「お金」というテーマで本を選んだ

 「お金」という言葉から、あなたは何を連想するだろうか?

 生活費? 給料? 投資? 経済? それとも「お金」で買えるさまざまなモノから、お金では買えない何かを思い浮かべるだろうか。お金を強奪したり騙しとる犯罪や、お金によって狂わされる人生、富や成功を想像するだろうか。

 ここでは、「お金」がテーマの読書会で集まった本を紹介する。お薦め本をもちよって、まったり熱く語り合う「スゴ本オフ」という読書会だ。毎度毎度、すごい本がざくざくと見つかる宝の山なり。「それは知らなかった!」という驚きの傑作から、「そのテーマでこの本につなげるのか!」という発想の妙まで、何度叫んだことやら(詳しくは[スゴ本オフ]をチェック)。

 懐かしいもの、知らないもの、意外なもの、様々な本に出会うことを請合う。

01

お金持ち

 お金といえば「お金持ち」。お金持ちといえば、9兆円にものぼる資産を持つ世界最大の投資家ウォーレン・バフェット。そして、バフェットの本は沢山あるが、バフェット自身の言葉で書かれているのはこれだけという。でんさんが紹介する『バフェットからの手紙』には、600頁に、株式投資や経営に関する重要なトピックがみっちり詰め込まれている。最も大事なのは、「分からないことに手を出すな」ということ。株を買うというよりは、会社を買う。信頼できる経営者がいる会社を買うことが重要らしい。

 「お金持ち」でわたしの想像の届く範囲だと、伊丹十三監督『マルサの女』に出てくる脱税犯のだな。脱税を摘発する国税局査察部の宮本信子と、巨額脱税犯の山崎努の攻防が凄い映画なり。「脱税」がテーマだけなゆえに、お金に対する考えというか哲学のようなものが滲み出る(それがまた面白い)。わたしが紹介したのはこのくだり。

  金を貯めようと思ったらね。
  使わないことだよ。

  100万あったって、使えば残らない。
  10万しかなくても、使わなけりゃ、
  まるまる10万残るんだからね。

  あんた今、ポタポタ落ちてくる水の下に
  コップを置いて水ためているとするわね。
  あんたのどが渇いたからといって、
  半分しかないのに飲んじゃうだろ。
  これ最低だね。
 
  なみなみいっぱいになるのを待って、
  それでも飲んじゃだめだよ。

  いっぱいになって、溢れて、ふちから垂れてくるやつ。
  これを舐めてがまんするの。

 youtubeで、ちょうどそこから再生できる。山崎努の名演をどうぞ。


経済

 お金といえば「経済」。わたしは『クルーグマン国際経済学』という絶賛積読中のゴツい本を紹介したけれど、はらさんが持ってきた『経済政策で人は死ぬか』が面白そう。世界恐慌からソ連崩壊後の不況、アジア通貨危機、さらにサブプライム危機まで、様々な不況を分析するのだが、その切り口が斬新だ。普通ならGDPやマネーサプライといった指標値を思いつくが、本書はなんと「死亡率」!

 たとえば、不況時に緊縮財政をしたとする。医療費が抑制されるから、皆が病院に行けなくなる。結果、死亡率が上昇する。ソ連が崩壊したとき、みんなこれで幸せになると思ったが、実際は、男性、とくに若い男性の死亡率が急上昇しているなど、「死亡率」で考えると、経済政策の成功・失敗に対する(経済学者の弁明を超えた)モノサシが得られる。財政が疲弊しているとき、国としてやらなければならないことと、国民が幸せだと感じることの差が、「死亡率」に垣間見ることができて面白い。


お金で買えるもの・買えないもの

 お金で買えるもの・買えないもので考えると、筆頭に浮かぶのが「命(≒時間)」と「愛」。実は、命の値段を調べたことがあって、「命の値段を見つめ直す四冊」に書いた(結論から言うと、日本人の場合、一人一年一千百万円なり。詳細はリンク先で)。オフ会では、「命の値段」を示すのに、手塚治虫の『ブラックジャック』を出してくる。

 ほらあれだ、ブラックジャックが外国で殺人犯と間違われたとき、見知らぬ日本人が骨折って助けてくれたという話。その彼が大変な目に遭ったとき、今度はブラックジャックが全力で助けに行くという神エピソードだ(以下、『ブラックジャック:助け合い』秋田書店より)。

 あと、地下室に閉じ込められるエピソードも紹介される。「助かるならいくらでも金を払う」と言い出す連中を尻目に、壁を「聴診」する話もある。「金と命」という生々しいテーマを何度も教えてもらったなぁ……

 金で愛は買えるか? という疑問に、「セックスはカネで買えるが、愛は買えない」という中国の諺を思い出す。そこで紹介されたのは、アルベルト・モラヴィアの『倦怠』と谷崎潤一郎の『痴人の愛』。どちらも人生の虚しさを埋めるために「買った」(飼った?)少女がファム・ファタルでしたという話だ。

 そして、彼女が自分に振り向いてくれないことに心を焼き、嫉妬し、もの狂おしくなる関係こそが、虚しいはずの人生を生々しくさせていることになる。『倦怠』のワンシーンで、金で束縛する試みが正反対の結果になり、ふたりが紙幣に埋もれて交わるところがある。狂気とグロテスクに満ちた場面らしい。

 「お金で買えないもの」として、一番ズシンと来たのは、ささきさんが紹介してくれた、ジョン・クラカワー『空へ』。エベレスト登頂の夢をかなえるため、大金を払ってガイドを雇う人々と、そうした「顧客」を率いるリーダーの遭難事故。その悲劇から生還したジャーナリストが書いたドキュメンタリーで、映画『エベレスト3D』の原作でもある。

 登山に参加した人たちは、プロのクライマーではない。6万5000ドルという大金を支払うため、自宅を担保にお金を借りた人もいたらしい。これは読みたい。そして、「大金を払って、しんどい思いをして、死ぬような目に遭っても、かなえたかったものとは?」を、ぜひ知りたい。

02

詐欺

 簡単に金を稼ぐ方法として詐欺がある。光クラブをモチーフにした高木彬光『白昼の死角』を思い出したが、もっと現代的かつ具体的なのは、ズバピタさんが紹介した『営業と詐欺のあいだ』になる。

 営業と詐欺を同列に見ていることも面白いが、さらにカルト宗教やブラック企業まで巻き込み、すべては「お金を奪う」行為であるという視点から、お金を奪う技術とお金を奪われないための知識と技術についてまとめた一冊とのこと。営業と詐欺の境目が非常に曖昧なことが分かり、著者に言わせるならば「売買とは売り手と買い手の知的ゲーム」らしい。営業マンにはきわどい必勝法が伝授され、売りつけられる方にとっては、騙されないコツが身に付く。

 紹介された本は以下の通り。定番から意外なものまで、お探しあれ。次回のテーマは「アクシデント」(「トラブル」だったかも……)。災厄レベルの深刻なやつから、食パンくわえて「遅刻遅刻ー」のやつまで、このキーワードでピンと来た推し作品を、教えてくださいませ。参加はここからどうぞ→[スゴ本オフ]

お金持ち

  • 『バフェットからの手紙』ローレンス・A・カニンガム(パンローリング)
  • 『お金持ちになれる黄金の羽の拾い方2015 知的人生設計のすすめ橘玲(幻冬社)』橘玲(幻冬社)
  • 『大富豪が実践しているお金の哲学』冨田和成(インプレス)
  • 『マルサの女(映画)』伊丹十三監督(東宝)
  • 『株は技術だ』相場師朗(ぱる出版)
  • 『億男』川村元気(マガジンハウス)
  • 『改訂版 金持ち父さん貧乏父さん』 ロバート・キヨサキ (筑摩書房)
  • 『マージン・コール(映画)』監督・脚本:J・C・チャンダー(ビフォア・ザ・ドア・ピクチャーズ)
  • 『世紀の空売り―世界経済の破綻に賭けた男たち』マイケル・ルイス(文春文庫)
  • 『マネー・ショート華麗なる大逆転(映画)』アダム・マッケイ監督(パラマウント映画)
  • 『貨殖烈伝』司馬遷(『生きる技術』筑摩書房より)

経済
  • 『クルーグマン国際経済学 理論と政策』ポール・クルーグマン(丸善出版)
  • 『シティプロモーションでまちを変える』河井孝仁(彩流社)
  • 『決済インフラ入門』宿輪純一(東洋経済)
  • 『14歳からのお金の話』池上彰(マガジンハウス)
  • 『ファスト&スロー』ダニエル・カーネマン(早川書房)
  • 『エンデの遺言』ミヒャエル・エンデ(NHK出版)
  • 『経済政策で人は死ぬか?: 公衆衛生学から見た不況対策』デヴィッド・スタックラー(草思社)
  • 『帝国の手先 ヨーロッパの膨張と技術』ダニエル・R・ヘッドリック(日本経済評論社)
  • 『狼と香辛料』支倉 凍砂(電撃文庫)
  • 『valu だれでも、かんたんに、あなたの価値をトレード(フィンテック)』株式会社VALU(株式会社VALU)
  • 『ゴッホ・オンデマンド』ウィニー・W・Y・ウォン(青土社)
  • 『マネーボール 完全版』マイケル・ルイス(ハヤカワ・ノンフィクション)

買えないもの
  • 『ブラック・ジャック』手塚治虫(秋田書店)
  • 『幸福の資本論』橘玲(ダイヤモンド社)
  • 『7つの習慣』スティーヴン・コヴィー(キングベアー)
  • 『兄のトランク』宮沢静六(ちくま文庫)
  • 『人民は弱し 官吏は強し』星新一(新潮文庫)
  • 『倦怠』アルベルト・モラヴィア(河出文庫)
  • 『痴人の愛』谷崎潤一郎(新潮文庫)
  • 『空へ 悪夢のエヴェレスト1996年5月10日』ジョン・クラカワー(ヤマケイ文庫)
  • 『エベレスト3D(映画)』バルタザール・コルマウクル監督(ユニバーサル映画)

詐欺
  • 『スティング(映画)』ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード出演(ユニバーサル・ピクチャーズ)
  • 『百万ドルをとり返せ!』ジェフリー・アーチャー(新潮文庫)
  • 『営業と詐欺のあいだ』坂口孝則(幻冬舎新書)
  • 『大逆転 (映画)』エディー・マーフィー出演(パラマウント映画)
  • 『マネーロンダリング』橘玲(幻冬社)
  • 『誠実な詐欺師』トーベ・ヤンソン(ちくま文庫)


  • 『闇金ウシジマくん』真鍋昌平(ビックコミックス)
  • 『ナニワ金融道』青木 雄二(講談社)
  • 『不発弾』相場英雄(新潮社)
  • 『火車』宮部みゆき(新潮文庫)
  • 『銭ゲバ』ジョージ秋山(幻冬舎文庫)
  • 『100分de名著 苦海浄土』若松英輔(NHKブックス)
  • 『キングの報酬 power(映画)』監督:シドニールメット(20世紀フォックス)
  • 『スパイの血脈』ブライアン デンソン(早川書房)

生活
  • 『小商いのすすめ』平川 克美(ミシマ社)
  • 『ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方』伊藤 洋志(ちくま文庫)
  • 『フルサトをつくる: 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方』伊藤 洋志(東京書籍)
  • 『猫を助ける仕事』山本 葉子,松村 徹(光文社新書)
  • 『日本の給料 職業図鑑』給料BANK(宝島社)

いろいろ
  • 『マネー』浜田省吾(ソニーミュージック)
  • 『The Dark Side of the Moon』Pink Floyd(Pink Floyd Records)
  • 『おねだり大作戦』BABYMETAL(TOY'S FACTORY)
  • 『ベイビードライバー(映画)』監督・脚本:エドガー・ライト(ソニーピクチャーズ)
  • 『北壁の死闘』ボブ・ラングレー(創元ノヴェルズ)
  • 『金のいいまつがい』糸井 重里(新潮文庫)
  • 『ハリー・ポッターと秘密の部屋』J.K.ローリング(静山社)
  • 『タラ・ダンカン 若き魔術師たち』ソフィー・オドゥワン・マミコニアン(メディアファクトリー)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

物理学の限界=その時代の技術の限界 『物理学は世界をどこまで解明できるか』

 「物理学の限界=その時代の技術の限界」であることが分かる一冊。

 私たちは、どれだけ世界を知ることができるのか? 科学で説明可能な領域に、根源的な限界はあるのか? もしあるのなら、その限界はどこであり、どこまで実在の本質に迫ることができるのか―――わたしが、ずっと抱いていた疑問に、理論物理学者マルセロ・グライサーが応えた一冊。

 古代ギリシャの哲学から最新の量子物理学まで、科学史を振り返りつつ、「世界に対する知識」がどのように変遷していったかを解説する。類書と異なるのは、実在論がキーになっているところ。

 つまりこうだ。それぞれの時代で現象の説明のために用いられる「科学的」なモデルは、実際にそのような形や性質で存在しているのか? という検証がつきつけられる。ご存知の通り、「科学的」なモデルは、それぞれの時代でに異なり、知識の精度や濃度が蓄積され、更新され、その度ごとに世界のありようは一変してきた。

 著者は、そうした知識やモデルによって捉えた世界を、比喩的に「知識の島」と呼び、人類が世界をどこまで知りえたかを説明する。大海という未知の世界に浮かんだ、知識の島だ。既知の世界が広がるにつれ、島の面積は広くなる。一方で、未知の世界に接する海岸線も長くなる。つまり、知れば知るほど、未知は広がるのだ。

 これは、素朴に科学を信じていた自分にとって、ちょっとした衝撃だった。たとえば、自然界に存在する力を統一的に説明する万物の理論が成立すれば、世界を解明したことになると思っていた。これが実現する2055年をサスペンスフルに描いたグレッグ・イーガン『万物理論』の影響もあったのかもしれない。

 しかし、仮に超弦理論がそれに成功したとしても、粒子の最初期の相互作用についてわかっていることの完全な理論を生みだす可能性があるだけであり、最終理論などではないという。なぜなら、わたしたちが「人」という存在である限り、人が観測し、理解できる範囲内であるという限界があるからだ。

 グライサーによると、自然を探索する方法が機械である以上、その限界は機械によって決められることになる。なぜなら、機械は人の発明品である以上、人の創造力とリソースに依存するからだ。科学史を振り返ってみれば明白だ。新しい顕微鏡、新しい望遠鏡、新しい粒子加速器によって、世界のありようは変わってきてのだから。

 さらに、観測や測定に限らないという。既知のデータから未知の領域へ外挿される理論やモデルもまた、現在の知識に頼らなければならない。これも、歴史が明らかにしているエーテルやフロギストン、熱素、ボーアの原子モデルも、(その当時として)自然現象の記述として機能していた。物理的な実在に関し、最終的な説明などは存在せずより効果的な記述があるだけだという。

 ヴェルナー・ハイゼンベルクはもっと短い言葉で喝破している「私たちが観察するものは自然そのものではなく、私たちの探究する手法に応じて露わになった自然である」。探究する手法や機械によって、実在が変わるのだ。コロンブスの地球を中心とした宇宙は、太陽が中心にあるニュートンの宇宙と根本的に異なる。アインシュタインにしても然り。

 私たちがある時点で「真実」とする実在の説明は、時代により、モデルにより変化する。ここでプラトンの洞窟の喩えを思い出す人がいるかもしれない。洞窟に住む私た見ているのは、イデアの「影」であり、縛られているがゆえに振り返ってイデアそのものを見ることができない。

 もちろん、ある意味でこの喩えは合っている。すなわち、どんなに科学が進んでも、見えるのは実在の近似にすぎず、けっして実在そのものを見ることができないという点では正しい。だが、そこで照らし出される「影」そのものが変化するところが違う。そして、その限界は人に依存する。『万物理論』の「宇宙を正しく説明できたら宇宙そのものが消滅する」ネタは、とどのつまり「わたし」が理解するから世界がある人間原理につながる

 この限界は、佐々木閑『科学するブッダ』で考察した通り。量子論、進化論、数論を切り口に、科学の人間化が起きていることを解き明かすスゴ本なり。世界の真の姿を求めて論理思考を繰り返すうちに、神の視点を否応なく放棄させられ、次第に人間という存在だけを拠り所として物質的世界観を作らねばならなくなってきた「科学の限界」を説明する。

 仮に、物理学が行き詰まるとするならば、限界側―――つまりヒトの観測ないし発明された機械の側から逆照射することで、突破口が見出されるのではないか、と考えられる。これまで、自然現象の観察と説明からモデリングをボトムアップで積み重ねてきた物理学に対し、「ヒトで理解できる/測定可能な範囲」から説明可能なルートがないかアプローチするのだ。

 このアプローチは、カルロ・ロヴェッリが『すごい物理学』で紹介するループ量子重力理論につながると考える。すなわち、時間と空間に対し、それ以上の分割不可能な最小単位(スピンフォーム)が存在する前提で、一般相対論の時空間と量子場を合体させる試みだ。このスピンフォームこそが、時空を離散的なものとみなす「ヒトで理解できる/(将来)測定可能な範囲」なのではないか。

 知識の島のてっぺんに立ち、科学の射程をふりかえる一冊。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『土木と文明』はスゴ本

 土木から見た人類史。めちゃくちゃ面白い。

 土木工学とその影響という切り口で世界史を概観する。テーマは、都市、道路、橋、堤防、上下水道、港湾、鉄道などに渡り、テーマごとに豊富な事例で紹介する。土木技術の発展なしには文明も発達せず、また文明の発展につれて土木技術も発達してきた。そうした土木工学と文明の関わりを歴史的に串刺しで見ることができる。

 大きなものから小さなものまで、人が手がけてきた土木事業は、それこそ星の数ほどある。それをどうやって整理するか。本書は、そのとき直面した問題(治水、防衛、流通、疫病対策等)と、利用できるリソース(人・技術・時間)、そして成し遂げられた結果(土木事業)という観点で整理しているのが素晴らしい。

 面白いことに、問題と対策という視点で眺めると、時代や地域を超えた普遍性が現れてくる。異なる時代・地域の人々が、それぞれに知恵を絞り、そのときに手に入るリソースを駆使した結果、きわめて似通った構造物ができあがる。

 人の営みの不変性が、土木事業の普遍性につながる。どの時代であれ、人は水や食べ物を確保し、便利で安全な生活を求め、より良いものを作ろうとする。当たり前のことなのかもしれないが、土木という共通面で見せられると、一種の感動すら覚える。

◆治水:水を治むるは天下を治むる

 最もすごいのは、治水。

 「水を治むるは天下を治むる」という古い言葉が指すとおり、どの時代の為政者も治水には心を砕き、大量のリソースを投入していたことが、土木事業という結果から分かる(そもそも政治の「治」の語源は治水だし)。

 たとえば、紀元前の中国の王朝、秦国の事例がすごい。洛水の120キロにわたる灌漑水路が建設されたのだが、この水路、物資を船で運ぶ体目の運河としての役割もあった。そのため、丘陵の下にトンネルを堀り、水路を通過させている。単純に横穴を掘り進めるには、時間がかかりすぎる。どうすればよいか?

 そこで、ある工法が用いられる。すなわち、丘の上から何本もの竪穴を掘り下げ、指定した深さに達したところで左右に横穴を掘り進めて水路として連結させるのだ。こうすることで、複数のチームで同時にトンネルを掘ることができる。さらに、地下水路に崩れ落ちる土砂を浚うメンテナンスの通路にもなるメリットがある。

 この工法はカナートと呼び、最古の水道でも跡が残っているという。現在でもモロッコで機能している地域があるという。本書では中近東のカナートが伝播したと示唆するが、農耕地の灌漑のための水路を、積荷を載せた船が通れるほどの大規模で実現させている秦国もすごい。

 日本の治水事例だと、行基、空海、加藤清正といったおなじみの人物が出てくる。だが、なぜに僧侶や武将?

 なぜなら、衆生済度の方便になるから。仏法を説くだけではなく、信念を共にする集団が土木技術を修得し、灌漑や治水といった「見える化」を伴ってこそ、民衆の支持を得ていたことが分かる。加藤清正にしても然り。熊本城の石垣が有名だが、水争いや土地争いを治めるための名(功績)と実(土木技術)を兼ね備えた、「清正公」という事業団のような存在だったのかも。すなわち、僧や侍という個人の属性だけでなく、優れたエンジニア集団でもあったわけだね。

 なかでも、信玄堤の事例は、感動すら覚えた。甲府盆地の釜無川の大洪水を契機として、御勅使川との合流地点の大改造を行った武田信玄の土木工事だ。本書では、新しい水路を掘り、その起点に強固な石を積上げ、水流の勢いを弱めるように誘導する設計をマップつきで紹介している。

 しかし、コンクリートも重機もない時代。時とともに地場が緩んでくるのをメンテナンスする人員を確保するため、開拓移住者を募って入植させたという(入植者たちは免税される代わりに水防が義務付けられた)。さらに、堤防の上に三社大明神を請来し、毎春の祭日の神輿渡しをすることで、参拝する群衆によって土地がおのずと踏み固められる工夫をしたというのだ。

 この祭りは、今でも行われている(旧:山梨県中巨摩郡竜王町の神幸祭)。なぜその場所でその季節に祭りをするのか、知らない人もいるだろう。単に言い伝えというのではなく、その場所を守るための方法も込みで、500年前の政策が伝統化されているのだ。これは凄い。

 なぜなら、ある巨大建造物の話を思い出したから。

 その建造物に求められているのは、「入るな!」というメッセージである。周辺には鉄条網が張り巡らされ、様々な国の言葉で「入るな!」という看板が立ててあり、言葉が分からない人向けになにやら恐ろしげアイコンで警告を発している。壁を頑丈にしたり、侵入者を排除する機能を取り入れたり、そもそも普通ではアクセスできないような高い塔、深い穴、巨大な掘といった構造をしてもいい。

 だが、そうした防護壁をもうければもうけるほど、中に入っているものが大変貴重で価値があるものだと思われ、数多くの侵入者を招きよせることになる。何百年も経過するうちに、言葉は変化し使われなくなり、警告の絵も分からなくなる。どうすればよいのか?

 一つの解として、「祭り」が挙げられる。その建造物を中心にして社や街を造り、それぞれで祭りを伝統化させる。祭りでは「厄・忌み方角」として建造物の方向から避けるような舞・祈祷・山車などを執り行うのだ。人類が最も永く伝えられる「祭り」を利用することで、その建造物に近づくことを警告し続ける―――

 もちろん、その巨大建造物とは、核廃棄物の格納場所のことだ。信玄堤のメンテナンスを入植者と祭礼で行ったように、核廃棄物のメンテナンスもそうなるのかもしれないと想像すると、ぞっとするほど既視感のある未来になる。

◆都市城壁:テクノロジーが都市の形を変える

 都市城壁の歴史も興味深い。

 人類史のある時期まで、要塞都市は、半島の内陸部に巨大な城壁を建造し、海側を天然の守りとした「自然+人工」の構成となっていた。

 その典型例が、コンスタンチノープルの大城壁である。外城壁の高さ8m、内城壁は12m、見張り塔は12mであり、この大城壁に守られたコンスタンティノープルは東ローマ帝国の首都として1000年間、平和を享受していた。都市平面図を見ると、城壁はいわゆる線上の「壁」として成り立ち、外敵に対しては城壁上から防衛兵を繰り出すことができたのだ(まさに『進撃の巨人』のように)。

 ところが、ムハメット二世は、攻略戦に際し、前線に巨大な大砲を据え付け、砲弾の威力でもって大城壁を破壊してしまう。これは、城塞守備の常識を打ち砕く大事件であり、以降の攻城戦の様相が一変したという。すなわち、要塞の平面形状を変えて要所要所に角部(稜角)を突出させ、そこに大砲を備え付け、攻撃側の大砲を撃破する構造になる。今までの「自然+人工」ではなく、八角ないし円状に近い要塞都市を目指すようになったというのだ(XEVIOUSのアンドアジェネシスのイメージ)。

 15世紀末からの大航海時代において、欧州各国がインド、アジア、アメリカに植民地制服の橋頭保を確保した時、まずこうした稜角を持つ要塞を建造したという。テクノロジーが土木工学を変えた面白い例といえる。

◆水道:キレイ好きと土木工学の関係

 様々な観点から土木と社会の関係が考察されるが、上水道・下水道の件は、その文化が如実に表れており、大変面白かった。

 古代ギリシャ文明を振り返り、上水道の建設に用いられた土木技術が紹介される一方、下水道には無関心だったとこき下ろす。そのため、アテナイを始めとするギリシア諸都市の街路は、非常に不潔な状態にあり、ペロポネソス戦争難民による過密人口に対し、下水道の整備されていない街路が疫病をまき散らす温床となっていたという。

 時代が下って、中世ヨーロッパの都市は、屎尿に悩まされていたらしい。城壁都市の影響で家屋は多層建築となっており、そこでは各戸ごとの便所はなく、外の共同便所を利用していた。屋内では携帯式の便器を利用し、家の窓から街路に捨てる人が多かったという。街路の糞便は川まで雨で流されるか、市が雇ったナイトマン(屎尿清掃人)が片付けるまで放置状態だったらしい。

 その結果、汚れが目立たない黒っぽい服装が常識となる。ダークスーツ、黒いドレス、日傘、ハイヒール、シルクハットといった文化は、多層建築と下水道の未整備、汚水を捨てる社会の影響だったのだ。

 一方で、日本の事例が象徴的だ。オランダ人のケンペルが1691年に記した『江戸参府旅行日記』を引いてくる。着飾った女性が往来を歩いているのを見て驚いたというのだ。つまり、きれいな着物で出歩くことができるほど、日本の道路が清潔だったのだ。

 ここで急いでただし書きをせねばならぬ。日本で糞尿は肥料として売買されていたため、「往来に投げ捨てる」といったもったいないことをしていなかったのが真実だ。さらに申し添えておくと、ユゴーが『レ・ミゼラブル』で糞尿という名の肥料をそのまま下水に流しているのを憂いていたことも、本書ではしっかりと記載されている。

 欧米では、迷惑な下水を速く流し去るために下水道の建設を第一として、下水が未処理であっても目をつぶってきた(いわゆるタレ流し)。一方、日本では、都市部における人口密度が欧米より高く、川や海に対する汚染負荷量が大きいため、下水の処理を優先し、下水道の普及は遅かったという。

 下水の処理は、河川放流の前に沈殿池に導き、浮遊物を沈殿・除去する1次処理、活性汚泥法(好気性微生物を利用する)による2次処理、さらに酸化剤や凝集剤を用いる3次処理とある。日本では3次処理まで行っているところがあるが、欧米では2次処理までで、3次処理は検討対象にすらなってないという。欧米と日本の下水に対する取り組みの差は、都市構造からくる意識の違いによると考えると面白い。

 あわせて読みたいのが、人類の営みを、都市という面から捉えた名著『都市の誕生』[レビュー]がある。都市の形態や機能、交通や地下鉄、祭りや食べ物といった切り口で人類史を振り返ると、多様でありながら普遍的で、変化しながら不変的な要素をもつことが分かる。古代から現代まで、都市のありようと発達、そしてその変遷を眺めていると、人類のサイズや活動から逆に都市の機能が規定(定義?)されていることが分かる。

 また、都市や道路、港湾の部分においては、『戦争の世界史』[レビュー]と併せると何層にも面白くなる。人類が「どのように」戦争をしてきたかを展開し、「なぜ」戦争をするのかの究極要因に至る。軍事技術が人間社会の全体に及ぼした影響を論じ、戦争という角度から世界史を書き直そうとするこれも名著なり。『土木と文明』と重ねると、戦争と土木の相互作用が見えてくる。

 すごい本を読むと、過去のスゴ本に何層にも重なり、雪だるま式に思い出されてくる。文明とはすなわち土木であることが分かる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人は歌で進化した『人間はなぜ歌うのか?』

 「ロックンロールは骨で聴く」というセリフが好きだ。人類の大半が肉体を捨て、電脳世界で暮らすSF映画『楽園追放』のセリフだ。そこでは、音楽を始め、あらゆる快楽を享受することができる。そんな時代に、生身の体を持ったある男が、ロックは骨で聴くものだとつぶやく。

 これ、すごく分かる。

 彼のようギターを抱えて弾いても分かるし、ライブやコンサートの大音量に包まれても分かる。音楽は、確かに耳からの音を通じて聴くものだが、それだけではない。顔や腕の皮膚や、足下・体の芯から振動を感じ取るものだ。

 なぜなら、体の外から入ってきた音楽が自身と一体化し、自分の中に音楽があることに気づくから。わたしの声が、鼓動が、手拍子が、足踏みが音楽と呼応するものだから。ロックンロールに限らず、音楽は身体で感じ、共に歌い、叩き、踊るもの。静聴を求められるクラシックのコンサートでも、最後は万雷の拍手で応えるでしょ。それも同じことだと思う。

 「人はなぜ歌うのか?」という疑問から、人は歌で進化したという仮説を掲げる本書は、まさにこの点を衝いている。音楽とは何なのかという疑問をひっくり返すと、人間とは何なのかという疑問につながる。この発想がめちゃくちゃ面白い(一方、あやしい面もある)。

 たとえば、人は地上で歌う唯一の種だという。

 もちろん、歌うことのできる種は沢山いる。ウグイスやカナリヤをはじめとする鳥類や、テナガザルなどのサルの仲間、クジラやイルカなど、歌う種は5万4千種におよぶという。

 だが、鳥やサルは高所で暮らしており、地上に住む動物種で歌うものは皆無だという。なぜか? 歌うことによって、捕食獣に自分の居場所を教えることになるから。その証拠に、食べ物を求めて地上に降りるとき、鳥は歌うのを止める。

 そして、地上に住みながら歌う唯一の例外が、人だという。なぜ人は歌うのか? これは、ヒトの進化の過程における最大の謎になる。チャールズ・ダーウィンは『人間の進化と性淘汰』でこう述べる。

「音楽を楽しむことも、音楽をつくりだす能力も、ともに人間の通常の生活に直接の役には立っていないので、これは人間に備わった能力のなかでも、最も不思議なものの一つに数えられるべきだろう」

 時間や精力というリソースを多大に消費する、この「歌う」という現象が、あらゆる社会、文化、地域、時代を超え、なぜこのように普遍的に広がっているのか。本書は、この疑問に真っ向から切り込んでゆく。

 本書によると、「はじめに歌ありき」になる。

 歌は人の誕生とともにあった。子守唄から始まって、子供時代の遊び歌、恋歌、婚礼歌、宗教歌、狩猟の歌、農耕の歌、旅の歌、戦いの歌、癒し歌、葬式の歌と、人生のあらゆる段階につきもので、歌うことは文化のまさに中心にあったという。

 著者は音楽大学の教授で、多声楽の造詣が深い。世界中の伝統声楽の特性を調べ上げ、単旋律(モノフォニー)で歌う文化と、複旋律(ポリフォニー)で歌う文化の分布から、歌う文化の歴史を追いかける。そして、初期人類の進化過程における合唱の重要性を指摘する。はじめにポリフォニーがあり、人類が言葉を獲得していく過程でモノフォニーが生まれたというのだ。

 なぜポリフォニーか。著者は、爪も牙もなく足も遅い弱小グループであったヒトの祖先が、強く大きく見せるために、歌を歌ったのではないかと仮説する。体を叩くドラミングを行い、リズムに合わせて歌を歌ったのではないかというのだ。和声で合唱すると、響きがさらに大きくなる。同時に響く、さまざまな音の倍音が互いにぶつかり合い、その結果、実際より大人数になる響きのメカニズムを説明する(ボージェスト効果)。

 さらに、合唱は食料調達にも用いられたという。もちろん、音を立てたら獲物に逃げられてしまう。だが、ここでの獲物は腐肉だ。要するに、他の大型獣が狩った獲物や、病気等で死んでいる獣を探し、集団で歌いながら囲い込む。既に集まっている獣を追い払うため、集団で足を踏みならし、手拍子をうち、リズムに合わせて大声で叫び、歌ったのではないかという。少人数でより効果的に音を響かせるために合唱は不可欠だったという。

 また、歌は戦いにも不可欠だった。肉食獣や、他のグループと戦うとき、集団で歌を歌うことが非常に効果的だったという。正確なリズムで、大声で歌うことにより、相手に対し、戦闘を行う強いメッセージを伝えると同時に、仲間同士で強い連帯感を生み出し、恐怖や痛みを感じにくくさせる高揚した精神状態に持っていったというのだ。この主張は、サッカースタジアムに行くと、よく分かる。肌をビリビリさせるうねりのような大合唱は、自分という感覚をなくすから。

 すなわち、歌は楽しみのために生まれたものではなく、身を守り、生きる糧を得るために、必要不可欠な技術だったというのだ。

 この証明は、かなり難しい。「歌を歌う」というエビデンスが残らない現象を、世界各地の歌唱文化や伝承の側面や、ヒトの身体に残された機能的・遺伝的要素から炙り出すように説明するしかない。

 他にも、「なぜあらゆる言語において、質問のイントネーションは上がっているか?」「なぜあらゆる新生児はイ音(A)で泣くのか」といった質問も、「人は歌で進化した」で説明しようとする。風呂敷が広すぎるため、論理の飛躍や俗説のようなものが混じっており、音楽研究者の手に余る仕事だと思った。さらに、「ヒトは快楽のために体毛を失った」とか、「ライオンとヒトは共進化した」など、あれ? と思うような主張もある。

 だが、エビデンスが不十分だったり、論理の整合性が取れないからといって、この仮説を捨ててしまうのは惜しい。逆に、この仮説をベースに進化生物学や行動科学、人類生物学からアプローチするなら、もっと面白い世界が拓けてくるのではないか。

 音楽の起源について諸説さまざまある。ハーバート・スペンサーは、音楽を言語から派生したものだとみなし、スティーヴン・ピンカーは「聴覚のチーズケーキ」と進化上は無用なツールだと言った。他にも、「異性を魅惑するため」とか「母子の関係のため」といった説がある。いずれも、音楽はおまけ的なものと位置づけられていた。

 本書が凄いのは、ヒトの進化のど真ん中に持ってきたところ。そしてこの仮説は、エビデンス抜きで、感覚として分かりやすい。ロジックとエビデンスで納得するというよりも、生得的に感じ取るようなもの。本能的に、「骨」で理解しているのだ。

 文字を持たない文化はあるが、歌を持たない文化はない。「はじめに言葉ありき」ではなく、「はじめに歌ありき」だったのではないか。そんな知的好奇心を刺激する一冊。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

排他的家族主義の物語『平浦ファミリズム』

 「ラノベばかり読んでるけど国語で全国2位取った」という匿名さんに誘われて読んで驚いた。これ、すらすら読めてズシンとくる。パッケージがラノベなだけでラノベじゃない、「家族とは何か」をシニカルに愛情たっぷりに描いた家族小説なり。

 喧嘩っ早いキャバクラ嬢の姉。引きこもりでアニメオタクの妹。コミュ障でフリーターの父。そして、ほとんど高校に行ってない「俺」で構成される平浦家。世間的に見れば「普通」ではない家族が、寄り添うように暮らしている。

 日々の生活で明かされる、それぞれの過去がキツい。最初のページで分かるのだが、ベンチャー企業の社長だった母は、既に他界している。美人の姉はもと兄で、性同一障害に苦しむトランスジェンダーである。なぜ妹が引きこもりになったかのエピソードは、怒りのあまり目の前が真っ白になる。人付き合いが下手で、社会不適格者の烙印を押された父は、それでも家族を守ろうと奮闘する。

 社会的にはマイノリティとなる家族の生きざまに、不愛想でも温かな目を向ける「俺」。文武両道、高身長、高い知性と柔軟性というラノベの主人公らしからぬハイスペックゆえに(?)、達観したような、拗ねたような口調で淡々と「正論」が語られる。

 曰く、他人なんて信頼できない。頼れるのは家族だけ。学校、会社、地域社会が押し付ける都合の良い集団主義と同調圧力は糞くらえ。誰に迷惑をかけているわけでもないし、それなりの収入も得ている。おまえらが「俺」に向ける「心配」は、自分かわいさの自己憐憫の一種にすぎぬ―――ロジカルに展開される「正論」は、読み手の立場に応じて強い説得性を持つ。

 一方、その危うさも垣間見える。家族だって人間だ。人間だから変化する。歳を取り、成長し、嗜好も変わってゆく。なるべく社会とかかわらないようにしても、それでも他人は入ってくる。学校、会社、地域社会のなかで、そんな「俺」を本気で憂い、寄り添おうとする人も出てくる。家族で対処できないような問題が起きたならば、助けを求めねばならぬ。だが誰に? 誰を信用すればよいのか?

 そうした葛藤と交流のなかで、「俺」が徐々に心を開いていく。その姿を見ているのが楽しい。それは、「俺」とは似ても似つかぬわたしの中に、「俺」が抱いている嫌悪感と同じものを見、同じ葛藤を経、そして同じ結論に達しているから。

 最初は、「俺」が抱く社会への嫌悪感の理由を探しながら読む。そのうち、家族そのものへ行き当たることを知って愕然となる。なぜ家族がそうなっているか、そして母がなぜいないのかは、「俺」が社会を避ける理由の裏返しなのだ。

 さらに、家族を経由した他人とのつながりのなかで、母が遺した願いを通じて、人を信じようとする。少なくとも、まず人を知ろうとする。家族に向けるまなざしと同じあたたかさはないけれど、それでも、人の言葉を受け取ろうとする。章を追うごとに「俺」の口調の端々にそれが観て取れる。その変化が楽しい。

 同時に、穏やかだった日常が、思わぬ方向へ転がってゆく。前半の日常が破壊されてゆく様子は、そのまま「俺」が被っていた世間へのバリアーが壊されてゆくのと同期する。普通ではない家族が、普通に生きようとするのは、それだけ大きな代償を必要とするのか。

 読みながら、ジョン・アーヴィングを彷彿とさせられる。普通じゃない家族が普通の人生を歩もうとすると、どこかで滑稽な展開になる。

 そう、『ホテル・ニューハンプシャー』のことだ。家族のためにホテル経営を夢見て家族を犠牲にする父、ゲイの兄、輪姦され心を閉ざしレズビアンになった姉、小人症の妹、難聴の弟、そして「ぼく」―――それぞれに傷を負った、問題がありすぎる家族の、問題がありすぎる人生を、ユーモアとペーソスたっぷりに描いた家族小説だ。

 この小説の凄さは、「悲しい」と書かずにちゃんと悲しみが伝わること。もちろん "sorrow"(悲しみ) という言葉は出てくるが、誰かが死んで悲しいとか、何かを失って嘆くとかというときに、固有名詞のようにひょっこり顔を出すのだ。悲しみだけではなく、嬉しいこと、誇らしいこと、心地よいこと、腹立たしいこと、読むと、さまざまな感情が押し寄せてくる。

 その一つ一つがちゃんと計算されていて、ストーリーに翻弄されることを請け合う。長い長い物語なのだが、泣いたり笑ったりしているうちに、最後にはあたたかな気持ちになれる傑作だ。もちろん舞台もキャラも物語も違う。だが、あたたかな読後感覚が同じなのが面白い。両者とも、バットのフルスイングが重要なキーとなっているところまで似ているのが楽しい。

 パッケージはラノベだが、中身が違う。ライトノベル的なキャラクターやシチュエーション、展開はあるが、良い意味で裏切ってくれる。ひょっとすると、こんな「ラノベ枠を超えた文学」が流行っており、わたしが最近のラノベ事情に疎いのかもしれぬ。いずれにせよ、読んで楽しく・あたたかなひとときを過ごせた。本作を世に出した方と、縁を結んでくれたはてなの匿名さん、ありがとうございます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

あまりにも無色透明な絶望『絶望を生きる哲学』

 理想主義がまぶしい。濁ったおっさんには青すぎて懐かしすぎる。

 これ、中学生でかぶれたら、一生治らないヒューマニストになっていただろう。池田晶子の著作から箴言を選り抜いているが、どの言葉も強く厳しく、主語がでかい。

時代が悪いというのなら、あなたが悪いのだ。何もかもすぐにそうして時代のせいにしようとするあなたのそういう考え方が、時代の諸悪のモトなのだ。なぜ自分の孤独を見つめようとしないのか、なぜよそ見ばかりをしているのか。不安に甘えたくて不安に甘えているくせに、なお誰に不安を訴えようとしているのか。(太字化はわたし)
自分の体験から語ろう、体験としての思想をもとうなどというのこそ、戦後民主主義の寝言なのである。体験からしか言えない人は、体験が逆ならば、逆の意見を言うだろう。だから個人の意見などいくら集めてもしょうがなのだ。

 第一印象は茨木のり子。それも「倚りかからず」を目指しているように見える。自分の感性くらい自分で守れというやつ。ブッダの思索やキリスト教、ソクラテスの名を借りたプラトン、あとはデカルトと良寛など、賢人たちの言葉を咀嚼して、アジテーションに変換する。絶対的・普遍的な「善」なるものは確かにあり、それを実現するために生きろと呼びかける。その、強くて正しい言葉が心地いい。勇敢に好戦的に全方位的に射撃しているので、そのうちの何かに撃たれるかもしれない。

 言っていることは「正しい」。たとえば、「便利になることで節約された時間を仕事に使うのなら、便利になることで仕事はより忙しくなっている」、「人生に物語を求めるとは、人生は何事でもないという自由に耐えられないから」、あるいは「未来への不安、過去への後悔は時間認識の誤り。なぜなら未来や過去に苦しむのは、いつだって現在なのだから」なんて箴言は、そのまま tumblr の「#名言」に突っ込みたくなる(実のところ、著者を tumblr で知った)。

 その「正しい」メッセージの中に、強烈な自己愛がそこかしこに突き出ており、思わず微笑してしまう。「わたし」は自分でモノを考え、生きている。何も考えず、世間や常識というやつに流されているその他大勢とは違う! 「わたし」の言葉は、哲人たちの思索から汲み上げた叡智を結集したものであり、その他大勢ではなく、まさしく「あなた」なら受け取れるはずなのだから―――いわゆる、刺さる人には刺さる。

 むしろ、タイトルの「絶望」という言葉にダブルスピークを感じる。役に立つタイミングからして死亡保険というべき「生命」保険。実質的にやってることは監視なのに「防犯」カメラ。タイトルの、絶望という言葉に希望を込めたいのではなかろうか。絶望という言葉で不安を煽って、その支えとなる「希望」を印象づけたいのではなかろうか。

 だとするなら、その絶望の深さはいかほどか。その痛みや不安はどれほどか。愛し子を喪い神へ問うたクシュナーの苦悩や、20歳で難病になった頭木弘樹の果てしない絶望を傍らに読むと、彼女の絶望は、あまりにも無色透明だ。彼女がどういう人生を歩み、どんな闇の淵を覗き込んでこの文章を書いてきたのかが、気になる。

 魂の濁り具合(もしくは絶望の透明度)を確かめるのに、最適な一冊。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

9/2(土)オフ会やります、テーマは「お金」

 オススメを持ち寄って、まったり熱く語り合う読書会、それがスゴ本オフ。

 読書会と言ったが、本に限らず、音楽や映画やゲーム、youtubeから展覧会なんてのもアリ。オススメの魅力を語ってもらい、「それが好きならこれなんてどう?」と皆で交流する。本を介して人を知り、人を介して本に出合う場なのです。

 次のテーマは「お金」。マネー、財、税、給料、遺産、富など、お金にまつわるものならなんでもOK。お金が絡むドロドロの人間関係を描いたドラマや、お金の人類史をガチで追いかけたノンフィクション、あるいはお金のない世界を舞台にしたファンタジー(SF?)、お金持ちになる方法を紹介する自己啓発本、タイトルに”Money”がある映画や音楽って、けっこうありそう。あなたのアイディア次第で、いくらでも膨らみますぞ。

9/2(土) 13:00-18:00、渋谷某所
参加費2000円
お申込はこちら→[スゴ本オフ「お金」]

 全体の流れはこんな感じ。午後いっぱいを使って、飲んだり食べたり、まったりしながらやってます。途中参加・退場自由・見学歓迎なので、お気軽にどうぞ。

  1. オススメ作品を持ってくる
  2. お薦めを1人5分くらいでプレゼンする ※twitterのハッシュタグは「#スゴ本オフ」
  3. 「それが好きならコレなんてどう?」というオススメ返し
  4. 本の交換会 ※交換できない作品は持ち主が回収


| | コメント (0) | トラックバック (0)

生命をメタレベルで考える『生物圏の形而上学』

 これは面白かった。『生物圏の形而上学』は触媒となった一冊なり。

 ノンフィクションには、新たな知見を得られるものと、自らの知見と化学反応を起こすものがある。本書は後者寄り。「生命とは何か」について、より根源的でメタ的な視点より捉え直し、わたしの思考の倍率を上げ、妄想を煽り立て、アイディアの触媒となった。

 読みながら思い出したのは、街灯の下でカギを探すジョーク。深夜、街灯の下でウロウロしている男がいる。カギを探しているという。一緒に探してみるが見つからない。本当にここで失くしたのかと聞くと、「いや、失くしたのは向こうの暗がりです。あそこは暗くて見えないので、明るい所で探しているのです」というやつ。真に重要なところではなく、定式化できるモデルに固執する経済学を揶揄するために使われるジョークである。

 だがこのジョーク、「生命の起源は地球にある」と主張する一部の生物学者にも適用できそうで楽しい。というのも、彼/彼女らは、現在発見されているものが全てで、それ以外のものは存在しないものとして論考を組み立てているから。

 「生物とは何か」について、かつては、地表で容易に観察できるものから考察していた。だが、科学技術の進歩により、深海層や、岩盤層といった、人の目が容易に届かない場所で微生物の生態系を見出すようになった。また、高温や高圧、高アルカリといった極限環境で増殖する微生物の存在が明らかになるに従い、生物学の教科書は次々と書き換えを余儀なくされていった。生物とは、街灯の下だけでなく、暗がりにもいるのだ。「人知の及ばぬ環境で、まだ発見されていない生物がいる」と断言したところで、反論する者はいないだろう。

 しかし、街灯の明るみにあるものを全てとするあまり、暗がりにいる生物の可能性を切り捨てる人がいる。「生命の起源は地球にある」と主張する人々だ。もちろん、生命の起源を地球に求めるのは結構だが、だからといって宇宙に生命はいないとは言えないだろう。現時点でこれだけ多様な環境で沢山の種類の生命を見出しているのだから、どの暗がりにも「いる」可能性は否定できない。可能性の問題とするならば、街灯の下の「光が当たっている部分」よりも「目の届かない暗がりの部分」の方が、はるかに大きいのにね。

 なぜ、彼/彼女らは、「生命の起源は地球にある」ことに固執するのだろう。それは、科学が神に取って代わった(と信じる)ことで説明できるかもしれない。つまりこうだ、「生命を創造した神」に成り代わり生命の起源を説明しようとするならば、「神」の限界を引き継ぐことになるから。その「神」が創造した生命の範囲が、人知の及ぶ陸海空までなら、そこに成り代わった科学の(最初の)限界は、陸海空までになる。地下深層や成層圏、はては地球外の生命まで創造した想像力あふれる「神」ならば、代わりに立つ科学は、拡張された範囲まで説明することを試みるだろう。もちろん「最初の」限界と述べたのは、それを超えるエビデンス(極限環境の微生物等)が見つかるまでの話だ。

 ヒトが微生物を見るように、ヒトを見るような存在(例えば神的な存在)を考えてみよう。その存在からすると、ヒトはあまりにも微小でか弱い。だが微小ななりに工夫して生き延び、この地に繁栄している。夜になれば、ヒトの活動が「光」となってその存在の目に届くだろう。明るい場所にヒトが沢山いるから、ヒトはそこで誕生したのか? そんなことはない。ヒトの起源をアフリカに求めるのは、自然人類学における有力な説である。

―――ここまでが、わたしの妄想なり。宇宙・ヒト・微生物を俎上に、ミクロからマクロまで縦横無尽に駆け回る本書のおかげで、妄想がはかどるはかどる。

 「生命とは何か」を宇宙から問い直したり、生命をサイズから定義する試みは、読んでて大変楽しい。「なぜ微生物は小さいか?」についてここまで掘り下げた議論は、生細胞を物理的に見たシュレディンガー『生命とは何か』以来なり。「世界をやり直してもヒトは生まれるか?」や「海底火山と氷床下湖に地球外生命のカギを見つける」など、問いの立て方、発想の仕方が抜群に上手いのだ。

 たとえば、南極大陸の氷底湖であるボストーク湖を紹介する。厚い氷に覆われ、1500万年も外界から隔絶された湖で、3800メートルの氷床を掘削して得られた湖水サンプルのDNA分析から、未知の微生物が多数存在することが示唆されたという。著者はその目を空に向け、木星の第2惑星「エウロパ」を指さす。表面は氷に覆われているが、氷の殻の下に液体の水、すなわちエウロパの海がある。南極の氷床下湖の探査は、エウロパの氷床下海の前哨戦であり、宇宙生命探査にもつながっているというのだ。

 あるいは、2015年から始まっている国際宇宙ステーション(ISS)の「たんぽぽ計画」を解説する。東京薬科大学の山岸教授をリーダーとした宇宙微生物サンプリングのプロジェクトである。ISSの日本の実験棟の曝露部に微生物サンプラーを置いて、ISS軌道高度から採取しようというのだ。もし、地球外微生物が採れたら「世紀の大発見」だし、もし、それがダメで地球の微生物しか採れなくても、「生物圏の範囲の拡大」はやはり大発見になるという。2018年に予定されている最終回収が待ち遠しい。

 さらに、カリフォルニア大学バークレー校の研究チームが発表した、「0.0002ミリ以下の微生物」の紹介も興味深い。このバクテリア群はあまりに体が小さいため、ゲノムも小さくなっているという。その結果、増殖や代謝に必要な遺伝子を欠いているが、バクテリア同士が助け合うことで互いの不足を補っているというのだ。ここ近年で明るみに出てきた部分が「生物とは何か」の定義を書き換えようとしている。

 現在、地球にいる生物は、地球で適応した生物にすぎない。微生物のレベルで見るならば、宇宙には生命体が「うじゃうじゃ」いると考える。単に暗がりにいるだけで、わたしたちがまだそこを「見て」いないだけなのだ。そして、わたしたちが「見る」日は、思ったよりも近い。そんなワクワクを掻き立てる一冊。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

恋・宗教・格闘技・幽霊・SF・百人一首……「ハマる瞬間」が面白い

 好きな小説や音楽に「最初に」好きになったときを覚えているだろうか。

 それは恋に堕ちるような瞬間で、興奮のあまり上昇しているのか墜落しているのか分からず、首まで浸かってから底なし沼であることに気付く。そんな「ハマる瞬間」をテーマにして、さまざまな作品が集まった。

 面白いのは、オススメ作品だけでなく、それを語る皆さんの好きっぷり! どんだけそれが好きやねん! とツッコミを入れる一方で、好きが伝染する。それがスゴ本オフのいいところ。好きな本を持ち寄って、まったり熱く語り合う読書会なのだ。本に限らず、音楽、映画、ゲームなんでもあり。最新情報はここでどうぞ。

[ facebook「スゴ本オフ(Book Talk Cafe)」 ]

 まずはわたし、TVアニメ「月がきれい」を入口に、「好きな人が自分を好きになる」は奇跡の一つである話をした。『月がきれい』が好きな人は、『東雲侑子』を読むといいの圧縮バージョンやね。「こんなアニメのような(小説のような、映画のような)恋愛なんて、存在しない」というのは可能だ。だが、そんな作品が世に溢れているのは、なかったはずの青春時代の代償行為なのかもしれぬ(少なくともわたしにとってはそう)。

001

 熱く(暑く?)ハマれるのは、同人誌界隈。ズバピタさんが紹介する同人誌の世界は、深く濃く広大で強烈なり。出版不況とは裏腹に、同人誌の世界はもの凄い勢いで広がっている。本が売れないと嘆く人は、出版社と流通の業界しか見ていないかもしれない。女子高生のセーラー服の構造を通じて幾何学を学ぶ『制服の幾何学』や、発砲できないように改造した銃の魅力を伝える「無可動実銃」など、見たこともない世界が広がっている。

002

003

 自分の「身体」にハマれるのは、ボディワーク。柳生新影流をベースとし、身体の使い方を学び直す。タオルや物差しを用いて、力をかけるラインを意識しながらレクチャーを受ける。正直、教えられた通りに動かせているかどうか自信はないが、「力の通り道を自覚する」という感覚が面白い。コンピュータを動かす基本ソフトがOSで、その上で動くアプリケーションなら、このボディワークがOSとなり、剣道や空手や拳法がアプリになるという。あわせて教えてもらった、肩こり・腰痛に効く体操がありがたい。

 百人一首愛が凄かった。壇蜜さんに惹かれ、Eテレでやってた「恋する百人一首」を見てハマったという。コミック『ちはやふる』はもちろんのこと、それをアレンジした骨牌も出てくる。百人一首が好きすぎて、クッキー焼いてくるところが凄い。興味深いのは、同じく歌でも評者によって焦点が違っているところだそうな。田辺聖子『小倉百人一首』、白洲正子『私の百人一首』をお薦めされたが、比べて読んだらハマりそう。

004

005

 不穏なハマりもある。村上春樹『アンダーグラウンド』、オウム真理教による地下鉄サリン事件の関係者のインタビュー集のご紹介。学歴や自意識の高い、いわゆるインテリがオウム真理教にハマる瞬間が丹念に描かれている一方で、なぜハマるか、読み手にとっては分からないままだという。宗教にハマる瞬間は「啓示」という便利な言葉が示す通り、主観的な体験だからなぁ…… 一緒に紹介された『約束された場所』も併せて読むといいのかもしれない。

006

007

 自分がハマった作品だけでなく、ハマった誰かを描いた作品も。ハマる対象も、宗教、格闘技、動物の写真、SF、怒り、幽霊、女、忍法、介護、アニメなど様々。人生のショートカットから落とし穴まで、「ハマる瞬間」は、楽しいだけでなく、怖いものもある。ここで語り尽くせないトピックは、togetterまとめをどうぞ。

008

 紹介された本のラインナップはこれ。漏れ抜けあるけどご容赦を。

  • 『東雲侑子は短編小説をあいしている』森橋 ビンゴ(ファミ通文庫)
  • 『東雲侑子は恋愛小説をあいしはじめる』森橋 ビンゴ(ファミ通文庫)
  • 『東雲侑子は全ての小説をあいしつづける』森橋 ビンゴ(ファミ通文庫)
  • 『錦繍』宮本輝(新潮文庫)
  • 『ルビンの壺が割れた』(新潮社)
  • 『もうひとつのワンダー』R・J・パラシオ (ほるぷ出版)
  • 『希望のごはん』クリコ(日経BP社)
  • 『85歳のチアリーダー』滝野文恵(扶桑社)
  • 『ちはやふる』末次由紀(講談社)
  • 『田辺聖子の小倉百人一首』田辺聖子(角川文庫)
  • 『私の百人一首』白洲正子(新潮文庫)(角川文庫)
  • 『恋する「小倉百人一首」』阿刀田高
  • 『片思い百人一首』安野光雅(ちくま文庫)
  • 『日本語の古典』山口仲美(岩波新書)
  • 『アンダーグラウンド』村上春樹(講談社文庫)
  • 『約束された場所で―underground 2』村上春樹 (文春文庫)
  • 『エドワード・ゴーリーの優雅な秘密』ウィルキン・カレン(河出書房新社)
  • 『みささぎ盗賊』山田風太郎(ハルキ文庫)
  • 『甲賀忍法帖』山田風太郎(講談社文庫)
  • 『ペン・オブ・クインシー』ザ・ソニー・スティット・カルテット
  • 『恐竜vsほ乳類』小林快次博士(ダイヤモンド社)
  • 『抑圧された記憶の神話』K.ケッチャム(誠信書房)
  • 『きょうりゅうをたおせ』たかしよいち(文研出版)
  • 『プリニウス』ヤマザキ・マリ/とり・みき(新潮社)
  • 『火星の人類学者』オリバー・サックス(ハヤカワ文庫)
  • 『LEAN IN(リーン・イン)』シェリル・サンドバーグ(日本経済新聞出版社)
  • 『野生動物カメラマン』岩合光昭(集英社新書)
  • 『人はなぜ格闘に魅せられるのか』ジョナサン・ゴットシャル (青土社)
  • 『グミ・チョコレート・パイン』大槻ケンジ(角川文庫)
  • 『ブルーシティー』星野之宣(MF文庫)
  • 『天冥の標』小川一水(ハヤカワ文庫)
  • 『ウイスキー検定公式テキスト』土屋守(SJムック)
  • 『私はどうして販売外交に成功したか』フランク・ベトガー
  • 『うらめしや~、冥途のみやげ展』全生庵・三遊亭圓朝(印象社)
  • 『アンダーリポート/ブルー』佐藤正午(小学館文庫)
  • 『十二国記 月の影・影の海』小野不由美(講談社文庫)
  • 『少女地獄』夢野久作(角川文庫)
  • 『制服の幾何学』こーわ
  • 『制服深層学習』こーわ
  • TVアニメ『月がきれい』
  • TV番組『恋する百人一首』(NHK)
  • ブルーレイ『Re:CREATORS』(アニプレックス)
  • DVD『評決』ポール・ニューマン主演
  • DVD『スクープ』ポール・ニューマン主演
  • CD『Song in the Key of Life』スティービー・ワンダー
  • CD『レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン』レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン

 次回のテーマは「お金」。マネー、収入、銭、財、信頼、回りもの。直球で経済から選んでもいいし、お金に憑りつかれた人間模様もあり。「お金のない世界」という視点から捉え直した作品も面白い。強奪されたり生みだしたり、与えたり奪ったり、君臨したり支配されたり、様々な切り口がある。「お金」をテーマに、あなたがお薦めする作品を紹介して欲しい。小説、ノンフィクション、マンガ、映画、音楽、ゲームなんでもあり。そういや、ある質問に、オスカー・ワイルドがこう答えていたな。

  Q:あなたが一番影響を受けた本は?
  A:貯金通帳です!

 最新情報はここ↓ twitter(@Dain_sugohon)でもつぶやくけれど、ここが確実ですぞ。

[ facebook「スゴ本オフ(Book Talk Cafe)」 ]

| | コメント (1) | トラックバック (0)

ユニークな分析哲学入門『今夜ヴァンパイアになる前に』

 「ヴァンパイアになれるチャンスがある」思考実験から始まる分析哲学。

 もちろん「ヴァンパイアになる」はメタファーだ。結婚する、子をもつなど、見通しが不透明で、人生を劇的に変えてしまうような判断を指す。この決断を迫られたとき、どうすれば合理的な意思決定が導けるかを、徹底的に考え抜く。深くて濃くて、ユニークな一冊。

 象徴的とはいえ、「ヴァンパイアになる」は言いえて妙だ。あなたの友人の何人かは既にヴァンパイアになっていて、その生活形態や価値観について、色々と教えてくれる。人ではとても理解できない仕方で、この世界を理解することができるという。ただ、ヴァンパイアとしての理解を、人に説明することは、とてもできない。この充足感と万能感は、文字通り人知を越えており、それがどんなものであるかを知るには、ヴァンパイアになるしかない。

 問題はここからだ。この状況で、あなたは一体、どうやって十分な情報に基づいた選択を行えるのか、ということだ。ヴァンパイアになるまでは、ヴァンパイアであることがどういうことかは分からない。そのため、「ヴァンパイアである」ことから生じる実際の経験と、今の「人である」ことから生じる実際の経験を、比較することができないのだ。

 さらに、ヴァンパイアの友人の証言だけに頼って、未来を選ぶことも怪しい。なぜなら、もはや彼らは人間をやめた以上、彼らの選考はヴァンパイアとしての選考であって、人としての選考ではないからだ。

 「ヴァンパイアになる」に限らず、「結婚をする」「子どもをもつ」「大きな手術を受ける」「軍隊に入る」など、人生において、重大な決断を迫られることがある。その選択をすることで、あらたな経験をすることになる。その経験は、人生を(人性を)決定的に変えてしまう。

 しかし、そうした、変容的な経験をする/しないの決断をしなければならないのに、実際に経験をしないことには、「その経験をする」ことが何なのかが、分からないのだ。著者は、フランク・ジャクソンの思考実験「メアリーと白黒の部屋」を例示しながら、経験と意思決定を深堀りする。

 認識論について考えるなら、「メアリーと白黒の部屋」はたいへん興味深い。つまりこうだ、生まれたときから白黒の部屋で過ごしてきたメアリーがいる。彼女は、色というものを目にしたことがないものの、視覚の神経生理学について世界一の専門知識を持っている。光の特性、眼球の構造、視神経のつながりや、どんな場合に人は「赤い」「青い」というのかを、知っている。さて、メアリーが部屋を出て、初めて色を目にするとき、メアリーは何か新しいものを学ぶだろうか? という思考実験だ。

 これは、クオリアや唯物論、哲学的ゾンビの話につながっていくが、本書ではさらに捻っていて面白い。著者は、あくまで個人的な経験という立場から分析しようとする。メアリーが、自分の主観的な色の経験をするときのありようを想像の中で示すためには、それに先立って、関連する経験をしていなくてはならないというのだ。

 すなわち、「色を見る」ことを実際に経験しな限り、「色を見る」ことの知識をどんなに積み上げても、「色を見る」ことがどういう経験なのか、学ぶことはできない。他のどんなものにも還元されない、そんな経験があるというのだ。

 「メアリーの部屋」はシンプルな思考実験だが、「ヴァンパイアになる」も「結婚する」も同じだ。それに関する知識をどんなに積み上げても、実際に経験しないことには、「経験した」ときの主観的なありようを示すことができない。認識や経験が個人に属する以上、そして世界線を辿れない以上、避けることができない問題なのだ。

 古典的なら、標準的な意思決定論のモデルがある。選択により得られる価値と、実現する確率から導かれる期待値の大小によって、決断する方法だ。しかし、可能性のメリット/デメリットは経験により変容する「前」の評価軸であり、変容「後」とは別物である。主観的な価値が前例のない仕方で変わってしまうから、選べない。価値が不確実なのではなく、選択以前の自分では価値を割り当てられないからだ。

 あるいは、個人的な価値から離れ、三人称的な視座から判断する、という方法もある。つまり、科学や宗教や他の誰かの規範に沿った選択をするのだ。規範的で合理的な選択だけに固執するのは魅力がないという。なぜならそれは、自分の価値から自身を断ち切ることになり、他人の人生を生きることになるから。選択を通じて自分が何者になりたいかを実感することこそが、意味ある人生を生きることだから。「意思決定」と言うなら、誰の「意思」なのかという話やね

 合理的な判断も、客観的な決断もできない。ではどうするか?

 本書では、メタ的に視点を上げたモデルを提案する。著者は、全く新しい経験をして、認識を変容することを「啓示」と呼び、啓示込みで、それを選ぶかという議論にする。ヴァンパイアになること、結婚をすること、子をもつこと、それが主観的にはどういう経験なのかは分からない。だが、その経験により変化する自分を込みで、選びたいかと考えるのだ。どうあがいても合理的な意思決定ができない以上、啓示を受けて変わった自分も含めた合理的な判断をすべし、というモデルになる。

 わたしの知る限り、ほとんどの場合、「ヴァンパイアになる」かどうかは、本人の意思如何にかかわらず不可抗力のものである。唯二の例外として、『ダレン・シャン』の第一巻と、『ジョジョの奇妙な冒険』の第一巻だな……と思っていたら、まさに訳者あとがきで「俺は人間をやめるぞ!ジョジョーーーーーッッッ!!」が紹介されてて笑った。

 悔いなく生きたいという願いを、どう実践するか。分析実存哲学からの応答は、これだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«『すごい物理学講義』はガチで凄かった