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いい仕事、してますか? 「自分の仕事をつくる」

自分の仕事をつくる 「自分の仕事」をする人に、たくさん出会える一冊。
 すべての「仕事をする人」にオススメ。

 いい仕事をする人は、「働きかた」からして違うはずなのだが、まさにその通りだと確信できる。やり方が違うから結果が違う。いい仕事をする人のセンスは、まず最初に、「働きかた」を形作ることに投入されている。 ―― これが本書の結論。デザイナー、サーフボード・シェイパー、パン職人… 「いい仕事・自分の仕事」をする人の顔はどこか似通っている。

 「いい仕事とは?」「自分の仕事って何?」と思わず考え込んでしまう。著者は、いわゆる大企業でのサラリーマン・デザイナーだけでなく、フリーでデザインプロジェクトの企画・制作も経験している。「働き方研究家」を称しており、さまざまな人のインタビューや試行錯誤により、「自分の仕事」へのいくつかの答えにたどりついている。

働き方を訪ねてまわっているうちに、働き手たちが、例外なくある一点で共通していることに気づいた。彼らはどんな仕事でも、必ず「自分の仕事」にしていた。仕事とその人の関係性が、世の中の多くのワーカー、特にサラリーマンのそれと異なるのだ

 どんな請負の仕事でも、それを自分自身の仕事として行い、決して他人事にすることがない。「ここまでが職務」と線引きたがり、「これはウチのせいじゃない」などと尽力するわたしに、グサグサ刺さってくる。

 10年以上も社畜をやってると、飼いならされていることがハッキリと分かる。怒りは吐息とともに、喜びも悲しみも幾年月。今の仕事は、会社にとって価値をもたらすだろうが、社会にとってもそうかと問われると、黙すしかない。

■ 「こんなもんでしょ?」というメッセージ

 そんなわたしに、「わたしたちはモノ(加工物)に囲まれて生きている」というメッセージは強く響いた。目の前のディスプレイも、キーボードを始め、身に付けているもの、座っている場所、目に入る窓やその向こうの街路樹だって、人の手が入っている。「フォークの歯はなぜ四本になったか」を思い出すが、本書はデザインの追及ではなく、その背後でつくる「人」に目を向けている。モノは、人の仕事の結果であることを指摘する。

 たとえば、ベニアの家具。見えない裏側はベニア板そのもので、「見えないからいいでしょ?」というメッセージを発している。あるいは、建売住宅の扉の開閉音は「安い分こんなもんでしょ」と告げているに等しいと。たしかにそうだ。100均やヒラキで「安いから、まあいいか」と納得させているのは、わたしだ。

 しかし、その一方で、「あなたは大切な存在で、生きている価値がある」というメッセージを求めているのも、わたしだ。「こんなものでしょ?」というメッセージを発するモノに囲まれながら、存在価値を認めてもらおうとする自分がこっけいに見える。

 さらに、自分の仕事に「こんなもんでしょ?」が入っていないか問いはじめる。もちろんあるさ。限られた資源で最良の結果を出す努力はしているが、それは職務(あたえられた役割)として。仕事そのものではないな、と痛感する。

 「こんなもんでしょ」という仕事をして、「こんなもんでしょ」という仕事の結果を受けとる。このダブルバインド的な状況に自覚的でありたいと著者は自戒するが、わたしに言われているようだ。イタい、痛い。

■ 人が成長するしくみ

 「自分の仕事」とは何か? ひとつの答えは、クリエイティブ・ディレクターの宮田識へのインタビューにあった。「人が成長するしくみ」のくだりだ。人が仕事で伸びるとき、手取り足取り教えたりしない。「やってみせ言ってきかせてさせてみて」もしない。人が成長するしくみは、そうしたHowto箴言にはなく、「問題を与える」ことにあるという。

打ち合わせで僕は一種のホラを吹くわけです。そのホラを実現しなければならないが、自分の手にはあまる。そこで、スタッフのひとりひとりの中から、できるだけいい能力を引き出す必要があるわけです。その人が持っているもの、ちょっとした光っている部分に気づいて、ポッと焦点の合った仕事を与えると、人は必ず成長する。与えることが大事なんです。

 この「与えること」とは、問題を「その人向け」に切り分けて課題・目標化することだろう。身の丈に合った課題に取り組むとき、充実した感覚で仕事ができる。そんなときは、リソース管理やコミュニケーションといった「仕事を成し遂げるための課題」も嬉々としてクリアできるものだ。

■ 適切な問題をつくる

 梅田望夫氏が同じことをフォーサイト3月号で述べている。まつもとゆきひろ氏との対談で、オープンソース開発に参加する人々の「動機」を知ったとき、衝撃を受けたという。

 「私の動機は利己的なものです」まつもと氏は言い切る。自分が欲しいものを作っているだけだと。さらに利他的な気質や奉仕の精神は、オープンソースの本質ではないと断じる。本質は、あくまでも利己的な理由に基づく自発性なのだと。

 梅田氏が衝撃を受けたのは、この後、「オープンソース・プロジェクトに貢献する人々の動機はいったい何か? 」という問いかけに対する答えのくだり。

まつもとからは、私(梅田)が一度も考えたことのない答えが帰ってきた。「ほとんどの人は、適切な大きさと複雑さを持ったいい問題を探しているんですよ」。世界中に知的レベルの高い人々はたくさんいるが、その大半は自分で問題設定をすることができない。プログラマーの世界で言えば、プログラミングは好きだが何のプログラムを書けばいいか分からないという人が世界中に溢れている。成功しているオープンソース・プロジェクトはそういう人々に対して、次から次へと「適切なサイズの問題」を供給するのだ
(Foresight 3月号 シリコンバレーからの手紙)

 アタマをフル回転させ、知識+経験+人脈(つて)を駆使し、問題を解決している充実感覚は、うまく言語化できない――チャレンジング(challenging)? ああ、たしかに。こればっかりは仕事をする場ででしか発揮できないものだね。それが具体的な「場」ではなく、バーチャルなところであっても然り。「ジコジツゲン」という言葉は大嫌いだが、「自分だからこそ上手く解決できる適切な問題」に取り組んでいるとき、その言葉が一番にあっているのだろう。会社では、能力や時間を切り売りするという感覚はなく、そうした「適切な問題」を手に入れることが仕事をする理由になっている。「リリース直前の変更要求+不具合の山をいかにさばくか」とか「失敗プロジェクトをどうやって立て直すか」などは、立派な「問題」だ(適切かどうかは分からないが)。

■ 仕事を買いに、会社に行く

 本書では、もっと巧い喩えを用いている。

人は能力を売るというより「仕事を手に入れる」ために、会社へ通っている。そんな側面はないだろうか。首都圏のワーカーは、片道平均80分の時間をかけて満員電車に乗り、会社へ通う。決して楽とは言い難いその行為を毎日くり返す理由は、自分の求める「仕事」が会社にあって、近所ではそれを手に入れることができないからだ。

仕事は自分と社会を関連づける重要なメディアである。日本のような企業社会では、「仕事」という資源はとくに会社に集まっている。私たちは野菜や食糧を買うためにスーパーマーケットへ出かける。それと同じく、会社とは、「仕事」という商品の在庫をかかえたスーパーマーケットのようなものだと考えてみる。

つまり、私たちは「仕事」を買いに会社へ通っているのだ

 この表現は斬新だが、言語化できていない部分を説明してくれている。「思ってたことを言ってもらった」気分になる。プログラムやらドキュメントという「成果物」をアウトプットすることで給料もらっているわけじゃ、ないからね。プロジェクトへ貢献してナンボ、しかも「自分でしか解決できない」であればあるほど、貢献度が高い。もちろんこれが矛盾を孕んでいることは承知している。会社は「わたししかできない仕事」を、「仕事を抱え込んでいる」と見なすからね。後進を育てるのが次の仕事かも。

■ ? + ? = 10

 著者は、「答えを求める」発想からのパラダイムシフトを提案している。曰く、日本の教育の目標「問題は既に定義されており、正答を求める」から抜け出よと。象徴的なのが次の計算問題だ。

  6 + 4 = ?

 これがフツーの(日本の)計算問題。だが、海外のある学校では足し算はこう教えているという。

  ? + ? = 10

 「10という答えを求める」のではなく、「10になる問題を考える」ことの重要性を説く。ちなみに、小学生の息子に出してやったら、1から9までで10になる組み合わせを答えた。わたしが、「0+10もあるよ」といったら驚いていた(もちろん0のことは習っているが、『値の変わらないゼロを足す計算問題』が斬新に見えたらしい)。ゲームのように100ます計算に熱中しているが、「答えは必ずあるもの」「問題は与えられるもの」を当然だと思うようになるだろうなぁ…

■ やり方が違うから結果が違う

 成り行きで仕事をしているわたしに刺さる刺さる。「いい仕事」をする人へのインタビュー、モノづくりの身体感覚、「他人事」を「自分の仕事」にするアプローチ、仕事に対するモチベーションの持ち方、さらにワークデザインの発見に至る。人生の大半を費やす仕事が、ただの対価を得るためだけの作業にさせないための「ワークデザイン」。そして、目の前の仕事を通じて、世界を変えることができる可能性まで語る。

  • 八木保
  • 柳宗理
  • 甲田幹夫
  • ヨーガン・レール
  • 馬場浩史
  • デニス・ボイル
  • 深澤直人
  • 伊藤弘
  • 黒崎輝男
 もちろん、彼/彼女らは「世界を変えてやろう」などと思ったりはしない。「いい仕事」をするための試行錯誤の後、自分なりのやり方を成しているだけだ。そこには「こんなもんでいいだろう」なんて発想は欠片もない。

この世界は一人一人の小さな「仕事」の累積なのだから、世界が変わる方法はどこか余所ではなく、じつは一人一人の手元にある。多くの人が「自分」を疎外して働いた結果、それを手にした人も疎外する非人間的な社会が出来上がるが、同じ構造で逆の成果を生み出すこともできる。結果としての仕事に働き方の内実が含まれるのなら、「働き方」が変わることから、世界が変わる可能性もあるのではないか

 すべての「仕事をする人」に、強力にオススメする。


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なぜヨーロッパの緊急車両は青いライトなのか?

 ヨーロッパの救急車や消防車、パトカーなど、緊急出動車は、たいてい青いライト(青色灯)を使っている。なぜだろう?

 それは灯火管制の名残り。第二次世界大戦中、ゲシュタポは連合軍の爆撃機を避けるため、灯火管制された都市で目立つことのないよう、青いライトを使い始める(青い光は、暗闇で一番見えにくいから)。それを他国の警察機関が採り入れ、戦後もそのまま残っているそうな。

 重要なのはここから。このエピソードは、旧来の慣習がいかに強力か、そして有効と分かっていても新しいアイディアを採用することがいかに困難かを物語っている。あるいは、いつも同じ方法で行われている慣習にこそ、アイディアが眠っているのだともいえる。

 もうひとつ、この問題をご存知だろうか?

【問題】
  一枚の紙に、以下の9つの印が描いてある
  紙からペンを離さずに、最大4本の線でつなぐことができる
  そのやり方は?

    ●   ●   ●

    ●   ●   ●

    ●   ●   ●

 頭の柔らかさを試す有名な問題だから、きっと「模範解答」をご存知だろう。だから、次の問題をどうぞ。

【問題】
  上の問題で、4本の線ではなく1本の線でつなぐやり方が少なくとも3通りある
  そのやり方は?

 条件が変わったことで、発想のリミッターが解除されたようにならないか? 答えはそのうち公開するので、お楽しみに。

【解答】

 おめでとう、挑戦者は全員正解だッ

  • 曲線で一筆書 : 「直線で描け」とは言っていないので。最初の「4本の線で…」の問題に囚われていると気づかないかも(ただし、本書では却下されている)
  • 紙を折る/切る : がんばって折り曲げれば直線でも描ける。本書では「折る」はあったけれど、「切る」はなかった(←スウェーデン式を超えた?)
  • 極太のペンで : 全ての点を一筆で塗りつぶすような太いペンを使う
 他にもある。一番おどろいた発想は、これ↓

    1. 地面に紙を貼り付ける
    2. 最初の三つの点を結ぶ線を引く
    3. そのまま、ぐるりと地球を一周する
    4. 次の三つの点を結ぶ線を引く
    5. そのまま、ぐるりと地球を一周する
    6. 最後の三つの点を結ぶ線を引く

 「紙からペンが離れている!」とか「海はどうする?」といったツッコミを入れたくなるが、「地球儀に貼り付ける」という解答にまで洗練させている。正答そのものよりも、「4本→1本」という前提の枠をとっぱらうことの方が大切やね。あるいは、「地球儀」という解は、いったん「地球」サイズまで思考のレベルを広げたから、得られるんじゃぁないかと。

スウェーデン式アイディア・ブック 「スウェーデン式アイディア・ブック」はこのような問題やワークショップを通じ、アイディアを発想させるアタマづくりに一役買っている。文字通り「アイディアのつくり方」そのまんまの本もあるが、読んでも実行しない人は一生しない。いっぽう本書は、自分のアタマで考えさせる仕掛けに満ちている。

 それが「スウェーデン式」なのか分からないけれど、ちょっと違った発想がいくつも得られる。たとえば――

  • 「イエス」より「ノー!」 : アイディアは批判されて磨かれる。「他人のアイディアを批判してはいけません」クソクラエ!かつて王侯貴族は「道化」を身近にはべらせていた。道化は、イエスマンに囲まれて真実を見失いそうな王にとって、保険の一種ともいえる
  • はてなタクシー : 基本条件をとっぱらう発想例。人手不足解消のため、①「道路に詳しい」②「運転ができる」の①の条件を満たさない見習い運転手の料金システム。ほとんどの客は行き先も道順も知っており、割安料金で利用できる。見習い運転手は賃金をもらいながら道を覚えられる
  • 不可能を探すべし : 本当に不可能なことを考え出す。やってみれば分かるが、意外と難しい。なぜなら、誰かが不可能だと思うことは、他の誰かにとって可能だと思えることがあるから。不可能は、前提を変えたり、定義をずらしたり、大胆な挑戦によって変わる
 フツーのアイディア本とは一味もふたあじも違う「スウェーデン式」をお試しあれ。

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わかる瞬間が楽しい「5分でたのしむ数学50話」

5分でたのしむ数学50話 やりなおし数学の手引きとして愉しい。「?」 が 「!」 になる瞬間が心地よい。この快感は学生の特権かと思っていたが、なかなかどうして、5分で十分に知的好奇心を刺激させられる。thさん、面白い本をオススメしていただき、ありがとうございます。

 ただし、ちゃんと理解できたかあやしい。受験数学の極意(数学は暗記科目)が身に付いてしまっているので、分かろうとするより覚えようとする自分が悲しい。試験もないし、知ったかぶる必要もないから、「わかる快感」だけのために向き合えばいいのに。

 本書は、「5分間だけ数学について考えてみませんか」というテーマで、ドイツの全国紙に連載されたコラムの傑作50選だという。このテの入門書は、数学の普遍性により、似たようなトピックスが並ぶはずなんだが、着眼点がとてもユニーク。

 しかし、目のつけどころが面白い。「自分の並んだ列がいつも遅い本当の理由」や「数列の頭は"1"になりやすいことをGoogleで実験する」といった、数学っぽくない場所からアプローチする。もちろんすぐさま深いところまで連れて行かれるので、楽しめるところまでついていけばいい。

 たとえば、最初の「自分の並んだ列がいつも遅い本当の理由」なんて人を食ってる。その理由は――

たとえば郵便局で、あなたの並びうる列がほぼ同じ長さで5つできていたとしよう。そのとき、本当に一番早く進む列をあなたがたまたま選んだ確率は5分の1、つまり20%だ。別の言い方をすれば、80%の確率で、あなたは間違った列で待っていたことになる

こんなことを繰り返せば、自分は運命によってひどい仕打ちを受けていると考えるのだが、おあいにくさま、間違った列に並ぶ可能性の方が高いからね。この調子で待ち行列理論まで連れて行かれる。「レストランで待ち客のために椅子を何脚用意すればいいか?」というやつ。

 もうひとつ、確率計算のパラドックスである「ヤギ問題」。名前は笑えるが、難しすぎて理解できなかった。あるゲーム番組でのこと――

番組の司会者が、勝ち残った回答者たちに3つのドアのうちから1つを選んでもらう。1つのドアの向こうには、めざす賞品が隠れている。他の2つの背後には、はずれの印にヤギが置かれている。回答者はまずドア1を選ぶ。すると司会者はドア3をあけてみせる。そこにはヤギが置かれている。さてここからがみそだ。回答者には、もう一度変更のチャンスが与えられる。つまりドア1をやめて、ドア2に変更したいかどうか聞かれるのだ

 ドア3を開けたところで、「あたり」のドアが変わったわけではない。この見方だと「変更する必要なし」となる。しかし、ドア3が開かれたことによって状況が変わったと考えるのなら、「変更する必要あり」になる。さぁどっち?

 答えを先にいうと、変更したほうが有利なんだって。賞品獲得のチャンスは、変更しない場合は1/3にすぎないが、変更した場合は2/3になるという。その証明に12ページを費やしている(5分どころか30分かけたけれどギブアップ)。最初はこう考えてた→「変更するかしないかのどちらかしかない。変更しない場合の確率は1/3、だから変更する場合は1-1/3」。ところが、「司会者がヤギのドアを開ける」という状況の変化をどう考えるかによって、かなり複雑な計算になる。われこそはという方は、本書を手にする前にご自身で考えてみては(くれぐれもわたしに訊かないように!)。

 こうして脳をあれこれ動かすのは愉しいが、そうでない人もいる。「数学なんて、実際に役立たないではないか」という方にいいことが書いてあったぞ。ロト6の話だ。

 ちゃんと計算するなら、いかにボッタクリであるかよーく分かる→ 1/13,986,816という当選確率をイメージするなら→「4.37kmに積みあがったカードから一枚のあたりを引くようなもの」なんだって。それでも挑戦するならば、「誰も選びそうも無い数字の組み合わせを狙え」という。偶然は過去のことなど何も覚えていない。偶然は「あたりそうな」組み合わせを選ばない。だから、万が一、じゃなくって、1398万が一当たった場合、他の当選者と分け合わなくてもいい数字でいきなさいと。

 四次元をイメージする方法から「五次元のケーキ」を想像したり、√2が分数で表現できないことを名探偵ホームズのように証明したり、読み手を飽きさせない。分かるもの・分からないものをひっくるめて楽しめる一冊。

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「料理上手の台所」でコックピットのような台所を目指す

料理上手の台所 人ん家(ち)の台所を見るのが好きだ。

 昔、知人の家の冷蔵庫を物色しては、ヒンシュク買ってた。今じゃ代わりに食器棚や調理道具を眺めては喜んでいる。機能性を追求すると自然と美しくなる好例だね。

 本好きの知性が本棚に現れるように、料理上手の台所は使い手の人品を感じ取ることができる。使い込まれたほうろう鍋や、磨いで小ぶりになった包丁の年季にびびる。中華料理のプロは数ヶ月で鍋をダメにするというが、そういった暑苦しさは微塵もない。肩に力のはいらない、等身大の"こだわり"を見ていると、だんだんと口が緩む。

 共通しているのは、「台所が生活の中心にある」ということ。風が通り、日が入り、そこから生活空間を一望できる場所、それが理想。もちろん住宅事情により、都合よくいかないかもしれないが、棚や配置に工夫を凝らしている(←その凝りかたも人それぞれで興味深い)。必要なときに、必要な道具やストックが手の届く、"ちょうどよい狭さ"こそ重要なのかも。「小まわりのきくコックピットのような台所」を目指す山本祐布子さんの厨房は一見の価値あり。

 さらに、どの台所もピカピカ。撮影が入るから掃除したのでなく、もともとキレイにしているようだ。マンガ「大使閣下の料理人」で、「プロフェッショナルのシェフの厨房はピカピカ」を知って以来、わたしの台所掃除への情熱は並じゃぁないが、年季の入り方が違う。見習うところ多し。

 非常に参考になったものは、以下の三つ。

  • 引き出しの調理器具の並び(刃物類と菜箸・トングの配置)
  • 乾燥ストック・調味料の収納(同じものは同じ入れ物に)
  • 水まわりの配置(とくに洗い物)
 クドクド説明されるのではなく、写真一発、すっきり分かる。いや、「片づけマニュアル」のつもりで読んだわけではないのだが、「片づけ方」ひとつとっても当人のポリシーがにじみ出ている。

 たとえば二つ目の調味料、特に「塩」にこだわる米沢亜衣さんは、食材にあわせて6種類の塩を使い分けているという。それぞれ、小ぶりの広口ビンに入れて、カゴに並べている(計量スプーンで量りやすい)。食卓塩やクレージーソルトを"ふりかける"ウチとは偉い違う。塩は量らないと。

 ナットクしかねるのが三つ目の水まわり。ほとんどのシンクは小さい(狭い)。人数にも拠るが、食材さばききれるのか? あるいは汚れた食器や鍋パンで身動きとれなくなるぞ。「食材は小ぶりのボウルに取りおき」「洗えるものは調理中に洗っておく」といった小技はもちろんウチでもやっている。それでもムリあるんじゃないのー? とツッコミながら読む。おそらく、「料理上手」たちは、ひとりか、ふたり向けの小規模な食卓なんじゃぁないかと。個食傾向が出ていて面白い。

 さて、残念ながら(?)わが家では嫁さんの料理センスが抜群なので、ダンナの出る幕がない。せいぜい、深夜に夫婦で呑む酒の肴を作る程度なので、台所での発言力は圧倒的に嫁さんが上。読ませてみるかー(でも、道具に頓着しないので、反応鈍いかも)。

 本書で紹介される台所は、以下の通り。モデルルームのような「つくったような台所」もあるが、ご愛嬌ということで。

 米沢亜衣(料理家)
 ケンタロウ(料理家)
 石井すみ子(主婦)
 山本祐布子(イラストレーター)
 高橋みどり(スタイリスト)
 伊藤まさこ(スタイリスト)
 渡辺有子(料理家)
 深尾泰子(布小物制作家)
 高山なおみ(料理家)
 長尾智子(フードコーディネーター)
 大橋利枝子(スタイリスト)
 ホルトハウス房子(料理研究家)
 高尾汀(主婦)
 塩山奈央(パタンナー)
 山崎陽子(エディター)
 大谷マキ(スタイリスト)
 松長絵菜(料理研究家)
 柳瀬久美子(フードコーディネーター)
 関貞子(ギャラリー経営)
 稲葉由紀子(エッセイスト)
 宮脇誠(古物商)

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ジョン・アーヴィング全部入り「また会う日まで」

 アーヴィングの最高傑作。全て読んできたが、これが一番。

また会う日まで上また会う日まで下

 ファンにとっては、ごほうびのような小説。アーヴィングの全部の要素が入っている。強い女性=母、不在の父、レスリング、痛みを伴うセックス、成功と死、偽装された過去、車椅子、機械仕掛けの神、そしてメインテーマである「家族の愛」 ―― 無いのは熊の剥製を着た女の子ぐらいww さらに、本線・伏線に自伝的要素が織り込まれており、アーヴィングその人の集大成といってもいい。amazon紹介は以下の通り。

   逃げた父はオルガニスト。
   刺青師の母は幼子とともに後を追って北海の国々へ。
   父を知らぬ息子は、やがて俳優になり――。最長最強の大長篇、待望の翻訳。

 ただし、アーヴィング初読にはオススメできない。上下巻で1000ページを超える濃密な仕掛けにギブアップするだろうから。あるいは、悲喜劇と箴言をシモネタで味付けした小説のつもりで読むならば、前半の展開を「だらだらした」と評するかも。

 じっさい、母→ジャック→父と続く構成の「長さ」には、ちゃんと理由があるんだ(もちろんジャックは著者ジョンと重ねてOK!)。その種明かしは、訳者あとがきで語られている。読み手を巻き込んだ「記憶の再生」の試みだと申し添えておこう。ただし、その理由の一つは、ちゃんと小説内で明かされている。

   感情に触れるものをひとつひとつ、時系列に
   そして、あまり先を急ぎ過ぎないように

 そう、過去を振り返るシーンは何度も何度も出てくる。カウンセリングのための「思い起こし」から、舞台や映画のワンシーンを「繰り返し演ずる」ところ、いっぱいに張られた写真をきっかけに、学生時代を次々を回想するところは、グッときた。過去と今が呼応しあう。ああ、あのエピソードは布石だったんだなーと、ジャックと一緒になって自分も思い出すんだ。それだけの長大な仕掛けを読ませてしまうのは、やっぱりスゴい。

 そして、アーヴィング一流の「死の接吻」。夢中になって読んでいると、登場人物をいつ死なせてやろうかと虎視眈々とするアーヴィングの視線とぶつかる。われながらイヤな読み手になったものだ。死の影が通り過ぎた後、過去ががらりと姿を変えることもある。同じ過去を受け入れる「いま」が変わることもある。死者が未来を創ってしまうところなんて、「サイダー・ハウス・ルール」のラストを思い出してじんとなる。

 もちろん、過去がおそいかかることもある。運命は未来からやってくるとは限らない。後になって知ることになる悲しい出来事は、過去から追いかけてくるものだ。「今はここにいない人」を恨めしく思ったり、裏切られた気持ちになったりする。舞台から映画俳優となるジャックが、読者の前でも「演技」をしているように見えるのは、過去に支配されているからだろう。

 過去を定義するいまと、いまを支配する過去、この繰り返しの感覚は、同じ旋律が複数の調べで順次現れるフーガのようだ。母に手を引かれた北欧の旅、「女の海」での成長譚、成功の物語、父を探す旅、そして… 何がメインテーマであるかぐらい言ってもいいだろう。これは「家族の愛」の物語。時系列に物語られてはいるものの、呼応する過去の出来事が「違う調べ」で「現在」に影響を及ぼす(この「現在」はジャックと"読み手"の両方の「現在」を指す)。読み終わってしまった(=全ての調べを聴いた)いま、母と父のそれぞれの思いが分かり、ジャックと同じように、穏やかな視線で見返すことができる。

 もうひとつ面白い点を。タイトルの"Until I Find You"、もちろんこれは、ある場所に記された「メッセージ」なんだけれど、この"You"は上下巻でまるで意味が違ってくるのがいい。さらに、全部読み終わって振り返ると、"You"とは、もう一人いることに気づく。わたしはこう読んだ:もちろん最初は「アリス→ウィリアム」で、次は「ジャック→ウィリアム」という意味なんだけど、もう一つ、父を探す過程で過去の母の本当の姿を「見つけ出す」ことでもあるんだ(『自分探し』という言葉を使ったら負けかと思ってる)。

もともと喜びも決断力も乏しい男なのよ、と母は言った。そういう男にアドバイスをする女が娼婦なのだ。女全般──または妻といったような一人の女──を理解しづらくなった男に、女をわからせてやる。ああいう男が決まり悪そうにしているのも、本来なら女房や恋人のような大事な内緒話のできる相手と話せばよかろうに、どういうわけか、そうはいかなくなっているか、そうしたくなくなっているからなのだ。心の「障壁」があるんだわ、とアリスは言った。男にとって女が謎になっている。もし本音をさらけ出すとしたら、わざわざ料金を払って、知らない女を頼るのだ。
料金というのは誰が誰に払うのか、と思っていたら、払うのは男だと母に教えられた。みじめな男の話を聞いてやるのは大変な仕事ではないか。母は明らかに娼婦に同情的だった。だからジャックもそうなった。母が男を軽蔑するらしいから、ジャックも男は嫌いだった。

 「ダメな男にアドバイスするのが娼婦の仕事」―― 物語の最初から最後まで(!)引っ張ることになるこの会話。4歳児のジャックの時代も興味深く読めたし、全部が分かった「いま」、改めて振り返るとと二重に面白い。アムステルダムの娼婦をオブラートに包む以外の理由で、なぜ、母がこんなことをジャックに言ったのかを考えるとね。さらに、この「アドバイス」を必要とする男にあてはめてみると、もっとね。

 どこを読んでも、過去の作品にあたる。ユニークでエロティックなエピソードや、淡々とぐんぐんと話が押し寄せてくる感覚も健在だ。作中作もちゃんとあるし(作中劇というべきか)。悲劇も喜劇もぜんぶひっくるめ、生きるということが書いてある。無いのは自動車爆弾ぐらいwww 本作は、いちばん、"彼らしい"小説なのかも。

 というわけで、アーヴィング好きには超をつけてオススメ。好きならとっくに手にしているだろうケド。

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「アジャイルプラクティス」はスゴ本

アジャイルプラクティス marsさんが、「システム開発に関わる人はみんな読めー」と強力にオススメするにつられて読む。これはスゴ本。marsさん、良い本を教えていただき、ありがとうございます。

■ どんな本?

 本書は、開発現場で培われた「成果を出す習慣」を、45のプラクティスとして紹介している。開発速度を大幅に上げたり、高速納期を目指すような、「アジャイル開発プロセス」という決まったやり方は、存在しない。アジャイルな開発とは、現場でのさまざまな活動をアジャイルにしていく――つまり、変化に適応することを継続させていく―― 「習慣」だということに気づく。協調性+フィードバックによるプラクティスは、あまりにもあたりまえすぎて見過ごされがちかと。その反面、意識して実践するならばこれほど心強い金棒はないだろう。

■ 忘れがちな基本中の基本「成果をあげるのが仕事」

 面白いのは、「悪魔の囁き」と「天使の導き」との間で揺れ動く「感情」に焦点をあてているところ。例えば「プラクティス1:成果をあげるのが仕事」ではこうだ――

悪魔の囁き : 問題解決の第一歩は、犯人を突き止めることだ。大馬鹿野郎を探し出せ!過失を明確にすれば、問題の再発を確実に阻止できるってもんだ

 「おまえのバグだゴルア!」が厳禁句なのは、それを言っても何もならないどころか、人間関係に大ダメージを与えてしまうところ。ミーティングが非難と防御の戦場になってしまうから。暗黒面に陥ることはたやすいし、何よりもラクだ。しかし、それで気分よく仕事ができるだろうか? 苦々しい気分で愚痴やあてこすりを応酬して、安心して仕事ができるだろうか?

天使の導き : 誰かの後ろ指をさすのではなく、自分のできる解決策に注力しなさい。大事なことは、意味のある成果をあげることです

この悪魔→天使の間のギャップを埋めるため、具体的にどう考え・行動すればよいかが書いてある。誰だって気持ちよく仕事したい。だから、「アジャイルな習慣を身に付けると、こんな気分で仕事ができるよ」というアプローチは、とても魅力的。どれぐらい魅力的かは、「こんな気分」というチェックポイントで確認できる。

こんな気分 : 自分が答えを知らないということを安心して認められる。大きな失敗は学習の機会だ。魔女狩りの機会じゃない。チームは一致団結する場だ。互いを非難しあう場じゃない。

 さらに、「こんな気分」では、プラクティスが上手くいっているかどうかも確認できる。「こんな気分」にならないのであれば、何らかの修正が必要だということ。ただ、やり過ぎはよくないという戒めに、「バランスが肝心」という項も設けている。2500年前の賢者の教えは、システム開発にも生きている。
  • 「自分のせいじゃない」というのが正しいことはまずない。また、「全部お前のせいだ」というのも同じくらい間違っている
  • まったくミスをしていないのであれば、それはおそらく一生懸命やっていない証拠だ
  • チームの多数派(特に影響力の強い開発者)の振る舞いがプロ意識に欠けていて、チーム運営に無関心な場合は、自分自身がチームを離れてよそで成功を目指すべきだ(デスマーチプロジェクトに引きずり込まれるのに比べたら、はるかにましだ)
 ひとりの開発者として、日々の現場で抱く感情、気持ち、態度、心構えに焦点をあて、ベストではなくベターなプラクティスを解説する(ちなみに、"ベストプラクティス"なんてものはウソっぱちで、どんなプラクティスも前提条件つきの"ベタープラクティス"でしかないという)。

■ 「特に違いはありません」で痛い目にあう

 「プラクティス21:違いがあれば結果も変わる」がズブりと刺さったのは、先週の金曜。要するに、「特に違いはありませんよ」という罠の話。既に読んでいたにもかかわらず、実戦に適用できなかった失敗例として白状しよう。

 次のリリースで、他社のシステムとのSOAP接続インタフェースが増えるので、dtdやWSDLを準備すればオッケー…のはずが、「つながらない」。シミュレート環境だと上手くいくのだが、実際に他社システムと接続しようとするとrmiで例外になる。2日間あれこれ試したが、ダメ(←わたしはここでレスキューに入った)。

 最初にヒアリングした時点で気づくべきだった→「つながった場合と、失敗した場合の違い? 環境ぐらいで、他には特に違いはないです」…ここで、「違い=環境」にバインドしてしまったのが運の尽き、資材、設定情報を徹底的に洗い出し、間違い探しの旅を始めてしまった!

 結局、一昼夜かけてもつきとめられず、「ホントに環境だけ?」と血走った目でツッコんだところ、「実はテストデータが違うことに今気づいた」とのこと。な、なんだってーΩΩΩ と調べると、データ設定のトコで不具合があり、相手システムでぬるぽになってた… 「違い=環境=自システム」に閉じたのが敗因やね。そういえば、ヒアリングのとき、バグの言い訳のオールタイム・ベスト1「ぼくのマシンでは動くんだけど…」が出てたっけ… この「痛い目」は、本書ではこう紹介されている。

「特に違いはありませんよ」この不朽の名言をベンダや同僚が口にしたら、彼らが間違っているほうに賭けるんだ。何か違いがあれば、その結果は確実に違う。

この手の問題は、非常に高くつく

■ 「あとどれだけ」で管理する

 TOC、すなわち制約条件理論(Theory Of Constraints)はオススメ。以前、[プロジェクトを成功させる魔法の言葉]でスゴ本を紹介しているが、本書ではTOCのエッセンスを紹介している。「プラクティス23:ありのままの進捗を計測する」だ。

「進捗率」をでっちあげるのはやめよう。作業がどれだけ残っているかを測定するんだ。最初に40時間かかると見積もった作業が、35時間経過した時点で、さらに30時間かかりそうだったら、その見通しのほうが重要だ(ここでは正直であることがとても重要だ)

 覚えがあるだろう、「進捗率80%」から変わらない報告会。「どれだけ進んだか」よりも、「あとどれだけ残っているか」が重要で、「残り」を正確に見積もるためにありのままの消化率を測るんだ。見当違いの測定基準(%が最たるもの)で、自分を欺くのはやめよう、という天使のアドバイスは激しくシンクロする。ゴールを念頭においた意識合わせにも通じるものがある。

ベストな解決策を探しはじめる前に、その状況は何をもって何をもってベストとするのか、メンバー全員の認識を合わせておく。開発者にとってベストなことが、ユーザーにとってはベストではないかもしれない。逆もまた然り

いわゆる「成功基準」やね。「何をもってうまくいっているのか」について認識を一致させておくと、「その成功基準に足りないのはどれぐらい?」という目で進捗を測ることができる。

■ 「ソリューションログをつける」は、必読だけじゃなく実行すべし

 問題を解決した記録(ログ)やね。あたりまえなんだけれど、実はやってる人は少ない典型例がこれだろう。問題が起きたら、すばやく解決したい。以前、似たような問題があったのなら、そのときどうしたのかを思い出して、今度はもっと早く解決したい。ところが、どうやって直したのか思い出せないのが世の常だ。そこで、ソリューションログ。

 ・問題が起きた日時
 ・問題の簡単な説明
 ・解決策の詳細な説明
 ・詳細情報や関連記事のURL
 ・解決の糸口や理解の助けとなりそうなコード片、設定、画面のキャプチャ

これをマメに記録しておけという。Wikiのようなカタチから入らなくてもいい、テキストエディタやExcelで充分。「あとで検索」できればいいのだから。

 実はこれ、数年前からやってた。昔はメールのログ、メモ、トラブルシートといったバラバラな形で残していたが、今では「自分ログ」として記録している。自分専用の問題解決パターンが蓄積され、文字通り「agile/素早く」対応できるようになった。「だまされたと思ってやってみな」と自信を持ってオススメできる。

■ 現場で培われた45のプラクティス

 「あたりまえだけど、重要なこと」は、教えてもらえないもの。教わるというよりは、スゴい人から盗んだり、自分であがいてもがいて身に沁みさせたりするものなのかもしれない。ところが、嬉しいことに、本書にはそういった暗黙知(のような習慣)が並んでいる。「誰にでも役立つ弾丸」ではなく、「わたしに役立たせるために、身に付けるべき習慣」という目で、選びたい。

 じっさい、夢物語でしかない「プラクティス」もある。「10:顧客に決断してもらう」や「18:定額契約は守れない約束」なんて、「それができたら苦労はしねーよ!」と叫びながら読んだ(もちろん、あなたが読めば別の意見になる)。銀の弾丸は無いが、あなたが気分よく仕事をするための「習慣」は必ずある。選ぶだけでなく、「実行」が大事。

  1. 成果をあげるのが仕事
  2. 応急処置は泥沼を招く
  3. 人ではなくアイデアを批判する
  4. 機雷がなんだ! 全速前進!
  5. 変化に付いていく
  6. チームに投資する
  7. 時が来たら習慣を捨てる
  8. わかるまで質問する
  9. リズムに乗る
  10. 顧客に決断してもらう
  11. 設計は指針であって、指図ではない
  12. 技術の採用根拠を明確にする
  13. いつでもリリースできるようにしておく
  14. はやめに統合、こまめに統合
  15. 早いうちにデプロイを自動化する
  16. 頻繁なデモでフィードバックを得る
  17. 短いイテレーションでインクリメンタルにリリースする
  18. 定額契約は守れない約束
  19. 天使を味方につける
  20. 作る前から使う
  21. 違いがあれば結果も変わる
  22. 受け入れテストを自動化する
  23. ありのままの進捗を計測する
  24. ユーザの声に耳を傾ける
  25. 意図を明確に表現するコードを書く
  26. コードで伝える
  27. トレードオフを積極的に考慮する
  28. インクリメンタルにコードを書く
  29. シンプルにすること
  30. 凝集度の高いコードを書く
  31. "Tell, Don't Ask" ――― 求めるな、命じよ
  32. 取り決めを守ってコードを置き換える
  33. ソリューションログをつける
  34. 警告をエラーとみなす
  35. 問題を切り分けて攻める
  36. あらゆる例外を報告する
  37. 役に立つエラーメッセージを提供する
  38. 定常的に顔をあわせる
  39. アーキテクトもコードを書くべき
  40. 共同所有を実践する
  41. メンターになる
  42. 答えを見つけられるように力を貸す
  43. コードの共有には段取りがある
  44. コードをレビューする
  45. みんなに知らせる
 そういや訳について言うのを忘れてた。訳出が上手いというだけでなく、経験した者ならではの表現が巧い。「プラクティス12:技術の採用根拠を明確にする」には思わず笑った。要するに、「新しい技術はツールなのだから、その技術自体が仕事になってはいけない」例として、こうある。

ついカッとなって永続化レイヤを独自に開発したくなったら、テッド・ニューワードの言葉を思い出すんだ「O/Rマッピングは、コンピューターサイエンスのベトナムだ」

「ついカッとなって永続化レイヤを独自に開発したく」あるあるwww「今は反省している」と付け加えたらサイコーなんだけれど、さすがに原文にないか。新人に限らず、オススメ。痛い目に遭っていればいるほど、身にしみるスゴ本。わたしも「システム開発に関わる人はみんな読めー」と声を大にしたいですな。

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子どもに「揺れ動く世界」をどう見せるか

 砂浜に、身体をねじ込むようにもがき嘆く女が写っている
 左隅に、死斑とフナムシがびっしり付いた腕が写っている

 [ これ ]だ。2004年12月26日の、スマトラ島沖地震から数日後に、この写真を見た。ロイターだったのか。文字通り胸を抉られて鉛でも詰め込んだように重くなった(今も感じる)。この強い写真を忘れることはない。

揺れ動く世界 一枚の重さを実感する。1ページ1ページめくるのが難しい。事故、災害、戦争、テロ、科学、信仰、経済、生活、文化、切り取られた情景から、背後や周囲に広がる「音」や「風」を想像する。血とガソリンの匂い、瓦礫が崩れ空気が震える。21世紀になってずっと度肝を抜かされっぱなしだ。世界は暴力に満ちているが、わたしが思っているよりも濃度は高いことが分かる。

 ロイター写真集「The State of The World 揺れ動く世界」は、21世紀の最初の7年間を1冊にまとめ、次の世代が乗り越えるべき課題を示そうと企画された。世界中のフォトジャーナリストから集め、厳選した写真が9つのテーマでまとめられている。文字通り、「世界のありよう」が切り取られている。

  1. 大問題
  2. 科学技術
  3. 信仰のかたち
  4. パワーポリティクス
  5. 戦争と対立
  6. 世界経済
  7. デジタル時代の文化
  8. 人々の暮らし
  9. 過去と未来を見つめて
 なかでも、9.11の米同時多発テロで倒壊したWTCではためく星条旗の写真や、冒頭で紹介した、津波で親族を亡くした女性の写真はご覧になった方も多いかと。

 センセーショナルなものだけでなく、1枚の写真から考えさせるものもある。例えば、南アフリカの8歳の少女の「顔」だ。ケープタウンの黒人居住区の学校で初めてコンピュータに触れたときの「その顔」は、魔法そのものを見ているようだ。彼女の「驚き」に微笑むいっぽうで、裏を返せばそうした機会が奪われつづけていたんだよなとひとりごつ。

 報道写真ならではの1枚もある。ネットだけ見ていると陥る穴に気づく。

 それは、フセイン元大統領の絞首刑の場面だ。「Youtubeで観たよ」という方も多いだろう(わたしもその一人だ)。この写真が重要なのは、絞首刑のニュース番組を眺める人々を撮影しているところ。つまり、死刑イベントを見世物にして宗派間の対立を煽ろうとする意図が見える。

 Youtube に限らず、ネットの情報はあまりにダイレクトに届く。そのため、情報が「こちら側」でどのように利用されているのか、かえって見えない。メッセージの伝達にこれほど便利なネットが、メッセージの波及効果を把握しにくくしていることに気づく。「端末の前の観客」の後ろから撮られていることを意識する。

 ロイタージャパンによると、21世紀の7年間だけで280人以上のジャーナリストが取材活動中に死亡しており、うち10人が同社のジャーナリストだという。紛争を報道し、本書中の写真を撮影してきたジャーナリストらにとって、戦争報道がこれほど危険となった時代はかつてない。なかでもイラクは、ベトナムやアルジェリアをしのぎ、現代史上、ジャーナリストにとって最も危険な戦地となっている。

 残念ながら、21世紀の最初の7年を代表する写真は、血なまぐさいものばかりだ。この世界、この揺れ動く重い世界を、子どもにどうやって伝えようか。テレビや新聞の希釈された報道を「あたりまえ」だと思わないよう、ネットが全てだと信じないよう、いつ本書を見せようか。

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「本棚」を覗く快楽

本棚 ひとん家(ち)の本棚を見るのが好きだ。

 気になる人が、どういう本を読んでいるかに興味がある。知らない本を発見するのは嬉しいし、知ってる本の組み合わせの妙はもっと愉しい。わたしのポリシー、[ 本を探すのではなく、人を探す ]ための、最もプリミティブなやり方でもあるし。

 本棚には人格があらわれる。いわば知性のプロファイルだ。本のラインナップだけでなく、並べ方や置き場所に至るまで、自我が延長したものが、プライベート・ライブラリーになる。松岡正剛の書斎(というか本の空間)は、コスモロジーそのものだし、上野千鶴子の研究室のスチールラックは、まるで銃器庫のようだ。

 そんなプライベートな場所をジロジロ眺めるのは、制服のミニスカに頭を突っ込むことと同じぐらい気まずい行為なので、がまんが必要だ。ところがミニスカ同様、しかるべき手続きと熱意、ひょっとすると幾ばくかの現金があれば、観賞することができる。

 本書は、そうした欲望を、心ゆくまで満たしてくれる。覗かれた方は以下のとおり。

  • 桜庭一樹
  • 川上未映子
  • 角田光代
  • 石田衣良
  • 山本幸久
  • 長崎訓子
  • 大森望
  • 中島らも
  • 喜国雅彦
  • みうらじゅん
  • 金原瑞人
  • 穂村弘
  • 吉野朔美
  • 宇野亜喜良
  • 山崎まどか
 石田衣良のモデルルームのような書斎や、大森望の溢れ出している本棚が面白い。村上春樹と稲垣足穂とアンドレ・ブルトン が仲良く収まっている中島らもの趣味も面白いし、みうらじゅんの本棚に「マンガの描きかた」が鎮座しているのにゃ噴いた。

 覗かれるだけでなく、本とのつきあい方もあけすけに語ってくれる。いちばん知りたいのは、「増殖する本をどうやってコントロールするか」だろう。意外なことに、本の洪水に悲鳴をあげている人はいない。達観派、ガチンコ派いろいろあれど、皆さん自分のやり方を確立している。大森望とみうらじゅんの「つきあい方」が対照的だ。まず大森メソッド。

よく考えると、今は読み終えた本や読まない本を後生大事に持ってる必要もほとんどないんですよ。だから、極端なことを言うと全部なくなっても実はたいして困らない。ある日、仕事場に来てみたら、空き巣が入ってすべての本を盗んでいってくれたらどんなに幸せだろうとか(笑)

 昔は、「見たときに買わないと二度と巡り会えない」なんて思っていたけれど、ネットのおかげで「読みたいときに買う」派だそうな。潔いなー、などと思ってはならない。諦めているんじゃぁないかと。壁全部を圧倒するばかりか、家中に氾濫する本棚を見てみるがいい、そりゃもう、スゴイ状態なんだから。

 その反面、みうらじゅんのポリシーは別の意味で潔い。よくわかる。積読派にとって格好の言い訳になるだろうが、大きな財布と広い空間が必要だね。

子供の頃からそういうふうな本の買い方してるから、必ず親父が「それは読書じゃなくて積ん読だ」とか親父ギャグ言ってたけど。もう買った時点でいいんですよ。オレがこの本に興味があるってことがわかったんですから。わかることが大事なんで。いくらかでもお金を出して買うってことは相当ハードル高いですからね。金出してまで買うってことは相当興味あるんだなーって自分が思うんですよ

 本棚を覗くだけでなく、本にまつわる想いも語ってくれる。桜庭一樹の繰り返し読みはいいね、いいね。

本はけっこう繰り返して読みますね。この本の中では、このシーンが好きだっていうのを覚えていて、映画でも好きなシーンをまた観たいとかあるんですけど。例えば「麦撃機の飛ぶ空」では「麦撃」という短編のラストシーンがすごく好きなので、ページを折って、ラストシーンだけまた読んで戻しておくとか

ノベルゲームのセーブポイントと同じだね。いつでもその本を読んだときの「気持ち」をロードすることができる。繰り返し読みたい、という本だけで書架をつくるのは気持ちいいだろうね。ちなみにわたしは、図書館派。[図書館を利用するようになるまでの20ステップ]を経たんだけど、こんな話を聞いているうちに、自分の本棚(群)が欲しくなる。あの修羅の道をもう一度?

 ネット界隈なら、小飼弾さんの本棚がスゴいらしいが、どんなんだろうね。あれだけ旺盛な読書量なら、あっという間にパンクしそうなものだが…

 以前の「本棚を覗く」話は…
  著名人の本棚を覗く
  人の本棚を見るのが好きだ

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人生は有限だ「冷蔵庫のうえの人生」

 ああ、もちろん涙腺が弱いことは承知してる。冷蔵庫のうえの人生

 だいたい「マイ・ライフ」なんて予告編だけで号泣だし、「死ぬまでにしたい10のこと」はタオルを持って観た。観鈴ちんの「ゴール」は何回も何回も何回も何回も何回も泣かされた。だからソレ系は人前で読まないように気をつけている…本書もそうだった。そして、人前で読まなくて正解だった。amazon紹介文が適切なのでここに引く。

   燃えつきる命の輝きを冷蔵庫のうえのメモがきざむ
   時に傷つけあい、時に支えあう

   少女から大人へと脱皮する娘と、一人で娘を育ててきた強い母
   母の死までの一年をメモだけで綴る

 書簡小説や日記小説、携帯小説など、形式はいろいろあるけれど、この世で一冊だけ、メモ小説はとてもユニーク。冷蔵庫のうえの「メモ」のやりとりだけで構成された小説。買物リストや「おこづかいちょーだい!」メッセージを読んでいるだけで微笑ましい。

お母さん!
お母さんは自分のことをちっともわたしに話してくれない。それなのに、どうしてわたしばっかり、お母さんになんでも話さなくちゃいけないの?

クレア

 さらに、「ボーイフレンドのこと」や「離婚したパパのこと」をめぐる確執は、行間ならぬメモ間を読み取る工夫がいる。つまり、メモとメモの間で、どんな会話が交わされ、何が起きたのかを想像するわけだ。

 ところが、ある出来事を境に日常が変わりはじめる。

 話そうか、話すまいか、母の葛藤がつたわってくる。たかが冷蔵庫のメモなのに、自分の病気のことを娘に伝えるのに躊躇する姿が見える。すれ違いがちの、めまぐるしい日常、それがあまりにも愛しく、最後まで黙ってたほうがいいんじゃないのか、という思いが透ける。エゴなのか優しさなのか、映画「死ぬまでにしたい…」はまさにそんな話だった。

あなたにいてほしかった。でも、口に出してそう言う勇気がなかった。こんなことのためにあなたの人生を台無しにしたくなかった。あなたには普段通りの生活をしていてほしかった。私のかわいい娘でありつづけてほしかった

 重荷になりたくない、なぐさめたい、弱さを見せたくない、支えになりたい、傍にいたい、独りにしてほしい、死にたくない ―― 冷蔵庫のメモのうえで、さまざまな「気持ち」が交錯する。気遣いと、それを疎ましく思ういらだち、さらにイライラしてしまう自分を責める気持ちが、思いやりと不安がひたひたと胸をいっぱいにする。

 それが決壊し、滂沱として流れ出すのは、二人の気持ちが冷蔵庫のうえでしっかりとつながったとき。

あんなに長い間放っておかないで、すぐに病院で診てもらっていたらこんなことにはならなかった。最初の小さなしこりを見つけたときすぐに診察を受けていたら、こんなひどいことにはならなかったかもしれない。

もっと自分の体に責任を持てばよかった。
いい母親だったら、きっとそうしていたでしょう。

 自分を責める母は、医者でもある。娘の返事は、こらえることができなかった。独りで読んでてよかった。

「いい母親」なんかほしくない
わたしはお母さんの子でよかった

 ときどきこの手のを読むのは、人生が有限であることを、わたしはときどき忘れるから。かけがえのない時間が「日常」という名のもとに過ぎ去ってしまったことに気づいたとき、どう感じるか。残された時間を精いっぱい生き抜こうと、何をするのか、冷蔵庫のメモを通じてわたしも一緒に考える。「やりたかったことリスト」を見ると、「やりたいリストは、いま、ここで、書く!」と強く思う。30分で読めて一生残る気持ちを植え付けられる。

 Memento mori , 人生は有限だが、わたしはときどき忘れる。

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