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女房と仲良くなる7+1の方法

「女にモテるコツ」だの「あのコをゲットする方法」は巷に数多にあれど、「女房と仲良しになる方法」は見かけない。そもそも雌の一体を確保すればよいのだから、そんな「秘策」なぞは適当でよい。人類の半分は雌だから、一匹ぐらいは自分を気に入るような物好きもいるだろう。問題はその後だ。その雌が「彼女」でいる期間よりも「女房」でいる時間の方がはるかに長いはず。

だから、雌に気に入られる方法よりも、女房と仲良くなる方が重要なんだ… が、どこにも書いてない。ことわっておくが「女房の機嫌を取る方法」ではない。書いても無意味だ。何をすれば女房の機嫌がなおるかなんて、その旦那なら知っているから。この記事は既婚者よりもむしろ未婚者に読んで欲しいナリ。

1.「ありがとう」という魔法の言葉

先ずこれ。女は単純な生き物だから、この単純な言葉で充分に効果がある。おもしろいことに「ありがとう」という言葉はいくら使っても磨り減らないし、使えば使うほど価値を増していく。どんな冷戦状態でもこの言葉は不思議に使える。なぜなら、感謝の気持ちを言葉にしたものは、反発しようがないから。



2.徹底的に奉仕するセックスを
たまには主従を交替してみる。女は幼稚だから、目新しいことを好む。荒々しいが隷属的なセックスで女房を喜ばせてみる。しかも終わっても素っ気無い態度をせずに優しいピロートークをすること(すぐに寝るのは言語道断!)。回数とか長さが重要ではない。できるだけ「相手が」幸せな気分になれるような



3.本人が気づかない「嬉しいこと」を見つける
女は愚かな生き物だから「旦那に、本当にしてほしいこと」が分かっていない。ちゃんと考えずに「家事を手伝え」だの「アタシのこと分かってくれない」だのくり返す。本人が気づかない嬉しいことに見つけてやって、女房を嬉しくさせることができるのは、旦那だけだ。例えば、家事は家事でも、普段してないベランダの掃除をこっそりしておくとか、休日に女房の好物を料理してみるとか



4.ダメなところを指摘しない
いくら愚かな女でも、自分のダメなところは自分でも分かっている。そして自分の欠点は旦那も承知してることも、分かっている。結婚生活をするということは、相手の欠点を知るだけでなく、自分の欠点を晒すことでもあるから。これをわざわざ指摘することは、相手の神経を逆なですることに等しい。自分を嫌ってくれと言っているようなものだ



5.先ず聞く。全てちゃんと聞いてから、話す
女は細かいことばかり指摘する。しかもくり返す。ケンカするときはこの傾向が顕著にあらわれてくる。些細なことをしつこく何度も指摘する。相手を怒らせようと意図してやっているとしか思えないが、賢明なる旦那はグッとこらえて、言い分を聞く。相手の口が閉じるまでずっと聞き役に徹する。1時間でも2時間でも聞いてやろうという意気込みで聞くと、変化が生じるはず。あら不思議、女房のご不満は雨散霧消する。夫婦のわだかまりは「言いたいことをぜんぶ聞いてもらう」ことで解消する



6.弱ったときがチャンス
カゼなどでダウンした時はチャンスといえる。ここぞとばかりに看病してやる。身体が弱っているときは気持ちも弱っているもの。そうした弱みに付け込んで、一生懸命な態度を見せることで、女房は感謝&頼りにするようになる。病気にならずとも、例えば低血圧で朝が弱い女房なら、朝食を作ってやるとかすることでポイントを稼ぐことができる



7.誕生日には、花束を
いくつになっても、誕生日は特別な日として扱うべきだし、その日を大切に思っていることを形にして示すことが大切。女は馬鹿なので「そんな買い物をして…」と非難するかもしれない…が、「お祝いしたかったから…」などと殊勝な態度で臨めばOK、花もたいしてお金をかける必要なし。1500円も出せば立派な花束ができあがる。女に花は定番かつ強力なアイテムといえる。これは女房が「彼女」だったときからそうとも言える

以上、「女房と仲良くする7つの方法」を紹介した。あなたが女性の場合は、以下の通りに置き換えてお読みくださいませ

   女 ←→ 男
   雌 ←→ 雄
   女房 ←→ 旦那
   彼女 ←→ 彼氏

最後に、男にのみ使える秘策を授けよう。これを実行するかしないかによって、その後の夫婦の関係が大きく異なるものになるといえよう。チャンスは一回きりだ。そのタイミングは、はじめての子どもが生まれたとき

力いっぱい感動しよう、もうオーバーなぐらい感謝しよう。涙を流して「猛烈に嬉しい。人生で一番の最良の日だ。きみと一緒になって本当に感謝している、ありがとう」ということ。本心でそう思っていなくてもOK あなたの人生での「今までに感動したこと」は、この一回きりのチャンスを最大限に感動したものとして振舞うためにあったのだといっても過言でないぐらい。結婚において、雄が雌に最大限のインパクトを与えることができるチャンスは、たった2回しかない。最初はプロポーズのとき、そして2回目は子どもが生まれたときなんだ

野郎ども、がんばれよ

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未来のM$-Windows

想像したくないが、Windowsの未来形は確かにある。そのプロトタイプはDaniel C. Robbins:Prototypesで遊ぶことができる。3Dやアニメーションを多用した面白いインタフェースがたくさんある。


  • このドキュメントを書いた人が誰で、いまどこにいるのかが分かるWindows
  • アイコンだらけのデスクトップ。ドラッグすると関連するフォルダがアクティブになるWindows
  • ウィンドウだらけのデスクトップ。画面中央にドラッグすると巨大化、端へ移動すると縮小するWindows
  • Inboxとタスクとスケジュール表と警告リストだけで構成されているWindows

こんな声が聞こえてきそうだ。


  • 誰だ!この資料を勝手に書き換えた奴は!プロパティから書き換えてあるから犯人が分からん!」
  • 「あーもう!自分のデスクトップとはいえ、アイコンやら窓でぐちゃぐちゃで何をどうすればいいのか、分からないよー」
  • 「社畜たちは仕事だけをしてもらう。"パーソナル"なコンピュータはいらない。仕事しかできないようにするべきだ

ネタ元inquisitorより。

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タバコをやめて1000日

禁煙ではなくて卒煙してから、今日でちょうど千日経過した。タバコのやめ方は「タバコを卒業できた本当の理由」

第一に「におい」への変化。鼻が利くというレベルではない。食べ物や化粧品の匂いに敏感になるだけではなく、微妙な体臭まで感じ取れるようになった。ヘンタイじみているが、生理中の女性のホコリっぽいにおいまで分かる。あるいは、ウソをついたときの体臭の変化が分かるようになった。ただし後者は一対一のときに限る。においは視線と違い、焦点をあわせるのがむずかしいので。あと、満員電車は「におい」の地獄になった。

最近では無意識のうちに嗅覚情報を取捨選択するようになった(視覚情報と同じ)。

次は、「眠り」の深さ。タバコやめた最大の効果は、たっぷり寝られるようになったこと。呼吸が苦しいと、眠りが浅くなるのだろうか? あるいは、ゆっくり深い呼吸ができるようになった結果、同じ時間でよりたくさんの酸素を取り込むことができるようになったからだろうか。

1ヶ月やめた時点で、驚くほど熟睡できるようになったことに気づいた。

最後はやっぱり「タバコ代」。ちりも積もればなんとやら。カートン買いして、自宅と会社に1カートンずつ。ピースライトを几帳面に1日1箱 & パイプ煙草を少々吸いつづけていた。260円×1000日 → 二十六万円か…

でも、財布の中身は変わっていないのは、どうしてなんだろう?

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第13章:プロフェッショナル責任

ここでは、プロフェッショナル責任をまとめます。まとめというよりも、私の決意になるかな。
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パパはときどき、おおかみの姿をしてやってくる

「本当は恐ろしい子どもの本」の続き。離婚してパパがいない家の子はどんな風に「パパ」を感じるのかを、「アカネちゃんとお客さんのパパ」を読みながら考えてみる。

「モモちゃんとアカネちゃんの本」シリーズ5冊目。アカネちゃん3才、モモちゃん10才、パパとママは、アカネちゃんが赤ちゃんだったときに「おわかれ」をしている。

結論。どこにも書いていない←どうして「おわかれ」することになったのかも。ふたりの娘にどう説明したのかも、一切書いていないし、娘も問わない。「どうしてうちにパパがいないの?」ってね。きっと禁忌なのだろう。

そして、パパはときどき、おおかみの姿をしてやってくる

(アカネちゃんがひとりでお留守番していると…)
ピンポーン。
チャイムが鳴りました
「はい、らっちゃいませ」 はいってきたのはおおかみでした。
「パパでしょ、パパおおかみ」
「そうだよ、アカネちゃん、おたんじょう日、おめでとう」
パパおおかみは、パパの声でいうと、段ボールのおうちで、あぐらをかきました

自分が最も信頼しているオトナである「ママ」の言うことは絶対だろう。どーいう風に「パパのこと」を説明したかは分からないけれど、アカネちゃんは「パパ」をおおかみだと受け取っている。ママの感情的なわだかまりが「おおかみ」に比喩化したんじゃぁないかと。しかし、童話にでてくるおそろしいオオカミではない。パパの声をして、ママの子守唄と同じ唄を歌ってくれる、やさしいおおかみ。

パパは、実はおおかみの皮を被っている。「羊の皮を被ったオオカミ」ではなくて、オオカミの皮を被ったパパ。その証拠にパパは、アカネちゃんのリクエストで皮を脱いだりしてみせる。たとえオオカミの姿をしていても、お客さんのパパでも、パパはパパ。アカネちゃんはママにこういう。

「お客さんのパパね」
「え?」
「アカネちゃんのパパも、お客さんのパパだよ」
「え? そう?」
「あのね、アカネちゃんのパパ、おおかみになってくるよ。お口をすこしあけて、さびしいおおかみなの。おー、おー、こういう声でお話するの」
ママはだまって、きいていました。
「でも、よそのおうちのパパ、お客さんじゃないよ。いつもいるよ。アカネちゃんおパパも、いつもいてほしいの
「……」
「ママ、パパにいってね」

でも、それからずっと後になってもパパはアカネちゃんのうちに帰ってくることはない。父親がいないことがデフォルトの日常。父親不在の「理由」を問うことは許されない。それは「パパとママとのあいだのこと」なのだから。お姉さんのモモちゃんのほうがよく分かっている。この長いお話の中で全く父親のことを言及していない。パパは「お客さん」でしかないのだから。ユーゴスラビア映画で、強制収容所送りにされた父親を「パパは、出張中」と言いつくろう母の話があったっけ。

その不在の理由が「死」であったとしても、同じように比喩化されるのだろう… よくある会話として「旅に出た」「もう帰ってこない旅に」「でもアナタのことを嫌いになったわけじゃない」「いまでも愛しているはず」「そして遠くで、見守っている」

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つけたし。「日曜日の学校で」の章はコワイ。淡々と怖い。新耳袋の比じゃねぇ。途中でオチは分かるんだが、それでも怖い。「吉備津の釜」はラストが分かっていても怖い話であることと同様。これは作者の筆力ナリ。

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