原文で読むからこそ味わえるヘミングウェイの文章の味『ヘミングウェイで学ぶ英文法』

正直に告白すると、ヘミングウェイは苦手だった。

簡潔で、説明不足で、ぶっきらぼうな文体だったから。

しかし、この本を読んで、考えが変わった。

例えば、”Cat in the rain” における、雨宿りをしている子猫を見かけた妻が、夫に告げるシーンだ。

I’m going down and get that kitty,” the American wife said.

I’ll do it,” her husband offered from the bed.

“No, I’ll get it. The poor kitty out trying to keep dry under a table.”

本書の解説で、「現在進行形(I’m going)と will の違いが分かりますか」と問いかけられる。

え? be going ~って、結局、『~するつもり』だから、will と一緒でしょ……と思うのだが、実は違う。この、妻の be going と、夫の will の違いこそが重要なのだ。

どちらも未来にすることを指すが、現在進行形は、「もうその行為や状態に向かいつつある」という意味になるという。つまり、妻の気持ち的には、「猫を捕まえにいく」という行為は既に始まっているのだ。

対して夫の “I’ll do it,” は、話し手の意志を示す。「僕がするつもり」なのだが、ベッドの中から(from the bed)答えている。「するつもり」と言ってるだけの可能性が高く、とても信頼できない。

だから妻は、“No, I’ll get it.” と、夫の提案を拒絶し、「どうせやらないから私がやる」とハッキリ告げているというのだ。

ヘミングウェイは形容詞を使わない

わずか3行で、夫婦のすれ違いが浮き彫りにされている。

ここに限らず、あちこちで会話がかみ合っていない。別に罵り合っているわけではないが、何かがズレている。読み進むうち、「この2人、何かわだかまりを抱えているのではないか……?」と不穏に思えてくる。

しかし、ヘミングウェイは「険悪な空気」とか「妻は怒った」と書かない。猫を欲しがる妻と、ベッドで読書をする夫の会話が続くだけ。さらっと読むと、なんてことなく、2人が何を考えているのか、分からなくなる。形容詞や感情を示す言葉がないのだ、ヘミングウェイには。

『ヘミングウェイで学ぶ英文法』では、英語学の専門家とつきっきりで、原文を読み込む。要所に下線を引き、「なぜその文型なのか」「どうしてその冠詞なのか」と問いかけてくる。

作品を英語で味わうのが目的だから、最初に全訳を読んで、ストーリーを把握できる。その上で、原文→解説の順になっているのが嬉しい(いきなり原文だとハードルが高いからね)。

そして解説に導かれ、原文を生(き)のままで読み直すうち、登場人物の感情が浮かび上がってくる。

そこには、目に見える会話や行動とは別に、水面下で別の感情が渦まいており、それらが時に暴発し、物語にさざ波をもたらす。わたしは、水面だけを眺めて、「たいしたことが起こらない」とか、「何を考えているか分からない」で片づけていたのだ。

何気ない一言や、ほんとうに些細な行動を、わざわざ書き記しているといことに、意味があるんだ。見えている部分から、見えていない物語を推察し、両義的な世界を感じる―――これが、ヘミングウェイがやりたかったことなのかもしれない。

文章は形容詞から腐る

「文章は形容詞から腐る」と言ったのは開高健か。

描写対象をデコレートし、書き手が伝えたい「情報」を与え、意味づけを行う―――それが形容詞だ。生き物に喩えるなら、まず眼や内臓や花弁、つまり最も美味な箇所から腐ってゆくように、小説も飾った場所から衰え、腐り、崩れてゆく。

そして、完全に腐り落ちたあと、残るのは骨だ。ヘミングウェイが時代を経て評価されているのは、そうした骨のある文章だからといえるだろう。

形容詞を排し、動作と会話だけで構成された小説は、極めて少ない。

わたしの知る限り、ヘミングウェイの衣鉢を継ぐのは、コーマック・マッカーシーや、ジョン・ウィリアムズだろう。かくも美しくも残酷な物語を、「美しい」も「残酷」も使わずに表現してくれる。「悲しい」と書かずに悲しさを伝えてくれる作家だ(『ストーナー』はいいぞ)。

おそらく、マッカーシーもウィリアムズも、生(き)で読むと、もっと面白いに違いない(”Augustus” あたり読めるだろうか?)。読めるようになりたい……

本書は、読書猿さんのお薦めで出会った。ありがとう、読書猿さん。

 

| | コメント (0)

リングフィットアドベンチャーで一番えっちな運動はどれか?

引きこもりによる運動不足を解消すべく、リングフィットアドベンチャーを続けている。だいたい100日で腹が割れてきて、150日で引き締まった身体になった(体重は変化なし)。

継続は力は本当だが、続けるためにはモチベが要る。

やせたいとか、腹をへこませたいとか、そんな動機だと、いずれそのうち心は折れる。

たとえ1日20分でも、効果が出るには時間がかかる。長期的な成果の前に、より短期的な動機付けが必要なのだ。

だから、えっちな運動を提案する。

リングフィットでは、自分の動作を主人公のアバターが真似をする。つまり、えっちな運動を選べば、その通りにアバターは動く(ここ重要)

えっちなポーズで静止して主人公さんを眺めたり、運動してる自分の姿を鏡に映して見ることで、ニコニコしながらフィットネス。折れた心は元通り。エロスは全てを解決する。

このゲームには、実に60種類以上ものフィットネスが用意されている。「うで」「はら」「あし」の部位を重点的に鍛えたり、体幹を鍛える「ヨガ」など、簡単なものからキツいものまで様々だ。

ここでは、独断と偏見で選んだ、わたしのモチベを刺激する運動を紹介する。

第10位:チョウツガイのポーズ

上体を前に倒し、片方の腕をゆっくりと上げ下げする。

お尻鑑賞エクササイズ。重要なのは、テレビに映る主人公さんのお尻を見ながら、自分も同じようにお尻を突き出しているんだ、と想像すること。見る自分=見られる自分と重ねることで、動機付けがUPする。

第9位:ヒップリフト

床に背中を付けて寝そべり、腰を浮かす。

ヒップアップの効果があるというが、やってることがヒップアップである。「やだ、腰が浮いちゃう!」とかつぶやきながらプレイすると、動機付けが上ること請け合う。おっさんがリビングでするようなポーズではない。

第8位:ベントオーバー

身体を前に倒し、リングコンを左右に持ち上げる。

ただ持ち上げるだけなのだが、腕をまっすぐにキープするのがキツい。主人公さんが突き出す形の良いお尻がえっちである。こういうお尻になりたいという理想の形である。上目づかいで鑑賞するため、ことさらゆっくり動作している。

第7位:バンザイモーニング

リングコンを頭上に持ち、前へと倒す。

これもお尻がよい。そろそろお気づきになられたであろうが、モチベを刺激するにあたり、お尻に重点が置かれている。起き上がるとき、主人公がぴょこんと起立するのが可愛い。マネしたらギックリ腰になった。

第6位:折りたたむポーズ

リングコンを、背面から前へと、ゆっくり倒す。

リングフィット屈指の丸見えポーズである。むっくりさらけ出される股間をじっくり眺めながら、ゆっくり起き上がる。安全が確保されている状態を見計らって全裸ですると、かなりの動機付けとなる。全裸でリングフィット、これは効きます。

第5位:バンザイスクワット

リングコンを頭上に持ち、スクワットする。

スクワット系は良い。スクワット、ワイドスクワット、バンザイスクワットの順でキツくなるが、同時にお尻の形も良きものに見えてくる。少しでも長く鑑賞するために、しゃがみキープを続けることで、脂肪燃焼にも効く。

第4位:椅子のポーズ

腰を落とし、リングコンを上下にゆっくりと動かす。

一見、地味なポーズだが、ゆっくりやればやるほどキツい。いわゆる「空気椅子」である。私見だが、この運動をするときのお尻の形が最も良きものに見える。お尻から足全体が火照るのをシンクロしながらプレイしている。

第3位 アシパカパカ

足を上げた状態で床に座り、両足を大きく開く。

とても人様には見せられない、あられもない恰好である。足を開いたまま静止すると、主人公さんも開きっぱなしになるので、モチベーションがさらに上る(ただし、そのうちお腹がぷるぷるしてくる)。

第2位:プランク

両ヒジを床につけ、腰を上げる。

完全に正常位である。あるいはダイナミックな床オナである。めちゃくちゃキツいが、「これは腹斜筋を鍛えるアクロバティックな性行為なんだ」と自分に言い聞かせることで、続けられる。想像力は全てを解決する。

第1位:スーパー腹筋ガード 

リングコンを強くお腹に押し付け、足を大きく開き、膝も曲げ続ける。

実はこれ、通常の技ではない。ボス戦にて特定の条件を満たした場合にのみ、発動する。通常の腹筋ガードよりも長く、スクワットも維持する必要があり、かなりキツい。でもこれ、ボスの攻撃を堪えているとき、お尻がぷるぷると震えるのだ!

全裸でリングフィットアドベンチャー

このゲームはよくできている。

ともすると単調になりがちな運動を、様々なミニゲームに置き換え、「運動をする」のではなく「冒険をする」ことで続ける気にさせてくれる。

だが、それでも飽きる。にんげんだもの。

キツい運動しているとき、ふと我に返り、「どうしてこんな変なポーズやらされているだろう?」と自問することがある。

そうしたものを乗り越えて、先に進むためにはどうするか?

そう、想像力だ。

主人公さんとシンクロしつつ、「こんなはしたない恰好させられてる!」と自分自身を脳内に浮かべることで、動機付けがマシマシになる。

「キープ!」というメッセージが出ているとき、主人公さんの使われる筋肉の部位がオレンジ色に輝く。その部位を自分の身体で意識しながらトレーニングすると、なおよい。

さらに、人目のない安全が確保されていれば、全裸プレイが最強だ。テレビを前に、鏡を横に配置して、主人公さんを観察しつつ、横目で自分も眺める。

たとえばスクワットするとき、自分の筋肉がどんな風に動いているか目視できる。あるいは、腹筋ガードで「腕じゃなくお腹に力を入れる」とは何か、実際に確かめることができる。全裸だから。

旅の途中で心が折れた方、あるいは、これから挑もうとする冒険者たちは、この記事を参考に、リングフィットアドベンチャーの奥深さを探求して欲しい。

想像力とエロスで、どこまでも行こう!

| | コメント (0)

コンピュータは創造性を持てるか?『レンブラントの身震い』

「コンピュータは創造性を持てるか?」という問いを目にするたびに、この「俳句」を思い出す。

かかかかかかかかかかかかかかかかか

俳句は五・七・五の定型詩だから、十七音になる。濁音などもあるが、日本語を五十音とすると、俳句の全ては50^17(50の17乗)首になる。

その解は、7.62939453×10^28という途方もない数字である。字余り・足らず・自由律も考えるとさらに膨大になるが、組み合わせはコンピュータの得意技だろう。一つ一つ見てゆくと、膨大なデタラメの中に、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」だってある。冒頭の「俳句」は膨大な中の一首だ。

問題は、「かかかかか」から「法隆寺」を選び取ることにある。そしてそれは、人にしかできない。

もちろん、優れたコードであれば、季語を判断したり、言葉として成立している組み合わせに絞れるかもしれない(実際ある※1)。

だが、そこから、創造的な、良い句を選び取ることは、最終的に人になる。AIが詩を書いたとか、絵を描いたというニュースを目にするたびに、傍らに控えている人に目が行く。

コード自ら創発的なアウトプットを出せるのではなく、人が介在して初めて、創造的に振舞っているように見えるのだ。

人工知能がレンブラントの「新作」を創る

マーカス・デュ・ソートイの『レンブラントの身震い』は、このテーマに真っ向から斬り込む。

もし、AIがレンブラントの作品を学習したならば、レンブラントが描いたであろう次の作品(Next Rembrandt※2)を創ることができるか? その「新作」は見るものを感動させることができるのか?

まず、レンブラントの肖像画346作品をスキャニングし、モデルの性別、年齢、顔の向き、顔のポイントとなる幾何学的分析する。

次に、レンブラントが次に描いたであろう典型的な人物のモデルを設定し、特徴的な光の使い方や目鼻、口を描く際のアプローチを踏襲していく。油絵のため、立体的な絵具の重ね方や凹凸もデータとして取り込み、学習していく。

死後347年の時を経て、AIが描いたレンブラントの「新作」はこれになる。

美術評論家は「味気なく、無神経で、魂のない茶番」と酷評で、レンブラントの作品に向き合ったときに人が感じる、「レンブラントの身震い」は引き出せなかったという。

貧困や老齢といった、レンブラントをレンブラントたらしめ、その芸術をかくあらしめた人間的な出来事を経験すべきだと断じている。だが、そうした経験が彼の作風にどのような影響を及ぼしているか、パラメータやタグとして定義できない限り、コードにすることは不可能だろう。

AIは「創造」ができるか

絵画、音楽、数学、文学、そして囲碁など、さまざまな角度から、この問題に迫ってゆく。

単なる模倣と組み合わせではなく、人が驚き、素晴らしいと感じられるような作品を創りだせるか?数多くの事例から面白そうなものをピックアップしてみた。

分野 名称 創造的なポイント 評価・感想など
絵画

アーロン
AARON

模倣や分解ではないアルゴリズムで抽象画を描く。色や線を選び取る意思決定プロセスに乱数を入れることで、自立的な振る舞いに見せる。 なぜこの配置のほうが別の配置よりも面白いのか、という選択は行われない。出力されたものを取捨選択するのは人。
絵画 ペインティング・フール ギャラリーを訪れた人の肖像画を描くプログラム。当日の新聞記事の単語から「気分」を決め、それに沿ったスタイルで描く。 「創造的」というものは存在せず、創造的なふるまいをするという方針。悲観的な記事が描かれた場合、意気消沈して絵を描かずに来訪者を追い払うことも。
絵画

ネクスト・レンブラント

レンブラントの絵画をスキャンし、タッチや色使い、レイアウトの特徴などをAIに学習させ、レンブラントの「新作」を再現する。 美術評論家の評「味気なく、無神経で、魂のない茶番」。レンブラントの作品に向き合ったときに人が感じる、「レンブラントの身震い」は引き出せなかった。
音楽
ディープバッハ バッハが作曲した352曲の讃美歌のハーモニーを学習し、バッハのスタイルで讃美歌を生成する。テストとして、実際にバッハの曲か、ディープバッハが作ったものか、判別してもらう。 被験者の半数が、ディープバッハの作品を、バッハの真作だと判断した。ただし著者は、「これじゃない」と異を唱える。
音楽

コンティニュエイター

ジャズ演奏者のリフを学習させ、ある音を加えたときの次の音の確率をマルコフ連鎖を用いて計算し、演奏を続けていく(コンティニューしていく:continuator) ジャズ・ミュージシャン「私が自分で演奏したはずのアイデア、といってもそれを思いつくのに何年もかかったはずのアイデアを見せてくれる。私の何年も先を行っていて、それでいて、これが演奏するすべてが紛れもなく私のものなんだ
音楽 Jukedeck(現在はサービス終了) キーワードや選択肢からAIが音楽を自動生成

「まぁまぁ」「ひどくはない、まぁ聞ける」「安価・大量にあるのがよい」など。著者は、「モーツァルトのサイコロ遊びのようなもの」。

数学 ミザール数学図書館 数学の証明を検証するプログラム。数学の証明の図書館を作成することを目的とする。人間が一切関わらなくて済んだ証明が全体の56%を占めている。ディープマインドは図書館のデータを用いて機械学習に訓練させ、新たな定理証明アルゴリズムを作成 人間が関わらなくて済む証明の割合を、56%から59%に拡張した(コンピュータだけで辿り着ける証明が3%増えた)。著者曰く、「だから何なのか。その3%に、息をのむような証明が含まれているのか。数学をするうえでのポイントを外している
文学 イライザELIZA 人と会話するセラピストプログラム。相手のキーワードを判断し、それに応じた反応を示すオウム返し 広がりに欠けていて柔軟性が乏しく、それまでの会話を覚えていない可能性もある。
文学

サイバネティックポエット

シェリーやT・S・エリオットの完成された詩人の作品から、言葉の一部を入れ替え、換骨奪胎することで新しい詩を生成する。 チューリングテストで、人間の判定者たちをほぼだましおおせた。著者曰く、出力結果の解釈をヒトに任せたから、多少謎めいていても、人が書いた作品として通用した。
文学

ボットニック

ハリポタ全巻学習させて、使われている単語や言い回し、筋書きを入れ替えることで、新しいハリーポッターを創造する。

著者曰く、プロットに欠け、3ページ以上ドラマを展開できるとは思えない。

文学

シェヘラザードIF

ジョージア工科大学によって開発された、既存の物語から学習して、読み手とインタラクティブに対応しながら新たな物語を作成するプログラム。

初期プロットから選択肢が示され、選ばれた選択肢からさらに別のストーリーが生成される。いわゆるアドベンチャーブックの自動生成版。優れた物語を見つけるのは至難の業

囲碁

AlphaGo

Google DeepMindによって開発されたコンピュータ囲碁プログラム。プロ棋士を打ち破ったことは世界に衝撃をもたらした。

囲碁韓国チャンピオンのイ・セドルとの第2局目の黒37手は、それまでの囲碁の慣例を覆した「創造的」な一手とする。AlphaGoにより、全く新しい戦略が研究されるようになった。

面白いことに、「AIは創造性を持てるか?」という切り口で眺めると、「創造性とは何か?」と問われているように感じられる。

創造性とは何であるかが定義できるのであれば、そいつを引数にコードにしたり、タグづけして学習させるデータセットを用意できる。だが、事実、そうでないからこそ、この問いに立ち返ってくるのだ。

「創造性がある」と言わしめるためには、人をあっと驚かせ、既存とは違う印象を与えるだけでなく、それを「良い」「素晴らしい」と感じさせる必要がある。そこには、必ず人のフィードバックを必要とする。なぜなら、「良い」は予め定義できないから。

フィードバックが早いほど創造的になれる

音楽のAI「コンティニュエイター」が良い証拠だ。

ピアノやギターであるリフを弾くと、そのその演奏を学び、次のフレーズを返すAIだ。ただ返すだけでなく、新たな領域を探りながら即興で創りあげ、演奏を続けていく(continuator)。

例えば、子どもがデタラメに鍵盤を叩けば、AIもデタラメに(でもちょっと違った風に)返してくる。プロのギタリストが即興で速弾きすると、負けじと素早いフレーズで追いかけてくる。

AIのインタラクトにはマルコフ連鎖が用いられていると解説されるが、聞いているほうにとってみれば、「もう一人のプレイヤーが応えて弾いている」ように見える。

コンテンポラリー・ジャズを専門とするベルナール・リュパは、コンティニュエイターを試した後、大いに感銘を受け、作曲スタイルを変えたという。

私が自分で演奏したはずのアイデア、といってもそれを思いつくのに何年もかかったはずのアイデアを見せてくれる。私の何年も先を行っていて、それでいて、これが演奏するすべてが紛れもなく私のものなんだ。

AIは「自分が弾いたかもしれないリフ」を提案し、それに沿って行くか、それとも異なる方向に変えていくかを、人がフィードバックする。文字通りの「セッション」を重ねていくことで、プレイヤーにとっての「良い」を学習していくことができる。

本書を通して読む限り、AIが創造的に見えるとしても、「選ぶ」という行為は人に残り続ける。なぜなら、何をもって「良い」とするかは、時代や文化により違ってくるから。

 


※1 「AI一茶くん」というプロジェクトで、既存の俳句と適切な風景画像の組み合わせを学習させ、任意の風景画に対して新たな俳句を出力させる。

https://www.s-ail.org/works/aihaiku/

※2 「ネクスト・レンブラント」というプロジェクトで、ディープラーニングでレンブラントの作品の特徴を分析し、3Dプリンターを使って“レンブラントらしさ”を再現する。

https://www.nextrembrandt.com/

 

| | コメント (0)

「ジャンプ最高のマンガ」がバラバラになる理由『好き嫌い 行動科学最大の謎』

「週刊少年ジャンプで最高のマンガは?」

この答えは、必ずといっていいほど割れる

気持ち的にスラムダンクを推したいが、やはりドラゴンボールだろうか。だが、ワンピこそ最高という人、完結さえすればH×Hだという人、売上的にも鬼滅という人、様々だ。

面白いことに、学生時代の友人だと被るのに、若者と話すと違ってくる。たしかに呪術やヒロアカは凄いけど、それを「ジャンプ最高傑作」と言われると違う気がする。

老害承知で「ドラゴンボールって知ってる?」と尋ねると、「知ってはいますが、読んでません」とにべもない。さらに、「あれ好きな人って、マンガだけでなく、ゲームやアニメで何度も目にしているから好きなんでしょ?」と畳みかけられる。

ううむ、確かに……

ドラゴンボールがジャンプ最高傑作である理由

私のモヤモヤは、『好き嫌い 行動科学最大の謎』で解消される。

何度も目にしたキャラや、あちこちで耳にした音楽が好きになる。これは、単純接触効果という名前がついている。くりかえし触れることで、そのキャラや音楽を学習し、認知が容易になるためだという。

つまり、認知処理が容易であれば心地よく、それが刺激そのものに対する感情に移し替えられるというのだ。なるほど、「オレンジ色の道着」というだけで想起できるぐらい、わたしの認知処理は馴染んでいるのかもしれぬ。

ただし、何度も接触すれば好きになるかというと、そうではない。

これは、テレビのCMやネット広告でよくある。何度も触れているうちに、キライになる場合もある。

なぜか? この疑問にも、本書は答えている。

ポイントは、最初に意識された印象によるという。特に肯定的でも否定的でもなく、単に目新しい、という条件であれば、接触を繰り返すことで好みを高める。

だが、初めの感情がわずかでも否定的だった場合、接触が繰り返されることで、キライが積み重なっていく場合があるという(※1)。

「第一印象が最悪だったけれど、会っていくうち好きになっていく」というラブコメの王道パターンは、ファンタジーなのかもしれないね。

「ジャンプ最高傑作」が割れる理由

そうはいっても、接触効果だけで説明がつくのだろうか?

よく売れていて、馴染みがあるものが、自動的に一番になるのだろうか。ほんとうに、「売れてるものが一番なら、世界で一番おいしいラーメンはカップ麺だ」なのだろうか?

本書では、その秘密にもメスを入れる。

ホルブルックとシンドラーの研究によると、人は、23.5歳のときに聴いた音楽を、最も好む傾向がある(※2)。この時期は、人生で最高感度の臨界期であり、コンラート・ローレンツの「刷り込み」のように、ここで聴いた音楽が長く耳に残るというのである。

これの傾向は、レミニセンスピーク(レミニセンスバンプ/Reminiscence bump)という言葉でも説明される(※3)。

記憶に残るほど衝撃を受ける出来事や変化は、青年期~若年成人期に起こるというのだ。この頃に聴いた音楽は、記憶の中に残りやすいことになる。

Lifespan Retrieval Curve.jpg
Reminiscence bump より引用(Public Domain, Link

過去の「良い」と感じた音楽だけが、記憶の中で残り続ける。だが、現在は、「良い」と感じた音楽も、そうでない音楽も耳に入ってくる。過去だけが、自分の良いと感じたものを再生できるというのだ。

記憶とは、自分の聴きたい曲だけを流すラジオ局のようなものだ。好きな音楽のことを考えて多くの時間をすごしたなら、その音楽を聴けばいまでもすぐに思い出があふれてきて、快感をくすぐられるのは当然なのである。

なるほど、私がスラムダンクやドラゴンボールを最高だと思うのは、それを若いころに読んだからだということになる。フライングで買えるコンビニまで30分自転車こいだ記憶や、深夜のテンションで友だちと回し読みした思い出も込みで、「最高」と感じているのかもしれぬ。

そして、自分が若いころに読んだ/聴いた作品がスペシャルになるが故に、「ジャンプ最高」は割れるのだろう。

他にも、作品が賞を受賞すると、Amazonの★評価が大きく下がる理由や、フィギュアスケートや音楽コンテストで、後の演者の方が得点が高くなる理由など、興味深いトピックが紹介されている。

行動科学の観点から「好き/嫌い」を探ることで、自分の「好き」がいかに不確かでバイアスにまみれているかが明らかにされる。

本書は、骨しゃぶりさんのお薦めで出会うことができた。骨しゃぶりさん、ありがとう!


※1 Richard J Crisp and Bryony Young “When mere exposure leads to less liking”

https://www.researchgate.net/publication/5308635_When_mere_exposure_leads_to_less_liking_The_incremental_threat_effect_in_intergroup_contexts

※2 「モリス・ホルブルックとロバート・シンドラーの研究」とあるが、論文名は原注がないため特定できず(『好き嫌い』p.171)

※3 Howard Schuman and Jacqueline Scott “Generations and Collective Memories” American Sociological Review Vol. 54, No. 3 (Jun., 1989), pp. 359-381 (23 pages)

| | コメント (2)

東大教養学部の集中講義『歴史学の思考法』

高校日本史の教科書で、鉄砲伝来の記述として正しいのはどちらか?

  1. 1543(天文12)年、ポルトガル人の乗った船が、九州南部の種子島に漂着した。
  2. 1543(天文12)年、ポルトガル人を乗せた中国人倭寇の船が、九州南部の種子島に漂着した。

答えは、どちらも正しい。Aは、1980年代の記述で、Bは近年のものになる。

だが、イメージが違ってくる。Aだと、ポルトガル人を乗せた西洋の船が漂着した、と想起されるが、Bの場合だと、橋渡し役として倭寇が登場する(※)。

なぜ、記述が変わったのか? 新たな史料が発見されたのか?

新しい史料が発見されたわけではない。南浦文之『鉄砲記』とガルヴァン『新旧発見記』とで、漂着した年に差はあるが、根拠となる史料は変わっていない。

同じ史料に基づいているにもかかわらず、昔の教科書では「中国人倭寇の船に乗って」いなかったのはなぜか?

史料を読み取る側の変化

東大教授陣の『歴史学の思考法』によると、変わったのは、史料を読み取るわれわれの側になる。

潮目は、1990年の前後。

それまでは、歴史学者の間で「国家の枠組みを前提とした歴史」が主流だった。だが、戦後体制の崩壊やグローバル化の世界情勢の中で、「国家の枠組み」の限界が強く意識されるようになったという。

そして、国境をまたぐ「東アジア海域」全体の歴史像をとらえようとする研究視角が生まれ、この視角からの研究が盛んになる。そこでは、倭寇を単なる「荒くれもの」とせず、地域間の交流や商業を担っていたという側面に目が向けられるようになる。

教科書の記述が変わったのは、こうした背景による。

新たな視角による歴史像の再解釈のなかで、今まで注目されていなかった事実(ポルトガル人は中国人倭寇の船に乗ってきた)の重要性がクローズアップされた結果だというのだ。

歴史とは現在と過去との対話

歴史は過去を扱うから、歴史学は「確定したもの」に対する学問だと思っていた。新たな史料が出てこない限り、「確定したもの」は変わらないと考えていた。だが、この考え方は違っていたようだ。

本書p.27にこうある。

歴史学の営みが行われるのは、現在(いま)である。現在を生きる人間が、その時代の価値観や情勢を背景に、ある問題について関心を持ち、そこから過去に対する問いを立てる。その意味では、歴史学は現在がなければ存在しない、現在と不可分の学問なのだ。

そして、現在の情勢はゆるやかに、時に急速に変わってゆく。そうなると、その時点から、「現在」は過去になるため、過去はさらに問い直されることになる。

「ポルトガル人が鉄砲をもたらした」という史実は変わらないが、それをどう評価するかは、現在のわたしたちの価値観によって変わる。変わるたびに過去は問いなおされ、フィードバックされるのだ。E.H.カー「現在と過去との尽きることを知らぬ対話」という言葉は、まさにこれを指しているのだろう。

世界史 ≠ 各国史の総和

自分の盲点に気づいたのが、「各国を合わせると世界になるが、世界史は各国の歴史の総和ではない」という点だ。

たとえば地図帳を開くと、国別に色分けされた世界地図が目に入る。現代の世界は国家を単位として構成されているから、世界とは各国の総和だという考えは自然に思える。

だが、この思考法に基づいて世界史を思い描くことは、問題だという。

では、どのような問題があるか。

もし、「世界史=各国史の総和」だとすると、このように構成できるだろう。

世界史 東洋史 東アジア史 日本史
中国史
朝鮮史……
東南アジア史 ベトナム史
タイ史
フィリピン史……
西洋史 ヨーロッパ史 イギリス史
フランス史
ドイツ史……
アメリカ史 アメリカ合衆国史
カナダ史……

だが、上記のように構成させると、様々な問題が出てくる。

まず、各国の歴史が孤立的、単線的に扱われてしまうという。各国に閉じた中で、互いに影響しあうことなく、個別が展開していくという、ありえない歴史像になるという。

次に、歴史的に見て、「国家」という政治単位は、特定の時期に形成されたものであるにもかかわらず、固定的にとらえてしまうおそれがあるという。そして、固定的な見方から遡及して、過去を切り取ってしまうことになる。

その結果、現在の「国家」によって歴史を分断したり、現在「国家」でないものを切り捨てることになる。たとえばチベットは、固有の言語、文字、信仰をもつ独自のまとまりをなしてきたにもかかわらず、現在国家をもちえないために、抜け落ちてしまう。

さらに、「国家」の内実の重層性をすくいきれなくなるという。ある空間における住民と言語、文化、風俗習慣との組み合わせや重なりは多様なはずで、ピッタリとは重ならない。この重層性・多層性の見え方が抜け落ちてしまう。

たとえば、かつてユーゴスラビアと呼ばれた「国家」は、7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持っていた。それぞれが絡み合い、分断されていた。坂口尚のコミック『石の花』でユーゴスラビアの複雑な状況を知ったが、上記の構成では、どこにも記載できないだろう。

あるいは、アニメ映画『もののけ姫』では、「国家」から分断された人々が登場する。大和に敗れた蝦夷の末裔であるアシタカの民や、城塞都市のごとき自治組織で、製鉄・加工プラントを運営するタタラの人々がそうだ。もちろん『もののけ姫』は物語だが、そのモデルとなった人々は実在した。そうした人たちを無視した歴史を記述しようとすると、「日本」の多層性・重層性は抜け落ちてしまうだろう。

歴史学の思考法

むしろ、これらの問題を逆転させると、歴史学の思考法が見えてくる。

すなわち、各国は互いに影響を及ぼしながら歴史は展開してゆくものであり、現在(いま)目に見える国家で過去を遡及的に切り取ることは危うい。

さらに、空間における人、言語、文化の組み合わせの「ずれ」にこそ、目を向ける必要がある……これが、歴史学の思考法になるのだ。

他にも様々な方法で、歴史学の思考法がどんなものであるか、学ぶことができる。12講座12章のテーマで、特に気になったのがこれ。

  • 気象変動と歴史(歴史は人間が作るといわれるが、気象変動にも多大な影響を受けてきたことを、海水準変動から説明する)
  • 「帝国」の見直し(均質性を求める国民国家より、多様性を認める帝国を再評価する動き)
  • サバルタン(権力構造から疎外された人々)の歴史は語ることができるかを追求する
  • 文学として歴史学のテクストを書くこで、実用的な過去としての歴史学を追求する。歴史の書法(エクリチュール)の可能性

東大駒場の教養学部で行われる連続講義をまとめた一冊。

※『歴史学の思考法』では「倭寇」と表現されているが、「密貿易商」という表現もある。下記参照。

鉄砲を伝えたとされるポルトガル人は、おそらく1542(天文11)年、シャム(タイ)から中国人密貿易商の王直の船に乗って種子島に着いたものとみられる。
山川新日本史 改訂版(2017文部省検定済)p.143

ちなみに、日本で宣教を行ったフランシスコ・ザビエルも、倭寇の船で来日したとのこと。

 

| | コメント (0)

インドでメシ食ったら人生大逆転した『今日ヤバイ屋台に行ってきた』

470万回再生されているこの動画、たまご300個でスクランブルエッグ作っているんだけど、語彙力を失うヤバさで、何度も魅入ってしまう。

バケツ一杯の玉ねぎと、トマト40個刻んだやつに、笑うしかない量の油と、土俵入り3回分の塩、チリパウダーとパクチーとトウガラシは親の仇くらい盛る。

[これ]

これらが直径1メートルの円い鉄板にぶちまけられ、火力MAXで焼かれてゆく。ダイナミックに撹拌されるチリパウダーの粉塵が、蒸気に乗って店内に充満してゆくのが見える(せきと涙にまみれながら撮影したそうだ)。

他にも、牛肉バーガー300人前を一気に作るとか、ドライカレー100人前とか、ヤギを一匹丸ごと使ったビリヤニ(炊き込みごはん)とか、屋台ではありえない物量を豪快に作る。

持ち込みを調理してくれるのもアリで、日本から持ってきた「サッポロ一番塩らーめん」「ペヤング超超超超超超大盛やきそばペタマックス」を元に、オリジナリティが如何なく発揮され、原型を留めていない一皿を作ってくれる。

撮っているのは著者自身で、登録者数60万人を越えるYoutuber、坪和寛久さんになる。インドの屋台を撮った動画で有名になり、再生数100万回を越えるのもザラで、「サッポロ一番塩らーめん」なんて今見たら427万回というお化けコンテンツなり。

インドでメシ食って人生が変わった男

その書籍化が、[今日ヤバイ屋台に行ってきた]

著者は、インドと縁もゆかりもなかったそうな。

卒業して、就職して、5年ほど働いたのだが、どうも会社人としての立ち回りが下手なほうで、「うだつのあがらない社会人」だったという。悶々としていたときに、インドで働く知り合いから声をかけられ、海を越えることになる。

人生を変えるきっかけは、屋台メシだった。

削りチーズにより埋没した「1kgサンドイッチ」なるものを口にして、そのあまりの美味さにのけぞったという。そして、屋台街に入り浸るようになる。

どの店も開放的で、調理している様子の一部始終を観察できる。交渉すれば撮らせてくれるところもあるし、観光客向けの「映え」を意識した店もある。そして見ているだけで面白い。

慣れた手つきで小気味よく動くけど、大雑把でテキトーな感じ。調理法は独創的だけれど、衛生面では絶望的になる。こぼれまくる食材、鍋にこびりついた残飯らしきブツ、周囲を行き交うハエなどモノともせずに、果敢に火柱を上げる。

日本人の衛生観念だとドン引きだろうが、出てくる料理は美味しそうなものばかり。iPhone の画面ごしに、香ばしさや辛旨さ、暴力的なカロリーが伝わってくる。

そんな動画が日本の深夜番組で紹介されたのをきっかけにバズり、あれよあれよと、押しも押されぬ Youtuber となってしまう。塞翁が馬じゃないけれど、何が起こるか分からない見本みたいな人生だ。

「おおらか」は伝染する

撮るほうなので、ほとんど画面に映らないけれど、料理している人とのやり取りで、めちゃくちゃ楽しんでるのが分かる。そして、旨味と辛みとカロリーに殴られながら食べているのも伝わってくる。

観てて(読んでて)面白いのは、インドの「おおらかさ」は著者にも伝染しているところ。鍋にこびりついた残飯は「思い出」と命名され、周囲を飛び回るハエは「黒い妖精」として大目に見られる。

そんなぶっ飛んだ価値観に、わたしが後生大事にしている感覚も相対化されてゆく。多少のことも「ま、いっか」と許せるようになってくる。とりあえず、狂気のごとく味の素を入れているのを見て、私の料理でも解禁することにした。

| | コメント (0)

ボーイズラブには葛藤があるべきか、「普通の」ラブストーリーとは何か、BLの主役はネコなのか、アニメ『同級生』をテーマに2時間語り合ったことを8000字ぐらいでまとめる

古今東西の傑作を俎上に、その面白さについて語り合うオンライン会が、「物語の探求」だ。

今回は、アニメ映画『同級生』をテーマに、その面白さや物語構造について語り合い、さらにBLとしての新しさがどこかについて考えた。

『同級生』は 中村明日美子のBLマンガが原作で、A-1 Picturesが制作したアニメーションだ。思春期に揺れる2人の、もどかしくてピュアで、ドキドキする感覚が、淡いタッチで丁寧に描かれている。

[公式サイト] からの紹介はこんな感じ……

 

思春期にゆれる少年たちの、

ピュア・ラブストーリー。

 

高校入試で全教科満点をとった秀才の佐条利人、

ライブ活動をして女子にも人気のバンドマン草壁光。

およそ交わらないであろう二人の男の子。

そんな「ジャンルが違う」彼らは、合唱祭の練習をきっかけに話すようになる。放課後の教室で、佐条に歌を教える草壁。音を感じ、声を聴き、ハーモニーを奏でるうちに、二人の心は響き合っていった。

ゆるやかに高まり、ふとした瞬間にはじける恋の感情。

お調子者だけどピュアで、まっすぐに思いを語る草壁光と、はねつけながらも少しずつ心を開いてゆく佐条利人。互いのこともよく知らず、おそらく自分のこともまだ分からない。そんな青いときのなかで、もがき、惑いつつも寄り添い合う二人。

やがて将来や進学を考える時期が訪れ、前に進もうとする彼らが見つけた思いとは……

 

 

(以下、『同級生』のネタバレがあります)


<目次>

  1. 男と男の、普通の、ラブストーリー
  2. 余白を上手く使った物語構造
  3. 「脚本」が無い理由
  4. 原作がある場合の脚本家の仕事とは
  5. BLにおける読者=壁?
  6. なぜ佐条が主役なのか?
  7. 「耳」を大事にした脚本
  8. 同性愛の葛藤があるべき?
  9. 普通の恋愛を丁寧に描く新しさ

 

1.  男と男の、普通の、ラブストーリー

タケハル:第一印象なんだけど、ボーイズ・ラブに慣れていない上に、そもそもこれがBLものだと知らずに観始めたので、チューニングに時間がかかりました。最初の感じから少女漫画かな? と思ったんだけど、いっこうに少女が出てこない。で、噴水の公園でキスするシーンで、頭が急回転したんです。

Dain:それはびっくりしたでしょ! でも、その恋愛は、あくまで普通のラブストーリーなんですよね。

タケハル:そうです、男と女がスポンと好きになるのといっしょ。あのまま佐条君を女の子にして歌を教えて公園でキスしても違和感がない。

スケザネ:ですよね。でもこれ、いまさら男女でやったら見てらんないかも。相合傘で一緒に帰るなんてベタすぎて。

恋愛物としてはベタで王道な展開が中心。男と男でやるから、異化効果的なもので目新しく新鮮に感じられたのかも。これが何年かたって、もう古いよということになったら、すごく素敵なことだろうな……

言い換えると、『同級生』が新鮮に見えるのは、まだLGBTへの認識が成熟していないことを表しているのかもしれません。男と女の恋も、男と男の恋も、いっしょなんだよね。

タケハル:十年後には、これがベタすぎるじゃねーか、というツッコミが普通になるってことね。

Dain:この作品を、見る人がどういう風に受け取るか、男同士の同性愛についてどういう意識を持っているかの試金石になるのかも。

 

2. 余白を上手く使った物語構造

スケザネ:僕の最初の印象は、「余白が多い」でしたね。物語の構造的に見ても、余白がうまい効果を上げていますね。

例えば、高校生を描くものなら、マクドナルドとかが出てくるけれど、具体的なものが出てこないのがいい。ここ、しっかり描き込まれてしまうと、古びるのも早いと思う。

純粋にテーマに絞り込まれて、コアなところ、要所要所が、ぽん、ぽんと描き込まれているけれど、その間のところで、彼らは何をして、何を想っているのかが無い。佐条くん目線も少ないので、これ、余白によっていろいろ掻き立てられるところがあるよね

Dain:同じこと考えていました。物語では語られない部分が、キャラの言動につながってくるところ。ハラセン(原先生)が佐条くんに迫るところあったでしょ、進路指導室のところ。でも佐条くん、抵抗しないよね。普通、抵抗するんじゃね?

ひょっとして、彼らの間で、描かれていない何かがあったんじゃないの? 草壁くんに向かって、「俺はあいつのこと1年のときから知ってた」なんて、思わせぶりやん原先生。

どうしても気になって、原作のコミック『同級生』を読んだんだけど、実は、あったんです、佐条くんとハラセンの過去が。各章の一覧表を書いてきたんだけど、これ。

【夏】Summer
【秋】Autumn
【はじめての人】 His first
【ばかと大馬鹿】 A complex fool and a simplex fool
【二度目の夏】 The second summer

映画もほぼ同じ構成なんだけど、この【はじめての人】の章が丸ごとカットされているの。これ、ハラセン目線で佐条くんとの出会い

スケザネ:1年のときに何かあったことが描かれるの?

Dain:ですです。1年のとき。カットされた部分も、ほんの数十分の、本当に短いこと。でも、その時間はものすごく濃いんです。

スケザネ:なんで削ったのだろう。削ったのは成功している? Dainさん目線で教えてほしいです。

Dain:レディ・プレイヤー1の対談」でスケザネさんが言ってた、情報密度の話からすると成功してる。短い時間に設定やキャラを詰め込みすぎると、観客が付いていけなくなるから、そういう意味で、ハラセンのエピソードはカットして正解かも。ハラセンの話を入れると、この2人のダブル主人公の物語の邪魔になる。好きな人は自分で補完してください、という感じで。

 

3. 「脚本」が無い理由

タケハル:クレジット見ると、面白いことが分かってくる。このアニメ、スタッフのほとんど、9割が女性なの。そして、「脚本」を担当している人がいない。これはすごい。脚本家ってのは、セリフを書くだけじゃなくって、物語の情報の整理も大事な仕事なので。

なぜだろう? 舞台なんかで女性スタッフが多い現場でたまに見かけるけれど、リーダー不在でもうまく回っていく、というのがある。女性ばかりだと、誰が決めたというわけじゃないのに、うまく分担して回っていく。

スケザネ:気がつかなかった!ということは、かなりの仕事を監督がやっているのかもしれない……

タケハル:ストーリーというより、キャラクターと絵が重要なんだろうね。確かに監督はいるけど、誰が作ったとは言えないような状況だったんじゃないかしらん。例えば噴水のキスシーンって、漫画だとどうなってる?

Dain:マンガと映画のセリフは、だいたい一緒だね。バストアップのシーンやカメラの構図も同じ。脚本とか演出にあたる部分は、原作のマンガで足りてる感じ。

タケハル:それだけマンガの完成度が高いのか!

 

4. 原作がある場合の脚本家の仕事とは

タケハル:原作があってそれをアニメや実写化してうまくいった場合、脚本家がいい仕事している場合が多いですね。逆もそうで、失敗した場合も脚本家に負うところが大きい。

スケザネ:それありますね、原作を生かすも殺すも脚本次第ですから。

タケハル:そうなんです! 例えばアニメ化された『ハチミツとクローバー』なんて象徴的なところがあって、日本を周ってきて、彼女に告白するシーンなんかがそれ。

美大生で、原作だと北海道で見た景色がキレイだったから、彼女にも見せたいんだっていうの、「景色を見せたい」ってね。

これがアニメだと、北海道で見た景色を、「『あなたの絵で』見たい」に変えてる。アニメで、ちょっと踏み込んで言わせてる。キャラクター性とか関係性は変えないで、でも原作を知っているお客さんの予想を越えることを言わせる

Dain:原作ラブの人は、そういう大事なシーンは読み込んでいるだろうから、変えたら噴き上がることありそう。原作の完成度が高ければ高いほどそうなりそう。

タケハル:脚本家がいると、そういうことやりたくなっちゃう。だいたいは失敗して、余計なことするな、って観客に怒られる。でもハチクロのこれは怒られない、確かにそれ言いそうなことだから。

スケザネ:鬼滅もそうだったなぁ……やれそうでやれないですよね。

タケハル:『岸辺露伴は動かない』にも似たようなところがあって、敵のスタンドと闘うんだけど、畳の縁(へり)を踏まないバトルになる。スタンドの能力を使って、縁を見えなくさせるの。んで、だまし討ちで敵に踏ませたときのセリフなんだけど、原作だと「ところでお前、縁踏んでるぞ」が、「ところでお前、足大丈夫か?」に変えている。

スケザネ&Dain:へえええええ!

タケハル:スパっと「踏んでるぞ」というより、さらに嫌味っぽく聞こえてて、いかにも言いそうなセリフになっているの。テーマは同じでも、きちんと進化させている。

これを下手にやったのが『美女と野獣』の実写版。

野獣の城から、ベルが家にいったん帰るところ。召使たちが「なんで帰すの? ここで真実の愛が見つかれば、人の姿に戻れるのに!」と残念がっているのに対し、ディズニーアニメだと野獣が「愛しているからだ」と答えている。

ところが実写だと、野獣は何も言わない。代わりにポット婦人が「あの娘を愛しているからよ」と答えさせている。

スケザネ&Dain:お前が言うんかよ!

タケハル:言ってる言葉は同じだけどね。アニメから実写にするとき、色々チューニングが出てくる。アニメだから耐えられるセリフと、そうじゃないセリフがある。そこを変えていく、表現方法を移すときのチューニング、プラグの役割を脚本家は担っているの

 

5. BLにおける読者=壁?

タケハル:根本的な話になるけれど、なんで女性作家がBLを描くの? 男の作家がBLを描くのもあるけれど、圧倒的に女性でしょ?

スケザネ:男がレズものを読むのは、芸術よりもリビドーとして求めているのではないかな。でも女性がBLを求めているのは、どうしてなのだろう?

Dain:僕の観測範囲だと、BLに女はいらないんじゃないか、と思ってる。

例えば男が百合モノを読むとき、その世界に男はいないほうがいい。可愛い女の子たちだけがキャッキャウフフするのを覗き見したい、という思いがある。そこでの男は邪魔なの。アキリの『ヴァンピアーズ』だと、男はモブか下僕だし、志村貴子の『青い花』なんて存在すらしていない。

それと同じように、女がBLを読むとき、その世界に女がいないほうがいい、と考えているのでは? BLの世界に女性が出てくると、女性の読者は女性性を意識してしまうから。美しい男と男が絡み合う様子を、自分という存在を消して、ただ見守っていたい。だから、壁になりたいと思っているはず

スケザネ&タケハル:壁になりたい!

Dain:twitterとかで呟いている人、いますよ。そこに「私という存在が見ている」となると、目線が気になってしまう。だから「私」を消すために、壁になりたい。

タケハル:不確定性原理のやつ!

Dain:それな! 観測によって結果が変わってしまうから、自分じゃなくて、壁として見たい、というか居たい。美しいものを美しいままで見るために、自分すら必要じゃないんじゃないの、というのがあるのかと。

タケハル:なるほど、女性キャラがいると、そこに感情移入してしまう。

Dain:そうそう。自分に近いキャラが出てくると、どうしてもそこに自己を投影しちゃうじゃないですか。それがイヤなんです。だから、ハナからそうさせないために、女性がいない、いても極めて少ない世界をつくる、というのはありだと思います。

美しいものを、そのままの姿でずっと眺めていたい……BLが美形キャラだらけなのは、そんな理由なのかも。現実はともかく、ボーイズ・ラブは美形だけで成り立ってる。

スケザネ:確かに! 文学なんかもそうで、『ヴェニスに死す』なんかも原作を映画化した時、ビョルン・アンドレセンとか美形キャラクターが起用されていた。古来から、男どうしだと美形キャラを出してくる。そういう風に思わせたいから。

タケハル:これは高等遊民マターだなw プラトンの『饗宴』とかあったなぁ

全員:www

 

6. なぜ佐条が主役なのか?

タケハル:キャスティングを見てて面白いのが、佐条くんが最初に出てくる。ふつう、キャスティングの最初は、主役になる。ということは、佐条くんが主役?

スケザネ:草壁くんじゃないんだ、もちろんダブル主人公だけど、映画のラストが草壁くんのナレーションだったから、すこし不思議な感じがする。

タケハル:ヒロインにあたるのが佐条くんだからなのかな?

スケザネ:でも、ヒロインを射止めようとする方が先にくるんじゃないの?

タケハル:ディズニープリンセスみたいに、白雪姫のヒロインは白雪姫みたいな感じで、ヒロインに佐条くんがくるのかも。

ちょっと余談だけど、ディズニープリンセスで、一人だけ人気のないキャラがいるんだけど、それは誰だと思う?

  • シンデレラ
  • 白雪姫
  • アリエル
  • ラプンツェル
  • ジャスミン

ヒントは、この中で一人だけ、違和感がある人になる。

スケザネ&Dain:うーーーーーーん?

タケハル:正解はジャスミン。彼女だけが主役じゃないから。プリンセスのストーリーとして、主役という存在は、「助けられるほう」になる。そう考えると、佐条くんが主役なのが納得できる。

たぶん、この場に女性がいたら、即答で「え?どう見たって佐条くんが主役じゃん」と言うんじゃないかな。

スケザネ:これは、ジェンダーの深いところにかかわってきそうですね。

 

7. 「耳」を大事にした脚本

スケザネ:会話のリアルさにしびれましたね。すごい印象的なのが、草壁君がライブに誘うところ。「そんな大袈裟なもんじゃないんだけど・・・ヨソのガッコ―のやつなんだけど、中学んときの友ダチなんだけど」と、言う。「だけど、だけど、だけど」と3回続いている。アニメは字幕ありで観たんだけど、文字だと違和感ありつつも、会話だったら絶対言うわこれって。

Dain:いまマンガの原作を見ているけれど、全く一緒ですね。脚本は、そのまま原作を持ってきているね。

スケザネ:ふつう、マンガとか小説だと、「だけど」を何度も続けるのは避けちゃいますよね、気持ち悪いから。だから、これをやれるのは凄い。

タケハル:この感覚は敵わない。ちゃんと聞いた言葉を、ちゃんと表現している。これはすごく耳を大事にしているからできてる

僕がやろうとすると、理性が働いちゃう。会話として耳で聞くとそうだなーと思うけれど、物語を作る中で文字にしようとすると、出てこない。

これをちゃんと言っている神谷浩史もすごい。下手にやると、「だけど」の連続に気づかれちゃう。

タケハル:あと、道具の使い方が上手いなぁ。噴水でNUDAがこぼれて炭酸水が広がるところ。ペットボトルを拾おうとして思わずキスする流れのところ。あの広がっていく白い水、精液を思わせる感じがしたなぁ……

Dain:言われてみると……いま原作のマンガ見返しても、そう見えますね。

タケハル:2008年、あの頃NUDAよく飲んでたんで、知ってます。地面に転がっても透明なものが広がるだけで、あんな色にはならない。

 

8. 同性愛の葛藤があるべき?

Dain:僕は、僕自身に偏見というか思い込みがあったことに気づかされましたね。「BLの登場人物は、同性愛に思い悩むべきだ」という偏見です。

なんでこんな偏見ができたのか? フォースターの小説の影響かも。BLの元祖ともいうべき小説で、『モーリス』というのがあるのですが、主人公のモーリスが性的嗜好に苦悶するんです。

スケザネ:生前は発表されなかった作品ですね。

Dain:そう、フォースター自身が同性愛者ということもあって、秘密にされていました。100年前のイギリスなので、同性愛は犯罪扱いされていた時代です。

タケハル:オスカーワイルドなんかもそうですね。

Dain:はい、ワイルドもそういう目で見られてました。『モーリス』の中では同性愛のことを、「ワイルドの病気」みたいな言い方をされてました。同性愛を描こうとすると、社会からおかしな存在だと思い悩むもの同士が、共犯者として扱われる。それを読者が「覗く」という構造になっています。

でも、『同級生』は苦悶しない。それはちょっとは悩むことはあるけれど、極端なことは考えない。普通の、自然の恋愛として描かれてます。

タケハル:ラストなんて、普通に公園でキスしてましたよね。

Dain:そーそー、人目を気にしながら。だから、これを新鮮に思う、ということ自体が、僕の同性愛に対する規範化された偏見の裏返しなんだろな、と思ったのです。

スケザネ:何年か後には、もうあたりまえになっているかも。そうあるようにがんばりたいですね。

 

9. 普通の恋愛を丁寧に描く新しさ

Dain:『同級生』の、ベタな展開が新鮮に見えました。これぞ青春ってのが、「走る」こと。いたたまれなくなって逃げ出したり、それを走って追いかけたり、原作をチェックしたら、5章の全て、草壁くんと佐条くん、必ず走ってます。

あと、相合傘もそうだし、なんでもないすれ違いで喧嘩するとか、進路どうするとか、そいういうありがち展開を、丁寧に、忠実に再現する。

これ観てて、『月がきれい』の既視感を覚えました。

中学生の男の子と女の子が出会い、恋に落ちるプロセスを、丁寧に、忠実に描いたアニメ。いろんなラブストーリーを食い散らかしてきた僕には、めちゃくちゃ深いところまで刺さりました。

スケザネ:普通が新鮮なのは面白いですね。

ただ、物語としてはどうなんでしょう? リアルに寄せたビジュアルで、普通の恋愛をベタベタに描くことで、面白い物語になっているかが気になります。

Dain:誰しも思い当たるような、普通の恋愛のハードルを、一つ一つ越えていく話なんだけど、それを説明してもなぁ……全12話にサブタイトルがついていて、そのサブタイトルが、手がかりになると思います。

第1話のサブタイトルが「春と修羅」、第2話が「一握の砂」、次が「月に吠える」……

スケザネ&タケハル:

Dain:5話なんて「こころ」だし、6話は「走れメロス」と続きます。

スケザネ&タケハル:www

Dain:そうなんです、文芸作品のタイトルが、サブタイトルになっているんです。

スケザネ:そーか、「月がきれい」もそこから来ているんだ!

Dain:そーです。漱石が、“I Love You” を「月がきれいですね」と訳したのは都市伝説と言われていますが、みんなそれを承知の上で、「月がきれい」を “I Love You” だと思っているじゃないですか。それを、ちゃんと、やるんです、男の子が。「月がきれいだね」って言おうとするんです、でも、「つき……」で止まってしまう。

けどそれって、漱石のネタを知っている人にしか伝わらないですよね。男の子は趣味で小説を書いているので、知っているんです。

でも、言われた女の子は知らないんですよ。部活で陸上やってて、走るの大好き少女で。でも男の子のことは気になってて……

で、知らないから、普通に返すんですよ、「つき、きれいだね」ってすごくいい笑顔で。

これを、このすれ違いを、「美しい」と思える人にはめちゃくちゃ刺さるんです。そういうアニメなんです、これは。第1話は Youtube で視聴できます

スケザネ:あ、これ観たい。

タケハル:ビジュアル的に女の子のほうが文学少女っぽく見えるけれど、実はそうでもないんですね。

Dain:普通なのに新しい、と思えるのは、僕自身が物語モンスターだからかも。

この物語は、どうやって僕を感動させてくれるのだろう? どんな過去の因縁があるの? どんな能力があるの? どこから転生してきたの? もっと、もっと頂戴って、物語を食べるモンスターなんです、僕は。そんな物語モンスターからすると、生々しい「普通の」ラブストーリーは、すごく眩しく見えるんです。

【了】


今回の対談も、たいへん勉強になりましたな。BLは質も量も大きすぎて、ほとんど知らない世界だったけれど、『同級生』という素晴らしい作品に出会えたのは、物語の探求読書会のおかげ。

その作品をどのように味わうかで、自分がどんな考えを持っており、どういった感性が反応しているかが炙り出されてくる……この自分自身の暴き立てが面白い。これは、一人で観る/読むには限界があり、対話によって発見していくものなのかも。

さて、次回は、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』をテーマに語り合う予定。本が禁制品となった未来を舞台にした名作SFやね。場所はスケザネさんが検討中なので、そのうち告知されるかも?

| | コメント (0)

英文読解の思考プロセスに特化した『英文解体新書』

英語を読むのが苦手だ。

たとえばこれ。

That the guy survived the accident surprised everyone.

意味は分かる。難しい単語は無いから、単語だけをつなげばなんとなく分かる。でも、それじゃダメなんだ。

問題なのは、最初の That が何なのかを知るために、最後まで読む必要があるところ。

この That は、「あの」を意味するザットじゃなくって、「奴が事故を生き延びたこと」を指していて、なおかつ、この文全体の主語になっている。それに気づくために、全部読む必要がある(←ここがダメ)。

これ、短い文だからなんとかなってしまうけれど、ちょっと長くなると、たちまち問題が顕在化する。

Although almost everyone admits that social media has changed the way in which people live, whether it will remain as popular in the years to come as today remains to be seen.

最初が Although だから、前提とか条件なんだろうな……とかあたりを付けるんだけど、その中で主語や動詞が出てくるので、どこがどこに掛かっているのか迷子になる。

得意な人なら、that や in which、カンマを道しるべにして頭から読み解いていくのだろう。だが、それができない。いったん文章を最後まで読み、後戻りして意味を当てはめながら構造を考えている。

もちろん、そういう勘所は、普段から英語に慣れる環境を作り、多読多聴することで自然と身につくものなのだろう。だけど、そこまで英語を頑張るつもりはない。論文の概要や tweet をサクっと読めればそれでいい。

それも、なるべく少ない努力で、頭から構造が分かる(推理する)ことができるようになりたい。

英文読解の思考プロセスに特化した参考書

ムシが良すぎる目標だが、読書猿さんからお薦めされたのが『英文解体新書』だ。一言で述べるなら、英文を読むための思考プロセスに特化した参考書になる。

どこに着目し、どういう風に考えると、正しく読解できるかを体系化し、100語~200語程度の例題を実際に読むことで、その力を身につける。

たとえば、最初の例文だと、予測を立てて、英語の語順に従って選択肢を絞り込む方法を提示する。

  1. 最初の That を見た時点で、次の可能性を考える。

    A. That が代名詞として、文の主語となっている場合(That is great.)

    B. That が名詞を限定している場合(あの本の、「あの」のザット)

    C. That が接続詞として後に節を作り、that 節全体が文の主語となっている場合(That he passed the exam is ture.)

  2. 次の the guy を見た時点で、AとBの可能性は消える。なぜなら、Aだと、次に来るのは動詞だから。動詞に the は付かない。Bだと that guy ならあるけど、guy に既に the が付いている。

  3. Cなら接続詞で、文の最初だから主語だろうと予想して追っていくと、the accident とつながらない形で、surprised everyone と動詞と目的語に辿り着く。

こんな感じで、目だけは左から右に進めながら、予想を立て、可能性を排除しながら読んでいく。

当たり前だが、英語と日本語では構造が違う。その構造の英語らしさを押さえておくと、読み取りが各段に精確になる。

情報の流れを考える

腑に落ちたのが、受動態について。

学校で、受動態をあまり使わないようにと習った覚えはうっすらとある。だが、その理由は「主語が曖昧になるから」といった程度しか覚えていない。そして、受動態を使うべきタイミングは、まったく覚えていない。

だが、本書の「情報の流れと特殊構文」で腹落ちした。

まず、英語の基本的なルールとして、主語が文のトピックであり、動詞句が構成する述語部分は、そのトピックに対するコメントになる。言い換えるなら、トピックが変わらないのであれば、主語は変わらない。

The castle is one of the most beautiful buildings in the world. It was built in the Edo period and has since been a symbol of our country.

この文章は、The castle についての説明だ。一文目の主語は the castle で、文のトピックになる。そして、2文目に移っても、文のトピックは変わらない。

しかし、もし2文目で能動態の文を使おうとすると、「城を建てた人」という新しい情報を入れることになる。話者が伝えたいのは城がトピックなので、新しい情報は余分になる。こんな場合に、受動態が必要になる。

受動態は、主語が曖昧になるからダメというのではなく、情報を出す際に余分なものを省き、流れをコントロールする仕組みだということが分かった。

難関大学レベルの参考書

こんな感じで、英語を読む勘所を押さえていった。

情報の流れや文章の構造を考えながら、省略が起きたり、語順の入れ替わり、構文の擬態、破格的な構造が紹介される。難しさ的には難関大学の受験レベルになる。

例文となるものは、カズオ・イシグロの小説やオバマ大統領の演説、ジャレド・ダイアモンド、スティーヴン・キングなど、硬軟取り揃えている。

本来なら、沢山の記事や書籍を浴びるように読むことで身につけるポイントが、およそ250頁、2,200円で手に入る。[ここ] の技法で35日で読み切った。

結果、読解の苦手意識は完全に消えて、ムスカの「読める……読めるぞ!」状態になっている。コストパフォーマンス的には最高の一冊と言っていい。

ただし、一読して身についたとはとても言えぬ。周回を重ねて自分のモノにしよう(読書猿さんありがとう!)。

| | コメント (6)

人生を変えることもできるのは音楽かもしれない『楽園ノイズ』

激しいリズムにひるむ。叩きつける音圧に押される。急上昇するオクターブに持っていかれる。部屋は静かなのに、小説を読んでいるだけなのに、そこに描かれるセッションを、夢中になって聴いている。

彼女の想いは衝突を繰り返すサウンドの手応えではっきりと伝わってくる。そう、衝突だ。合わせるなんて馬鹿馬鹿しい。他のパートに合わせて叩くなんてドラムスじゃない。お互いに叩きつけ、傷つけ、貪り、奪い合いながらひとつになっていくのが音楽のほんとうの姿だ。

高校生の「僕」が弾いてるのはベース、荒々しいドラムスが後輩の女子、隣の部屋からは、同級生の子がピアノで圧倒する。3人が演(や)っているのは、レディオヘッドの『クリープ』だ。無防備な状態で歌の中にぶっ込まれ、沸き上がってくる激情のままに声を絞る。

そんな昔の知らないよ、というツッコミ上等。大丈夫、これ読んでると、かつて自分が聴いた曲を思い出すから。音楽に撃たれた経験があるなら、必ず思い出すから(わたしの場合、これ読んでるとき、ブルーハーツがずっと流れていた)。

恋と音楽と青春を一冊に圧縮した『楽園ノイズ』は、読むセッションだ。それも、肌が泡立つやつ。ヒリヒリする緊張感と、想いをぶちまける解放感が混ぜこぜになって、確かに昔に聴いた曲があふれ出す。

「僕」の趣味は音楽。

といっても、いわゆる「バンドマン」ではなく、薄暗い自室に閉じこもって画面をにらんでマウスで音符を切り貼りする。できた曲をYoutubeにアップロードして反応を待つ音楽オタクだった。

「だった」と過去形なのは、出来心で女装した動画をアップロードしたから。一部のマニアにウケて十万視聴を突破したのはいいけれど、よりにもよって音楽の先生にバレてしまう。で、授業の準備やら問題児の様子見やら、面倒を押し付けられるハメになる。

先生を通じて出会う女の子たちは、コンプレックスを抱えるピアニストや、複雑な家庭のドラマー、不登校のヴォーカリストだ。共通するのは、超一流の才能を持っていること。音楽オタクの僕には二重の意味で高嶺の花だ。

これが普通のラノベなら、彼女たちの厄介ごとを「僕」が解決しちゃうのだが、その辺リアルに出来ていて、彼は踏み込まない。

ただ、音楽が好きだからこそできる方法、つまり一緒にセッションすることで、彼女たちにあるきっかけをもたらす。そして、彼女たちは自分で変えてゆく。その様子を見ていると、人生を変えることもできるのは、音楽なのかも……と思えてくる。

10章に渡って駆け抜ける青春は、騒がしく悩ましく彩られた大切な時間だ。

アップテンポな会話で愉快にさせた後、急転直下でキツい展開へ。終盤で回収される伏線は、交響曲の後半で冒頭のフレーズが「戻ってくる」かのような既視感だし、クライマックスとなる第9章では、文字列から音圧が伝わってくる。

そして、最終章、めちゃくちゃ胸にクる。瞳から汗を、体中に涙を感じる。

熱っぽい余韻に浸りながら目次を読み返して、ハタと思い当たる。これ、章立てが一つのアルバムの構成となっている。この小説そのものが、一つのアルバムか、あるいは交響曲全体を意識して作られてる。

しかも、出てくる曲が懐かしすぎる。レディオヘッドの他に、ビリー・ホリディ、TOTOやWANDSなど、完全におっさんホイホイになっている。Youtubeで聴きながら読んでも楽しい。

落ち込んだとき、慰められたCDがあった。試練を目の前に、自分を鼓舞するために歌った歌があった。なにもかも忘れて「無」になるためにヘビロテした曲があった。そのどれも、今は聴いていないことに気づいた。

だが、この小説を読むと、それらが全部いっぺんに思い出してくる。音楽が、自分を支え、変えてきたことに気づく。

音楽の力を思い出す一冊。

| | コメント (2)

辞書を丸ごと読んだら楽しかった『MD現代文・小論文』

きっかけは『独学大全』だ。

語彙力を底上げするならこれだぞーとお薦めされたのと、どうせなら丸ごと読んでやれと思い、93日かけて踏破した。継続は力というのは本当で、読むことそのものより、続けることに注力した。

この記事の前半は、その続け方のコツを紹介し、後半では、『MD現代文・小論文』の魅力と問題点について語ろう。

まず、700ページを超える辞書をどうやって読んだか?

もちろん、一日に数ページずつ読んでいくことを積み重ねていけばできる。700ページをノルマで割れば、何日かかるか、計算上は予測できる。

だが、それってかなり大変だ。単調だし、飽きるかも。「ノルマ」なんて決めて、それを守れるのか? 三日坊主にならないか? 「そもそも何でやってるんだろう?」 と我に返る可能性だってある。

習慣を作る

だから、毎日読む習慣を作った。

具体的には、読むタイミングを決めた。PCを立ち上げる前、昼食後、寝る前と決めて、その時に手に取るようにした。

大事なのは、手に取ったとしても読まなくてもいい、というルールにしたこと。面倒ならページを開くだけで、読まなくてもいい……とハードルを極限まで下げたこと。三日坊主なら四日目に再スタートを切ればいいのだ。

そして、読んだページを記録するようにした。

具体的には、スプレッドシートに全ページをナンバリングして、読んだ日と共に塗りつぶしていくという単純な方法だ。全体は膨大だけど、毎日少しずつでも進んでいるのが目に見えるようにした。

環境を作る

次に、続けやすくする環境を作った。

一人で黙々と読んで記録してても飽きる。だから、記録したものを公開するようにしたのだ。

具体的には、記録したスプレッドシートを、誰でも参照可能な状態にして、毎日「これを学びました」と、twitterでつぶやくのだ。

 

ポイントは、誰かが見ている状態にすること。

ひょっとすると、誰も気にも留めないかもしれない。他人の勉強ログなんて見に来ないかもしれない。でもいいの、「見ているかもしれない」がポイントなの。一種の逆パノプティコンを作り上げるんだ(※)。

twitter だけでなく、独学大全を実践するdiscord「独学広場」がある。「これを学びました」と公開するのにうってつけだ。

確かに「辞書を読む」のは目的だが、最終目的だ。目の前の小さな目的は、「これを学びました」をtwitterやdiscordに投稿する。そしてこれを続けることなのだ。

これらのやり方は、『独学大全』の実践だ。持ってる方は、p.144「習慣レバレッジ」、p.160「ラーニングログ」、p.172「コミットメントレター」を参照してほしい。

語彙力を底上げする辞典

次は、『MD現代文・小論文』の魅力について。

本書は、入試問題に頻出するテーマや重要語句を4000語選び抜き、入試問題の用例と共に詳説したものだ。

受験に特化した辞書だが、同時に、現代社会の焦点となるトピックを、コンパクトにまとめた辞書でもある。いうなれば、「現代用語の基礎知識」と「国語・現代文の巻末の重要語」のハイブリット版なのだ。

たとえば、「援助交際」「縁語」が同じページで詳述している。古今集の在原業平の和歌で掛詞の修辞法を学んだ後、パパ活やJKお散歩の語源をめぐる解説を読む。この取り合わせのアンバランスが面白い。

絶対に読んで欲しいのが「近代」だ。

時代区分としての位置づけだけでなく、産業革命や資本主義、ヒューマニズム、階級社会、大衆と民主主義とファシズムといった切り口で、12,000字に渡り説明する。この項目自身がちょっとした小論文になっており、ひたすら面白いだけでなく、さらに広げて語りたくなる。

辞書を読んで楽しいのは、知らない言葉に出会うことだけではない。知っている言葉に知らない意味を見出すとき、知的興奮はMAXとなる。

たとえば、「蓋然性」という言葉には確率で計算できない意味もあることを知ったとき、驚きと納得が同時に押し寄せてきた。確かにヒューリスティックなものは、数学で計算できない「可能性」として扱われる。

あるいは、日本語としての「間(ま)」は、時間と空間の両方を指していることを知ったとき、思わず膝を打った。わざわざ「時間」や「空間」という言葉を用いる時、私たちはニュートンやユークリッドから輸入した見方で世界を捉えているのだという。

『MD現代文・小論文』の問題点

一方で、「古い」という問題もある。

編まれたのが1998年のため、出てくる言葉や説明に、どうしても古臭さを感じてしまう。

たとえば、「クリントンのセクハラ疑惑」って、今の高校生だと「?」だろう。「湾岸戦争」の詳しい解説に時代を感じる。「ポストモダン」の説明でリオタールの「大きな物語の終焉」を引くのはいいけれど、ソーカル事件が入っていないのはちぐはぐな感じを受ける。

爆笑したのが「マルチメディア」、すごく丁寧に解説されている。最近の若者なら、たとえ知ってたとしても社会や情報の教科書で歴史として学ぶ言葉じゃないかしらん。いまの流行りの「DX」との間に累々と横たわる、ユビキタス、ニューメディア、OAなど、時代の徒花を思い出して遠い目になる。

また、辞書を通しで読むことで、あることに気づいた。

それは、「現代文」は日本製だということだ。

村上春樹や大西巨人、柄谷行人や梅棹忠夫といった定番ばかりで、オーウェルやソンタグ、カフカやボルヘスといった海外の評論・小説が皆無なのだ。

『MD現代文・小論文』の不具合かとも考えたが、そもそも本書は、入試現代文から精選された辞書だ。だから、入試現代文からして、翻訳モノがないからなのかもしれぬ。

ちなみに、手元にある教科書を確かめてみると、翻訳モノは皆無だった。第一学習社「新訂 国語総合 現代文編」(2016検定済)と、東京書籍「精選現代文B」(2013検定済)をめくったが、小説、評論、詩歌、随想、全てが Made in Japan である。

書店に行けばそれなりのスペースを海外文学が占めており、外国語で書かれ、翻訳されたノンフィクションも数多くある。ネットで目にする日本語も、元をたどれば外国語だったものも少なくない。にもかかわらず、「現代文」から除外されている。次の課題として調べてみよう。

『MD現代文・小論文』は、問題点もあるが、それを補って余りあるハイブリットな辞書だ。全部読まずとも、「やたら綿密に書いてある語句」だけを拾い読みしても、十二分に面白い。語彙力を爆上げすることを保証する。


※ 中心に監視塔を立て、周りに囚人を配置することで、効率よく監視できる悪名高いパノプティコンだが、これを逆に利用する。「見られているかもしれない」環境を自ら作ることで、サボりにくくなるのだ。

Panopticon.png

Wikipedia「パノプティコン」より

| | コメント (0)

«「普通のBL」とは何か?