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スゴい書斎とはこれだ「この人の書斎が見たい!」

PLAYBOY2008年4月号 PLAYBOYの4月号でナイスな特集をやっている。「この人の書斎が見たい !」だ。見たい見たいと思っていた著名人の書斎と本棚が惜しげもなく晒されている。本棚と書斎と本に関するウンチクがみっちり詰まっている。

  • 石田衣良
  • ピーター・バラカン
  • 鹿島茂
  • 高野孟
  • 内田樹
  • 立川志らく
  • 吉田司
  • 林望
  • 佐野眞一
  • 中平穂積
  • 谷沢永一
  • 吉本隆明
  • 徳大寺有恒
 海外勢だと、インタビューはないものの、そうそうたる面子の書斎や書架が拝める。
  • ガルシア・マルケス
  • ミシェル・フーコー
  • ジョン・アーヴィング
  • ウラジミール・ナボコフ
  • カート・ヴォネガット
  • イアン・フレミング
  • サルマン・ラシュディ
  • ギュンター・グラス
 男性誌だからなのか、女性陣の書斎がないのが残念。猪口邦子や上野千鶴子あたりの「書斎」はかなり興味がある。シュミ丸出しの書架を前に「らめぇ~」とかいってる女史を想像すると、ちょいと萌える(「男の書斎術」とか銘打っているのでムリか)。この特集で得た気づきをいくつか。

 まず、思い入れたっぷりの書斎が見て楽しい。

 「本に囲まれた書斎は嫌なんですよね」なんてうそぶきながら、壁一面に作りつけられた本棚が全力で否定している石田衣良。発言のひとつひとつが言い訳じみてカワイイ。その一方で、デスクを部屋のまん中にする発想は素晴らしい。

 鹿島茂は断言する。「書斎術なんていっているうちは甘いんだ!必要なのは『書庫術』で書斎なんていうのは、ほんの少しの面積で足りる。最終的に本を置く場所をどこに確保するかなんだね」、これは正しいが、本に攻め込まれて陥落した状態で言っても説得力が。

 内田樹の書斎は期待していたため、肩透かしを食らう。学術書はガッコにあるとはいえ、あまりに少なすぎる──というか、貧弱ゥーなの。「大昔の名著」と「イマドキの端本」で埋められた本棚は、明らかにおかしいと思っていたら、阪神大震災で大半を喪っていることが判明。

 プロフェッショナルの気骨を垣間見せたのは、吉田司の「動く書斎」と、谷沢永一の「10万冊・50坪の書庫」だな。前者は、「書斎なんてなくても、雑沓の中でも、エンピツ一本で書ける」ことを、後者は、「蔵書が臨界点を超えると、居室の書架は辞書だけになる」ことを思い知る。やれIMEがおバカだの、タネ本が無いと書けないと言っているようでは、まだまだハナタレですな。

 次に気づいたのが、椅子。皆さん、いい椅子を使っている。

 特に目を惹いたのが、石田衣良、高野孟、そしてジョン・アーヴィングが、ハーマンミラー社の「アーロン・チェア」に座っている。値段を調べたら鼻が出たね。いっぺん座ってみたいものだ。

可能性に限界という線を引かず、それを飛び越えること。その創造性はワークチェアをより良い方向に導き、マーケットに新たな領域を切り開いた。エルゴノミクスデザイン、すぐれたパフォーマンス、環境への配慮…。二人の信念をかたちにしたアーロンチェアは、従来のチェアに満足できなかった人々の支持を集め、その賞賛は瞬く間に世界中のオフィスに広がったのだ。

 自分で予算をどうこうできるような立場になったら、これと「ソリス」(ウィルクハーン)を思い出そう(もちろん、書斎どころか自分の部屋すらないけど何か?)

 最後に、なかなか面白いアイディアにぶつかった。吉本隆明の書斎だ。視力が衰えたとはいえ、活字拡大機を使ってブラウン管越しに読書をしている。

 このレベルになると「読む→書く」ではなく、読みと執筆作業が渾然一体化されている。だから本に直接書いてしまうと、活字拡大機でボケボケの手書き文字が映ってしまうそうな。これを回避するために、

片手で平仮名を打てるキーボード配列に改良した装置をまず一丁、俺に使わせろということで事業家の人に注文しているんですけれど、なかなか素早くはやってくれません。書く段のことをわかってくれないなというそこのところで一番引っかかっちゃう。

 人ん家(ち)の本棚が見たい欲求から、思わず購入したPLAYBOY日本版。特集からは収穫物満載だったが、連載記事やコラムをチェックする限り、今をトキメク作家さんの仕事がコピペまみれなことがよーく分かった。売文業って、タイヘンだね。

 人ん家(ち)の本棚に興味があるなら、これなんていかが?

「本棚」を覗く快楽

著名人の本棚を覗く

人の本棚を見るのが好きだ


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濃縮還元ファンタジー「タラ・ダンカン」

それなんて快楽天? ――思わず口走りそうだが、中身はジュヴナイル・ファンタジー。

タラ・ダンカン上タラ・ダンカン下
   「ハリポタ読むならコレを読め」シリーズ。嫁さんに言わせると、読者層といい、設定や展開といい、ずばり「女の子向けハリポタ」だそうな。ただし、ハリポタなら1巻丸ごと消費するぐらいのプロットを、1章に圧縮・展開しており、非常にスピーディーな運びとなっている(「言い換えると、ハリポタがダラダラしてるんだけどね」だそうな)。

 ああ確かに。次から次へと目まぐるしく転がっていくストーリーは、ジェットコースター・ファンタジーという言葉がぴったり。そして、伏線を寝かしもせず使い切ろうとする性急さは、一種潔さまで感じる。

 ふつうの女の子が、実は伝説の魔法使いの血筋だったり、親が××されてたり、寄宿舎の共同生活があったり、いじめっ子が出てきたり、「どっかで見た構図」「何かで読んだ展開」盛りだくさん。それでも思わず妄想してしまうのは、やはり「表紙」のパワーですな(w

 主人公「タラ・ダンカン」は、フランスの12歳の女の子。快楽天の「あの」カワイコちゃんだと思ってくれてヨロシ。「カワイコちゃん言うなぁ」って怒ったりするところがまたヨロシ。キレイ好きで、各章で必ずシャワーを使ったり着替えたりするところがヨロシ。「悪魔が胸の中から出てきて、破裂する」なんてくだりは、激しく妄想してヨロシ。

 村田蓮爾氏って微妙な露出の女の子に目が行っちゃうけれど、身に着けているアクセサリーや衣服の質感がクラシカルで好きー。ちょっとレトロな、そう、蒸気コンピュータが似合いそうな少女。そして、まさにその世界感覚そのままに、タラ・ダンカンの「別世界」が広がっている。

 嫁さんは「ハリポタの亜流」と評するが、ひねりの効いた魔法戦なんて、むしろ「ザンス」を思い出す。魔法だから何でもありなんだけれど、一定の「魔法がはたらくルール」を考え出し、さらにそれを出し抜く。よく考えたなー、と感心するものもあれば、伏線が出た瞬間に回収方法まで予測しきったり、なんとも楽しい1時間でしたな。

 Wikipedia を見るとハリウッドで映画化になるそうだ… が、やっぱりこれはアニメっしょ!京アニで25:30からの深夜枠を求むッ、もちろんキャラデザは村田蓮爾氏でッ、タラ・ダンカンは釘宮さまでッ

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読み巧者を探せ「半歩遅れの読書術」

 スゴい読み手を探せる2冊。書評や読書術も役立つが、それよりも自分好みの「読み巧者」を見つけるメリットが大きい。

 将を射んと欲すれば先ず馬から、良書を得んと欲すれば先ず読み手から。わたしが知らないスゴ本は、きっと誰かが読んでいる。だから、本を探すのではなく、人を探す(それは、あなたかもしれない)。本書のような、いわゆる「本の本」を読む理由は、ソコにある。

半歩遅れの読書術1半歩遅れの読書術2

 本書は、日経新聞の同名のコラム4年分をまとめたもの。新刊ではなく、あえて1~2年たった「ちょい古」な本をセレクトしているところがミソ。いわゆる著名人によるレビュー・書評というよりも、むしろ本をダシにした読書の愉しみや本にまつわる思い出語りが楽しい。ここでは、本書で知った読み巧者を中心にご紹介~

■ わたしが見つけた読み巧者

 まず、小林恭二がいい。

 いや、氏の小説は一冊たりとも読んでいないが、彼のオススメ「鷲か太陽か?」(オクタビオ・パス、書肆山田、2002)はぜひとも読んでみたい(「波との生活」が絶品とのこと)。あるいは、「巴」(松浦寿輝、新書館、2001)もチェックしてみよう。

 では、なぜ彼のオススメに惹かれるのか? それは、本書でこう言っているからだ。

明治以降の日本の作家のうち、偏愛する作家を一人あげよと言われれば、わたしは躊躇なく石川淳の名をあげる。漱石や康成も偉大な作家だったと思うが、どうもあの何かというとクローズアップされる「内面」についてゆけない。もちろん石川淳にも内面があるが、それ以上にドラマがある。
 そうそう!とおもわず膝を打つ。石川淳の劇的な物語と稚気と衒いに満ちた文章への評価は、わたしの気持ちとぴったり重なる。わたしと同じ趣味で、わたしの知らない本を読んでいる=「わたしの知らないスゴ本」の読者の可能性大、というワケ。

 あるいは多和田葉子のオススメも惹かれる。

 「容疑者の夜行列車」が絶品だったので、そんな彼女の目をきらっとさせる「クライスト全集」(沖積舎、1998)は要チェック。良い小説を書く人は、良い小説を読んでいる(逆は必ずしも真ならず)。

 彼女曰く、クライストは「急流くだりをするような面白さ」なんだが、「そのわりには日本であまり読まれていないような気がする」という、知る人ぞ知る傑作。クライストの文章を評して「疾走する欲望の滑走路」なんて表現は、わたしなんぞ逆立ちしたって書けやしない。

 トドメの椎名誠がおもしろい。

 いきなり「ひつまぶし」の話から始める。名古屋名物の鰻丼だ。オヤジのお約束として「暇つぶし」どころではない忙しい食べ方だと語り始め、たいへん美味そうに紹介する。鰻丼をマクラにして、八丁味噌と赤白味噌の話、ひいては「アホ」「バカ」の分布へ。ここまでくればタネ明かしをしているようなもの。地域性から見た日本文化の話… ズバリ「地域性から見た日本」(クライナー、新曜社、1996)の紹介に入る。面白いのは、お雑煮の角餅と丸餅、醤油、焼酎と、食べ物から離れないところ。タコヤキ器を持っている所帯の数を調べてみてはと提案する。食いしん坊っぷりにこちらもニコニコしてくる。

 椎名誠といえば、「あやしい探検隊」だが、お株を奪うようないい本がある。しかも自分で紹介しているところがいい。「無人島が呼んでいる」(本木修次、ハート出版、1999)といって、ここまで持ち上げられたら、そりゃ読みたくなるってものよ。

この本はぼくにとって日本の無人島旅の最も正確なガイド書かつバイブルとなっている
■ 「この本がイイ!」も見つかる

 本書をブックハンティング・ガイドブックとして読んでも効果がある。

 たとえば、体に聴く本「暮らしの哲学」(ポル・ドロワ、ソニーマガジンズ、2002)なんて面白そうだ。哲学の立脚点、自己認識。そのスタートとして自分自身の身体に聴け、という姿勢が面白い。

 まず、「自分の名前を呼んでみる」。最初はバカバカしい気がするが、そのうち誰かに呼ばれているように感じ始める。そして呼ぶ自分と呼ばれる自分の、内と外との相互感覚の中に自分を置いて、そこで起こるかすかなめまいのようなもの、自分が自分から剥がされる感覚を味わえという。

 あるいは、「おしっこしながら水を飲む」。上から水を注ぎいれて、下から出す。毎日やっている行為だが、それを同時に行う。ありえないことだが、飲んだ水がのどから尿道までまっすぐに流れている気がする。単純この上ない身体になっていく。一本の管になっていることを実感せよという。

 そういう、日常における非日常を体感するアイディア満載の本があることを知った。読む――というより実践してみたいね。

■ あの人がこんな本を…

 いっぽう、あの大家がこんな本にハマるなんて… といったミスマッチを探すのも一興。

 たとえば、堺屋太一。シュリンクの「朗読者」にハマっている。15歳の少年が熟女に喰われるハナシといえばミもフタもないが、ホロコーストを裁く法廷の被告となった彼女と再会するあたりがガツンとくる。これを読んで、非常に個人的な出来事をモジモジ思い出してる堺屋氏がカワイイ。

 また、沢木耕太郎が「ハリポタを読む中年サラリーマン」を揶揄しながらマジメに論評しようとするのが笑える。立場上、流行は押さえておかないと。ベストセラー作家はベストセラーの呪縛から逃れられない好例なのかも。ファンタジーを楽しむよりも、その社会現象を腑分けしてやれ、という視線が透けてイヤらしい。

 ひどいのが城山三郎の書評。経済小説の先駆者として著名だが、ラヒリ「停電の夜に」に手を出している。彼の興味からほど遠いにもかかわらず、ムリヤリ読んで、強引に感想を書いているのが哀しい。文筆業の宿命か。

■ 「これはひどい」書評とは

 興味の持てない本を仕方なく読んだ人の感想は、とても分かりやすい。「あらすじ」ばかり書いているのだ。読み手のココロに響くものがないから、中身の要約に終始する。あるいは、目次のキーワードを適当に羅列したシロモノになる(夏休みの課題図書の読書感想文を思い出すべし)。

 これを読まされるわたしはたまったもんじゃない。スジを知りたくて書評を読むのではないから──と同時に、わたしのレビューがそうなっていないか自省する必要がある。

■ 「これはひどい」読み方とは

 「読書に即効性を求めるのは、一番貧しい読み方だ」と、浅田次郎は断言する(GOETHE 2008.2)。読書とは、ずーっと蓄積していく教養であって、薬じゃないんだから。

―― それは分かるんだけれど、それでも効き目を求めてしまうのが悲しい性。すぐ効く本は、すぐに効き目がなくなる。うんこ本は100冊読んでもうんこ。せめては新刊書レースから降りて、自分評価を決めた本を選びたい。そんな姿勢をまねる意味でも、本書は遅効性のある妙薬なのかも。

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