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衝撃のスゴ本「17人のわたし」

17人のわたし 虐待で多重人格障害となった女性が、精神科医の助けにより、人格を統合する。

 不謹慎な言い方だが、そこらの小説より遥かに面白い。多数の人格が生まれた理由、記憶の共有や人格の入替えメカニズム、人格を統合する方法など、物語形式で500頁みっちりと詰まっている。

  ■1 カレンの中の17人
  ■2 なぜ人格が生まれたのか
  ■3 人格 = 記憶 ?
  ■4 ぶっちゃけ「ビリー・ミリガン」とどっちが面白いの?
  ■5 カレンのメッセージ

■1 カレンの中の17人

 著者は精神科医で、10年以上の歳月をかけて彼女の治療にあたった。「カレン」という肉体の中に17人の人格があり、それぞれの過去と役割を持っている。

ホールドン34歳、男常識
キャサリン34歳、女秩序
カレン・ブー2歳、女幼年期
シドニー5歳、男ユーモア
ジュリアン5歳、女記録係
シーア6歳、女医学の知識
クレア7歳、女女性性
マイルズ8歳、男強さと怒り
イリーズ8歳、女先導役
カール10歳、男苦痛の除去
ジェンセン11歳、男芸術鑑賞
ジュリー13歳、女健康問題
アン16歳、女信仰心
サンディ18歳、女完璧な娘
カレン110歳、女普通の子ども
カレン221歳、女普通の大人
カレン330歳、女憂鬱

 強い痛みや恐怖が限界を越えると、それを引き受ける人格が生まれる。耐え切れない感情を引き受け、その出来事を「なかったことにする」のだ。あるいは、あったことはぼんやり覚えていても、実体を持って思い出せないようにする防護壁となる。

 たとえば、シドニーが誕生したのは、父親に脅された3歳のカレンが恐怖のあまりウンチを漏らしたとき。父親はそのウンチを無理矢理カレンに食べさせようとするのだが、この事実を隠蔽し、何もなかったことにするために生まれたのだ。シドニーはその時の恐怖と屈辱を引き受け、3歳のまま時を止める。

 あるいは、父親が友人のセックス相手としてカレンを貸し出したときに生まれたのがジュリーという人格だ。カレンは当時11歳、暗闇の中で男にのしかかられた恐怖を引き受けている。血と暗闇を極端に怖がり、男性恐怖症のまま成長を止めている。

 ああ、このカレンの父親というやつが最低の糞野郎なことは、わざわざ指摘するまでもなかろう。読み手は確実に気分を害するというよりか、気分が悪くなるだろう。

 彼女の初体験は深夜の廃工場。父親と祖父に連れられ、複数人の男たちに輪姦されている。そのとき使用したのは針。ガムテープで口をふさぎ、男たちに触れられているカレンの腹部に針を突き刺して、すぐに引き抜く。針を使用するのは、痕が残らないから。誰にも気づかれることもない。

 さらに、器具を使うこともある。くるみ割り器は乳首とか指を挟むためだけではなく、もっとおぞましい目的に使用された。取手が木でできたドライバーやラジオペンチ、ハンマーも同様だ。すなわち、男たちは彼女の体の中に入れて遊んだ。

■2 なぜ人格が生まれたのか

 ああ、そうだ。わたしだったら、発狂するか、自殺しかねないような凄惨な体験を重ねている。辛すぎる現実に潰されないよう、「自分」を守るため、恐怖や痛みを引き受ける人格がどうしても必要になる。

 ほとんどの人格は年を取るのをやめ、成長を拒絶し、異なった時期で時間が止まっている。そして、その時点で起きていたこと――たとえば、レイプされたこと、親が「死ねばいいのに」と言っていたこと――の中で、ずっと時をすごしている。

 破滅的な行動をとる人格もいる。針金ハンガーのフックを膣に入れ、性器を破壊しようとしたのはカール。女でなくなれば、ひどい目に遭わなくてすむからだという。膣をめちゃめちゃにした後、縫い合わせるつもりだったらしい。

 こういうのを、地獄と呼ぶんだろうね。

 著者はひとりひとりと話し合う。同情し、励まし、慰めるが、時には強く出ることもある。おかしくなってしまった「人格」に対してセラピーをすることもある。

 その過程で明らかにされる「カレン」の人格システムがスゴい。

 ひとつの肉体に複数の人格を配置し、それぞれ独立した個性を成り立たせている一方で、重要な記憶を共有する。必要に応じて最適な人格が選ばれ、スイッチングする(原題は、"Swiching Time")。これまた不謹慎千万ながら、寄生獣の「後藤」の切り替えシステムを髣髴とさせられる。

 カレンの場合は、家――ファミリーの部屋という心的概念が元になっている。それぞれの人格に「部屋」が割り当てられることで、同じ肉体なのに互いに独立している。記憶の共有や外部への「接続」が必要な場合は、家でいう「リビング」にメンバーが集まる、という仕掛けだ。

 それぞれの経験を、それぞれの人格が受け持っているから、精神科医に話す虐待経験が自分のものでないような気がしてくる。その記憶を話すことはできるけれど、それにまつわる感情は別の人格のものだから。カレンはその感覚をこんな風に表現する。

「わたしはまだ彼らのことをよく知らないんですが、すべての人格をよく知っている人格もいるような気がします。たぶん先生は、わたしじゃなくてほかの人格と話をしたほうがいいのかもしれません。ときどき、わたしは自分の人生に乗り込んだ乗客の一人にすぎないんだという気がするんです」

 その、「すべての人格をよく知る人格」ホールドンに指導されながら、著者はカレンの中の人格の統合を試みる。この統合シーンもスゴい。人格は合体するようなしぐさなのだが、じっさいは「溶け込む」あるいは「紛れ込む」ような感覚のようだ。それぞれの人格が受け持っていた記憶だけでなく、その感覚や嗜好までも引き継ぐ。いままでの空白期間への感情が押し寄せる描写は、カレン自身の言葉だから生々しく感じとれる。

 一つの人格を統合するということは、新しい過去をひとつ与えられるようなもの。しかも、まるで馴染みのない他人の過去を引き受けることになる(ホントは、その"他人"がカレンの辛い思いの一端を受け持っていたのにね)。

 そして、統合を繰り返すたびに、自分が少しずつ薄まっていく。「統合」とは足し算なのではなく、全体に対する自分の範囲が小さかったことを気づかされる作業なのだから。彼女のアイディンティティ・クライシスを追いかけながら、自分とはすなわち記憶だと気づかされる。「個性」だの「自我」を持ち出して、他とは違う己を定義しようとしても、無駄なことなんだと。

■3 人格 = 記憶 ?

 仮に、感覚器官の統合体としての「意識」こそ自己だ――なんて定義しても、それは精巧につくられたマシン=肉体としての自己にすぎない。その一つの肉体に沢山の人格が宿るカレンの場合、それぞれの自己を自己たらしめているのは、それぞれの人格が持つ記憶にしか拠り所がないように見える。それぞれの記憶が受け持つ性格に便宜上の名前がつき、その名前に「人格」を付与されているのではないのか、とまで思えてくる。

 特に、「カレン3」を「カレン」に統合する話なんてまさにそう。カレンという肉体の代表者として最初に精神科医にかかったのは「カレン3」だ。「カレン3」が選ばれたのは、彼女が従順で、あまり深い記憶を持っていないからだという。そして、「カレン3」に対して順番に人格統合していくはずだった――しかし、あるとき、「カレンにカレン3を統合させよう」という話が持ち上がり、準備され、実現する。これは非常に混乱した。

 カレン3に対し、既に複数の人格が統合されているにもかかわらず、「カレン3そのもの」はまだ統合されていないのだという。カレン3は「憂鬱」を受け持つ。その重苦しい感覚や記憶こそが実体で、「カレン3」はラベルにすぎないように思える。

 つまり、ある一連の記憶を持つから、その人格の一貫性が保たれているだけではなく、その一連の記憶そのものが「わたし」であるということ。わたしという肉体は数ヶ月で細胞レベルでリフレッシュされているにもかかわらず、わたしが「わたし」でいられる。それはわたしの記憶のおかげ。その記憶そのものが「わたし」という名前をつけて保存されたわたしの「本体」なのではないか――そんな気になってくる。

■4 ぶっちゃけ「ビリー・ミリガン」とどっちが面白いの?

 面白さの視線が違う。結論を先に言うと、「どっちも興味深いけれど、ハマりポイントが違う」だな。

 ダイエル・キイス「24人のビリー・ミリガン」も多重人格障害を扱ったノンフィクションだが、焦点は連続強盗・強姦事件の「犯人は誰か」になる。「多重人格の人間が犯罪を犯した際、罰せられるのは"誰"か?」、あるいは、「その多重人格は"本物"なのか? どうやって"証明"するのか?」がポイントだろう。実際、ビリー・ミリガン裁判の焦点もそこだったので、読み手は自分の疑問が明かされていく過程を興味深く読むことができる。

 「ごく普通」の青年が猟奇的な事件を起こした際、解離性同一性障害による心神喪失を認め責任能力を否定→無罪へ持ち込む戦術が選ばれる。つまり、「あれをやったのはニセモノのボク」パターン。この戦術が使われるようになったのも、ビリー・ミリガン裁判のおかげだろう。まず「ホンモノなのか?」から始めることができるから。

 「ビリー」は裁判をめぐる駆け引きや警察当局の非道な扱いが(実話ながら)ドラマティックに書いてあり、読み手を惹くのもそこだろう。

 いっぽう「カレン」は、彼女の内面を探るクエストであり、それぞれの人格との対話・文通・メッセージングの記録でもある。本書の見返しに、あたかも「登場人物一覧」のように17人のプロフィールが出てくるが、意図は同じだろう。この17人こそが「主人公」なのだから。

 複数の人格の口から、カレンの過去が明かされる。もちろん「うそ」を言う人格もいるし、父親の嘘を信じ込んでいる人格もいる。読み手は断片的な発言からカレンの過去を再構成するミステリ的な取り組みも求められるだろう。

 そして、それぞれの人格を統合していく段になると、「憂鬱」という一面しかなかった「カレン」が、だんだん人間的な厚みを帯びてくることに気づく。以前の彼女ならやらなかった突拍子もない行動や、感情的に強く出たりする駆け引きに驚くだろう。わたしは、暴力的だった夫に対し、同情するようなそぶりすら見せる様子で、彼女が「変わった」ことに気づいた。後半はカレンの成長譚として読むこともできる。

 裁判や犯罪といった「彼」の外側のドラマ性が高い「ビリー・ミリガン」と、「彼女」の内部の人格を通じて過去を探り、受け入れていく「カレン」、どちらを興味深く読むかは読み手しだいなのだが…わたしは、カレンの方がより緊張感を持って読んだ。

 多重人格モノとして、あえて順番をつけるならこんな感じ(ジュディス・スペンサーの「ジェニーのなかの400人」やクリス・コスナー「私はイヴ」は未読なので比較不能)。

   17人のわたし > 24人のビリーミリガン > 五番目のサリー

■5 カレンのメッセージ

 すべての人格を統合し、すべての過去を受け入れたカレンが、最後にメッセージを残しているので、ここに引用する。

私のように虐待を受けた子どもは、もはや現実の世界には生きていないのです。そんな子どもの目は、絶対に安全だとわかっている場所、すなわち自分の内面にしか向いていないのです。絶え間ない恐怖にさらされ続けた私は、生き抜くために彼らの言いなりになっていたのです。子どもたちが私と同じような目に遭い、虐待という環境の中で誰にもふり返ってもらえないことが、二度とありませんように――それが私の願いです。かつての私のような、自分の恐怖を人に話せない子どもがこの世からいなくなることを、心から祈っています。
 最後に。これは、敬愛する渡辺千賀さんが「誰にも勧めないすごい本」と絶賛されていたので、もちろん原書で購入→挫折した一冊("Kite Runner"といい、本書といい、英語の本ってラリホーマが掛かってるのかな?かな?)。渡辺千賀さん、スゴい本を教えていただき、ありがとうございます。

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コメント

Dainさん、こんばんは、

これはノン・フィクションなのですよね?昔々読んだ「シビル」を思い出しました。

http://d.hatena.ne.jp/hihi01/

性的虐待とか、人格の統合とか一瞬同じケースの話かと思いました。ご紹介まで。

投稿: ひでき | 2008.10.05 23:45

>>ひできさん

「17人のわたし」は、ノンフィクションです。
そこらのフィクションを軽く蹴散らすぐらいの面白さですよ。

それから、「シビル」とは、シュライバーの「失われた私――多重人格シビルの記録」でしょうか? 未読ですが、同じテーマのようですね。
教えていただき、ありがとうございます。

投稿: Dain | 2008.10.07 00:32

こんばんわ
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投稿: ・・ | 2008.10.08 21:59

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受信: 2008.10.05 20:22

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