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日本語壊滅

 最近の日本語は乱れている。若い連中だよ、まともな日本語が話せないのは。このままだと日本語が崩壊する―― 美しい国を護るべく憂えるインテリゲンチャは、眺めているだけで愉しい。「日本語の乱れ」にかこつけて若者を叩くのは、今も昔も変わりなく→産経新聞「大丈夫か日本語」[上][下]

 ところで、若者言葉を憂えるのはマスゴミの専売ではなく、大昔から言われていた。その中から「美しい日本語の教科書」に載ってそうなやつをみつくろってみる。

枕草子の第一九五段より。

何事を言ひても、「そのことさせむとす」「言はむとす」「何とせむとす」といふ『と』文字を失ひて、ただ「言はむずる」「里へ出でむずる」など言へば、やがていとわろし

【俺訳】 : 「と」抜き言葉キモい。「それをさせんとする」「言わんとする」「○○をせんとす」ならよさげなのに、「と」を取って「言う」とか「里へ行く」のはカッコワルイ

徒然草の第二十二段より。

文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。たゞ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。古は、「車もたげよ」、「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。

【俺訳】 : 手紙を見ても、昔の方が良かった。手紙文だけじゃなくって、しゃべり語も最近おかしくなってる。昔は、牛車に牛をつけるのを「車もたげよ」と言い、灯心を掻き立てることを「火をかかげよ」だったのが、今じゃ「もてあげよ」とか「かきあげよ」などと言う

 少なくとも1000年前から日本語が乱れているとするならば、現代は完全に崩壊しているね。50代のオヤヂと20代の若造の世代間なんて、誤差誤差。

 「若者言葉」ってやつは、年代による日本語の多様性の一つにすぎない。にもかかわらず、「携帯依存症」などとレッテルを貼って腐すのは、使い古された方法とはいっても、ひどい話だ。毛筆がペンになるとき、ペンがキーボードになるとき、日本語崩壊が叫ばれていたはずだ。だから、いまさらテンキーになったとしても一驚に値しない。知能低下を嘆く前に、嘆く奴がどんなレッテルを貼られていたか思い出してみるのも一興。

 ちなみに、いま50代のオヤヂが若造だったころは、「モラトリアム人間」というレッテルを貼られてた。自分を見失って大人への成長を先延ばしにする意味だ。「ピーターパン・シンドローム」というレッテルも引き合いに出されてた。こっちは、Di$neyのアレ同様、オトナになることを拒絶した、決して成長しない男のこと。

 うん、決して成長していない。だから、自分に戒めておこう、50超えても「近ごろの若者は…」なんて恥ずかしい枕詞を使わないように

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「黒い時計の旅」はスゴ本

黒い時計の旅 2007年のNo.1スゴ本、幻想と現実が絡みつく、悪夢のような小説。

 たいていの小説はdriveするように読んでいる。読むスピードやペース、展開の先読みをどこまで自分に許容するか、といったことを意識してハンドリングしている。ところがこれは、本に飲み込まれる感覚。物語に引きずり込まれ、その世界に放り出され、彷徨い歩く。driveされているのは「わたし」だ。

 物語のイメージは夜、しかも真黒なやつ。読み始めるとすぐに、手で触れられる闇がねっとりと皮膚にからみついてくる。もちろん昼間のシーンもあるが、読み手は夜の中から覗き見ているような気分。重要な出来事は夜に起きる。歴史は夜作られる。

 これは、もうひとつの二十世紀の物語。ヒトラーが死なず、1970年代になってもドイツとアメリカが戦争を続けている二十世紀。わたしたちの知る二十世紀と、もうひとつの二十世紀の間を、物語が振り子のように行き来する。

 ストーリーを一言で表すなら荒唐無稽。だが、生々しい視覚性から紡ぎだされる圧倒的な幻視力で、熱に浮かされるように読む読む読む。本当に息が止まったシーン多数。

 カート・ヴォネガットの文体に、オーウェル「1984」や多和田葉子の「容疑者の夜行列車」がフラッシュする。わたしの中を掴み取られ、別の記憶がOverrideするようで気分が悪い。史実に虚構が混ざっているのか、虚構のうえに史実をアレンジしてあるのか分からなくなる。訳者の柴田元幸は、この読中感覚を上手く言い表している。

現実の二十世紀と幻想の二十世紀を仕切る境界線は、必ずしも明確ではない。メビウスの輪をたどる指が、はじめは表をたどっていたはずなのに、いつのまにか裏側に達しているように、「黒い時計の旅」でも、現実はいつのまにか幻想に侵犯され、幻想もまたいつしか現実が浸透している

 ただしこの小説、おそろしく読みにくい。別人を同じ一人称で示したり、同一人物を異なる人称で書いたり、時間軸と空間軸を軽がるとジャンプし、平行して物語を進めたりするからだ。読み手は「いま」がいつなのか、「わたし」や「おれ」が誰なのか、そして「ここ」はいったいどこなのか分らないまま振り子に翻弄されるかもしれない。

 だが、それこそ語り手の思うつぼ。明日が休みなのを確認して、どっぷりとハマって欲しい。なぜなら、本書は、はてなの質問「徹夜小説を教えてください」でオススメいただいた作品でもあるのだから。

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「外注される戦争」から除外されているもの

外注される戦争 表紙はおどろおどろしいが、いわゆるタテマエの面からこの市場をレポートしている。P.シンガー著の「戦争請負会社」に比べると、歯にモノが挟まったような言い方だなぁ、なんでだろーなんでだろーと読みつづけ、ラストの「あとがき」で腑に落ちる。

2005年半ばに英国PMC大手アーマー・グループを訪れて取材をしたのだが、日本法人の設立を検討中だった同社から後に連絡を受け、なんと2006年夏に同社の日本法人にコンサルタントとして加わることになったのである。研究者としては決して見ることのできなかったPMCの生の活動に接するまたとないチャンスである。これからは、テロ戦争ビジネスの最前線を、「インサイダー」としてフォローしていくことになる。

 なんてことはない、中の人になってしまったんだね。魂を譲り渡したことに気づかず、むしろ「チャンス」だと小躍りしている様子がこっけいだ。

 それでも、戦争請負会社の最新のオモテ面を知るにはうってつけの一冊。本書ではPMC:private military companies と呼び、民間軍事会社と訳している。たとえば報酬の比較方法が面白い。

ダイン・コープ社の警察顧問の場合、


  • 年間12万ドル(1400万円)
  • 欧米の特殊部隊出身者は一日1000~1500ドル(12~18万円)
  • ハート・セキュリティ社の斎藤氏の場合は、一日600ドル(72,000円)

 これを、アメリカの平均的な警察官の給料「年間3~4万ドル(360~480万円)」と比較している。「安全を提供するビジネス」を標榜しているわりには、この給与格差は何なんだろう? というツッコミが『無い』ところがポイントやね

 もちろん、保証や後ろ盾がない点や、雇用・契約が不安定なところも触れはするが、そこから容易にたどりつける結論「要するにフォースのダークサイド」を書いていない。

 国の本音はこうだろう。「何万人もの人間を、軍人として長期間雇っておくよりも、数ヶ月スパンで『民間戦争請負会社』を使った方が、経済的」、「軍需に依存した産業構造により、一定の期間で戦争を起こす必要が出てくる(兵器のリニューアル&リフレッシュ)。軍事サービスのアウトソースは、その弊害をダウンサイジングできる」。

 いっぽう、「セキュリティ・サービス」を提供する側は、それこそ星の数だけ理由がある。リタイアした人材の再活用、一攫千金が現実的なマーケット、戦争フリーターの自己実現の場 … そいう本音ベースの話はきれいに除かれている。たとえば、

武装勢力は斎藤昭彦を殺害した後、ハート社に対して斎藤さんの遺体を売りたいと連絡してきたという。その価格は8万ドル(約960万円)。最近のイラクのテロリストは、人質をとるなんて面倒なことはしない。殺した後に死体を売るビジネスを始めた。殺されたほうの家族は死体がないと生命保険を受け取れないだろう。だから、高額を支払っても死体を買い戻すはずだとやつらは踏んでいる。汚い連中だ。

 「武装勢力」をメディアでしか知らないわたしですら知っている。「武装勢力」なる人は、時と場合により、「セキュリティ・サービスを提供するビジネスマン」に変身することを。

 オモテ面の最新情報は、「外注される戦争」で網羅されている(ように見える)。ウェブサイト、BBCなどのドキュメンタリー、インタビュー、メール、新聞、書籍(もちろん「戦争請負会社」も出てくる)… 巻末のネタ元を見ただけでも、かなりのものだ。

戦争請負会社 いっぽう、ダークサイドや歴史も含めたものなら、P.シンガー著の「戦争請負会社」を推す。「外注される戦争」が「セキュリティ・ビジネス」という切り口で語っているのに対し、「戦争請負会社」は、兵站から戦闘行為までの「サービス」を徹底的に紹介している→「戦争請負会社」読書感想文

 さらに、PR戦も含めた請負会社を考えるなら、これも→[デカレンジャーと「戦争広告代理店」]


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