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カオスで懐古で「カルトな本棚」

カルトな本棚 ただただ、ひたすら、なつかしい。そんな本がザックザク。

 コリン・ウィルソンや森山塔あたりを「懐かしい」なんていえるなら、夢中になって眺めまくるだろう。いっぽうで、ぜんぜんお馴染みのないカルト本の数々に出会うことができた。「魔法使いサリン」なんて、幻のスゴ本なんだろうね。世に出たのは1997年なので、今となっては手に入らないすごい本の書影は、目の毒かも。

 唐沢俊一氏が案内人となって、濃い口の人生を送っている方の本棚を紹介する。暴力的なまでに乱雑な本棚もあれば、整然と「SMスナイパー」が並んでいる棚、エロマンガ山脈でできたベッドなど、その人まんまのスタイルがあふれ出していて笑ってしまう。

  山本弘
  睦月影郎
  串間努
  立川談之助
  佐川一政
  奥平広康
  唐沢なをき
  竹熊健太郎
  唐沢俊一

 各人のインタビューがまたスゴい。捨てられない本への愛着や変わった読書法、特殊な読書遍歴、ウンチクが尽きることなくたれ流されており、食あたりになるぐらい。仕事柄、全員「本は買う派」なんだが、特に竹熊健太郎氏のこのひとことは、「買う派」を勇気付けてくれる。

自分が買ったということは、自分が何かしらそこに価値を見いだしたわけで、たとえ読まなくても買ったという行為自体に何か意味があるわけですよ。いつか役に立つかもしれないと思って買ったのもあるし、なんか気になるから買ったとか。そこにやっぱり自分が介在しているわけですよ
 奇妙なことに、このセリフはみうらじゅん氏のポリシーと一致していて面白い。ヒヨコ舎の「本棚」[レビュー]で、みうら氏は積読は結構なことで、「本は買った時点でもういい」んだと断言する。本への興味は本を買った時点で完結するのだから、読む読まないは別問題なんだって。だから、
オレがこの本に興味があるってことがわかったんですから。わかることが大事なんで。いくらかでもお金を出して買うってことは相当ハードル高いですからね。金出してまで買うってことは相当興味あるんだなーって自分が思うんですよ
 達観してる…本棚は脳の外部記憶装置なだけでなく、アイデンティティの再確認装置なのかもしれないね。

 だから脳には「あの本はあのへんにある」というポインタだけが張ってあって、「あの本のあのへんに、これこれしかじかの記述がある」ことがパラパラ検索できればそれで事足りるのかと。ああ、たしかに図書館派のわたしの場合、本とは一期一会であって、能動的に残さないと何ももたらさないまま、自己満足だけが残る罠があるわな。

 しかしだ、その結果「買う派」の本棚はどうなっているかというと――見るも悲惨な混沌なのも事実。いや、本棚に収まっているなんてかわいらしいシロモノではなかろうに。それがだ、竹熊氏の本棚は違うんだ。整然+不統一感なならべ方に、かなり惹かれるに違いない。しまいにゃ著者、唐沢俊一氏ご自身の本棚まで出てくる。本棚というよりも、自宅全体が書庫に占領されている、そんな"棚群"だ。

 カルトな本棚とは、カオスな本棚なんだとつくづく思い知らされる。本のバリエーションそのものよりも、氏の仕事の雰囲気がなんとなく感じ取れて面白い。一見、雑多なごった煮の"辺域本"たちも、スキミングされ編集されていくうちに、カルトなネタに化していくのだろう。氏の本棚感がとてもユニーク&腑に落ちてきて面白いぞ。

現在3万冊近くの本がありますが、その一冊一冊に出会いやエピソードがあるわけです。そういう本と一緒に暮らしているというのは、好きになった女性と一緒に暮らしているみたいなものです。秦の始皇帝が阿房宮に何千という妾を囲ったという話がありますが、僕も好きな女性を本棚の中に囲っているんだなという気持ちです。僕にとって本棚とは、阿房宮みたいなものですね。
 変わったひとは、本棚もヘンだし、面白いひとは、本棚もオモシロイ。

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