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レイバーデバイド

「勝ち組・負け組」の話をすると頭が悪そうに思われるので、できるだけ話を振らないように避けてきたけれど、ハッキリとした不安定感を感じるので、書く。レイバーディバイド(労働者の階層化)の話だ。

収益力の回復を急ぐ国内の製造業で、期間工、派遣社員などの「非正規社員」が急増している。帰属意識の薄い非正規社員と、少数派の正規社員の関係が断絶し、技能の伝承が途絶え労働災害が頻発していることを、雑誌「フォーサイト」で知った。

請負への依存の例として、キヤノン。セル(細胞)生産方式で有名なキヤノンの工場では、十数人がひとかたまりとなって、一つの製品を組み上げている。彼らは業務請負会社の契約社員だ。同誌8月号「日本の工場に広まるレイバーデバイドの危うさ」から引用すると、

キヤノンがグループ全体で抱える業務請負社員は焼く1万6千人。本体の正規社員1万8千人を追い越さんばかりの勢いで増えている。実態は人材派遣に限りなく近いが、派遣ではない。キヤノンは請負会社に組み立て業務の一部を委託している。受託した請負会社は自社の契約社員をキヤノンに送り込み、生産設備を借りて製品を組み立てる

製造業への人材派遣は2004.3月の労働者派遣法の改正まで禁止されていたため、請負への依存度が高まっていた経緯がある

請負の魅力は安さ。製造業での時給は千円-千四百円が相場。メーカー側は健康保険や年金負担をすることなく人件費を抑制することができる。さらに請負会社との委託契約を打ち切るだけで簡単に人員削減ができるのも(雇う側にとっては)魅力といってよい。

しかし問題もある。

第一に現場での技能の伝承を難しくする。請負会社の契約期間は平均3ヶ月。雇うほうも雇われるほうも短期をくり返すことを想定しており、難しい仕事を覚えるつもりはハナからない。いわゆる現場での暗黙知が伝わる前から去ってゆくのだ。

第二に労働者派遣法そのもの。同法によると正社員は請負社員を指導できなくなる。そんなバカなと思うかもしれないが、同法の規定では請負は「人材を派遣する」のではなく「業務を委託受託する」のが本来の立場。正社員が請負社員を「指導」すると、請負社員がメーカーの指揮命令下に入ったことになり、人材派遣とみなされることになる。

こうして、現場で正社員と請負社員は口をきくこともできなくなり、階層化は加速する。現場の知識・技能が伝達されにくくなるだけでなく、もっと深刻な問題も起きている。同誌より引用する。

悪質な請負会社は契約社員に基礎的な安全教育すら施さず、現場に送り込む。昨日までコンビニでアルバイトしていた若者が、いきなりプレス機や高圧釜のある現場に駆り出される

成果主義の導入で正規社員の中に階層化が生まれ、さらに非正規社員との分断により、レイバーディバイドは3層型になろうとしている。日本の業務回復と引き換えに進むレイバーデバイドに対し、同記事は強く警鐘を鳴らしている。

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第9章:プロジェクト人的資源マネジメント(その2)

ここでは、プロジェクト人的資源マネジメントをまとめます。
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子どもに死を教える

三歳の息子に「死」を教える試み。今回は、ブルーナ「ミッフィーのおばあちゃん」を読み聞かせてみた。「ミッフィー」といえばカワイイの代名詞。しかし、これは冒頭から「おばあちゃんが死んでしまった」で始まり、葬儀、埋葬、墓参りと続くお話。

彼は、以前のレクチャーで「死とは、会えなくなること」については理解しているらしい。ま、仮面ライダーブレイドでけっこう人死がでているので、「死ぬ」という状態があることは分かっているようだ(死んだキャラはもう出てこないし)。

ミッフィーは悲しい。おばあちゃんが死んでしまったから。おじいちゃんが泣くところなんて初めてみた。ひつぎがとどいて、おばあちゃんが中に入る。おばあちゃん、まるで眠っているよう

安らかな寝顔。ひつぎの扉を閉じる。もう会うことはない。おとうさんがおわかれの言葉を言う「おばあちゃん、ながいあいだ、いつもわたしたちに やさしくしてくれて、ありがとう」

ミッフィーはときどき、お花を持っておばあちゃんに会いに行く。「おばあちゃん」墓石に話しかけると、おばあちゃんが本当に聞いているような気がする

こーいうお話。そこで知って欲しかったのは「死とは、逝ったものに対し名づけた状態」ということ。つまり「死」とは死者に対して便宜上つけた状態ということ。死者から生ある世界が隔てられている以上、生者はムリヤリにでも、死んだ人を別の名前で呼ばなければならない。だって腐っていくから。

ブルーナはここを分かっていて、このお話から「あの世に行く」「天国に行く」という表現は注意深く取り除かれている。棺も墓石も宗教色を除かれて抽象化されている。おばあちゃんはねむるのだ、めざめることなく

何度も読み聞かせて、息子に質問してみる。

  「おばあちゃん、どうしちゃったのかね?」

  『いなくなったんだよ』

( ´ー`) よし、合格

世間サマでは情操教育の一環として「死」の教育の必要性を云々しとるが、唾(つばき)を飛ばし口をそばめて語る連中は、「自分自身の死」を正面から考えたことがあるか?

モラトリアム修了の課題として「自己の死の省察」があるが、これをクリアしたなら少しは謙虚になれるはず→いきることと、しぬこと

この「ミッフィーのおばあちゃん」はかなり非難があったようだ。「かわいいミッフィーに死を見せるなんて」…PTAの言い分は幼稚すぎてツッコミを入れる気力もわかない。

ワタシがガキの頃は、虫をいっぱい殺してた。矛盾しているようだが、殺すことで命を学んでいたんだと思う。考えてみると残酷な子どもだった。

だが息子は殺そうにも虫がいない。いても値札がついている。だから、絵本であれ、仮面ライダーであれ、ちゃんと「死」を伝えておかないと。彼はワタシのように自習する環境がないのだから。

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