« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »

「アート・オブ・プロジェクトマネジメント」読書感想文(その1)

アート・オブ・プロジェクトマネジメント 最近、マネジメント系の仕事ばかり振られるようになったので、予習のつもりで一読 したが、これはスゴい。読んでる途中から振り返り読みを繰り返し、再読も再々読もしなければならないことに気づいた。本書で紹介されるアート(技芸)は、How to モノと大きく異なり、根っこから考え→実践に適用し→フィードバックが必要なものばかり。

 あ、最初に結論を述べておくと、これは今年のNo.1スゴ本なり。ふり返ると「No.1スゴ本」の称号をいくつかの書籍につけてきたが、本書は間違いなくNo.1だと言い切れる。読み手の経験に応じ、必ず得るものがある。概要はamazon紹介文をどうぞ(太字はわたし)。

 「ものごとを成し遂げるためには何を行う(あるいは行わない)べきか」という実用的な視点からプロジェクトを捉えて、ものごとを成し遂げるための考え方やヒントを、スケジュール、ビジョン、要求定義、仕様書、意思決定、コミュニケーション、トラブル対策、リーダーシップ、政治力学といったさまざまな角度から考察しています。マイクロソフトで多くの巨大プロジェクトを成功へと導いてきた著者の豊富な経験とノウハウが凝縮された1冊として、マネージャやチームリーダーだけでなく、プログラマ、テスターなど、プロジェクトに関与するすべての人にお勧めです

 うーん… プログラマやテスターといった、いち"役割"での人よりもむしろ、その間のノリシロとして働く人── チームリーダーやプロジェクトマネージャ向けだと思う。マイクロソフト社内では、プログラムマネージャと呼ばれている、リーダーシップ役+調整役を行う人のための本だろう。言い換えると、以下の仕事をする人にとって、必ず役に立つ本となるだろう。


  • 仕様書の記述
  • マーケティング企画のレビュー
  • プロジェクトスケジュールの立案
  • チームの指揮
  • 戦略の立案
  • バグ/欠陥の優先順位付け
  • 士気の鼓舞
  • 誰かが(ちゃんと)作業できていない場合のフォロー

 本書は16章で構成されており、それぞれの章は、ミッション駆動型でまとめられている。つまり、プロジェクトの企画立案→計画→設計→実装→テスト→リリースといったライフサイクルに沿った構成となっていない。1章がPMの定義、2~6章が計画フェーズ、7章が設計フェーズ、14章が実装フェース、15章がテスト~リリースとなっている。計画フェーズにこれでもかと注力して書いているにはちゃんと理由がある。ここで交わされた会話、メール、ミーティング、ドキュメントは、プロジェクト全体を通じて利いてくるからだ。

 特に、


  • 8章:優れた意思決定の行い方
  • 9章:コミュニケーションと人間関係
  • 10章:メンバーの邪魔をしない方法
  • 11章:問題発生時に行うこと
  • 13章:ものごとを成し遂げる方法

 は初読なのに繰り返し読んだ。8~10章はプロジェクトライフサイクル全般を通じて必要となるだろうし、いまあなたが何らかのトラブルに見舞われているのなら、11章と13章から読めばいい。

 本書で紹介される関連書籍や参考Websiteも充実している。既読本/サイトから察するに、未読本はすべて押さえておく価値がある。

 以降、この読書感想文シリーズでは、初読→再読の際に考えたことを章順に書く。著者と一緒になって自分も悩んだり思い出したことを書き付ける。つまり、本書から想起した過去の思い出(苦いのも含む)から再度教訓を引き出したり、現在やっている仕事へのフィードバック計画をメモるつもり。したがって、正確な意味でのレビューにならないかもしれないので、ご容赦。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「仕様」という言葉の罠を回避する

 結論→ 「仕様」と「機能」を意識的に使い分けることで、顧客のテクニック「言葉のすり替え」を見抜くことができる。

 客先での仕様調整の場で、新人が手もなくひねられている(騙されているともいう)。もう少し手加減してやればいいのに、顧客の脅しが酷すぎる。


  1. あたりまえじゃないか、その機能が入っているのが仕様です
  2. なぜなら、いま私が現場に電話で確認したら、そういう運用になっているからです
  3. だから、その機能が入っていないのはバグなんです
  4. したがって、あなたは無償で今すぐこれを実装する必要があります

 テストフェーズ末期やリリース後、何らかの要求を満足していない場合、顧客より一方的に伝えられる最終通牒は、こんな論法だ。非常に強い口調で伝えられると、なんとなく「そうかも?」という気分になり、顧客が正しいという空気が場を支配する。

 その結果、ほとんどの場合、泣く泣く自腹で実装していることだろう。ひとつひとつは小さかろうと、チリ積も山にスケジュールは悲鳴をあげるかもしれない。あるいは、仕様通りに書いたプログラマにバグとして対応させることで、その良心に致命傷を与えるかもしれない。

 ここでは、「顧客の認識を再確認することで、本当のところを証明する」ことを目的とする。決して「顧客をやり込める」ではない。本当のところを明らかにして、後でどう扱うかを決めるべし(←カネの話ね)。結局自腹になるかもしれないけれど、ウソ暴論がまかり通ることはあってはならない。モチベーションが下がるからね。

 さて、先の顧客の言い分に戻ろう。上の1~4のうち、どれが間違っているだろうか? 答えは「ぜんぶ間違っている」なんだけど、あと一つ足りない「立場だけでこんな論を押し通す輩が仕様窓口の担当であることそのものが間違っている」が満点。

 では、なぜ間違っているか? それは、「仕様」と「機能」を巧妙に言い替えているから。こんなことを言い出す顧客とは、要件定義・分析フェーズでこんな会話をしているはずだ→「仕様はこうしてください」とね。

 ここで言う「仕様」は、「要求」だ。要求仕様と言い替えてもいい。

 つまり、○○のときは、△△というチェックをして欲しい、画面から操作者が△△というチェックを起動できるようにして欲しい… と、顧客からの要求のひとつひとつをとりまとめて、モレヌケ矛盾がないか確認してきたはず。

 そうした要求を実現するものが、「機能」なんだ。間違えてはいけない、要求(仕様)が先、機能が後なんだ。

 しかし、後になって「これが足りない」「あれが足りない」と騒ぎ出すのは、「機能」を指している。たしかに、要求が誤解、誤読されることもあるだろうが、その数はこの罠に比べると、微々たるものに違いない。思い出してみて欲しい、「この『要求』が実装されていない」という言い方をする顧客は、皆無だろう。後付けの「要求」であることがバレてしまうからだ。

 しかも、要求が足りなかったことを「機能不足」に置き換えている。その機能がない理由は、ほとんどの場合その要求をしなかったからだ。自分の誤りを棚に上げて声を荒げる。その機能が実装されていることを前提として、現場は待っているんだ、今電話で確認したんだ、と来る。たったいま見つかった要求が実装されていないことで、機能モレを主張するのは本末転倒なのだが、そのときのマジックワードが「仕様が実装されていない(抜けている・モレている)」。

 ここで言う「仕様」は、スペックそのものだ

 ある要求がないから、対応するスペックがない、そのスペックがないから、対応する機能が実装されてない ――この、ごくあたりまえの事実が、「仕様」という言葉を混ぜることで、見えなくなる。つまり、プロジェクトの最初は「仕様」を要求寄りの言葉として使い、プロジェクトの後半で、いざ要求をねじ込む段階になって、「仕様」を「機能」と等価と見なす(もしくは言い替える)。

 これは、狡猾というよりも、顧客の基本的な戦術だと思ったほうがいい。顧客の間で講習会でもやってるのかと邪推したくなる。「違うか!?」と詰め寄ってくるその場でロジックを粉砕してもいいのだが、間違いなくカドが立つ。実際、誤りを指摘すると、文字通り「顔を真っ赤にして」怒る。そりゃそうだ。みんなのいる場で、自分自身もダマしていたウソを暴かれるのだから。

 では、「顧客を言い負かす」ことが目的ではなく、本当のところを明らかにするには、どうすればよいか? それは、あなた自身が、「仕様」と「機能」を使い分けるしかない。気をつけないと、「仕様」と「機能」は、ごちゃごちゃに使ってしまうかもしれない。「この機能の仕様は…」なんてよく言うでしょ。

 ならば、どう使い分けるか? 顧客の言う「仕様」が「要求」である場合は、「ご要望」「要求仕様」とし、「機能」を指している場合は、「機能」と言い替えるんだ。

 例えば、顧客の言い分を反復するときに、こう言い替え【もどし】をする。


  1. つまり、その機能が入っていることがご要望だったんですね
  2. 現場に確認していただいて今分かったことは、そのような要求仕様があるということなんですね
  3. すなわち、その要求仕様が入っていない、というのですね

 するとどうなるか? 「機能が入っていない→仕様化されていない→要求していない」の順にさかのぼって考えることができる。あるいは「そんな"要求"がある、なんてことが"今"わかった」となる。前者は口に出さない方がいい。顧客を責めることになるから、みんなの脳内で遡及してもらおう。いっぽう、後者は、顧客の論理の言い替えのタイミングでさりげなく述べるといいかも。

 要求していないことが明らかになれば、触れる程度にとどめ、言い立てる必要は無い。すり替え戦略が破れたことが分かったならば(バカではない限り)、最後の結論にはもってこれないはずだ。すなわち、

  「したがって、あなたは無償で今すぐこれを実装する必要があります」

 …なんて、どう転んでも言えなくなる。顧客が自分の誤りを認めることは皆無だが、少なくともバーター対象にはしてくれるだろう。その機能は、結局無償で追加することになるかもしれない。しかし、手持ちのカード(いわゆる"貸し"というやつね)を増やし、今後の交渉を有利にすることはできる。カネにするのか、期間を調整してもらうかは、会議が終わった後、その顧客との二者間で決めればいい。

 立場でしか仕事ができない人の顔を潰すということは、その人の存在意義そのものへの問いを突きつけることになる。その場合、あなたの政治的立場に脅威となるかもしれない。そうしないためにも、この「言い替え」を上手に活用してみて

| | コメント (3) | トラックバック (2)

このツンデレ小説がエロい「ROOM NO.1301」

ROOM NO.1301 秋だし、たまにはエロい本をご紹介。[エロいライトノベルトップ5]… という謳い文句にふらふらと読む。結果は【激しく同意】、mizunotori さん、ありがとうございます。

 これはエロいツンデレ小説。エロツンデレとでも呼べばいいのだろうか。これ、ホントにラノベか? 絶句するほど妙に生々しい。同時に、なんかこう、他人のまぐわいの残り香を胸いっぱいに吸い込んだようなせつなさを味わう。

 主人公の高校生は、村上春樹の小説に出てくるようなキャラクターだなぁ。著者による恣意的なモテ率と、それに反比例する無自覚さに殺意を覚えるかもしれない。ストーリーを転がすために、おにゃのこに迫らせるやり口はまさにギャルゲ―― そう、これは読むギャルゲなのかもしれない。

 読むギャルゲとはいうものの、まぐわう描写はない。あたかもHシーンがカットされた全年齢対象版の美少女ゲームのようなもの。脳内補完に勤しむしかないが、これまた自分のアタマながらエロい。普段いかに視聴触覚に頼りきっているか身にしみると同時に、自分の想像力のエロい使い方を思い起こさせてくれる。やっぱね、このエロな妄想に悶悶とする夜は必要だね。

 amazon紹介文に誤りがある。

 普通の高校生・絹川健一は学校帰りに、公園に呼び出されて、同級生の大海千夜子に告白される。恋とか、愛とかにあまり実感もわかない健一はいったん返事を保留する。しかし、その帰り道にいき倒れている女性・桑畑綾を助けたことで、健一の人生はなんでか少しおかしな方向へ進むことに。ちょっとHで、ちょっと切ない恋に悩む健一の日常を描く、ハート・ウォーミングな物語

 直接的な描写がないだけで、かなりHで、ずっと切ない恋の話だと思う。そして、全てのエロゲに共通するように、恋に悩むのは多分に女のコたちであって、そいつに振り回されるのが男の役割というもの。ハートが暖かくなるかどうかは分からないが、顔がほてってくるかもな。

 さて、核心に触れずに紹介でけた。スゴいツンデレ小説[参照]と称される理由はあえて書かなかった。唯一ファンタジックな1301号室の設定を除き、妙にどこかで聞いたことがある現実感あふれる人間関係は、著者の体験に基づくのか、エロゲ歴によるのか。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

ゲームで子育て(ポケモン編)

 ゲーム脳の恐怖なんて、どこ吹く風―― わたし自身大好き。

 昔の子どもは、それはそれは苦労したもの。なにしろ、お茶の間にゲーム機を持ってくる最初の世代だったのから。

 「テレビゲームぅ? いけません!ドリルしなくなるから」

 『ちゃんとやるよ、約束する!お手伝いもする!お年玉とおこづかいも貯めたよ』

  ―― あらゆる親子の間で、この会話がされたに違いない。当時はテレビ漬けの弊害が声高に言われてたし、ゲーム機そのものが高価なこともあって、ハードルはとてつもなく高かった。「おもちゃにそんなお金は出せません」が常套句だった。

 それがどうよ、今の子どもらは。生まれたときからリビングにゲーム機がある最初の世代だ。物心ついたときから、労せずともゲームとの付き合いが始まっているわけ。非常にうらやましいむずかしい状況なので、よく考えてゲームと付き合ってもらわないと。

ポケモン緑 え? 禁止にしないのかって? 無駄無駄無駄ァ、これだけ世の中に浸透してているから、「ウチだけゲーム厳禁」は、不可能。カンペキな英才教育を施すとか、ピアニストとして育てるとか、何か【親としての】目標があるならともかく、ふつうに学校なり近所の中で暮らすなら、ゲームは避けて通れない。テレビを避けて通れないのといっしょ。

 子育てにおけるゲームの効用については、以前のエントリ「ゲームで子育て」で語ったが、ここでは「ポケットモンスター(グリーン)」を与えた理由について書く。

1.ひらがな・カタカナに慣れる

 最初の目的はこれ。子どもは本好きでもあるので、山のように読み聞かせているが、自分で読むとたどたどしい。もうちょっと慣れて欲しいなーという思いから。「紙ではないメディア、即ちディスプレイから文字を読み取る」最初の世代でもあるので、慣れが必要。

2.足し算・引き算をマスターする

 攻撃力やHP の概念は、そのまま足し算・引き算の話になる。バトルで勝つために「あと何回攻撃を食らったらダメか?」を計算できるようになる。ターン制→掛け算の概念まで理解してくれるとうれしい。

3.まず自分で調べて、それから質問する

 そろそろ「分からなかったら人に訊く」姿勢を卒業して欲しい。まず自分で調べて、それでも分からないことを整理して質問するようになって欲しい。最適なのはこれ→ゲームマニュアル:マニュアル→試行錯誤→質問で質問力を身につけて欲しい。ネットで調べる方法も伝授しよう。

4.自分の欲求をコントロールする

 最重要の目標であることは、わたしも嫁さんも完全一致した。やるのはいいが、やり過ぎは良くない、程ほどが肝心:過猶不及というやつ。親の制限が効くのは小学校低学年までだから、それまでに自分をコントロールする術を身に付けてもらわないと。

 最初の目的「ひらがな・カタカナに慣れる」を話し合ったとき、「Kanon(PS2)やらせたら? 読み上げてくれるし」などと提案し、嫁さんに激怒される。やっぱり教育上アレだな… 閑話休題、目が悪くならないか、非社交的にならないか、ゲームの世界に逃げ込んでしまわないか… リスクについて嫁さんとよーく話し合う。

 ゲームとどういう風に付き合って、ゲームから何を得るのかを二人で考え抜く。リスクを最小化してメリットを最大限享受するために、制限時間や代償のルールを設ける。入門はポケモンで充分だけど、より戦略的にゲームの素晴らしさを味わって欲しいと願う。

 ゲームの素晴らしさは、ストーリーとシステムの幸福な結婚にあると思う。練りこまれたストーリーと、そいつを実現するシステムが紡ぎだす世界を堪能することだと信じる。例えば、ICO:R1ボタンで「手をつなぐ」ことと、「二人で」城を脱出するストーリー。例えば、YU-NO:リフレクターデバイスでしかたどれない「この世の果て」と、並列世界のストーリー。

ワンダと巨像 世界に飛び込んで味わうヨロコビは、小説や映画と一緒。ゲームの方が"かかわれる"分だけハマりやすいので注意が必要だが、超一級の小説や映画を楽しむように、優れたゲームもガンガン紹介するつもり。わが子には、ドストエフスキーも読んで欲しいが、「ワンダと巨像」もプレイして欲しいんだ―― え? その頃はもっといいゲームが出てるって? ならばよし!まずトーチャンが先ねっ


| | コメント (5) | トラックバック (0)

「ローマ人の物語」を10倍楽しく読む方法:「古代ローマ軍団大百科」

古代ローマ軍団大百科 「ローマ人の物語」を読むとき、最強のサブテキストになる。特に、ハンニバル編とカエサル編を読むときは、手元にあると興奮が倍増する。基本的に、「ローマ人」は文章ばかりなので、本書に満載されているレリーフの写真、想像図、再演の画像で補強するといいかも。

 土木建設国家ローマの兵隊は、基本的に工兵だ。道をつくり橋をつくり、宿営地や砦をつくる。剣よりもスコップ持ってる時間の方が長かったんじゃないかと。そんなローマ軍団に密着取材してみました、というのが本書。

 まず、装備や兵舎から、食事や宗教、給与にいたるまでの日常生活を始めとし、非番の日は何をしていたか、家族は、結婚は、娯楽は…と、さまざまな疑問に答えてくれる。自分の葬式代を給料から積み立てていた… なんて、生々しいネタも拾える。2000年前のローマ軍が現代のPKFよりも身近に感じられる。

 さらには、軍事教練や、日課、軍団組織の発展や騎兵の使用形態、海軍の創設といった、軍隊としての組織や活動の詳細を知ることができる。戦争になったときの、軍団と支援軍騎兵隊の関係、輜重隊の位置付け、戦闘隊形、など士官レベルの情報も網羅している。

 スゴいのは、歴史に残る戦いを詳細に分析したレポート。両軍の戦力と戦闘方針の分析、実際の戦闘の推移が立体的に描かれ、シミュレーションゲームのように「見える」。(書き手の想像力とあいまって)自分もあれこれ妄想をたくましくできる。


  • エクノムスの戦い(前256)
  • カンナエ(カンネー)の戦い(前216.8.2)
  • ボウディッカ征伐(60)
  • マサダの攻囲戦(73)
  • ストラスブールの会戦(357)

 カンネーの戦いの分析にしびれた。ローマ軍の主力重装歩兵の密集団の圧力をどのように受け→散らし→包囲戦へ持ち込んだか、同時にガリア騎兵をこれ以上ないほど巧妙に用兵していったか、が見てきたように描かれている。

 「古代ローマ軍団のすべてが分かる」という宣伝文句はダテじゃない。古代ローマの軍団に特化してここまで掘り下げて書いてあるのは、初めてじゃないかしらん。

 そうそう、本書は非常に濃ゆい逸品だけど、お値段も立派なので、図書館で借りるべし。

――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ローマ人の物語」の読みどころ【まとめ】に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

修羅場シミュレーション「間違いだらけのシステム開発」

間違いだらけのシステム開発 燃えるプロジェクトに投下され、火消し&延焼抑止に奔走し、落ち着いたころに引き抜かれ、次へ… そのたびに、心労で胃痛になるか、ストレス食いで太るか。

 失敗プロジェクトなら、必ず現場がゾンビ化するとは限らない。腐敗は脳(上層部)から始まり、皮膚の内側(見えないところ)で進行する ←これかなり重要

 たとえば、問題なくリリースまで至るが、一銭たりとも支払われなかったとき。次 ver.で費用は見てやるからさ、それまでにこの要件を「追加」として扱わないで作ってよ… というパターン。承諾しないPMは疎まれ、事情を知ったメンバーは総替え(あるいは脱出)する。そして、次の人にお鉢がまわってくる―― いっさいの事情を聞かされずに、警告すらされないまま。さあ、修羅場のはじまりだ …

 …なんてね、知人の話だよ(棒読み)。

 「間違いだらけのシステム開発」では、そんな笑えない知人の話がたくさんある。どいつもこいつも生々しい。読んでるこっちも胃が痛くなってくる。

 たとえば、一次請けが監督してないところで二次請けが要件定義を行い、膨らませてしまったんだけど、もともとの原因は一次請けが書いた糞RFPにあるため、追加費用を請求できないプロジェクトとか

 たとえば、リプレースだと思ってたら、高飛車なコンサルタントが乗り込んできて、「わたしは社長の意志なんです」などとを口走りながら計画をメチャメチャにした挙句、折衷案なゴールで迷走を始めたプロジェクトとか

 たとえば、納期・コストが切り詰められているので、品質を犠牲にしたプロジェクトとか。具体的には、異常系で手を抜いて、後始末は、空文でcatchするexception で握りつぶしておくとか(そして、リリース後にバレるとか)

 それを、事情を知らずに引き継ぐとか…

IT失敗学の研究 それでも、達成が困難だからといって役割を放り出すことはできない。ピッチャーの球が速いからこのイニングは出ない、なんて許されないことと一緒。ITプロジェクトの失敗事例を徹底的に収集した「IT失敗学の研究」(レビューは[ココ])と偉い違う。「失敗したのはボクのせいじゃないモン!」という書き手の被害者意識と対照的に、さすがコンサルタント、冷静に非情に分析している。対策もロジカルに納得できるものばかり… なんだが、なんかこう、「熱」が伝わってこない。

 どうしてなんだろう、と考え考え読むうちに、思い当たる→「一人称」がないんだ。つまり、「私なら」や、「私の場合」で書かれる打ち手がなく、徹頭徹尾べき論に閉じて書かれているんだ。おそらく執筆者(たち)のキャリアと、今の顧客を考慮してこうなったんだろう。あるいは、一人称で書くと辛いこと思い出してしまうからか?

 だから、読んでるこっちは「そのとおりだ」とは思っても、「わたしが」どうしていいか分からない。具体化は各自でってことになる。


  • 開発プロセスを標準化しましょう
  • ステークホルダー間の調整を密にして死角を作らないようにしましょう
  • 情報システム部門がイニシアチブをとってプロジェクトマネジメントしましょう

 そんなことは知ってるってば!批評家になって、間違いだらけと指摘するのはいいけれど、書いてるアンタがどうあがいたのかを教えてくれ!その体験談こそが宝なんだよっって叫びながら読む。

 システム開発の落とし穴は、たくさんある。しかも、分かりやすくある。そこあることが予め充分に承知してる。分かっていながら落ちるんだ。こんなこと書くと「そこにあるの知ってて落ちるなんてバカぁ? 」と思われるかもしれない。そう、確かにその通り。

 それでも、そこにあることが分かってても落ちるのが、システム開発の罠なんだ…というシンプルな事実を再認識させてくれる。いかにもありそうな落とし罠で、誰でも一度や二度三度と陥ったことがあるはず。

 しかし、どんな罠(裏事情)か分かって落ちるのが幸せか、知らずに火だるまになるのが幸せかというと―― これ読んで予めシミュレートしておいた方がいいに決まってる。そういう疑似体験(覚悟ともいう)ができる本として、これは非情に非常に価値がある一冊だ。

 ただ、一点だけウソがある。それは、どんな残酷物語でも、ラストでは頑張ってやりおおせました、めでたしめでたし… で終わってるとこ。ウソつけ~ そのモデルとなったプロジェクトが、本当はどういう結末を迎えたのか… いや、やめておこう、知りたくない。知らないほうが幸せなのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

涼宮ハルヒの将来

魔天楼、薬師寺涼子の事件簿 ツンデレについて嫁さんと語りあってるうちに紹介された一冊。「ハルヒだルイズだとウルサイわね!これでも読んでなさい!」と一喝され、一読… こ、これは、涼宮ハルヒの10年後だっ→「魔天楼 ── 薬師寺涼子の事件簿」(田中芳樹)。

 薬師寺涼子──絶世の美女、27歳。警視庁刑事部参事官の警視、東大法学部卒。在学中に司法試験、外交官試験、国家公務員 I 種試験に合格。フランス語、英語を流暢に話し、スペイン語、ラテン語にも通じている。格闘技に通じ実戦でほとんど負けたことが無い。性格は協調性が皆無、傲岸不遜、傍若無人、天上天下唯我独尊

 ドラキュラもよけて通るという意味の「ドラよけお涼」の異名を持つ。つまり、彼女の行くところ摩訶不思議な事件ばかり。嫁さんによると、ドラゴンもまたいで通る意味で「ドラまたお涼」とも呼ばれているらしい。

 そんな彼女が、「助手A」「付き人」「下僕」…とさまざまな名前で呼ぶ泉田クンをひきつれて、きょうも取り組む(というか巻き込まれる)怪事件の数々、というストーリー。どういうキャラクターなのか、名言(迷言)で見て欲しい(カッコ内はサブタイトル)。

  • 「思い知った? 正義は必ず勝つ。いえ、正義とはあたしが勝つことよ!」(魔天楼)
  • 「オホホホホ、死人に口なし。あらゆる事象を浄化するステキなコトワザね。"勝てば官軍" のつぎに好きよ」(東京ナイトメア)
  • 「あなたこそ自分を何サマだと思ってるの!? あたしは薬師寺涼子サマよ! 」(巴里・妖都変)
  • 「神を恐れなくていいから、あたしを恐れなさい」(クレオパトラの葬送)

 完全無欠の美貌と才能を持ちながら、よりによって警視庁を目指したのは、「合法的に国家権力を行使するため」と断言しかねない勢いの彼女は、どうみてもハルヒの未来予想図だ。ハルヒならやりかねない → 手始めに警察組織に君臨してから世界征服。

 キョンに相当する泉田クンが不憫でならない。一人暮らしのマンションに招かれ、手料理をふるまわれたことがあるらしいが、基本的に踏み台扱いされている。下僕ながら、惚れられているらしいので(ルイズパターン)、がんばれ泉田! (たぶん)未来は明るいかも…

| | コメント (11) | トラックバック (3)

「ローマ人の物語」を10倍楽しく読む方法:「カエサルを撃て」は強姦率100%

カエサルを撃て 塩野七生のローマは確かに面白いが、イイオトコに目がないという欠点(?)もある。ハンニバルであれスキピオであれ、イイオトコが出てくると、いたく贔屓して書いてくる。2000年も前の男に入れ揚げているのはこっけいだけど、そんなこと言おうものなら、「生きてる・オトコに・飽きたところよ!」と返されそう(古っ)。

 だから、カエサルはとてつもなく贔屓されているんだろーなーと容易に想像できる。というのも、「ガリア戦記」を読む限り、非情にストイック&鋼の意志が感じ取れるから。こんなイイオトコを塩婆はスルーするはずがない。必ずや美辞麗句を連ねてこの天才を書いてくるだろう。マンガ描けるなら溢れんばかりに百合や薔薇の花なんかを添えてくるに違いない。

 その結果、辟易するのは目に見えているので、予め「カエサルを撃て」(佐藤賢一)で中和する→結果:これはこれでウンザリできた。情けない中年男の悲哀に押しつぶされるカエサルが描かれている。小事にウジウジし、保守的で、ごまかしとへつらいで自身を糊塗しまくっている。「ガリア戦記」を読んだ方なら耐えがたいほどの落差を見るだろう。塩婆が読んだなら卒倒するに違いないダメオヤジぶり。

── 紀元前五十二年、美しくも残忍な若者ウェルキンゲトリクスは混沌とするガリア諸族を纏め上げ、侵略を続けるローマに牙を剥いた。対するローマ総督カエサルはポンペイウスへの劣等感に苛まれていた… ガリア王とローマの英雄が繰り広げる熾烈な戦いの果てに、二人は何を見たのか ──

 そんな私利私欲・コンプレックスの塊のようなカエサルが、なぜ覇道を成したかというと、実は… というトコが物語の肝なんだろう。ひょっとするとカエサルは「撃たれる」ことで、一度死んで生まれかわったのかもしれない

 小説好きの間で「サトケンにハズレなし」と言い交わされているらしい。サトケン、即ち佐藤賢一の作品はどれも面白いという意味なんだが、わたしにとって本作がサトケンの初読みになる。

 面白かったか? と問われれば yes なんだけど… ガリア王とローマの英雄の二大ヒーローが死力を尽くして闘うのは確かに面白いが、二人とも独白しすぎ。煩悶と独り言が延々と続くのは、碇シンジ君みたいでイヤ(←それが狙いともいえるが)。読み手がダレてくる頃合いを見計らって、強姦と虐殺シーンを織り交ぜるのは2パターン目で見抜いた。ちなみに和姦は一切ない。つまり、強姦率100%なので、美女が出てきたら犯られるものだと合点して読むべし

 もったいないなーと思ったのは、戦争の場面。戦闘シーンは残虐非道に素晴らしく書けているのに、用兵の妙というか、戦術の噛みあいがなくて残念だった。戦略レベルになるとほとんど見当たらない。両雄とも思いつきのような発想で軍を動かしている。これは、地図を準備せずに執筆したんだろうなぁ…

 あ、そうそう。ツンデレラー/ツンデレスキーは、ガリア王が妻に迎えるエポナ(14歳)に注目すること。古典的なツンデレが堪能できますゾ(結局犯られるワケなんだが…)

――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ローマ人の物語」の読みどころ【まとめ】に戻る

| | コメント (6) | トラックバック (1)

名著!「デッドライン」

デッドライン 長くなりすぎたこのエントリのレジュメ …というか、見出しの一覧。これ見てご興味ある方はお読み下さいませ。

  • マネジメントの4つの本質
  • マネジメントおける簡潔で痛切なエッセンス(一部)
  • 設計とデバッグに関する恐ろしい事実
  • 残業と生産性とプレッシャーに関する恐ろしい事実
  • 生産性の測定について
  • 管理者の怒りについて
  • 会議を効率よく行うための、たったひとつの冴えたやりかた

 大事なことが、ずばり書いてある。背中を押したのは「ソフトウェア開発の名著を読む」なんだけど、確かに名著だ。初読は物語を楽しみ、再読、再々読で血肉にすべきだな。

 延ばし延ばしにしてた一冊を読み始めて「どうして今まで読まなかったんだあぁぁっ」と叫びだすような逸品がある。本書がまさにそう。デマルコは「ピープルウェア」がピカイチと決め付けてた自分が恥ずかしい。

 「ピープル」がプログラマ・チームリーダーの視点で書いているが、「デッドライン」ではプロジェクトマネージャをテーマとしている。この業界でPMやっている方なら、沢山の気づきが見つかるだろう。いや、気づきだらけといってもいい。

マネジメントの4つの本質

 そのうち、アタマガツンとやられる「気づき」がある。正しい管理の四つの本質がそうだ。簡潔で、痛烈だが、真実だ。

正しい管理の四つの本質
   ・適切な人材を雇用する
   ・その人材を適所にあてはめる
   ・人びとの士気を保つ
   ・チームの結束を強め、維持する

ふむふむ、人材、適材適所、士気、チームワークか、あったりまえじゃねーかと思いながら、最後の一文で凍る。

   (それ以外のことは全部管理ごっこ)

 確 か に そ の 通 り 。ぐぅの音も出やしない。この本質を疎かにしたら、プロジェクト計画書やWBS、ガントチャートはまるで意味をなさない。それらはツールでしかないから。ツールを玩ぶのは"ごっこ"そのもの。

 ソフトウェア・システムは人が作る。自動化が喧伝されるが、本質は不変だ。だから、次の式が常に成り立つ。

   ソフトウェア・システムの問題 = 人の問題

 この「人」の中に自分も含めていい。だから、何らかの問題が発生するならば、その原因(の根っこ)には、自分も含めた人が存在する。あるいは、その解決策(の根っこ)には、やっぱり人がいる。

 小説じたてでエッセンスが紹介されるのは、制約条件理論の「ザ・ゴール」と一緒。しかし、導師(グル)の教えをレクチャーする話ではなく、メンバー同士の会話が問題解決への突破口となっており、気が抜けない。

 つまり、架空の自分をそこに紛れ込ませて、「自分だったらどうするか?」をあれこれ考えるというわけ。「ご教授を賜る」ための読書ではなく、自分の経験・ノウハウを当てはめながら一緒になって悩むことができる。

マネジメントおける簡潔で痛切なエッセンス(一部)

 エッセンスの一部を紹介する。簡潔で、痛切だが、真実だ。

  • 戦闘が始まるときには、管理者のほんとうの仕事はもう終わっている
  • 変更は、あらゆるプロジェクトの成功のために必要不可欠だ
  • 人は安全だとわからないと変更を受け入れない。安全が保証されていないと、リスクを避けようとする
  • どれほど強い脅しをかけても、最初に割当てた時間が足りなければ、やはり仕事は完成しない
  • 短期的に生産性を高める方法などない。生産性は、長期的な投資によって向上する
  • リスクを管理することでプロジェクトを管理せよ
  • 一日をむだにする方法はいくらでもある…しかし、一日を取り戻す方法は一つもない

設計とデバッグに関する恐ろしい事実

 ただ「気づき」をもらうだけではない。自己の苦い経験を思い出させ、そこからどうすればよかったかを過去に戻って気づかされることもある。第14章では、例えばこんな風に――

【スケジュールが圧縮され、デバッグに割当てられる時間がほとんどない状況で】

「デバッグの時間がなかったら、どうやってプロジェクトを運営すればいいんです」とトムキンスは疑い深げに言った
『デバッグにかかる時間は、バグの数に比例するんだろう』ケノロスは無知な人間に話しかけるかのように言った
「ええ、でもデバッグに時間をかけないということは…」
『バグがあっちゃいけないってことだ。わかってるじゃないか。そのとおりだ。覚えがいいぞ』
「バグがない!」
『あんたが言ったんだぞ』
「どうすればバグをなくすことができるんです?!」
『さあ、考えてみろ、あるモジュールの中でバグを見つけた。バグはどこにある?』
「モジュールの中です」
『ちがう。モジュールの端にあるんだ。一番端のとこだ。たしかに、真ん中へんにも簡単なバグはある。そのモジュールの内部だけのやつだ。だが、そいつらは調べれば簡単にわかる。ほんとに時間のかかるバグは、そのモジュールとその他の部分のインタフェースにからむやつだ』
「そうです、だれでも知ってることです。それで?」
『それで、あんたたちはデバッグ中にそんなバグを見つけると、まちがったところを見るんだ』
「なにを見るんですって?」トムキンスはいらだってたずねた
『モジュールと、その内部を見るんだ。コードを見ている』
「なにを見ればいいっていうんです」
『設計だ。目の前に並んでいるインタフェースに関する情報は、みんな設計の中にある』
「でも、設計をレビューするときに、欠陥は取り除くように努力しています。それはもうやっています。それでももぐり込む欠陥を見つけ出すために、膨大なデバッグ作業が必要なんです」
『ちがうな』
「ちがう? 設計のレビュー中にバグがもぐり込むのがちがうっていうんですか」
『いや、設計中にほんとにバグを取り除こうとしているってのがちがうんだ』
「どうしてそんなことが言えるんですか」
『わかってるとも。おれは何年も見て回ったが、レビューをする価値があるぐらい、実際のコードに十分近づくまで設計をしているやつはほとんどいなかった』
「設計はやるにきまってます。だれでもやります」
『あたりまえさ。でも、設計段階でやってないんだ。設計のときは、チームはドキュメントを作成する。"理念"なんてものをでっちあげて、ファイル・レイアウトなんかを一つ二つ作って、形だけのレビューをやる。連中が考えてるのは、管理者にうるさく言われないために必要なことをやって、早くコーディングに進むことだけだ。最後に、管理者がオーケーを出す。次の段階に進める。チームは喜んで、いわゆる設計は棚に放り込んで、二度と見ることもない。ただの棚飾りだ。そして、コーディングの段階になってほんとの設計をやっている。コーディングの最中に、だ。そのころになって、実際のモジュールをどうするか、実際のインタフェースをどうするか決めてるんだ。しかも、そういう決定はレビューされない

 太字はわたし。ここまでなら周知の事実かもしれない。わたし自身、この会話は誰かとしたことがある。では、この状況でどうすべき『だった』か、つまり、主人公トムキンスがこの後どのように行動したか、そしてその結果は――ご自身でお確かめあれ。結論はできすぎた話かもしれないが、理解はできる。ただし、自分がその打ち手を選ぶためには、【勇気】が必要。

残業と生産性とプレッシャーに関する恐ろしい事実

 第15章。小説だから書けた話なんだろうが、薄々分かっていたけれど、ひょっとすると――ひょっとしなくても、本当のことなんだろう→「残業時間が増えれば増えるほど、生産性はガタ落ちすること」

 ええまぁ、わたしの経験からしても、「昼間は雑務や電話応対で、アタマを使う設計やプログラミングは夜間の仕事」と分けていたから。顧客の電話の相手や、くだらない書類・メールに邪魔されて、昼間は落ち着いて仕事ができない、というのが原因だ。

 生産性とは、ホントのところ、時間あたりのライン数などではなく、利益をコストで割ったもので計るべきなんだろう。利益は、仕事からの収益や削減できた金額で計ることができるし、コストは全体コスト(退職者の補充・要員の追加に伴う教育費を含む)で算出できる。この観点に立つなら、メンバーの士気をすり減らし、燃え尽きへ追いやる残業は即ち「悪」といえる。

 じゃぁ、管理者は何をしたらいいのか? 「残業時間を増やすこと→より多くの結果を出すこと」が間違いなら、管理者にはすることが無くなってしまうではないか。この質問にはスゴ腕のPMであるベリンダ(ただしホームレス)がこう答える。

「ほかのこと。むずかしいことばかりね。採用、刺激、チームの力学、優秀な人材を保ちつづけること、手法から非効率的な部分を取り除くこと、ミーティングを減らすこと、オーバーヘッドを減らすこと、余分なドキュメンテーションを削減すること」

 そして、時間外労働に突入しようとするメンバーには、こういういうべき→「家へ帰れ。今から10分以内に電気を消すぞ、本気だからな」ってね。

 しかし、そうはいっても締め切りが、プレッシャーが、デッドラインが…と反論することは可能だ。まさに本書の題名どおり、勘ドコロを突いているのが次の回答だ。


 【質問】
      プレッシャーがプログラマーに与える影響が、6%の生産性向上
      だけで平坦化してしまうのはなぜですか?

 【回答】
      プレッシャーをかけられても思考は速くならない

 この一行は10回読んだ。絶対に忘れてはならない一行なり。

生産性の測定について

 「生産性を測定することは不可能だ」←この意見に反発を覚えたことがある。この業界のグルの御発言なので、めったな反論は差し控え、実践で証明してみようと色々試みている。

 わたしの場合、完全新規のスクラッチなんて無い。たいていは以前に似たもの(あるいはプロトタイプ)を作っている。過去の類似プロジェクトから類推できる部分と、新技術を導入したことで不明確な部分とに分け、後者を段階的に係数化して見積もり・管理してきた。

 リスクテイクしなければならない部分を最初から切り分け、予実の乖離は発見次第、即反映している。FP法の猿真似だが、似たようなプロジェクトを任される限り、かなり精確に出せている。

 そんなわたしにとって、第12章「プロジェクトの数量化」の以下のくだりでは、強力な味方ができたようで、大いに励みになった。

  • 測定単位を気にするな。客観的な尺度ができるまでの間は、主観的な単位を使えばよい
  • 考古学的なデータを収集し、これまでに完了しているプロジェクトから生産性を算出する
  • 過去のプロジェクトをもとにトレンド・ラインを引き、予想される労力を合成尺度の値の関数として示す予想をたてるべき

管理者の怒りについて

 これまた陳腐な話題かもしれないが、どこの職場にも必ず一人はいる「怒れる管理者」。高圧的で、嫌味ったらしく、みんなの嫌われもの(本人はそれが"管理者のあるべき姿"だと思い込んでいる)。

 しかし、感情は伝染する。笑顔やアクビが伝染するように、怒りも伝染する。上の管理者が怒鳴ると、下の管理者も同じような行動をとる。虐待された子どもが自分の子どもを虐待するのと同じだ。本書では怒れる管理者をズバリ「管理者としての能力不足」と断ずるが、それだけではない。なぜ管理者が怒るのか? についてこれまたズバリと書いている。

 なぜ管理者は怒るのか? 第16章にこうある。

 それは、恐れているから。与えられた役割をまっとうできないのではないか、会社の期待に背くのではないか、立場を失ってしまうのではないか、失敗するのではないか… 仕事場では、恐怖を表に出すことは許されない。けれども、何かを吐き出す必要があるとき、たいてい怒りが選ばれる。以下の文章をもっと早く知っていたら、どれだけ(過去の)わたしが救われたことだろう。

  • 怒りは恐怖である。部下に対して罵倒の行動をとる管理者は、ほとんどの場合、恐いからそうしているのである
  • 怒っている人は、恐怖を表に出したくない。つまり、怒りが恐怖の表れだと分かってしまったら、怒りを吐き出すこともできなくなる
  • これは怒っている人の問題は解決できないが、他の人の悩みは軽減できるだろう

 怒れる管理者の心がよーくわかった。あの人はだからいつも怒ってるんだな、と思うと、少し気持ちが軽くなった(この秘密は今怒鳴られているアイツにも教えてやろう)。

会議を効率よく行うための、たったひとつの冴えたやりかた

 第20章、これは知っていた――というか、何百回もひどい目に遭って、ようやくたどり着いた、たった一つの冴えたやりかた。十年前に知っていたなら、考えたくないほど莫大な時間と労力を節約できていただろう。それは、これだ↓

  • 会議は、重要ではない人物が出席しなくても心配ないように、小さくする必要がある。欠席者が安心するための最も簡単な方法は、議事予定表を発行し、それに厳密に従うことである

 何百時間も自分の時間を費やして、同じ結論だ。だからわたしは、自分が主催するミーティングでは必ず、


  • 議事予定表(日時、場所、議題一覧)をメールで事前共有
  • ミーティング前に、ホワイトボードの端に議題一覧を書いておく(終わったらチェック印)
  • 開始の呪文「今から皆さんの時間を○○分使って、まず□□、次に△△… を決めます」で始める

を実践している。また、上記の条件を一つも満たさない会議には出席しない(あるいは退席する)ようにしている。

 会議のやり方に限らず、他にも、多すぎるメンバーが招く問題や「製品の部品=プロジェクトの構成」からくる問題(第19章)、プロジェクトをめぐる病んだ政治にまきこまれた場合に気をつけねばならぬこと(第21章)などなど、思い当たることばかり。

 身におぼえのある会話、何度も悩んだことがある問題と対策が【ぜんぶ】書いてある。いちいちヒザを打ってたなら、真っ赤になるね。わたしゃもう若くないので、若い人――20代かな――に読んで欲しい。そして、わたしが自分の時間や労力を浪費してたどり着いたシンプルな真実を、こいつを読むことで先回りして知っておいて欲しい

 これは、そんな名著。いい本を読んだ。2回読んだけど、もう一度読もう、そうしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

著名人の本棚を覗く

 人の本棚を覗く欲望を満たしてくれる写真集。本棚というのは、思考・嗜好・指向・(あるいは試行)を見える化したもの。主婦にとっての冷蔵庫、VIPPERにとっての押入れ奥のようなもの。自分の精神世界をさらけだすことだから、めったなことじゃお目にかかれない。

 「本棚なんてただの倉庫、積んでおくだけ。そこに私の精神は無い」などと、うそぶく人も確かにいるが、やっぱりその人の本棚に顕れている。いっぽう「そんなにありませんよ」と謙遜するのは反語のつもりか!とツッコミ入れたくなるほどのスゴい本棚もある。

 取材したのは10年以上前のものばかりなので、古さ(というか懐かしさ)があふれる。リストとしての価値は少ないが、著名人の若かりし写真とともに「あの人がこの本を!」と発見する喜びを堪能できる。

本棚が見たい!本棚が見たい1

 まずそのものズバリ「本棚が見たい!」──ミもフタもなく即物的だが、わたしの欲望ソノママ表していて◎。この企画について、夏目房之介が非常に的確に言い表している

 「個室というのは人の人格の延長であって、なかでも本棚は自我と同じ構造になっていると思っているんですよ。思考の方法とか美意識みたいなものが、持っている本の並べ方に無意識あるいは意識的に出てしまう」

 うん、確かに「さもありなん」と思ったり「えっこの人がこんな本を?!」と絶句したりして、飽きない人ばかり並んでいる。

 内藤陳の本棚(のようなもの)は、ぜひ見ておくべき。震度2で、本の液状化現象が発生し、傍らの内藤氏は圧死するに違いない。下のほうにある1冊を抜いても同事象が起きるはず。これまで多くの積ン読ク山を見てきたけれど、これほどまでに命がけの山は見たことがない。本の山を自慢するなら一見すべきだろう。

 わたしの狂書魂にビンビンくるのが、筒井康隆、山田太一、阿刀田高、それから細川護熙の本棚。皆さん、良い本を読んでるなぁ… さすが、面白い本を書く人は面白い本を読んでいると実感できる選本ばかり。元首相の細川氏は、今や陶芸三昧の毎日らしいので、著書には期待していないが、本の趣味は◎ですな。これで、良い本を読んでいることと、優れた政治家であることは、全く関係がないことが証明されたといえる

 「本棚が見たい!」で紹介されている人(太字は「これは見ておくべき」としてわたしが強調)

  • 筒井康隆
  • 内藤陳
  • 山田風太郎
  • 荒俣宏
  • 高村薫
  • 村松友視
  • 吉村昭
  • 高橋克彦
  • 畑正憲
  • 和田勉
  • 阿刀田高
  • ジェームス三木
  • 安部譲二
  • 山田太一
  • 細川護熙
  • 上之郷利昭
  • 竹中労
  • 日下公人
  • 吉村作治
  • 市川森一
  • 夏目房之介
  • 紀田順一郎
  • 堀田力
  • 秋元康

本棚が見たい!2本棚が見たい2

 まず笑ってしまうのが、野口悠紀雄の本棚。「超整理法」でコいてる割には、本の整理はメチャメチャ。本のハラ・底が見えるように突っ込んでいる書架を見ると、つくづく気の毒に思えてくる。本人も分かっているのか「本の整理は絶望的」と断言する。

 次に、上野千鶴子の本棚を見るべき。整理作業に学生を雇っているだけあって、このシリーズで最も見やすく・(女性学についてだけど)バランスの取れた書架となっている。小ネタ:彼女が推す、性を書かせたら日本の女性作家でナンバーワンは斎藤綾子だそうな。特に「愛より速く」は最高との弁なので、嗜好を知るには良い材料になるかも。

 良い本を読んでいる著名人は必ずいる←こんな書き方をあえてるすのは、くだらない本を読んでいる著名人があまりにも多いから。「くだらない本」で語弊があるなら、「10年もたない本」と言い換えよう。撮影したのは10年以上前なので、本のラインナップもそれなりに古いものが並ぶのは仕方がない。しかし、それでも、10年後の今でも手にとって読みたいと思うような本が一冊もない本棚は、その人の底が思い知れる

 いそいで付け加えておかなければならないのは、風俗・流行を追いかけるのが仕事なら、仕方がない。読んでは出しを繰り返す自転車操業だから、数年で消えるような本を喰い散らかす毎日なんだろう。その結果、世風を映し出すような「いかにもバブリーな」ラインナップになるんだろう。誰がどうとかはご自身の目でお確かめあれ。

 もう一つ、追記しなければならないのは、「10年もつ本」は決して古典に限定されない、ということ。古典・準古典でなくとも時を越えて読み返すべき本はいくらでもある。大事なのは、それをどれだけ自分が大切にしているか、ということ。例えば、松岡正剛の本棚の左下にある、P.アリエス「図説死の文化史」や山折哲雄「生と死のコスモグラフィー」などは、かつて読んだことがあるが、今でも(今こそ)もう一度読むべきだろう。わたしにとって「ひとは死をどのように生きたか」というテーマは年を経るごとに切実になっているから。

 本を生産する人がどのように本を読んでいるかについては、噂の真相の岡留安則がこう述べる。

 「自分を高めるための読書なんて、あまり縁がありませんね(笑)。批判の対象として読んでいるか、あるいは企画に使えないかとつい考えてしまう。そういう読み方しかできないのは、我ながら悲しい性だとは思っているんですが」

 そんな中、スゴい本棚だと断言できるのは、松岡正剛と山本七平の本棚。一般に、モノ書きの本棚なんて、資料やタネ本ばかりで面白みもなんともないが、両氏の本棚は違う。自分の精神世界と書く対象が完全一致してて衒うことなくカメラに晒されている感じだな。特に松岡正剛の本棚はシリーズ通してもピカイチ。ぜひ見ておくべきだろう。

 「本棚が見たい!2」で紹介されている人(太字は「これは見ておくべき」としてわたしが強調)

  • 猪瀬直樹
  • 野口悠紀雄
  • 横尾忠則
  • 高橋義夫
  • 上野千鶴子
  • 山根一眞
  • 赤瀬川隼
  • 景山民夫
  • 胡桃沢耕史
  • 田中小実昌
  • 三枝成彰
  • 安西水丸
  • 泉麻人
  • 井家上隆幸
  • 志茂田景樹
  • 豊田有恒
  • 松岡正剛
  • 岡留安則
  • 水野晴郎
  • 森詠
  • 板坂元
  • 國弘正雄
  • 山本七平
  • 高野孟

本棚が見たい!3本棚が見たい3

 すべての書痴は(わたしを含め)、森本哲郎の次の独白を声に出して読んでみよう。都内に二箇所「本置き場」を持ち、さらに自宅には五万冊の蔵書を有し、全ての壁面は本で埋まっている──そんな本を前にして、インタビュアーは果敢にこう質問した「このうち何冊ぐらい読まれましたか? 」

 「ほとんど読んでいませんね。読みもしない本を何で並べておくんだといわれるかもしれませんが、本というのは読むものじゃないと思っているんです。私にとっての本とは、いつか読もうと思っているものなんですよ

 未来の図書館の蔵書を増やしながら、「いつか読もう」と心に留めながら、どんどん刻が経っていって、そうして… なんだろうな。

 素晴らしいとタメ息ついたのは、田村隆一の本棚。プラトンと「チョコレート工場の秘密」と「半七捕物帳」が同じ書架にある。スゴい精神構造なり。小説コーナーには「夜明けのヴァンパイア」と「家畜人ヤプー」が輝いている、いい趣味してる。18歳のときに48時間不眠不休で「カラマーゾフの兄弟」を読んだときのエピソードが面白い。ラストは(作中の)みんなと一緒に「ばんざい!」を叫んだそうな(なるほどー)。氏曰く「いい本は世代ごとに読むべき」は心に留めておこう。

 「本棚が見たい!3」で紹介されている人(太字は「これは見ておくべき」としてわたしが強調)

  • 橋本治
  • 唐十郎
  • 清水義範
  • 桜井よしこ
  • C・W・ニコル
  • 有田芳生
  • 勝目梓
  • 市川崑
  • 大森一樹
  • 森本哲郎
  • 生島治郎
  • 江波戸哲夫
  • 唐沢俊一
  • 高橋章子
  • 中村彰彦
  • 邱永漢
  • 大槻ケンヂ
  • 山本益博
  • 林家木久蔵
  • 鈴木邦男
  • 金子郁容
  • 阿井景子
  • 田村隆一
  • オバタカズユキ

本棚・拝見

 「本棚・拝見──書斎に見る、知性のプロファイル」は一発モノの企画だが、著作家に限定しない人選をしてて面白い。

 人に本棚を見せるのは、ある意味で寝室やクロゼットを覗かれるより勇気が必要。高価な服や仕草で誤魔化せない、自分の精神世界をさらすことだから。プライベート・ライブラリーを公開した24人の本棚──といううたい文句で紹介しているが、見所は、次の御三方だろう。

 菊池秀行の本棚は、著書のネタ本にあふれている。そこに「アーサー王伝説」があったのは笑った。彼の愛読書ベスト3は「甲賀忍法帖」(山田風太郎)、「火星年代記」(ブラッドベリ)、「その木戸を通って」(山本周五郎)とのこと。

 ドクター中松こと中松義郎氏の本棚は英本、和モノの半々だった。確かに。和モノばかりで読書人でございという人にはこの普通さがついていけないだろうな、と思う。中松氏が感銘を受けたという、"Pitt"──ピッツバーグを作ったピッツの伝記を探してみよう。

 ファイナルファンタジーのパッケージで有名な天野喜孝の本棚、というか書斎はスゴい。レンブラントにいたく影響されている書架だなぁ…「本は誰かの作品。できれば無いほうがいい」

 「本棚・拝見」で紹介されている人(太字は「これは見ておくべき」としてわたしが強調)

    水木しげる
  • 畑恵
  • ホリヒロシ
  • 今田美奈子
  • 菊池秀行
  • 天沢退二郎
  • 内藤陳
  • 渋谷陽一
  • 巖谷國士
  • 中松義郎
  • 石原慎太郎
  • 三枝成彰
  • 篠田正浩
  • 宮脇檀
  • 佐高信 ←本棚というより紙の海、スゴい!
  • 小池ユリ子
  • 童門冬二
  • 天野喜孝
  • 久住昌之
  • 平田幸子
  • 林恭三
  • 安珠

センセイの本棚センセイの書斎

 写真ではなく、細密画のような「絵」で表現されたのが本作。妹尾河童をホーフツとさせる見取り図で著名人たちの書斎を紹介している。わたしのレビューはここ[参照]

 「センセイの本棚」で紹介されている人(太字は「これは見ておくべき」としてわたしが強調)

 林望――古典籍からアンアンまで、リンボウ先生のふみくら
 荻野アンナ――豚と駄洒落が飛ぶラブレーな本棚
 静嘉堂文庫――九百歳の姫君、宋刊本が眠る森
 南伸坊――シンボーズ・オフィス、本棚はドコ?
 辛淑玉――執筆工場に散らばる本の欠片
 森まゆみ――書斎とお勝手のミニ書斎
 小嵐九八郎――作家が放浪するとき、本は…
 柳瀬尚紀――辞書と猫に囲まれて
 養老孟司――標本と図鑑にあふれた書斎
 逢坂剛――古書店直結、神保町オフィス
 米原万里――ファイルと箱の情報整理術
 深町眞理子――翻訳者の本棚・愛読者の本棚
 津野海太郎――好奇心のために、考えるために
 石井桃子――プーさんがどこかで見てる書斎
 佐高信――出撃基地は紙片のカオス
 金田一春彦――コトバのメロディを聞き書きするひと
 八ヶ岳大泉図書館――ある蔵書の幸せな行方
 小沢信男――本棚に並ぶ先輩たちに見守られて
 品田雄吉――映画とビデオに囲まれた書斎
 千野栄一――いるだけで本が買いたくなる書斎
 西江雅之――本のコトバを聞き取って
 清水徹――至高の書物を求めて
 石山修武――居場所へのこだわりを解放する
 熊倉功夫――茶室のような書斎を持つひと
 上野千鶴子――三段重ねなのに、100%稼動中の本棚
 粉川哲夫――移動、解体、組み立てをくり返す書斎
 小林康夫――「雑に置くこと」の美学
 書肆アクセス――ゆったりなのにワクワクさせる棚の妙
 月の輪書林――調べ、集め、並べては手放す古書目録の本棚
 杉浦康平――書斎を流動する本たち
 曾根博義――重ねず、積まず、五万冊すべてが見える書棚


 結論めいたもの。

 がーっとイッキに見てきて実感できたのは、スゴい本を書く人の本棚は、やっぱりスゴいが、スゴい本を持っているだけでは意味がない。やっぱり読まなきゃね(しかも何度も)

| | コメント (5) | トラックバック (0)

図書館を利用するようになるまでの20ステップ

 昔はアンチ図書館派、「本は身銭を切って買うもの」と激しく思ってた。

  1. 本棚に二段、三段と詰め込む(奥が単行本、手前を文庫本にすると両方見える)
  2. 床に積む(最初はタワー乱立→そのうち山脈のようになる:いわゆる積ン読ク山)
  3. カラーボックスを押入れに積んで、押入れを本棚化する
  4. ダンボールに詰め込んで、押し入れに入れる(縦に入れるのがミソ)
  5. (積ン読ク山で)ドアが開かなくなる
  6. 床が見えなくなる(正確に言うと、床の色を思い出せなくなる
  7. ちょっとした地震で本が凶器になる。位置エネルギーの破壊力を思い知る:本棚【の上】に本を積んではいけないことに気づく
  8. 押入れの底が抜ける
  9. 床が抜ける
  10. イナバの物置を買う
  11. 近所に家を借りて本置き場(≠書斎)にすることを考える(が、もったいないのでその金を本代につぎ込む)
  12. トランクルームを借りるが、カビさせる(このへんで背が見えるように保管しないと持ってても意味がないことに気づく)
  13. まとめて友達に進呈することで、本棚を「間借り」する(勝手に売ったりしない/好きなときに読めることが条件):JOJOの奇妙な冒険、スラムダンク、蒼天航路といったマンガはこうやってしのいだ。注意点:貧乏な友に預けてはならない。金に困った奴がJOJO全巻(杜王町篇までの全巻)を売っぱらったため、買いなおすハメになった
  14. あることは分かっているが、サルベージがめんどくさいので、同じ本を買いなおすようになる。例:「星の王子さま」は3冊、「カラマーゾフの兄弟」は4冊ある(はず)
  15. なじみの古本屋に「売る」のではなく「預ける」ことを提案するが、断られる
  16. スキャナで取り込んだ後、売ればいいことを閃く…が、取り込み中に読んでしまい作業が進まない(別名:大掃除症候群
  17. 図書館に寄贈するが逸散する(図書館どうしで本の交換をしているようだ)
  18. 死ぬまでにこの山を読みきることはできないと覚る
  19. (結婚を機に)ごっそりと売る/譲る/捨てる
  20. 図書館を利用するようになる 【←今ここ】

 19番目の「結婚」は大きかったと思う。わたしのことを「読書家」と呼ぶ方がいらっしゃるが、嫁さんの方が上(ほぼわたしの倍)。嫁さんは図書館派。1~19のステップをスキップして図書館のヘビーユーザーだ。曰く、

 「本なんて買ってたらウチがつぶれる」

| | コメント (9) | トラックバック (8)

「ローマ人の物語」を10倍楽しく読む方法:ローマの休日で朝食を

ローマ人の物語ガイドブック ローマ人いいよローマ人!「ローマ人の物語」が完結する今秋、ちょっとしたローマ人ブームになる予感。予備知識が極めてアヤシイわたしのために、ミーハーのための「ローマ人の物語」講座はないかしらんと探したら→こんな良いサブテキストが。

 著者は見てきたように書いているので、読まされるほうはたまらない。二千年前の現場が史跡として残っていることは分かってるから、どうしても自分の目で見たいと思う欲求がムクムクしてくるのは自然だろう。

 わたしだってそうだ、ローマだけでなく、カンネーとザマは是非見たい。あ、何のへんてつもない場所だということは分かっているけれど、なんというか、「その場所に立ちたい」という説明しにくい欲求なんだ。

 そうした欲望(ニーズ)を満たすが如く、「『ローマ人の物語』の旅 コンプリート・ガイドブック」が出ている。「ローマ人の物語」の歩き方とでも言えばよいのか。実は、サブテキストのふりをした旅行ガイドなり。単行本で7巻目までを網羅しているので、前編というべきだろう(で、後編は完結巻を待ってるわけだ)。

 写真が豊富。家系図と年表、人名辞典は重宝する。服装や武器など、想像の助けとなる絵図もたくさんあり、さながら「完全パーフェクトガイド ローマ人の物語公式ガイドブック」(ファミ通なら安心)といったところか。

 「ローマ人」の読者層は広いが、エグゼクティブクラスに読まれているだろう。孫子のビジネス書のノリだな。あるいは、悠悠自適な団塊世代が読んでいそう(←ものすごい偏見)。で、ここが重要なのだが→彼らはカネを持っている

 1. 字ばっかりの「ローマ人」を読む(Attention/注意)
 2. 併読本・サブテキストを貪り読む(Interest/関心)
 3. ガイドブックで欲望をかき立てられる(Desire/欲求)←コレ!
 4. 丘、通り、史跡、広場の情景を脳裏に刻み込む(Memory/記憶)
 5. 実際に現地へ(Action/行動)

 うん、見事にAIDMAしてる。カネ持ってるならローマに飛ぶだろう、いや飛びたくなる誘惑に満ちたガイドなのでご注意を。出版社(新潮45)が企画した本だが、こいつぁJTBあたりで商品化しそうやね→「ローマ人の物語ツアー」。人生で最も長い休日に突入する世代をあてこんでヒットするだろうと言ってみるテスト

    ろーまに行きたしと思へども
    ろーまはあまりに遠し
    せめてはガイドブックを買ってきて
    妄想の旅に出でてみん

 ああ、何もかもほっぽって行きてぇ… "Rome! By all means, Rome"

――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ローマ人の物語」の読みどころ【まとめ】に戻る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ローマ人の物語II 「ハンニバル戦記」の読みどころ

ローマ人の物語3 スゴ本。「ローマ人の物語II ハンニバル戦記」は凄まじく面白かった。これから「ローマ人」に手をつけようとするなら、ぜひとも「ハンニバル戦記」から始めることを強くオススメする。文庫本では第3巻からの上中下が相当する。律儀に最初から読むよりも、まず美味しいところからを喰らってみてはいかが?

 高校世界史で何やってたんだろうと思うが、教科書では次の5行に収まる。

 ──イタリア半島を統一した後、さらに海外進出をくわだてたローマは、地中海の制海権と商権をにぎっていたフェニキア人の植民都市カルタゴと死活の闘争を演じた。これを、ポエニ戦役という。カルタゴを滅ぼして西地中海の覇権をにぎったローマは、東方では、マケドニアやギリシア諸都市をつぎつぎに征服し、さらにはシリア王国を破って小アジアを支配下に収めた。こうして、地中海はローマの内海となった──

 教科書で駆け抜ける歴史が、物語で読むと寝食を忘れるぐらい面白いのは三国志などで実証済み。吉川英治や司馬遼太郎と同様、教科書そっちのけで読んでおけという本だね。

ローマ人の物語3ハンニバルの物語

 本書は「ローマvsカルタゴ」という国家対国家の話よりもむしろ、ローマ相手に10年間暴れまわったハンニバルの物語というべきだろう。地形・気候・民族を考慮するだけでなく、地政学を知悉した戦争処理や、ローマの防衛システムそのものを切り崩していくやり方に唸るべし。この名将が考える奇想天外(だが後知恵では合理的)な打ち手は、読んでいるこっちが応援したくなる。

 特筆すべきは戦場の描写、見てきたように書いている。両陣がどのように激突→混戦→決戦してきたのか、将は何を見、どう判断したのか(←そして、その判断の根拠はどんなフレームワークに則っている/逸脱しているのか)が、これでもかと書いてある。カンネーの戦いのくだりでトリハダ全開になったのは、車内の冷房が効き過ぎたせいではないだろう。

 ハンニバルの戦い方は、アレクサンダーの弟子といってもいい。アレクサンダー以前の戦闘は足し算的な戦い方をしていた。歩兵も騎兵も、アレクダンサーにとっては、戦場という盤の上で戦術に応じて動かす駒であった。彼は、歩兵に向けて騎兵を投入したり、歩兵団を騎兵にぶつからせたりしている。彼の関心は、貴族出身の多い騎兵の自尊心の尊重などにはなく、一に、自軍の持つ力をいかにすれば効率よく活用できるか、にあった

 天才とは、その人だけに見える新事実を、見ることのできる人ではない。誰もが見ていながらも重要性に気づかなかった旧事実に、気づく人のことである

 ハンニバルだけが主役ではない。絶体絶命に追い詰められたローマが命運を託した若者、スキピオの物語でもある。文庫本第5巻で活躍するのだが、これがまた惚れ惚れするほどいい男なんだ。容姿端麗、頭脳明晰なスキピオが、頭脳戦、外交戦を駆使し、ハンニバルを追い詰めてゆく。この丁丁発止の権謀術数がスゴい。

 両雄の対決クライマックス。名将どうしがぶつかり合うなんて歴史はほとんどないが、ここではあった。ハンニバルvsスキピオの直接対決(これはスゴい)。――ザマの戦いは瞠目・刮目して読んだ。

 ひょっとすると三国志でいうと"正史"ではなく"演義"かもしれない。つまり、史実を淡々と伝えるよりもストーリーテラーに徹した「物語」なのかもしれない。ならばよし!臆面もなくスキピオが好きと宣言する塩野氏だから許されるのだと考えて読み進める。

戦後処理に見るローマの強さ

 「戦争は、人間のあらゆる所行を際立たせる」とあるが、本作を読むと勝者と敗者をどう扱うか――戦後処理こそがキーポイントだと納得した。戦闘準備や戦闘そのものの勝敗も重要だが、その後何をしたかが、趨勢を決定していたということは(後知恵ながら)まぎれもない事実だ。例えばこんなの――


  • 負け戦で捕虜になり、その後の捕虜交換で戻ってきた執政官
  • 周囲の忠告を聴きいれず、大部隊をほぼ全損させた海難事故の責任者

 わたしの思考だと、「責任者は責任をとるためにいる」のだから、財産なり命なり名誉なり、応じたやり方で果たしてもらうのが普通だと考える。ところがローマは違った風に責任を果たす。そこにローマの強さをうかがい知ることができる。

 敵方の捕虜になった者や事故の責任者に再び指揮をゆだねるのは、名誉挽回の機会を与えてやろうという温情ではない。失策を犯したのだから、学んだにもちがいない、というのであったから面白い

ローマ人の物語3 失敗から学ぶことができる(もしくは学ぶことを強いる)ローマって、スゴい。これと対照的なのは、ローマと争っていたカルタゴ。ローマに敗れ逃げ帰ってきた将軍は、本国に召還されて死刑に処せられる。

 戦争の結果うまれる勝者と敗者の関係も、非常に興味深い。カルタゴに対して行った「ローマ風」の戦後処理の詳細は読んでいただくとして、ここでは、返す刀で二千年後を斬っている塩野氏の想いを引用しておく(←これこそ塩野節)

 そして、日本人である私にとってとくに興味をひかれるのは、ここには勝者と敗者しかいないという事実である。正義と非正義とに分けられてはいない。ゆえに、戦争は犯罪であるとは言っていない。もしも戦争犯罪者の裁判でも行われていたらならば、ハンニバルがまず、戦犯第一号であったろう

 ローマがカルタゴとの間に結んだ講和は、厳しかったかもしれない。だが、それは、報復ではなかったし、ましてや、正義が非正義に対してくだす、こらしめではまったくなかった。戦争という、人類がどうしても超脱することができない悪業を、勝者と敗者でなく、正義と非正義に分けはじめたのはいつ頃からであろう。分けたからといって、戦争が消滅したわけでもないのだが

 太字はわたし。恣意的に連想を止めようとするのだが、ローマの合理的な強さはアメリカ合衆国とオーバーラップする。これを書き手が意図して誘導したのかは分からないが、筆者自身もそう感じているからこそ、こんな"想い"が飛び出しているのだろう。

 Wikipedia:カンネーの戦い[参照]
 Wikipedia:ザマの戦い[参照]

――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ローマ人の物語」の読みどころ【まとめ】に戻る


| | コメント (9) | トラックバック (2)

« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »