いつか見た「最後から二番目の真実」
もちろん「ブレードランナー」や「トータル・リコール」から入ったP.K.ディックなので、本書も頭ン中でビジュアライズして読めた―― というか、別の映画のシーンが脳内イメージに割り込んできて困った困った。
テーマはいつもどおり、「つくりものの現実」。
世界核戦争。地上を汚染する放射能をのがれ、人々は地下にひそみ、戦闘用ロボットの生産に追われている。そのロボットが地上で戦い、ときおり流される映画で様子をうかがい知るのだった… というのは真っ赤なウソ。戦争はとうに終結しており、地上は、ごく限られた特権階級が支配する世界だった…
権力者が大衆を騙す、その道具としての映画は、ベルリンオリンピックの「民族の祭典」のみならず、「フリッカー、あるいは映画の魔」がチラついてしょうがない。地下に潜んだ人々の描写はオーウェル「1984」をホウフツとさせらるし、戦争プロパガンダが書けずに呻吟するシーンなんて、「未来世紀ブラジル」のイメージが取って代わる。
もちろん地下住民が作り出す人型ロボットは、どう見てもレプリカント。そいつが粉々になるところはオビ=ワン・ケノービ初登場のシーンを思い出し、ラストの映画の上映を待つところは―― 思い出せネェ、ひょっとすると未だ観ぬ映画とシンクロしようとしているのかも。でっかい風呂敷をおっぴろげ、いろんなものを詰め込んで、なんとか破綻せずにラストに駆け込む(ラストも映画的だぁ)。やめられない止まらない。
ただし、エンターテイメントとしての完成度はアレなところがある。あれだけの荒唐無稽を、ぜんぶ脇役のモノローグで明かしてしまったりしており、もったいない。仕掛けや設定に語らせる小説に慣れた舌には、大味すぎて拍子抜けするところもある。
ごっつユニークなガジェット―― 時間掘削機やゲシュタルト偽造機、あるいは恒常性向人性矢弾や構文機といった道具が沢山でてくるのよ。これらを使って、一種ミステリ仕立てにしても良かったろうに―― という目で読むと雰囲気ぶち壊しなので、好きな人はあれこれ考えずに読むべし。「暗闇の『スキャナー」・ダークリー』が読みながら奇妙な気分になったのとは反対に、このラストはなかなか好き。SFとは近未来なのだと正しく理解できる。ありもしない脅威をでっちあげることは当局にて織り込み済みだから、ね。
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コメント
おはようございます。小林円児です。
フィリップさんの小説は、題材は面白いのですが、「大味」なものが多い気がします。「トータル・リコール」はあっさりしていながらも、深みがあると感じましたが。『戦争が終わり、世界の終わりが始まった』は、二回目に読んだときに、その面白さがわかったような、わからないような不思議さを味わいました。
SF小説は、ホラー映画と同質の哲学があるような気もいたします。
どちらも、過小評価されがちですね。
度々のコメント、お許しください。
投稿: 小林円児 | 2007.07.11 07:11
小林円児さん、コメントは大歓迎ですよ
ただ、スパムに埋もれてお返事しそびれてしまうことがあるので、ご容赦くださいませ
「SF小説は、ホラー映画と同質の哲学」…ああ、確かにー
コレ!というネタを絞って語ると、結構読むべき(観るべき)作品がボロボロでてくるような気がしてなりません
投稿: Dain | 2007.07.11 23:44
「大きな物語」が消失てからというもの、スパイ小説のみならず、SFやミステリも書きにくい&読みにくい世の中になったような気がしてなりません。作品が、現実状況のパスティーシュとして書かれ、そして読まれていた時代と異なり、オーウェルの『1984』も『未来世紀ブラジル』も、そこで「悪」として描かれている権力の構造に、今や全くリアリティを感じられなくなっています。
徹底的にパロディとして描くのならいざ知らず、全面核戦争の恐怖も独裁政権の圧制も、「今そこにある危機」ではなくなった今、「つくりものの現実」の恐怖を描くのに、世界戦争や全体主義を持ってこられても、正直のところ今更感しか覚えないでしょう(例えば、「ターミネーター3」と「ダイハード4.0」の物語構造を比較するのは、良い参考となるでしょう)。
『最後から二番目の真実』の既視感は、もしかするとそういうところから来ているのかもしれませんね。しかしながら、『最後から二番目の真実』は1964年の作品ですから、ポストモダンの時代に生きる私たちが既視感を覚えるのも当然。SFとは、「サイエンス・フィクション」であると同時に、その背後には通奏低音のように社会批判意識が流れているジャンルでもあると思うんです(『1984』や『華氏451度』なんて正にそうですね)。その意味で、『最後から二番目の真実』は、「社会批判」としてよく出来た作品といえると思います。ただ、今の私たちには、ディックが批判した社会構造が、既に過去のものになってしまっただけなのです。
投稿: ダカーポ | 2007.07.13 08:04
> ただ、今の私たちには、ディックが批判した社会構造が、
> 既に過去のものになってしまっただけなのです
!!!
なるほど!
SFが近未来「だった」のですね、そして、書かれた当時にとっての「近未来」は、もう通り過ぎてしまっているのですね
ディック作品の既視感覚について、ようやく腑に落ちました、ありがとうございます
また、「ダイ・ハード4.0」もそーいう風に観て見ますね(がぜん観る気になってきた!)
投稿: Dain | 2007.07.13 23:15