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緑の資本論

イスラーム経済論はイラン革命で突出してきただけであり、イスラーム域では常に存在していた。これはイスラーム域以外から見えなかったのではなく、見ようとはしなかったから。

中沢新一は9月11日のあの夜、「砂の城のように崩れ落ちていく高層タワービルの向こうに、巨大な鏡が立ち上がるのを、たしかに見たのだった」と語る。その鏡は視ることを強い、強いられた思考がこれを著しめた。

面白いのは最初の「圧倒的な非対称──テロと狂牛病について」。中はお題のとおり、深度はチョムスキー911より浅い。ただ、宮沢賢治やアイヌ話とからめて話すところが興味深い。「圧倒的な非対称」←この言葉がよっぽど気に入ったのか、20ページの小論に18回も登場する。貧富や力量の彼我の差を指して使っているが、「非対称性」や「対称性」も含めると44回も出てくる。

真打の「緑の資本論」は貨幣と利子を中心にすえたキリスト教的「資本論」と相対すべく、一神教の認知論から「イスラーム資本論」という全く新しい価値体系を再構築しようと試みている。

しかし、よく理解できなかったところもある。中世以降の貨幣経済の発展には、ユダヤ・キリスト教の「三位一体論」がねじれたお墨付きを与えたと示唆しているが、よく分からん。スコラ→古典派経済→資本主義の一連と、マル経の援護で滔々と語っているのだが、言辞に弄ばれているようで、リクツは分かるがまるで腑に落ちない。ケインズもう一度読めってことか…

一方で、鏡の反対側のイスラーム経済論は分かりやすかった。物と物との厳正な等価交換の原則を保つ一方で、利子をとる活動は否定されている。その根本にあるものは、貨幣は物の代用物であり、象徴=現象を厳密に規定する一神教的な考え方だという。ただこれも、彼の言うがままを鵜呑みにして(自ら考えずに)なるほどなーと唸っているだけで、現場でどうなっているかは分からない

最後に、無限に欲望を拡大し続ける資本主義社会へのアンチテーゼとして「緑の資本論」すなわち原理としてのイスラームを位置づけ、こう結んでいる。

スークの商品とそれを支持する消費者たちは、地域共同体の原理に頼って資本主義に抗する別種の経済システムを守ろうとしているのではない。イスラームにあっては、その生活の倫理を、自己増殖をおこなうものに対する一神教的批判の原理という、イスラーム世界共通の思考が支えている。その思考の素粒子レベルにいたるまでの一貫性に対して与えられた名前がタウヒードであり、アッラーへの信仰なのである。
そこには、人間の自然的知性がつくりだしてしまう世界に対する、一つの透徹した批判システムの作動をみることができる。イスラームとは、その存在自体が、一つの「経済学批判」なのだ。原理としてのイスラームは、巨大な一冊の生きた「緑の資本論」である。資本主義にとっての「他者」は、この地球上にたしかに実在する。イスラームは、われわれの世界にとって、なくてはならない鏡なのだ。

結局「ホントかよ」感は消えないまま読了。イスラームでは厳密さの裏側に柔軟さ(したたかさとも言う)を備えていて、いつでも取り替えられるようにしている一面もあるぞ。

なんだか上手に騙された気が…まぁ中沢新一だからそういうものなのか。

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