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子どもに死を教える三冊

 良い機会があった。遠い親戚が亡くなったのだ。

 「良い」なんて不謹慎だけど、このご時世に大往生だから感謝しないと。家族総出で葬式に行く。テレビなどに任せず死の教育をやってきたつもりだが、百聞一見、葬式こそ最高の現場だ。

 子どもに伝えたいたった一つのことは、以下に尽きる。

あんたまだ生きてるでしょ だから、しっかり生きて、それから死になさい

 しっかり生きてないと、ちゃんと死ぬことすらままならない…このメッセージをそのまま言っても分からない。まず、自分の「生」を大切にさせる。できるようになれば、家族の、ひいては他人の「生」へも目配りができるようになる。

 自己であれ他者であれ、「生」を大切にできるようになれば、それを支える「生活」も大切にするだろうし、「生」を生み出す「性」も同様に扱えるようになる(はずだ)。

 生の反対は死でない。しかし、死について考えることは生きる本質(文字通りの "quality of life")を高めることにつながると信じている。よく死ぬことを目指す行動は「よく生きる」ことそのものだという真理は、ミサトさん以前に「葉隠」で学んだ。

 で、葬式。大往生を遂げているので、遺された家族が悲嘆に暮れる…なんてことはなく、むしろ「故人はにぎやかなのが好きなので、大いに騒いで見送ってやってください」と挨拶される始末。

 好都合なので、コトの次第をいちいち説明してやる。どうせ黙っててもうるさく訊いてくるだろうし、「起こしてあげるよ」などと死体にイタズラしかねない。

    「ほら、おじいちゃんを見て」

    「おじいちゃんがお亡くなりになったんだよ」

    「お亡くなりになったから、もう会えなくなるんだよ」

    「おじいちゃんが焼かれて、きれいなお骨になったんだよ」

    「ほら、いただきますと同じ手をして、サヨナラのあいさつをしよう」

 死者が「いなくなる」ことが分かったようだ。帰りがけに子どもがこう言った

「おそうしきというのは、みんなでおわかれかいをすることなのね」

そのとおり、お葬式は生きている人にとって必要な「お別れ会」なんだ。

 「死」を嘆いたり悼んだり意味付けをするのは、生者たちの都合であり、「死」そのものはただ在る普遍的なものに過ぎない→だから、「死」を自分のものにするためには、死の意味付けを生きている「わたし」が「いま」、「ここで」するべき… 遅くともわたしが死ぬまでには、ここまで伝えたい。

「死」を教える三冊
ミッフィーのおばあちゃん
 以下、死の教育(death education)として読んでおきたい(と、勝手に思ってる)絵本を挙げる。申し添えておくと、「葉っぱのフレディ」は含まれない。あれは、オトナのための死の教育本だから。

 まず、ミッフィーを推す。おなじみの愛らしいキャラクターはいかにも幼児向けだが、ここでは「ミッフィーのおばあちゃん」だ。ミッフィーが大好きだったおばあちゃんが死んでしまう話。

 良いな、と思うのは、できるだけ宗教色を削ぎ落としているところ。「死」とは単にソコにある(もしくはわたしたちの中に在る)もので、宗教でデコレートするもんじゃない。ブルーナはいつもの暖色で描き、ミッフィーは悲しみながらもおばあちゃんの死を受容する。

 さらに、「おばあちゃんはココロの中に生きている」だの「おばあちゃんは天国に逝った」といった、教え諭しが無いところが良い。本書はシリーズの中に埋もれるようにしてある。生活が続き、死があり、また人生が続く。だから、これだけ読み聞かせても無意味。"Life goes on" は、このコトバを使わずに理解(わか)ってもらおう。
100万回生きたねこ
 次は、定番中の定番「100万回生きたねこ」。知らないオトナが読むと涙が止まらなくなるかもしれない破壊力を持つ。最も取り扱いに注意すべき絵本。

 「死者を定義するのは生者」そのままの話。悪読みをしても許されるのなら、「悼まれない死者の人生は存在しないも同然」とも置き換えられる…こんなヒネクレた読み方はせずとも、せいぜい「近しい人の死」をシミュレートしてくれ。

 最後は、「わすれられないおくりもの」。子どもに「死」を教える最終目標は、

自分の死を覚悟する

こと。子どもが、自分の死を考えぬいて、自分の生を決めて欲しいから。

 もっと端的に言うと、「人生は有限で、これを忘れちゃいけない」こと。人生なんてあっという間で、すぐに寿命だよ。のんびりでもあくせくでも、好きに生きればいいが、これだけは忘れちゃいけない。
わすれられないおくりもの
 本書は「教え諭し」がぷんぷん臭うが、それでも読み手は「自分が死んだらどうなるのだろう?」と問い掛けるはずだ。明確に考えなくとも、その種を植え付けることになる。で、具体的に死を考えるようになる中学ぐらいになって、この話を思い出すだろう。

子どもが「死って何なの?」 と訊いてきたらこう答えるつもり

 わが子は幼い。今はただ聞き、受け入れるだけ。しかし、もう少ししたら、「死って何? 」「死ぬとどうなるの? 」と果敢に質問してくるはず。そのときは「辞書で読みを調べて」と教えるつもり。

セイ、ショウ、シャウ、あり、い、い・かす、い・きながら、い・き、い・きる、い・く、い・ける、う、うぶ、う・まる、う・まれながら、う・まれる、お、お・う、お・き、お・ふ、き、すすむ、たか、なま、なり、なる、のう、のり、は・える、は・やす、は・ゆ、ふ、ぶ、ふゆ、み、よ

あらゆる漢字の中で、読み方が最も多いのは、「生」
たった一つの読みしかないのが、「死」

 最後に。このエントリを書いたのは、「しあわせは日々のなか」で「西の魔女が死んだ」のあるエピソードを思い出したから[参照]。柊ちほさん、ありがとうございます。考えるきっかけをいただいて、感謝しています。

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コメント

初めまして。今日初めてはてなのブックマークあたりからやってきました。このエントリがとても心に残ったので、これから愛読させて頂こうと思います。

ボクも活字中毒です。挨拶代わりに僕の書評ページをご紹介します。

http://dora.boo.jp/book/index.html

えっもっと絞れ?

最近のヒットはノンフィクションなら「オシムの言葉」。
フィクションなら「博士の愛した数式」(小川洋子)です。

ではでは。

投稿: Dora | 2006.04.04 12:45

Doraさん、コメントどうもです。リンク先を読ませていただきました。最近の良さげな本をおさえていますね。
わたしのような長文エントリよりも、やっぱり簡潔に書く方がいいかも、と思いました。

投稿: Dain | 2006.04.05 20:48

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しばらく前にはてブで話題になっていた、子供に死を教える三冊。([http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2006/04/post_71d1.html:title]) 来るべき、そしてそう遠くないであろうその日のために、購入しました。 実は実家に置きっぱなしだったんですが、先日再読してみたらあまりにタバコくさかったんで、持って帰るのをあきらめたという。 ISBN:4566002640:detail これをレジにもっていくために手に取った瞬間にすでに涙腺がじわ... [続きを読む]

受信: 2006.05.08 00:05

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100万回生きたねこ と言えば有名な本。 以前に読んだことがあるはずだけど記憶にない。 100万回生... 今回、いつも読んでいるブログで「子どもに死を教える三冊」の一冊として 紹介されていたので再読。 知らないオトナが読むと涙が止まらなくなるかもしれない破壊力... [続きを読む]

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