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「忌中」を読んだ後、自分の人生に戻っていけることを喜ぶ

忌中 タイトルからして不吉。書影も陰陰と拒絶オーラを発散している、という第一印象を裏切らない。劇薬小説として紹介されて読んだが、こいつは「厭本」ですな。つまり、読んでイヤ~な気にさせる短編集。新聞の三面記事に並ぶ変死、横死、一家心中、夫婦心中が「結」ならば、そいつを起承転結と読まされている感じ。それが、「忌中」(車谷長吉,文藝春秋,2003)。

 O.ヘンリー的などんでん返しも、ささやかな救いも、ありはしない。読中の嫌な予感は否定も肯定もされないまま、予想通り、最悪の最期に至る。「ダメなやつは何をやってもダメ」という迷言があるが、「不幸な人生はどこまでいっても不幸」という言葉が浮かぶ。

 表題作である「忌中」が印象的。介護疲れで夫婦心中を図るが、夫は死にきれず、絞殺した妻の死体を押入れに隠して遊びに出かける。後追い自殺をする「ふんぎり」がつかない自分を追い込むためだ。サラ金から借りまくり、パチンコにつぎ込み、女に貢ぐ。じりじりと状況がせばまっていく中で、やるべきことを「片付ける」かのように、淡々と、ひとつひとつ実行する。

 ひとが自分の人生に集中するために、「癌」という仕掛けがある。ふしぎだ、ここまで書いてきて、例を思い浮かべようとしたら映画ばかり出てくる ―― 黒沢明「生きる」や、マイケル・キートン「マイ・ライフ」、あるいは「死ぬまでにしたい10のこと」 ―― これらは、癌を宣告された主人公が、死を自覚することで逆に生の輝きを取り戻している。

 しかし、「忌中」の場合は、「銭」だ。死んでも死にきれない生への執着を拭い去るために、借金をしまくる。返済が迫られるまでがリミットだ。ホラ、あれだよ、自分で引き金を引くようなもの。一家心中する家族は、最期は平日に遊園地で遊ぶ。子どもが欲しがるものは買ってやり、食べたいものは好きなだけ食べさせてやる。もちろん夫婦は最後のセックスに励む。

 え? 死ぬことに矛盾してる? ああ、そうともよ、でもわたしは読者だ、どうすることもできゃしない。このやるせない無常感をたっぷりと味わわせた後、唐突に終わる。だって死んじゃうから。

 そしてわたしは、目が覚めたように本から手を離し、自分の人生に戻っていく。

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