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悪のプログラマ―――もっと冴えたやりかた

 「悪のプログラマ」[参照]で、優れたプログラマが本気で犯罪に手を染めるなら、痕すら残さないゾと書いた。さらに、デバッグとしてのソースレビューだけでなく、犯罪防止のためにコード検閲が必要だとも言った。

 ところが、この容疑者はそれほど優れたプログラマではなかったようだ。以下、「NTTデータ元社員が取引記録を不正利用しカード偽造の疑い」[参照]より引用。

 NTTデータは、2005年10月と2006年2月に発生した偽造ローンカードによる不正キャッシング被害に関連して、同社から仙台銀行のATMでカードを利用した際の取引記録の一部が不正に持ち出されていた可能性があることを発表した。

 容疑者の元社員は、システムの運用にあたっていた人物。彼のやりかたのどこがマズかったかを指摘し、「もっと」冴えたやりかたを提案してみる…が、それだけだと教唆になっちゃうので、防止策も。

媒体(ここでは紙)が噛んでいる

 誘拐でも横領でも、足がつくのは着服するところ。身代金受渡であれ、現金化するところであれ、たいていの犯罪はここで発覚する。元社員はせっかく暗証番号を含む三点セットを手に入れたにもかかわらず、わざわざ印刷→持ち出したらしい。

 オッサンは、なんでもとりあえず紙に出す習性があるが、この人もそのようだ。犯行の直接的な発覚は不正利用のアラートだろうが、紙に出すことで動かぬ証拠を残してしまったに違いない。

⇒冴えたやりかた1:犯行の媒体を減らす

 媒体は使わない。出力はデータセンタで行われたものと思われるが、まさにそこに監視の目が輝いている。ミッション・インポシブルは大げさだけど、メディア(紙、FD、CD-ROM、DAT、USBメモリ、… 最近じゃケータイも)に吐くところはセキュリティレベルも高いぜ。だから、冴えたやりかたは「媒体に残さない」。

 具体的にどうするかまで書いたらそれこそ教唆なのでカンベン。あなたがプログラマなら、この時点で複数のルートを思いつくはず。

現金化を考慮していないクラッキング

 不正に持ち出された三点セットを元に偽造カードを作成→不正キャッシングをしたらしい。情報を盗むところをクリアできても、盗んだ情報を使うところでヘタを打ったら意味が無い。ほとんどの犯罪はここでバレる。盗む前に「どうやってその情報を現金化するか?」の課題をクリアしておかないため、誰でも思いつくキャッシングで尻尾をつかまれる。

⇒冴えたやりかた2:クラッキングだけでは不十分

 現金化から逆算して、盗る情報を絞る。アラートの旗を立てないようにするならば、キャッシュではなく□□□□として売っ払うという手もある。どちらも足がつかないように、恒常的に受渡できる「仕組み」を作りこんで、その仕組みそのものを売るというのもアリ。

古典的な着服方法

 情報を盗むだけなら普通のプログラマでもできる。痕を消すことを思いつくのは、魔がさした普通のプログラマ。で、現金化までを想定してプログラムまで書けるのが、悪のプログラマだ。

 この元社員は、ログ出力プログラムを改ざんするぐらいの知恵は回ったらしいが、そいつを足がつかないように現金化するところまで頭が回らなかったらしい。

⇒冴えたやりかた3:現金化を見越した作りこみ

 クラッキングだけでなく、現金化するところ「も」作りこむ。警察の捜査とは、犯罪を実行する後ろの「人」を探す諸々の行動。だが、犯罪を実行するのが「人」ではなくプログラムだったら? もちろん実行するコンピュータの持ち主という足がかりはあるものの、ホレ、人を隠すには人の中、というじゃぁないか。プログラムを隠すにはプログラムの中、というやつ。

 ズバリ書けないのがもどかしいが、ふたつみっつ思いつくだろう。嫁さんに振ったら「捕まる人はキャッシュを求めるからいけないんじゃない? "マネー"にしちゃえば?」とトンデモナイことを言った。やりおる!

 また、そのプログラムを書いたなら、そいつを動かすタイミング、消すタイミングもセットで考えるだろう。ニッパチは取引が少ないのが常識なので不正使用が目立ちやすいだろう。さらに、制度更改やシステム入替で混乱しがちなのが盆暮れとゴールデンウィーク。プログラムの実施時期はおのずと決まってくるだろう。

 ちなみに、本件の犯行時期は2005年10月と2006年2月。このへんを一切考えていなかったことがよく分かる。プログラマとしては並以上だったかもしれないが、犯罪者としてはあまり優秀ではなかったのかもしれない。

 冴えたやりかたは、たったひとつではない。優れたプログラマであればあるほど、いくつでも思いつくだろう。まさに alternative solution を幾つも用意できるのが、優れたプログラマの定義なのだから。

 「優れた」プログラマでなくても、「悪の」プログラマにはなれる。こうした悪知恵は自分で思いつくだけじゃなく、公開されたネタからさらにブラッシュアップできる。わたしだけじゃなく、元記事を読んだ方は、きっとこうつぶやいたはず。

わたしだったら、もっと巧くやるのに
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 さて、後半ではこうした犯罪を防ぐ方法を書く。

 運用業務の監督は各自で頑張るとして、根幹はあれだ、モラリティと一言で片付けられてしまう奴。ここでは、優れたプログラマが本気で悪いことを考えた場合、企業はどうやって抑止できるかを考える。

自らのパワーに気づいていない魔法使い

 ほとんどのプログラマはとてつもない権力を持っているにもかかわらず、気づいていない人が多い。「権力」は語弊があるが、うまい言葉が見つからない。「使い方しだいで善にも悪にもなるが、世の中に大きな影響を与えるパワー」という意味。

 このパワー、悪い方に使うなら、好きなだけ盗れる。呑む席でよくネタにするが、この人が本気でやったら絶対足がつかないだろうなーというプログラマは結構いる。

 「めちゃくちゃ忙しいけれど、やりがいは皆無、かつ、給料安くてやっとれん」ため息まじりの愚痴にうなづきながら、この人のモラルへの代価は会社で賄っていねぇよなーとも思ったり。

 優れたプログラマは、魔法使い並のパワーを持っているにもかかわらず、警官並のモラリティを要求される。しかしながら給料は… どこぞの若造が「いや、技術を通じて自己実現ができるからモチベーションが云々」と言いそうだが、桃源郷はヨソでやっとくれ。

 いま「まだ」平和に見えるのは、大部分のプログラマが自らのパワーに気づいてないから。リアルとネットがこれだけ近づいていて、機密にもアタッチできる立場ならば、そのうち気づく人がもっと増えるはず。そのとき彼・彼女を止められるのは、モチベーション云々ではなく、モラルの一言に尽きる。そして、その対価は支払われていない(し、これからも支払われないだろう)。

魔法使いは「魔法使い」使いが監視し、「魔法使い」使いは、「『魔法使い』使い」使いが監視して…

 ジョージ・オーウェルのミニチュア版を謳うつもりは無いが、相互監視を前提とした開発・運用の業務はアリかと…で、監視する人を監視する人を監視して…(n次の入れ子)、が成り立つ。社員のモラル向上へはビタ一文も対価を支払うつもりがない経営者は、nに好きなだけ大きな値を入れればいい。

 もう少し気の利いた経営者なら、「魔法使い」たちを一同を会し傾向と対策を好きなだけ論じさせるだろう。穴(security hole)を指摘する人もいれば、ドアを普請する方法(softether)を解説してくれる人も出てくるに違いない。んで、魔法使いたちに対策を練ってもらう(もちろん充分な見返りを保証する)。

相互監視のためのペアプログラミング

 ペアプロの利点として代表的なのは、以下の4つだろう。


  • スケジュールが短縮される
  • 若手プログラマの育成につながる
  • 1人で開発するよりもストレスに強い
  • コードの共同共有により品質が向上する

 ここに5つ目の利点が加わる。即ち、「相互監視による犯罪の抑止」だ。「相互監視」なんて、冷水を浴びせる言い方で恐縮だが、この利点はアナウンスしなくても充分な牽制となる。また、コードの共同共有はヘタなコードを潜り込ませないようにする抑止効果がある。

 あと、品質管理担当が「コード検閲」をする…なんてアイディアもあるが、現実的ではないだろう。要求仕様を満たしているかひいひい言っているのに、検閲なんて… いやいやそれでも、ブラフとしても効果があるかもしれない。

まとめ


  • ダメなやりかたは「媒体を残す(今回は紙)」「古典的な現金化では足がつく」
  • 冴えたやりかたは、「犯行の媒体を減らす」「現金化を考慮したハッキング」
  • 対策は、「魔法使いには魔法使いで」「牽制としてのペアプロ」

 で、結論。優れたプログラマが本気で取り組んだなら、痕は残らない。wizardry は魔法使いというだけでなく、「優れた技術」という意味もある。淡々とハックするのを見てると、「充分に発達した科学は魔法と区別がつかない」というセリフを思い出す。

 最後に。「悪のプログラマ」がどこかにいるかのような書き方をしたが、そんな奴はいねぇ。プログラムを悪用する人がいるだけ。魔法そのものは善でも悪でもなく、ただその使い手によるのと同じ。

 次のターゲットは、ケータイだな
 魔法使いさんおしずかに。

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プログラマになれなかったわたし

 今は昔、ひとりの駆け出しプログラマがいた。

 その頃はCOBOLばかりで、しかも保守ばかりだった。そこで、独学で身に付けたCをやらせてもらえる仕事を奪ってきては書いた。スクラッチプロジェクトを見つける嗅覚だけは抜群だった。たいていは人手が足りず、新人でも歓迎されたからだ。

 そこには優れた先達がいた。「スーパープログラマ」と呼ばれていた。

 なぜ「スーパー」なんて修飾子がついたかというと、速いプログラムを早く書いたから。もちろん、「速い」とは少ないメモリ・小さいプログラムのことを指し、「早く」とは実装が早いこと。実際、彼らが書いたプログラムはサクサク動き、バグは簡単に見つけられた。

 教えを請うと、先達たちは、おしなべてこういった。

 最初に学ぶべきは、コンピュータサイエンス。特にアルゴリズムとデータ構造だ。実践的なコーディングテクニックよりも、まず基礎だ。これはコードを書きながらではなく、文献から学んで欲しい。

 次はソフトウェア工学だ。設計・開発手法や、テスト技法を身に付けて欲しい。これは学校でやっていなくてもOJTを通じて「まねぶ」ことができる。

 ところが目先のコードを書き上げるのに手一杯で、先達たちが貸してくれた「参考書」を読む時間なんて無かった。…いや、ウソはいけない。「書き上げるのに手一杯」はウソだ。

 確かにコーディングに追いまくられていたのは事実だが、その傍らで続々と出てくる「新技術」 …Java、UML、J2EE、XMLを知るのにも必死だった。まだ手垢のついていない「オブジェクト指向」というコトバそのものが伝家の宝刀として扱われ、それが何であるかを知る前からそいつを振り回していた(まさにキ○ガイに刃物)。

 新しい記法、新しい技法、新しい用語、新しい言語を齧るたびに、成長した気になった。「速習」「すぐ使える」「かんたん」で始まる本ばかりで、入門から一歩も先へ進んでいなかった。

 それでもコードは書けた。必要なことを順番にコードにするのがプログラマだと信じていた。そして「必要なこと」とは、仕様書に書いてあることか、指示されたことの二つしかない、と思っていた。

 仕様書なんてアテにならず、ソースコードこそが仕様であると確信していた。その正しさを証明するために印刷したコードを振り回しながら、相手に読んで理解することを強要していた。だから、コードが読めない人(能力だけでなく、時間的に読めない人も含む)は、仕様が理解できない人だと決め付けていた。

 COBOL、C、Java と言語の種類が増えるに反比例して、コードを書いて欲しいという依頼は減っていった。いっぽう、SEやPMの立場の仕事が大半を占めるようになった。そして、『プログラマ』という肩書が外された。そのとき上司は「年齢的に大変だろう、30超えてるし」と告げた。

 認めたくなかったが、本当の意味でプログラマにはなれないことが分かった。使える言語は増えたが、どれも極めていない。とりあえず言われたことを書くだけの「コーダー」だった。

 「書いてないことは書けません」が決めゼリフだった。(設計書に)記述されてないことは、(プログラムに)書けません、という意味だ。あの頃は勝利宣言のつもりだったが、振り返ると、コーダー宣言だったに違いない。つまり自分へのトドメ。あるいはプログラマとしての死刑宣告書へのサインだったのかも。

 「コンピュータがどうやって動くか」の本質なんて変わってやしない。それに気づかないまま新しいモノばかり追い求めてきた結果がこれだ。SEとしても、コンサルタントとしても、PMとしても、偉そうなことをぬけぬけと言い放っているが、一皮むけばこんなもの。

 今は過去の遺産でしのいでいる。上っ面だけかもしれないが、量だけはこなしたので、もうしばらくいけるだろう。その間に別の「新技術」を習得して「知ってる君」になって吹聴する…をループ。大丈夫、昔のネタを別の名前に替えただけのものを「新技術」と売り出しても咎められないみたいだから、巧み立ち回ればグルを名乗ることもできるかも。

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 以上、「浮ついた「ギーク」への説教(※老害注意)」を読んだ、あるプログラマ「だった」人の告白を書いてみた。

 え? 表題に「プログラマになれなかった『わたし』」とあるって? 気にしない気にしない。だって、『あなた』と書いたら問題でしょ?

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「ベルガリアード物語」はドラクエとFFを足して2倍した面白さ

 これはすごい。ファンタジーの王道まっしぐら、読みながら雄叫びを上げたくなる面白さ。なおかつ端々に記憶の奥底に残る物語を垣間見て、初読なのに懐かしい思いをする。

 傑作は姿を変えて他の物語に潜む。読み手の読書歴により異なるが、本書を通じ様々な物語を思い出すに違いない。

 どんなに誉めても足りないので、どうのようにこの5巻をたいらげたかを書く。


  1. 【予言の守護者】物語に入り込むのにちょい手間取る。歴史や風俗を丹念に描いてあり、異国の風物詩のように楽しむ。後に全部が伏線という仕掛けに気づく。つゆ知らず壮大な「自分探しの旅」なんだなーと次へ
  2. 【蛇神の女王】物語にのめりこむ。意外性を追求していないところ(王道)に安心する。表紙の娘に萌えてみる。おおかたツンデレだろうと予想し、当たりはしたが、後巻で「そこまでツンデレだったんかッ」と絶叫するハメに
  3. 【竜神の高僧】このへんから徹夜。すさまじく面白い。昔ハマったRPGやらマンガやら映画やら次々と思い出す。Wizardry からJOJOまで。スターウォーズからロード・オブ・ザ・リングまで。傑作は姿を変えて他の物語に潜む。もうトシなので徹夜の翌日に多大な影響を及ぼす。
  4. 【魔術師の城塞】面白さ最高潮。謎が、伏線が極点へ集中する。やめられない止まらない。あのBGM([参照]音が出ます)が頭の中で響く。ある重要な場面では「うおッマスターソードォッ」と吼える…電車で。やっぱり王道ファンタジーである指輪物語を思い出し、ハァハァしながら嫁さんに告げると「何を今さら」と微苦笑される
  5. 【勝負の終わり】┣¨┣¨┣¨という効果音で読み進む。500頁イッキ読み。ページを繰る手がもどかしいのに、残り少なくなるページを惜しみながら読む矛盾。終わらないでと呪文のように祈りつつ… 嫁さんが「続きを借りてきたよッ『マロリオン物語』だって」… 目を真っ赤にしながら「続きがあるんかッ」とこときれる

嫁に言わせると、読む順番があるらしい。

 ベルガリアード物語(全5巻) ←いまここ!
       ↓
 マロリオン物語(全10巻)
       ↓
 魔術師ベルガラス(全3巻)
       ↓
 魔術師ポルガラ(全3巻)

 スゴ本かつ徹夜小説シリーズ。無類の面白さは保証する。イッキ読みすると命にかかわる。くれぐれもご注意を。




ベルガリアード物語1ベルガリアード物語2ベルガリアード物語3
ベルガリアード物語4ベルガリアード物語5

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企画「徹夜小説を探せ!」のリストを更新

■これから読む徹夜小説

  告白(町田康)
  永遠の仔(天童荒太)
  第六大陸(小川 一水)
  ガダラの豚(中島らも)
  傭兵ピエール(佐藤賢一)
  ゼウスガーデン衰亡史(小林恭二)

  魔術師(J.ファウルズ)
  大聖堂(ケン・フォレット)
  北壁の死闘(ボブ・ラングレー)
  イヤー・オブ・ミート(ルース.L.オゼキ)
  スワン・ソング(ロバート.R.マキャモン)
  シャドウ・ダイバー(ロバート・カーソン)
  カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー)米川正夫訳 /岩波文庫版

  海辺のカフカ(村上春樹) (春樹本では格下らしいので除外)

■徹夜を覚悟→徹夜した小説

  火車(宮部みゆき)
  半落ち(横山秀夫)
  ダ・ヴィンチ・コード(ダン・ブラウン)
  摩天楼の身代金(リチャード・ジェサップ)
  悪童日記(アゴタ・クリストフ)(「ふたりの証拠」「第三の嘘」と一緒に!)
  ベルガリアード物語(デイヴィッド・エディングス)(全5巻)

半落ち火車悪童日記
ダ・ヴィンチ・コードベルガリアード物語1

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ゲームで子育て

 ある教授に言わせると、脳がどうかなるらしいが、まずわたしの脳が汚染されているはず。ガキの頃からゲーム漬け。昔は BLACK ONIX のチートから、最近では巨像十六体連続撃破まで。うん、確かに三十路で萌えとかいってるし、きっと脳がアレなんだ(w

 筋も金も入っているつもりだが、最近ではわが子の育成シミュレーションゲームの方に全精力を傾けている。大変だけど面白いね。自分自身がコントローラーで、その成長ぶりは親の「因」→子の「果」としてハッキリと顕れる。

 「親の行動(原因) → 子どもの成長(結果)」は隠しようがない。「子どもは親のいうとおりにならないが、親のマネだけは天才的に上手い」に従えば、「ウチの子がおかしい」と訴える親は、オマエがおかしいからじゃぁ!というツッコミに耐えねばならない。

 テレビとゲームは通過儀礼。逃げようたってそうはいかない。

 この単純な事実に目を背けようと躍起になるのは勝手だが、ムリするとずいぶん歪んだ親をすることになる。歪むのは親であって子ではないところがポイント。歪んだ親の結果が子に押し付けられるのが因果。

 テレビもゲームも「コントロール」することが大事。良い機会じゃないか。優先度・重要度を考えて、観る/遊ぶ対象を選ぶ。で、自分で区切った時間の中で楽しむ。携帯ゲームでも持たせっぱなしにしない。必ず居間で親と一緒にプレイさせる…など、「ゲームは1日1時間」だけでなく、セルフコントロールのためのルールを守らせる。

 ここでしっかり訓練しておかないと、「24時間耐久桃鉄」とか「死者の宮殿一気通貫」といった命にかかわる遊び方をするようになるぞ。

 子育てに向いたゲーム、向いてないゲーム。

 子育て向きとして、太鼓の達人DDRといった音ゲーを推す人がいるが、やりたいやつをやらせりゃいいんじゃないかと。ただ、あまりに反社会的だと思われるやつは敬遠しよう(GTAはやっぱりアレだし)。この判断もトーチャンカーチャンで決めればよいかと。

 ちなみにウチはウルトラマンをやっているが、COM相手に負けてばかりで悔しがっている。

 何のためにゲームをするのか?

 COMに負ける→悔しい→リトライをくり返すうちに、だんだん勝てるようになってくる。「どうすれば勝てるか?」を考えながら動かすと、もっと勝てるようになる。こうなってくると面白い。

 ゲームとはつまりパターン化。勝つパターンを見つける作業を「ゲームをする」という。作り手が準備した世界で、対戦相手に勝つパターンやシナリオを進めるパターンを探し出すためのトライ&エラーが「ゲームをする」ということ。

 ゲームが好きな人はこのパターン認識がものすごく上手い。抽象化された世界で、できるだけ少ない労力でパターン認識をすばやく行う。ゲームを通じてわが子に身につけてほしいのは、このスキルだ。結果のために自己をコントロールする能力。因果律とは原「因」をコントロール(律)することで望む結「果」を得ること。

 というのも、学校の試験であれスポーツであれ、リアルでの試練の大部分は、このパターン化でクリアすることができるから。勝つためのルール・法則は、まちがいなくある。人よりも短時間でそいつを見抜き→自分のモノにすることで、望む結果を得ることができる。もちろん努力や根性を要するものもあるが、ルールを支配するものが勝つ、という「ルール」(rule of rule)を学ぶことができる。いそいで補足しなければならないのは、「勝て」の一本やりではないこと。する・しないはひとまず措いて、勝ち方を理解しろ、というわけ。

 「何のためにゲームをするのか?」…この質問をせずにゲームさせている親が圧倒的かと。むろん質問の相手は「親自身」なり。子の言う「面白いから」「はやってるから」を鵜呑みにせず、自分で考えてみるといいかもしれない。

 なぜゲームが「パターン認識」に適しているのか?

 それは、クリアできるようにできているから。フクザツな世の中とは違い、ゲームの世界は抽象化されている。ハマれる程度には複雑に、楽しめる程度までは因果律が明確になっている。リアルでいきなり実践もよいが、まあ待て、ゲームという格好のシミュレーターがあるではないか。

 リアルとゲームが異なることぐらい、言われなくとも分かっている。また、ゲームならいくらでも繰り返しができることぐらい、言うまでもない。さらに、ゲームでは、望む結果が得られない場合は、自分が原因であることも常識だよね。

 たとえばシューターに訊いてみると良い「グラディウスをクリアするには?」。すぐさま返してくれるだろう→「弾を避けよ、弾を当てよ」と。で、避けるのも当てるのも「気合で」と。

 どんなゲームであれ、行き詰まったとき、プレイヤーは最初に「自分自身」を疑う。自分が望む結果が得られなかったからといって、周りを責めたりしない。弾誘導か、索敵の方角か、ガードキャンセルが失敗したのか、自分のプレイを振り返って、「勝つパターン」との差を見直す。自分と、コントローラーと、ディスプレイしかないぐらい単純化された世界だから、ふたたび因果律を見出すことは比較的カンタンだ。

 一方、リアルではさまざまな雑音、というか変数が多すぎて、因果律を見出すことはかなり困難。しかし、因果律は確かに存在し、より短時間で見つけたものが望む結果を得ることも事実だ。この事実を信じて、因果律を見つけ出すトレーニングをするのに、ゲームは素晴らしい教材だと思う。「ときメモ」やりこんでもモテることと何の関係もないが、モテるためにはそれなりの努力が必要であることを思い知ることができる。

 もちろん例外もある。

 それはネトゲ。これだけはやらせない。リアルシミュレーターの最たるもので、上で述べてきた目的に合致するが、これは「終われないゲーム」だから。暴力や性描写よりも、ネトゲの「性質」の方が悪影響を及ぼすと思う。

 何をしてもいいし、何もしなくてもいい。ゲームの世界でのんべんだらりとできてしまう。「何もしない」をゲームでできてしまう。あるいは、ゲームしながら「ヒマだなー」と呟くことになる。廃ゲーは分別がついてから。

 むしろ問題なのは、テレビやゲームに「お守り」をさせていること。

 子どもと向き合うことを放棄した親(?)が存在すること。そうした行動を棚に上げて、ゲーム狩りに勤しむ親がいる。自分の子が望まない結果(問題行動)になったとき、誰かを責めることで自分の責任が免れるとでも思っているのだろうか(思っているに違いない)。

 しかし、明治なら「小説」、昭和なら「映画」、今の親初心者が子どもの頃なら「テレビ」がそれに相当してたことを思い出してほしい。

 いつの時代だって、子どもより自分の都合を最優先させる「親」が存在したことは事実。そして、そうした子どもの相手をするメディアが何であれ、「親自身」よりも劣っていることも事実←これに気づけば、メディアを糾弾することに労力を使うよりも、子どもと話す時間を増やすほうがより効果的だと理解できる(はず)。
プリンセスメーカー

 因果律からすると、まず自らの行動を変えるべき。「親の行動(原因) → 子どもの成長(結果)」であって、逆はありえない。お題の「ゲームで子育て」ができる、「プリンセスメーカー」から学んでみては? と揶揄ともマジともとれる呟きで締めるとしよう。

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良い育児書、悪い育児書

 実は見わける方法がある。「子ども」の部分を「あなた」に置き換えてみるのだ。納得感が得られれば、良い育児書。「えー!?」と思ったなら、悪い育児書。「良い」「悪い」とは、「読んで使える」か否かと定義する。

 例えば、感情的になっている子どもにどう接するかについて、次のガイドで確かめてみよう。「子ども」を「あなたの妻(夫)」に置き換えてもOK。

[子どもたち]は強い感情に突き動かされているときは、誰の言葉も耳に入らない。忠告も慰めも建設的な批判も受け取ることができないのだ。[子どもたち]は自分のなかに起こっていることを、自分がその瞬間に感じていることを、わたしたちに理解してもらいたがっている。

[子ども]が自身に対し否定的なことを言った場合、それを打ち消したり異議を唱えたりしても、[子ども]にとってはほとんど役に立たない。まず[子ども]の感情を丸ごと受け入れ、認めることが先決。

 「子は親の鑑」…分かっちゃいるが、(わたし含む)実践できてない人は、育児書というツールで確認してみてはいかが?

 さらに、良い育児書と、最高の育児書の違いがある。良い育児書は、読んで実感できる。もっと良い育児書は、読み手が(=親が)感化される。最高の育児書は、読むうちに親の方を育自してしまう。

 「マニュアル世代」誹謗上等!育児書は読み漁れい!

 実践的親業をする身になって、初めて気が付いた→見習うべき「親」がいない。上の世代に、ロクなオトナがいない。過去の家族モデルにしがみつくつもりは毛頭ない。だからマニュアル(育児書)に手を出す。可視化された knowledge は参考にするが鵜呑みにしない。かつ、読んだら実践→フィードバックする。経験値は読んで身に付ける。

 わたし自身、親のありがたみは骨身にしみているが、親業として見習うものは、少ない。「背中を見て育つ」は確かに真実だが、放任の言い訳とも。ときどきわたしは気づくんだ、自分が親から言われたことと同じようなことを、子どもに向かって告げている。

 「子育てとは、リアル育成シミュレーションゲーム」っつったら殴られそうだが、現実はそんなもん。ただし、コントローラーは「自分自身」であるところがミソ。育児はまず、自らを育てる「育自」から。ファミ通の攻略本はないけれど、数だけは山ほどある。

 「デート中に、"選択肢"が見えたらなぁ」と本気で考える奴はヲタ。けれど、親業やっているときは、選択肢を念頭において行動すべき←行動の根拠を自覚しておく必要があるから。

 無数にある「選択肢」のうち、強力なやつを紹介しているのは、これ「子どもの話にどんな返事をしてますか?」。これはかなり良い本。以下ザップするので参考にして欲しい。

* * * * *
子どもの話にどんな返事をしてますか

 いいほめ方と悪いほめ方。ほめる対象は子どもの努力や成果であって、性格や人格ではない。叱り方と同じ

 庭掃除をした子どもに、子どもがいかに一生懸命働いたかとか、庭がとてもきれいになったということについてほめることは良い。しかし、その子に向かって「あなたはいい子ね」というのは、全くの的外れであるどころか、不適切でもある。「いい子」には親の評価が入っているから。

 ドラゴン桜効果(?)なのか、最近では「ほめて育てよ」が合言葉。しかし、正しいほめ方をしないと「親のメガネからの姿」を強要することになる。子どもにとって、これは苦痛だろう。やみくもでなく、習慣・行動に的を絞って正しく「誉める」こと。

 正しい怒り方。感情を噴出させる方法があり、自覚しながら正しく怒る。子どもに激情をぶつけ、自分がスッキリするために怒るのではない。親にも堪忍袋の緒というのがあることを理解させ、すべきこと/してはいけないことをハッキリと思い知らせるために、怒るのだ。正しく怒るため、次の3つの準備をしておく必要がある。


  1. 子どもの相手をしていると、どきどき怒りを感じるという事実を受け入れる(わたしたちは聖人ではない)
  2. 罪の意識や恥を感じることなく、怒る権利を持ち、感じたことを表現する権利がある(怒りは悪徳ではない)。
  3. ただし、怒りを表現するとき、子どもの人格や性格を攻撃してはならない。怒りはコントロールできる。怒ることを止めるのではなく、正しく「怒る」

 実際に怒るとき、正しく怒るためのポイントは次の通り。


  • 主語は「わたし」に限定。動揺した気持ちをハッキリ口に出して言う。「私、怒っている」「私、かんかんになっている」と怒りを強めながら表現する。
  • 怒っている理由を説明し、こちらの反応や、取りたい行動を淡々と述べる

    • 「靴下やセーターが床一面に散らかっているから、カッとなったの。窓を開けて全部放り投げてやりたい」
    • 「あなたが弟を叩いたから怒っている。もうカンカンになっている。あなたが弟を傷つけるのは絶対に許せない」
    • 「夕食に呼んだのに、あなたがこないから怒っている。すごく怒っている。美味しい食事を用意したんだから、感謝してもらいたい、無視するのではなく」

 正しい怒り方があるように、まちがった怒り方もある。それは、すでに答えが分かっている質問をすること。ウソの上塗りを強要するか、子どもを追い詰めているだけ。最高にまちがった怒り方は「どうして…なの!」。それは質問ではなく、「おまえは…なんだ!」と強烈なメッセージを送っている(決め付けている)。決め付けられた子どもがそいつを改めると思うか? 自分に当てはめてみるといい。

  「どうしてオマエはいつもだらしがないんだ?」

                     →オマエはだらしがない!

  「どうしてオマエはいつも間違えてばかりいるんだ?」

                     →オマエは間違えてばかりいる!

  「どうしてオマエは自分で決めたことを守れないんだ?」

                     →オマエは決めたことが守れない!

 「別に」「何も」対策

  「学校はどうだった?」
                     『別に』

  「今日は何をしたの?」
                     『何も』

 …んで、これ以上ツッコもうとすると、『うるさいなぁ、放っておいてよ!』と嫌がられる。上手くいっているか心配な親と、根掘り葉掘り聞かれるのがイヤな子どもとの典型的な会話。

 子どもは疲れていたり、学校で起きたイヤなことを忘れようとしたりしている。そこへ畳み掛けるように質問されたら、自分だってイヤでしょ? 職場から帰ってきて、妻(夫)に、「お帰り、仕事はどうだった?」て訊かれたらどう感じるか想像してみて。

 この場合、「質問」ではなく「コメント」を伝える。自分が相手(子ども/夫/妻)を理解している「メッセージ」を伝える。例えば、


  • 家に帰ってきて嬉しそうだね
  • 大変な一日だったみたいだね
  • やっぱり家に帰ってくるとホッとするよね
  • 学校が終わるのが待ちきれなかったんじゃないの

 このとき、子どもがどう反応するかは、自分自身に当てはめて想像してみよう。妻(夫)からそうした「お疲れサマ」というメッセージを受け取ったら、自分ならどう返すだろうか。「別に…」でないことは確かでしょ。

* * * * *

 「子どもの話にどんな返事をしてますか?」の対象は、3歳~15歳の子ども。しかし、「子ども」を「わたし」や「妻(夫)」に置き換えると、実は末永く使える共育マニュアルでもある。

 以前のエントリ「親になったら読んでおきたい三冊」に加え、本書は四冊目として強力にオススメ。

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JAPAN UNDERGROUND を絵本がわりにする

 まずはこの画像[参照]を見て欲しい。岐阜県神岡町のスーパーカミオカンデだ。

 東大宇宙線研究所の光電子増倍管が1万1,200個張り巡らされた地下1キロにある観測タンクの修理風景。説明なしだと何のことやら分からない実存まるだしの施設風景。

 裸むきだしの構造物を眺めているだけで飽きない。その設備に求められている要求を厳密に愚直に具現化しただけのオブジェクト。それが、ごろんと転がっていたり、撮影者の空間全体を囲んでいる。

 眺めていくうちにだんだん恐くなってくる。あの「巨大な物が怖いという」まとめ[参照]と同じ。あるいは、PS2ゲームの「ICO」で恐怖に近い畏怖を感じるのは、あの城そのものだといえば分かってもらえるだろうか。アニメなら、「AKIRA」でアキラが格納された地下施設を思い出してもいい(古い?)。はじめて見たときの感覚が冷たく思い出されてくる。
JAPAN UNDERGROUND
 そういう、かつてトーチャンを魅了して止まなかった"JAPAN UNDERGROUND"を、子どもに絵本代わりに与える。いつまでも「11ぴきのねこ」や「どうぶつずかん」もなかろう。

 結果は大正解。

 「うわすげー」しか言わない。巻末の解説を噛み砕いてやると目をギラギラと輝かせて聞き入る。でっかいビルや飛行機を見るのが大好きなので、ツボにハマったらしい。

 いっぽう、その裏側(というか大深度地下世界の果て)に、実存まるだしの世界が広がっていることは、カルチャーショックになったかもしれん。情緒教育に多大なる(悪?)影響をあたえそうな予感を孕みつつも、喜んでいるので良しとするか。

 非常に興味深いのは、砂町水処理センターの航空機用ガスタービンの画像を見たときの反応。「なにが産まれて来るの? オルフェノク?」 とぬかしやがった。たしかに、異形の存在の、子宮卵巣に、見えなくもない。

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面白い小説を見つける3つの方法

 わたしのやり方。誰かの参考になれば。
 まず「面白い小説」の定義。以下のいずれかの条件を満たせばOKとしようか。

   ・イッキ読みされる小説 (= page turner というやつね)
   ・「わたし」の趣味に近い but 「わたし」の知らない小説

方法1:図書館で探すときは、本の「背」に注目する

 「趣味は読書」を自慢する人に限って図書館を利用しない。書店の平積みを渉猟するだけで満足する。本当に好きでたまらない人は、図書館を利用せざるを得なくなる。なぜか?

 図書館を使わないと、床が抜けるから。あるいは生活できなくなるから。読書は「量」だ。多読せずに「面白い本ない?」と言う資格なし。図書館使えば10冊/週も可能。「読む時間ない」とは言い訳。時間とは創る物。それに値しない本しか知らないからそんなこと言ってる。

 書店はどうする? ありゃ「出会い系サイト」と同じで、新たな出会いのために訪れるもの。第一印象がよければ「お持ち帰り」の次第だが、誰も読んでいないその本の実力は推して知るしかない。

 そこで図書館。冒頭の方法が効いてくる。「背」がひしゃげている、つまり上から見たとき、背表紙が斜めにゆがんでいるのが「面白い小説」といえる

 つまりこうだ。本を開いている状態だと、「背」は斜めになる。本を閉じると元に戻る(戻ろうとする)。ずーっと開きっぱなしにしていると、クセがついてしまい戻りにくくなる。だから、イッキに読まれた小説ほど、その「背」は斜めになっている。図書館にいったとき、既読の作品で確かめてみるといい。

方法2:「この○○がスゴい!」は「座談会」を狙う

 「このミス」信用しすぎ。参考にするのはかまわないし、面白い作品があることは事実だが、このミス第1位だから、面白いという理屈はヘン。一定のインターバルを措いてこそ、淘汰の波に洗われるわけで、安易に飛びつく人は「自分の時間」が賭金になっていることに気づいていない。

 毎年恒例の「この○○がスゴい!」は、ナントカ大賞を逃した「出版業界にとっての惜しい本」を救済するための残念賞という仕掛けであることは、わざわざ説明しないとダメ?

 じゃぁ役に立たないかというと、そうではない。きっとこのコーナーがあるはずだ→「その年の目玉本をマナ板に載せた座談会形式のレビュー」←こいつが狙い目。メンバーは百戦錬磨の読み手をそろえた丁丁発止、面白くないワケがない。しかし、そこには致命的な制限がある→「今年の本から選ぶ」。どんなに不毛でもそこから選ぶしかない。

 では、どこを見るかというと、「ホラーといえば2001年の○○がスゴかったけれど、今年の△△も良いね」なんて発言だ。最終的にレビューアーは今年出た本から選ばなければならないという縛りがある。その中でのささやかな抵抗が「○○といえば…」という枕詞。「○○といえば…なのに、今年はそれに敵う逸品が無かった」という含みがある。さらに「そーそー私もそう思う」なんて合いの手が入ればカンペキ。

 「今年のベスト」なんて、評価の妥当性を強調するべく、ポイント制にしたりアンケート形式にしたり、涙ぐましい努力をしているが、ランキングなんてどうでもいい。「○○といえば…」だけを探せばよい。わたしはこれでジム・トンプソン「ポップ1280」に出会えたぞ。パルプ・ノワールといえばコレを推す。

方法3:ネットの情報は「発信」するところに集まる

 この blog を訪れるぐらいだから、レビューサイトは毎日巡回されていることと思う。あるいは

  松岡正剛の千夜千冊[参照]
  エキサイト・ブックス・ニュースな本棚[参照]
  2ちゃんねる:【まとめ】屁理屈ぬきで一番おもしろかった小説は?[参照]

あたりはチェック済かもしれない。

 また、amazon を利用しているならば、「この本を買った人はこんな本も買っています」や、マイページを参考にしている(ハズだ)。エロ本を除けば、amazon のオススメはだいたい信じてよかろう(ただし、amazon が提案してくる本の評価をちゃんとアップデートしておくこと)。

 しかし、実はもっと良い方法がある。もっと良いどころか、ネットが使えるなら最高のやりかたがある。

 それは、「情報の発信」なり。レビューを「収集」するのではなく、レビューを「発信」するのだ。情報は、発信する人へ集まってくるという習性をもつ。カネと同じ。あるところに集まってくる。カネと違うところは、「情報があること」は、発信することでしか証明できない、という点。情報残高なんて誰も見てないよ。

 そして、発信によって集まってきた情報を元に取捨選択→読んだ結果を「再発信」する。この発信→収集→再発信のサイクルをくり返すことで、洗練されてくる。欲しい情報は能動的でないと取れないしくみになっている。Web2.0になろーが、Google先生がいかに賢かろーが、これは間違いない。

 例えば、以下のわたしの「質問」で得られたものはデカい。

  はてな:最悪の読後感を味わわせてくれる小説を教えてください[参照]
  はてな:徹夜するほど面白かった小説を教えてください[参照]

 どちらも膨大な回答を得られてウレシイ。それだけでなく、この話題を取り上げてくれたサイトが沢山ある。そこで得られる「私なら○○を推すんだが…」を捕捉→参考にする。トラックバック先も同様に捕捉。はてなブックマークも忘れずに。ここで得られたリストには、「わたしの趣味を考慮ているが、微妙に違う守備範囲の作品が並んでいる。言い換えると、「それを推すならこれ読んでる?」リストができあがる。

 「自分が素晴らしいと評価する作品を面白いと言っている人を探す」…そのためには、先ず自分から「面白い」と言わなきゃ。欲するなら、まず与えよ。これぞ、たったひとつの冴えたやりかた

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これから読む徹夜小説

 はてな「徹夜するほど面白かった小説を教えてください」[参照]のエントリからピックアップして、一作家一作品でリスティング。続けて読むと睡眠時間がゼロになってしまい、生活に支障をきたす(かもしれない)ので注意しながら読むつもり。

 た・の・し・み ~ (^^
 アドバイスいただいた皆さまに大感謝。はてなポイントじゃ足りないぐらい

■これから読む徹夜小説

  永遠の仔(天童荒太)
  第六大陸(小川 一水)
  ガダラの豚(中島らも)
  傭兵ピエール(佐藤賢一)
  ゼウスガーデン衰亡史(小林恭二)

  魔術師(J.ファウルズ)
  北壁の死闘(ボブ・ラングレー)
  イヤー・オブ・ミート(ルース.L.オゼキ)
  スワン・ソング(ロバート.R.マキャモン)
  シャドウ・ダイバー(ロバート・カーソン)
  カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー)米川正夫訳 /岩波文庫版

■徹夜を覚悟・徹夜した小説

  火車(宮部みゆき)某弁護士事務所では、新人研修に使う
  半落ち(横山秀夫)ラストで号泣、涙で読めねぇ
  ダ・ヴィンチ・コード(ダン・ブラウン)読むジェットコースター
  摩天楼の身代金(リチャード・ジェサップ)「最高」の冠を付けたい
  悪童日記(アゴタ・クリストフ)「ふたりの証拠」「第三の嘘」と一緒に!
  ベルガリアード物語(D・エディングス)ドラクエとFFを足して2倍した面白さ
  大聖堂(ケン・フォレット)2006年のNo.1スゴ本
  告白(町田康)読むロック(ただし8beat)
  復讐する海(ナサニエル・フィルブリック)これが冒険小説ではなく、実話であることに衝撃を覚えずにはいられない
  女王陛下のユリシーズ号(アリステア・マクリーン)男泣きに泣いた。声をあげて哭いた

半落ち火車悪童日記
ダ・ヴィンチ・コードベルガリアード物語1大聖堂
告白復讐する海女王陛下のユリシーズ号

■既読のからのよりぬき(徹夜保証)

 塩狩峠(三浦綾子)
 屍鬼(小野不由美)
 黒い家(貴志祐介)
 白夜行(東野圭吾)
 日本沈没(小松左京)
 燃えよ剣(司馬遼太郎)
 ドグラ・マグラ(夢野久作)
 ホワイトアウト(真保裕一)
 虚無への供物(中井英夫)
 嘘つきアーニャの真っ赤な真実(米原万里)

 星を継ぐもの(J.P.ホーガン)
 グリーン・マイル(S.キング)
 ダレン・シャン(ダレン・シャン)
 キリンヤガ(マイク・レズニック)
 シャドー81(ルシアン・ネイハム)
 百年の孤独(ガルシア・マルケス)
 夏への扉(ロバート.A.ハインライン)
 ゲームの達人(シドニイ・シェルダン)
 ケインとアベル(ジェフリー・アーチャー)
 アルジャーノンに花束を(ダニエル・キイス)
 存在の耐えられない軽さ(ミラン・クンデラ)
 クリスマスのフロスト(R.D.ウィングフィールド)
 レッドオクトーバーを追え!(トム・クランシー)
 寒い国から帰ってきたスパイ(ジョン・ル・カレ)

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徹夜小説を募集してみる

 「徹夜するほど面白かった小説」を募集してみる。問い合わせ先は「はてな」と「Yahoo!知恵袋」なり。どっちからどんな回答が得られるか楽しみ~

「これは!」というのがあれば、どうぞ。

■質問文

徹夜するほど面白かった小説を教えてください。「読み始めれば、徹夜を覚悟するだろう」というのは、S.トゥロー「推定無罪」の帯の文句。半信半疑でページを開き、噂どおり完徹しました。

いくつかをピックアップして↓にレビューしたので参考までに。
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2006/02/post_b4eb.html
これらは歴史ミステリですが、もちろんジャンルは限りません。たとえば、冒険譚ならS.ハンター「極大射程」、歴史小説なら藤沢周平「蝉しぐれ」が徹夜小説でした。

あなたが思わず引き込まれ、気づいたら朝だった小説を、教えてください。

■「はてな」での[質問]

■「Yahoo!知恵袋」での[質問]

蝉しぐれ極大射程推定無罪

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