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少子化=親が減っている

 子連れで里帰り。じたばた動く赤んぼを背中や腹にくくり付けて混んだ電車に乗る。優先席に優雅に座る50代とおぼしきオバサマ3人が赤んぼにちょっかいかけてくる。

      「まあカワイイ」

      「ほんと、お人形さんみたい」

 ええと、わたしは立ちで構いませんが、せめて嫁は座らせたいんですけど…

      「ちょっと触ってもいいかしら?」

 ええ、いいですが、せめて嫁は…

 手荷物から察するに、歌舞伎座からの帰りだろう。オバサマたちはあれこれ赤んぼをいじった後、優雅に降りていった。嫁を座らせ、赤んぼを降ろし、一息ついたところでの会話。

     私 「あのオバチャンズは何だったんだろう?」

     嫁 『親やったことがないんじゃない?

     私 「!」

     嫁 『親の苦労をしないままトシだけとったんじゃない?

 なるほど。少子化少子化とやかましいが、ああいうオトナが増えているんだなー。

 こんなどうしようもないわたしでも、少しはマシなオトナをやれているのは、子どものおかげ。「思いやり」だの「感謝のきもち」といったコトバにするとペラペラなんだけど、自分のコンピテンシーとなっている正の要素は、すべて子育てを通じて得た。むかし親父が「女房・子どもを養って一人前」と言っていたが、このトシになってようやく同意できるようになった。

 少なくともわたしの場合、女房・子どものおかげでどれだけ人間が成長したことか… どんなに感謝してもし足りないぐらい

 子どもを育てるとき、老後に養ってもらおうという魂胆もないし、教育費やしつけが負担だとか文句垂れるつもりもない。夫婦やってて授かったのが子ども。大事に育てるのがあたりまえ。

 少子化の論点で、「高齢になっても子どもに面倒を見てもらえるメリット」だの「教育費が1000万円超」といった脅し文句がピンとこない。少子化少子化とやかましく叫んでいる輩は、子育てしたことがないんだろーなー、と思ってみたり(子どもがいない、ではない。自分で子どもを育てたことがない、という意味)。

 少子化とは、

  親の苦労を知らないオジサン、オバサンが増えていることと、
  親をやらないまま、オジイサン、オバアサンの年齢になる人が増えていること。

 お祖父さんでもお祖母さんでもない高齢者が増えていることのほうが、「人口減による経済効果」よりも心配。「キレやすい」「傍若無人」「自己中心的な」高齢者が増加しているのは、親業を通じた苦労が足りないからだと勝手に結論付けて酒呑んで寝ることとしよう。

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読んではいけない――人生を狂わせる毒書案内

 こういう挑発的なお題の典型は週間金曜日の「買ってはいけない」だろう。トンデモ論ながら思わず手にしてしまうインパクトがあった
毒書案内

 読んではいけない――「毒書案内」も似たようなものだとタカをくくって一読、期待を裏切ってもらって非常に嬉しい。「スゴ本」の企画「劇薬小説を探せ!」が好きな方なら超オススメ

 「読んではいけない」の真意は、読んだことによって取り返しのつかない事態になること。即ち、不用意にページを開くことによって、知らずに済んだ世界を"知って"しまうこと。あるいは、眠っていた感性が強制的に目覚めさせられ、さらには自分の拠って立つ基盤を切り崩されてしまう…そんな恐れがある本。

 もっとも、合う合わないは人それぞれなので、著者の口上どおりの「毒薬」効果があるかは分からない。それでも、少なくともわたしも激しく同意できるものをピックアップしてみる。また、本書に触発されて読む気になった未読リストも挙げておく。毒見役もやってみよう。

 追記。このblog、腐女子やオタ中年だけでなく、清純な女子高生やケも生えてない小坊も見てる。耐性ない奴は読むの禁止な。「ジコセキニン」でもやめとけ。

人生を狂わせる「毒薬効果」あり

カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー)
 特に「大審問官」がッ

砂の女(安部公房)
 読後、「日常」って何なんだろう? と自問し始めたらヤヴァイ

地獄の季節(ランボー)
 初めて読んだとき、ページが燃えるようだった
 「地上の糧」と双璧を成す

死の棘(島尾敏雄)
 イタイイタイ本。身に覚えの有る人は特に

芋虫(江戸川乱歩)
 「二十面相」でハマり、親の本棚から盗み読んでガクゼンという黄金パターン

来年のわたしの毒書リスト。毒見役は任された!

二十歳のエチュード(原口銃三)
 高野悦子「二十歳の原点」と同時読みしてみる

審判(カフカ)
 「城」と併せて読もうかと

死霊(埴谷雄高)
 ドストエフスキー「悪霊」と並べられるし(w

地下室の手記(ドストエフスキー)
 「劇薬小説」でも薦められたし

ツァラトストラ(ニーチェ)
 そういや未読だった

千年の愉楽(中上健次)
 やべ三部作「岬」「枯木灘」「地の果て 至上の時」も途中だ

われらの時代(大江健三郎)
 大江作品は「万延元年のフットボール」がリストトップだが、これを先に読もう
ロリータ

(谷崎潤一郎)
 高校のとき薦めてきた女子がいた(メガネ美女)。フラグ立ってたんだ…orz

ロリータ(ナボコフ)
 読むの忘れてた。若島正の新訳で読むか

幼女狩り(河野多恵子)
 「みいら採り猟奇譚」がリストトップだが、こいつを先に読もう

少なくともわたしには効果なし

人間失格(太宰治)
 定番だが毒効果は「トカトントン」の方が上(大マジ)

若きウェルテルの悩み(ゲーテ)
 人によるとそうなるかもしれん

不思議の国のアリス(ルイス・キャロル)
 日常から超常へ、不条理の日常化を楽しむ

ドグラ・マグラ(夢野久作)
 「読むと発狂する」という謳い文句だが、楽しく読めた
 (すでに発狂していた?)

マルテの手記(リルケ)
 教養本としてありがたく読了

わが闘争(アドルフ・ヒトラー)
 「優生学のあたりは興味深く読んだ」なんていったら不謹慎なんだが…

野火(大岡昇平)
 読んだ当時は「人肉食」のテーマを読み漁っていたのでインパクト薄め

北回帰線(ヘンリー・ミラー)
 「南」と併せても「ふーん」

眼球譚(バタイユ)
 「読者に嫌悪を嘔吐を催させる」という謳い文句だが…

家畜人ヤプー(沼正三)
 「面白いSF」じゃぁダメ?

* * *

 「毒書案内」の著者はトーダイ教授でフランス文化の専門家でいらっしゃる故、どうしてもフランスの書に偏りがち。本人も"あとがき"で白状しているのだが、どうせならフランス書院の森山塔あたりを混ぜて欲しかった。バランスを取る意味でも、教授が未読であろう作品をピックアップしてみる。

花と蛇(団鬼六)
 さすがに内臓ファックはないけれど、苦痛と糞尿のエロスの極地なり。
 やってみたくなる。しかも「上手くいくかも」と思える時点で毒入り

隣の家の少女(ジャック・ケッチャム)
 自分の子どもが壊れるまで何をやってもいいかが分かる
 「オンリーチャイルド」と併せ読むと効果絶大

ハックルベリ・フィンの冒険(マーク・トウェイン)
 なぜか厭世観でいっぱいになる。なぜかは再読して確かめてみる

 ヤバい小説は、ぜひとも「どくいり きけん」と明記して欲しい。清純な女子高生や毛も生えていないような子どもがうっかり読まないように。

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この本がスゴい!2005

■最も仕事に役立った考える技術書く技術

 「考える技術・書く技術」がダントツになる。数年前に読んだことがあるが、今年は2度繰り返し読んだ。ふりかえれば、自分のライティングスキルが決定的に向上したきっかけはこの本だったことに、いまさらながら気付く。

 このblogの文もアレだが、昔書いたドキュメントはもっと悲惨。モレヌケ、考え抜いていない、分かりにくい、恥ずかしい。業界に疎いからではなく、スキルがないからそういう文章しか書けない。これは、お局さんになっても同じ。なまじ詳しい分、より情けなや。

 それが読んだだけで変わる。本書が素晴らしいのは、最初に理屈がきちんと説明され、それが「考える技術」「書く技術」「問題解決の技術」に一本スジが通っているところ。「明快な文章を書くということは、明快な論理構成をすることにほかならない」という原則は、どこを開いても書いてある。たくさんのハウツーよりも、一つの原則をマスターすべし。

 そして、ただ読むだけでなく、自分でも書いて→修正する。本書の原則はラブレターから条文まで応用できる。引き込ませるリード文、説得のためのロジック、論理立てて説明する方法、フレームワークの応用 …素振り重要。これでもビジネスマンの端くれなので、来年はこれで毎日素振りしようという目標を立ててみる。

* * *

■いちばん、怖かった

 「暗い森の少女」が今年の一番。恐さバロメータの典型は「おしっこちびりそうなほど」だろう。比喩ではなく、これでおしっこちびった。猫と○○を強要するシーンなんざ目を背けたね、小説なのに。幼女蹂躙モノだがケッチャム「隣の家の少女」ではない。

 この本は「隣の家の少女」を超える小説はないか? という企画「劇薬小説を探せ」で教えていただいた一冊。結果からいえば、「隣の…」を超える劇薬ではなかったが、純粋恐怖なら凌駕している作品なり。

 近親相姦、拉致監禁、先祖代々に伝わる呪い、忌まわしい記憶、暗い森、娘そっくりな肖像画などなど、イヤ~な気分にさせられる要素満載。イヤ~は気分だけでは終わらない。エグエグしてるところもある。わざと(?)説明されてないところもある。読者にお任せシーンなのだが、想像したくない。自分の想像を止めるのに苦労する。

 恐ろしい展開にどうすることもできないわたし。くるぞくるぞーと盛り上げて、バーン!!とくる。これほどラスト(=もう読まなくてもいい瞬間)を夜明けのごとく待ち望んだ本も珍しい。でもそのラストは…

 ちなみに、劇薬小説ただいまのランキング(よい子は読んじゃダメよ)

      1.隣の家の少女(ジャック・ケッチャム)
      2.獣舎のスキャット(皆川博子)
      3.暗い森の少女(ジョン・ソール)

* * *

■いちばん酔った魔女

 「めくるめく」という言葉は、実体験にのみ使える形容だと思ってた。初めて女を知った夜とか、真夏の激晴れの鳥海山頂とか。文字や映像を媒介した経験で「めくるめく思い」なんてないものだと思ってた。感覚としては一度きりで、別の体験で代替可能できるはずもなく、だからこそまぶしい経験を「めくるめく」と呼ぶものだと思ってた。

 そいつをあっさり覆されたのが、「魔女」なり。書き手のイマジネーションに酔える。読んでてクラクラしてくる。いっさいの予備知識を廃して、読むべし。とても人間が描いたとは思えない傑作が「デビルマン」なら、「魔女」は精霊がニンゲンのフリをして描いた傑作なり。もちろん「魔女」と「デビルマン」の間にはたくさんの作品があるはず。コレハ!というのがあれば教えて欲しい。

* * *

■最エロ本

 文句なく「となりのお姉さん」(リンク先エロ画像注意!ってか良い子はきちゃダメー)。よりぬき玉置勉強とでも言えばいいのか。エロ度MAXな作品をセレクトしており、とってもお買い得。足りないお姉さんやツンデレ妹×女装弟や、これでもかというエロシーンが堪能できる。線がエロい、表情がエロい、消しが甘い。昨今のニンゲン離れした巨乳や解剖図的な絵とは一線を画し、紙の上でここまでイヤらしさを追求しているのがスゴい。

 リビドーとかパッションって、形而上のものだとばかり思い込んでいたが、このマンガにちゃんと描いてある。

 余談だが、玉置勉強といえば「東京赤ずきん」が凄まじく面白かった。しかし、ょぅι゙ょ やフリークスはエロスコープ外なので選外。極悪鬼畜非道すぎでオススメしない。

* * *

■最プリキュア本

 「なかよし」ですな!三十路のオッサンじゃ買えないよこの表紙。最近じゃコンビニでも手に入るんだが、やっぱり恥ずかしい。手に取るまでに勇気百倍、レジに持っていくのに海王拳千倍、さりげなく「日経アソシエ」で隠すように出したり(←あきらかに変)。「みんなの勇気をちょっとずつオラに分けておくれ」と心の中でつぶやきながら。初めてGOROを買ったときよりも恥ずかしかった。

 買うときもエロ本並みのクオリティだが、保管はさらに慎重を要する。ひみつの格納庫の最深部に厳重に擬装して、女房子供が寝静まってからこれと併せてコッソリと楽しむ。誤解を招かぬように断っておくが、ヘンなことはしないぞ。にこにこしながら見てるだけ。こんなん嫁にバレたらと想像するだけで鬱死。バーチャル浮気(になるのか?)が背徳の気分に輪をかける。

 いや、こないだバレたんだけどね

 '`,、'`,、'`,、'`,、(つ▽`) '`,、'`,、'`,、'`,、

 あのまなざしは、一生忘れない。

 どう見ても蔑まれてます。
 本当にありがとうございました。

* * *

■最萌本涼宮ハルヒの憂鬱

 やはりツンデレですな!「ツンデレを嫁にするとどうなるか?」で嫁がリアルツンデレであることを証明したわけだが、まったくもって嬉しくない。むしろ「言及されたセリフ」を裏読み・深読みし、常にデレ解釈できるのが真のツンデレラーであるという結論に達した。

 いかに嫁に罵倒されようとも、「そ・れ・は、アナタのことが気になるから、てへっ(///)」と脳内変換できるスキルは非常に重要。夫婦和合の奥義といってもよい

 ではこのスキル、どうすれば向上させることができるか? わたしも修行中の身だが良いテクストを見つけた。それは「涼宮ハルヒの憂鬱」からはじまるシリーズなり。涼宮といえば遙か茜しか思いつかない了見のわたしに、新たな「涼宮」が、しかも強烈なツンデレキャラとして立ち上がっている。

「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」。入学早々、ぶっ飛んだ挨拶をかましてくれた涼宮ハルヒ。そんなSF小説じゃあるまいし…と誰でも思うよな。俺も思ったよ。だけどハルヒは心の底から真剣だったんだ。それに気づいたときには俺の日常は、もうすでに超常になっていた

 ストーリー紹介はこれで必要十分。フロシキを広げすぎて収拾がつかなくなるあやうさは「サトラレ」みたいで面白い。お題は「ハルヒの奇妙な冒険」の方がピッタリだと思うが、「涼宮ハルヒの○○」で一貫している。アニメ化が取りざたされているが、間違いなくツンデレキャラとして描かれるだろう。

 え? 茜はともかくハルヒは「デレ」がないからツンデレじゃないって? 当然じゃん、ハルヒのツン言動を脳内変換できるようになるための訓練なの。そんな、ライターお仕着せの「ツンデレというキャラ」を消費するようなメディアばかり漁ってちゃ、もったいないよ。言葉はツンなのに、ときおり見せる(1巻につき1回ぐらいの)デレしぐさに萌エロ!夫婦の明るい未来のためにも、ぜひ。

* * *

■最スゴ本箱

 「」。自分が「変わった」ことが実感できた。おそらくコーチングを受けると同じ breakthrough が得られるのだろうが、1冊の本でこんなんなるとはビックリ。

 レビューはここにある。このエントリでは、その反響について書く。レビューが後押しし、復刊ドットコムで交渉予定に格上げされたり、「読みました!」というお便りをもらったり、ポジティブな反響がたくさんあった… んが、一方で、「読んだけど、たいしたことないじゃん?」という反応もある。

 どうやら本質にお気づきになってないようなので、ネタバレ承知であえて書く。未読の方もツッコめるように、「箱」というコトバを使わずに書く。


  • 自分にウソをついている人は、自分のウソに気付くことができない
  • 自分についているウソは、周囲との軋轢という形で表面化する。特に近親者や配偶者など、近しい人への不満や批判といった形をとる
  • 周囲との軋轢・不満・批判にはそれぞれ因果関係があるが、それは症状にすぎない。従ってそれぞれの症状に個別にあたっても解決にならない

 この辺までがドイツの病院の話で、以下が breakthrough ポイント

  • 周囲との軋轢・不満・批判の原因がどんなに相手にあろうとも、それを「軋轢・不満・批判」だと判断しているのは自分であることに気付く
  • そのためには、いったん自分という観察者を取り除いた現実を眺める

 最後の二つはニワトリタマゴで、どちらが先か後かは限定できない。「自分がいない現実」から見ることで、問題なんて最初からなかったものと見なせるのか。あるいは、問題であると判断しているのは自分だと気付くことで、判断しない目で現実を見ることができるのか、その気付きは人それぞれだろう。

 もちろん、「判断しない自分」「評価しない自分」なんて人間である限り、どだいムリな話なのだが、それでも、やってみる。ここで、「努力してやってみる」のではないことに注意。そこは「気付く」ところ。わたしの場合、幸いにも自分で気付くことができたが、気付かない人はずっと気付かないまま。あまりにアタリマエすぎてスルーしちゃっているなら、「自分の近親者・配偶者・友人・同僚」を例にしてみるといいかも。「ワタシはそうじゃない!」とココロの片隅で叫んでいる自分に気付くかも。

 そしてラスト。たとえわずかな間でも、「自分がいない現実」から眺めることができたなら、次のことができるはずだ。


  • いまいる現実をよくするために、自分ができることは何だろうか? という質問を自分に投げかける

 あたりまえじゃん、というツッコミ結構。わたし自身、そのアタリマエが分かっていて、できていなかった。だけど今は大丈夫、その方法を身につけているから。たとえ自己欺瞞からの症状に出会っても、やり直しかたを知っているから。

* * *

 以上、今年読んだスゴ本でしたッ! オススメしていただいた方、レビューしていただいた方に大感謝。あなたのおかげで、わたしはこんなにスゴい本に出会えたのです。
 来年も、あなたの読んでるスゴい本を見つけられますように

 昨年のやつ→「この本がスゴい!2004

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育児とはつまり○○と○○

 びろうな話ご容赦。ゲロと下痢ネタなので読み進める方はご注意を。この話題、ブログを見てもあんまり書いていない。これは、パパブロガーがそうした「処理」を避けてるからか、ママブロガーが「○月×日、下痢がひどい」と簡単にしちゃってるからか。

 とどのつまり、きちんと餌を与えちゃんと排泄させることが、育児。愛やしつけはもちろん大切だが、先ずしっかりと食べさせ、良いうんちをさせることが基本。

 なにかでバランスが崩れると、これがゲロや下痢になる。

 赤ちゃんがいるご家庭を訪問したことがあるだろうか? きっと甘いホワホワした匂い(ミルク・おっぱい)が漂っていて、なんだかくすぐったい気分になったに違いない。

 では、小さい子ども(1~2歳)がいるご家庭は? 甘酸っぱい臭いが微かにする。それがゲロか下痢。

 よく「子育ては夜泣きが大変だよー苦労するよー」と脅かす先輩パパがいるが、ありゃ半分だ。確かにそれも苦労だが、ゲロと下痢の比じゃねぇ。

 まずゲロ。メシ喰ってる横で予告なく盛大に吐く。壊れた蛇口から溢れ出る噴水のごとく、┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨ ってな感じ。

 それから下痢。やっぱりメシ喰ってる横で盛大に出す。服とは保温や装飾のためだけではなく、溢れる下痢便から周囲を守るためのガードという役割もあるのだと実感させられる。

 どちらもあまりにスゴい。おもわず「水芸?」とツッコミ入れて嫁からハタかれたりする。

 これがオトナだったなら、予告編として暗黒ゲップ音が続く。あるいは口やシリを押さえたりトイレに駆け込むといった、それなりの努力はするだろう。しかし、子どもは遠慮なし。出すだけ出して、ケロリとしてる。のん気なもんだ。

 赤ちゃんなら許可。飲んでるのはオッパイかミルクなので後始末もラクなもの。だが幼児だと喰ってるものも親と同じ。なので、臭いはわたしと同じ。どちらも固形物を流してせっけんで手もみ洗いしなきゃならぬ。服だけではない。布団もだ。カーペットもだ。はては食器やちゃぶ台もだ。

 これが夜昼となく繰り返される。寝ていると異様な臭気で起こされる。防水シートに手をついて感謝する。でも布団は台無しになっている。この冬空に何回も洗濯機をまわす(乾かないのよ)。カーペットは徹底的にふき取って消臭スプレーをたっぷりと。

 温まってくるとゲロくさくなるPCに向かうたびに、この話題を思い出すべく書いた。育児の基本はゲロと下痢。愛としつけはその次だ。

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画面仕様書を「作らない」リスク

 IT Pro の開発ドキュメントの最適化で笑わせていただいた。これ書いた人は画面仕様で酷い目に遭ったことがないんだろう。笑った箇所は次の通り。

画面仕様書をプロトタイプ・アプリケーションで代用する方法がある。Webシステムの場合は,HTMLの作り方を工夫すればプロトタイプで実際の入力手順や画面遷移も確認できるようになる。エンドユーザーにとっても,ドキュメントよりは実際の画面で確認した方が分かりやすいので,手戻りが減る。これは帳票にも同じことが言える。

 あのな、HTMLで作る画面なんざ、紙芝居だよ。「ふいんき」をかもし出すだけで、そいつは「仕様」じゃねぇ!ボタン配置や文字色を目の前で変えられるものだから、いつまでたっても顧客は「ちょっとコレ直して」と言ってくるんだよ。気軽に直せるものとお金を頂戴しないと直せないものがあることをギッチリと顧客に理解していただくために、画面仕様書はどうしても必要

 コレ書いた人は、画面仕様書を前に顧客と丁々発止したことがないから、そんなコト言える。あるいは light weight なやつしか作ったことがないからだろう。以下3つの観点から、画面仕様書を「作らない」リスクを書く。

   1. 画面とチェック仕様
   2. 画面と業務プロセス
   3. 画面とデータベーステーブル

* * *

1.画面とチェック仕様

 画面とチェックはコインの表裏であり、切り離せない関係だ。紙芝居だけをいじっているとこの本質を見失う。

 チェックとは「その画面の中でどんなチェックをするか?」だ。桁・属性なのか、データベースまで見に行くのか、チェックそのものを監視していて、その結果をどっかのフラグに反映するのか、チェック結果の如何で何かができあがるのか、チェックが「OK/NG/ぬるぽ」だった場合は…を複数のチェックの組み合わせの中で決める必要がある。

 まともなSE/PGなら、「想定されうる組み合わせ」を予め洗い出し、チェックのための部品やスキームを準備しておくんだが、それらを土壇場でひっくり返してトンデモチェックを要求するぐらいが普通の顧客だ。

(゜∇゜) A画面で入れた内容を元に、B画面でチェックしてくんない?

  (゚Д゚;) あの~ A画面の「前」にB画面を呼ばれたらどうなるんですか?

(゜∇゜) そりゃ、自動的にA画面で入れる内容を作り出してよ

  (゚Д゚;) あの~ その後でA画面で入れた内容が違ったら?

(゜∇゜) そりゃ、当然チェックするだろ

  (゚Д゚;) あの~ そのチェックは、B画面で入れたのが原因だったら?

(゜∇゜) そりゃ、当然チェックするだろ、B画面のチェックもAでやってよ

 画面ごとにオブジェクトを生成してそいつにデータとチェックをやらせるスキームは、これで潰える。ごり押しすると「チェックのたびに無数のオブジェクトがわらわらと生成・消滅を繰り返しリソースに多大なダメージを与えるトンデモ画面」ができあがる。やめなはれ。

* * *

2.画面と業務プロセス

 顧客が画面をちょこちょこ直したがる最大の理由は、業務プロセスが明確になっていないため。つまり、「その画面で何をしたいのか?」が明確になっていないからなんだ。

 色やボタンの配置は話のキッカケにすぎない。話の背後に控えているのは業務プロセスを「画面」「画面遷移」という見える形にすること。それをホイホイ真に受けて直すと、業務プロセスの定義があいまいなまま、あいまいに画面を修正していることになる。要求は明確なクセにいつまでたっても決まらない最大の原因はこれ。

 これは不幸だ。SE/PGが顧客の要望に応えようと親身になって直せば直すほど、取り返しのつかないあいまいな画面の修正作業に追われることになる。

 何をしたいのか分からない顧客は、スケジュールに追い詰められると、「盛りだくさん全部入りつゆだく画面」、すなわち何でもできる画面を要求しだす。「だって今までさんざん直してきたんだから、まとめるぐらい簡単でしょ?」と言い放つ悲劇に全米が泣くだろう。

 「画面仕様書を作る」ということは、「その画面で何をしたいのか」を業務プロセスの手順までに落とし込む作業。「画面のイメージを作りましたので、ちょっと見ていただけますか」と渡すことで、顧客はその「紙」や「ホワイトボード」を前にして初めて「ここでやりたいこと」を考え始める。てか、そこまでしないと考えてくれない。

* * *

3.画面とデータベーステーブル

 画面とデータベーステーブルの密接な関係は、断るまでもないだろう。もちろん「どんな画面でもドンとこい」「どんなテーブル構成でも大丈夫」なように別々に作ることも可能だ。しかしその際のリスクはパフォーマンスだろう。

 顧客の言いなりになって気軽に気軽にスクラップ&ビルドを繰り返した結果、後半でチューニングに追いまくられる事態になる。当然、テストでたたき出したバグ改修とは「別作業」だ。

 DB屋の言い分は「アプリ屋は簡単に言ってくれるけれど、後になって“パフォーマンスが悪い”だの“データベースが遅い”だの文句を言ってくる。テーブル構成やトランザクションを無視して画面を修正するからじゃねーか(怒)

 ちうわけで、ホイホイ直せるものと直すには銭を頂戴するものとを明確にギッチリと「顧客」と「アプリ屋」に理解していただくために、どうしても画面仕様書は必要。

* * *

 じゃぁ全部キチンと作ってメンテせぇ、というわけではない。「何のための画面仕様か?」と考えると、かなり減らせる。例えば、「画面の種類ごとに画面仕様書を作る」やり方。


  • プロパティ画面
  • 管理者向け(ユーザや業務プロセスを管理)
  • 帳票やファイル化など、メディア出力のための画面
  • 共通業務画面
  • ○○業務画面
  • △△業務画面


 作るモノにもよるが、早い段階で画面の「種類」が割り出せるはずだ。言い換えると、「別のクラスにしたくなる/別のテーブルにしたくなる/別のトランザクションにしたくなる」のが「種類」。でもってその種類毎に画面仕様書はキッチリと書く。

 何度も出てくる共通的なアイテム、グループは.「○○画面の△と同じ」という表現で省略する。当然執筆もレビューも参照元の画面を見て一貫性が保たれていることをチェックすること。

 このやり方だけでも1/4から1/5まで減らせるだろう。

 あ、言い忘れていたけれど、数十画面にも満たないシステムにはこのやり方は重たいかも。小さいやつならプロト作ったほうが早いことは事実。このやり方は、数百画面、もしくは動的に組み合わされて生成する画面(組み合わせ次第では数千)にはとてつもなく有効だと断っておく。

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マネジメントとは何かgoogle先生に訊いてみた

結果(日本語)↓

management_ja.JPG

洋梨… 

洋ナシ… 

ようなし… 

用無しぃ?

(古ネタごめん)

ちなみに、結果(英語)↓

management_en.JPG

師匠は偉大なり。

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最近の劇薬小説

 劇薬小説の企画は続いているが、「コレは!」というのが見当たらない。

 良作に出会えて嬉しいが、それだけ。ベンチマーク「隣の家の少女」のハードルが高すぎたのだろうか。これを「たいしたことない」と放言した輩がいるが、じゃぁ「隣の家の少女」よりスゴいのを教えてくれないか? というツッコミには賢明なことに沈黙を守っている。

 ケッチャム読んだことある人は、かなり慎重に言葉を選ぶ。これを超えるやつなんて、そうそう無いことを知っているから。非道小説をたくさん読んできた(つもりの)わたし自身、

  ケッチャムに匹敵する劇薬は、ドストエフスキーしかないのでは?

とまで思うようになってきた。

 「劇薬小説」の企画は、言い替えると、「文字で構築された世界でどこまで酷い目に遭うことができるか? 」になる。「酷い目に遭う」ためには、作品にのめり込む必要があるし、酷い目に遭う人と同体化してなきゃならない。それだけ作品に魅力がある、とも言える。

 スゴい小説にハマりこみ、読み終わったとき、「ああ生き延びた」「還ってこれた」という思いをしたことがないだろうか? そのとき、ナマナマしく潜り抜けた経験が酷ければ非道いほど「読まなきゃよかった」と感じないだろうか。

* * *

完璧な犠牲者
完璧な犠牲者(クリスティーン・マクガイア)

 ハタチの娘が拉致され、調教され、肉奴隷となった7年間の話。これが「小説」ではなくノンフィクションであるところがスゴい。誘拐した男が自作した箱に「監禁」されるのだが、ぐだぐだここで説明するよりもこの絵を見たほうが早い→箱女(エロ画像注意)。

 「もう誰とも干渉したりされたりしたくない」とダンボール箱を被る「箱男」(安部公房)は、さしずめ引きこもり空間のポータビリティだろうが、こっちの「箱」は、洗脳のための道具。外界の情報を徹底的に遮断することで容易に精神を壊すことができる。

 この事件を題材にしたのがケッチャム地下室の箱。残念なことに(というか恐るべきというか)、事実は小説よりも奇なりを地でいっている。小説の方が安心して読める。んで、「地下室の箱」の映画はこれらしい→コード(未見だが良さげ)


閉鎖病棟
閉鎖病棟(パトリック・マグラア)

 素直に「良かった」といえる作品。劇薬度は低。この小説をどういう風に読むのが効果的か考え込んでしまう。「歪んだ純愛の形」も「狂気に燃える情炎」もマチガイではないのだが、話者の狂気まで想像が閃いてしまうのは気のせい? 裏読みすぎ?

 …というのも、この作品は第三者が書いた「手記」の形式をしているから。第三者は読み始めてまもなく明かされるし、その人の知性や客観性は申し分のない。知りたいことは先回りして教えてくれるし、異常な行動の描写の後には「なぜなら…」と説明付けてくれる。

 けれども、時どき出てくる一人称がどうしても目に付くのよ、まるで読んでる自分が試されている気がして。そして読み終わった後でもじくじくと後を引くのよ、○○は本当に○○だったのか? ってね。そういう意味では遅効性の毒薬なのかも。


自由自殺法
自由自殺法(戸梶 圭太)

 プロット一発勝負なら大傑作。ただし、書いてる途中に行き倒れてしまっているもったいない作品。名は体、「国家が自殺ほう助する世界」の話。リアルな日本が描かれている。ネットよくあるセリフ「死ねば?」を執拗に拡大解釈し、「使えない国民を自殺まで誘導する」国家プロジェクトまで昇華させている。そのクセ内情は一切明かさない。ここまでは三重マル。

 ところが後半で失速する。読む人(そして恐らく書き手)を鬱にさせる話の展開は、いずれネタ切れになる。同じ話の繰り返しだもの。そして、ネタを重ねれば重ねるほど、その裏にある「理由」を書かなきゃいけなくなる。どうしてこんなことになったのか? ってね。ソコを考えて書き始めたならば、エピソードを通じてだんだんつまびらかにしていくだろうが、やってない。あるいはラストでついに明かされる、というサゲにしてもまぁ可、なのだが、それすらもしていない。

 これは、筆者が書くのに「飽きた」んだろう。

* * *

 「ZOO」は非常に期待して手にしたが、失望。「異形博覧会」もソコソコ期待してたんだが、失望。異常を精確に描く手法は2ちゃんねるの怖い話でさんざん慣れているので、そーいう免疫のない人にはクるかも。まずはこのランキングを上から順に読むことをオススメする。

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このマンガがスゴい2005

 「まんがの紹介はしないのですか?」あきらかに女性と思われる方より質問を頂戴したので勇んで書く。

 「スゴい」の基準は、何回繰り返し読んだかによる。例えば、「ピアノの森」なんてとても面白かった&勇気づけられたのだが、2回しか読んでいないので選外。3つ紹介するが、この中で優劣はつけがたいことを断っておく。

魔女
魔女
 繰り返し読む理由はただ一つ、深いから。世界設定であれ、1コマの描写であれ、ストーリーであれ、何度も味わうための深度と密度があるから。昔、「童夢」を読んだときに、「スゴい、これは小説よりも面白いぞ」と狂喜したものが、これも同じ興奮を味わった。生半可な小説・映画・アニメを軽く蹴散らす面白さ。

 「魔女」と聞いて何をイマジネーションする? いま浮かんだ像を凌駕するスゴい世界を体感できる。保証する。


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夕凪の街桜の国
夕凪の街桜の国
 感想が書けない。したり顔で書評もできない。amazonレビュー欄が沸いているが、稚拙なフリして書くことすらできない。受け止めたものが大きすぎて、語りえる言葉がないので、これ読んでどういう反応をしたのかを記す。

 自分の中でものすごい感情が湧き上がってきたが、どう形容してよいか分からない。声にならない叫びを発し、身を揉むように泣いた。1章と2章の間の空白ページに何を見るか? わたし自身、読み返すたびに様々な「あったかもしれないその後」を見ては泣く。

 値段の10倍の価値がある。黙って買え、そして読め、と自信を持って言い切れる珍しい一冊


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少女セクト
少女セクト
 百合スキー必読の傑作。主人公の桃子を中心に毎回オムニバス形式でカワイイ女の子たちがあーしたりこーしたりするエロマンガ。作者の意地なのか、1コマたりとも野郎が出てこないのが面白い。セリフが粋だ、ガジェットやバックグラウンドが興味深い。痴話話からサーバント、メイド、ファンタジーまでとりどり。

 しなやかな肢体をさまざまなポーズ・角度で描いていて、本当にキレイ。昨今のオバケのような巨大乳や、レントゲン解剖図のような局部とは正反対。下着の書き込みも上手く、やはり百合系の「森の妖精のはなし」を思い出した。ただし、「森の妖精のはなし」と違い、「少女セクト」は抜けないので注意して

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