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人間を人間の格好にさせておくものとは?「ミノタウロス」

ミノタウロス この小説は、読み手に感情移入をさせないことに、成功している。全編モノローグで、カッコ 「 」 で括られた会話が出てこないのが異質だ。読み手を含む他人を寄せ付けない淡々とした語り口が恐ろしい。こいつに感情とやらがあるのか? アゴタ・クリストフ「悪童日記」を思い出す。

 「ミノタウロス」(佐藤亜紀著)―― 舞台は二十世紀初頭のウクライナ。ロシア革命による内戦が続く激動の時代。裕福な家庭に育ち、高い教育を受けた主人公が、家族と全財産を失う。以後、殺戮、略奪、強姦と人獣の日々が描かれる。もちろん、泣いたり怒ったりすることもあるが、それらは獣じみた情動に見える。

 戦争により表現される人間のおぞましさや、生々しいドンパチ場面も見どころだが、主人公が次に何を言い出すか気になって仕方がないうちにページをどんどんめくらされる。歴史モノというよりも、ノワールものとして評価したい。

人間を人間の格好にさせておくものが何か、ぼくは時々考えることがあった。それがなくなれば定かな形もなくなり、器に流し込まれるままに流し込まれた形になり、更にそこから流れ出して別の形になるのを──ごろつきどもからさえ唾を吐き掛けられ、最低の奴だと罵られてもへらへら笑って後を付いて行き、殺せと言われれば老人でも子供でも殺し、やれと言われれば衆人環視の前でも平気でやり、重宝がられせせら笑われ忌み嫌われる存在になるのを辛うじて食い止めているのは何か。

 延々と「主人公の目と耳」で語られてきたものが、最後の最後に引き剥がされる。ラスト数行を読むとき、ベリベリという音がぴったりだ。夢から引きずり出されるような心持ちで読了。このとき、主人公ヴァシリの皮をかぶって時代を見ていたのは、わたし自身であったことに気づく。最期はこうなることが分かってはいたものの、唐突に現実に引き戻される感覚がフラッシュバックのようだ。

 ともあれ、良い(酔い?)読書体験でしたな。ごちそうさまでした。

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そろそろコンサルタントについて一言いっておくか

コンサルタントの危ない流儀 コンサルタントの危ない流儀」はスゴ本。身の毛もよだつ暴露ネタだけでなく、優れた(結果ドリブンの?)テクニックをもHackできる。コンサルタントも、そうでない人も、盗みどころ盛りだくさん。

 最初にハッキリ言っておく、コンサルタントは、こんなに酷くない。

 顧客を財布、しかも巨大な財布だと見なし、知ったかぶりの業界通を気取り、難解な経営用語で煙に巻き、「お客さまと一体となって」嘘八百を並べ、プロジェクトが焦げ付く前にトンズラする―― こんなコンサルタントは、ほとんどいない。

 しかし、コンサルタントの手口は、著者の暴露するとおり。なぜ言えるかというと、わたし自身、コンサルタント・ファームとして中の人の経験があるから。面白おかしく脚色してるだけで、やってることはホント(書きっぷりは山形浩生氏に似てる)。

■なぜ、経営者はコンサルタントに莫大なカネをつぎ込むのか?

 従業員の給料を必死こいて削減する一方、コンサルタントに莫大な金をつぎ込む経営者は、確かにいる。お役所も然り。もっと酷いことに、失敗と分かっているにもかかわらず、金を注ぎ続ける首脳陣がいる。

 どうしてそんな愚かなことをするのか? ――本書では、その先を明かしている。

 答えは「恐怖」だ。「不安」と言い替えてもいい。正しい人を探し出し、その人の「恐怖」スイッチを入れれば、必ずプロジェクトを買ってくれる。これは、コーラを飲んだらゲップをすることぐらい確実だ。

 プロジェクトを買わせるために、どうやって「恐怖」を植え付けるか、そのテクニックが惜しげもなく紹介されている。もちろんそこへ至るまでの、「外の人」がその企業に取り入る方法や、意思決定者を見つける方法、会議を紛糾させずに全員を「関係者」に巻き込む方法といった、コンサルタントに限らず「おいしい」テクニックが開陳されている。熟読するだけで、コンサルタント詐欺師として看板だせる。

■解体屋の手法

 例えば、「解体屋」と呼ばれるコンサルタントのやり口。最もコストがかかる部分――まず人件費を削れというビジネスモデルだ。そのため、ナントカの一つ覚えの如く現状分析(As-Is)を徹底的に行う。

  1. クライアントの各部署に行き、そこでどんな業務が行われているか調べる
  2. 各業務の完了に、何秒、何分、あるいは何時間かかるか測定する
  3. このうち、どの程度の時間が非効率――つまり「損失時間」――のために浪費されているかを見積もる
  4. 各業務が1日に何回行われているかを見る
  5. 業務の回数と、効率的に行うのに要する時間(損失時間を除去した時間)を掛け合わせる
  6. この数字を用いて、各部署に必要な人時を計算する(※)
  7. 損失時間なしにその部署を運営するのに必要な人数と、実際に雇われている人数を比較する
  8. スタッフの何パーセントを解雇すべきかを勧告する書類を作成する
  9. クライアントに新たな経営管理を導入する高価なプロジェクトを提示する。その部署を、より効率的に運営する経営管理を提示する
 ※As-IsとTo-Beの差は、必ず30%の削減になるそうな。その数字にするために、プロジェクトマネージャがどれぐらい紳・士・的に振舞うか、第2章を読んでほしい。

 このステップを首尾よくこなした後、「解体屋」が売りつける管理手法はただ一つ。すなわち SIS(Short Interval Schedule) と呼ばれるそうな。簡単に言うと、現場監督が2時間ごとに労働者の生産高と目標値を照らし合わせ、達成できないものは訓練するかクビにする方法だそうな(テイラー主義なんて、懐かしいねぇ)。

■なぜ、ITシステム・プロジェクトは失敗するのか

なぜITシステム・プロジェクトはかくも絶望的なまでに制御不能になるのか? 多くの理由がある。不十分なプロジェクト管理、絶え間ない仕様書の変更、設計者と使用者のコミュニケーション不足なども、まあその一因ではあるだろう。だが、これだけ全面的な大失敗ばかりが頻発するからには、ほとんどのシステムの売り込みと運営に何か根本的な欠陥があるに違いない。(中略)ITシステムの失敗には根本的かつ申告な原因がある。すなわち、買い手の無能さ、契約それ自体、そして「無からの創造」である。ITシステムの失敗というのは、システム開発に固有の技術的困難というよりも、そのシステムを売りつけるコンサルタント会社のいかがわしい倫理観によるところ大なのである

 あーあ、言っちゃったよ。ITシステム・プロジェクトの最初(コンサル)から最後(オペレーション)まで全て経験したことがあるわたしが、ずーーーっと思ってたことを、この人はずばり言い切っている。最初から間違っているってね。

 かつて、要求仕様の調整役や、あるいは設計・実装・テストの仕事をしてたときは、自分や周囲を責めたりしてた。曰く「このプロジェクトが上手くいかないのは、わたし(または○○)のせいだ」ってね。胃を痛くしたり、人間関係を悪くしたりしてたけれど、若かったね。今なら自信もっていえる。燃えさかるずっと前にいなくなったコンサルタントの連中が現況なんだってね。

 食材として腐った豚肉が半分しか届かないのであれば、まともな牛肉コロッケはできない。ITプロジェクトの「中の人」の場合、偽装したら即バレなのでごまかすわけにもいかない。だから、自らの身を削って(文字通り身を粉にして)作るわけだ。血を吸ったプロジェクトを見るにつけ聞くにつけ、最初の人はどこにいるんだろうなぁ、と遠い目になる。

■どうやってクライアントに「恐怖」を植え付けるか

 これぞコンサルタント悪の手引き書ともいえるほど、めいっぱい紹介されている。要するに、クライアントの弱点をあぶりだし不安がらせればいいのだ。「経営者の無為無策による未来」を突きつけられれば、クライアントが泣いてコンサルタントを助けを求めてくるようになる。収益性や生産高の不安要素をストーリーに仕立て、脅しつけるという寸法。

 例えば、「ホッケー・スティックを探せ」という手法。売上、利益、品質に関する楽観的な見通しは、ホッケースティックに表れる。ホッケースティックって、こんなやつ↓。エラい人が「内部資料」として出してくるグラフには、たいていあるでしょ?


 要するに、経営者が任期中に「やり過ごす」「先送りする」ための仕掛け。酷いのは今までで、何の根拠もなしに明るい未来を紡ぎだす経営陣の妄想力には脱帽する。しかし、いったんコンサルタントが見つけたら最後、「お前さん方のたくらみなんざ、こちとらまるっきりお見通しだよ」と突きつければ、途端に従順になる。毎年約束しながら実行できないでいる結果を今度こそ出そうという気に(強制的に)させるそうな…確かに。

 それ以外にも、「殺しネタ」が紹介されている。「DILO(Day in the Line Of)」と「ブラウン・ペーパー」だ。どちらも経験したことがある(ただし、別のツール名だったが)。前者は定点観測、後者は従業員による問題点の指摘手法で、確かにこれは、サルでもできる。

■コンサルタントの詐術

 門外不出のコンサルタントの詐術が5つ、紹介されている。ほとんど詐欺だよ…とツッコミを入れながら読む。とはいうものの、これって大なり小なり、やってきているよなぁ、と身につまされる。いやいや、これは仕事を円滑にまわすためのHacksなのかもしれない。

  • プレゼンテーションするな!(根回し10割、会議はシャンシャン、共同決議)
  • クライアントスタッフをチームに入れる(役割獲得)
  • 共謀的販売による受け入れやすい形にパッケージング(誤:私どもの調査の結果、配達の40%が遅延しているという…/正:従業員の方から提供いただいた情報では、配達効率において大きな向上が見込めることが示されています)
  • 決裁ネットワークマネジメント(人間攻略)

 二つ目の「役割獲得」なんざ、皆さん使うでしょ? 要するに「設計フェーズへの顧客の巻き込み」だよ。あるいは、es[エス]って映画観た? とある実験でフツーの人々に囚人役と看守役をやらせる奴。役割を与えられることによって、その人格を習得させるテクニックの応用例だね。

 それから究極の殺し文句!これは「わたしが」覚えておきたいので太文字で引用する。単純ミスによる揚げ足取りをすりかえて、クライアントにとっての致命的な問題に仕立て上げる方法だ。覚えておいて損はないぜ。

ありがちなのは、重要なプレゼンテーションをやっている際に、たくさんの数字が出てきて、クライアントの誰かがその数字のあれが違うこれが違うといい始めたりすることだ。未熟なコンサルタントの場合、攻撃されるとまず自分と自分の仕事を弁護しようとする。そこで、正しい数字は何だとかそういうほとんど意味のない議論が延々と繰り広げられることになってしまう。その結果、重要な問題、なぜ彼らは我々からプロジェクトを買わねばならないのか、とうい問題がすっかりお留守になってしまうのである。

だが、ここで百戦錬磨のコンサルタントなら、プレゼンテーションをいったん中断して次のように言うだろう。「全くおっしゃる通りです。ここに挙げた数字は正確かもしれませんし、間違っているかもしれません。私どもは知りませんし、お伺いした御社の従業員のどなたもご存知ありません。もちろん、それぞれにご意見はお持ちですが、正確にはご存知ないのです。そして、基本的な数字を従業員が把握していないような会社は、効率的に運営することが不可能なのです」。

それから役者みたいにじっくりと聴衆の顔を見回す。この状況がものすごく深刻なものであることを強調するわけだ。そして、おもむろに「ですから、ここでの根本的な問題というのは――」と話を続ける。こちらが数字を間違っていたことについては何も答えていないが、そんなことに気づく暇を与えてはならない。「すなわち、従業員が信頼し、活用することのできる管理プロセスをご一緒に作り上げていくことなのです」

 いささか露悪的に書かれてはいるが、6章で紹介されているテクニックはコンサルタントのみならず、今の現場で使える(と思う、というか使ってる、というか使おう!)。

■A MCKINSEY CONSULTANTS' CELEBRATION SONG

 わたしに役立ちそうなテクニックを中心に紹介してきたが、コンサルタントのセキララな実態もぎっしりと書いてある。コンサルティングファームで2年間、自分を試してみようかな、などと心揺れたときもあったけれど、今から思うとスゴこと考えてたなぁ、と。

 最後に、「マッキンゼー・コンサルタントを寿ぐ歌」を引用しよう。これはマッキンゼーのクリスマスパーティで歌われたという歌だそうな。

  ベストな成果を望むなら
  最高の稼ぎが目当てなら
  任せて安心、万々歳
  それが経営コンサルタント
  マッキンゼーでございます
  顧客のカネはうちのカネ
  何百万ドルお手の物
  顧客の無知こそゼニの元


  構造改革したいなら
  それで成功する気なら
  黙って受け取れ請求書!
  やってあげます構造改革
  マッキンゼーにお任せあれ
  顧客のカネがウナってる
  セレブに金持ち、大歓迎
  構造改革、売り込むよ


  破綻だ赤字プロジェクト
  何がなんだか分からない
  そんなときこそ、"Quick Hit"
  たちまち実現、"Early Win"
  マッキンゼーは忠勇無双
  大成功をお約束
  チャンスは逃さず手厚いご指導
  カネさえ払ってくれるなら


  配布資料にフリップチャート
  パワーポイント麗しく
  弁舌さわやか、立て板に水よ
  クライアントを煙に巻く
  マッキンゼーの得意技
  火のないところに煙を立てりゃ
  顧客真っ青、ますがまま
  これぞ名高き「コンサル話術」


  社風、しきたり、くそでも食らえ
  抵抗勢力ひねって、つぶせ
  瀕死の会社も数々見たが
  俺たちゃ生え抜き、プロのプロ!
  マッキンゼーの勝ち組みだ
  今宵は楽し、パーティーだ
  あなたも乾杯、私も乾杯!
  ウハウハ・ボーナス、出たばかり!

 もう一度言っておく、コンサルタントは、こんなに酷くない……?

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嘘つきとヤンデレの純愛「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」

嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん ヘヴィノベルだ、これっぽっちも light じゃない。が、面白さも重たい。するりと読めてガッチリと掴み取られる、まーちゃん(表紙)に。彼女のヤンデレは狂気の域に達しており、小学生兄妹を拉致って監禁している。

 いっぽう、語りべのみーくんは嘘つき。口ぐせは「嘘だけど」。地の文に紛れ込むモノローグでも嘘をつく。こっちはそこを織り込んで読むのだが、ラストの「幸せの背景は不幸」のくだりでやられた!おもわず天を仰ぐ。「幸せの背景は不幸」―― これがサブタイトルに入っているのを読了後に知って、もう一度空を見る。

 さらに、 一行目を読んだ瞬間、物語の二重底に気づく。ミエミエ、と思ってたら実は三重底。まーちゃんのヤンデレと、みーくんの口ぐせ「嘘だけど」が効いている。この仕掛け、上手に騙されましたな。ラノベだと舐めてかかって一本背負いを喰らった。でも気持ちいい。

「まーちゃん」
 マユの髪を指で梳きながら、諦め混じりに問いかけた。
「君、あの子達を拉致っちゃった?」
「うん ! 」
 当り前のように、元気一杯の返事を頂戴した。なんか、褒めて褒めてと、今にも言い出しそうだ。言われたらどうしよう、頭ぐらいは撫でてしまいそうだ。
「ねーねー、みーくんはおうち帰らなくていい? ていうか、一緒に住もうよ」
『は』ってあのね。
「質問と要求を一緒くたにしないように」
「で、で? どーなの?」
 人の話なんか聞いちゃいねぇ。しかも、目が爛々に輝いている。学校での性格はハリボテだったのかな、童女の立ち振る舞いが自然すぎる。


 するする読めて、ガッツンやられる。ラノベだからって「軽く」見てたのが恥ずかしい。そうそう、カバー裏はスゴいことになっているので、ぜひ読了後に鑑賞するように。

 嘘だけど。

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松岡正剛の読書術

 をッ!という本を検索すると、たいてい千夜千冊に突き当たる。セイゴォ式ウンチクに耳をかたむけつつ、類書を漁る。いわゆる「ソレ読んだら、コレなんて、どう?」的なオススメ。しかも肝をつかみとって教えてくれるので、これだけで読んだ気になれる。

 「読書とは編集だ」と言い切るセイゴオ読書術は、なかなか面白い。読書術や読書論は、千夜千冊(全8巻)のあちこちに散らばっているが、特別巻「書物たちの記譜」にまとめられている。中でも、わたしにピクッとキたものをピックアップしてみよう(太字化はわたし)。

■00 読書の謎

そこ(非線形読書のすすめ)に何を書いたかというと、われわれは読書によって書物にしるされていることを読んでいるとはかぎらないということを告げた。われわれは読書しているあいだに、アタマのなかで勝手な連想や追想や、疑問や煩悶をおこしているわけだから、ごく控えめに言っても読書とは、テクストの流れと自分のアタマのなかの知や感情の流れを重ねながら読んでいるわけなのだ。しかもそこにはたいへいさまざまな記憶がよみがえっている。すなわち、われわれは読書という行為を書物のなかの一行ずつ順に読んでいる線形(リニア)的な行為だと思っているものの、実際はそうではなくて、もっともっと非線形(ノンリニア)な行為をたのしんでいるのである。読書はつねに編集的な行為なのである。

 この考え方は繰り返し出てくる。単に字面から意味を吸収することなんて、無い。わたしたちは、読書という行為を通じて、自分の経験をやり直しているというわけ。

 実感する方法は簡単だ。未知の分野に挑戦してみればいい。最初の数冊のハードルは高いかもしれないが、こなれてくるとずんずん速く読める。既に理解した思考フレームや用語を読み直しているから速くなる。

■01 読書の多様性

こんなに先を読みすすむのが惜しく、できるかぎり淡々とゆっくりと味わいをたのしみたいと感じた本にめぐり会ったのは久々のことだった。「惜読(せきどく)」などという言葉はないだろうが、そういう気分の本である。どうしたらゆっくり読めるだろうかと懸念したくらいに、丹念で高潔だ。

──第十七夜「定家明月記私抄」より


読書というもの、なんとも不束なものである。その本を一度読んだというだけでは、ほとんど意味がつかめないことが少なくない。ぼくもこれまでもいやというほど体験してきた。読書の感動は何度か再生してみなければ何もならないのである。

──第七八四夜「雑談の夜明け」より

 耳に痛い。読み替えると、「何度も再生することで意味をつかむような本」を、あんまり読んでいないからだ。わたしの読書は刹那的で、スゴい本の凄さ加減が一読でつかめないようだと、そこでオシマイ。

 その結果、即効性の高い新しいモノばかり追い求めてばかりいる。再読、味読、傍らにおいて読み返すようなやり方はしなくなった。昔は、本は食べるように読んでいたのが、今じゃ、本は通過するように読んでいる。

 それでも、「惜読」じゃないが、ゆっくりゆっくり読んでいる本、再読、再再読している本は、確かにある。最近なら、

  ・ゲーデル、エッシャー、バッハ(ホフスタッター)
  ・言志四録と、井原隆一の解説本
  ・伝習録(溝口雄三の新訳)

 これらは積ン読というわけではなく、思い立ったら数頁、数十ページと読んで、幾日か措いて、再読したり進んだりしている。「全部読む」ことが目的ではなく、食べて自分のモノにすることだから、それでいいのかも。生活する傍らにおいて、一緒に空気を吸うような感覚。

■03 書店をたのしむ

書店で本を見るとき、いくつかの注意点あるいはヒントがある。

第一点。文庫本の棚はベンキョーにならない。あれは最近アイウエオ順の著者並びになっていて何の工夫もない。たんなる電話帳だ。
第二点。本の並べかたには平積みと棚差しというものがあって、手元の台に平積みにしている本はたいてい売れセンばかりなので、それに気をとられないで、ちゃんと棚差しのほうを考査する。
第三点。棚の本を見るときは(スキャニングするときは)、三冊ずつ目をずらして見ていく。だいたい本は一冊だけ手にとるのはよくない。その両隣りの本を必ず三冊ずつ認知するようにしたい。これだけでも三倍のスキャニングができる。
第四点。財布の都合にもよるが、本はできるかぎり"複数買い"をする。図書館で棚から本を閲覧室にもってくることを考えればわかるように、一冊だけとってくるのはあまりにも非効率的だ。そもそも本を一冊ずつ読むということは、小説を除いて、しないこと。いろいろ取っ替え読み替えしているうちに、本の味も値打ちも見えてくる。
第五点。ときにはあえて本を買わずに出てきて、その本屋の棚に並んでいた本をあれこれ思い出してみるとよい。近くに喫茶店でもあるのならいったんそこでさっき見たばかりの本の数々を思い出してみて、また本屋に戻って確かめることだ。ぼくは何度もこのエクササイズに耽ったものだ。

──第七五二夜「棚の思想」より

 達人の使い方だなぁ。全てのTipsは実証済みの上で、「使える」と断言できる。ただし、書店派から図書館派に鞍替えしたわたしにとっては、図書館で使っている技術。あえて"書店ならでは"として付け加えるならば…

  • インプット、アウトプットを観測する : 書店は入替えが激しいもの。定点観測する拠点から、入り込む本、出て行く(消えていく)本、溜まる(澱む?)本をチェックする。すると、「(書店は)どんな本を売ろうとしているのか」(←これ重要)「どんな本が売れているのか」「どんな本が売れなかったのか」が見える
  • ジャンル棚をチェックする : 特にIT系の技術書でで気をつけているのが、ジャンル別に分けられた棚の「見出し」。例えば、PHPの見出しがあった隣にPerlができたなー、Rubyはまだかなーとか。あるいは、プロジェクトマネジメントの棚がだんだん奥のほうへ移動しているなー、とか。書店は「売れスジ」に敏感なので、「見出し」を流行のバロメーターの一つにする
  • 雑誌の重点チェック : 雑誌こそ生モノ、図書館では間に合わない、かつ書店の「色」が一番出てくる。書店ではもっぱら雑誌コーナーに入り浸り、平積み棚ざしの見出しから漂う「空気」を吸ってくる。未知のジャンルに手を伸ばす

■04 図書館へ行く

図書館にはたくさんの本が待っている。そこへ行けば多くの本が読める。図書館は、すでに眠りこんでいたいっさいの知の魂を呼び醒ますための時空間装置なのである。それらはいったんは眠りこんでいた書籍をその胸に深く抱きこむだけに、どんな空間より死のごとく静謐であり、そのくせ、その一冊にちょっとでも目をいたせばたちまちに知の声が次々に立ち上がってくるのだから、どんな空間よりも群集のごとく饒舌なのである。

──第二八二夜「ヨーロッパの歴史的図書館」より


 時間のフィルターを潜りぬけた古典に価値を認めるならば、図書館こそフィルタリング装置だろう。書店にはクズのような本が(一瞬だけ)デカい顔をしている一方で、図書館の本は平等だ。もちろん例外もある。某児童書が何冊も並んでいるのを見るとウンザリさせられるが、大丈夫、いずれ一冊だけになる(あるいは消えるか)。

 図書館こそ、↑の「03 書店をたのしむ」チェック方法が使える場所だろう。お目当ての本を見つけると、両隣どころかその棚全部を念入りに見たほうがいい。ひょっとすると、探していた本よりもずっと貴重な一冊に遭える可能性が高いから。一冊の本を知のノード(結び目)と見なすなら、その一冊がある棚全部は、よく練られた一本のディレクトリだ。だから、その一冊だけではなく棚の本全部を読むつもりであたる。全読はムリかもしれないが、少なくとも目次熟読+索引とパラ見をしておく。その分野全部を鳥瞰する「つかみ」のようなものが得られる。

■07 マーキングする

本を読みながらマーキングするには、いくつものマークを準備する。傍線やアンダーラインだけではあまり役に立たない。色分けをしたとしても、その色に意味をもたせなくてはいけない。ぼくのばあいは二十種類以上のマーキングが分類されていて、読みながら次々にその分類マークを繰り出している。重要アイテムや感心フレーズにマーキングするばあいでも、著者が重視している用語とぼくが重視したい用語とを区分けできるようにする。人名、年代、書名もマークを分ける。

マーキングは読書を深く印象づけるという効果もあるが、それ以上に再読するときにその書物を短時間に組み立てなおせるようにしておくという効能もある。またその書物の内容を要約したり再構成するのにも役立つ。

──第四九三夜「官僚国家の崩壊」より

 ここ重要→「マーキングは再読するときに書物の内容を要約したり再構成するのにも役立つ」。本で食っていく基本だろうね。本を読むことを、書籍代と時間とアタマの投資と考えるならば、その最も効率的なリターンを得る方法はマーキングだろうから。

 アウトプットを出せない読書はインプットしていないから。よく「読んだら何がしか残る。わざわざ"残す"ことはない」とする人がいる。うん、わたしもそうだった。けれどそのやり方は、時間が経つにつれ「読んだ」というフラグしか残らなくなる。「血肉化」という戯言は、血肉化するほど繰り返し読んでから言うべし

■08 音読する

読むとは声を出すことだ。「分かる」とは声を自分の体で震わせることだ。「分かる」は声を「分ける」ことなのだ。言葉や文字の本質から声を抜いてはいけない。多くの言語学者や書家たちは声を忘れすぎている。空海はこれを一言で「声字」と言ってのけた。

──第五四四夜「五十音図の話」

■10 思速で読む

ぼくが「エセー」を読みはじめて一時間ほどたったとき、この緩やかな思考速度こそ「エセー」が歴史を超えて何度も何度も読み継がれてきた魅力なのであろうことに気がついた。そこでふと"思速"という言葉を思いついた"思速"は、ぼくがモンテーニュに捧げた冠詞のようなものである。歩きながら思索するというのではなく、歩行的思索をするということだ。それが"思速"である。それなら東が長明、西はモンテーニュなのである。

──第七六二夜「パンセ」より

■11 自伝や日記と併走する

(自伝を読む動機として)もうひとつは、自分の読書感覚があまりに過敏に、あまりに多様に分散しているときや、読書ホメオスタシスが強く振動しすぎているときである。読書機能を調整しているオート・レギュレーションの針が激しく揺れているときといえばいいだろうか。(中略)読書はともかく自分のサイズに合わせないことである。未知の自分のサイズに出合うから、読書はおもしろい

──第五二八夜「寒村自伝」より

■15 年表に書き込む

年表はやはりクロス・レファランスのためにある。年表の中もクロス・レファランスしたいし、他の本とのあいだにもクロス・レファランスをおこしたい。そうなれば年表生活者としてやっと一人前である。それには極意がある。何かの本を読んでいて何かの気になる出来事の年代に出会ったら、そのことを年表に書きこんでしまうのだ(そのためには年表本にマージン=余白が必要なのだけれど)。ともかくもぜひ、愉快で痛快な年表のカスタマイズをたのしんでいただきたい。年表、それは歴史の沈黙に対して自分で声をかけられる生きたアニメーションなのだ。

──第一一四夜「日本文化総合年表」

 これらの「読み方」は、試したことはあるが、その効果がイマイチ実感できていないもの。自分でもやってみよう(やってみたい)と考えている。音読の妙はイマドキの作家ではなくて、太宰の短篇や夏目作品が思い浮かぶ。黙って読んでいるうちに、声に出すことを強要されるようなテンポなのだ。また、「歩行的思索」については長明の例えでピンときたが、わたし自身、やれていないねぇ… 「エセー」に手をつけますかね。

■17 本棚をつくる

本を並べるには、その本を読みたいと思わなければならない。それも全部読みたいと思う必要がある。そうでないと本棚は死んでいく。

──第五一五夜「岩波文庫の赤帯を読む」より

 [著名人の本棚]にある「本棚が見たい(その1)(その2)」を見ると、「死んだ本棚」が沢山でてくる。書店のベストセラー棚を移動させたような本棚がある。くだらねぇ本を大事に持ってるなぁ、とうい人は、やっぱりくだらない本を書いている(あるいは消えている、撮影が10年前だから)。

 そういう中で、セイゴォ氏の本棚はやっぱりスゴかった。本の並がユニークで、図書館で見る分類と似て非なるもの、「似た」「近い」本がまとまって並べてある。あるいは、本と本が共鳴しあうような配置となっている。一冊に目が向くと、その隣の本、さらにその本の隣へと次々と芋づる式に読みたくなる仕掛け。いわば「使う本棚」、「刺激する本棚」。

 氏の書棚は、赤坂稲荷坂の編集工学研究所と松岡正剛事務所、西麻布の自宅に分かれており、正味5、6万冊ほどあるそうな。三十年近くの蔵書が溜まりにたまってこうなっているという。赤坂稲荷坂の書棚は来客も見ることができるそうな。「本棚が見たい!2」に出てくる氏の書斎がどっちか分からないが、本好きならぜひ見ておきたい本棚。

■21 書くということ

書くとは、自分が読みたいことを書くことだ。これはまさしく編集工学だ。いや、これはやや早まったかな。偏執的精神幾何学とでもいうべきものだ。

──第七六二夜「パンセ」より


テクストを綴るとは、言葉を再配分することだ。再配分は切断面から生まれる。テクストはある瞬間につねに三つ以上の切り口に分岐する場をもっている。ここでテクストが見かけの快楽に溺れたいのなら、切断面そのものを少しゆっくり観察して書けばよい。サドの狂気やフーリエの幻想やバタイユの無神論くらいには、存分にエロティックになっていく。

──第七一四夜「テクストの快楽」より


書くとは編集することである。読みたいものを編集することだ。ということはカットアップすることだ。少なくとも時代が飽和しているとき、必ずこのような手法が世に躍り出る。カットアップというのは、新聞や雑誌から適当なセンテンスやフレーズやワードを切り取って、これを前後左右縦横呑吐にならべていくカット&ペーストの手法をいう。ガイシンによると、われわれの無意識情報やサブリミナル情報がその文体中にメッセージとしてエピファニー(顕現)してくるという。フォールドインも似たようなものだが、これはカット&ペーストもせずに、いきなり新聞・雑誌・書物・カタログの一ページをそのまま折ってしまう。つまりフォールド(折る)してしまう。「対角線を折る」わけなのだ。そうするとまったく関係のなかった単語や言い回しや文章がそこに奇妙に突き合わされ、新たな文体光景を出現させる。それをそのまま文学に採りこんでいく。

──第八二二夜「裸のランチ」より


 激しく同意。「なぜ書くのか?」の問いに、わたしは、容易に答えることができる。書くことは読むことであり、わたしが読みたいものを記憶と読中経験から編集しているんだ、ってね。

 その本の何を読んだのかは、書くことによって確認できる。適確に書けなかったり、表層的なことしか残っていないのならば、そういうレベルでしか読めなかったってこと。ちゃんと「読む」ために書き、書くことによって「読み」を確かなものにする。

 さらに、「何を書くのか?」についても一緒。「わたしが読みたいもの」を書いているだけ。このblogの最初の読者は、わたしだ。わたしにとって備忘なだけでなく、自分で読み返したいものを書いている。

 例えば、ある劇薬小説を読んだとしよう。どういう毒なのか、わたしの脳やココロや体にどんな悪影響を与えたのかをつぶさに観察して、今までの劇薬小説ランキングのどこに位置付けられるのか(そしてその理由)を書く。そうすることで、その劇薬を味わい、毒を全身+ココロにたっぷりと取り込むことができる。本なんて一冊だけで存在するべくもなく、その本に出会う前に読んできたものの集積経験でもって、その一冊に取り組んでいるのだから。そして、その集積経験は、書く行為によって掘り起こし、気づくことができる。

■23 読書術秘訣

たとえば、ぼくは本の目次を重視してきた。目次読書法という名をつけているほどで、これは書店で本を手にとってパラパラとする前に二、三分、目次だけを見てその本の内容を想像することをいう。そのうえでパラパラをやり、読みはじめる。そうすると、目次によって著者の組み立てがアタマに入っているうえに、自分で想像したこととどこがちがうかがすぐに入ってくる。

一冊の本を選んだら、その左右の本も気にしなさいと言っている。書店が並べている本は書店ごとにまったく異なるが、それでもそこには何らかのディレクションというものがある。それを本の買い手も意識してみようということだ。このことは自分で本棚をつくるばあいにも生きてくる。平均的には、本は三冊ずつを単位にこれを連鎖させながら並べるといい。

世の中に出回っているほとんどの速読術は使えないと思ったほうがいい。むろん「斜め読み」など誰だってしていることだから、そんなことで速くなってもたいして効果がない。おまけにそういう読書にはほとんど再生力がない。それよりひとつだけ勧めたいのは、速読したいのなら何冊もほぼ同時に読むことなのである。これは何らかのプロジェクトをしているときに、関連図書をどさっと買ってきて、これを片っ端から比較しながら読んだ体験がある者なら見当がつくように、いちばん速力が理解力とともに上がる方法なのだ。それを自分の好きな本の数冊で試みることである。ただし、小説などには役立たない。


 セイゴォ式の秘訣が開陳されている。本好きな方なら思い当たるだろう。目次読書法は自分の得意分野ならできるが、不案内なジャンルなら、「論旨の前半を隠して後半を当てる」といったトレーニングがある(わたしは「攻撃的読書」と名付けた[参照])。

 ただし、「速読は使えない」については一言付け加えておこう。つまり、速読で相手するだけでじゅうぶんな本があり、松岡氏はそんな本をハナから相手にしない、ってこと。残念ながら、わたしはそこまで至っていない。流行りの本も追いかけるので、速読はじゅうぶん役に立っている。人生は有限だ、そしてそのことを、わたしはよく忘れる。

■セイゴォ読書術の極意──千夜千冊のための読書術

 最後に、氏の読書術の極意とも言える、「千夜千冊のための読書術」をご紹介する。千夜千冊そのものが特殊な読み方/書き方なので、一般的ではないかもしれない。

  1. その日の読書コンディションに敏感になり、コンディションによって本を選ぶべし
  2. 読書のギア比を意識しておき、それに応じた本を準備しておく(氏のギアは10段階だという)
  3. マーキングに慣れろ。強調マーク、同感マーク、はてなマーク、喜怒哀楽マークを決めて、読みながらマーキングせよ。遠慮せず、深く考えずにするのがコツ。マーキングした本をパラパラ高速で見て初読時の感想や印象を再生せよ
  4. 読書術のエクササイズ中は、著者や著書に対して批判はしないこと。批判のために本を選んだわけではないから。できる限り共鳴できること、発見を促されたところを読む。読んでいる本のための言葉を紡ぎはじめるべし。つまり、読書体験をなんとか言葉にする(書評にはしたくない)
  5. その本を読んだことがない人のためにできるかぎり的確な要約をしておく。自分が知ったかぶりにならないという基本の戒めでもある。さらに、その本の印象のためのキーワードを設定せよ。いわば自分なりのヘッドラインやキャッチフレーズを作る。また、その本をいつどのように読んだかという読書状況を付け加える

 5つほど挙げたが、まだまだ沢山の「極意」が詰まっている。特別巻「書物たちの記譜」を通読すると、セイゴオ氏の本に対する態度や覚悟のようなものを集中的に汲み取ることができる。この特別巻は千夜千冊のインデックスとしても非常に使えるので、ぜひ手にとってみてほしい。本屋にフツーにないから、もちろん図書館でね。

 ――と、延々と書いてきたが、どうやら廉価で一冊になっているらしい… 底本は同じなので内容も似たようなものだと見えるが、読むべ。

Sennyasennsatu

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SUGEEEEEEEEEEE!!!「ゴーレム100」は超スゴ本

ゴーレム100 超スゴ本。読みながらのたうちまわった。よじれたのは脳と腹。もだえたのは尻と口。

 この、みょうちきりんな体験は、ええと、ジョイスやバロウズ、ギブスンや尾崎翠やツツイヤスタカと比較したくなるけれど、そういう 無★粋★な★こ★と はしない。お高くとまりやがって批評する奴ぁ漬物石くくりつけて日本海に沈めちまえ。

 読者は考えること禁止な。ひたすら没入・挿入・チン入を強要させられる。身もココロもヘトヘトにさせられる。本とファックする感覚。うん、本書の紹介に「実験小説」とあるが、実験台にされているのは読者だな(断言)。

 ストーリーなんてページをめくらせるための方便。食べられるように読まされる。typoではない。本が襲いかかってきて、食べられる感覚。冷静に読ませてくれない。下品、汚猥、造語、駄洒落、鏡言葉(Ind'dni)、Double Meaning、アメコミ、抽象画像?崩壊した言語感覚のタレ流しなら、クダラナイの4文字で済むが1文字足りない。イが足りない言い足りない。やヴァい、脳がヤられるるるるるるるるるるる。

 完全にぶっこわれた小説。脳がねじくれるような感覚を味わうならオススメ。わたしみたく一緒になって壊れないように。読み手を選ぶ、しかも激しく。赤い表紙だ。本屋で試してみろ。

 もちろん今年No.1スゴ本――といよりも、何と比較していいか分からん。最強かつ最狂かつ最凶の一本、まいった!

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かなり身に覚えのある「地下室の手記」

地下室の手記 [劇薬小説を探せ]は続くよ、どこまでも。「骨餓身峠死人葛」や「問題外科」といった、読んでる途中から気分が悪くなるような小説は片付いた。今では、読了した後になって、読んだことをジワジワと後悔するような小説を選んでいる。今回はドストエフスキーの「地下室の手記」。[人生を狂わせる毒書案内]でも強力にプッシュされているし、新訳も出たことだし。

 で、読んでみると…これが笑えるんだ、あざけり笑いの方。40喪男のあまりにも自意識過剰っぷりがおかしくてタマラン。こいつ、バカじゃねぇの、考えすぎー、しかも笑い取りたいのか自らドツボにはまってる。

 例えば、見知らぬ男を激しく恨む。なぜか? 居酒屋でそいつが強引に押しのけたから。「俺をモノのように扱いやがって!」と屈辱感に苛まれ、あいつと決闘してやる!ストーキングして名前や行きつけの場所を突き止める。で、「あいつとすれ違うとき、どいてやらないんだ!」と息巻いてチキンレースを仕掛けるのだが…

 この間2年。人を恨みに思うことはあれど、2年間も燃やしつづけるのは一種の才能だと思う。チキンレースの顛末は黒い笑いに包まれる。しかもこの出来事は14年前のことだってさ。

 満たされない思いはぶくぶくと肥大化する、歪む、腐る。怪物のような「自意識」が頭全部を占領し、部屋から一歩も出られなくなる。次の段階では、自分を卑しめたり痛めつけることに快感を抱くようになる。「ホラホラ見て見て!」って奴だ。自分の堕落をあてつける、世界のせいだってね。

 怨念にまで発展する執拗な自意識へのこだわりは、あっぱれかも。自意識が「過剰」を超えるとどうなるか、この実験は面白い。「地下室」とは自意識のメタファーなんだなー、こんな奴いた(いる)よなー、ネットに多いよなー、と呟きながら読む。

 ――で、笑いながら読み終わって、気づくんだ。なんてこった!こんなところに俺ガイル。

 自意識の重さに悩んだことは、誰でもあるだろう(特に思春期)。屈託なく振舞う友人を羨んだり、根に持つ自分を恥じたかもしれない。そんなヒリヒリ感覚を思い出す一冊。

 光文社文庫から新訳が出ているが、実は無料で読める→[地下室の本棚]。文庫版で主人公を「俺」と訳していて違和感あったのが、ここでは「僕」になっており、しっくりくる。やっぱりこういうイジけた40男はボクボク君でなくっちゃ。

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宇宙は作れるか?「神様のパズル」

神様のパズル ヒトコトで言うと、理系青春小説。ライトノベルにちょうどいい重さなのに、ラノベ扱いされることを拒絶しているような小説。

 ひきこもり天才美少女とダメ学生(4回生男)が挑む宇宙の作り方。青春モノで味付けしたハードSFは斬新かも。ブレるとハルヒになるが、てんこ盛りの現代物理学ネタでがんばって回避、書き手の勉強っぷりがうかがい知れる。以下amazon紹介より。

留年寸前の僕が担当教授から命じられたのは、不登校の女子学生・穂瑞沙羅華をゼミに参加させるようにとの無理難題だった。天才さゆえに大学側も持て余し気味という穂瑞。だが、究極の疑問「宇宙を作ることはできるのか?」をぶつけてみたところ、なんと彼女は、ゼミに現れたのだ。僕は穂瑞と同じチームで、宇宙が作れることを立証しなければならないことになるのだが…

 ツンデレ天才美少女が面白い。西尾維新あたりに出てきそうだ。ただしこの美少女、ラノベだと予定調和的に弄られるのが、(作者の意向なのか)かなり酷い目に遭う。しかも語り手の学生が完璧に傍観者なので、もどかしいといよりもあきらめに近い感覚で読まされる。

 ゼミのオリエンテーションや、大型放射光施設の説明なんて、懐かしさと新しさがまぜこぜになっててわくわくした。「宇宙は作れるか?」をテーマにするゼミなんて、フツーないぞ。学生のヌルさと研究の厳しさが混じり合うゼミの空気が上手く書けている。また、国家プロジェクトの放射光施設が妙にリアルだ、SPring-8だろうか。田んぼの「上」に施設があるイメージ。

 実際に「宇宙を作る」ところは、ちょっと興奮。うん、成否は別として、人が作ろうとするならば、この天才少女がやったような手順を踏もうとするだろうなぁ… イーガン御大なら○○を持ってくるだろうなぁ…とタメ息。

 残念なのは、最初にあれだけ魅力的なキャラ設置をしていたのに、ラストでは全属性(キャラクターをその人なしえていた特徴)を剥ぎ取ってしまったところ。このオチ、扉の惹句でこの本読もうとする奴が求めるかね。

 このblogの読者なら、「オレならこう書くのに…」と妄想をはじめること請合う。読後感は、爽やかなカタルシスと遠い分、つい自分でキャラをいじくりたくなる。あるいはトンデモ理論に振り回された分、自分で宇宙を作りたくなるかも。


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いつか見た「最後から二番目の真実」

最後から二番目の真実 もちろん「ブレードランナー」や「トータル・リコール」から入ったP.K.ディックなので、本書も頭ン中でビジュアライズして読めた―― というか、別の映画のシーンが脳内イメージに割り込んできて困った困った。

 テーマはいつもどおり、「つくりものの現実」。

世界核戦争。地上を汚染する放射能をのがれ、人々は地下にひそみ、戦闘用ロボットの生産に追われている。そのロボットが地上で戦い、ときおり流される映画で様子をうかがい知るのだった… というのは真っ赤なウソ。戦争はとうに終結しており、地上は、ごく限られた特権階級が支配する世界だった…

 権力者が大衆を騙す、その道具としての映画は、ベルリンオリンピックの「民族の祭典」のみならず、「フリッカー、あるいは映画の魔」がチラついてしょうがない。地下に潜んだ人々の描写はオーウェル「1984」をホウフツとさせらるし、戦争プロパガンダが書けずに呻吟するシーンなんて、「未来世紀ブラジル」のイメージが取って代わる。

 もちろん地下住民が作り出す人型ロボットは、どう見てもレプリカント。そいつが粉々になるところはオビ=ワン・ケノービ初登場のシーンを思い出し、ラストの映画の上映を待つところは―― 思い出せネェ、ひょっとすると未だ観ぬ映画とシンクロしようとしているのかも。でっかい風呂敷をおっぴろげ、いろんなものを詰め込んで、なんとか破綻せずにラストに駆け込む(ラストも映画的だぁ)。やめられない止まらない。

 ただし、エンターテイメントとしての完成度はアレなところがある。あれだけの荒唐無稽を、ぜんぶ脇役のモノローグで明かしてしまったりしており、もったいない。仕掛けや設定に語らせる小説に慣れた舌には、大味すぎて拍子抜けするところもある。

 ごっつユニークなガジェット―― 時間掘削機やゲシュタルト偽造機、あるいは恒常性向人性矢弾や構文機といった道具が沢山でてくるのよ。これらを使って、一種ミステリ仕立てにしても良かったろうに―― という目で読むと雰囲気ぶち壊しなので、好きな人はあれこれ考えずに読むべし。「暗闇の『スキャナー」・ダークリー』が読みながら奇妙な気分になったのとは反対に、このラストはなかなか好き。SFとは近未来なのだと正しく理解できる。ありもしない脅威をでっちあげることは当局にて織り込み済みだから、ね

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陸上自衛隊作戦幕僚の情報理論「オペレーショナル・インテリジェンス」

オペレーショナルインテリジェンス 陸上自衛隊の情報幕僚が「情報」をどのように扱っているか、守秘義務ギリギリで明かしてくれる一冊。わたしが何気なく使っている「情報」とは違った立ち位置なので、えらく新鮮に読めた。総務・人事やエグゼクティブが、経営関連の情報をどうやってスキミング・評価して使うかという腹積もりで読むと、得るところ大だろう。

 例えば、「情報収集の基本は公開情報から」の原則。公開情報が占めるイメージを可視化すると、こうなる。見事に80/20の原則に従っているが、事実と類推情報のバランスは想像していたのとずいぶん異なっている。

 さらに、オペレーショナル・インテリジェンス―― 作戦情報の原則がスゴい。決められることを今決めることだそうな。つまり、決断と判断においては、どこまで決定できるのかを先行的に決めておく。つまり、「何をいつ決めるのかを、いま決めよ」というのだ。作戦遂行時は状況が次々と変わってゆく、しかもクリティカルに。あと数分でミサイルが着弾するのであれば、「上司に相談」しているヒマなんてない。

 だから、メタ決定(何を決めるとかいつまでに決めるとか)は、「今」決めておけというわけ。ビジネスだとマネジメントプロセスやエスカレーションプロセスが相当する。本書には、「軍隊用語<->企業活動の読替えリスト」なるものがあるが、歴然とした温度差がある。

 使命=組織が本膳的に持っている恒久的な仕事
 任務=特定の状況において達成しようとする仕事
 作戦=事業
 敵=競合企業
 戦場=市場

 特に、情報の確度や精度だけでなく、鮮度や偽情報の可能性までをも考慮して「情報を使う」姿勢は、全く異質の世界。情報の収集、整理、吟味、判断、そして意思決定に寄与させるまでの手順と実践(失敗例も!)を明かしている。「米陸軍指揮参謀大学の講義内容を初公開」という惹句はダテじゃない。情報への意識の向け方について学ぶところが多かった。

 ビジネスの世界と違えども、競争戦略(エグゼクティブレベル)になれば、以下の情報収集活動のセオリーは使えるんじゃないかと。いわゆる産業スパイではなく、公開情報を元にした収集活動という意味でね。

  • ドキュメント(文書)
  • イミント(図画、写真、映像)
  • サブスタンス(実物)
  • レフレクション(弾痕、弾道・飛翔・航跡解析、反映・波紋と投影)
  • ヒューミント(隠密刺殺、謀略・工作、尾行、聞き込み・抱き込み)
  • コミント(通信傍受、通信標定、暗号解析、インターネット解析)
  • エリント(すべての電子情報、電波発信所の位置・能力の解析)
 レフレクションを得るセオリーの例をひとつ。レフレクションを得るために、わざと偽の攻撃を仕掛けたり、撹乱したり、無理難題や逆に甘い話を流したりして、相手の反応を見る。情報が漏えいしている可能性がある場合は、一部だけ偽の情報を載せておき、相手の動きにより漏えい箇所を特定する。スパイ小説では基本ネタだが、リアルだと言葉どおり死活問題となる。フィクションではない、生々しい実例つきで紹介している。

 興味深いのは、インターネットの位置付け。情報収集活動で、これほど便利なインフラはなかろう…と思っていたのだが、著者はそれほど重きを置いていない。なんで? もともとARPANETは軍事モノだったんでしょ?

インターネットはその性格上、「状況伝達」しか得られない仕掛けとなっている。情報の重心をインターネットにかけることは非常にアンバランスで危険

 情報を「伝達」のためのインターネットは、情報「収集」活動とは似て非なるものってわけか…たしかに。ネットに転がる情報は、ネットの情報として接しなさい、他の公開チャネルと同様に―― と理解した。

 インターネットで得られる「見える・記録できる・伝達できる」情報のほかに、「記録・伝達できない」情報があり、むしろ後者の方が重要だという。いわゆる第六感というやつ。第六感、情感、恐怖感も駆使して、収集・判断すべしと説く。

 情報を「使う」ときも容赦ない。原則は、「情報は情報を使う能力のある人に伝えろ」という。自分とこで握りつぶしてしまったり、腐らせたり(情報はナマモノ)、ひいては「リスクのある情報をもってくるな!」と逆ギレするような上司なら、最初から渡さないほうがお互いのためだという。

 まだある。

  • 「オオカミ少年」にならないための耳打ちメソッド。不確実性のある情報を鮮度あるうちに届ける(しかもリスク込み伝える)…情報幕僚として必須のスキル
  • 敵の戦闘効率と可能行動を推定する「情報見積」という概念(アドバンスド大戦略の思考ルーチンだが、ここまでシステマティックになっているとは)
  • ジョージ・パットン将軍「将来の将軍たちは状況に適合するように作戦計画を作るだろうが、計画に適合するように状況を作ろうとはしない」(War As I Know It,1947)
  • 情報見積から作成する兆候表(可能性とアクションのシナリオ)――名前は違うが、プロジェクト・リスクマネジメントそのものやね
 陸上自衛隊の情報幕僚という、知らない世界を通じることで「情報」との取り組み方に別の視線が得られる。インテリジェンスの現場は、やっぱり泥臭い。

 以下、目次を掲げる。IT業界でいう「情報」とはまるで違う「インフォー」が飛び交う世界をちょっとだけ嗅ぎとれるかも。

第1章 情報活動は「知恵の戦い」である
 1 知識の玉石を区分する
    知識と情報の違い
    情報資料は処理されていない知識
    軍事用語と経営用語
 2 情報化時代の問題点
    情報・情報資料をどう取り扱うか
    インターネットは「状況伝達」を目的にしている
    欲しい情報は簡単には入手できない
    情報資料の穴を見抜け
    情報は操作される
    情報伝達を複雑にする
 3 情報活動はサイクル活動である
    事例1 父親が購入する車の情報を集める
    何を判断して、何を決断するのか
 4 情報活動の要則
    周到な準備
    事例2 1921年から対日戦争の準備をしていた米軍情報部
    タイムリーでなければ
    事例3 ロンメルが偽戦車を見抜けた理由
    継続的な定点観測
    事例4 電報傍受でわかった中ソ緊張
    事例5 缶詰と医薬品会社の株価で作戦開始を推定
    冷めた眼力
第2章 どんな情報を欲しいかを決める――情報の要求
 1 何を要求するか
    「敵」「味方」「戦場」
    得意技を基準に
 2 情報収集計画の作成
    兆候表を作成する
    収集任務を配分する
    収集命令
    事例6 情報収集の穴が空いたミッドウェイ海戦
    事例7 的を絞って北朝鮮軍の実行能力を判定
第3章 五感を駆使し集める――情報資料の収集
 1 資料源を開拓する
    様々な資料源
    記録・伝達できない知識
    事例8 インディアン兵士が気づいた「敵」の臭い
    事例9 数値化不能の戦場もある
    事例10 ロンメルの戦局眼
 2 資料を収集する
    情報収集を他国に依存しない
    状況の四分の三は霧の中
    収集の三つの手段・方法
    事例11 ドイツ勝利を信じきっていた大本営
    公開情報からスタート
    捜索と偵察、監視と追跡
    事例12 逃げた猿の捜し方
    事例13 定点観測でソ連侵攻を察知
    事例14 初代万景峰号を視察
    識別と標定
    暗号解読
    事例15 引き出せなかったマルコス闇資金
    類推する情報資料ー影と波紋
    収集活動の評価
    事例16 大量の棺桶製造でわかったヒトラーのソ連侵攻
    事例17 戦史研究でわかったイラン・イラク戦争の長期化
 3 報告・通報・警報の注意点
第4章 信頼性・正確性の評価をする――情報資料の処理
 1 認識はすべて経験をもって始まる
    頭脳という工場
    情報資料処理の手順
 2 資料処理は二段階ある
    一時処理ー受付と選別
    二次処理ー信頼性と正確性の格付け
 3 情報を作成する
    修正して一品料理を作る
    情報見積を作る
第5章 「伝達の壁」を超える――情報の使用
 1「伝達の壁」
    情報は情報を使う能力のある人に伝える
    民主主義と情報処理の能力
    タイミング良く
    事例18 上司交替で情報伝達を失敗
    「まさか!」の坂は本当の坂
    事例19 フォークランド紛争は予知できていた
    事例20 ガダルカナルへの米軍上陸を軽んじた大本営
    事例21 情報参謀の報告を無視して失敗した米軍
 2 作戦会議
    作戦と情報の吻合
    作戦指導の基本姿勢
 3 情報をブリーフィングする
    結論と根拠を示す
    事例22 ブリーフィングがうまくいったよど号ハイジャック対策本部
    ブリーフィングはキャッチボール
 4 その他の情報使用
    会議の主導権を握る
    情報の交換は判断力の交換
    事例23 態度が一変した米太平洋軍
    観測気球を揚げる
    事例24 ドイツ群の観測気球に騙された英軍
    宣伝と世論操作
第6章 情報活動の組織
 1 目のない動物は歩けない
    IT化は現場から
    駐在武官、観戦武官、留学生の役割
    事例25 インド留学時の情報収集
    事例26 海外駐在の落とし穴
    事例27 韓国情報筋との接触
 2 情報活動の保全
    情報保全の原則
    対テロ戦は情報戦である
終章 世界の見方・考え方の原則
    性悪説と性善説の間
    「地政学」で見る
    「政権体質」で見る
    「現状維持と打破」で見る
あとがき

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「夜の来訪者」はスゴ本

夜の来訪者 今年のNo.1スゴ本! …というか、戯曲。緊迫した展開と最後に用意されたどんでん返し。サクッと読めてゾクッとした150頁たらずの小編だが、自信をもってオススメできる。

舞台は裕福な家庭、娘の婚約を祝う一家団らんの夜。そこに、警部と名乗る男が訪れて、ある貧しい若い女性が自殺したことを告げる。そして、その自殺に全員が深くかかわっていくのを暴いていくが…

 場所は、団らんの居間のみ。派手なアクションも大仰なセリフ回しも一切無し。新訳がまた上手いんだ。削ぎ落とされた言葉の向こうに、胸がつぶれるほどの感情が取れる。山場では、気持ちがダイレクトに伝わってくる、まるで、舞台の上の表情を見ているかのような気にさせられる。

 しかも、前半の前触れがいい。会話の端々に危うさがナイフの腹のように光っている。和気あいあいとした中に、読み手はなにか落ち着かなさを感じる。ひょっとして伏線なのかなぁ…と思うこと二度三度 ←ハイ、伏線入りまくりでしたな。鮮やかに、しかもキッチリと回収される。そのムダのなさに寒気が出る。

 過去が暴かれていく過程は、一種のミステリ的な面白さが詰まっている。「警部」の追い込みは淡々と容赦なく、ハラハラドキドキしっぱなし。各人と「自殺した女」との関わりあいは? それを「警部」はどう追及するのか?

 しかし、もっとスゴいのはその後。「警部」が退場した後、彼が投じた一石が各人を揺さぶっていく様が実にスゴい。最初の幸せな家族とは、まるで別人のように見える。人間性むきだしのセリフに心底怖くなった。吊革につかまってる、わたしの腕は粟だった。

 そして、ラスト手前のところで、人の本性そのもの(しかも暗いほう)を覗き込む。怖くて立ってられない―― ただし、ラストは見抜いてた。長年の読書経験で身についた、「先読み」のクセを恨む

 本書はNHK週刊ブックレビュー(6/24[参照])で逢坂剛さんが気合を入れてオススメしてたので読んだんだが―― やっぱり、面白い本を書く人は面白い本を知っているね(彼のNo.1オススメの[遙かなる星]もスゴかった)。

 最後に、これ読んだわたしにとって、ぜったいに忘れることができなくなった一文を、引用しておこう。

「わたしは警察の者です。きょうの午後、若い女性が消毒剤を飲んで、数時間もだえ苦しんだあげく、今晩、救急病院で死んだのです」

 まあ読め、堪能できるゾ。

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萌えの低年齢化よる曖昧な不安

赤ずきん 萌える「対象」が低年齢化していることは言うまでもないが、萌える「主体」も同様に低年齢化している。つまり、小学生や園児が「萌え」とか言い出すような時代に突入している。パパはちょっと心配だ。

 …というのも、図書館でぽっぷ画の「赤ずきん」と「ふしぎの国のアリス」を見たから。どう見ても「もえたん」です、ありがとうございました…orz(←久びさにリアルでこのポーズをした)。

 絵本・児童書コーナーにあるにもかかわらず、強烈なオーラを放っている。あ、いや違和感を感じるわたしの心が汚れているのです。赤ずきんは純粋無垢なんです―― と自分に言い聞かせるのだが、うまく納得させることができない。

 そして、かつてないほどの羞恥心を押し殺し、「みんなの勇気を分けてくれ」と呟きながら貸し出しを済ませる。はぁはぁ。[若おかみは小学生!]並に恥ずかしかったぜ。

 で、まるでエロ本のように隠れて読む――うう、これは子ども向けじゃねぇ!ルビはあれど、漢字まじりの文は、就学前~小学低学年ではないはず。大きいお友達のための絵本といえよう。特に赤ずきんが食べられるシーン…!○○されたり××されているんじゃぁないかとドキドキしながら読むのは、わたしが歪んでる証左。アリスのひらひらスカートはかなりミニであるにもかかわらず、絶・対・領・域は恒常的に確保されていることを全てのページで確認しているのは、酔っているせいじゃない。これは萌える絵本だ!

 ええと、発育やら性交渉やら、氾濫するネット情報やらで、最近の小学生はマセてるらしい。現代のパパの一人として、(良いワルイは別として)そういうのはアリかと覚悟してる。しかし、小学生のうちから「萌えー」とか口ばしるようになったら、パパは恥ずかしさのあまり穴を掘り出すに違いない。

ふしぎの国のアリス ――などと悶悶としていたら、嫁の大喝「アンタのせいでしょおおぉぉッ!」怒られる。うん、ハルヒ観せようとしたわたしが悪かった。海よりも深く反省しつつも、「オタクの子はオタク」なのかもしれないと思ったり。

 読む本がなくなって親の本棚をコッソリ漁ったのが小学生の頃だから、そろそろわたしのコレクションも然るべき処置をしなくては――


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じゃぁ最近のオヤヂは、若いとき本読んでたのか?

 前回のエントリ[「最近の若者は本を読まない」本当の理由]では、沢山の意見を頂いた。賛否いずれも、感謝感謝。賛成は嬉しいが、反論はありがたい。わたしの論拠の不備があらわになったから。愉快なのは米光さんの[「最近の若者は本を読まない」本当の理由の本当の理由]。いかにも最近のオヤヂが言いそうでしょ?

■各時代の若者の読書率

 いただいた反論のうち、かなりの説得力をもつのがあった。コレだ。

オヤヂどもは、今こそ本読んでないかもしれないけれど、若かりし頃は、イマドキの若者よりも、もっと読んでいたんじゃぁないの?若年世代を定点観測した比較結果でないと意味がないんじゃないか?

 ああ確かに。だからこの週末に調べてみた、「最近の若者は本を読まない」と嘆くオヤヂ連中が、若かった頃はどうだったかを。

 「若者」は20~30代、「オヤヂ」はそれにプラス30しておこうか。それから調査上、「本」とはマンガや雑誌以外の書籍を指す。「バナナはおやつに」的な質問には、YESと答えておこう。ラノベは本に含まれるし、携帯小説も然り。書籍読書率とは、「あなたは書籍を読みますか?」に「はい」と答えた割合で、ネタ元は、毎日新聞社の読書世論調査。

 結論から言うと、最近のオヤヂは、若いころ確かに本を読んでた…最近の若者と同じぐらいにね。だから、「最近の若者はオレの若い頃と同じぐらい本を読んでる」というべき。全体の書籍読書率を押し上げるかのように、どの年代の「若者」も読書率は高い。要するに、若い頃はたくさん本を読んでいる。

 言い換えると、「20~30代が読書のピーク」。若い頃から読書に縁がないと、トシとると、もっと縁遠くなるという罠。「読書は若いうちにしとけ」って、いかにもオヤヂ(各々の時代のオヤヂ)が言いそうだけど、どの時代の「若者」もそれを実践している。

 出版業界が若者をターゲットにする理由を裏付けるかのような結果だったね。角川文庫のキャンペーン[これ]は、その意味において激しく理に適っている(利に叶っている?)。

■「ラノベは本に入りません」という人びと

 それでも食い下がる人がいる。「ラノベのような本は、読書に入らない」といった、読書を高尚な何かのように考えた反論もある。んー、これについては、小飼弾さんが[最近の若者たちはどうやって本を読んでいるか]でいいこと言っている。

ライトノベルを読んでみるとわかるのだが、これらの作品は、過去の膨大な「名作」が下敷きになっていて、それらを知らないと楽しめないようになっている

 激しく同意。しかもちーともライトじゃねぇよ、と吼えたくなるような作品があるぞ。例えば「涼宮ハルヒの絶望」や、「神尾観鈴を思い出す2冊」なんて、ライトじゃなくヘビーノベルだよ…

 閑話休題、読書を高尚な何かとカンチガイしている方に、「最近の若者は…」とのたまうオヤヂが若かりし頃、何が読まれていたかを紹介しよう。同じく読書世論調査で、「よいと思った本を一冊あげてください」という質問のうち、各時代の10位までのランキングは以下のとおり。

 まずは最近のやつ。

2006年調査

  1. 竜馬がゆく(司馬遼太郎)
  2. 坂の上の雲(司馬遼太郎)
  3. 東京タワー(リリー・フランキー)
  4. 十津川警部シリーズ(西村京太郎)
  5. 鬼平犯科帳シリーズ(池波正太郎)
  6. ハリー・ポッターシリーズ(J・K・ローリング)
  7. 人間革命(池田大作)
  8. 砂の器(松本清張)
  9. 剣客商売シリーズ(池波正太郎)
  10. 坊ちゃん(夏目漱石)

 大河ドラマや映画の影響がありありとわかるランキングやね。最近ならではといえば「東京タワー」と「ハリポタ」ぐらいかな。十津川警部と鬼平がランキングに入っているのは、あきらかにオヤヂたちの票。

 これが20年さかのぼると、面白くなる。

1982年調査

  1. 窓ぎわのトットちゃん(黒柳徹子)
  2. 徳川家康(山岡荘八)
  3. 悪魔の飽食(森村 誠一)
  4. 人間万事塞翁が丙午(青島幸男 )
  5. 吉里吉里人(井上ひさし)
  6. 飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ(井村和清)
  7. 三国志(吉川英治)
  8. 青春の門(五木寛之)
  9. 人間革命(池田大作)
  10. 塩狩峠(三浦綾子)

 ちょwwwトットちゃんwww …うん読んだよ。フツーに読んだが、なぜトットちゃんが超弩級のベストセラーになったのか、20年経った今でも皆目分らん。あとギネスブックに載るぐらいの長編小説「徳川家康」は挫折したなぁ… 吉川英治の三国志は間違いなく面白いから、わたしがオススメするまでもなかろ。

 30年さかのぼると、もっと香ばしくなる。

1974年調査

  1. 日本沈没(小松左京)
  2. 恍惚の人(有吉佐和子)
  3. 勝海舟(子母沢)
  4. かもめのジョナサン(リチャード・バック)
  5. 人間革命(池田大作)
  6. 青春の門(五木寛之)
  7. 新・平家物語(吉川英治)
  8. 風と共に去りぬ(マーガレット・ミッチェル)
  9. 華麗なる一族(山崎豊子)
  10. ノストラダムスの大予言(五島勉)

 「日本沈没」は面白いよ。映画は知らんけど、小説は楽しめた。リチャード・バックは「かもめのジョナサン」よりも、「ONE」の方が良かった(「えいえんは、あるよ」のONEではない)。「ノストラダムスの大予言」って、当時かなりマジメに受け止めていたような希ガス。

 「人間革命」という例外もあるが、どの時代もその時代を写す本が読まれてきた。だから、本に高尚な何かを求めなくてもいいんじゃぁないかと。あるいは、今はライトノベルや携帯小説の時代なんだとも言える。

■まとめ

 「若者は本を読まない」というオヤヂが若かりし頃は、やっぱりこういう本を読んできたわけで、文句を言えた筋合いじゃない。

 だから、も少しマイルドに「堅くてデカくて難しい本は、若くて気力体力があるうちに挑戦しとけ、トシとったらますます読めなくなるから」と無難な物言いにするのが吉。50超えてもまだ生きてたら、そう言おう。

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数値込みのGoogle Spreadsheetsは、以下の通り。

 若者の書籍読書率

ネタ元は、読書世論調査(1987年、1989年、2007年)、および読書世論調査30年(1977)。

※1990~2000年の若者読書率のデータが入手できなかった。禁帯図書を一冊ずつ閉架から出してもらってたから、網羅しきれなかった…カンベンな。気になる方は図書館へGo!

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