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アパルトヘイトの時代臭「鉄の時代」

鉄の時代 どの小説もその時代と場所につながれている。

 「世界文学」だの「時代を超えた」といった麗句は、その時代と場所を取捨し、普遍性だけに目をつけているから用心しないと。残雪「暗夜」やクンデラ「存在の耐えられない軽さ」を、文化大革命やプラハの春から乖離させて語るわたしは、表層をなでているに過ぎないから。

 いやいや、逆の言い方もできるぞ。残雪やクンデラを通じて、その時代や場所を知るんだ。フィルタリングされたスコープで、時代を覗き見するといってもいい。残雪は暗喩として、クンデラは直喩として。

 クッツェー「鉄の時代」で描かれるアパルトヘイトは、メタファーのようなまだるっこしさはない。物語のなかに、まるで映像のようにクッキリと臭いが写りこんでいる。彼がこれを書いたのは、1986-89年で、アパルトヘイト体制末期だった――などと、したり顔できるのは過去話だから。非常事態宣言が発動され、内乱状態だった時代から、本書は生まれている。政治的な意味合いを読み取るなという方にムリがあるだろう。本書の半分は、現場からのルポルタージュといってもいい。

 もっとも、マスコミよろしく騙るのなら、ストーリーはもっと簡単だったろう。善悪二項対立を仕立て上げ、それぞれの代表者に因縁とドラマを演じさせればいい。読者は分かりやすい物語を好むものだし。

 しかし、そんなキレイな作為なんて施さない。カラードがカラードを追い、殺す。「黒人対白人」の構図なんてどこにもなく、黒人同士が殺し合い、警官は遠巻きに包囲する(カラードが逃げ出さないために)。善悪は恣意的で、人びとは運命にこづき回される。ひどいことが行われていることは分かる、至近距離で子どもが撃たれているのだ。でも、誰がどうしてなんて、これっぽっちも知らされない。

 これを70歳の白人の老婆の目を通じて描かれる。彼女は無力で、しかも癌に侵されている。体はいうことをきかず、関節が悲鳴を上げている。ひとり娘はアメリカに行ってしまい、他に家族はいない。誰も、彼女の言うことなんて、聞かない。

 この老婆の意思がすごい。生きぬくこと、抗議すること、抵抗することへの強い意思に触れ、その熱におもわず手を引っ込めるかもしれない。あとは死ぬだけじゃないの? もう充分じゃないの? という声すら失う。ぎりぎりのところから、最後まであきらめることなく、相手を信じよう・愛しようとする。

 本書は、娘に宛てた長い長い手紙という形式で語られている。読み進むうちにこの手記は、実は「遺書」であることに気づく。その瞬間に読み手は、手紙にある「あなた」とは、実は自分を指しているのではないかと思えてくる。アパルトヘイトの混乱すら遠景に押しやり、彼女の執念といってもいいほどの意思――信じようとする心こそが、「生きていること」と同義になるのかも、と自問する。

 政治的な臭いを嗅ぎとろうとしてたわたしが、ちゃんと読めてたかどうか疑わしいが、少なくとも小説が時代や場所の軛から抜け出ている現場に立ち会えたわけだ。

 この鉄のにおいは血のにおい。アパルトヘイトの時代に立ち会える一冊。

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コメント

クッツェーの作品は「夷狄を待ちながら」がイチバン面白いと断言できます。

「鉄の時代」はこの作家がはじめてリアリズムで書いた小説で、それまではメタファーを使いまくったポストモダンな作品ばかりを書いていました。で、この人はそっちの方が上手いんですよね。
その極みが「夷狄を待ちながら」です。

クッツェーはアパルトヘイトの問題について、もっと過去に目をやっているようです。「鉄の時代」で老婆が抱えていた「痛み」の源泉のよーなものが、ここにあります。

クッツェー作品中、最もカゲキな一冊です。

投稿: koh | 2011.01.27 00:01

>>kohさん

「夷狄を待ちながら」ですね、オススメありがとうございます。早速手にしてみようかと。
思い返すと、「鉄の時代」の登場人物に割り当てられた「役」に、作者のメッセージを感じることができます。異国の娘は脱出口で、自己の痛みはアパルトヘイトそのもの。自分の一部なので切除するわけにもいかない―――しばらく措くと、発酵していました。も少し寝かせて、再読します>「鉄の時代」

投稿: Dain | 2011.01.28 00:37

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受信: 2008.10.14 16:57

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