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書評の探し方

 もっとも手軽なやり方は、皆さんもご存知のとおり、google先生に訊いたり、amazonレビューから探す。それこそ真砂の数ほどの「ブックレビュー」があるが、この方法には欠点がある。それは、

 あらかじめ本の名前が分かっていなければならない

 なにをアタリマエなという莫れ、google先生最大の弱点がコレだ。キーワードがないと手も足も出ない。例えば、昨年一年間でどんな書評が書かれたか? とか、現在ブックレビューを載せている雑誌名は何か? といった、

 書評そのものや、書評者を探したい

どうすればよいか? もちろん「ブックレビュー」や「書評」をキーワードにして人力クロールもできるが、ここではもっとスマートに網羅的に探す方法をご紹介。それは、

国会図書館のOPACシステムを使う

  1. 国会図書館の蔵書検索システムへ[ここ]
  2. 「雑誌記事索引の検索/申込み」をクリックして、「雑誌記事索引検索」へ
  3. 「雑誌記事索引検索」画面の「各種コード」のプルダウンメニューより、「記事種別」を選択する
  4. 「記事種別」の右にある「リストから選択」ボタンを押す
  5. 「記事種別」画面の「7 書評」をクリック
  6. 「検索」ボタンを押す

 すると「書評が載った雑誌」一覧が得られる(2005年~このエントリを書いている時点で8988件)。莫大なので、元の画面に戻って刊行月で絞込みをすると扱いやすい。

 雑誌の「書評」に限定されるが、このやり方が有効なのは、誰が書評を書いているか?が分かること。以前のエントリ[本を探すのではなく、人を探す]と同じことを言うが、「わたしが知らないスゴ本」は、わたしはその書名を知らない。けれども、誰かが読んで評価しているから、その人を探す。

メディアの書評で大切なのは、「本ではなく人を選ぶ」こと。本を探す前に人を探す。自分のストライクゾーンに投げこんでくるレビューアーを見つける。いったん鵜呑みにして目ぇつぶって手にしてみるしかないが、うんこ書評家はちゃんと覚えておくこと。そしてその人が勧める本は蛇のように避ける。

 たとえば先の方法で見つけた「書評」を挙げてみよう。このblogの読者の方なら、かなりソソられるかも…
  • 笑わずにはおれない浅知恵 「不都合な真実」(評者:井尻千男、Voice 353号)
    45人が勧める今年読んだ「最高の一冊」(本が好き!7号)
  • 脳科学者は小林秀雄を超えられなかった――「脳と仮想」茂木健一郎(ベルダ12号)
  • 「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ――人間という「種」のアイデンティティの揺らぎ(評者:小野正嗣、文學界60号)
  • 「働く過剰」――大人のための若者読本(評者:皆川裕作、みずほ年金レポート67号)

 表題を見ただけでソソられる。「不都合な真実」はメッタ斬りにされてそうだし、「わたしを離さないで」のレビューは、なんだか哲学的だ。いまをトキメク茂木健一郎さんは、この書評でこき下ろされている予感… 「みずほ年金レポート」なんて雑誌知らなかったよ、でもこのレビューは読みたいぞ。

 検索画面に戻って、「著者」を入れると、書評を何本書いたかたちどころに分かる。自分向けの本を紹介している「わたしが知らない」雑誌を探す。既読の本から好みの近い書評者を探す… やり方いろいろ。

 名前も知らない本から、その評者を探すこのテクニック、ぜひお試しあれ。

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「暗闇の『スキャナー」・ダークリー』

スキャナー・ダークリー 「ジャンキーたちは、望んで麻薬漬けになったのか?」に対するP.K.ディックの回答。最初わからなかったわたしに、「著者覚え書き」でリアルに答えている。太字はわたし。

麻薬乱用は病気ではなく、ひとつの決断だ。しかも、走ってくる車の前に飛びだすような決断だ。それは病気ではなく、むしろ判断ミスと呼べるかもしれない。おおぜいの人間がそれをはじめた場合、それはあるひとつの社会的な誤り、あるひとつのライフ・スタイルになる。この特殊なライフ・スタイルのモットーは、「いますぐ幸福をつかめ、明日には死ぬんだから」というものだ。しかし、死の過程はほとんどすぐにはじまり、幸福はただの記憶でしかない。つまり、それはごくふつうの人間の一生をスピードアップさせただけ、強烈にしただけだ。


 はてなのコメント欄で強力なフラグが立ったので[参照]→新訳版を読んで、脳が溶けた(htktyoさんありがとうございます)。「蟲がびっしり」のトコは、さぶいぼ+全身が痒くなって、読んでるこっちまで気分が悪くなってくる。良ぃねぇ。

 コンピュータが外見を変化させ、顔、体はおろか声までも入れ替わる「スクランブル・スーツ」や、おとり捜査で中毒者として潜入していた麻薬捜査官が、自分自身を監視するよう命ぜられる展開など、ユニークな見所がある(映画はココがスゴいらしい。実写キアヌ・リーブスにペンキを塗ったようなアニメ処理がされているそうな、観てぇッ)。

 しかし、わたしはむしろ、ジャンキーたちのぐだぐだな日常だとか、さり気ない会話の端々にハマった。「プラスチックの犬のクソ」だの「夜泣きを止めるため赤ん坊にヘロイン注射」なんて、ステキすぎる。「最後の審判の日、神が罪を指摘する方法は、年代順なのか重さ順なのか、ABC順なのか?」について延々と談義する様が実にくだらなくてイイ。

 主人公フレッド(潜入時の名前はボブ)の揺れ方がスゴい。

 「ボブとゆかいなヤク中たち」の日常
      ↑
 そいつを監視する捜査官フレッド(中の人はボブ自身)
      ↑
 捜査官のときの情報からジャンキー仲間を疑い始めるボブ(中の人はフレッド)
      ↑
 ボブの疑心暗鬼が捜査官としての思考を逸脱しはじめる(中の人はボブ)

 「おとり捜査」なんだから、自分の身分は明かしてはいけない。そして、ヤクの売人として名をあげるほど、捜査当局に目をつけられ、「あいつをマークせよ」と指示される。「あいつ」とは「おれ」なのに。

 おれはあいつであいつはおれで、おれの目で見るあいつの情報がおれの判断を狂わせ、おれをあいつの目で見るようになる。待てよ、今見ている画像はおれか? いやおれの画像を見ているのか? といいたいのではなく、見ているのはおれか? ということなんだが―― このときわたしは、合わせ鏡の向こう側からこっちを覗き込んだような感覚に襲われる、合わせ鏡の"こっち側"ではない。鏡が靴下のように裏返しにできたなら、向こう側はきっと朧に(Darkly)見えるだろう。

 後半の展開もスゴい。このテのカタルシスは○○○だろうという予想を、最悪の形で裏切る。そうするかーッ とびっくりするうちに静かな幕。そこで彼女の重要度に気づく。キャラ立ってなかったから読み過ごしてたよ(※)。

暗闇のスキャナー この時点で旧訳は山形浩生氏であることに気づく。うおぉっと勢いで「暗闇のスキャナー」に手を出す。会話くだけすぎ+ときおり硬い語がピリっと入ってくる。こっちの方が好きだな、彼女エロカワイイし。山形氏のオフィシャルサイトで勝利宣言している通り[山形の著書訳書など]、わたしも「暗闇」のほうを推す。

 「ボブ」という入れ子でフレッドという人格が語られているのか、「フレッド」の思考でボブとして振舞っているのか、わけ分からなくなる。売人と捜査官が合わせ鏡のような構造となっており、さらに旧訳と新訳を同時に読んだことで、合わせ鏡に映った世界をさらに合わせ鏡で映したかのような気分にさせられる、妙な読書体験。

(※)ネタバレ考察(読了した方のみ、反転表示)

 黒い髪黒い瞳の美女、ドナ。彼女はどうしてサブキャラの一員に埋もれ、見過ごされてしまったのか? 彼女自身が「ドナというスクランブル・スーツ」を着ていたからではないか? 彼女の存在感は、彼女の本当の立場が明かされるとき、『読み手にとって』ぐっと大きくなる。気のせい? 気のせい? 山形訳で、ボブ=アークターの一人称がドナの一人称になり代わるとき、強く感じた。これは、ボブ=アークターの物語じゃないんだって…深読みしすぎ?

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読書は人間がベッドの上でおこなう二つの快楽のうちの一つ

思考のレッスン タイトルは丸谷才一「思考のレッスン」より。読書について、書くことについて、沢山のヒントをもらった。「読書のコツ」、今風に言うなら「読書Hack」。ただし、効率ばかりの安手なものと違って、ひとつひとつ自分で読みといてはヤクロウに入れる手間はある。

■本の読み方の最大のコツ

 最も激しくうなづいたのは、本の読み方の最大のコツ→「その本を面白がって読め」。その本を面白がって、その快楽をエネルギーにして進め、という。言い換えると、「面白くない本は読むな」となる。面白く思えない本をガマンして読んで分からないなんて、つまらない。その時間、別の本を面白がって読んで得られる効用の方が大なり。

 読書は快楽なんだ、ベッドの上でする二つの快楽のうちの一つなんだ。もう一つの快楽が何かは言うまでもないけれど、それぐらい愉しいことなんだ。もちろん、もう一つは睡眠だね。読んで寝て暮らす、これぞ究極の快楽

■本を選ぶポイント

 本の選び方のポイントでは、わたしが心がけていることがズバリ書いてあったので、嬉しくなった→「惹かれる書評があったら、それを書いている人の本を読め」、つまりひいき筋の書評家を持て、という。やってるぞ、「書評家」に限らず。お気に入りのblogで、たまに「良いよ、コレ」と紹介されると間違いなく手が伸びる。良い文を書く人がオススメする本を選べ。

 優れたエントリを書く人は、必ずいい本を読んでいる(逆は真とは限らないが)。わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる。

■本は忙しいときに読め

 ガツンとキた一文。

まとまった時間があったら本を読むなということです。本は原則として忙しいときに読むべきものです。まとまった時間があったらものを考えよう

誰かの名文句に「書を捨てて街へ出よう」というのがあったでしょう。これは読書論としてたいへん有益ですね。書を捨てて野に出てもいいし、街に出てもいい。風呂に入ってもいいし、机に向かってもいいけれど、とにかく手ぶらで、ものを考えよう。


 [本ばかり読んでいるとバカになる]のは、本ばかり読んでいると自分のアタマでモノを考えられなくなるから。借り物の思索で事足れりとし、自分は思考停止に陥るから。だから、「今日はヒマだから本を読もう」は間違っていて、「今日はまとまった時間があるから、じっくり考えてみよう」とするべし。

■ホーム・グラウンドを持て

 じゃぁ、自分のアタマで何を考えるのか? 「自分にとっての主題というか、ホーム・グラウンドを持て」という。興味の赴くまま読みかじってきても、そこに一定のジャンルというか、流れのようなものがあるはず。興味の起点のようなもので、たとえば初めて大型書店に行ったとき、最初に赴く場所がそれにあたる。

 すでに材料はある。今まで読んできた本だ。濫読多読を性とする人でも、その人の追いかけているテーマは読んできた本の山にある。だから、未読のリストを血眼になって消化するのではなく、いったん本を手放してふり返る。

 自分が勝てる、というか得意なテーマは必ずある。もちろんそのテーマの専門家はゴマンといる。ただ、そのテーマを腹に抱えて、他の分野に食指を出す人は、アナタしかいない。テーマの組み合わせの妙を楽しむ。一つのテーマだけでしか世界が見えない人は学者書士に任せておけばいい。手を出したテーマが手におえなかったとき、壁にあたったとき、ホーム・グラウンドへ戻ってきて、そこのフレームで考えなおす。そういう「自分の場所」を意識すべし。

■本はバラバラに破って読め

 型破りなHackもある。本をフェティシズムの対象にしない。大切なのは、本という物体なのではなく、テクストそれ自体だという。本なんて読まないで大事にとっておいたところで、まったく意味をなさない―― こう言い切って、実行している。

 このやり方は、聞いたことがある。「ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法」(福田和也)によると、小松左京氏は百科事典の必要なところを切り抜いていたという。そうした切り抜きを持ち歩いて、空いた時間に吸収していたそうな。今ならPCその他のガジェットで実現できるやり方だけど、当時としてはモノ凄いHackなり。

■インデックス・リーディング 1

 スゴいやり方その1。本を読み始めるとき、索引から読み始める。索引に目を通すと、著者は何の関心があってこの本を書いたのかというのが分かる。さらに、主題との関係で、当然あるはずの項目が索引にないことがある。

 わたしは「目次」を真っ先に読む。これは「作者が言いたいこと」の優先順位と比重を見るため。受身となって吸収するための「予習」といえる。ひょっとすると、著者よりも幅広い知見を必要とするかもしれないが、「索引」を読む対象とすることで、その本全体のテーマを視野に入れることができる。

 では、「索引」がない本の場合、どうするのか? 丸谷氏は、読み手が索引を作れという。大事だと自分が思ったところは線を引いたり書き込みをしたりして、さらに見返しのところに何ページにこんなことがあったとメモをしておくだけでいいという(←このHack! を裏返すと、「索引を作りたくなるような本を読め」になる、心に刻んでおく)。

■インデックス・リーディング 2

 スゴいやり方その2。前出は、索引を使って本(というより、そのテーマに関する著者自身)を投網のようにつかまえる方法。ここは、キーワードを使って複数の書籍を串刺しにするやり方。つまり、直接的な関連があろうと無かろうと、索引にそのキーワードが出ていたら、しらみ潰しに全部あたる。

 これが最も効果的なのは、図書館。似た本が近い書架に並ぶように構成されているため、一つのキーワードから書籍にたどり着いたら、あとは片っ端から索引をひきまくる。索引がないような本はハナから相手にしないとしても、相当な仕事量になるはず。だいたい一架分をこなすと、主な本どうしのネットワーク関係が見えてくる。意外なところからポインタが張られてたりしてて、思いがけず刺激を受けることを請け合う。

 「脳死」のキーワードで医学から法律、哲学、宗教、歴史と深入りしたことがある(一架読んだ)。次から次へと出てくる本を「処理」するために、このやり方はかなり有効だった。

■「文章読本」に書けなかったこと

 書くほうのHackといえば、「文章読本」になるが、本書では「文章読本」に入らなかったコツが紹介されている。後々のわたしに有用なのは、以下の2つだろう。


  • ものを書くときには、頭の中でセンテンスの最初から最後のマルのところまでつくれ。つくり終わってから、それを一気に書け。それから次のセンテンスにかかれ
  • 頭の中で考えても、どうしても行き詰まるときがある。一番手っ取り早くて役に立つのは、今まで書いた部分を初めから読み返すといい。急がば回れ。そこまで書いてきたエネルギーをもう一ぺん吸収し、それを受け継ぐようにして先へ進む

■文章で一番大事なことは、「最後まで読ませる」こと

 憤慨させても感心させても、文章は最後まで読ませたものが勝ち。書き出しに気を配れ、水増しをするな、スッキリと終われ…と細細と注文が付く。対話なり鼎談のように書け(しかもバレないように)、というのは参考になったなり。

 さて、この長文エントリ、ここまで読まれただろうか…

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