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恋愛なんかやめておけ

Rennainannka ほてった乙女心に冷水ぶっかける一冊(このエントリは女の子向け)。

 特に、「恋愛しなきゃ」と思ってる女子は保険のつもりで読んでおくといい。「好き・ときめきと・キス」で終わるのは、さすがの猿飛だけ。現実は「その先」があり、その先こそ楽しく、やっかいなんだ。インスタントな恋愛は冷めるのも早い。

 人のプラスのパワーのうち、最も強いものは、誰かを好きになること。くだらなかった毎日がイキイキとなる。あの人を思うだけで胸がギュっと熱くなる。自分のことを分かってくれる、美しく優しい人を初めて見つけたんだとボっとしてくる。

 ホントは生物的な反応で、アドレナリンが湧いてるだけ。あるいは、「優しい」だの「分かってくれる」だの、自分でそう思ってるだけ。恋が盲目にしてるだけ。自分好みの相手を作り上げる「創作の喜び」に浸っているだけ――と、容赦なし。

 学校はあてにならない。学校でやっている「オシベとメシベ」、あんなのは性教育ではなく性器教育にすぎないと断ずる。どんなに純なものであっても生物的欲求(性欲とは言わん)を発火点にして恋愛が始まっているんだ、という。

 そして、精神的恋愛ってのは結局は夢なんだって。純真で本気の恋愛は、みんな夢。本気で恋愛をやっている人は怒るだろうけど、醒めたら分かる。夢というのは、みてるときはほんとだと思ってるもの。本人は疑わないが、現実の世界ではなくフィクションなんだ、と酸っぱい口調で繰り返す。

 さらに、江戸時代から現代に至るまでの風俗・文芸をひも解いて、いかに「恋愛」が男にとって都合のいい仕掛けであるかをコンコンと説く。自由意志で恋愛をやっている、いわゆる自由恋愛だとうそぶくのは勝手だが、女にとっては不公平だと主張する。また、フリーセックスの行き着く先は(どんなに気をつけても)望まない妊娠であり、出産であると真顔で諭す。

 つまり、女性にとって自由恋愛・フリーセックスは、「自由」かもしれないが「平等」ではなく、しかも代償が大きいぞ、と強く警告している。いまどき珍しいぞ、この爺ちゃん、と思ったあなたは正解。本書は1970年、およそ40年前に書かれたもので、当時から口やかましく言われていたんだなーと伺える。

 しかしながら、時代にそぐわない部分もある。

 「フリーセックスの増えた理由は、計算できないオンナが増えたということだ」と、自由恋愛という流行に股を開く女を嘆くが、イマドキの女はもっとしたたかになっている。レクリエーションのように楽しむ人もいれば、結婚の予約のつもりの人もいる。さらには、古式ゆかしき恋愛感覚を大事にしている人も。

 そもそもカラダとキモチを切り離して考えるのがおかしいという意見もある。遊屋通いが粋だなんて、分別が徹底してたのは昔話。なんというか、「一線を越える」が死語になりつつあるよなー、と思っていたら先週の「しゅごキャラ」でモロにwww(今日こそお兄ちゃんと一線越えるんだからーっ)

 おっと脱線。

 フリーセックスがスローガンのように唱えられ、否か応しか選べなかった時代とは異なり、今はもっと多様な――ハヤリ言葉を使うならダイバーシティ・ラヴとでも言おうか――恋愛があるんじゃぁないかと。それこそ純度100%ピュアからどろり濃厚ゲルルンなやつまで、何でもござれが「いま」。で、その選択肢の多さに戸惑い、どうしていいか立ちすくんじゃってる人が少なからずいると思う。

 イマドキの若者は「ドラマのような恋愛」なんて嘘っぱちだと見抜いている。ハチクロはマンガだから楽しめるのであって、あれを実行しようとする子はそれなりの外聞リスク(痛い子)を承知の上だろう。「東京ラブストーリー」はよくできた神話のバズ・ワードとして使われるにすぎない。ファンタジーしてもよし、打算と情熱のギリギリのところで妥協(というのか?)してもよし、何でもアリなんだ。

 ひょっとすると100人100色かもしれないなかで、きりりと一色を貫いている本書は、スケーラーとして役に立つ。極端かもしれないが、基準値(≠標準)として見なすんだ。一読して合わなけりゃ、100でも200でもゲタをはかせればよろしい。ふらふら揺れ動く恋愛感覚を、本書にぶつけて出てきたもの(=あなたが感じたもの)が、おそらく本当の気持ちなんだろう。

 さて、女の子向けと断ったにもかかわらず、律儀にここまで読んだ悪い男の子のために、本書で学べる女子攻略法をご紹介(ここから男の子向け)。

 この本は、説教臭いジジイの真剣な忠告として読めるいっぽう、女の弱さのツボみたいなものが見事にあぶりだされている。どういう風に押されると、ふらッとなってしまうのか、そんな「瞬間」が沢山ある。恋愛の危うさを説いているにもかかわらず、読み方を変えると女の子の弱点集になってしまうから危ない。よくつかんでるよな、と思ったのはここ。

愛しますといわれたことが、この上もないプレゼントに思えてくるんだ。なにかそれにお返ししないとすまないみたいになる。それで、ついおなじものを返すのがあたりまえみたいな気分になる
 何をいまさら(笑)と言いたきゃ言えばいい。けれども、笑う人は、「気持ちをプレゼント」することが有効な攻撃方法であることも知っている。

 女はもろい。ひと押ししてみて、女のほうにかたい防御がないとみると攻撃したくなる。それが男だ。まさに、押しの一手なんだ。男は女を攻撃する。どんなに「優しい」「思いやりある」ひとでも、男は女を「押す」んだ。具体的に、どんな風に「押す」のかは、(古典的なヤツばかりだが)本書が参考になる。

 もうひとつ。ラブレターへの上手な断り方をご紹介。メールではなく、手紙だ。

 書いた文字には力が宿る。わたしには縁が薄かったが、ラブレターは男女を問わず有効な手段だ。ただ、困るのはNGのとき。「ごめんなさい」と伝えるのも心苦しいし、NGを伝えないままでいるとあぶない。

 いちばんいい断り方は、むこうの手紙を封筒といっしょに、送り返すのだという。ことわる文章を書く必要はない。何も書かないでいい。出した人にはよくわかっている。手紙をもらったなり黙っていると、まだ可能性があると思われるからね。

――などと、エラそうに能書きたれているのは今だけで、いずれ娘は「お父さんに会ってほしい人がいるんだけど…」と言ってくるんだろうなー("Papa Don't Preach"ではありませんように)。


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風の谷の観鈴ちん「天顕祭」

天顕祭 ナウシカの世界観と神尾観鈴の運命が重なる。

 2007年度文化庁メディア芸術祭で、奨励賞を受賞した作品。ピンときたのは、これが同人誌だってこと。もちろん画力・構成・物語は素晴らしく、IKKIあたりで連載してそうなクオリティ。

 どうやら大きな戦争があったらしい。その傷跡が伝説のように言い伝えられている片田舎が舞台。神道のケガレと放射能汚染が日常レベルで染み渡っており、「天顕祭」はそれを祓う役目を持つお祭り。

 この夏祭りをタイムリミットとして、宿命に取り憑かれた娘と、彼女を護ろうとする男が描かれている。モチーフとなっている古事記のヤマタノオロチ伝説が上手く溶け込んでおり、ロマンファンタジーとしても、伝奇SFとしても読める。「大きな物語」を背負った「ささやかな日常」を精密に演出する様がいいね(特にラストにじんときた)。

 また、観鈴ちんのように「選ばれた生贄(にえ)」の運命を甘受することなく、立ち向かうところが痛快だし見所でもある。シナリオ的には霧島佳乃ルートに近いが、娘の背中にあるものは白い羽ではなく、蛇のウロコであるところがポイント。この蛇の描写がスゴいねー。現実世界に干渉してくる大蛇は薄墨のように描かれているんだけど、彼女しか見えないんだ。その大蛇が夜の中から"浮かび上がって"、リアルに"絡みつく"感じがイヤらしくっていい。

 さらに、ナウシカに出てくる、「腐海を浄化する植物群」を「放射能を吸収する竹」に読み替えているところが面白い。青々としてまっすぐ伸びる様子から、清浄な植物とされているからね。地鎮祭や門松でおなじみだし。ホントの効果のあるなしに関係なく、思わず信じたくなる設定なり。

 運命に抗う男と娘が見た「天顕祭」の秘密、それは確かにおぞましいものなのだが、充分ありうる未来だろうね。「ザ・ワールド・イズ・マイン」の巨大獣ヒグマドンは荒唐無稽かもしれないが、奴の破壊跡た後を拝もうとする純朴な気持ちが分かるのと一緒。
人智を超えた「何か」に畏怖するとき、とりあえずカミとして扱いたがるのは、日本人のどこかに刷り込まれた発想なのかも。

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そうだ、宇宙、行こう「宇宙旅行はエレベーターで」

宇宙旅行はエレベーターで リアルSFのプロパガンダ本。

 クリアすべき課題の一つ一つに明確な回答を与えており、一緒に考えてるだけでワクワクできる。どの問題も現実的で、どの回答も現実的なので、単なる思考実験を離陸した「投資対象」としても魅力的だ(著者の一人は不動産投資信託のファンドマネージャーなので要注意www)。

 ケーブルの素材や強度、エレベーターの動力といった技術的課題から、敷設場所、建造方法や既存の宇宙開発計画との競合、気象や人為的リスクを考慮した安全性や移行・運用方法、さらには宇宙ビジネスの収支まで、グローバルレベルの風呂敷が広げられている。いや、話は月や火星エレベーターまで広がっているから、太陽系レベルか。

 面白いのは、風呂敷の現実味。

 技術的課題のほとんどは、既存のテクノロジーで解決可能だという。資本コストもべらぼうではなく、民間団体や個人(ex:ビル・ゲイツ)でも充分に手が届く「お買い物」だそうな(初期投資1兆円を高いと思うかどうかによるが…)。

 むしろ、NASAの官僚主義や、所有団体の政治・軍事的立場こそが最大の阻害要因になると指摘している。最初の宇宙エレベーターを建造するのは「アメリカ以外ありえない」と言い切っているが、最も可能性の高い国として、中国を挙げているのは見逃せない。本書で言及されてなかったが、きっとGoogleが手を挙げるぞ。

 細部だって手を抜かない。ジオステーション、クルーザー、アース・ポートのアイディアはSFからもらうものが多く、具体的なイメージを伴っている。クラーク「楽園の泉」やスタンリー・ロビンスン「レッド・マーズ」、カール・セーガン「惑星へ」に夢中になった人は、きっと拍手するに違いない。宇宙基地での治安活動のための警察の必要性に言及するあたりで、「ポリスノーツ」思い出したぞ。

 気づかされたのは、わたし自身の固定観念。「宇宙 = ロケット」が固くバインドされた頭に、「宇宙へいくために、なぜロケットを使うのか」という問いかけはブレークスルーをもたらした。また、宇宙旅行のコストの95%は重力を振り切るための費用に使われることを知って、そりゃ地球の重力は魂を縛るくらいだよねと呟いたり。宇宙と「いまここ」がつながっていることを、感覚レベルで想像する手段として、本書を使うと面白いぞ。

 宇宙エレベーターは、実現するかどうかではなく、「いつ、だれが」建造するかレベルになっている。風呂敷の巨大(でか)さと感触をお確かめあれ。

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