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ずっと米国のターン?「21世紀の国富論」

 要するにパソコンのパラダムシフトと、ITの次にくる基幹産業の話21世紀の国富論

 転換点は2015年ごろだそうな。そこで日本がどういう役割でいるかは、予想というよりも「エール」に近い。梅田望夫は胡散臭いが安易な悲観論も御免だね、という方に。

 グローバルスタンダード(死語)のお題目で、米国型経営や成果主義が日本に広がっているなか、著者は以下の切り口で問題点を挙げている。

 切り口1 : 内部留保の軽視
 切り口2 : ROEへの固執

 切り口1。資金調達の方法として、以下のルートがある。イノベーションを起こすための研究開発資金なら、1と2はあまりにもチャレンジングなので、普通3だろう。過去の蓄えでもって未来の食い扶持を創出するわけ。

   1. 金融機関から借金
   2. 株主調達
   3. 内部留保

 米国のベンチャーキャピタルは肥大化しているという。リスクを取って新しい技術を育てるのではなく、「買う」わけだ。そのため、調達ルートは銀行か株主で、内部留保は軽視される。

 切り口2。「企業は株主のもの」とばかりにROE(株主資本利益率)に固執し、企業としての目的が「数字」になってしまう。短期の「結果」を出すために、研究開発費を削り、新しいものがうみ出せなくなる。

 シリコンバレーは新しい基幹産業をうみ出す力を失っているという。ベンチャーキャピタルは大きくなりすぎており、2つの切り口から覗くと、合従連衡ゲームのようだ。

 わたしは既に「オールドタイプ」なんだろう。たとえば、マイクロソフトやgoogleの時価総額を聞かされる度に、ぱんぱんにふくらんだをイメージする。「ただの広告屋に賭けるにしては、身の丈あっていないよ」、と言うが早いが「googleの価値が分かっていない奴」というレッテルが貼られる。

 巨大企業を腐したいわけじゃない。IT屋の端くれであるにもかかわらず、「パソコン」に違和感を感じているから。

 もっと詳しく説明するね。

 もちろん、わたしにとってパソコンやネットは不可欠なものだし、現代社会にとってもそうだろう。電話や自動車のように、なくてはならないものだ。

 しかし、電話や自動車は「フリーズ」したりしない。かつて、Windows搭載のBMWやイージス艦があった(乗るかい?)。また、電話も自動車も、ほぼ直感的に習得することができた。なによりも「さいしょからある」ものとして付き合ってきた。

 パソコンは急速に普及したので、これから洗練される―― と聞かされても信じない。メモリの単位がK→M→Gになっても、起動時間は1/1000にすらならない。

 それでも、パソコンは便利だ。命を託すほどではないが、本を注文してもいいぐらい信用できるようになった。そこで、違和感がでてくる。

 その程度の「信頼」や「実績」の上に、過大な期待が乗っかっていないか? という違和感。いそいで付け加えると、「期待するな」「信用ならねぇ」と言っているのではない。大きすぎやしないか? と心配しているんだ。

 いやいや、PCとかネットといったディメンジョン自体、小せぇ小せぇと嘲笑(わら)ってくれ。あるいは、「メシの種にケチつけんじゃねぇこのバチあたりがッ」と罵るなら、もっと安心だ。

 ―― そういう違和感、わたしだけかと思っていたら、著者がズバリ「これからは、機械が人間に合わせる時代がくる」と斬っている。「計算機」としてつくられたコンピュータは、もっと人間に合わせて作り変えられる(定義しなおされる)と説く。

 それ―― パソコンの次のもの―― は、計算機能中心からコミュニケーション中心の発想へシフトする。早ければ、5、6年の間に情報端末としてのパソコンの優位性は失われ、2015年頃にはオフィスからパソコンが消えるかもしれない、という。

 じゃぁその、「パソコンの次のもの」の正体はというと、NetPC/NCだから涙が出てくる。いやいや、かつてオラクルやマイクロソフトがぶち上げてたのとかなり違うらしい。もっとユビキタスで、使っていることを感じさせない(パーベイシブ/pervasive)なやつで、PUC(Pervasive Ubiquitous Communications)と名付けている。ハードとソフトが一体化しており、今までのOSやデータベースとは、まるで違う発想の元に作られている。

 この道はいつかきた道、ああ、そうだね… 泣けてくる。おそらく、そのガジェットは、いま、目の前にあるモノだろう。「最初は、iPodやケータイと呼ばれていたもの」が、それ―― パソコンの次のものになるんじゃぁないかと。

 IT産業への違和感や、イノベーションの価値感覚と、かなりの部分で著者とシンクロできるのに、PUCの話題に移ると、マユツバになる。オールドタイプになったもんだ。ただ、「いつかきた道」だろうと、説得論理はじゅうぶんある。大前研一「新・資本論」の読後感とそっくりだ。賭けはしないが、見とどけたい未来が書いてある。

まだ誰も信じない未来のビジョンに投資する

コンピュータ全盛の今、「コンピュータの時代はもうすぐ終わる」といっても、普通は誰も信用しないでしょう。しかし、世の中は変わるという本質をつかみ、新しいビジネスモデルを提唱するのがベンチャー企業創業者です。

新しい技術が生まれ、世の中の枠組みが変化すれば、すべてが変化することを忘れてはいけません。西部開拓の時代からアメリカ各地で発達し、重要な交通機関となった幌馬車のことを知っている人が今、どれだけいるでしょうか。各地の幌馬車会社をつぎつぎと買収し、一握りの大企業がようやく独占的な支配を確立した頃、現れたのが鉄道です。そして巨大化した幌馬車会社は、あっけなく消えてしまったのです。歴史が教えてくれるこういう事実は、今から振り返ればごく当り前のことでしょう。しかし当時、長距離を移動する乗り物といえば幌馬車しか知らなかった大多数の人々にとっては、いつか幌馬車会社がなくなるなどということは想像すらできなかったのです。

 見えていないのは、わたしなのだろうか? こないだ読んだ「イノベーションの神話」で知った、ウィリアム・ギブスンの言葉を思い出そう。

  未来はここにある。まだ、普及していないだけだ
  The future is already here - it is just unevenly distributed.
  William Gibson

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