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人生を完全にダメにするために、あなたがすべき11のこと

人生を完全にダメにするための11のレッスン 気分は負け犬、常に被害者を名のるのがトレンドらしい。あるいは、人生のだいなし感覚を味わいながら恨み辛みをつらねることにヨロコビを見出す。そういう半端な失敗者は、本書の徹底したダメイズムにガツンと犯られる。

 お題の通り、著者は「人生を完全にダメにする」方法を追求する。中途半端ではダメなんだ、徹底して台無しにするやり方を会得し、最後までやり遂げる←驚いたことに、これもダメなんだという。つまり、負の完全性を成し遂げている点において、「成功者」となっているから。

 この恐るべき自家撞着を回避するために、完全にダメになった人生を定義する。本当の意味でダメな人生とは、陳腐なものであるべきで、その「失敗ぶり」を人に吹聴したりはできないものだという。

 つまり、惨めな人生を美徳だの英知だの足るを知るだのといった言葉で飾ることもダメ、そして、自分の人生を破壊した何かへの復讐や、ダメ自慢ができるような代物なら、そもそも「失敗した人生」なんて言わないんだって。

 奴隷の鎖自慢すら許されない人生、これぞホンモノ。始まり方がお気に召さないからといって、早々と人生を投了する連中に読ませてやりたいね、負け犬を名のるには精進が足りない

 失敗メソッドの各論は、誰しも思い当たるものばかり。曰く、「しじゅうグチを垂れること」、「他人との関わりを絶つこと」、「常に自分が正しく、誤っているのは他人だと責めるべし」… なーんだと思うなかれ、どれも徹底しているところがスゴい。例えば、「常に自分が正しいと思うこと」では、

 他人の批判を決して受け入れず、改心などどこ吹く風という態度をとること。今日日の中学生がそうであるように、批判されたら侮辱と考え、拒否されたら権利を侵害されたと受け取り、何かを薦められたら選択の自由を奪われたと解釈するのである。つまりはどうにも矯正できない人間と思われることである

 うん、最近の厨房でもここまで徹底していないぞ。いっぽう、ハラを抱えて笑わせてもらったのは「熊の舗石」の話。

 熊のように孤独でいること。ただし、舗石を離さずに。「熊の舗石」とは、ラフォンテーヌ「寓話」にある、老人の顔にとまった蝿を追ってやろうとして舗石を投げた熊の話から、「いらぬお節介をすること。ありがた迷惑」の意味

 「小さな親切、大きなお世話」で、惨めな人生の第一歩を。また、非常にフランス人だなぁと思い知らされたのは、恋愛について。著者によると、恋愛で不幸になることは非常に難しいらしい。お国柄といえばそうなのかもしれないけれど、恋愛で惨めな気分に陥るためには、かなりの努力を要するらしい。だから、容易に失敗している人が「ひょっとして」いるならば、失恋巧者といえるね。

 このほか、

  • レッスン9 : 職業別失敗アドバイス数例
  • レッスン10 : 失敗のトレーニング
  • レッスン11 : 死ぬまでに済ませておきたい失敗

 … といったように、人生の失敗学が集大成されている。マヨネーズ作りで失敗する方法から、フェラチオで失敗するためにすべきこと/すべきでないこと、テロで失敗するとどういう目に遭うかは、ここで修得しておきたい。

 本書を読み終えると―― 読んでいる途中にも気づくかもしれない ―― 人生における成功と失敗なんて相対的なものだという非常に平凡な事実にたどり着く(コップ半分のたとえ)。えらく遠回りしているが、著者の博覧強記+人類の悪行列伝に楽しく付き合っている間に読み終えてしまった。

 究極のダメ人生とは何か? あるいは、人生における徹底した敗北を追及しているうちに、いつしか「わたしの」視線は真逆を向いている。書き手のレトリックにまんまとハマっているわたしガイル。人生を投げたくなったら読んでみるといい、あなたの人生をダメにしたもの[こと]が皮肉と諧謔に満ちた筆致で徹底的に書いてある。そこに何を読み取るかは、まさにあなた次第だといえる、めずらしい一冊。

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嫁とKanon(最終回 : あゆと名雪とオレの嫁)

Kanon_pk_2 (前回までのあらすじ)木曜 25:00、BS-i のひそかな愉しみをエロDVD鑑賞と間違われる(その1)。のちにエロゲ原作のアニメだと知られ、マジ離婚を検討される。しかし、ナユキストであるダンナに引きずられるように、いつしか一緒に観るようなるのだが――(その2)

 このエントリは、京アニKanonの最終回のネタバレを含むよ(反転表示)。

 いわゆるギャルゲについての認識が根本的に誤っていたことを、京アニに思い知らされる、しかも徹底的に。

 つまりこうだ、ギャルゲとは、複数の女の子から一人の娘を選び取り、その子と仲良くなるプロセスを楽しむことが醍醐味だと思っていた。したがって、選ばれなかった子たちは、選ばれなかったエンディングへ向かうことになる。

 より反語的な例として「君が望む永遠」を挙げよう。あれは、「選ばれなかったほう」のストーリーこそ秀逸であり、いかに彼女らが傷心と共に己の運命を受け止めたかが、見るべきポイントだろう。うんこたれ鳴海孝之の周章狼狽っぷりこそオマケだ。

 したがって、ギャルゲにおいて「ひとつのシナリオへ進む」とは、選ばなかった子が選ばれなかった運命をたどることを自動的に意味するものだと思っていた―― 真琴は行き倒れ、栞は病膏肓に入り、舞はいまでも闘いつづける―― それは、あゆ・名雪を選び取った結果なんだと。

 あるいは、秋子さんが病院送りになるならば、(それは名雪ルートであり)、あゆは目覚めることないはずだ―― そう決め付けていた。だから、秋子さんが1トンの乗用車に巻き込まれたとき、ルートは決まった、あゆはどうする? という疑問ばかりが心を占めていた。

 それがどうだ、全ての女の子を救い、そして最適化されたルート、すなわちあゆエンドにまとめあげるとは―― しかも「奇跡はただ一つだけ」のお約束と矛盾することなく―― 正直、自分がいかに浅はかであったかが、京アニKanonの最終回でよーく分かったよ。グッドエンディングではなく、これこそベスト・エンディングなんだ。

 ―― などとラストシーンを眺めながら感慨にひたっていると、

    「… ぐしゅ」  背後で音がする。

    『どしたの?』  と、声を掛けると、

    「ちちょっと、あっち向いてて!」

    『泣いた?』

    「ンなわけないでしょ、バカぁ」

 「ぁ」が、よわよわしい、愛しい。いい、かわいいよオレの嫁。「ヲタアニメばっかり見てて、このアホダンナ!」と罵っていた日々は過去のもの。わたしは、嫁が嫁2.0になる瞬間を目の当たりにする。結婚してよかった、ヲタやめずによかったと痛いほど感じる。

 同時にある確信へ至る。そうなんだ!たとえナユキストであっても、うぐぅ信者になれるんだ。「片方を選ぶと、もう一方は選ばれなかった」ことにはならないんだ名雪シナリオにも、あゆエンドにもなりうる、そんな風の辿りつく場所があるんだ。ヲタでも嫁(≠脳内)とやっていけるんだ!二次元と三次元を同時に愛することは可能なんだ!ラピュタは本当にあったんだ!

 心の中で絶叫する、感涙のあまりむせんでいると、嫁がフともらす。

    「ところでさ…」 テレビを指差す。

    『ん?』

    「どうしてこのコと、ウチの子の名前が一緒なの?」

    ギ ク リ

    「そういや、候補で 『みすず』 を強く言ってたね…」

    ギ ク ギ ク リ

 今宵は長くなりそうなので、以降、ご想像にお任せする。最後にひとこと。世界中にはどんな想いも、かなう日がくる。めったに起こらないから奇跡なんだけど、起きたらそれは必然と呼ぶんだ

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「図書館に訊け!」は盗みがいがあるぞ

図書館に訊け! 「検索」ならぬ、情報「探索」の方法が盗める。しかも、調べ物のプロフェッショナル、図書館員の技が惜しげもなく開陳されている。

 「検索」はキーワードによるヒットを試行錯誤する方法だ。いわば、欲しいものが明確に分っており、ピンポイントで狙って当てるようなもの。いっぽう「探索」は調べたいトピックによる絞り込み検索+レファレンスブックのフィードバックによる深堀りだ。着弾地点から再度絞り込みをかけているようなもので、確度と網羅性は高い。

 この探索手法が具体的かつ「調べるための」参考文献満載で紹介されている。このテクニックを「文法」になぞらえている。至言なので孫引きする。

 文法をやらなくっても読めるっていうのは正解だよ。だけど、そいつはよっぽどセンスと力とやる気のある人がいう台詞なんだ。凡人はな、文法をやったほうがよっぽど楽なんだ。特急券なんだよ。苦労の末につかむ筈の法則を、最初にぽんと教えてもらえるんだから。
「スキップ」(北村薫)

 例えば、本の形態から、読むべき本を選択するテクニックが紹介されている。新書 > 単行本 > 文庫本 の順に鮮度が落ちることは経験的に知っていたが、書誌情報にある本の大きさ、頁数、版数、発行年数、引用文献から、どの本が入門性が高く、どの本が専門書として扱うべきかを探求する「図書館員の思考プロセス」は特急券、非常に盗みがいがあるぞ。

 あるいは、本屋だけで事足れりとする発想は浅はかなだけでなく危険だと指摘する。例えば、トヨタ自動車を研究しようとして、新刊書店で「トヨタはいかにして『最強の車』をつくったか」(片山修/小学館/2002)は入手できても、トヨタ社内で編纂した「創造限りなく――トヨタ自動車の50年史」(トヨタ自動車/1987)は図書館で手に取るしかない。

 著者は繰り返し指摘する、「データベースやレファレンスブック、インターネットを探索しても見つからないからといって、"無い"なんてことはない。見つけていないだけだ」誰かが必ず書いており、真のオリジナリティは先人たちの集積の上に在るという。

 たかだか数十年、己の嗅覚だけを頼りに新刊書店と古本屋を経巡って集めた「本棚」で悦に入っていた自分が恥ずかしい。「本屋さんの本」だけで良しとする考えは、google検索結果が世の全てと判断する思考停止ポイントと非常に近接している

 図書館の怖いところは、利用者の関心やレベルに応じて、その相貌と機能を変えるところにあるという。その結果、自分は充分に利用できていると自認していても、知らず知らずのうちに稚拙な利用法で終わっていたりする。自分が成長しない限り、相手も変わってくれない。

 せいぜい精進いたしますか。

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劇薬マンガレビュー(第2弾)

 オトナが読んでもトラウマになるような劇薬マンガを求めて→「はてな」で質問[参照]→教えていただいたマンガを読む→激しい衝撃を受ける[参照]→次のマンガへ…といった、ネガティブフィードバックのくり返し。気が向いたとき、手軽に嫌悪感や忌避感、あるいは嘔吐感を味わっている。

 はてなで回答していただいた皆さま、胸クソ悪くなるような作品を紹介していただいて、本当に感謝しています。おまけに、このblogで「そいつを読むならコレはどう?」と追撃コメント頂いたおかげで、定価で入手できる劇薬マンガは一通り集まったのではないかと

 この第2弾では、せっかくご紹介いただいて、ワクワクしながら読んだにもかかわらず、これは劇薬じゃないよ、スゴく面白いよ!と感じた作品をご紹介。ポイントは『わたしが』面白いと思ったところで、人によるとトラウマンガになるかもしれないので注意して。

ブラック・ラグーン 最初は、「ブラック・ラグーン」。本屋で呼ばれてジャケ買いしそうになったことがあったが、劇薬はここだと教えていただいた↓

 基本は軽快なアウトローガンアクションという感じなんですが、これの3巻から4巻に続く日本篇の「普通の女子高生として暮らしていた少女がヤクザの闘争に巻き込まれ、チンピラにレイプされ、その後死んでいく」という鬱展開は本当に読まなきゃ良かったという気持ちになりました。2巻から3巻にかけての変態に嬲られ心が壊れて人殺し人形になってしまっている双子なんてのも非常にくるものがあります。

 どう劇薬なんだろうとワクワクしながら読んでいくと、うわーっ面白いじゃないか。借リモノっぽいハリウッドテイストな台詞回しが煩わしいけれど、シリアスリアルを追求しているのが良。社会派っぽいシチュエーションに、「ありえなさ」加減が激しいガンアクションを『緻密に』描いているトコなんて、最高峰である「ガンスミスキャッツ」を思い出してしまう。

 んで、劇薬ポイントなのだが―― ああ、確かに連載で追いかけてきたら日本編の救いの無さ(というか儚さ)にズギャンと犯られるかもしれない。健気に咲いている花を踏みしだき、毟り取るようなシーンは後味悪いかも(メガネ属性の方は特に注意)。ただ、普通の女子高生がメチャメチャにされるマンガの最高峰「真・現代猟奇伝」には遠いですな(←ぜったいに読んではいけません)。

 あるいは双子編の「どうしてこの双子はこんなモンスターになったのか?」が明かされるトコはヤだろうなぁ… 単なるロリペドSMを突き抜けているよ… 現実にこの双子に施したような『趣味』をお持ちの方はいらっしゃるようだ。小説になるが「マルドゥック・ヴェロシティ」に出てくる子どもに薬物投与して殺し合いをさせ、最後に「きもちいいよ、きもちいいよ」と呟く子どもの手をショットガンで吹き飛ばすスナッフビデオを見ながらマスターベーションする変態を思い出したといっておく。

俺と悪魔のブルーズ 次は「俺と悪魔のブルーズ」、こいつはスゲぇ、吸い込まれるように読んた。装丁からしておどろおどろしい。読むためには開かなければならないのだが、本を開いてはいけないような気にさせる装丁となっている。

 深夜、十字路で悪魔に魂を売り渡した引き換えに天才的なギターテクニックを身につけたという「クロスロード伝説」が元ネタ。この天才ブルーズマンである、ロバート・リロイ・ジョンソンは実在しているが、マンガはこれをベースにしたフィクション。

 舞台は1930年代のアメリカ中西部。魂を売り渡したRJの悪夢のような一夜も恐ろしいし、彼と同行する悪魔(?)の存在感が真黒だ。一皮向くと人種差別がはびこっている田舎での狂った果実さながらの展開は、マンガ読んでるのに息苦しくなってくる。

 読んでるこっちが真ッ黒な気分にさせられてくる。ああ、ノワールって黒なんだなぁとアタリマエのことをしみじみ実感させてくれる(スズキトモユさんが『フォークナー+ジム・トンプスンのブレンド』と評したのはさすが!)

 ―― で、これのどこが劇薬なんだ? こんなにスゴいのに。

Watashino_1  最後は、これはこわい、と自信を持ってオススメできる山岸涼子作品。No.1は「汐の声」。山岸涼子のホラーアンソロジー「わたしの人形は良い人形」所収なんだけど、こわさは「汐の声」の方が上、なんせラストのあのシーンは夢に見たぐらいだもの。そして、どうしてあの少女だけが「見えた」のだろう? と考えて、さらにゾ~っとさせられたから(わたしのレビューは[ここ])。

 お話そのもののこわさだけでなく、トーンが少ない妙に白っぽい絵柄とか、コマの配列がスゴい。こわいところではページをめくるのをためらうように、次のコマへ目を移すのが厭な気分にさせる。んで、バーン!と大ゴマでクる感覚が絶妙。読んでいるわたしの背後から見ているような展開が、「そんなワケないのに」と思いながらも気分が悪くなる。

 某所で「トラウマ漫画人気投票」があり、2001.10.~2003.1によるとベスト10は以下のとおり。

  1 汐の声(山岸凉子)
  1 妖怪ハンター(諸星大二郎)
  3 洗礼(楳図かずお)
  4 白い影法師(美内すずえ)
  5 負の暗示(山岸凉子)
  6 富江(伊藤潤二)
  6 座敷女(望月峯太郎)
  6 奪われた心臓(楳図かずお)
  6 笑う吸血鬼(丸尾末広)
 10 ゆうれい談(山岸涼子)

 同じく山岸涼子作品だと「夜叉御前」が良い(というか、恐ろしい)。怖いんじゃぁない、恐ろしいんだ。何が? 人間が。オバケやユーレイがこわいんじゃない、最も恐ろしいのは、人間だ、という単純な事実に気づく。

 一回目に読むときはは怖くないけれど、二回目、全部分かった上で読み直すと、心にグっとのしかかるものがある。彼女が見た「鬼」とは、一体なんだったのか…

 正直、15歳の美少女の運命が気になって、そこに着目してばかりいた。だから彼女がどういう目に遭うかは、かなり早い段階で見抜いていた ―― もちろん皆さんもピンとくるはず。ところが、わたしの期待は終盤の大ゴマで粉々に打ち砕かれ、ビックリはさせられる。それでも許容範囲内のはずだった…

 でもね、二回目を読むと、つまり、彼女をジッと見つめる「鬼」の正体を知った上で読み直すと、―― 「鬼=業」なんだとつくづく思い知らされる。人間って、ほんとうに、こわい

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