近ごろの若者は当事者意識がなく、意志薄弱で逃げてばかりいて、いつまでも「お客さま」でいる件について
「最近の若者はダメだ」は昔から言われているが、特に今の若者はひどい。まず、当事者意識が完全に欠如している。さらに、独り立ちをしようとせず、常に何かに依存し、消費し、批判するだけの「お客さま」でいつづけようとしている。これはゆゆしき事態であり、日本社会のありかたにかかわる重大な問題である。
最近の若者は、定職に就きたがらない。あるいは、会社に入っても一定のポジションで身を立てようとしない。なぜなら、社会的なかかわりを、全て暫定的・一時的なものと見なしているからだ。
彼らに言わせると、本当の自分は別のところにあり、現実の自分は仮の姿に過ぎないんだそうだ。本当の自分は棚上げしておいて、いつまでも立場を替え、考えを変え、自分自身をも変身させる余地を残しておく。一貫した主義主張をもたないか、もたないふりをする。特定の党派、集団に全てを賭けることを避けようとする。
その結果、今の若者は、全ての価値観から離れた「自分という価値観」に従って生きようとする。これは、ヒッピー・スタイルに代表されるジーンズや長髪などの外見や、四無主義・「しらけ」といった態度に如実に表れている。若者は、いつまでたっても「まじめ」に取り組むことができず、目前の事象に刹那的で遊び的なかかわり方でしか関与することができない。
消費文化がそれを後押しする。何も生産していない一方で、受け取り、消費することに専念してよい社会的な猶予そのものが、情報化・消費社会の特性と期せずして一致したわけであるが、まさにこの動向によってモラトリアム心理は大規模に商業化され、若者は社会の大切な「お客さま」となったのである。
―――――― という評論を読んだ。「モラトリアム人間の時代」(小此木啓吾)というやつ。途中で気づいた方もいるだろうが、本書は今から30年前、つまり1977年に書かれたものだ。欠けてる言葉は「ひきこもり」と「NEET」ぐらいで、あと「ネット」を足せば今でも立派に通用する。
もともと、「昔も今と似たようなことを言っているんだろうなー」というつもりで読んだのだが、ここまで同じとは予想していなかった。30年前は「ジーンズ+長髪」で、今なら「だらしな系+茶髪」だろうが、「眉をひそめる」程度は似たようなもの。
仮に、「ひきこもり」や「NEET」が問題であるとしよう。そして、現代の若者の無気力・無関心が原因なのであれば、それを「是」として実践してきたのは、まさしく若者を叩いているオヤジ連中だ。そんな連中には、いささか使い古されたが次の言葉を贈る。
( ´∀`) オマエモナー
オヤジ向けの雑誌などに「大人の…」という惹句ががある。わざわざ大人だと断っているということは、本当の大人ではないという証左だ。あるいは「大人の…」が魅力的に見えるぐらい成熟していないということ。まさに、「大人になること」を猶予してもらい、結局オトナになることなく年だけ取った人向けの宣伝文句。
これからは、オトナになれなかった年寄がじゃんじゃん出張ってくるだろう。かつて彼らが何と呼ばれていたかを知るために有用な一冊 …ただし論としてはgdgdなので要注意。記述の重複、無根拠の主張、非論理的展開、無意味な提案内容と、およそ論文としては大学入試小論文を下回るが、当時の知的レベルをうかがい知ることができて、二度おいしい。
おまけ。なかなか面白い一節があったので、引用する。
どう見てもニートです。本当にありがとうございました。アイデンティティ拡散症候群とは、青年期に決着をつけ、オトナ社会に自己を位置付け、限定することによって確立されるべきアイデンティティ=自己限定=社会的自己定義が、何らかの理由によりできないために生じる青年期後期に特有な自己拡散情報のことである。
- 「自分は…である」という社会的自己(アイデンティティ)の選択を回避・延期する
- 過剰な自意識にふけり、全能で完全な無限の自分を夢見る
- すべてが一時的・暫定的なものとしてしか体験できない
- 生活全体の緩慢化や無気力化をきたす
- 人と人との親密なかかわりを避ける
- いかなる組織にも帰属することを恐れる
- 既存社会に飲み込まれることへの不安が強い
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