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「ローマ人の物語」を10倍楽しく読む方法:「ローマ帝国衰亡史」比較

 このエントリは、塩野七生「ローマ人の物語」を読むときに併読する書籍を調べたもの。ほぼ自分メモのつもりで書くが、これから「ローマ人」を読む方の参考になれば幸甚ッス。

 「ローマ人の物語」の併読書としてギボンのアレを思い浮かべたが、そのボリュームに辟易させられる。実際のところ、全11巻の「ローマ帝国衰亡史」は、積ン読ク山の一角を占めているにもかかわらず、「持ってるが一生未読」となりつつある。

 そこで調べてみたところ、簡訳版というかダイジェスト版が出ていることが分かった。いわゆる「まとめ本」というやつで、わたしのようなナマケモノにはうってつけ。2つある。

   1. 新訳 ローマ帝国衰亡史(中倉玄喜 編訳/PHP研究所)
   2. 図説 ローマ帝国衰亡史(吉村忠典訳/東京書籍)
   3. ローマ帝国衰亡史(中野好夫訳/筑摩書房)    ←【本家】

 1.の新訳版は4センチ、2.の図説版は4.5センチある。何が? →厚みが。知らずに手に取るとぎょっとするほどのボリュームだけど、本家である3.の単行本は11巻積むと30センチになるので、相当「はしょって」いるに違いない。なお、3.のリンク先は文庫本になっている。

 この「はしょり」方が↑の2冊それぞれに特徴を持っている。

 1.新訳版では、本家の中から各時代の代表的な章を選び、これを簡略化しながら訳してまとめたもの。ローマ1500年の出来事を俯瞰することを目的として、著されている。つまり、ギボンの記述から史実を中心にピックアップしたものが1.新訳版といえる。

 2.図説版は、1.と異なり、ギボンの原著の文体を生かすことに忠実になっている。原著にあふれる脱線や余談をカットし、ローマ歴史の流れを描き出す部分を中心に描き出している。さらに、ギボンの著述を補うために、遺物、壁画、モザイクといった図版を大幅に取り入れている。その結果、1.新訳版は一段組みだが、2.図説版は二段組の大ボリュームになっている。

 訳はどうか? 1.新訳版と、2.図説版を比較してみる。世界史でおなじみの「ゲルマン民族の大移動」の章の最初を引用する。

新訳ローマ帝国衰亡史 1.新訳 ローマ帝国衰亡史(中倉玄喜 編訳/PHP研究所)p.295「ゲルマン民族大移動のはじまり」より

 ウァレンティニアヌス、ウァレンス両帝の共治世第二年目の六月二十日朝、ローマ帝国の大部分がすさまじい激震にみまわれた。振動はただちに海につたわり、地中海沿岸では海水が突然ひいて、おびただしい数の魚が手でつかめる状態となり、干潟には大型船が多数とり残された。前代未聞のことである。人々はこの驚天動地の光景に目をこらし、地球誕生以来、陽光にさらされることがなかった谷底や山肌の出現い空想をかき立てられた。が、事はそれで収まったわけではない。いったん退いた海水はおそるべき津波となっておし寄せ、港につながれていたすべての船をおし流して近くの民家の屋根上や、なかには岸から二マイルもはなれた地点にまでおき去りにし、その一方で、多くの人々や家屋をさらうなど、シシリー、ダルマティア、ギリシア、エジプト、各地の沿岸部に甚大な被害をあたえた。(中略)

 そして、それより前、パレスチナやビテュニアの多くの街を壊滅させた地震の記憶がかれらの間によみがえり、これら一連の天災が、来る、はるかに大規模な災害のほんの序曲と解され、さらには、いささか虚栄もあって、帝國滅亡のきざしが世界終焉のきざしと同一視された。

図説ローマ帝国衰亡史 2.図説 ローマ帝国衰亡史(吉村忠典訳/東京書籍)p.350「フン族の移動と民族大移動の発端」より

 ワレンティニアーヌス一世とワレンスの共同統治の第二年目(三六五年)七月二一日の朝、壊滅的な大地震がローマ世界の中心部を襲った。その影響は近海にも及び、地中海沿岸は突然の引き潮で干上がった。大量の魚が手で捕まえられ、大型船はぬかるみで立ち往生した。ある好奇心旺盛な観察者(アンミアーヌス・マルケリーヌス)は、地球誕生このかた陽光に晒されたことのない山や谷の変化に富んだ様子を見つめて、眼というよりむしろ想像力を楽しませた。しかし、海水はすぐに食い止めようもない大津波となって戻って来て、シチリアやダルマティア、ギリシャやエジプトの海岸を容赦なく襲った。大型船は屋根の上に押し上げられ、あるいは海岸線から二マイル入ったところにまで運ばれ、人間も住居もろとも押し流された。(中略)

 そして動転した彼らの想像力は、一時的な災害の規模を現実より増幅させた。彼らはこれに先立ちパレスティナやビテュニアの諸都市を破壊していた幾度かの地震を想起し、警鐘を鳴らすがごときこれらの地震が、なおいっそう恐るべき災厄の序曲にすぎないと考えた。そして彼らは自負心と恐怖をないませにして、帝國衰退の兆侯を、とりもなおさず世界破滅の前兆と考えるのであった。歴史家はこうした高遠なる思弁の真実性や妥当性を差し出がましく云々するのではなく、経験が証明していると思われる所見、すなわち、人類にとっては自然力の激動よりも同じ人間が抱く激情のほうが遥かに恐ろしい、という所見を述べることでよしとすべきだろう。

 太字はわたし。なぜ太字にしたのかは、次の本家ギボン「ローマ帝国衰亡史」を読んでいただければ分かるかと。

ローマ帝国衰亡史 3.が本家、ローマ帝国衰亡史IV(中野好夫訳/筑摩書房)p.185 第二十六章「シナからヨーロッパへフン族の進出」より(長いぞ)

 ウァレンティニアヌス、ウァレンス両帝による共治の第二年目(三六五年)、七月二十一日の朝まだきだったが、ローマ世界のほとんど全土が大地震に襲われた。震動は海岸にまでおよび、地中海沿岸では突然水が退き海底が露出、夥しい魚群が手づかみでき、大型船すらが干潟にのこされる始末。物見高いある観察者は、地球の創生以来はじめて陽光を浴びた峡谷や山々の突然出現を見、その眼よりもむしろ空想を大いに娯しませた。が、まもなく海水はおそるべき海嘯の形をとって逆流し来り、最大被害を受けたのはシチリア、ダルマティア、ギリシア、エジプトなどの沿岸一帯だった。大型船が次々と潮に乗って運ばれ、家々の屋根に乗っかるのもあれば、また岸から二マイルほども離れた地点まで打ち上げられるのもあった。(中略)

 ここでもまた恐怖におびえた想像が、この一過性災厄の実態を、とめどなく拡大化して伝えた。彼等はかつてかのパレスティナやビテュニアの諸都市を破壊し去った、何度かの地震のことを想起するとともに、今回のこれら恐るべき天災が、あるいはより大なる災厄への序曲ではないかと考えたのだ。が、そうなるとまた恐怖におびえた妄念は、この一事をもって帝国の衰亡、世界終焉の兆といった事態と短絡させて考えることにもなった。当時はなにか異常時でも起きると、さっそくそれらをある特定の神意によるものと考えるのが常だった。彼等によれば、すべて自然の異変は目に見えぬ鎖により人心の道義性や形而上学的想念と深く結ばれているというのだ。(中略)

 史家としてはいまこれら高遠な思索の当否を論ずるつもりなど毛頭ない。要するに史家とはただ経験が立証すると思える考察、すなわち、われらが恐れねばならぬのは、自然の天変地異などではなく、むしろはるかにわれら人間の抱く情念激情であること、それを指摘するだけで満足すべきであろう。たとえば地震、洪水、大風、さては噴火などのもたらす災害だが、これらは戦争の惨禍など世の常のそれに比すれば、ほとんど言うにも足りぬはず。近年はヨーロッパの君主たちも、賢慮というか、はたまた人道的精神というか、それらによって戦争の惨禍は大いに緩和され、軍事技術の修練にしてもそれは彼らの暇つぶし的娯しみか、それとも人民たちの勇気を鍛えるためというだけになっているからである。

 上記の太字化もわたし。この長々とした引用を一言で表すなら「365年、ローマ全土で大地震が起きた」になるだろう。しかし、ここでギボンが言いたかったのは、「そんな自然災害は、戦争の災厄に比較すれば大したことない」になる。で歴史家を名乗るなら、その自然災害が人々の感情にどんな影響を与えたかに着目せよ、なんて締めたいのではないかと。

 というのも、その後のギボン節が長たらしいのよ。枕詞「そもそも…」が好きらしく、この後も延々と比較文明論が続く。ローマを枕にしゃりしゃりと出てくるし、読み手が「名著」だと称えるポイントもここらしい。いつのまにやらローマではなく、翻って現代(とはいっても1780年ごろ)の戦争論・比較文明論にまで話がおよぶ。博学なじっちゃんの昔話を聞かされているようで、つきあいだすとキリがない薀蓄の量はハンパじゃない。

 ところが、1.新訳版は、そんなギボン節がゴッソリ無くなっている。年表+ギボンの記述の切り貼りといったところか。くさしているわけではない。むしろ、てっとり早く読みきるならコレにしておくべきだろう。また「ギボン」を看板にする書籍の中で最廉価だというトコもポイントか。

 その一方で、2.図説版は、まがりなりともギボン史観の欠片だけでも拾い集めようとしている。勢い、分量は増大するけど、ギボン節の一端を味わうことができる。いかんせん本家は大著なので、そのとっかかりとしては最適じゃないかと。また、詳細な索引がついているのは良い。むしろ、このテの本には索引が付いているのが普通のはずだから、1.の方がおかしいというべきか。

 結論:2.図説版を併読しよう。ただし、ギボン「衰亡史」と塩野「ローマ人」は時代がズれているので、ネタバレにならぬよう気をつけないと。つまり、「衰亡史」は五賢帝あたり(AC.98-180)からローマ滅亡までを書いているが、「ローマ人」は王政ローマ(BC.510)から始まっている。だから、「ローマ人の物語IX 賢帝の世紀」あたりまで読み進めたら、ギボン併読開始だな。こうして見ると、ギボンがローマの「衰亡」に着眼して稿を起こしたのと対照的に、塩野ローマはそのはじまりから語ろうとしているのがよく見える。なんたって「ローマ人の物語」なのだから。

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