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最も古い「最近の若者は…」のソース

 「近頃の若いやつときたら…」という枕詞は、「なっとらん」と続き、さらに「わしが若い頃は…」と説教モードになる。これは「たらちねの→母」や、「とりあえず→ビール」と同様、慣用句として扱われるべき。したがってこの場合は、「母」や「ビール」と言いたいように、「わしが若い頃は…」と自慢話がしたいだけ。

 そんなジジイババア連中も、「若いやつ」だったときがあり、その当時は、やっぱり「最近の若者は…」とやり玉に挙げられてた。そして、耳に痛い「なっとらん」部分を更生しないまま、オッサンになり、ジジイになる、オバサンになり、ババアになる。

■昔から言われていた「最近の若者は…」

 変わったのはツラの皮の厚さだけという爺婆に向かって、「そのセリフ、大昔から言われてたんですよね」なんて返すと、途端に防御の姿勢をとる。自分がそう言われていたことと、その「欠点」がエエトシこいても直っていないことに思い至るのか、顔を真っ赤にして「そんなの根拠のない言い伝え、都市伝説だよ」と怒り出す。

 こっちは、「お互いサマですね」なんて含意を込めて言っているだけなのに、「誰がそんなコトいってる? 出典は?」ケンカ腰で詰め寄る。トシ取ると被害者意識が拡大するのか、それとも、いま目の前の人だけがそうなのかは、分からない。

 そこで調べた結果を公開する。

 ちなみに、調べた方法は図書館のレファレンスサービスで、google先生ではない。ネットには「質問の残骸」はあるが、今のところ、以下の文献までたどり着いていないようだ。似たような問いが発せられた場合はこのエントリを思い出してほしい。

 切り口は、2つある。一つは、 古代ギリシアの哲学者が言ったというもの。もう一つは、エジプトで発掘されたというもの。

■ソース1 : プラトンの「国家」

 ひとつめ、プラトンの著書にこうある。出典は「国家」(第八巻)560C-561Bで、「プラトン全集11巻」(岩波書店,1976)のp.604より引用している。太字はわたし。

「そうなると、この青年はふたたびあの蓮の実食いの族の中に入って行って、いまや誰はばかるところなく、そこに住みつくのではないかね。そして、身内の者たちのところから何らかの援軍が、彼の魂のけちくさい部分を支援しにやって来ると、あのまやかしの言論たちは、この青年の内なる王城の壁の門を閉ざしたうえで、その同盟軍そのものも通さないし、年長者が個人的に彼に語る言葉を使節として受け入れることも拒み、自分たちも闘って勝つことになる。こうして、<慎み>を『お人好しの愚かしさ』と名づけ、権利を奪って追放者として外へ突き出してしまうのをはじめ、<節制>の徳を『勇気のなさ』と呼んで、辱めを与えて追放し、<程のよさ>と締りのある金の使い方を『野暮』だとか『自由人らしからぬ賤しさ』だとか理屈をつけて、多数の無益な欲望と力を合わせてこれを国境の外へ追い払ってしまうのではないかね

 実は、プラトンの主張は単なる若者批判にとどまらず、もっと深い話になる。その辺の事情は以前のエントリに書いた→「たしかに、プラトンは「最近の若者は…」と言っていた、が…」。それでも、「若者が年長者の言葉に耳を傾けていない」ことを述べているように受け取れる。

■ソース2 : 柳田国男の「木綿以前の事」

木綿以前の事 ふたつめ、柳田国男の「木綿以前の事」(岩波文庫,1952)に収録されている「昔風と当世風」の1ページ目にこうある。

先年日本に来られた英国のセイス老教授から自分は聴いた。かつて埃及(エジプト)の古跡発掘において、中期王朝の一書役の手録が出てきた。今からざっと四千年前とかのものである。その一節を訳してみると、こんな意味のことが書いてあった。曰くこの頃の若い者は才智にまかせて、軽佻の風を悦び、古人の質実剛健なる流儀を、ないがしろにするのは嘆かわしいことだ云々と、是と全然同じ事を四千年後の先輩もまだ言っているのである。

 そのまんまじゃないか。四千年前から「近頃の若い者は…」と嘆くジジイがいたんだね。だから近頃のジジイが何か言っても気にすることはないよ――

 ―― と続けたいのは山々だが、最近の老人は小学生の主張で反撃する。曰く「何年何月何日何時何分何秒に言った?」というノリで「それは柳田の伝聞だ、二次情報だ、四千年前のソースをもってこい」という。さすがにそのソース名には至らなかったが、柳田が聴いたという「英国のセイス教授」まではたどれたので、次に記す。

■英国の「セイス教授」に訊け

 柳田が「昔風と当世風」の講演をしたのが1928年、その前年に来日した英国のセイスという教授は、アーチボルド・ヘンリー・セイス(Archibald Henry Sayce,1845-1933)という名前で、オクスフォード大学比較言語学、アッシュリア学教授で、広く未解読文字の研究を行っていたそうな(「外国人物レファレンス事典」日外アソシエーツ、「西洋人名辞典」岩波書店)。

 彼の著書のうち、日本に存在するものは以下の通り。


  • 「言語学」(セース著,上田万年・金沢庄三郎訳,金港堂,1898)1942復刻版あり
  • 「The dawn of Civilization :Egypt and Chaldaea」(G.Maspero著,A.H.Syce編,Society for Promoting Christian Knowledge,1897,1974)
  • 「Introduction to the science of language」A.H.Sayce著,K.Paul,Trench,Trubner&Co.Ltd,1900)
  • 「Pecords of the past:being English translations of the anciet monuments of Egypt and western Asia:new series」A.H.Syce編,S.Bagste,1888-1892)
  • 「The religion of ancient Egypt」A.H.Sayce著,T.&T. Clark,1913)
  • 「The Higher Criticism and the Verdict of the Monument」(A.H.Sayce著,London:Society for Promoting Christian Knowlege,1894)

 国会図書館、京都・熊本・東京神学・同志社大学で所蔵しているとのこと。イントロとして面白い話なので、どこかに書いてあるだろう。あとはヒマとパワーのありあまっている「最近の若者」に任せるとしよう。

 おっと大事なことを忘れていた。レファレンスの回答では、この本には載っていないよというリストがあったので、ついでに書いておく。無駄骨折りたくないからね。


  • 「古代エジプト文化とヒエログリフ」(ブリジット・マクダーモット著,産調出版,2005)
  • 「ヒエログリフを書いてみよう読んでみよう」(松本弥著,白水社,2000)
  • 「NHK大英博物館2」(吉村作治責任編集,日本放送協会,1990)
  • 「エジプト聖刻文字」(ヴィヴィアン・デイヴィス著,学芸書林,1996)
  • 「大英博物館古代エジプト事典」(イアン・ショー他著,原書房1997)

 さらにも一つ。日本においてエジプトの研究といえば、以下の機関とのこと。電凸するのも、やっぱり「最近の若者」に任せるとしよう。


  • 早稲田大学 総合研究機構 エジプト学研究所[参照]
  • 古代オリエント博物館[参照]

■まとめ : 最近のジジイどもは…

 プラトンのソースから、二千年前から「最近の若者は…」と言われていたことが分かった。また、柳田・セイスのソースから、おそらく四千年前から似たようなグチが垂れ流されていたようだ。

 ―― などと延々と述べても、最近のオッサンには響かない。馬耳東風。あまりにも昔なので、想像力が届かないらしい。「昔」というのは、自分の過ごしてきた時代のうちの過去を指すらしい。トシ取ると、視野というか思考の範囲が縮小するものなのか、それとも、いま目の前の人だけがそうなのかは、分からない。

 仕方がないので、このオッサンの入社年度を調べる。財団法人社会経済生産性本部の「新入社員のタイプ」[pdf]によると、「カラオケ型」と命名されたそうな―― 伴奏ばかりで他と音程合わず、不景気な歌に素直―― と、そのまま読み上げてやる。「そのまんまですね」というトドメは、武士の情けで言わない。

 「まったく、最近のオッサンは、人の話をちゃんと聞けない!」と嘆くいっぽうで、このセリフは天に唾だとしみじみ

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長門有希も笑う「文学全集を立ちあげる」

文学全集を立ちあげる 日本を代表する本読みのプロ、丸谷才一、鹿島茂、三浦雅士の公開編集会議。「いま読んで面白いもの」を選考基準に、古今東西の名著名作をちぎっては投げちぎっては投げ!ちゅるやさんの言を借りれば、めがっさ面白いにょろ!長門さんに渡したら大笑いして読むに違いない(ああ、その笑顔を想像してニヤけるニヤける)。

 「今さらブンガク全集なんて…ま、丸谷氏の鼎談としてつまむか」とナナメ読み始めたらさァ止まらない。名にし負う古典をバッサリ!一方で艶笑譚やSF、スパイ小説まで吸い込む貪欲さ―― その思いっきり具合が愉しい。

 丸谷氏によると、世界文学全集という仕掛けは、なかなか具合がいいそうな。


  • 巻数が限定されていて、それでセットになっている
  • チームみたいに構成されているから、役割分担や時代、国もいろいろ含まれている
  • 制約された巻数によってキャノン(正典)を並べている

 つまり、一定の教養の場にいるなら、少なくともこれぐらいは読んでおく(読んだフリだけでもしておく)必要があるよ、というリスト。もちろん、文庫本でもキャノンはたくさん入っているが、選択の自由がきく代わりに自分で選ばなくちゃならなくて、茫漠としてて具合が悪い。その代わりに、「これがフルセット」といえるキャノンを読ませるための絶好の「容器」が文学全集というわけ。それだけ読めばOKというわけではないが、少なくとも入口はハッキリする。

 いっぽう、鹿島茂氏は、もっと実用的(?)な観点からイマドキの全集が必要だと言う。

僕は、一年間文藝時評をやったことがあって、その時、痛感したのは、新人作家がいっぱい出てくるんだけど、彼らがほとんど昔の文学作品を読んだことがないまま小説を書いていることでした。小説というものの本質、技術もなにも知らないで、いきなり新人賞でデビューする。そして、とりあえず自分のまわりのことを二、三作書くと、もう書くこともなくなって消えていってしまう。


 そして、もし小説の技法がわかっていれば、もっと伸びる才能があるはずで、そういう人のために、百冊の小説の骨法を学ぶプロのための文学全集があってもいい、とまで言い切る。ああ、激しく思い当たるよ。賞を奪ったはいいけれど、自分の劣化コピーを二度三度書いた挙句消えていく作家がいかに多いことか。

 教科書に出てくる由緒正しき古典も容赦なくコキおろす。書き手の暴露話から、笑えるウンチク話まで種種雑多。たとえば、「金瓶梅」にこんな裏話があったとは知らなかった。

これだけしつこくセックスを描いた小説はない。それなのに実に面白くて早く読める。一説には、作者が偽名を使って「金瓶梅」を書いたのは、父の仇に読ませて毒殺しようとしたためだという話がある。仇がページをめくる時に指をなめる癖があるので、紙に毒を染み込ませておいた。ところが、あんまり面白いので、毒が回るより早く読み終えて、失敗した(笑)


 爆笑したのが「存在の耐えられない軽さ」のクンデラのネタから引き出された小話。こういうの好きよ。

イギリスの批評を読んでたら、こんな一節があって、うまいなあと思ったの。「昔は何か猥本を読みたくなると、『さて、フランスの小説でも読もうか』と言ったもんだ。今はそういうときに、『さて、チェコの小説でも読もうか』と言わなければならない」という書き出しでクンデラを論じるのね。


 次いで日本文学全集。世界文学と異なり、わたしは日本文学をぜんぜん読んでいないことがよく分かった。読みたい本の新たな発見のみならず、積ン読ク山に埋めたまま長いこと忘れていた「読むべ本」の再発見もザックザク。たとえば、空海。日本史や倫理でしか知らなかったのが、非常にもったいないことだったことを三浦氏の「空海はディズニーランド」論で教えられる。

あの人は宗教の本質はディズニーランドにある、という人なんですよね(笑)。「三教指帰」を読んで、非常に面白かった。そのとき思ったのは、要するに和辻哲郎をもっと頭をよくして、ディズニーランドに対する親近感をもっと強くすれば空海みたいになるんだな、という感じ。(中略)空海ゆかりの寺によく胎内巡りというのがあるじゃないですか。あの胎内巡りというのは、暗闇の中に人を落っことして、真っ暗闇でほんとに怖いわけだけど、歩いていくとさっと明るいところに出る。で、また暗闇の中に行くと。あれはディズニーランドの根本ですよね(笑)。(中略)山のてっぺんまで連れて行って、断崖絶壁を覗かせるとか。それは要するに、今の世の中にいる自分の身体は虚構というか、仮のものなんだということを全身的に理解させるすごくいいやり方なんですよ。


 「三教指帰」読むことにけって~い!!(cv:夢原恵美)。

 イマドキの「原型」があちこちで言及されている。例えば、「世界の中心で愛をさけぶ」いわゆるセカイ系の最初として、武者小路実篤の「愛と死」が挙げられている。あるいは、ネカマの元祖として太宰治の「斜陽」における憑依的な才能が指摘されたり、コバルト文庫の第一冊目は川端康成だったなんて知らんかったよ!

 「なぜ、村上春樹を入れないか?」について延々とギロンされてて、そいつが面白い。コジツケというかムリヤリというか、妙なリクツを捏ねまわして、結局外してしまう。要するに、この3人は村上春樹が大嫌いなんだね… 日本文学として違和感があるが、世界文学の視野だとスッキリとするのでは。「世界文学全集にハルキ・ムラカミとして入れたら?」と提案したくなるが、それこそ彼らが最もイヤがる結末だろうなぁ。

 世界文学全集のリストは以下のとおり(日本文学は書籍をあたってね)。読みたいリストが尽きることはありえないが、積ン読ク山脈の谷間にざくざくと入れてみよう。

 そういや思い出した。

 池澤夏樹編集で世界文学全集出すよという告知は、正月の新聞で受け取ったが、はてさて、どうなることやら。blog「異国の客」やメルマガから窺う限り、あんまり忙しそうにしていない… このへんの伸びをウォッチしてますかな→「2ch:池澤編世界文学全集を予想するスレ[参照]

以下自分メモ。

世界文学全集巻立て一覧

■古代・中世
1.ホメロス 「イリアス」「オデュッセイア」
2.ギリシャ演劇集 アイスキュロス/ソポクレス/エウリピデス/アリストパネス
3.古代ローマ集 アプレイウス/ペトロニウス/キケロ/セネカ/アウグスティヌスほか
4.アラビアン・ナイト(バートン版)
5.ダンテ 「神曲」
6.チョーサー/ボッカッチオ 「カンタベリ物語」/「デカメロン」
7.中世文学集 「トリスタン・イズー物語」/「アーサー王物語」/「エル・シド」ほか

■イギリス
8~9.シェイクスピア 2巻 「ロミオとジュリエット」「夏の世の夢」「ハムレット」「リア王」「マクベス」「オセロ」「ソネット集」ほか
10.デフォー 「ロビンソン・クルーソー」「モル・フランダーズ」
11.スウィフト 「ガリヴァー旅行記」「桶物語」ほか
12.リチャードソン 「パメラ」
13.フィールディング 「トム・ジョウンズ」
14.スターン 「トリストラム・シャンディ」「センチメンタル・ジャーニー」
15.スコット 「ロブ・ロイ」「盟約」
16.ウォルポール/ベックフォード/シェリー/ルイス(十八世紀ゴシック小説集) 「オトラント城」/「ヴァテック」/「フランケンシュタイン」/「マンク」
17.ジェーン・オースティン 「高慢と偏見」「説きふせられて」
18~19.ディケンズ 2巻「荒涼館」「大いなる遺産」「オリバー・ツイスト」
20.C・ブロンテ/E・ブロンテ 「ジェーン・エア」/「嵐が丘」
21.ハーディ/コンラッド 「テス」/「ロード・ジム」「闇の奥」
22.ヘンリー・ジェイムズ 「ある婦人の肖像」「アスパンの恋文」「ねじの回転」ほか
23.E・M・フォスター/D・H・ロレンス 「インドへの道」/「チャタレイ夫人の恋人」
24.ヴァージニア・ウルフ 「ダロウェイ夫人」「灯台へ」「オーランドー」
25~26.ジョイス 2巻「ユリシーズ」「若い芸術家の肖像」
27.オルダス・ハクスレー/オーウェル 「すばらしい新世界」「ガザに盲いて」/「1984」ほか
28.K・マンスフィールド/ボウエン/マードック 「園遊会」ほか/「パリの家」/「鐘」
29.ウォー/G・グリーン 「大転落」/「権力と栄光」
30.ゴールディング/シリトー/オズボーン 「蝿の王」/「長距離走者の孤独」/「怒りをこめてふりかえれ」
31.フラン・オブライエン/バージェス 「スウィム・トゥー・バーズにて」「ドーキー古文書」/「時計仕掛けのオレンジ」「その瞳は太陽に似ず」

■フランス
32.ラブレー 「ガルガンチュワ物語」
33.ラ・フォンテーヌ/ラ・ロシュフコー/パスカル 「寓話集」/「箴言集」/「パンセ」
34.モリエール/コルネイユ/ラシーヌ 「人間嫌い」「タルチュフ」「守銭奴」/「ル・シッド」/「フェードル」「アンドロマック」
35.ラファイエット夫人/アベ・プレヴォー/コンスタン 「クレーヴの奥方」/「マノン・レスコー」/「アドルフ」
36.ディドロ 「運命論者ジャックとその主人」「ラモーの甥」「修道女物語」「ブーガンヴィル航海記補遺」
37.ルソー 「告白」
38.ヴォルテール/ラクロ 「カンディード」/「危険な関係」
39.スタンダール 「赤と黒」「パルムの僧院」
40~41.バルザック 2巻「ゴリオ爺さん」「幻滅」「娼婦の栄光と悲惨」
42~43.ユゴー 2巻「レ・ミゼラブル」
44~45.デュマ 2巻「モンテ・クリスト伯」
46.メリメ/ミュッセ/デュマ・フィス 「カルメン」「コロンバ」「マテオ・ファルコーネ」/「世紀児の告白」「ミミ・パンソン」「フレデリックとベルヌレット」詩集/「椿姫」
47.フロベール 「ブヴァールとペキシュ」
48.ゾラ 「居酒屋」「パリの胃袋」「ボヌール・デ・ダム百貨店」
49.モーパッサン/ドーデ 「ベラミ」「女の一生」/「サッフォー」「月曜物語」
50.ボードレール 「悪の華」「パリの憂鬱」評論ほか
51.マラルメ 「半獣神の午後」ほか 詩と評論
53.ジイド/ピエール・ルイス/ヴァレリー 「法王庁の抜け穴」/「ビリティスの歌」「シェリ」ほか
54~57.プルースト 4巻「失われた時を求めて」
58.コレット 「学校のクロディーヌ」「クロディーヌの家」「シェリ」ほか
59.クローデル/モーリアック/ジュリアン・グリーン
60.セリーヌ 「夜の果てへの旅」「なしくずしの死」
61.サルトル/カミュ 「嘔吐」「一指導者の幼年時代」「水入らず」/「異邦人」「ペスト」
62.コクトー/ラディゲ/ジャン・ジュネ(堀口大學訳) 「恐るべき子供たち」/「ドルジェル伯の舞踏会」/「花のノートルダム」「「薔薇の奇跡」
63.クロード・シモン/ロブ=グリエ/ビュトール 「フランドルへの道」/「嫉妬」「快楽の館」/「心変わり」
64.シュールレアリスム集 ブルトン/アラゴン/エリュアール/デスノス/レーモン・クノー/シュペルヴィエルほか

■ロシア・ドイツ
65.プーシキン 「エヴゲニー・オネーギン」「大尉の娘」「スペードの女王」「ボリス・ゴドゥノフ」
66.ゴーゴリ 「死せる魂」「ディカーニカ近郷夜話」「外套」ほか
67~68.ドストエフスキー 2巻「悪霊」「罪と罰」
69.トルストイ 「アンナ・カレーニナ」
70.ツルゲーネフ/ハイネ 「猟人日記」/「パリ日記」詩
71.チェーホフ 「桜の園」「かもめ」「ワーニャ伯父さん」ほか
72.ソログープ/ブルガーコフ 「小悪魔」/「巨匠とマルガリータ」
73.ベールイ/ゴーリキ 「ペテルブルグ」「銀の鳩」/短篇集
74.ソルジェニーツィン 「収容所群島」
75~76.ゲーテ 2巻「ファウスト」「若きウェルテルの悩み」詩
77.シラー 「群盗」「たくみと恋」「ヴィルヘルム・テル」ほか
78.ジャン・パウル 「巨人」「ヘルスペス「彗星」ほか
79.E・T・A・ホフマン 「黄金の壷」「悪魔の霊液」
80.ニーチェ 「ツァラトゥストラはかく語りき」「悦ばしき知識」ほか
81.リルケ 「マルテの手記」詩と評論
82.デーブリン 「ベルリン・アレクサンダー広場」
83.カフカ 「城」「変身」「審判」「アメリカ」
84.ホフマンスタール/ムージル/ロート 「影のない女」「アンドレアス」「ばらの騎士」/「特性のない男」/「ラデツキー行進曲
85~86.トーマス・マン 2巻「魔の山」「詐欺師フェーリクス・クルルの告白」
87.ギュンター・グラス 「ブリキの太鼓」ほか

■アメリカ
88.ポー 「モルグ街の殺人」「アッシャー家の崩壊」「黄金虫」「黒猫」詩ほか
89.メルヴィル 「白鯨」「書記バートルビ」
90.マーク・トウェイン 「ハックルベリー・フィンの冒険」「トム・ソーヤーの冒険」
91.ヘンリー・ミラー/アナイス・ニン 「北回帰線」「南回帰線」/「アナイス・ニンの日記1931~34」
92.フォークナー 「八月の光」「アブサロム、アブサロム!」
93.ヘミングウェイ/フィッツジェラルド 「我らの時代」「男だけの世界」/「偉大なるギャツビー」
94.オニール/テネシー・ウィリアムズ/アーサー・ミラー(アメリカ戯曲集)
95.イーディス・ウォートン/カーソン・マッカラーズ/フラネリー・オコーナー(アメリカ女性作家集)
96.サリンジャー/カポーティ/ブローティガン/カーヴァー(アメリカ短篇集)

■その他
97.セルバンテス 「ドン・キホーテ(正篇・続篇)」
98.マンゾーニ 「いいなづけ」
99.イプセン/ワグナー 「人形の家」/「ニーベルングの指輪」「タンホイザー」
100.ユイスマンス/ワイルド 「さかしま」「彼方」/「ドリアン・グレイの肖像」「サロメ」
101.ズヴェボ/ラルボー/ベケット 「ゼーノの苦悶」/「めばえ――アンファンティヌ」「バルナブースの日記」/「モロイ」「ゴドーを待ちながら」
102.ブルーノ・シュルツ/ゴンブローヴィチ 「肉桂色の店」/「フェルディドゥルケ」「バカカイ」
103.ジロドゥ/ガルシア=ロフカ/ブレヒト 「トロイ戦争は起こらない」/「血の婚礼」「イェルマ」/「三文オペラ」
104.モラーヴィア/ブッツァーティ/パヴェーゼ/カルヴィーノ 「孤独な青年」/「タタール人の砂漠」/「故郷」/「まっぷたつの子爵」「木のぼり男爵」
105.ユルスナール/デュラス/アイリス・マードック 「ハドリアヌス帝の回想」/「愛人(ラマン)」「モデラート・カンタービレ」/「鐘」
106.クンデラ/ミシェル・トゥルニエ 「存在の耐えられない軽さ」ほか/「フライデーあるいは太平洋の冥界」「赤い小人」
107.ボルヘス 「短篇集」
108.ガルシア=マルケス 「百年の孤独」
109.カルペンティエール/バルガス=リョサ 「この世の王国」/「フリアとシナリオライター」
110.唐宋詩集
111~112.金瓶梅 2巻
113~114.紅楼夢 2巻

■周辺の文学
115.サド/レチフ/ジョン・クレランド(十八世紀ポルノ小説集) 「ジュスティーヌ、または美徳の不幸」/「ムッシュー・ニコラ」/「ファニー・ヒル」
116.ドイル/ウェルズ 「ジャーロック・ホームズ」シリーズ/「タイムマシン」
117.ザミャーチン/チャペック/レム 「われら」/「R・U・R(ロボット)」/「ソラリスの陽のもとに」
118.ハメット/チャンドラー 「さらば愛しき女よ」「大いなる眠り」/「マルタの鷹」ほか
119.ヴェルヌ/ルブラン/シムノン 「地底旅行」「八十日間世界一周」「十五少年漂流記」/「奇巌城」/「メグレ警視」シリーズ
120.バカン/アンブラー/ル・カレ(スパイ小説集) 「三十九階段」/「あるスパイの墓碑銘」/「寒い国から帰ってきたスパイ」
121.チェスタトン/ハイスミス/アルレー 「木曜の男」/「見知らぬ乗客」「太陽がいっぱい」/「わらの女」
122.ブラッドベリ/ヴォネガット/ディック/バラード 「火星年代記」/「スローターハウス5」/「高い城の男」/「結晶世界」
123.童話集 イソップ/ペロー/グリム/アンデルセン/サン=テグジュペリ
124.少年小説集 マロ「家なき子」/ウィーダ「フランダースの犬」/ルナール「にんじん」/アゴタ・クリストフ「悪童日記」/ストーカー「ドラキュラ」/コローディ「ピノキオ」
125.少女小説集 オルコット「若草物語」/モンゴメリ「赤毛のアン」/バーネット「小公子」「小公女」/スピリ「アルプスの少女」ほか
126.ルイス・キャロル/エドワード・リア/アルフレッド・ジャリ 「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」/「ナンセンスの絵本」ほか/「ユビュ王」
127.ユーモア文学集 バーナード・ショー「ピグマリオン」/ジュローム・K・ジュローム「ボートの上の三人男」/ウッドハウス「ジーヴス物語」/マルセル・エーメ「壁抜け男」
128.ナボコフ 「ロリータ」「セバスチャン・ナイトの真実の生涯」ほか
129.レアージュ/マンディアルグ/バタイユ 「O嬢の物語」/「みだらな扉」/「マダム・エドワルダ」
130.ロマン派詩人集 コールリッジ/ノヴァーリス/ラ・マルチーヌ/ユゴー/ワーズワースほか
131.モダニズム詩人集 イエーツ/アポリネール/エズラ・パウンド/エリオット/オーオデンほか
132.歌謡集 ジョン・レノン/ボブ・ディラン/オクジャワ/プレヴェール/ブラッサンス/レオ・フェレほか
133.批評集 アリストテレス/サミュエル・ジョンソン/ヘルダー/サント・ブーヴ/バシュラール/エドマンド・ウィルスン/ロラン・バルト/ドゥルーズ/フーコー/デリダほか

 「○○が入ってないじゃん!」とか「この作家なら△△を入れないとウソ」というツッコミは、本書でお確かめあれ。必ず理由(こじつけともいう)がありますぞ。

 当然このリストから派生して読みたい本が雪ダルマ式に積みあがる(このリストから連想する書籍群だけで大山脈と化す)。そして、あたりまえだがこれは世界文学全集であり、日本のソレを含めると200巻をゆうゆうと超す。

 当分というか一生、読む本に困らないだろうな。じゃぁここらでいつものやつ、いってみようか→ああ、読んでない、読みたい本がこんなにあるしあわせ

 いただきます

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実践しなきゃ、意味がない「アイディアのつくり方」

アイディアのつくり方 自分への戒めとして書く。優れた方法は、マネして→習慣化→血肉化してこそ意味がある。付せん貼ってブックマークして終わりなら、読まなかったことと同義。「いま」「すぐ」動かなければ、タタミの水練以下。JUST DO IT

 「一時間で読めて一生役立つアイディアの作り方」という惹句どおり、確かにシンプルで強力な方法だ。しかし、こいつを愚直に実践していくことはかなりの努力を要する。そのエッセンスはこうだ――

  1. アイディアとは、既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない
  2. アイディアの作成は、車の製造工程と同じように、一定の流れ作業の過程であり、習得したり制御したりできる操作技術によってはたらく←「技術」なんだから鍛錬によって身につくことがポイント
  3. 既存の要素を新しい一つの組み合わせに導く才能は、事物の関連性を見つけ出す才能に依存するところが大きい
  4. アイディアの作成は、次の五つの段階を経る。どれも飛ばすことも省略することもできないし、必ずこの順番になる←これ重要
    • 第一段階 : 資料集め―― 当面の課題のための特殊知識と、一般的知識の貯蔵から生まれ出る知識
    • 第二段階 : 第一段階で得た資料に手を加える(←わたしにとっては、ここが最重要)
    • 第三段階 : 孵化段階。意識の外で何かが自分で組み合わせの仕事をやるのにまかせる
    • 第四段階 : アイディアの実際上の誕生(ユーレカ!分かった!)
    • 第五段階 : 現実の有用性に合致させるために最終的にアイディアを具体化し、展開させる
  5. 「言葉」それ自体がアイディアであることを忘れがち。言葉は人事不省に陥っているアイディアであり、言葉(セマンティックス)をマスターすることでアイディアは息を吹き返す

 わたしにとって、耳に痛いのは第二段階。情報を集めることは好きなんだが、それだけで満足してしまっている。集めた情報を吟味して、新たな組み合わせや関係を見出すための試行錯誤をやってない。あたかも、情報は集めておくだけで勝手に発酵するものだと思い込んでいるきらいがある。

 しかし、この蔑ろにされがちな第二段階こそ、わたしにとって重要なタスクであり、筆者によると、心の触角とでもいうべきもので一つ一つ触ってみるのだという。そして、一つの事実を取り上げて、それをあっちに向けてみたりこっちに向けてみたり、違った光のもとで眺めたり、二つの事実を一緒に並べてみたりすることで、「関係」を探す。カードに書き出し、カードを並べる手法が紹介されているが、今ならマインドマップやね。

 一時間どころか30分で読めるにもかかわらず、今まで読んできた全てのIDEA HACK を思い出す。言い換えると、全ての発想法のネタ元であり、こいつをタネにわたしですら一冊モノにできそう── そんな気にもさせてくれる。

 人生を変える一冊、ただし、実行すれば。言うは易く、JUST DO IT

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「忌中」を読んだ後、自分の人生に戻っていけることを喜ぶ

忌中 タイトルからして不吉。書影も陰陰と拒絶オーラを発散している、という第一印象を裏切らない。劇薬小説として紹介されて読んだが、こいつは「厭本」ですな。つまり、読んでイヤ~な気にさせる短編集。新聞の三面記事に並ぶ変死、横死、一家心中、夫婦心中が「結」ならば、そいつを起承転結と読まされている感じ。それが、「忌中」(車谷長吉,文藝春秋,2003)。

 O.ヘンリー的などんでん返しも、ささやかな救いも、ありはしない。読中の嫌な予感は否定も肯定もされないまま、予想通り、最悪の最期に至る。「ダメなやつは何をやってもダメ」という迷言があるが、「不幸な人生はどこまでいっても不幸」という言葉が浮かぶ。

 表題作である「忌中」が印象的。介護疲れで夫婦心中を図るが、夫は死にきれず、絞殺した妻の死体を押入れに隠して遊びに出かける。後追い自殺をする「ふんぎり」がつかない自分を追い込むためだ。サラ金から借りまくり、パチンコにつぎ込み、女に貢ぐ。じりじりと状況がせばまっていく中で、やるべきことを「片付ける」かのように、淡々と、ひとつひとつ実行する。

 ひとが自分の人生に集中するために、「癌」という仕掛けがある。ふしぎだ、ここまで書いてきて、例を思い浮かべようとしたら映画ばかり出てくる ―― 黒沢明「生きる」や、マイケル・キートン「マイ・ライフ」、あるいは「死ぬまでにしたい10のこと」 ―― これらは、癌を宣告された主人公が、死を自覚することで逆に生の輝きを取り戻している。

 しかし、「忌中」の場合は、「銭」だ。死んでも死にきれない生への執着を拭い去るために、借金をしまくる。返済が迫られるまでがリミットだ。ホラ、あれだよ、自分で引き金を引くようなもの。一家心中する家族は、最期は平日に遊園地で遊ぶ。子どもが欲しがるものは買ってやり、食べたいものは好きなだけ食べさせてやる。もちろん夫婦は最後のセックスに励む。

 え? 死ぬことに矛盾してる? ああ、そうともよ、でもわたしは読者だ、どうすることもできゃしない。このやるせない無常感をたっぷりと味わわせた後、唐突に終わる。だって死んじゃうから。

 そしてわたしは、目が覚めたように本から手を離し、自分の人生に戻っていく。

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なぜ「ブラッカムの爆撃機」は児童書なのか?

ブラッカムの爆撃機 じいさんの軽妙な語り口に、リアルな戦争の日常がある。吸い込まれるように読む。

 児童書なのに爆撃機がテーマという不思議 ―― と思って手にとるとラストでニヤリ。何のお話なのか瀬踏みしながら読むのも愉しみの一つなので、予備知識なしでどうぞ。不用意にネットを漁るとネタバレを読まされるのでご注意。

 イギリスの爆撃機を描いた物語に、宮崎駿氏の手による解説マンガつき(←実は、こっちが目当てだったりする)。宮崎氏が描いた、「ブラッカムの爆撃機」の見取り図は、なめるように見入った。

 ロバート・ウェストールといえば「かかし」なのだが、未読だったりする。書き味が上手いねぇ、この人。飛行機内部の臭いの描写や窓からの景色、あとインターコムを通じた音の聞こえ方がとてもリアル。宮崎氏が指摘するように、「頭の中で何度も爆撃機を飛ばした」んだろう。

 さらに、展開の緩急が上手。戦闘シーンは細かいところまでキッチリ書くし(なんせ、アドレナリンが出てるから"よく見える"んだろう)、ベーコンエッグを食べに行くところなんて、のんびりしたおいしそうな空気までが伝わってくる。

 児童書なんだけど爆撃機・戦争がテーマである理由は、解説で明かされている。

殺菌され無菌化された政治倫理のルールブックとしてではなく、この世を生き抜くためのサバイバルキットとして役立つ、フィクションが必要だと

「どうしたら子どもたちに、希望を裏切ることなく真実を伝えられるだろう? 」

 アニメーションがあるではないか、とつぶやく側から、宮崎氏の手引きで本書を読む気になったことを思い出して苦笑する。表題作はジブリ向きだが、わたしはもうひとつの短編「チャス・マッギルの幽霊」の方が鮮やかだなぁ、と気に入っている。児童書おそるべし。「かかし」に手を出すか。

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東大教師が新入生にすすめる100冊

 昨年の「東大教官がすすめる100冊」の2007年版。企画の趣旨は以下のとおり。

■企画「東大教師が新入生にすすめる100冊」の趣旨

 東大教師が選んだ新入生向けのブックリストとして、新書「東大教官が新入生すすめる本」と、紀伊國屋書店のサイト[参照]がある。全部で2100冊程と膨大なので、まとめる。まとめるだけでは面白くないので、100冊に絞ってランキングする。

 新書もサイトも、「ただ並べてあるだけ」なので非常に見づらい。さらに、くりかえしオススメされる本の「重み」が見えないため、以下の基準で編集→ランキングする。

  • 年を越えてオススメされる本は、それぞれ1票としてカウント
  • 複数の教官にオススメされる本は、それぞれ1票としてカウント
  • 全集・分冊は丸めて1冊にした。ただし、全集の中の特定巻を指してある場合は「ソコを読め」というメッセージなので別枠とした
  • 参照元では「文系」「理系」と分けているが、混ぜてある(文理別は血液型占い並に無用)
  • 得票数が2票以下ものが非常に多い。2票以下はわたしの独断で選んだ(2007年ランキングでは、44位以降がわたしの選択)

 上記は2006年版のもので、2007年版では以下の方針で編集している。

■2007年版の編集方針

  1. 東京大学出版会「UP」2007年4月号「東大教師が新入生にすすめる本」を反映
  2. 東京大学出版会の本を外した
  3. 同名異著者の本をダブルカウントするエラーを回避した

 1.について : 参照元は[ここ]。さすが東大教師、カタい本ばかり紹介する方もいれば、ミステリ(しかも古ッ)を衒いなくオススメする人もいる。大勢に影響はないけれど、最新版にした。

 2.について : 駒場の人にはおなじみかもしれないけれど、いわゆる教科書なのでパス。一般教養書として優れたものもあるので、ご興味のある方は「東京大学出版会」もしくは「東大出版」でまとめファイル(文末にリンク)をフィルタリングしてみては。

 3.について : では、同名異著者の本をダブルカウントしている。その結果、昨年のランキングでエラーがある。例えば…

  第2位 量子力学(レフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウ)
  第7位 解析入門(セルジュ・ラング)

 「量子力学」は朝永先生の方を挙げるべきだし、「解析入門」は杉浦先生版が得票多し。同書名に集まった票が割れるので順位が変わってくる。今回は「名前+著者名」でソートした。

 こうやって一覧化すると、自分がいかに読んでないかがよーく分かる。内なる声も読めといい、欲望はいっこうに衰えてないにもかかわらず、いまだに読めていない本が沢山ある。幸せなのか、ふしあわせなのか分からないが。人生は有限だ。そしてわたしは、このことをよく忘れる

 それでは、東大教師が新入生にすすめる100冊、2007年版、どうぞ。

続きを読む "東大教師が新入生にすすめる100冊"

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「女王陛下のユリシーズ号」は、スゴ本+徹夜小説

女王陛下のユリシーズ号 狂喜セヨ、いや「狂気セヨ」なのかもしれない。それこそ狂気のように読んだ、もちろん徹夜。ただし、翌朝目が真っ赤になったのは、震えて泣きながら読んだから。

 裏表紙の紹介文より――

援ソ物資を積んで北極海をゆく連合軍輸送船団。その護送にあたる英国巡洋艦ユリシーズ号は、先の二度の航海で疲弊しきっていた。だが、病をおして艦橋に立つヴァレリー艦長以下、疲労困憊の乗組員七百数十名に対し、極寒の海は仮借ない猛威をふるう。しかも前途に待ち受けるのは、空前の大暴風雨、そしてUボート群と爆撃機だった…

鋼鉄の意志をもつ男たちの姿を、克明な自然描写で描破した海洋冒険小説の不朽の名作

 しかしながら、レビューすることはほとんど無い。「凄絶な戦艦戦」とか「苛烈な自然の猛威」といった惹句を並べても自分で空々しい。書き口が「淡々+冷酷」、展開も容赦なし←これで充分。たとえば、きっと夢に見るだろうと恐れている場面(のひとつ)はこうだ。

火の海であった。何百トンという燃料油の流れた海面は、しずかで、平坦で、めらめらとねじれて燃えさかる焔の大絨毯だった。一瞬、ヴァレリーの見たものはそれであり、それだけであった。が、つぎの瞬間、胸が悪くなるほど不意に、そして心臓がとまるほどの衝撃をもって、彼はほかのものを見た。

燃える海は、もがき泳ぐ人間でいっぱいなのだ。ひとにぎりとか数十人とかいうのではない。文字どおり何百人もの人間が、溺死と焼死という残酷なまでに相反する死にかたで、声にならない声で絶叫し、あがき悶えて息絶えていくのだった。

 悪夢に出てくるのは、このあとのユリシーズがとった行動なのだが、これは序盤であることを申し添えておく。注意していただきたいのは、カタルシスのための描写ではないこと。安易な感情移入を完璧なまでに拒んでいる。訳者はこう言う、「アメリカ人はこんな小説を書けもしないし、書きもしないだろう」――激しく同意!エンターテイメントに飢えている人は、ソコんところ気をつけて。

 本書は、企画「徹夜小説を探せ」でjackal さんにご紹介いただいたもの。あたり本を教えていただき、大感謝です > jackal さん

 面白いことに、本書には、ハヤカワノヴェルズにつきものの「人物紹介」がない。代わりに、ユリシーズ艦内配置図と航路図がある。まさにユリシーズ号そのものが主役なのか!? 乗組員は添え物なのか―― と読むのだが、二重に誤っていたことを告白する。そして、未読の読者のために、人名をメモっていたが―― 涙で、ああちくしょう、そんなもの!

 ページを惜しみながら読むがいい、ハンカチではなくタオルを用意して。


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劇薬本「子どものねだん」で知る児童買春地獄

子どものねだん 掛け値なしの劇薬、まじめに読むほど気分が悪くなること必至。最悪なことに、こいつがフィクションでないことを意識して読まされる。ふつうの人は読んではいけません

 「赤ちゃんの値段」があるぐらいだから、「子どもの値段」もあるだろうという安易な発想から見つけたのだが、これがスゴい。ヒドい。「人をモノのように扱う」は比喩だというヌルい感覚は吹き飛ばされる。言葉そのままの意味で「モノ以下」。子どもにとっては地獄そのもの。本書をタネ本とした「闇の子供たち」の方が、フィクションである分、ある種の「安心感」をもって読めたが、これはそれを許さない。

 「小さな穴」を求めるオトナにとって、子どもの性別は関係ない。従順で、好きに扱え(暴力を含む)、未発達であるがゆえに締まりが良い穴であれば、関係ないのだ。自由を奪われ、ろくな食事を与えられず、暴行・暴行・暴行。そして、ちょっと言い表せないような性行為を強要される。HIV感染からAIDS発症になると、文字通り「売り物にならなくなる」―― わたしの子と同年代の子どもたち。

 まともな本屋では置いてないだろうが、もし手にするならば、口絵のカラー写真を眺めてみるといい。折檻の傷痕を見ると、まともな精神でいられなくなるに違いない。「これが現実だ」なんて安易な台詞が押しつぶされる。

 いちばんショックを受けているのは、著者マリーだろう。生々しい書き口に彼女の葛藤や苦悩が如実に出ており、読みにくい…が、分かるよ、誰だってこんな異常事態が日常になっている場所に行ったらなら、まともではいられない。

 NGOの医療・教育活動に従事する著者は、キャンプから子どもが「消える」ことに気づく。やがて、タイの民間援助団体の仲間から、子どもたちは闇の組織の手で、あるいはキャンプを警備する軍人たちによって、バンコクの売春宿に売られていることを知らされる。

 表向きは「そんなものは存在しない」のであるから、どの窓口にかけあってもナシのつぶて木で鼻。思いつめた彼女がとった最後の手段は、NGOのタイ人青年とカップルを装い、売春宿で「子でもを買う」こと。

 売春地帯に潜入したマリーが出会った子どもたちは――

 破壊される子どもたちの実態は、とても書けない、わたしがおかしくなる。ただ、「闇の子供たち」はフィクションでもなんでもなく、まだ控えめだってこと。ペドたちの言葉は忘れることができない。例えばこうだ

売春も、ここではどうってことないのさ。子供たちがからだを売るのは、そうやって経済活動に参加しているんだ。この国では父親たちが子どもにそういう手ほどきをしているんだ…

夜、サイゴンのカティナ通りで、6歳から11歳の子どもたちが声をかけてきた。10ドルで、連中は何だって、やる。もう10ドル出せば、ホテルのガードマンも目をつぶる。そんな子どもたちを集めるだけでいい。確かに、生きるために乞食だってやるでしょう、でもあの子たちが欲しがっているのは、愛なんだ。だからわたしが、与えてあげる必要があると、だから、それ以上はつっこまないでほしいね、アジアの子どもたちには愛の琴線ってものがある、性的本能が肌の下から顔をのぞかせている。わたしたちもあの子たちのからだが好きだし、あの子たちも大人の愛が好きなんだ

 ペドフィルだけではない。HIVに感染し、AIDSが発症し、死を宣告された今になっても、「新しき愛」を得るために飛行機に乗る白人。数十人の若い女や少年少女を買い、一人でも多くの道連れを増やそうとする人がいる。

 ストックホルムで1996年に開催された「子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」で示されたユニセフの資料によれば、売春に従事させられている児童の数は、

 フィリピン 65万人以上
 インド 30~40万人
 米国 30万人
 中国 20万人以上
 タイ 20万人
 台湾 6万人
 パキスタン 4万人
 ネパール 3万人
 スリランカ 3万人
 ドミニカ 2万5千人
 バングラデシュ 1万人
 フランス 8千人

※ちなみに、ここでいう「児童」は18歳未満の男女を指している。観光と売春は、もはや各国での「闘い」と化しているとのこと。

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図書館を使い倒すための3冊

 ネットはスゴいが、図書館のほうがもっとスゴい。「知の現場」はインターネットではなく、図書館にこそある―― まだ、今のところ。

 ディスプレイの『あちら側』を否定するつもりは毛頭ないが、もてはやし過ぎ。Evangelist ならいいよ、いくら吹いたって。だってそれがメシの種だから。ただし、賭金は横目でチェックしておかないと。

 ここでは、図書館を使い倒すための有用なテクニックや知識をご紹介。以下の本を参考にした。

 ・図書館に訊け!(井上真琴,筑摩書房,2004)
 ・図書館を使い倒す!(千野信浩,新潮社,2005)
 ・図書館のプロが教える「調べるコツ」(浅野高史,柏書房,2006)

 「図書館に訊け!」はサービスを提供する側、すなわちサーバー側から使い倒しのテクニックが惜しげもなく開陳されている。いっぽう「図書館を使い倒す!」は、クライアント側から図書館を徹底的にしゃぶりつくすための技が紹介されている。さらに、「図書館のプロが…」は、レファレンスサービスに特化した形で、事例+探索テクニックが紹介されている。「図書館を使い倒す!」は小飼弾さんの紹介で知る[参照](ありがとうございます、danさん)。

図書館に訊け!図書館を使い倒す!図書館のプロが教える「調べるコツ」

■図書館で調べる3ステップ

 知りたい情報は、「検索」するのではなく「探索」する。調べるステップは3段階ある。

ステップ1 : 準備 図書館に行く前段階として、調べたいトピックを質問の形にする。ネットにキーワードを放り込んで、バックグラウンドを読んだり、類語をかき集めておく。このときちゃんとした質問になっていなくてもOK。レファレンスサービスを利用することで、「もやもや→質問」にできる。その際、「どうしてそれを調べたいのか?」――質問の意図というか動機がポイントになる。

 トピックがある程度絞りこんでいるならば、そのキーワードを元にOPACで調べる。OPACとは、Online Public Access Catalogueの略で、図書館の蔵書検索システム のこと。ネット越しに利用できる。

 トピックが拡散している場合や、キーワードが絞れない場合は、ナマの質問文をWebcat Plus に放り込む。キーワードからキーワードを牽く連想機能のおかげで、自然文から求める本に「近い」ものをピックアップしてくれる。

ステップ2 : 出向く 図書館へ出かける。ネット越しで用を済ませることもできるが、開架書庫に出向いて目指す本の周りを眺める── ブラウジングすることが有用なり。どこの図書館も同じ分類法にのっとって並んでいるので、ひとつの図書館を極めれば、他でも使える。自分のホームベースとなる図書館(ホーム・ライブラリー)を決めて、そこで目を鍛えるというテもある。

 本屋で「本」を探すときを思い出してみよう。目当ての本を見つけて、ハイお終いということもあるが、目当ての本の両隣や近辺の平積みに目が行って、思わず手に取ったり、あるいは一緒に買ったりしたことはないだろうか? ホラ、amazonでいう「この本を買った人はこの本にも興味があります」とやら。

 図書館でも同じテが使える。ジャンル別に分類(日本十進分類法)されているため、目指す本の近くにあるものは、似た本ばかりのはずだ。盲信するのは禁物だけど、これが結構使える。目指す本がないけれど、だいたいこのジャンルだとアタリをつけて書架をウロウロすることで突破口を見つけられる場合もある。

 このとき概説書や百科事典を使って、調査対象トピックの基本情報と背景情報を把握する。自分の探索したい事柄を適切なキーワードで表現できるかどうかがポイント。モレヌケを回避するためやね。同様に、目録や書誌を使って関連主題を扱った図書がないか調査しておく

 さらに、雑誌記事索引や書誌を利用して関連主題を扱った雑誌論文や雑誌記事を探索する。専門図書や学術雑誌の文献を読み進めながら、レファレンスへ再度立ち戻り、探索→フィードバックによる絞込みを繰り返す。

ステップ3 : プロに調べてもらう いわゆる司書のレファレンスサービスを利用する。調べたいことに対して、どのようなレファレンス資料(書籍や雑誌・CD-ROM・データベース)を使えばよいのかを案内してくれるサービス。

 これがスゴいのは、調べたいことが漠然としていて「質問」の形になっていなくても一緒になって絞り込みをやってくれるところ。もちろん、ちゃんとした質問になっていることが望ましいのだが、「○○について調べたいのだけど、何をどうやっていいか分らない」といったものでもOK。親身になってくれる(はずだ)。

 重要なのは、「質問に対して、どういう風にアプローチしているか」に尽きる。そもそもどうやって調べてよいか分らない場合、調べ方そのものというよりも、むしろ

 ・疑問に対してどのような思考ルーチンで取り組んでいるか
 ・どんなアプローチでリファレンスブックをあたっているか
 ・キーとなるトピックスからの調べる範囲の広げ方→絞り込み方

について、司書は逆に問いかけてくるはずだ。そこでステップ1の「質問の意図と動機」が効いてくる。

 そこから先は担当する人によるのだが、google をビシバシ使っている人、レファレンスブック中心の人といろいろある。担当同士のネットワークもあるので、偏向する心配はいらない。レファレンス担当のためのFAQもあり、「レファレンス協同データベース」[参考]は一般の人も利用できる。

 司書さんがスゴいのは、その結果→レファレンス・ブック→ネットと本とネット間を行き来しながらフィードバックを繰り返して絞り込んでいるところ。検索してヒット→着弾点から範囲をいったん広げ、もれぬけがないかレファレンスをあたる→今度は絞り込んで、別のキートピックスに収束させる…を繰り返しながら、最初の「調べたいこと」を網羅的にあぶりだす。この辺の考え方というか目の付け所は、「図書館のプロが教える『調べるコツ』」が詳しい。

■レファレンスへの質問例

 レファレンスサービスへの質問の例を挙げる。「こんなこと質問してもいいのだろうか?」と不安な方はご覧になって安心するといいかも。全て「図書館のプロが教える『調べるコツ』」より。これらの質問の「回答」そのものは本書にないが、そこへ至るためのアプローチと、「回答」が書いてある本が紹介されている。まさに「本の本」。

  • ライオンの口から水やお湯が出ているが、その由来は?
  • 関羽や張飛は、どんな料理を食べていたのか?
  • ピラミッドに「最近の若い者は…」と書いてある?
  • 日本のトイレットペーパーの幅は、どうやって決められたのか?
  • 夕焼けはなぜ赤いのか、「小学校3年生」に分るように説明したい
  • 魚の尾は縦についているのに、なぜイルカの尾は横についているのか?
  • ミロのヴィーナスの復元図が見たい
  • 「萌え」という表現は、いつから使われるようになったのか

■調査の展開のための6つの発想

 図書館向けの専門誌「現代の図書館」(日本図書館協会)の2003.9月号で、調査の展開の発想法として6つの方向性が示されている。


  1. 絞る:より具体的なキーワードで調べる。大きなトピックスから調査範囲を絞り込む
  2. 広げる:いったん広い概念の言葉で調べなおす。より抽象的な言葉でレファレンスブックをあたる
  3. 射抜く:OPACやネットを用いて、直接キーワードで抜き出す。探索ではなく「検索」でダイレクトにヒットさせる
  4. たどる:書架のブラウジングや連想ワード(前出のWebcat)から手がかりをたどる。巻末の参考文献の資料からたどる手もあり
  5. 視点の変更:日本史ではなく美術史を調べるように、アプローチを変更する。
  6. 媒体の変更:本→ネット、あるいはその逆。文字情報ではなく、映像アーカイブをあたる。別の図書館に行ってみる(公共図書館、専門図書館、文書館)

 視点を切り替えることで行き詰まりを打開し、同時に複数の視点から網羅的に「問題」へあたり、これらのフィードバックを繰り返す。「調べたい何か」を調べるのではなく、「何を探すべきか」という問題設定まで立ち戻る。調査の基本として覚えておきたい。

 この段階になってくると、まさに「本が本を呼ぶ」状態となってくるだろう。(ネットも含む)書店や古本屋を利用することもあるだろうが、ここまでくると書き込み本として必要なのは手元にあり、あとは膨大なコピー+目録の山だろうね。

 それほどの「調べもの」に取り憑かれていない今が、しあわせなのかも。「知の現場」はディスプレイの「あちら側」ではなく、図書館にある── まだ、今のところ。


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ローマ人の物語VII「悪名高き皇帝たち」の読みどころ

 「ローマ人の物語の読みどころ」シリーズ。

 皇帝ネロ編(文庫の20巻)が頭ひとつぬき出て面白い。「ローマ=世界」が平和になり、戦争が象徴化されつつある分、権謀術数がはびこる時代。階層社会、少子化対策、ポピュリズムといったキーワードは、現代にあてはめると愉しい(著者自身もそのフシあり)。

 皇帝たちの悪行列伝も、現代の尺度からみると微笑ましく思えてくる。既にキリスト圏からメッタ斬りにされているにもかかわらず、塩野氏の筆は容赦しない。時代はズレるが秦始皇や董卓と比べると、『暴君』と評される皇帝タンがかわいそうに見えてくる。

カプリでのティベリウスの"悪業"の第二には、淫猥な性行為を発明し、実際にさせたこと。各地から集めた少年少女たちを、少年と少女のチーム別にワケ、それにこの道の達人を一ずつ付け、この三人にティベリウスの見ている前で性行為を実演させるのである。チーム別に分けたのは、各チームはそれぞれ体位のちがう性行為を行うことが課されていたからだった

 酒池肉林こそ漢(おとこ)の夢、なんて言ったら刺されそうだな。これらはいわゆる伝説のたぐいとして紹介されているが、淫行の事実よりもむしろ、どうしてそんな記述がなされたのか? の方が気になる。事実でないと強弁するなら、どうしてそんなことが書かれたのかを、独自の妄想力で描いて欲しかった。「クォ・ヴァディス」や「サティリコン」が未読なので自分でやってみよう。

 折り返しまで読んできて注目すべきは、「なぜローマが?」に答えようとしているところ。覚えているだろうか? この長い長い物語をはじめるにあたって、読者に投げかける質問という形をした、本書のテーマを。

   知力ではギリシア人に劣り、
   体力ではケルト(ガリア)やゲルマンの人々に劣り、
   技術力では、エトルリア人に劣り、
   経済力では、カルタゴ人に劣るのが、

 自分たちローマ人であると、ローマ人自らが認めていた。
 それなのに、なぜローマ人だけが、あれほどの大を成すことができたのか

 一大文明を築きあげ、それを長期にわたって維持することができたのか。どの世界史の教科書にもある、軍事力の一点のみに因るのか。そして、そんな彼らさえも例外にはなりえなかった衰亡も、これまたよく言われるように、覇者の陥りがちな驕りによったのであろうか?

 この自問に、「皇帝の血の付加価値」という興味深い視点から自答している。ネロを弑した後の話――

しかし、アウグストゥスの「血」とは訣別したローマ人も、アウグストゥスの創設した帝政とは訣別しなかったのである。カエサルが青写真を描き、アウグストゥスが構築し、ティベリウスが磐石にし、クラディウスが手直しをほどこした帝政は、心情的には共和政主義者であったタキトゥスですら、帝国の現状に適応した政体、とせざるをえなかったほどに機能していたからだ。ローマ人はイデオロギーの民ではなかった。現実と闘う意味においての、リアリストの集団であった

 政治とは技術(アルテ)であり、アウグストゥスが創設した帝政は、デリケートなフィクションであると。一人に統治権が集中する君主政は、独裁化しがち。ところがローマ帝政では、史上例の無い「チェック機能付きの君主制」だという(文庫20巻p.219)。

 「デリケートな基盤の上の不明瞭な権力構造」とうたっているワリには、「その後の帝国統治の機能の見事さが証明している。一人や二人の皇帝の失政にも、帝国はびくともしなかったのだ」と続く。このシステムは微妙のか強固なのかよく分からん←これが「ローマ人の物語」後半に効いてくるのかもしれん。

 つまりローマ人は徹底的なプラグマティストであったからこそ、「デリケートな帝政というシステム」を時代や環境に応じて最適な形で運用できたのだろう…とラストで結ぶのかね。すでに完結している「ローマ人の物語」のラストを想像しながら読むのは面白し。

 読んでてもの足りなさを感じたのが、キリスト教との関わり。このテーマで、それこそ山のように本が書かれたし、これからも書かれるだろう。ところが本書(18~20巻)ではイマイチ。ネロの迫害ネタなんて、格好の的なんだが、喰いが悪い。「キリスト圏というバイアスから逃れてローマを論じる」と啖呵切ってる[参照]ワリには、舌鋒が弱め。キリスト教とローマとの関係は、「キリストの勝利 ローマ人の物語XIV」で1巻まるごと使っているみたいだから、楽しみだ。どこまで切り込んでくれるか、あるいは、他の史料をクサして濁すか、舌なめずりして読み進める。

ローマ人の物語17ローマ人の物語18ローマ人の物語19ローマ人の物語20

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「読書の腕前」の上げ方

読書の腕前 同感<->反感の振幅が激しい読書論。言ってることには激しく同意だが、やってることはかつてわたしの通過したところ。

 たとえば、「本は積んで破って読め」や「読書の腕前」の上げ方、あるいは「ベストセラーは十年後に読め」は大賛成。読書は量だというわたしの信条とも一致する[参照]。その一方で、人のオススメを顧みない唯我独尊な選書や、なんでも「円」で計りたがるせどらーちっくな態度は、たまらなく厭だ。

 ―― とはいえ、さすが本職の書評家、良い本をたくさん読んでいる。book of book として「これから読む本」を拾ってモトは取る。さらに、書評をメシの種にすることの大変さが窺い知れて、好きでやってる自分の幸せを噛みしめる。


 著者は岡崎武志氏、朝日の読書欄「ベストセラー快読」の執筆子といえばピンとくるだろうか? 巷のベストセラーを名うての本読みに評させる試みで、「なぜベストセラーなのか」の分析が辛口。

 「ベストセラー」には、売れているだけの本という揶揄が込められいる。そりゃそうだ、ふだん本なんか読まない人が買うから「ベストセラー」になるんだし。著者はそんな人は「本を買う」んじゃなくって、本という形の「話題」を買ってるんだって。ナルホド。これ以外にも、納得したりヒザ叩いて同意しまくること幾度。

  • 「ツン読」も立派な読書。現物が部屋にあることで、少しづつ読まれているもの。読書の腕前を上げるために「ツン読」は不可避
  • 本は万人に開かれた同一のテキストであるにもかかわらず、いざ読む段になると、きわめて個人的な体験となる
  • 読み手を本の世界の波長に合わせるチューニングで、上手い下手は一種の技術だ
  • 本読みには、本の本、いわゆる読書論や書評集が沢山あつまってくる。本それ自体よりも面白く、本が本を呼ぶ状態となる。これは読書の永久運動だ
  • 「詩」は別腹 (←激しく同意!)

 しかし、他人のオススメを「大きなお世話」だと背を向けるのはいただけない。そこまで同感を積み重ねてきた分、とても残念だ。「だって自分が見つけた本で手一杯だもん」と耳をふさぎ、目を閉じる。さらに、図書館の存在をきれいに無視しているのは酷いな。引用元の本を通じて間接的にしか言及しないのは、悪意すら感じる。

 これは、わたしがかつて固執していた読書スタイル。その変遷は[ここ]を見ていただくと分る。この著者の場合、なまじ沢山読んできただけあって、その殻を破るのは不可能かもしれない。

 今のわたしは、ネットを通じて「自分が好きな本」を発信し、「その本を好む誰かがオススメする本」を受信し、反響をフィードバックする。そうすることでストライクゾーンを広げ深めていく。自分の好みを知ったうえで、さらに「これなんてどう?」とオススメする誰かを大切にする。要するに、本を探すのではなく、人を探すんだ。また、広範囲の本を次から次へと食いまくり、一方で味読し、本は常にフローの状態を保つために、図書館と積ン読クを併用する。書店だけで本の全てと思考停止していた昔が懐かしい。

 ネットに限らず、この方法を知らないと、選ぶジャンルは、だんだんと限定的&先鋭的になってくる。もちろん、知の分野は広くて深いので、気分の赴くままつまみ食いしてるだけで一生なんてすぐ終わってしまう。しかし、ホントに面白い本は「名前だけ知ってて」読まないまま通り過ぎてゆく。

 おそらく、著者はSFを読まないだろう。博識な方なので、あるいはスタージョンの法則の前半を持ち出してくるかもしれない――スタージョンが後半に言った箇所を知らないまま。

 前半  「SFの90%はクズである──ただし、あらゆるものの90%はクズである…」
 後半  「…だけど僕はそのクズを愛しているんだ」

 あるいは、この著者は、ダグラス・ホフスタッターのGEBや、ドーキンスといった『理系モノ』は、手を出さないだろう。科学は、現代の宗教だとかいって… せっかくわたしと同じ志を持っているのに、「違う世界を読む愉しみ」を知らないなんて、ああもったいない。同じ理由で、著者にラノベや劇薬モノの毒書案内をしたいね。

 さらに、この人、マンガは一切読まないだろな。「本を読むのが忙しすぎて、マンガなんか読んでられない」なんて断言しそう。「『忙しくて本を読んでられない』というのは、言い訳に過ぎない」と非難した自らの言は置いといて。

 共感するいっぽうで、反感もキツい。良い本を読んでいるなー、と感心した分だけ、「それを読むならコレを読め」などと強引に読ませたくなる―― そんな思いを抱かせるのは、著者の徳なのだろうか。教わるところもある一方で、昔の自分を見ているようでもどかしい… あ、でもプロの人なら仕方がないか。


 自分メモ。「読書の腕前」を上げる本の本と、蔵出しの本
  • 「ポケットの本 机の本」(丸谷才一編,新潮社)
  • 「紙つぶて」(谷沢永一,文芸春秋) ←再再読
  • 「山のパンセ」(串田孫一,集英社)

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ラブシーンの言葉

ラブシーンの言葉 ため息が出る性愛譚集。小説、詩歌、エッセイ、雑誌の連載からエロチックな描写をこれでもかとばかり集めている。男女の愛の営みをおおらかなまなざしで(ナマあたたかい目で?)評しており、この寸評が面白い… てか笑うと同時に思わずふりかえる。

 なんと全部で208編の底本から採っている(読みながら数えた。煩悩+100!)。79歳のおばあちゃんから、17の牧歌少女まで、生々しい体位もシチュもキャラクターも、燃えも萌えも恥じらいも狂騒も、なんでもござれのエクストラヴァガンツァっ!著者の荒川洋治氏には、「エロス☆ウォッチャー」の称号を謹呈。

 著者自身の経験に裏打ちされた(?)コメントがオモロい。例えば、開脚した「花」をポラロイドで撮影するさまを謳った詩を、こう評する。

花が「女性」である場合、こういう写真を撮らせてくれる若い女性はいない。が、若くないと、撮る人がいなくなるものである。

 なお、この手の写真は、しろうとが写すと、かんじんのパートがぼけてしまう。ピントを合わせるのがむずかしい。特にうつらなくもよい、アゴとか、アンヨとかが、えらくリアルにうつっていて、がっかりしたりする。

 「撮ったんかい!」と、お約束でツッコミ入れる。

 あるいは、読んでておおおっとヒザ打つことしばしば。例えば、まじわったあとの女性の「日常性の回復」の段取りとして、花村萬月の「ゲルマニウムの夜」を挙げている。

やがて、女が目覚め、身悶えするように離れ、はずし、僕の健在ぶりに媚びの詰まった眼差しをむけ、驚いたことに躯を斜めにして僕の腰を抱き、口唇を用いて僕の触角を清め、暗がりに躯をねじこむようにして意図的に隠蔽してなにやら自らの局部の後始末をし、手早く下着を身につけ、乱れたブラウスの裾をタイトスカートのなかにあせった手つきで挿しいれ、秘密めいた眼差しをむけてきた(「ゲルマニウムの夜」花村萬月)

 ポイントは後始末するオンナの、目にもとまらぬはやわざ。描写の文字数と句読点が…などと語りだすと無粋だが、本書はそんな解説をせず、さらりと交わす―― しかしわたしは次へイかせず、「おお、そういや萬月では『触角』っていうんだよなー」とか「横笛で吹いた拭いたんだな(←妄想)」とか、モヤモヤと思い出し、再読したくなる仕掛けにハマる。

 さらに、やっぱり見たいものは見たいモノで、クリトリスのクリアな実物写真がp.59に載っているという講談社ブルーバックス「男が知りたい女のからだ」もマナ板に乗ってくる。女医・河野さんの説明にイチイチ返答する荒川氏がカワイイ。

さて、「いちばん女性が喜ぶにはどうすればいいのか、それを知りたい男性は多いでしょう」。はい。「でも女性の反応もさまざま、非常に個人差がありますから、こうしたらいい、ああしたらいいと適切なアドバイスは困難です。ゆっくりパートナーの反応を見ながら研究してみてください」。

こういうことになると、どの本も「個人差がありますから」と、包皮につつむものらしい。

 もちろん笑いもある。艶笑というか、エロにはおかしみがつきものだもの。村上春樹の「ちりんちりん」の話はのたうちまわって笑わせてもらった。若いカポーがハイキング、なんせ北海道なので熊よけの鈴をちりんちりんとさせて山の中へ。ところが彼が、急にあれをしたいと言い出したのでさあたいへん。あれがしたいわ、熊が怖いわで、交代でちりんちりんとさせる件が激しく面白い。紹介が上手いので、つい手を出したくなってくる。

 あと、プルーストもでてくるけれど、ブンガクブンガクしてないよ。鬼六やウノコウはきっちりとおさえてマス。ただし、妙に爽やかな部分を解説しているので、ついホントはもっとドロドロンなのに… と言いたくなる。

 いわゆる暗黙知も得られるのも、イイ。女のパンティをスムーズに脱がせる方法は、「お尻のほうから、剥くように」とか、あるいはフェラチオでイかせる際のTips「射精のあいだ、亀頭を刺激することも絶対にやめるべき」「たしかに射精のおり、食いつかれると、痛い。適当に離れて、事態を見守ってほしいもの」など、オトコでもオンナでも役に立つかも? まぁ、知ってる人にはドってことないんだけど、ね。

 こまかい描写・(時には)スルドイ寸評を次々と見ていくうちに、自分の場合そんなトコまで覚えちゃいねぇことに気づく。意外なことに、このトシになっても無我夢中で見てない。視聴覚よりもむしろ、味覚・嗅覚・触覚のほうが鮮明だったりする── まだまだなのかね。

 それとも、性愛とはそういうものなのか。

女性を裸にしたあと、性行為に移るまでは一瞬のできごとと思えるし、実際にそうなのだが、女性器に対する男性の観察時間はこのように長い。「ねえ…早く…」といわれるまで、かなり時間をかけて、男は局部の観察にいそしむ。どうしてこのような「描写」が必要なのか、それは女性にとって少しわかりづらいかもしれない。好きな女性の体にありついたとき、男はヴァギナに停泊する。ヴァギナとその周辺を何度も何度もさわったり、なめたり、ひろげたり、つまんだりして観察する。それは喜びと興奮のあまり、接触の瞬間から、女性器の記憶がうすれはじめるからだ。

だがそれは制御できない興奮のさなかのことなので、ほんのしばらくで忘れてしまうものである。しばらくすると色も形状も発毛のぐあいも、そのときの彼女の顔も、デテールの一切は記憶からぬけてしまう。あんなに時間をかけて見たつもりなのに、思い出せない。夢みたいに消える。

 一期は夢よ、狂うべし。

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幻の名著「キミにもできるスーパーエリートの受験術」を読む

 幻の受験本「キミにもできるスーパーエリートの受験術」を読んだ。amazonでは常に品切れ、ときどきYahooオークションで出品されるものの、目のタマが飛び出るような価格がついている(確認した限りでは6万円 !! もちろんそんな金なんて出せるはずもない。わたしが入手した方法は末尾で明かす)。

 結論から言うと、たしかにスゴい本だ。これを知っているのと知らないのとでは、大きく違うかも。大学受験をターゲットとしており、日本で受けるあらゆる「試験」に効くだろう。タイトルがアレだけれども、「エリート」向けではないなぁ… むしろフツーの学生さんがうっかり手にすると「賢者の書」あるいは「魔道の書」になりかねない。1994年に出ているが、長い間幻の名著とされていたのも頷ける。

 ―― ただし、「ドラゴン桜」まで。そのものじゃねーか、と何度ツッコんだことか。てっきり、「ドラゴン桜」の種本は「『親力』で決まる ! 」だとばかり思っていた。ところが、「スーパーエリート」こそがベースで、「ドラゴン」はこいつの水割り(マンガだからマンガ割りか)に過ぎない。

 急いで追記しなきゃならないのは、「ドラゴン」がダメというわけではない。妙な髪型やヘンなパースは置いといて、「受験」をテーマに、そのノウハウを分かりやすく紹介した功績は大きい。さらに、受験生に限定せずその親まで巻き込んで大売れしたのは、マーケティングにおける勝利の方程式そのものだろう。しかし、18巻にもなって未だ終わらないボリュームを考えるとちょっとキツい(モーニング連載では2003年から始まって、ようやっとセンター試験終了)。

 本書はそのエッセンスだと思ってもらってよい。こいつを一気に呑んで(5回読めといっている)、100時間かけて生活習慣を変えろという。著者の受験に対する態度は、次で明確に表されている。

試験は、ゲームだ、クイズだ、ファミコンだ

 受験勉強というのは、実際は「しんけいすいじゃく」モドキの記憶ゲームでしかなく、合格したからといっても人間的価値とは何の関係もありません。入試問題は、べつに神様がつくっているわけではなく、いい加減に作られているのもたくさんあります。出題者がイを正解にしている解答欄に、イと書けるかどうかだけが問題なのです。(中略)長くても二時間半程度の試験では、覚えているものを要領よくアウトプットできるかどうかの能力がはかられるだけです。

 個人個人で学ぶべきものは、自分に合わせて選んでやればいいのであって、文部省などが決めた科目は教養としての知識と割り切りましょう。

 目次も引用する。これまでの「ドラゴン桜」を読んできた人なら、その見出しの中に何が書いてあるか類推できるだろう(←そして、そいつはアタリだ)。

 要するに、「受験は要領」をトコトンまで具体化している。後は実践するだけというお手軽さ… こういうのは、自分で試行錯誤して身につけるべきもので、人から教わるなんて── なんて言いたくなるわたしは、もう「古い」のかもしれない。本書は、特急券そのものだな

 第一部 これが、合格術

  第1章 合格する学習術
  第2章 合格する能力開発
  第3章 合格する成功心理学
  第4章 合格する生活法

 第二部 合格術実践編

  第5章 大学受験の合格術
  第6章 公務員・教員採用・就職試験の合格術
  第7章 資格試験の合格術

 第三部 合格術が学べる本


 高校生には福音となるかもしれないけれど、今や全入の時代。そんなに上を目指さなくても…とは思うのだが。どうしてもという方は、以下の方法で情報を得ることができる。

 オークションで何万円と払う必要はない。以下のやり方なら、計5,000円程度で入手できる。

 日本の図書館で、本書を所蔵しているのは、以下の2つ。

  • 上越教育大学 附属図書館
  • 国立国会図書館

 あなたが新潟県上越市に住んでいるなら、そこで借りるべし。そうでないなら、国会図書館を利用すべし(国会議事堂の隣だ、分りやすいぞ)。

 ん? 「永田町までどんだけかかると思ってるんだ! オレは都民じゃねぇ! 」だって? もちろん承知の上で、「複写サービス」[参照]をご存知ないだろうか。

 「複写サービス」とは、著作権法に基づき、著作権者の利益を害さない範囲でコピーを送ってもらえるサービスなり。この「害さない範囲」がポイントで、「半分まで」が原則となっている。

  1. 「複写サービス」を申し込むためには、国会図書館のアカウントが必要だ。難しくもないし、年会費がかかるわけでもない。まずは[ここ]にアクセスして、申込用紙を郵送すればOK
  2. 1週間ほどでカードが送られてくる。近所の図書館でもらえるしっかりとシーリングされたものでなく頼りないが、この「番号」が重要なんだ
  3. NDL-OPAC[参照]から目的の本を検索しよう。NDL-OPACとは「国立国会図書館 蔵書検索・申込システム」のことで、ものすごく堅牢&最速&膨大なシステムなり。検索の際、自分アカウント番号とパスワードを一緒に入れることを忘れずに(面白いことに、このシステムはログイン/ログアウトという概念が実装されてない)
  4. 目当ての本が見つかったら、複写申込をすればOK("半分"で2,500円程度)

 ん? 目当ての「半分」までしか得られないって? 困るなぁ、ルールを守らなきゃ… てか、ここまで読んだなら… 後はご自分でご判断をどうぞ。あと、アカウント作成に18歳以上という年齢制限がついてくるのでご注意。

 健闘を祈る。

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「幼年期の終わり」で泣いた週末

幼年期の終わり 3回びっくりして、1回泣いた。SFで泣いちゃうなんてめずらしーなー、"アルジャーノン"以来だろうか…

 しかも、「アルジャーノンに花束を」にある哀愁だの同情といった誰かとシンクロした感情ではない。そういった感傷を超越して、自分ではどうしようもない、取り返しのつかないものを眺めている―― そんな気分を味わう週末。

 「ブラッド・ミュージック」すげぇ、と唸ってたら、誠天調書の中の人が、セカイ系SFの傑作「幼年期の終わり」→「ブラッド・ミュージック」の順に読めという[参照]。でもって、読んでわかった、多くの人がSFオールタイムベストに挙げる理由が。そして、本作の影響を受けた作品がたっぷりとあることも。

 amazonレビューはこんなカンジ…

二十世紀後半、地球大国間の愚劣きわまる宇宙開発競争のさなか、突如として未知の大宇宙船団が地球に降下してきた。彼らは他の太陽系からきた超人で、地球人とは比較にならぬほどの高度の知能と能力を備えた全能者であった。彼らは地球を全面的に管理し、ここに理想社会が出現した。しかしこの全能者の真意は……? SF史上不朽の名作

 スゴいSFなだけでなく、優れたミステリとしても楽しめる。読み進めながらも、「なんでそんな設定なの?」と立ち止まるときがある。―― 「全能者」の姿が、なぜ○○なのか? 、なぜ地球にやってきたのか? そして、"childhood's end"(幼年期の終わり)が意味するところは…? ―― 展開の先読みをしつつ、その乖離を愉しむというイジワルな読み方をしているが、これらの謎あかしの瞬間は、ホントにびっくりさせられた。

 SFだから何でもアリと思いきや、「そうキたかー!!」とか「な・る・ほ・ど・ッ」と呻く。「2001年宇宙の旅」あるいは「2010」のデビット・ボウマンの台詞"Something Wonderful"がシンクロする――

「どういう義務かと定義するのはなかなか困難だが、いわば難産の手助けをする助産婦、とでも考えていただこうか。なにか、新しくてすばらしいものをこの世に送り出す手助けをしているわけだ」

 上のくだりを読むとき、ボウマン船長の声でハッキリと聞こえた。同時に、

「世界はあいかわらず美しい。いつかお別れしなければならぬ世界だが、別に急ぐ必要もないのではないか?」

 でグッとこみ上げてくるものがあり、ラストの「実況放送」でポロポロと涙がこぼれてくる。わたしは、悲しいのだろうか? それとも、喜ばしいのだろうか? 登場人物の心情にシンクロするのではなく、彼が見ている世界そのものと一体化して嗚咽する―― なるほどセカイ系SFの大傑作ナリ

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