16年ぶりに再会したモリー先生は、ALSに侵されていた。ALSは、筋萎縮性側索硬化症といい、だんだん体の自由が利かなくなる不治の病。ただし、精神は目覚めたままで、ぐにゃぐにゃになる肉体の中に閉じ込められる。

 そんなモリー先生は幸せそうに見える。動かなくなった体で人とふれあうことを楽しんでいる。「憐れむより、君が抱えている問題を話してくれないか」と、火曜日をあけてくれた。先生は死を人生最後のプロジェクトに据え、死の床で毎週授業が行われる。テーマは「人生の意味」について。

  1. 自分をあわれむこと
  2. 後悔について
  3. 死について
  4. 家族について
  5. 感情について
  6. 老いの恐怖について
  7. 金について
  8. 愛について
  9. 結婚について
  10. 許しについて
 面白いのは、生徒役となる著者の心境が変わっていくところ。売れっ子ライターで仕事の鬼で、拝金主義・物質主義だったのが、だんだんと別人になっていく。この変化が非常に上手く表現されている。

 そもそも、16年ぶりに恩師と会おうとしたのも、ライターとしての下心が混じっている。最初は「インタビュー」するつもりだったのが、人生の授業となり、逆に相談を持ちかけるようになる。はじめは、O・J・シンプソン事件をはじめとするワイドショーネタが背景に挿入されるが、回を追うごとに鳴りを潜めていく。そんなゴシップに振り回される自分に気づいたことを、「書かない」ことであらわしている。

 最近のわたしにシンクロしているのが、「欲しいものと必要なもの」の話。食料は必要なものだが、チョコレートサンデーは欲しいもの。ああ、よく子どもとこの話をするよ。ポケモンカードは欲しいものだが、図書カードは必要なもの。そう考えると、わたしの携帯電話は必需品かもしれないが、iPhoneは欲しいものになるね。

 先生曰く、「この国には欲しいものと必要なものが、ごっちゃになってしまっている」。人々が新しいものをがつがつと買いたがるのは、「愛に飢えているから」だと。そして、欲しいものから本当の満足は得られないと断言する。ほんとうに満足を与えてくれるもの、それは「自分が人にあげられるものを提供すること」だという。銭金ではなく、自分の時間やちょっとした心づかい、気くばり──を提供し、愛を外へ出すことで、本当の満足を得ることができるのだと。

 もちろんわたしの命も制限時間があるのだが、自覚的に「使っている」感覚はない。余命○ヶ月になると、自分を欺いているのが分かるのだろうか? それとも、それすら目を背け、モノにまみれて死んでいくのだろうか?

 もう一つ、ありがたかったのは、「許さなければいけないのは、人のことだけじゃない。自分もだ」というメッセージ。死に瀕するとき、やらなかったこと全てについて、やるべきなのにやらなかったこと全てについて、わたしは、強烈に痛切に後悔するだろう。どうしてこんな体になるまでやらなかったのかと。嫁・子どもの将来、残された仕事、読んでない本、行ってない場所、やりたかったこと──Todoリストにはできあがってもいないのに!ってね。

 余命○ヶ月か、数秒かは分からないが、そのことをいつまでもくよくよ悔やんでも始まらないという。そんな状態になったら、後悔しても何にもならない。「もっと○○すればよかった」と思うことは、自分を痛めつけることになる。そんなことをしても無駄だ。仲直りするんだ、自分と。それから周囲の人すべてと仲直りする──それが、残された時間を意味のあるものにする。

自分を許せ、人を許せ。待ってはいられないよ。誰もが私みたいに時間があるわけじゃない。私みたいにしあわせなわけじゃない

 この本はやまざきの「あせらず、くさらず、一歩づつ」のやまざきさんからオススメいただきました。素晴らしい本を教えていただき、ありがとうございます。わたしの余命が確定したとき、本を読む時間が残されているのなら、もう一度手にしたいです。

冷蔵庫のうえの人生■ 3時限目 「冷蔵庫のうえの人生」

 自分の死が確定したとき、どう感じるだろう? そして、どう行動するだろう?

 いまのままの日常を守ろうとするか、重荷にならないように明るく強気に振舞うか。死は、自分をつかまえにくるものだが、周りの──特に家族の上には、降りかかってくるものだということが分かる。

 本書がスゴいのは、全編「メモ」でつづられていること。変わった形式の小説なら、日記小説や書簡小説、最近ならケータイ小説が挙げられるが、「メモ小説」というのが珍しい。冷蔵庫の上に貼り付けられた、母と娘のやりとりを記すメモ。

 このメモのおかげで、断片化された日常から母娘の感情を豊かに想像することができる。ボーイフレンドのことでささいな諍いをする毎日が、母の病で一変する。

 話そうか、話すまいか、母の葛藤がつたわってくる。たかが冷蔵庫のメモなのに、自分の病気のことを娘に伝えるのに躊躇する姿が見える。すれ違いがちの、めまぐるしい日常、それがあまりにも愛しく、最後まで黙ってたほうがいいんじゃないのか、という思いが透ける。エゴなのか優しさなのか、それは読み手にゆだねられている。

 すれ違っていたふたりが、しっかりと結び付けられる。冷蔵庫の上で、ふたりの気持ちがつながっている。

あんなに長い間放っておかないで、すぐに病院で診てもらっていたらこんなことにはならなかった。最初の小さなしこりを見つけたときすぐに診察を受けていたら、こんなひどいことにはならなかったかもしれない。

もっと自分の体に責任を持てばよかった。

いい母親だったら、きっとそうしていたでしょう。


 自分を責める母は、医者でもある。娘の返事は、こらえることができなかった。独りで読んでてよかった。

「いい母親」なんかほしくない

わたしはお母さんの子でよかった


 かけがえのない時間が「日常」という名のもとに過ぎ去ってしまったことに気づいたとき、どう感じるか。残された時間を精いっぱい生き抜こうと、何をするのか、冷蔵庫のメモを通じてわたしも一緒に考える。「やりたかったことリスト」を見ると、「やりたいリストは、いま、ここで、書く!」と強く思う。30分で読めて一生残る気持ちを植え付けられる。

死ぬまでにしたい10のこと■ 課外授業 「死ぬまでにしたい10のこと」

 課外授業は映画で行こう。「死期を覚ることで、生きる意味を見出す」ことがテーマ。

 このテーマは山ほどあるのだが、マイケル・キートン主演「マイ・ライフ」や、黒澤明監督「生きる」あたりが有名どころかと。ただし、前者は涙腺破壊モノで、特に父親やってる人はタオル必須だし、後者はクロサワ視線が強すぎて気楽に観れない。

 そんな中で、わたしは「死ぬまでにしたい10のこと」を推す。ストーリーはこんな感じ――カナダ、バンクーバー。娘2人と失業中の夫と暮らすアンは、23歳という若さで、がんで余命2か月と宣告される。彼女は、この事実を誰にも告げないと決めて、「死ぬまでにしたい10のこと」をノートに書き出す。そして、一つずつ実行していく。

   THINGS TO DO BEFORE I DIE

   1. Tell my daughters I love them several times a day.
   2. Find Don a new wife who the girls like.
   3. Record birthday messages for the girls every year until they're 18.
   4. Go to whale bay Beach together and have a big picnic.
   5. Smoke and drink as much as I want.
   6. Say what I'm thinking.
   7. Make love with other men to see what it is like.
   8. Make someone Fall in love with me.
   9. Go and see Dad in Jail.
   10 .Get some else nails.
   (and do something with my hair)

 何回観ても泣けるのが、リストNo.3(娘が18歳になるまでの毎年分のバースディメッセージを記録する)なんだ。貧乏だからビデオカメラがないのよ。だから、カセットテープに「声」を吹き込んで、タイムカプセルに封印するかのような遺しかたをするのよ。そして、原題が"My Life without me"であることを思い出して、彼女がやってきている全てがそこに向かっていることに気づいて、もう一度泣く。

 ホントは、「泣ける」とか「感動」なんて要らないんよ。感動するためではなく、死を目前にした彼女の行動を通じて、自分の死を思い起こすために観るんだ。初見はもちろん泣いたが、二回目、三回目のときには、淡々と「自分の死」に置き換えることができた。

 というのも、映画に上手い仕掛けが施してある。ナレーションで彼女が自分自身を指して、「あなた」(you)と呼ぶんだけど、観ている当人に向けられた"you"と聞こえるんだ。まるでわたしに呼びかけているようで、わたしの余命が、あとわずかな気がしてくる。

 この仕掛けのおかげで、見る度に自分の「死ぬまでのTODOリスト」を更新したくなる。「自分の死を思い起こす仕組みをつくり、定期的にくりかえす」――映画や本は、そのための良いツールだと思う。

 あるいは、箴言のような短い言葉で確認することもできる。ガンジーとジョブズはいいことを言っているぞ。

Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.
Mahatma Gandhi

If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
Steve Jobs
 前者は、「明日死ぬつもりで生きなさい、永遠に生きるつもりで学びなさい」、後者は、「もし、今日が人生最後の日だとしたら、それでも予定通りの一日を過ごすのか?」と訳されているが、ジョブズの続きがイカしている。
And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.
 「ずっと『ノー』ばかりの毎日なら、変える潮時だと分かるんだ」ってね。死を自覚的に取り込んで、日々を自覚的に過ごす、あるいは変える。その日のまえに、その日のために生きていくんだ。

 人生が有限であることを、忘れないように。

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この写真がすごい2008

この写真がすごい2008 これはスゴい。写真のちからというものを、あらためて思い知らされる。

 どんな「ちから」かというと、わたしの発想を引っ張りだすチカラだ。ふつうでない角度からアイディアをひき出すちから、意図しない深さまで考え込ませるちからだ。

 例えばこうだ。文の意味というものは、文脈にのっとってたちあらわれる。だから、文脈から切り離された文は、意図しない威力を発揮する。その前後はどんな内容なのかを想像したり、なぜこんな文を切り取ったのかと不審がったり。tumblr を漂う文は、それ自体で輝きを持つ。

 写真も同様。エロや猫写真はともかく、tumblr を漂う画像は、ひとクセもふたクセもある。キャプションやURLから切り離されて、それ自体でわたしの価値観を試しにくる。何が写っているかによって、どういう意図でシャッターが押されたのかを想像するのだ。説明なしで写真に相対するとき、いつもより考えている。

 そこには、写っているものだけでなく、写した奴の「意図」を汲み取ろうという努力が、余計にかかる。どうやったらこんなシーンが撮れるのだろうかと考え込んだり、どういうつもりでシャッターを押したんだろうかと思い悩んだり。あるいは、写っている奴と写した奴の意図のズレ(こんなん撮るなよ vs. シャッターチャンス!)を想像するのも愉快だ。

 その結果、説明文つきの写真よりも、違う頭の使い方をしていることに気づく。バックグラウンドなしでつきつけられる写真が喚起する発想が、撮影者の意図を突き抜けることもある。

 本書は、プロ、アマチュア、媒体に関係なく、編者の大竹昭子氏が「すごい」と感じた写真が並んでいる。それぞれの写真に、彼女のコメントが付与されているだけで、一見しただけでは誰がどんな意図で撮ったのか全くわからない(撮影情報は巻末にまとめてある)。

 どんな写真か分からないって? 写真を文章で表現しても、わたしの拙さが目立つだけだから、編者のコメントを一つ引用してみよう。

木炭のスケッチ画のようだが、数千人の肖像写真を重ね焼きしたものである。驚くのは、ヘアスタイルや胴体はボケているのに、顔だけはくっきりと浮き上がっていることだ。ふつう顔は個の象徴とみなされるが、サイズはほぼ一定で、眼や鼻や口の位置もとびぬけて個性的という人はいなくて、だいたい同じ位置に収まるものなのだ。「だれでもない」と「だれでもある」の境をさまよっているような顔。人の中には、他人とちがっていたいという願望と、同じでありたいという気持ちが点滅しているのではないか、とそんなことを思わせる。

 どうだ、この「顔」を見てみたいと思わないか? 男でもない、女でもない、中性的ともいい難い、奇妙で懐かしい「顔」がそこにある。安心と違和感がない交ぜになった、不思議な気持ちを呼び起こす。

 もちろん、撮影者の意図が即座にわかるものもある。撮影者やそれを選んだ編者の悪戯ゴコロに、こっちもニマリとした写真もある。あるいは、撮った人も思いもよらなかった結果が写ってしまった怪作もある。

 しかし、ほとんどのものは、言葉に出せない違和感を突きつける。どこかで見た光景に潜む不協和音が、編者のコメントで浮かび上がる仕掛けになっており、まことに気持ちが悪い(かつ、何度も見入って/魅入ってしまう)。

 だから、これはわたしにとって、「すごい」というよりも、思わず知らず「魅入ってしまう」ような写真集やね。撮影現場、撮った意図、そもそもこいつを選んだ理由をあれこれ想像する。魅入っているうちに、いつもと違った方向・深度から、意識しなかった気づきが得られる。写っているものとは全然ちがうことを考え始めているわたしがいる。

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頭のよい子が育つ本棚

頭のよい子が育つ本棚 タイトルに釣られた。前著「頭のよい子が育つ家」といい、じょうずですな。

 ここではエッセンスをまとめておこう。「あたりまえ」と感じるなら読む必要なし、ピンときたなら手にしてみるといいかも。あるいは、学校の司書さんにとってお役立ちになる本だね。

  1. できる子は、子ども部屋で勉強しない
  2. できる子の両親は、本を読んでいる(姿を子どもに見せている)
  3. できる子の家の本棚は、家のあちこちにあって、家族で共有している
 そもそも「できる子」って何だよ? ツッコミ入れたくなるが、著者はシンプルに「有名私立中学合格家庭」と定義し、モロモロの面倒になりそうな要素をバッサリ斬って捨てている。ある意味、潔い。で、その家にあがりこんで、いろいろと調査したそうな(その数200世帯!)。

 そこで得られた「共通点」がこの3つ。

■1 できる子は、子ども部屋で勉強しない

 子ども部屋がないのかというと、そうではない。ではどこで勉強するかというと、リビングでありキッチンだそうな。そこへ勉強道具を持ち出しては、親の前で勉強するという。

 てっきりつきっきりで面倒みている親の姿が浮かびそうだが、違う。親は洗い物をしたり、新聞を読んだりしている。その傍らで安心して勉強するのだそうな。なぜって? そりゃ「○○ってどういうこと?」とか「ここが分からないんだけど?」などと聞けるから。

 親は面倒くさがらずに答えてあげるのがポイント。「忙しいから後にして」は禁句で、「一緒になって調べる」が正解だという。やっべ、メトロイドプライムのボス戦で「いまとーちゃんがどんだけ大変か分かるだろ!後にしろ!」と邪険にしたことがあったぞwww

■2 できる子の両親は、本を読んでいる

 おっ、これは大丈夫。わたしも嫁も本好きだから。

 本を読む親の後姿をマネして育つのが、「本を読む子」だと言われるが、これホント。暇さえあれば本を読んでいる子になった。ポケモンのモンスター図鑑を熟読している姿を見てると正直心配だが、まぁいいか。

 物語の読み聞かせばかりしてきたせいか、手にするのも「デルトラクエスト」とか「かいけつゾロリ」といったストーリー色の濃いものばかり。仕掛けだとか仕組みにも強くなって欲しいよな、などと親の欲目から「21世紀こども百科 大図解」を与えてみたら大正解。面白いほどハマっている。

■3 できる子の家の本棚は、家のあちこちにあって、家族で共有している

 いわゆる「バーンとした本棚」に整然と百科事典や全集本が並んでいるようなものではなく、キッチンカウンターやトイレなど、あっちこっちに「本のコーナー」があるのが「できる子」の家庭だそうな。眉ツバー(豆しばのkeyで)。

 本棚は親子共有で使っているが、並んでいるのは親の見栄2割増しの本。子が読む本なら、「給食番長」とか「若おかみは小学生!」あたりが良かった。まだ子の本を親が読む段階で、その逆は選ばせてくれ。「よつばと!」あたりがオススメだな。間違っても「少女マテリアル」とか「城の中のイギリス人」なんて、絶対読ませたくないしwww

 このテの話を聞いていると、ある調査報告「ガンと食生活の関連」を思い出す。

 それは、「毎朝みそ汁を飲む人は、ガンにかかりにくい」だそうな。みのもんたもびっくり!みそ汁に抗癌効果があったなんて――と早とちりするなかれ。みそ汁がミソなのではなく、毎朝みそ汁を飲むような規則正しい食生活を送っていることが健康的だととらえるべし。だから、この話を聞いて味噌買いに走ったら、滑稽話のいっちょうあがり。

 「頭のよい子が育つ○○」も同じ小噺かと。一喜一憂するわたしも、もちろん同じムジナ。わたしの場合、「できる子」の定義からして違うが、まぁいいか。ガッコの勉強は適当でいいから、料理と英語は「できる子」になって欲しいなぁ… …えッ ということは、とーちゃんが料理と英語マスターになれと!?

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