« 2007年4月1日 - 2007年4月7日 | トップページ | 2007年4月15日 - 2007年4月21日 »

劇薬本「子どものねだん」で知る児童買春地獄

子どものねだん 掛け値なしの劇薬、まじめに読むほど気分が悪くなること必至。最悪なことに、こいつがフィクションでないことを意識して読まされる。ふつうの人は読んではいけません

 「赤ちゃんの値段」があるぐらいだから、「子どもの値段」もあるだろうという安易な発想から見つけたのだが、これがスゴい。ヒドい。「人をモノのように扱う」は比喩だというヌルい感覚は吹き飛ばされる。言葉そのままの意味で「モノ以下」。子どもにとっては地獄そのもの。本書をタネ本とした「闇の子供たち」の方が、フィクションである分、ある種の「安心感」をもって読めたが、これはそれを許さない。

 「小さな穴」を求めるオトナにとって、子どもの性別は関係ない。従順で、好きに扱え(暴力を含む)、未発達であるがゆえに締まりが良い穴であれば、関係ないのだ。自由を奪われ、ろくな食事を与えられず、暴行・暴行・暴行。そして、ちょっと言い表せないような性行為を強要される。HIV感染からAIDS発症になると、文字通り「売り物にならなくなる」―― わたしの子と同年代の子どもたち。

 まともな本屋では置いてないだろうが、もし手にするならば、口絵のカラー写真を眺めてみるといい。折檻の傷痕を見ると、まともな精神でいられなくなるに違いない。「これが現実だ」なんて安易な台詞が押しつぶされる。

 いちばんショックを受けているのは、著者マリーだろう。生々しい書き口に彼女の葛藤や苦悩が如実に出ており、読みにくい…が、分かるよ、誰だってこんな異常事態が日常になっている場所に行ったらなら、まともではいられない。

 NGOの医療・教育活動に従事する著者は、キャンプから子どもが「消える」ことに気づく。やがて、タイの民間援助団体の仲間から、子どもたちは闇の組織の手で、あるいはキャンプを警備する軍人たちによって、バンコクの売春宿に売られていることを知らされる。

 表向きは「そんなものは存在しない」のであるから、どの窓口にかけあってもナシのつぶて木で鼻。思いつめた彼女がとった最後の手段は、NGOのタイ人青年とカップルを装い、売春宿で「子でもを買う」こと。

 売春地帯に潜入したマリーが出会った子どもたちは――

 破壊される子どもたちの実態は、とても書けない、わたしがおかしくなる。ただ、「闇の子供たち」はフィクションでもなんでもなく、まだ控えめだってこと。ペドたちの言葉は忘れることができない。例えばこうだ

売春も、ここではどうってことないのさ。子供たちがからだを売るのは、そうやって経済活動に参加しているんだ。この国では父親たちが子どもにそういう手ほどきをしているんだ…

夜、サイゴンのカティナ通りで、6歳から11歳の子どもたちが声をかけてきた。10ドルで、連中は何だって、やる。もう10ドル出せば、ホテルのガードマンも目をつぶる。そんな子どもたちを集めるだけでいい。確かに、生きるために乞食だってやるでしょう、でもあの子たちが欲しがっているのは、愛なんだ。だからわたしが、与えてあげる必要があると、だから、それ以上はつっこまないでほしいね、アジアの子どもたちには愛の琴線ってものがある、性的本能が肌の下から顔をのぞかせている。わたしたちもあの子たちのからだが好きだし、あの子たちも大人の愛が好きなんだ

 ペドフィルだけではない。HIVに感染し、AIDSが発症し、死を宣告された今になっても、「新しき愛」を得るために飛行機に乗る白人。数十人の若い女や少年少女を買い、一人でも多くの道連れを増やそうとする人がいる。

 ストックホルムで1996年に開催された「子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」で示されたユニセフの資料によれば、売春に従事させられている児童の数は、

 フィリピン 65万人以上
 インド 30~40万人
 米国 30万人
 中国 20万人以上
 タイ 20万人
 台湾 6万人
 パキスタン 4万人
 ネパール 3万人
 スリランカ 3万人
 ドミニカ 2万5千人
 バングラデシュ 1万人
 フランス 8千人

※ちなみに、ここでいう「児童」は18歳未満の男女を指している。観光と売春は、もはや各国での「闘い」と化しているとのこと。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

図書館を使い倒すための3冊

 ネットはスゴいが、図書館のほうがもっとスゴい。「知の現場」はインターネットではなく、図書館にこそある―― まだ、今のところ。

 ディスプレイの『あちら側』を否定するつもりは毛頭ないが、もてはやし過ぎ。Evangelist ならいいよ、いくら吹いたって。だってそれがメシの種だから。ただし、賭金は横目でチェックしておかないと。

 ここでは、図書館を使い倒すための有用なテクニックや知識をご紹介。以下の本を参考にした。

 ・図書館に訊け!(井上真琴,筑摩書房,2004)
 ・図書館を使い倒す!(千野信浩,新潮社,2005)
 ・図書館のプロが教える「調べるコツ」(浅野高史,柏書房,2006)

 「図書館に訊け!」はサービスを提供する側、すなわちサーバー側から使い倒しのテクニックが惜しげもなく開陳されている。いっぽう「図書館を使い倒す!」は、クライアント側から図書館を徹底的にしゃぶりつくすための技が紹介されている。さらに、「図書館のプロが…」は、レファレンスサービスに特化した形で、事例+探索テクニックが紹介されている。「図書館を使い倒す!」は小飼弾さんの紹介で知る[参照](ありがとうございます、danさん)。

図書館に訊け!図書館を使い倒す!図書館のプロが教える「調べるコツ」

■図書館で調べる3ステップ

 知りたい情報は、「検索」するのではなく「探索」する。調べるステップは3段階ある。

ステップ1 : 準備 図書館に行く前段階として、調べたいトピックを質問の形にする。ネットにキーワードを放り込んで、バックグラウンドを読んだり、類語をかき集めておく。このときちゃんとした質問になっていなくてもOK。レファレンスサービスを利用することで、「もやもや→質問」にできる。その際、「どうしてそれを調べたいのか?」――質問の意図というか動機がポイントになる。

 トピックがある程度絞りこんでいるならば、そのキーワードを元にOPACで調べる。OPACとは、Online Public Access Catalogueの略で、図書館の蔵書検索システム のこと。ネット越しに利用できる。

 トピックが拡散している場合や、キーワードが絞れない場合は、ナマの質問文をWebcat Plus に放り込む。キーワードからキーワードを牽く連想機能のおかげで、自然文から求める本に「近い」ものをピックアップしてくれる。

ステップ2 : 出向く 図書館へ出かける。ネット越しで用を済ませることもできるが、開架書庫に出向いて目指す本の周りを眺める── ブラウジングすることが有用なり。どこの図書館も同じ分類法にのっとって並んでいるので、ひとつの図書館を極めれば、他でも使える。自分のホームベースとなる図書館(ホーム・ライブラリー)を決めて、そこで目を鍛えるというテもある。

 本屋で「本」を探すときを思い出してみよう。目当ての本を見つけて、ハイお終いということもあるが、目当ての本の両隣や近辺の平積みに目が行って、思わず手に取ったり、あるいは一緒に買ったりしたことはないだろうか? ホラ、amazonでいう「この本を買った人はこの本にも興味があります」とやら。

 図書館でも同じテが使える。ジャンル別に分類(日本十進分類法)されているため、目指す本の近くにあるものは、似た本ばかりのはずだ。盲信するのは禁物だけど、これが結構使える。目指す本がないけれど、だいたいこのジャンルだとアタリをつけて書架をウロウロすることで突破口を見つけられる場合もある。

 このとき概説書や百科事典を使って、調査対象トピックの基本情報と背景情報を把握する。自分の探索したい事柄を適切なキーワードで表現できるかどうかがポイント。モレヌケを回避するためやね。同様に、目録や書誌を使って関連主題を扱った図書がないか調査しておく

 さらに、雑誌記事索引や書誌を利用して関連主題を扱った雑誌論文や雑誌記事を探索する。専門図書や学術雑誌の文献を読み進めながら、レファレンスへ再度立ち戻り、探索→フィードバックによる絞込みを繰り返す。

ステップ3 : プロに調べてもらう いわゆる司書のレファレンスサービスを利用する。調べたいことに対して、どのようなレファレンス資料(書籍や雑誌・CD-ROM・データベース)を使えばよいのかを案内してくれるサービス。

 これがスゴいのは、調べたいことが漠然としていて「質問」の形になっていなくても一緒になって絞り込みをやってくれるところ。もちろん、ちゃんとした質問になっていることが望ましいのだが、「○○について調べたいのだけど、何をどうやっていいか分らない」といったものでもOK。親身になってくれる(はずだ)。

 重要なのは、「質問に対して、どういう風にアプローチしているか」に尽きる。そもそもどうやって調べてよいか分らない場合、調べ方そのものというよりも、むしろ

 ・疑問に対してどのような思考ルーチンで取り組んでいるか
 ・どんなアプローチでリファレンスブックをあたっているか
 ・キーとなるトピックスからの調べる範囲の広げ方→絞り込み方

について、司書は逆に問いかけてくるはずだ。そこでステップ1の「質問の意図と動機」が効いてくる。

 そこから先は担当する人によるのだが、google をビシバシ使っている人、レファレンスブック中心の人といろいろある。担当同士のネットワークもあるので、偏向する心配はいらない。レファレンス担当のためのFAQもあり、「レファレンス協同データベース」[参考]は一般の人も利用できる。

 司書さんがスゴいのは、その結果→レファレンス・ブック→ネットと本とネット間を行き来しながらフィードバックを繰り返して絞り込んでいるところ。検索してヒット→着弾点から範囲をいったん広げ、もれぬけがないかレファレンスをあたる→今度は絞り込んで、別のキートピックスに収束させる…を繰り返しながら、最初の「調べたいこと」を網羅的にあぶりだす。この辺の考え方というか目の付け所は、「図書館のプロが教える『調べるコツ』」が詳しい。

■レファレンスへの質問例

 レファレンスサービスへの質問の例を挙げる。「こんなこと質問してもいいのだろうか?」と不安な方はご覧になって安心するといいかも。全て「図書館のプロが教える『調べるコツ』」より。これらの質問の「回答」そのものは本書にないが、そこへ至るためのアプローチと、「回答」が書いてある本が紹介されている。まさに「本の本」。

  • ライオンの口から水やお湯が出ているが、その由来は?
  • 関羽や張飛は、どんな料理を食べていたのか?
  • ピラミッドに「最近の若い者は…」と書いてある?
  • 日本のトイレットペーパーの幅は、どうやって決められたのか?
  • 夕焼けはなぜ赤いのか、「小学校3年生」に分るように説明したい
  • 魚の尾は縦についているのに、なぜイルカの尾は横についているのか?
  • ミロのヴィーナスの復元図が見たい
  • 「萌え」という表現は、いつから使われるようになったのか

■調査の展開のための6つの発想

 図書館向けの専門誌「現代の図書館」(日本図書館協会)の2003.9月号で、調査の展開の発想法として6つの方向性が示されている。


  1. 絞る:より具体的なキーワードで調べる。大きなトピックスから調査範囲を絞り込む
  2. 広げる:いったん広い概念の言葉で調べなおす。より抽象的な言葉でレファレンスブックをあたる
  3. 射抜く:OPACやネットを用いて、直接キーワードで抜き出す。探索ではなく「検索」でダイレクトにヒットさせる
  4. たどる:書架のブラウジングや連想ワード(前出のWebcat)から手がかりをたどる。巻末の参考文献の資料からたどる手もあり
  5. 視点の変更:日本史ではなく美術史を調べるように、アプローチを変更する。
  6. 媒体の変更:本→ネット、あるいはその逆。文字情報ではなく、映像アーカイブをあたる。別の図書館に行ってみる(公共図書館、専門図書館、文書館)

 視点を切り替えることで行き詰まりを打開し、同時に複数の視点から網羅的に「問題」へあたり、これらのフィードバックを繰り返す。「調べたい何か」を調べるのではなく、「何を探すべきか」という問題設定まで立ち戻る。調査の基本として覚えておきたい。

 この段階になってくると、まさに「本が本を呼ぶ」状態となってくるだろう。(ネットも含む)書店や古本屋を利用することもあるだろうが、ここまでくると書き込み本として必要なのは手元にあり、あとは膨大なコピー+目録の山だろうね。

 それほどの「調べもの」に取り憑かれていない今が、しあわせなのかも。「知の現場」はディスプレイの「あちら側」ではなく、図書館にある── まだ、今のところ。


| | コメント (0) | トラックバック (3)

ローマ人の物語VII「悪名高き皇帝たち」の読みどころ

 「ローマ人の物語の読みどころ」シリーズ。

 皇帝ネロ編(文庫の20巻)が頭ひとつぬき出て面白い。「ローマ=世界」が平和になり、戦争が象徴化されつつある分、権謀術数がはびこる時代。階層社会、少子化対策、ポピュリズムといったキーワードは、現代にあてはめると愉しい(著者自身もそのフシあり)。

 皇帝たちの悪行列伝も、現代の尺度からみると微笑ましく思えてくる。既にキリスト圏からメッタ斬りにされているにもかかわらず、塩野氏の筆は容赦しない。時代はズレるが秦始皇や董卓と比べると、『暴君』と評される皇帝タンがかわいそうに見えてくる。

カプリでのティベリウスの"悪業"の第二には、淫猥な性行為を発明し、実際にさせたこと。各地から集めた少年少女たちを、少年と少女のチーム別にワケ、それにこの道の達人を一ずつ付け、この三人にティベリウスの見ている前で性行為を実演させるのである。チーム別に分けたのは、各チームはそれぞれ体位のちがう性行為を行うことが課されていたからだった

 酒池肉林こそ漢(おとこ)の夢、なんて言ったら刺されそうだな。これらはいわゆる伝説のたぐいとして紹介されているが、淫行の事実よりもむしろ、どうしてそんな記述がなされたのか? の方が気になる。事実でないと強弁するなら、どうしてそんなことが書かれたのかを、独自の妄想力で描いて欲しかった。「クォ・ヴァディス」や「サティリコン」が未読なので自分でやってみよう。

 折り返しまで読んできて注目すべきは、「なぜローマが?」に答えようとしているところ。覚えているだろうか? この長い長い物語をはじめるにあたって、読者に投げかける質問という形をした、本書のテーマを。

   知力ではギリシア人に劣り、
   体力ではケルト(ガリア)やゲルマンの人々に劣り、
   技術力では、エトルリア人に劣り、
   経済力では、カルタゴ人に劣るのが、

 自分たちローマ人であると、ローマ人自らが認めていた。
 それなのに、なぜローマ人だけが、あれほどの大を成すことができたのか

 一大文明を築きあげ、それを長期にわたって維持することができたのか。どの世界史の教科書にもある、軍事力の一点のみに因るのか。そして、そんな彼らさえも例外にはなりえなかった衰亡も、これまたよく言われるように、覇者の陥りがちな驕りによったのであろうか?

 この自問に、「皇帝の血の付加価値」という興味深い視点から自答している。ネロを弑した後の話――

しかし、アウグストゥスの「血」とは訣別したローマ人も、アウグストゥスの創設した帝政とは訣別しなかったのである。カエサルが青写真を描き、アウグストゥスが構築し、ティベリウスが磐石にし、クラディウスが手直しをほどこした帝政は、心情的には共和政主義者であったタキトゥスですら、帝国の現状に適応した政体、とせざるをえなかったほどに機能していたからだ。ローマ人はイデオロギーの民ではなかった。現実と闘う意味においての、リアリストの集団であった

 政治とは技術(アルテ)であり、アウグストゥスが創設した帝政は、デリケートなフィクションであると。一人に統治権が集中する君主政は、独裁化しがち。ところがローマ帝政では、史上例の無い「チェック機能付きの君主制」だという(文庫20巻p.219)。

 「デリケートな基盤の上の不明瞭な権力構造」とうたっているワリには、「その後の帝国統治の機能の見事さが証明している。一人や二人の皇帝の失政にも、帝国はびくともしなかったのだ」と続く。このシステムは微妙のか強固なのかよく分からん←これが「ローマ人の物語」後半に効いてくるのかもしれん。

 つまりローマ人は徹底的なプラグマティストであったからこそ、「デリケートな帝政というシステム」を時代や環境に応じて最適な形で運用できたのだろう…とラストで結ぶのかね。すでに完結している「ローマ人の物語」のラストを想像しながら読むのは面白し。

 読んでてもの足りなさを感じたのが、キリスト教との関わり。このテーマで、それこそ山のように本が書かれたし、これからも書かれるだろう。ところが本書(18~20巻)ではイマイチ。ネロの迫害ネタなんて、格好の的なんだが、喰いが悪い。「キリスト圏というバイアスから逃れてローマを論じる」と啖呵切ってる[参照]ワリには、舌鋒が弱め。キリスト教とローマとの関係は、「キリストの勝利 ローマ人の物語XIV」で1巻まるごと使っているみたいだから、楽しみだ。どこまで切り込んでくれるか、あるいは、他の史料をクサして濁すか、舌なめずりして読み進める。

ローマ人の物語17ローマ人の物語18ローマ人の物語19ローマ人の物語20

――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ローマ人の物語」の読みどころ【まとめ】に戻る


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年4月1日 - 2007年4月7日 | トップページ | 2007年4月15日 - 2007年4月21日 »