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満員電車がなくなる日

満員電車がなくなる日 毎日毎日ボクらは電車の中でもみくちゃにされて嫌になっちゃうよ。

 会社にたどりつくまでにエネルギーの半分がた浪費しているのは、実にバカバカしい。義務教育で「がまんをすること」の大切さを教え込まれたが、こんなところで役に立とうとは(嫌だあぁぁ)…

 とはいうものの、いやしくもニッポンの社畜として、満員電車は避けて通れぬ。朝だけではない。終電ラッシュの方がタチ悪い。酔っ払って車内でお好み焼き(又はもんじゃ焼き)を作り出す人がいるからね(でも不思議だ、どんなに混んでいても、そこだけキッチリ空間ができるから)。

 「座る技術」という本があるが、あれは初心者向け。日比谷線の「次の3列」「次の次の3列」をめぐる攻防や、東海道新幹線の「指定席車ドア→普通車座席」の反則技、次を待つフリをして発車間際に尻から入る超技がない―― っつーか、座るどころか、そもそも乗れないんだケド。あるいはホームからこぼれ落ちそうなんだケド。

 そんな「満員電車」に真っ向勝負を挑んだのが、本書。そもそも満員電車とは何か? 満員電車をなくすことはできないか? と不可能に挑戦している。敵である「満員電車」の定義が面白い。愚直なまでに経済原則をあてはめている。

満員電車とは、電車に乗りたい人が、快適に運べる適正人数を大幅に上回っていることから起こる事象で、需要が供給を圧倒している状態を指す

満員電車となっている路線は、供給に対し需要が極端に多い。だから、満員電車をなくすには、供給を増やして需要を減らし、両者の均衡を保てるようにすればいい

 さらに、「満員電車の歴史は運賃抑制の歴史」という目の覚めるような仮説を立てている。要するに、電車は、その公共性の高さから、需給と価格バランスを無視した運賃に抑制されてきた。そのため、充分な供給を実現するために必要な資源を確保できず、満員電車は続いてきたという。

 では、具体的にどうすればよいか? ここからがすごい。現在の軌道回路方式から、GPS・センサーマップマッチングによる信号システムへの変革や、車道のリバーシブルレーンにヒントを得た3線運行、タクシーのような深夜割増電車や24時間運転など、これでもかというぐらい怒涛のアイディアが開陳されている。

 いちばん驚いたのが、総2階立て車両方式。1階と2階を階段で結ばず、各階独立した客室にする。扉も上下につけて床面積を2倍にするアイディア。もちろん、東海道線・横須賀線のグリーン車は2階建て車両なんだが、2階建てとはいえ2倍の収容能力を持つわけではない。両端部は1階で階段部分がデッドスペースなので床面積は1.4倍程度。おまけに扉が片側2しかないため、乗降時間長くかかるデメリットをもつそうな。

 で、総2階建て電車、どうやって乗り降りするのかという素朴な疑問に、ブレークスルーのネタがッ→「駅のホームを2階建てにする」。イメージ図を見て噴いたね。ターミナル駅は2層構造のホーム、小駅なら2階用のタラップを設置する絵は、そういや銀河鉄道999のどっかで見たことある気が(惑星メーテル?)。

 今ある技術でイノベーションを起こすものばかり。資金調達まで現実的だ。満員電車で困っている人数=首都圏で250万人で、片道あたり200円、往復を考えて年600回負担を考えると…

    250万 × 200円 × 600回 = 年間3000億円

 対象路線が平均30km×30路線≒1000km。車両も含めて1kmあたり100億円の投資を要すると考えると、総額10兆円。資金調達できる年3000億円のうち、運営費増、先行投資分の金利負担、減価償却として1000億円かかるとすると、2000億円を投資に回せる。

    10兆円 ÷ 2000億円 = 50年

 50年で満員電車をなくすことができると見込んでいる。50年!そんなにかかるのか、と思いきや、著者曰く、最長見積もりだという。

 満員電車で立ちんぼのわたしにとって、着席と立ち席の値段差論が面白い。

 ふつう、商品やサービスの価格は、価値の高いものに高い値がつく。高い価値のものが欲しい人は、納得して対価を支払う。その一方で、節約したい人は安い方を選ぶ。着席は立ち席より、あきらかに価値が高い商品で、高い値付けがされていても納得できる。立ち席の値段が着席より低くなれば、体力に余力があり節約したい人なら立ち席を選ぶだろう。

 しかし、現状は、着席と立ち席の値段差はなく、商品選択の余地はない。さらに、商品の生産・販売側の立場からしても、現在の値付けは矛盾している。着席サービスは立ち席に比べて、一人あたりの占有面積が広く、コストも余計にかかっている。だから高い値付けがされて当然なのだが、現状はそうなっていない。着席と立ち席は明らかに品質が異なり、かつ生産コストも異なるものに対して、同じ値付けというのはおかしくないか?──という論が延々と展開される。正直、「席」を商品とみなす発想は言われて気づいた。あるいは、満員電車を「ビジネスチャンス」と見なす発想はアタマガツンとやられた。基本じゃん!困っていること・あきらめていること・慣れてしまったことに「?」をぶつけるのがイノベーションだよね。

 で、著者は、「ICカードで座席を引き出す仕組み」を提案する。ホラ、山手線の折りたたみ座席を思い出して欲しい。時間帯で引き出せるようになっているが、あれを、ICカードをかざすと個人用の席を倒せるような仕掛けにするそうな。

 しかも、席料は一定額ではなく、混雑具合によりフレキシブルに変更されるようにすれば、高額を払ってまでは着席したくない人は途中から立つように誘導できると提案する。そのいっぽうで、高齢者・妊婦・体の不自由な方は必ず着席できるようにすることもきちんと考察している。

 利用客にとってみれば、ずっと渇望していた一冊かもしれない。しかし、鉄道関係者にとってみれば定刻発車を達成するためにギリギリの努力をしているのに、さらに満員電車解消という課題が追いかけてくる一冊。定刻・乗車率・運賃、どれかのトレードオフをする時代なんだろうね。

 ともあれ、満員電車でもみくちゃにされながら読むべし。

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「アラビアの夜の種族」はスゴ本 【徹夜保証】

 面白い物語を読みたい?
 ならこれを読めッ!!

 完全にヤられた。憑かれたように読む、読む、読む。巻措く能わぬ面白さではなく、手に張り付いて離れないモノスゴさ。小説で徹夜するなんて、久しぶりだ。徹夜小説シリーズ([スゴ本][はてな])で太鼓判押されてたけど、ここまでスゴいとは… 抜群の構成力、絶妙な語り口、そして二重底、三重底の物語。

 これは、陰謀と冒険と魔術と戦争と恋と情交と迷宮と血潮と邪教と食通と書痴と閉鎖空間とスタンド使いの話で、千夜一夜とハムナプトラとウィザードリィとネバーエンティングストーリーを足して2乗したぐらいの面白さ。そして、最後の、ホントに最後のページを読み終わって――――――驚け!

 ただし、ネットで調べてはいけない。うんこがバラしているぞ。面白い物語を読みたいのなら、予備知識を一切絶って読むべし(まちがいないから)。それから、文庫版の3分冊で取り組むなら、3巻全部を確保しておくこと。でないと深夜に「もっと続きをーッ」と誰かさんのように悶え苦しむことになる。

 そして、読むなら深夜!明日の予定がない夜に読むべし。まちがっても会社がある日に読んではいけない。翌朝になって、初めて「君が望む永遠」の第一章を終わらせたような気分になるはず。

 優れた物語は語りから語り辺へ伝えられる。不死の、自己の永続化。恒久に譚(かた)られて、そして生きる物語として永らえる。そう、まるで、歴史のメタファーのように――身も心もトリコになる物語を、どうぞ



アラビアの夜の種族1アラビアの夜の種族2アラビアの夜の種族3

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モノの見方が確実に変わる「フォークの歯はなぜ四本になったか」

 モノの見方が確実に変わる一冊。フォークの歯はなぜ四本になったか

 フォーク、ナイフ、クリップ、ジッパー、プルトップなど、身近な日用品について、「なぜそのカタチを成しているのか」を執拗に追求する。日ごろ、あたりまえに使っているモノが、実は現在のカタチに行き着くまでに途方も無い試行錯誤を経たものだったことに気づかされる。

 いわゆるデザインの定説「形は機能にしたがう(Form Follows Function)」への論駁が面白い。著者にいわせると、「形は失敗にしたがう(Form Follows Failure)」だそうな。もしも形が「機能」で決まるのなら、一度で完全無欠な製品ができてもいいのに、現実はそうなっていない。モノは、先行するモノの欠点(失敗)を改良することによって進化していると説く。これが膨大なエピソードを交えて語られるのだから、面白くないわけがない。

 たとえば目の前のフォーク。そのカタチ・大きさになるまで延々と進化の歴史がある。最初は肉を適当な大きさに切り裂くナイフだけたったそうな。それが肉が動かないように押さえつけるために、もう一本のナイフを用いるようになる。ただ、(やってみれば分かるが)ナイフで押さえつけると肉がクルクル回ってしまって不便だ。その結果、又の分かれたモノ:フォークが誕生する。

 それなら、フォークは2本歯で事足りるはずだが、どっこい2本だけだと突き刺した食べ物が滑り落ちてしまう。あるいは小さい欠片は歯の隙間からこぼれ落ちるということで、歯が3本になる―― とあるのだが、残念なことに、歯が3本から4本になった理由まで明かされていない(後で調べたところ、パスタをフォークで食べるために3→4本になったそうな[はてな])。5本や6本歯のフォークもあるにはあるが、装飾のためであって、(これもやってみれば分かるが)今度は突き刺した食べ物が抜き取りにくいという弊害が出てくる。無理なく口に入る幅と当時の冶金技術も相まって、フォークの歴史を考える。

 それだけではない。今度は、フォークのカタチが食卓に与えた影響力も考察される。つまり、フォークの歯が増えたことにより、フォークを突き刺す役割から「乗せて食べる」道具として使い出すようになる。さらに、フォークをナイフのように扱い(煮野菜を切るとか)、ナイフが食卓から駆逐されはじめる。

 ここで不意打ちを喰らう。子どもの頃から疑問だった「フォークの秘密」を知る。

 今は見かけないが、「左端の歯だけ幅広のフォーク」があった。なぜ一番左の歯だけ幅があるのか、ずっと疑問に思っていた――これはカッティング・タイン(切断歯)だそうな。つまり、食事におけるナイフの役割をほとんどフォークが代行するようになったとき、軟弱な歯では曲がってしまったため、左端をナイフのように加工したという。もちろん子どもの口に入れるフォークだからナイフのように切れはしないが、その名残りなんだなーと思うと感慨深い。

 フォークだけでもお腹一杯になりそうだが、こんな調子でデザインの本質に迫る。実は日用品にとどまらない。飛行機の翼は丸み(キャンバー)があるのにエアロプレイン(plane:平らな板)と呼ぶ理由や、ビックマックの容器がなぜ発泡ポリエチレンから紙になったのかは、デザインと社会の相互作用がよく見える。

 モノの歴史をさかのぼって調べれば、どの時代のどんなモノにも、(当時からみた)欠点が必ず存在する。そうした欠点を識別・排除することで、そのモノの形は決まったり修正されたりしている。何を欠点と見なすかは、時代によっても異なるし、文化や社会との相互作用も影響する。モノそのものへの要求を全部満たすデザインなんてないと言い切る。だからこそ、モノは進化しつづけるのだと。

 本書は、[東大教師が新入生にすすめる100冊]にランキングされている好著…なんだけれど、いかんせんamazonで「せどらー」の暗躍によりトンでもない値がついている──確かにデザイナーにとってはバイブル級の一冊だけど、図書館でどうぞ。

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