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ライター必携「調べる技術・書く技術」

調べる技術・書く技術 一行目から気に入った。簡潔に、こうある。

あるテーマを設定し、それについて調べ、人に話を聞き、最後にまとめる技術を紹介するのが、本書のねらい

 もっと焦点をしぼれば、

  1. ノンフィクションのテーマ設定
  2. 資料収集のノウハウ
  3. インタビューのアポとりと準備
  4. インタビュー(聞き取り、観察、記録)
  5. ネットワーク作り
  6. 資料整理
  7. そして執筆の準備から脱稿までの方法
丁寧に徹底的に書かれている。プロフェッショナルの具体的な技術が明かされている。こんなに詳らかにしてもいいのかしらんと心配になるほどオープンだ。

 野球のバッティングにたとえるなら、「フォーム」にあたる部分が本書。ノンフィクション・ライターとして培ってきた膨大な技術の中から、一般にも役立ちそうな「フォーム」をレクチャーしてくれる。

 興味深いのは、書き手が「いい嘘」をついているところ。

 一般化できそうな「フォーム」に限定しているから、「著者の独創は最小限に絞ってあると」いうが、そんなの嘘っぱち。ライターとしての「お作法」が教科書のようにだらだら書かれているなら、わたしも読みはしないさ。

 けれども、最小限のはずの「著者の独創」があちこちに滲み出てて、いい味を出している。「独創」に語弊があるなら、書き手のアクというか信念のようなものが、あちこちに表出している。たとえば、推敲のテクニックの一つ。

自分の書いた文章を読み返すときには、必ず声に出して読むこと。黙読した際には「このままでよい」と思えた文章でも、声に出してみると、つっかえたり言いよどんだりするものだ。そのときには、ためらわずに書き直す。
 声に出して、リズムで文章を受け止める。この方法そのものは目新しいものではないが、「音読してつっかえるなら、ためらわずに書き直せ」と言い切るのがスゴい。きっと、著者はこれを実践しているに違いない。声に出して、自分ならではのリズムで言葉を乗せる。このリズムこそ、書き手の個性なのだろう。

 さらにスゴいのは、「書き出しに全神経を注げ」という部分。あたりまえじゃん、とツッコミ入れられそうなんだが、「文を書く力の7、8割を書き出しに注げ」とまで断言する。曰く、書き出しを読んでもらえなかったら、残りの文は全て読んでもらえない。だから、「つかみ」で読み手のハートをつかまえろという。

 ああ、確かに。わたし自身、リード文で残りを読む/読まないを決めているので、資料を執筆するときは、特にリード文に注力している(blogなら、タイトルと一行目だね)。

 ともすると「暗黙知」に陥りがちなノウハウが一貫してまとめられている。ライティング・テクニックそのものよりも、それを支えるもろもろの技術がいっぺんに見える。わたしがライターを目指すなら、こいつを手がかりに愚直に登り始めるね。

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「とらドラ!」はスゴ本

 読むと幸せになれるラノベ。

 目つきは凶悪だが心優しい竜児と、見かけは美少女なのに凶暴な大河が織りなす熱血最強ラブコメディ。どこかにいそうなキャラクターの、ぶっちゃけありえない展開に手に汗にぎる!にやにやする!泣いて笑って顔赤らめて、あの頃の「どきどき」を思い出す。

 学園モノが好きなのは、なかった過去を懐かしむため(?)

 登場人物にメモリアルを仮託して、予想通りの恋愛模様にニヤニヤする、スピンアウトする展開にドキドキする。うれしはずかしラブコメディ。エエトシこいたオッサンなのに、自分を抱きしめてゴロゴロ転がりたくなる悶えたくなる。このトシになると、「高校生活」はファンタジーと一緒なんだぁ。

 スゴいのは、巻を追うごとに濃度と体温と回転数がヒートアップするところ。そして、二人の関係はだんだん変わっていくところがいい。気がつかない(気づきたくない)自分の気持ちと向き合うことのまぶしさを、彼・彼女と同じように感じる。

 青春が「すがすがしい」なんてウソ。あつくるしく、重苦しく、痛痒い自分自身。ここに描かれてる「高校生」とはまるっきり違った過去なのに、もてあまし気味だったあの頃のじぶん感覚がハッキリと思い出されてくるから、ふしぎー

 そして7巻、絶叫したね、大河と一緒になって。脳内釘宮で。

 前著「わたしたちの田村くん」がダラダラ続けない2巻完結だったので、「とらドラ!」も終わるべきところで終わるかと。これがクライマックス前のカタストロフィなんだと予感している――というわけで、8巻は会社休んで立ち読みする!(←買えよ!)

 っつーか、レジもって行くヒマがもったいない勢いで、瞬間的に読みきって、読みたての一冊を抱えてレジに向かうだろうなー

とらドラ1とらドラ2とらドラ3とらドラ4
とらドラ5とらドラ6とらドラ7とらドラスピンオフ

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アフォーダンスを拡張する「数学でつまずくのはなぜか」

数学でつまずくのはなぜか 冒頭、こんな謎かけがある。

あなたが数学でつまずくのは、
数学があなたの中にすでにあるからだ
 かなりパラドキシカルなメッセージだが、最後まで読んだならば、ウソではないことが明らかになる。むしろ、この文をテーマとした一種のミステリとして読むこともできる。

代数でのつまずき 規範としての数学
幾何でのつまずき 論証とRPG
解析学でのつまずき 関数と時間性

 数学講師としての経験を踏まえ、それぞれの「つまずき」の根っこをズバリつかみとって見せてくれる。「どこに引っかかっているのか?」を推理しながらの問診は探偵じみてて面白いし、「犯人はそこだ!」と見つけ出すのは、代数なら代数の、幾何なら幾何の本質そのもの。

 いわば、中学高校における数学の、タネ明かしをしてくれる一冊。

 しかも熱血なトコがいい、体温高いよ、このセンセ。ラストの「プレゼント講義(3時間)」の件はじんときた。数学のセンセって、もっと冷静なイメージだったけれど、この人は真逆だね。アツくしつこく「数学なんて大嫌い」に付き合ってくれる。

 著者は、ワケ知り顔のオトナとは違う。「数学は役に立つよ」とか「数学はファンタスティックだよ」などと言わない。子どもたちが直面している「数学の忌々しさ」を肌身で感じているから。

 非常にユニークに感じたのは、アフォーダンスの観点から数学を問い直しているところ。アフォーダンスは、環境に実在し、人が生活していく中で獲得する意味(価値)と定義されているが、これを数学にまで拡張している。

 たとえば、ドアノブは「まわして引く・押す」ことを促している。これはドアノブに手が届くほど成長した子どもが知る「意味」だ。これと同様に、七曜日と七匹の魚を「同じ7」だと判る、数学的認識が獲得されているのではないか、と問うのだ。

 そして、その仮説を、「ユークリッド公理系とは、ロープレのようなもの」という子どもの気づきや、「xy座標の説明の前に、すでに場所を示す方法(行と列、経度と緯度)を知っていた」エピソードで裏づけしている。

 この考え方はスゴく納得が入った。小学生(低学年)の息子に「なぜ10で一桁くりあがるのか」と訊いたとき、「指が10本だから」と答え、さらに「もしも指が16本だったら」には、「16でくりあがる」と言ってたしwww

 ただ、とても残念だったのが5章。

 第1~4章とていねいに解説してきたのに、かなり端折って書いている。紙数が尽きたのだろうか、まるで別人向けのように飛ばしている。

 しかもこのテーマがとてつもなく面白く、かつ最初の「すでに自分の中にある数学」に直結しているネタなので、二重三重にもったいない。可能無限と実無限、カントールの挑戦、デデキントの無限は、合わせ鏡の深遠を覗き込んでいる気になってゾっとする一方、ラストで「すでに自分の中にある数学」を鮮やかに解き明かしている。

 最後に。この本と出会えたのは金さんのおかげ(レビューは[Personal_NewsN]、もっと深い思索をしてます)。金さん、ありがとうございます。得るところの多い、すばらしい一冊でした(MIUゲームの説明が本家GEBの10倍分かりやすかったですな!)。

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