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「無限のスーパーレッスン」に酩酊する

無限のスーパーレッスン ゲーデル入門のつもりで読んだが、「数」の恐ろしさを思い知ると同時に、確かだと思い込んでたリアルがゆらぐ。急に足元が消えたような感覚にとらわれる。そのへんのミステリよりも背すじが寒くなる。

 8章まで面白く読める。聞き手の「おっさん」が程よく分かっていないので、絶妙の質問をしてくる。まるでわたしの代わりのようだ。おかげで、「わからない」から「わかる」快感をたっぷり味わう。

 興味深いのは、「わかった」とするときの居心地悪さ。アタマでは分かっても、腹に落ちない「だまされているような感覚」がつきまとう。例えば、

 「1= 0.999…」について、ありがちな説明として、

   1 = 1

 両辺を3で割る。左辺は分数、右辺は小数で表現すると、

   1/3 = 0.333…

 両辺に3をかけると、

   1 = 0.999…

 聞き手の「おっさん」は、これがうさんくさい、という。

 つまり、0.9999999999999999999…とどんなに1に近づいても、1にはならないのならイコールじゃない、と言い張る。このツッコミは新鮮。わたしなんて、疑問にも思わず(したがって理解もせず)「こんなものだ」と覚えてしまっていたから。それをしつこく解説する。

 「1= 0.999…」について、もうひとつの説明として、

   S = 0.999…   とする

 両辺を10倍すると、

   10S = 9.999…

 両辺からSを引くと、

   10S - S = 9.999… - 0.999…    ←※

   9S = 9

 両辺を9で割ると、

   S = 1

 最初に「S = 0.999…」としたので、

   1 = 0.999…

 「おっさん」はそれでもおかしいという「無限というのは、…がずっとくり返される、終わりなく続くもの。これを"S"という、あたかも一つの記号に置き換えられるのが不自然だ」と抵抗する。わたしにとって、※の計算が居心地悪い。アタマでは分かるが、計算しつくせないものを終わらせているから。

    9.9999999999999999999…
 -) 0.9999999999999999999…
 ―――――――――――――――
    9

 そんな「おっさん」を相手に無限のレッスンが続く。萌え(?)を意識したのか、妙齢の美人教授を登場させ、コスプレや奇矯な言動をさせたり、読み手を飽きさせない工夫が随所にある。

 オイラーの計算も面白い。以下の計算を無限に行ったらいくつになるか?

   1 + ( - 1 ) + 1 + ( - 1 ) + 1 + ( - 1 ) + 1 + ( - 1 ) …

 こいつを、Sで置き換えると、

   S = 1 + ( - 1 ) + 1 + ( - 1 ) + 1 + ( - 1 ) + 1 + ( - 1 ) …

   S = 1 - { 1 + ( - 1 ) + 1 + ( - 1 ) + 1 + ( - 1 ) …}

   S = 1 - S

   2S = 1

   S=1/2

 しかし、Sは

   1 = 1

   0 = 1 + ( - 1 )

   1 = 1 + ( - 1 ) + 1

   0 = 1 + ( - 1 ) + 1 + ( - 1 )

   1 = 1 + ( - 1 ) + 1 + ( - 1 ) + 1

   …

 と、どんなに足していっても、0か1の間のどちらかの値をとるだけで、無限に続けても1/2にはならない。オイラーの計算とコーシー列の解説から、数とは何か、という本質的な理解が得られる。

 面白がって背理法や集合論のレッスンに付いていくと、「ラッセルのパラドックス」が突きつけられる。「集合の集合」にヤられる。偽命題として「1=0」が証明されてしまう(そして、理解できる)。わたしの理解していた数学がウソだと証明されたようで、自分の正気を真剣に疑う

 あるいは、コーシー列の解説の際、「おっさんが」が数直線上の1を疑い始める。

「うーん、1に無限に近づくことはできるんやけど、ぴったり合うところがあらへんのちゃうか、ゆう不安ゆうか、恐怖ゆうか。近づいても近づいても絶対そこへはたどりつかへん、ゆうかな。」
「そうそう、そういう感覚なんです。自分の頭で思っている数直線と、現実の数直線が、よくよく調べてみるとズレてるんじゃないか、という不安感があるんですよね」

 そう、わたしも。数学ってもっと確固としたものだと思っていた感覚がゆらぎはじめる。このめまい、酩酊感は、ちょっとこわい

 数学を暗記科目だと割り切るようになったのは、虚数から。虚数は数直線上にプロットできないと説明されて、嘘くさい数だとヘソ曲げたのがきっかけ。「数ではないのに数学とはこれいかに」なんてセンセに問答をふっかけたり。

 おかげで「青チャート」+「大学への数学」だけで終わったつもりでいた。たしかに点は取れたけど、非常にもったいないことをした。実在無限で済ませていたのが、可能無限に気づいてしまったというべきか。

 で、肝心の9章。残念ながら、不完全性定理は理解できなかった。8章までと異なり、たとえ話だらけとなっている。「たとえ話」で伝えたいことは薄ら分かるのだが、理解できない。だから、「そもそも自己言及のパラドクスじゃぁねぇの? ラッセルがダメでゲーデルがセーフなのはなぜ?」という疑問が出てくる。精進が足りん。

 分かるところだけつまみ食い的に読んでも、かなり酔える。さて、こんな調子でGEBまで行けるか!?

1章 無限は本当に存在するのか?
 1.1 大きな数を言う勝負は後手必勝?
 1.2 宇宙の果てはどうなっているの?
 1.3 アキレスは亀に追いつけない?
 1.4 有限の人間が無限を扱えるのか?
 1.5 無限の足し算は終わるのか?

2章 数とは何か?
 2.1 コーシー列って何ですか?

3章 無限には二つの種類がある
 3.1 可能無限とは何か?
 3.2 実在無限とは何か?

4章 無限の大小の調べ方
 4.1 無限はどうやって数えるのか?
 4.2 ベルンシュタインの定理って何ですか?
 4.3 大小関係にはどんな可能性があるか?
 4.4 対角線論法とは何か?
 4.5 どんな無限よりも大きい無限はあるのか?

5章 パラドックスとは何か?
 5.1 自己言及と矛盾の関係とは?
 5.2 存在そのものが矛盾する?

6章 ヒルベルトさんの無限的センス
 6.1 「20世紀に解かれるべき23の問題」とは?

7章 公理なくして数学なし
 7.1 点と点を線で結べることは証明できますか?
 7.2 三角形の内角の和は2直角なのか?

8章 ヒルベルトさんの夢
 8.1 公理の意味をすり替えた犯人はだれだ?
 8.2 椅子PQはビールジョッキRを通らない?
 8.3 無限を使っても数学は変にならないのか?

9章 ゲーデル不完全定理の誕生
 9.1 数学の公理系ってどんなもの?
 9.2 命題「私には証明がない」って正しいんですか?
 9.3 ヒルベルトさんの夢は砕かれてしまうのか?

10章 ゲーデル以降の無限
 10.1 永遠に解けない問いがあるのか?
 10.2 バナッハ・タルスキの嘘のような定理は本当なの?
 10.3 いつになったら終わるの?

おまけ 魔法のキャンデー
 無限か0か?
 地球人と火星人のための公理って?

 この本は、G★RDIASの「無限のキャンディーに隠された秘密」がきっかけ。良い本を教えていただき、kanjinaiさんに大感謝。リンク先のアリスと手品師のキャンデーの問題が面白い。本書を手にする前に、トライしてみてはいかが?


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ラノベの元祖は川端康成

 ライトノベルの最初の一冊は?

 世間を席巻する前からジャンルとして確立されており、ヤングアダルトとか、ジュブナイルとして、いわゆる「児童書」とは区別されていた。朝日ソノラマ文庫や早川JA文庫が入口だった人もいるはず。

夕映え少女 ややもするとラノベの定義まで遡及するかもしれないので、ここではコバルト文庫の最初の一冊として川端康成「夕映え少女」を読む。思春期の少女の微妙な心理から、成熟した女性のひたむきな想いを、7つの短篇におさめている。百合やら超能力者が普通に出てくる、立派なラノベですな。右端の書影は新風舎の新装版。コバルト版は少女処女してる。

 白眉は「むすめごころ」、本物よりも乙女心を理解していたのかしらんと言いたくなるぐらい、もどかしさとせつなさを上手く描いている。女学校の寄宿舎での語らいを思い出して。

でも、いっしょに腰をかけて、さてなにをしようというのだろう。私はただ幸福なだけだ。涙ぐんでなにか大事な話をしてあげたいような、心の奥底をもっと見せ合いたいような、なんとなく激しい気持ちで、しかもたわいないじょうだんばかり言っている。

 まさに、ふたりは百合きゅあ。憎いのは、物語の入れ子構造。ある女性の親友が、過去を思い出して書いた手紙がある。それを見せてもらった第三者(男)が、「この手紙はわたしが預かっておいたほうがいい」として紹介する形で話が始まる。

 一体どうして、男の手元においたほうがいいのかは、ちょいミステリ気味で楽しく、ラストになってこの叙述形式が効いてくる。一人称で書いたら陳腐だろうなぁ…と振り返ってヤラレタ!これは漱石の「先生と遺書」ではないか!

 もちろん、これは悲劇ではないことを冒頭で知らされている。しかも、ラストは心地よい「恋の痛み」がじんわりする仕掛けになっている。だから気が付かなかったのだけど、「こころ」がドリカムの悲劇なら、これは逆ドリカムの恋劇というべき。告られた女の子のセリフに、せつなさ・みだれうちになる。

ええ、まじめだわ。ほんとう言うと、結婚するのがこわいほど、あなたが好きなの。結婚しなくってもいいほど、もう安心しきってるの。私あなたと結婚するくらいなら、もっと嫌いな人と結婚するわ。でも、私結婚はいや。今は誰ともいや。

 いつの時代も、純情乙女の底力は変わらないなぁ、と確認する

 川端康成は、最初の百合小説「乙女の港」だけでなく、ライトノベルの元祖としても書いていたのでした、というお話。ちなみに、ツンデレ小説の元祖は、谷崎潤一郎「春琴抄」[参考]。世間の消費スピードがあまりにも早いため、好きなものが見えにくくなったとき、戻ってみるといいかも。

 あるいは「掌の小説」をオススメ。これはショートショートともいうべき超短編集で、だいたい2~3頁で片がつく物語ばかりを集めたもの。サイコサスペンスあり、ファンタジーあり、幼女趣味あり、文学ブンガクしてたり、川端作品を知るのにうってつけ。「雪国」「踊り子」よりも、巧拙があらわで分かりやすく、「眠れる美女」よりもエロ少な目な逸品。「滑り岩」「神の骨」「夜店の微笑」あたりがわたし好み。

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【18禁】 嫁に読んでほしくない作品ベスト5

 はてなブックマークコメントも含めて、あまりにも面白い↓ので便乗する

[私家版(超有名作家なのに)好きな女性には愛読してほしくない作家ベスト5]

──つもりで書いたのに、かなり極悪なリストになってしまったので、18禁と。後半は、嫁子に読んでほしくないというよりも、人として読むべきでないリスト。もちろん、わたしは大好きなので、明らかにおかしい。興味本位は止めておけ、性差ツッコミは無駄無駄無駄ァ、むしろこいつを超える作品があれば激しく募集する。

 では始める。

 バタイユもサドも潤一郎も、淫蕩モノとして好きだー、けど嫁さんに言わせると「無駄にエロい」らしい。激・し・く・同・意。むしろ乱歩やヤプーが何でないんだろうね。まぁ、エロ特性は人それぞれということで。

 また、半強制的にハルヒや名雪(京アニ)を観せてるので、嫁さんはわたしの趣味を知っている。かつ、エロ倉庫は既に発見されているので、今さら隠すものもない。

 それでも、これだけは嫁に知られたくないというか、読まれたくないという作品がある。その存在すら知らずに一生を終えてほしいと願う、そんな作品がある。劣情鬼畜系とでもいうべきか。「極エロ」というべきか。

 もちろん、事実は小説よりもナントカで、新聞を読むほうが暗澹とさせられる。が、読んだことを激しく後悔するような「作品」もある。おかげで、記憶ごと消したくなるようなおぞましい事件を、「作品」という形でくり返し思い出し、味わうことができる(吐き気をね)。

 これまで「劇薬小説」シリーズで紹介してきたが、ここでは、小説に限定せず、ノンフィクション、マンガも含めた劣情鬼畜作品を並べてみる。ああ、メガストアとか桃姫とかは入れていないので安心して、もっと非道いから。だから以下の作品は覚悟完了の上でどうぞ

目玉の話第5位 目玉の話(バタイユ)

 「眼球譚」やね。新訳「目玉の話」では、告白体のしゃべりがくだけた感じになり、さらに読みやすくなっている。

 特に目を引いたのが「玉」の語感。原文にある、"oeuf","oeil","couille"(ウフ、ウエ、クエ)の音感を、「目玉」、「玉子」、「金玉」と「玉」でつなげて訳しているのは素晴らしい。また、性器一帯を「尻」で統一しているのも良い感じ。

 エロスの極限に神性をもってきているのが鼻に付くが、冒涜行為は「神」相手でないとできないから仕方ないか。より強いショックを受けるには、キリスト教に入信するか、ヘーゲルを読んでおくといいらしい。

 わたしの脳に、「セックスと排尿」をバインドした張本人がバタイユ。愛し合う男女はセックスの際、尿をかけあうという誤った刷りこみのおかげで、変態あつかいされますた。余談だが、かわいい女の子が顔まっかにしておもらしするエロマンガの最高峰はぢたま某「聖なる行水」。「目玉」に辟易したらどうぞ。

 バタイユを含む、「人生を狂わせる毒書案内」は→「読んではいけない」をどうぞ。

Sirononakano第4位 城の中のイギリス人(マンディアルグ)

 性の饗宴ではなく、性の狂宴。女性器をバラや口唇にたとえる人がいるが、これを読むと、できたての裂傷に見えるようになる(かも)。

 圧巻なのはタコ地獄。タコが蠢く水槽へ少女(13歳処女)を投げ込む→タコとスミまみれの彼女(顔にもタコべったり)を犯す→鮮血とスミと白い肌のコントラストがまぶしい。その後、ブルドック2匹に獣姦させる。終わったらカニの餌。

 あと、マジ吐けるのはラストの「実験」。鋭利なカミソリで皮脂まで切られ、果物のようにクルリと皮を剥かれた顔を眺めながらヤるところ。嘔吐と勃起の両方が味わえるからふしぎー、体の上下でつながっているのかね。

 要するに、普通の人には弱いけど、食糞・飲尿、なんでもこい、なんでもこーい、残虐・陵辱、ぴきぴきドカーン!たちまちお城が大噴火するお話。

 まともな人は、読んではいけない(過去のエントリ→【18禁】スゴ本+劇薬小説「城の中のイギリス人」

隣の家の少女第3位 隣の家の少女(ケッチャム)

 嘔吐と勃起が止められないといえばこれ。読んだ時期が悪かった。うっかり「少女」をジョディ・フォスターにしちゃったからサァたまらない。「君がいた夏」どころか、「13金」(最初のやつ)の マ マ の 顔 が脳に染み込んでくる。

 もうね、この本を読んだという記憶ごと抹消したいぐらい後悔している。あと「ケッチャム」という名も、知らなかったことに。あまりにも面白すぎる・闇すぎるので。ケッチャムを通じて、他人の闇をのぞき見るのではない。わたしの闇がよく見えるんだ。

 この作品を一言で表すなら「読むレイプ」。陰惨な現場を目の当たりにしながら、見ること以外何もできない"少年"と、まさにその描写を読みながらも、読むこと以外何もできない"わたし"がシンクロする。見る(読む)ことが暴力で、見る(読む)ことそのものがレイプだと実感できる。「読者」は、決して、安全ではない。読む(見る)ことにより取り返しのつかない自分になってしまう。

 「隣の家」を頂点とした劇薬小説のリスト→劇薬小説【まとめ】

真・現代猟奇伝第2位 真・現代猟奇伝(氏賀Y太)

 読・む・な。まさしく毒書となることを約束する。マンガだから「どくいりマンガ」。まず、読んだことがある、というだけで性格を疑う。ましてや「大好きだー」なんていうやつぁ、イカれているよ、わたしは好きだけど。

 氏賀Y太のおかげで、内臓ファックやら顔面崩壊といったワザを知ることになった。腹を裂いてヤるなんて、おかしいよ。吊り・焼鏝・股裂・食糞・腹腔ファック・串刺・正中切開・脳姦・解体刑…あらゆるキチガイが詰まっている逸品。

 女子高生コンクリート詰め殺人事件は、ページをめくるのが恐くてたまらなくなった。描写や展開が恐いのではなく、ページをめくろうとする自分の壊れっぷりにおののいたのだ。「おかしい」自分を充分に意識して、読んだ。食人社会ネタはブラックユーモアだと誤解して、ゲタゲタ笑った自分が恐ろしい。壊れやすいのは人体ではない、わたしだ。

 「現代猟奇」を頂点とした劇薬マンガのリスト→劇薬マンガレビュー

――と、ここまで走ってきたけど大丈夫? え? バタイユが可愛く見える?

 うん、「バタイユ大好きー」な女の子なら、むしろお近づきになりたいものよ(エロスについて、女子とマジメに語ることは心躍るイベント)。だけど、ケッチャム大好きっ子や猟奇っ子は、人としてどうかしているぞ。もちろん、わたしは好きなので、激しくどうかしているよ!類友~なら、ひょっとすると嫁さんも素質があるのかもしれんが、世の中には知らないほうがいいことがあるということで。

 じゃぁラスト、いってみよう。

Deathscenes第1位 死体のある光景(キャサリン・デューン)

 カリフォルニアの殺人捜査刑事が個人鑑賞用に収集した膨大な「死体のある風景」のスクラップ。モノクロとはいえ、モロ出し死体画像をこれでもかというくらい堪能できる。

 ポートレイトというものは、「見られる」ことを意識している。たとえ無断で隠し撮ったものであれ、人の顔が外側についている限り、他者の視線が載っている(だから無自覚な喜怒哀楽の瞬間を撮った写真が"良い"とされるんだ)。

 しかし、ここに写る「人」もしくは「人塊」は、そうした意識がない。だから、人の形をしていながら、モノのように眺めることができる。いちばん切実な「自分の死」を想像しても抽象的にしか考えられないが、ここでの死はとても具体的。たとえば、

圧死、焼死、爆死、轢死、縊死、壊死、煙死、横死、怪死、餓死、狂死、刑死、惨死、自死、焼死、情死、水死、衰死、即死、致死、墜死、溺死、凍死、毒死、爆死、斃死、変死、悶死、夭死、轢死、老死、転落死、激突死、ショック死、窒息死、失血死、安楽死、中毒死、傷害致死

 メッタ刺しにされた売春婦のスカートがまくりあげられ、下着が奪われ、局部がむきだしになっている。もう死んだ体なのに、モノクロ写真のせいで「魅力的」に見えないはずなのに、すげぇ興奮する。

 なぜか?

 それは、もう「見られる」ことを意識しなくなったから。わたしの視線を好きなだけ塗りつけることができるから。

 ほら、あれだ。グラビアのヌード写真に興奮する男の子といっしょ。裸の女の子は、カメラを向いていても「あなた」を見ているわけではない(←そして「あなた」はそれを知っている!)。絶対安全な位置から、すきなだけ「見る」ことができる悦び。しかもこれは死体だから、「見られる」ことなんて知ったこっちゃない。こっちを向いていてもカメラすら見ていないんだから。こうして、死体の女を二重に支配することができる。

 ここまでくると、2chの「死姦して人生狂ったけど質問ある?」[参照]元医者の告白がすごくよく理解できる。たとえばこうだ、

  > なんだろうな
  > 完全に起きる事の無い相手を犯す事に興奮するのかな?
  > それとも無抵抗の相手だからこそ興奮するのかな?
  > 完璧に相手の意思を無視してするセックスは最高だぞ

 わたしは、死姦のシュミは(たぶん)ないけれど、分かる。この人は、

  > 死体愛好家だった
  > 医者の見習いだった
  > ちょっと犯してみた
  > 監視カメラついてた
  > 警察来た
  > 人生オワタwwwwww

 そして「死姦したこと後悔したことある?」という質問に、

  > これははっきり言うけど無いよ。

  > 死体を犯すと自分が一段階成長して人としての高みに上ってる感覚があるんだよ
  > その犯した人を完全に乗り越えたって感じ?
  > とりあえず生きてる人間と同意のセックスをしてもあの感覚は絶対に無い

 あー、分かる、分かってしまう。彼と同じ「気持ち」になれる。ものすごく逆説的なんだけど、正気のリミッターが解除されるまで死体を眺めているうちに、おれは生きているぞー、としみじみ思えてくる。

 吐き気と征服欲の両方を味わえ。おお、嘔吐と勃起、死とセックス。タブーはいつも、自分の内側にある、そいつを打ち破れ。エロスの根源的なところを体感せよ、そいつはタブーの向こう側、「自分の死」と同じ場所にある。タブーって奴ぁ、「自分の死」から目をそらすためにも役立っているのだから。

 わたしの死亡率は100%であることを、あらためて思い知らされるんだ。

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