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「存在の耐えられない軽さ」はスゴ本

存在の耐えられない軽さ これはクンデラの歌劇だ。でなければ、物語の体裁をした長い長い独白にすぎない。

 愛し合う男の、女の言葉の端々でクンデラの視線とぶつかる。10年前に読んだとき感激したのは、「愛」の字義しか知らなかったからじゃないかと自問。だから、ただひたすら、うつくしい性愛の小説として読んだ。

 どうやら、これはわたしだけじゃなさそうだ。同名の映画なんてまさにそうで、「プラハの春」を歴史背景にメインのカップルを鮮烈にエロチックに描いている。「クンデラ=性愛」にバインドされちゃってることについて、こんなアネクドートがある(ネタ元は[文学全集を立ちあげる])。

イギリスの批評を読んでたら、こんな一節があって、うまいなあと思ったの。「昔は何か猥本を読みたくなると、『さて、フランスの小説でも読もうか』と言ったもんだ。今はそういうときに、『さて、チェコの小説でも読もうか』と言わなければならない」という書き出しでクンデラを論じるのね

 しかし、たくさんの時間が通り過ぎ、自分の中で「愛」を実行できるようになって初めて、メインテーマは性愛じゃないことに気づく。

 亡命先で恵まれた生活をしているのに、あえて弾圧下のプラハに戻ったのはなぜか? 彼のもとを去った恋人のためか? 彼女を自分の人生に引き入れた責任(=重さ)のためか? 偶然の出会いから始まって、必然に向かってからめとられていく男と女、初読のときはそこばかり目が行っていた。そう、映画の影響もあった。メインの男女の情交やら会話ばかり追いかけていた。「存在の耐えられない」とは、どんな「存在」かと問われれば、迷わず「愛」だと思っていた。

 ということは、10年前のわたしは、冒頭のニーチェの永劫回帰の件をまるで読んでいなかったことになる。世界は一回きりではなく全ての瞬間がまったく同じに永久的にくり返されるのならば、何気ないしぐさのひとつひとつがとてつもなく重い存在感を発しはじめるのに…

だが、本当に重さは恐ろしく、軽さは美しいのだろうか?

 ―― これに自答するため、この小説を要したんだね。「愛の重さ/軽さ」の物語としても読めるし、感情に任せた決断と、人生の一回性への重さ/軽さのプロパガンダとしてもいい。

 そう、ニーチェの永劫回帰に反するかのように、「人生はいちどきり、選びなおすことはできない」と主張する。面白いことに、著者が突然、地の文に出てきては、登場人物の判断を評価したり、ちゃかしたり思いやったりする。

 いっぽうで、それぞれの人生のイベントを先回りするかのように読者に告知するクンデラ。著者は、行動(ストーリー)ではなく主題に小説の統一性を求めようとしているからだ。年代的な因果関係を追いかける通常のリアリズム小説とは違って、登場人物がどのような運命に向かっているのかを予め知らされた形で「受け入れる」ことになる。たとえ抗いがたい運命だとしても。その結果、ただ一度きりしかない人生が、幾度も繰り返されているかのような幻視をもたらすことになる。

 人生が一度きりなら、そして予め確かめるどんな可能性もないのなら、人は、みずからの感情に従うのが正しいのか、間違いなのかけっして知ることがない。それでも彼・彼女はよく考えたり感情的になったりして、かなり重要な決定を下す(あるいは下さない)。結果が偶然なのか必然なのかは、わからない(著者は指し示すだけだ)。肝心なのは、その「決定」だ。結果によって「決定」が運命になったり偶然に扱われたりするのなら、未来によって選択の軽重が決まってくる。結果は重いかもしれないが、決定は(決断すら思い及ばず偶然の連鎖も含めて)下されるそのとき分からない。

 だから、未来からの重みを感じれば、人生の一回性はとてつもなく重要に感じ取れるだろう。反対に、決定に重みを与えている未来はくり返せないことが分かった瞬間、あれほど重荷に感じていた人生が、うんと軽く、そう、空気よりも軽くなるに違いない。うだうだと書いたが、「存在の耐えられない軽さ」とは何か、クンデラはもっとスマートにエロティックに述べている。

だが、本当に重さは恐ろしく、軽さは美しいのだろうか?
このうえなく重い荷物は私たちを圧倒し、屈服させ、地面に押しつける。だが、あらゆる世紀の恋愛詩では、女性は男性の身体という重荷を受け入れたいと欲するのだ。だから、このうえなく重い荷物はまた、このうえなく強烈な生の成就のイメージにもなる。荷物が重ければ重いほど、それだけ私たちの人生は大地に近くなり、ますます現実に、そして真実になるのである。
逆に、重荷がすっかりなくなってしまうと、人間は空気よりも軽くなり、飛び立って大地から、地上の存在から遠ざかり、もうなかば現実のものではなくなって、その動きは自由であればあるほど無意味になってしまう。

 ついでに、旧版と訳の比較してみよう。以下は、1992年に出た初版からの引用。

だが重さは本当に恐ろしいことで、軽さは素晴らしいことであろうか?
その重々しい荷物はわれわれをこなごなにし、われわれはその下敷になり、地面にと押さえつけられる。しかし、あらゆる時代の恋愛詩においても女は男の身体という重荷に耐えることに憧れる。もっとも重い荷物というものはすなわち、同時にもっとも充実した人生の姿なのである。重荷が重ければ重いほど、われわれの人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実味を帯びてくる。
それに反して重荷がまったく欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、地面や地上の存在から遠ざかり、半ば現実味を失い、その動きは自由であると同様に無意味になる。

 ねっ、新訳のほうが読みやすいでしょ? 昔読んだよ、という方にもオススメ。違う「読み」になるはず。

 ただ、世界文学全集にこの作品が入ったことは理解に苦しむ。クンデラは全読しているが、最高傑作は「不滅」だ(断言)。知名度が優先されたのか、単に選者が読んでいないか分からないが、本書にハマった方は、「不滅」をどうぞ。なぜなら、「不滅」の方こそ、存在の耐えられない軽さそのものを論じているのだから。

「不滅」レビュー

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