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劇薬小説ベスト10と、これから読む劇薬候補

 はてなでの[募集]の結果。みなさまのオススメに大感謝。冒頭の十大劇薬小説のインパクトが激しかったのか、毒気の濃いものばかり。

 一連のやりとりで気づかされたのは、毒にも薬にもなること、あたりまえなんだけどね。さらに、読んだ時期によって毒成分が異なる、いわば「旬」というものがあること。三島「憂国」なんて特にそう。多感なトシゴロに読むと間違いなく猛毒または特効薬になる。考え方の基盤を根こそぎ変えてしまうようなインパクトをもつ。

 オトコには毒だが女性には効かないとか、童貞専用の猛毒小説とか、子どもがいるなら絶対読めないとか… 属性・状況によりけり。

 ここでは、オススメいただいたいくつかを読んだ感想と、これから読む劇薬候補を挙げる。ぬるい恋愛・涙ちょーだいモノに飽きたらどうぞ。イタいかキモいか分からないが、より本能に近い感覚を味わうべし。

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 劇薬小説ランキングベスト10
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  1. 狂鬼降臨(友成純一) 所収:「獣儀式」
  2. 骨餓身峠死人葛(野坂昭如)
  3. 児童性愛者(ヤコブ・ビリング)
  4. 隣の家の少女(ジャック・ケッチャム)
  5. 城の中のイギリス人(マンディアルグ)
  6. トマト・ソース(H・エーヴェルス)←今回ランクイン
  7. 目玉の話(バタイユ)
  8. 暗い森の少女(ジョン・ソール)
  9. 問題外科(筒井康隆)
  10. きみとぼくの壊れた世界(西尾維新)

「トマト・ソース」以外のレビューは、[ここ]にある。「普通」の人は読まないほうが吉。「トマト・ソース」のレビューは、以下に書いた。

 知らなくてもいいことは、確かにある。いや、「知らない方がいいこと」、だな。

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 「はてな」でオススメいただいた「どくいり・きけん」小説
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 残念ながら(?)、オススメいただいて読んだものはどれも楽しめた。通常の感性には強烈なインパクトを持っていることは確か。人によると琴線が焼き切れてしまうかもしれない。

■ 三島由紀夫「憂国」

 死に裏打ちされたセックスが神々しい。健康な欲望と国体が究極のところで合致することが「自然」に見える。切腹シーンは見てきたように、というよりも、自腹を裂いてきたのような生々しさ。

 こんなときは、イメージよりも嗅覚をめぐらすのだが、秘部から淡い立つ匂いだけの描写にとどまっており、ちょい欲求不満。腹腔内はスゴく臭いし、大量の血液が流れ出しているので、鉄臭さが立ち込めているはず。書き手は、そんな状況を分かりきった上で、あえて省いたのだろう。

 「死」をここまで美化する「うろんさ」に辟易する。童貞時代にうっかり読んだら魂にまで刷り込まれていた美文だな。だから、若い人には劇薬になるかも(中学女子あたりが狙い目)。

 高校生の姪っ子に「三島由紀夫の一冊目は何がいい?」と訊かれたことがある。あのときは「夏子の冒険」と即答したけど、今度からは「憂国」を推そう。

■ 筒井康隆「偽魔王」と「乗越駅の刑罰」

 エログロが書きたくって仕方がないのが見える。作中人物よりも著者の欲求がキモチワルイ。やおいに意味を求めることが無意味であるように、エログロ以外は徹底的に何も書いていない。

 口鼻をガムテで塞いで、尻穴から空気をメ一杯入れたら… とか、ありえないチカラで両足を持ってねじり裂いたら… とか、普通の人が考えつく残虐さ。常人の曲芸を見ている感覚。書いてる奴は明らかにおかしい「狂鬼降臨」と比較すると、筒井氏はマトモというより愉快犯に見えてくる。

 「偽魔王」の残虐さが好きなら、バーカー「血の本 : 屍衣の告白」を、「乗越駅の刑罰」の"刑罰"がキた人には、沙藤一樹「D-ブリッジ・テープ」あたりをどうぞ。

■ 曽野綾子「長い暗い冬」

 既読だったのを思い出させてもらった。オススメいただいた toomuchappy さんに感謝。読むと憂鬱になることと、ファイナルインパクトが衝撃的。「太郎物語」あたりをノン気に読んだ直後に手にすると、かなり毒かも。彼女の「地」がよく出ているから。ホラ、あれだ、「時をかける少女」の直後に筒井本人がパロった「シナリオ・時をかける少女」を読むようなもの(アニメで「時かけ」知った人は読んじゃダメ・ゼッタイ)。

彼岸の奴隷■ 小川勝己「彼岸の奴隷」

 登場人物全員がどこか狂っており、マトモな人はどこかで惨殺される。

 最悪なのがヤクザの若頭、こいつは変態狂人として描きたいらしい。部下に肉料理をご馳走してやるんだが、コース最後のデザートで、部下の妻子の生首が出てくる。肉料理というのは自分の妻子の「肉」だったというオチ。

 普通の獣姦ショーには飽き足らず、女の両手両足を切断・縫合し、口裂け状態にしたあと縫い合わせた人玩具にする。縫合はタコ糸というのがポイント。さらに(勃たないのに)自分の子が欲しいそうな。なぜか?自分の愛する存在を食ってしまいたいらしい。つまり、喰うための我が子が欲しいんだって。

 全員が狂っていて、その狂いっぷりを楽しむのなら、「殺伐の野獣館」だね。ハードコア+スプラッタ。強姦、獣姦、近親相姦。死姦、幼姦、阿鼻叫喚。まんぐり、八艘渡、緊縄、ロリペドなんでもござれのつゆだく特盛。「彼岸の奴隷」がイケるならどうぞ。

■ トオマス・マン「トビアス・ミンデルニッケル」

 マンですかーっと構えて読んで引っくり返される。なるほど、「ここに私がいる」感覚は確かにある。ここで犠牲になったのは畜生だったけれど、「人間の赤ん坊」に置き換えると途端に現代日本になる罠。

■ エーヴェルス「スタニスラワ・ダスプの遺言」

 これいい!読み進めるうちに、だんだん追い詰められていく感覚がいい。彼女が何を意図していたのかが最後の最後になって分かる「仕掛け」がいい。物語上のキャラと一緒に逃げ場がなくなった上で、対面させられる恐ろしさで息が詰まるのがいい。

 スゴい小説を読むと発動してしまう悪癖「先読み」のせいで、ラストはExplosionだとあたりをつけていたのだが…見事に裏切られた!しかも、さらにおぞましい形で。オススメいただいたsbiacoさんの評は、

   > 思わずページから顔をそむけたくなるほど。

 だったけど、彼女が○○したという場面では肌がザっと粟だった(彼女の"表情"が見えた)。文字通り心臓が凍る瞬間を味わえる。他に「トマト・ソース」が秀逸らしいが、書籍化されていないようだ… 雑誌を漁るか。

■ エーヴェルス「トマト・ソース」

 本能にクる、思わずページから顔をそむけた。わたしの中の「そういうところ」にビンビンと反応した。いや、グロとかエロといった即物的な奴じゃない。「そういうところ」をキレイに蒸留・昇華した「演出」が、ぜんぶ剥ぎ取られており、まるで自分の臓器をつかみ出されて見せられているようだ。

 いや、それは違うだろ、グロスキーなオマエだから反応しているんじゃぁねぇのか、と反論できる。ああ、そうかもしれない。そうだったなら、どんなにいいことだろう。

 でもね、ボクシングや格闘技を見るとき、血肉が沸き踊る感覚は、確かにある。それを「読む」ことができる。そして、本当は自分が何を求めているのかを、体験することができる。ラストの「コケコッコー!!」の場面は鮮やかに視覚化できたよ、そこに坐って見ているわたし自身も込みで

 惜しいことに、この作品は書籍化されていない。アトリエOCTAが出版した「幻想文学」第64号(2002.7)に、その全訳が掲載されている。図書館かバックナンバーで自分の臓物を確かめて欲しい。

 H.H.エーヴェルス作品は初読みだが、出版界では不遇をかこつているようだ。ヒトラーが好んで読んだという逸話があるぐらいだから? 劇薬アンソロジーを編むなら、いっとう最初に「トマト・ソース」を、ぜひ。

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 これから読む劇薬候補
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 壁投げ本が混ざってるが、少なくとも手にとってみる。触って開いて匂いを嗅いで、あとは本能に従うべし(オンナといっしょ)。文字通り毒味役となってご紹介していこう。

  • ポー「アモンティラードの樽」
  • キャシー・コージャ「虚ろな穴」
  • コンラッド「ガスパール・ルイス」
  • 桐野夏生「グロテスク」
  • 三浦 しをん「むかしのはなし」
  • クック「夜の記憶」
  • 麻耶雄嵩「神様ゲーム」
  • ガストン・ルルー「恐怖夜話」
 もちろん、「それが劇薬なら、コイツは?」というオススメは歓迎しますゾ、激しく。

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ずっと米国のターン?「21世紀の国富論」

 要するにパソコンのパラダムシフトと、ITの次にくる基幹産業の話21世紀の国富論

 転換点は2015年ごろだそうな。そこで日本がどういう役割でいるかは、予想というよりも「エール」に近い。梅田望夫は胡散臭いが安易な悲観論も御免だね、という方に。

 グローバルスタンダード(死語)のお題目で、米国型経営や成果主義が日本に広がっているなか、著者は以下の切り口で問題点を挙げている。

 切り口1 : 内部留保の軽視
 切り口2 : ROEへの固執

 切り口1。資金調達の方法として、以下のルートがある。イノベーションを起こすための研究開発資金なら、1と2はあまりにもチャレンジングなので、普通3だろう。過去の蓄えでもって未来の食い扶持を創出するわけ。

   1. 金融機関から借金
   2. 株主調達
   3. 内部留保

 米国のベンチャーキャピタルは肥大化しているという。リスクを取って新しい技術を育てるのではなく、「買う」わけだ。そのため、調達ルートは銀行か株主で、内部留保は軽視される。

 切り口2。「企業は株主のもの」とばかりにROE(株主資本利益率)に固執し、企業としての目的が「数字」になってしまう。短期の「結果」を出すために、研究開発費を削り、新しいものがうみ出せなくなる。

 シリコンバレーは新しい基幹産業をうみ出す力を失っているという。ベンチャーキャピタルは大きくなりすぎており、2つの切り口から覗くと、合従連衡ゲームのようだ。

 わたしは既に「オールドタイプ」なんだろう。たとえば、マイクロソフトやgoogleの時価総額を聞かされる度に、ぱんぱんにふくらんだをイメージする。「ただの広告屋に賭けるにしては、身の丈あっていないよ」、と言うが早いが「googleの価値が分かっていない奴」というレッテルが貼られる。

 巨大企業を腐したいわけじゃない。IT屋の端くれであるにもかかわらず、「パソコン」に違和感を感じているから。

 もっと詳しく説明するね。

 もちろん、わたしにとってパソコンやネットは不可欠なものだし、現代社会にとってもそうだろう。電話や自動車のように、なくてはならないものだ。

 しかし、電話や自動車は「フリーズ」したりしない。かつて、Windows搭載のBMWやイージス艦があった(乗るかい?)。また、電話も自動車も、ほぼ直感的に習得することができた。なによりも「さいしょからある」ものとして付き合ってきた。

 パソコンは急速に普及したので、これから洗練される―― と聞かされても信じない。メモリの単位がK→M→Gになっても、起動時間は1/1000にすらならない。

 それでも、パソコンは便利だ。命を託すほどではないが、本を注文してもいいぐらい信用できるようになった。そこで、違和感がでてくる。

 その程度の「信頼」や「実績」の上に、過大な期待が乗っかっていないか? という違和感。いそいで付け加えると、「期待するな」「信用ならねぇ」と言っているのではない。大きすぎやしないか? と心配しているんだ。

 いやいや、PCとかネットといったディメンジョン自体、小せぇ小せぇと嘲笑(わら)ってくれ。あるいは、「メシの種にケチつけんじゃねぇこのバチあたりがッ」と罵るなら、もっと安心だ。

 ―― そういう違和感、わたしだけかと思っていたら、著者がズバリ「これからは、機械が人間に合わせる時代がくる」と斬っている。「計算機」としてつくられたコンピュータは、もっと人間に合わせて作り変えられる(定義しなおされる)と説く。

 それ―― パソコンの次のもの―― は、計算機能中心からコミュニケーション中心の発想へシフトする。早ければ、5、6年の間に情報端末としてのパソコンの優位性は失われ、2015年頃にはオフィスからパソコンが消えるかもしれない、という。

 じゃぁその、「パソコンの次のもの」の正体はというと、NetPC/NCだから涙が出てくる。いやいや、かつてオラクルやマイクロソフトがぶち上げてたのとかなり違うらしい。もっとユビキタスで、使っていることを感じさせない(パーベイシブ/pervasive)なやつで、PUC(Pervasive Ubiquitous Communications)と名付けている。ハードとソフトが一体化しており、今までのOSやデータベースとは、まるで違う発想の元に作られている。

 この道はいつかきた道、ああ、そうだね… 泣けてくる。おそらく、そのガジェットは、いま、目の前にあるモノだろう。「最初は、iPodやケータイと呼ばれていたもの」が、それ―― パソコンの次のものになるんじゃぁないかと。

 IT産業への違和感や、イノベーションの価値感覚と、かなりの部分で著者とシンクロできるのに、PUCの話題に移ると、マユツバになる。オールドタイプになったもんだ。ただ、「いつかきた道」だろうと、説得論理はじゅうぶんある。大前研一「新・資本論」の読後感とそっくりだ。賭けはしないが、見とどけたい未来が書いてある。

まだ誰も信じない未来のビジョンに投資する

コンピュータ全盛の今、「コンピュータの時代はもうすぐ終わる」といっても、普通は誰も信用しないでしょう。しかし、世の中は変わるという本質をつかみ、新しいビジネスモデルを提唱するのがベンチャー企業創業者です。

新しい技術が生まれ、世の中の枠組みが変化すれば、すべてが変化することを忘れてはいけません。西部開拓の時代からアメリカ各地で発達し、重要な交通機関となった幌馬車のことを知っている人が今、どれだけいるでしょうか。各地の幌馬車会社をつぎつぎと買収し、一握りの大企業がようやく独占的な支配を確立した頃、現れたのが鉄道です。そして巨大化した幌馬車会社は、あっけなく消えてしまったのです。歴史が教えてくれるこういう事実は、今から振り返ればごく当り前のことでしょう。しかし当時、長距離を移動する乗り物といえば幌馬車しか知らなかった大多数の人々にとっては、いつか幌馬車会社がなくなるなどということは想像すらできなかったのです。

 見えていないのは、わたしなのだろうか? こないだ読んだ「イノベーションの神話」で知った、ウィリアム・ギブスンの言葉を思い出そう。

  未来はここにある。まだ、普及していないだけだ
  The future is already here - it is just unevenly distributed.
  William Gibson

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