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「ベルガリアード物語」はドラクエとFFを足して2倍した面白さ

 これはすごい。ファンタジーの王道まっしぐら、読みながら雄叫びを上げたくなる面白さ。なおかつ端々に記憶の奥底に残る物語を垣間見て、初読なのに懐かしい思いをする。

 傑作は姿を変えて他の物語に潜む。読み手の読書歴により異なるが、本書を通じ様々な物語を思い出すに違いない。

 どんなに誉めても足りないので、どうのようにこの5巻をたいらげたかを書く。


  1. 【予言の守護者】物語に入り込むのにちょい手間取る。歴史や風俗を丹念に描いてあり、異国の風物詩のように楽しむ。後に全部が伏線という仕掛けに気づく。つゆ知らず壮大な「自分探しの旅」なんだなーと次へ
  2. 【蛇神の女王】物語にのめりこむ。意外性を追求していないところ(王道)に安心する。表紙の娘に萌えてみる。おおかたツンデレだろうと予想し、当たりはしたが、後巻で「そこまでツンデレだったんかッ」と絶叫するハメに
  3. 【竜神の高僧】このへんから徹夜。すさまじく面白い。昔ハマったRPGやらマンガやら映画やら次々と思い出す。Wizardry からJOJOまで。スターウォーズからロード・オブ・ザ・リングまで。傑作は姿を変えて他の物語に潜む。もうトシなので徹夜の翌日に多大な影響を及ぼす。
  4. 【魔術師の城塞】面白さ最高潮。謎が、伏線が極点へ集中する。やめられない止まらない。あのBGM([参照]音が出ます)が頭の中で響く。ある重要な場面では「うおッマスターソードォッ」と吼える…電車で。やっぱり王道ファンタジーである指輪物語を思い出し、ハァハァしながら嫁さんに告げると「何を今さら」と微苦笑される
  5. 【勝負の終わり】┣¨┣¨┣¨という効果音で読み進む。500頁イッキ読み。ページを繰る手がもどかしいのに、残り少なくなるページを惜しみながら読む矛盾。終わらないでと呪文のように祈りつつ… 嫁さんが「続きを借りてきたよッ『マロリオン物語』だって」… 目を真っ赤にしながら「続きがあるんかッ」とこときれる

嫁に言わせると、読む順番があるらしい。

 ベルガリアード物語(全5巻) ←いまここ!
       ↓
 マロリオン物語(全10巻)
       ↓
 魔術師ベルガラス(全3巻)
       ↓
 魔術師ポルガラ(全3巻)

 スゴ本かつ徹夜小説シリーズ。無類の面白さは保証する。イッキ読みすると命にかかわる。くれぐれもご注意を。




ベルガリアード物語1ベルガリアード物語2ベルガリアード物語3
ベルガリアード物語4ベルガリアード物語5

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企画「徹夜小説を探せ!」のリストを更新

■これから読む徹夜小説

  告白(町田康)
  永遠の仔(天童荒太)
  第六大陸(小川 一水)
  ガダラの豚(中島らも)
  傭兵ピエール(佐藤賢一)
  ゼウスガーデン衰亡史(小林恭二)

  魔術師(J.ファウルズ)
  大聖堂(ケン・フォレット)
  北壁の死闘(ボブ・ラングレー)
  イヤー・オブ・ミート(ルース.L.オゼキ)
  スワン・ソング(ロバート.R.マキャモン)
  シャドウ・ダイバー(ロバート・カーソン)
  カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー)米川正夫訳 /岩波文庫版

  海辺のカフカ(村上春樹) (春樹本では格下らしいので除外)

■徹夜を覚悟→徹夜した小説

  火車(宮部みゆき)
  半落ち(横山秀夫)
  ダ・ヴィンチ・コード(ダン・ブラウン)
  摩天楼の身代金(リチャード・ジェサップ)
  悪童日記(アゴタ・クリストフ)(「ふたりの証拠」「第三の嘘」と一緒に!)
  ベルガリアード物語(デイヴィッド・エディングス)(全5巻)

半落ち火車悪童日記
ダ・ヴィンチ・コードベルガリアード物語1

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ゲームで子育て

 ある教授に言わせると、脳がどうかなるらしいが、まずわたしの脳が汚染されているはず。ガキの頃からゲーム漬け。昔は BLACK ONIX のチートから、最近では巨像十六体連続撃破まで。うん、確かに三十路で萌えとかいってるし、きっと脳がアレなんだ(w

 筋も金も入っているつもりだが、最近ではわが子の育成シミュレーションゲームの方に全精力を傾けている。大変だけど面白いね。自分自身がコントローラーで、その成長ぶりは親の「因」→子の「果」としてハッキリと顕れる。

 「親の行動(原因) → 子どもの成長(結果)」は隠しようがない。「子どもは親のいうとおりにならないが、親のマネだけは天才的に上手い」に従えば、「ウチの子がおかしい」と訴える親は、オマエがおかしいからじゃぁ!というツッコミに耐えねばならない。

 テレビとゲームは通過儀礼。逃げようたってそうはいかない。

 この単純な事実に目を背けようと躍起になるのは勝手だが、ムリするとずいぶん歪んだ親をすることになる。歪むのは親であって子ではないところがポイント。歪んだ親の結果が子に押し付けられるのが因果。

 テレビもゲームも「コントロール」することが大事。良い機会じゃないか。優先度・重要度を考えて、観る/遊ぶ対象を選ぶ。で、自分で区切った時間の中で楽しむ。携帯ゲームでも持たせっぱなしにしない。必ず居間で親と一緒にプレイさせる…など、「ゲームは1日1時間」だけでなく、セルフコントロールのためのルールを守らせる。

 ここでしっかり訓練しておかないと、「24時間耐久桃鉄」とか「死者の宮殿一気通貫」といった命にかかわる遊び方をするようになるぞ。

 子育てに向いたゲーム、向いてないゲーム。

 子育て向きとして、太鼓の達人DDRといった音ゲーを推す人がいるが、やりたいやつをやらせりゃいいんじゃないかと。ただ、あまりに反社会的だと思われるやつは敬遠しよう(GTAはやっぱりアレだし)。この判断もトーチャンカーチャンで決めればよいかと。

 ちなみにウチはウルトラマンをやっているが、COM相手に負けてばかりで悔しがっている。

 何のためにゲームをするのか?

 COMに負ける→悔しい→リトライをくり返すうちに、だんだん勝てるようになってくる。「どうすれば勝てるか?」を考えながら動かすと、もっと勝てるようになる。こうなってくると面白い。

 ゲームとはつまりパターン化。勝つパターンを見つける作業を「ゲームをする」という。作り手が準備した世界で、対戦相手に勝つパターンやシナリオを進めるパターンを探し出すためのトライ&エラーが「ゲームをする」ということ。

 ゲームが好きな人はこのパターン認識がものすごく上手い。抽象化された世界で、できるだけ少ない労力でパターン認識をすばやく行う。ゲームを通じてわが子に身につけてほしいのは、このスキルだ。結果のために自己をコントロールする能力。因果律とは原「因」をコントロール(律)することで望む結「果」を得ること。

 というのも、学校の試験であれスポーツであれ、リアルでの試練の大部分は、このパターン化でクリアすることができるから。勝つためのルール・法則は、まちがいなくある。人よりも短時間でそいつを見抜き→自分のモノにすることで、望む結果を得ることができる。もちろん努力や根性を要するものもあるが、ルールを支配するものが勝つ、という「ルール」(rule of rule)を学ぶことができる。いそいで補足しなければならないのは、「勝て」の一本やりではないこと。する・しないはひとまず措いて、勝ち方を理解しろ、というわけ。

 「何のためにゲームをするのか?」…この質問をせずにゲームさせている親が圧倒的かと。むろん質問の相手は「親自身」なり。子の言う「面白いから」「はやってるから」を鵜呑みにせず、自分で考えてみるといいかもしれない。

 なぜゲームが「パターン認識」に適しているのか?

 それは、クリアできるようにできているから。フクザツな世の中とは違い、ゲームの世界は抽象化されている。ハマれる程度には複雑に、楽しめる程度までは因果律が明確になっている。リアルでいきなり実践もよいが、まあ待て、ゲームという格好のシミュレーターがあるではないか。

 リアルとゲームが異なることぐらい、言われなくとも分かっている。また、ゲームならいくらでも繰り返しができることぐらい、言うまでもない。さらに、ゲームでは、望む結果が得られない場合は、自分が原因であることも常識だよね。

 たとえばシューターに訊いてみると良い「グラディウスをクリアするには?」。すぐさま返してくれるだろう→「弾を避けよ、弾を当てよ」と。で、避けるのも当てるのも「気合で」と。

 どんなゲームであれ、行き詰まったとき、プレイヤーは最初に「自分自身」を疑う。自分が望む結果が得られなかったからといって、周りを責めたりしない。弾誘導か、索敵の方角か、ガードキャンセルが失敗したのか、自分のプレイを振り返って、「勝つパターン」との差を見直す。自分と、コントローラーと、ディスプレイしかないぐらい単純化された世界だから、ふたたび因果律を見出すことは比較的カンタンだ。

 一方、リアルではさまざまな雑音、というか変数が多すぎて、因果律を見出すことはかなり困難。しかし、因果律は確かに存在し、より短時間で見つけたものが望む結果を得ることも事実だ。この事実を信じて、因果律を見つけ出すトレーニングをするのに、ゲームは素晴らしい教材だと思う。「ときメモ」やりこんでもモテることと何の関係もないが、モテるためにはそれなりの努力が必要であることを思い知ることができる。

 もちろん例外もある。

 それはネトゲ。これだけはやらせない。リアルシミュレーターの最たるもので、上で述べてきた目的に合致するが、これは「終われないゲーム」だから。暴力や性描写よりも、ネトゲの「性質」の方が悪影響を及ぼすと思う。

 何をしてもいいし、何もしなくてもいい。ゲームの世界でのんべんだらりとできてしまう。「何もしない」をゲームでできてしまう。あるいは、ゲームしながら「ヒマだなー」と呟くことになる。廃ゲーは分別がついてから。

 むしろ問題なのは、テレビやゲームに「お守り」をさせていること。

 子どもと向き合うことを放棄した親(?)が存在すること。そうした行動を棚に上げて、ゲーム狩りに勤しむ親がいる。自分の子が望まない結果(問題行動)になったとき、誰かを責めることで自分の責任が免れるとでも思っているのだろうか(思っているに違いない)。

 しかし、明治なら「小説」、昭和なら「映画」、今の親初心者が子どもの頃なら「テレビ」がそれに相当してたことを思い出してほしい。

 いつの時代だって、子どもより自分の都合を最優先させる「親」が存在したことは事実。そして、そうした子どもの相手をするメディアが何であれ、「親自身」よりも劣っていることも事実←これに気づけば、メディアを糾弾することに労力を使うよりも、子どもと話す時間を増やすほうがより効果的だと理解できる(はず)。
プリンセスメーカー

 因果律からすると、まず自らの行動を変えるべき。「親の行動(原因) → 子どもの成長(結果)」であって、逆はありえない。お題の「ゲームで子育て」ができる、「プリンセスメーカー」から学んでみては? と揶揄ともマジともとれる呟きで締めるとしよう。

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