川上未映子・村上春樹の対談『みみずくは黄昏に飛びたつ』がタメになるのでまとめる

 物語を紡ぐ人、解く人にお薦め。

Mimizuku


 小説論としても小説家論としても面白いし、村上春樹の深いところを掘り出しているのもいい。村上春樹が語ってきたことは様々な本になっているが、同じく日本語で小説を書く川上未映子が、「作家∧読者」という立場からインタビューするのは珍しい。谷古宇さん、素晴らしい本を薦めていただき、ありがとうございます。

一冊で2^2度おいしい

 本を書く人は本を読む人でもある。それぞれの作家が書いてきた作品を、より深く読むための縁にもなるし、「物語とは」「文体とは」「悪とは」といったテーマについて、いま生きている作家からヒントをもらえる。なぜなら、2人の作家について、作者・読者の2つの立場からナマの声が書いてあるから(2^2度おいしい)。

 だから、小説を「読む人」にとってのヒントがあるだけでなく、「書く人」にとっても数多くの気づきが得られる。ここでは、「村上作品の本質」と「小説にとって共通的なヒント」を明らかにしながらまとめてみよう。

 また、わたしにとって、村上春樹の長編はもう充分で、新作は文体の変化を楽しむぐらいしか余地がないことがハッキリした。本人が告げる通り、構造やテーマ、キャラクターや描写を追求するつもりがなく、文体を向上するだけであれば、わたしが読むものはない。短編やエッセイ、インタビューやステートメントとしての作家だな。

村上作品の本質

 いきなり根幹から。「物語を書くとはどういうことか?」から始まるやりとりで語られている。小説を書くことを説明するとき、一軒の家で喩えており、次のようになる。



 まず、一階。みんながいる団らんの場所であり、楽しくて社会的で、共通の言葉でしゃべっている。言葉を通じて分かり合えるパブリックなところになる。

 次に、地下一階。暗い部屋があるが、一階(パブリックな場所)とつながっているところもあり、誰でも降りていける。いわゆる日本の私小説が扱っているのは、この地下一階で起きていることになる。いわゆる近代的自我みたいなのもここで、それぞれが抱えている地下一階を見せることで、共有されやすい面もある。

 そして、地下二階。ここに村上作品の本質がある。あらゆる民族や伝承に共通する神話的な「お話」を起こし、物語にして伝える。古くは宗教が担っていた、個人の経験を越えた「世界とはこういうもの」という感覚で、河合隼雄の『影の現象学』では「集合的無意識」と呼んでいる。村上春樹の長編は、集合的無意識を物語にしたものになる。

集合的無意識の奪い合い

 村上春樹の小説が世界中で読まれている理由は、「そういう人々の地下部分あたる意識に、物語がダイレクトに訴えかけているところがあるから」だという。これも、意図してやっているわけでないという。そこに意味やメタファーを考えて付けているわけではなく、「僕としてはそういう風にしか書けない」のだと言う。ここはマネできないところ。

 この集合的無意識について、川上が興味深い指摘をしている。フィクションというものは実際的な力を持ってしまうことがある。小説を読んで人を刺す、といった分かりやすいものから、投票行動における浮動票のベクトルといった見えにくいものまで、様々な形で現れる。そうした世界中の出来事が、物語による「みんなの無意識」の奪い合いの結果だというのである。

 以前、別の媒体で、「いま読んでる本は何ですか?」という質問に、『新釈雨月物語・新釈春雨物語』と答えたのを目にしたことがある。中国の古典を元にした怪奇譚の短編集で、上田秋成が書いたものを石川淳が新釈したものだ。人と人外のかかわりあいを描く異化が扱われており、こうした伝承にヒントを得て、物語の核にしているのではないだろうか。

 じっさい、『騎士団長殺し』には春雨物語の「二世の縁」が出てくる。土の中から即身成仏を掘り出す話で、そこを起点に小説を書き始めたと言っている。集合的無意識を「意識的に」探すなら、文化や言語に依存しない、人として普遍的な行為―――たとえば、性・食・死―――を、神話や伝説に見ようとするだろう。フレイザー『金枝篇』、イェンゼン『殺された女神』、最近だったら赤坂憲雄『性食考』あたりを参考にしてそうだ。

 そうした伝承を現代の話にパラフレーズすることで、集合的無意識に訴えかける。読者は読者で、「これは私のために書かれたのだ」とそこにシンボルやメタファーを都合よく解釈し、自分の個人的な体験や深読みを当てはめる。そういう「代入」を促すような仕掛けは、ここにあるのだ。

作家と読者の信用取引

 本人はノープランで小説を書いており(p.115)、メタファーをいちいち意識していない(p.130)とはっきり述べている。にもかかわらず、読者がついてきてくれるのは、作家と読者との間で、一種の信用取引が成り立っているからだという。

 村上長編の構造は、「失われたものを、もう一つの世界で取り戻す」に尽きる(p.176)。これを、ディテールやモチーフを変えながらも同じようなことを書いてきて、それでも読者がついてきてくれるのは、村上曰く、「けっして読者を悪いようにはしなかったから」

 これは、村上小説が優れているだけでなく、読者にも恵まれているといえる。それだけの信頼関係を、多数を相手に成り立たせてきたのは、素晴らしいことだと思う。

アイデアの出所と文章の規範

 村上作品と読者の win-win の関係は、再現不可能だろう。作品がどうのだけでなく、時代とマーケティングの結果でもあるのだから。では、書き手として見習うところはあるのか?

 ある。

 基本的な点としては、小説を書くアイデアは、誰しもが経験の内に持っていること。意識しようとしまいとネタはあるが、重要なのは、必要なときにそれが引き出せるか、ということにある。このインタビューでは、キャビネットと抽斗の比喩が使われている。ジェイムズ・ジョイスの「イマジネーションとは記憶のことだ」という言葉の通り。

 そして、文章の規範は2つある。

 一つは、比喩の構造。「比喩とは、意味性を浮き彫りにするための落差」だから、その落差の幅を想定→逆算することで、読み手をはっとさせることができる。村上はチャンドラーから学んだというが、あれ、計算してやってたのか。

 もう一つは、やりとりの「動き」。ゴーリキー『どん底』の会話を例にしているが、全部を語らないことで、伝わっている意味の呼気を感じ取れるところ。

  乞食だか巡礼だかが話しているんだけど、
  おまえ、俺の話、ちゃんと聞いてんのか
  って一人がいうと
  俺はつんぼじゃねえや
  と答える

 「聞こえているよ」と答えると、そこで会話は終わる。でもそれじゃドラマにならないから、「つんぼじゃねえや」と答える。そこに語られなかった意味のリズムが生まれる。リズムの重要性は、「優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない」と語られているが、この言い回しも好き(本当に一番大事な音を叩くか叩かないかは、もはや関係ないことに注意)。

 村上作品の面白さはここにあるし、上手いなぁと思わされるのもここ。落差に驚かされ、うまい比喩に唸らされ、絶妙な会話にニヤッとさせられる喜び。それがストーリーを駆動する原動力となっている。物語にビルトインされているから、そこだけ抜き出して「名言集」みたいにもできない。切り取ってしまうと干からびてしまう。

「書く」ことについて最も重要なこと

 「全部書く」こと。これに尽きる。 書き始めると、一日十枚書くという。何があっても、とにかく十枚書く。もちろん推敲や編集はするが、それは書くを遂行してから。小説の神様みたいな「何か」が降りて来てくれそうにない日でも、必ず十枚書く。

 では、「今日はここを書かないといけないけれど、ちょっと来そうにないな」という日はどうする? 川上が絶妙な質問を投げると、「そのへんの風景描写とかやってる(笑)」とのこと。

 これ、レイモンド・チャンドラーもやっていたと聞いたことがある。村上もチャンドラーに影響を受けたのかもしれぬ。これだ。
毎日、決まった時間に、タイプライターの前に座る
座っているあいだ、書いても書かなくてもよい
ただし、他のこと(本を読んだりとか)はしてはいけない
 ヤル気が出るまで待っていたら、仕事は終わらない。ヤル気を待っていたら、その日が時間切れとなってしまう。ヤル気がなくても手を動かしているうち、だんだん調子が出てくるというのは真だ。これはマネする。

女であることの性的な役割を担わされすぎている

 これ、常々思っていたけれど、真正面に質問したのはこれが初めてらしい。

 つまりこうだ。村上作品は、「失われたものを、もう一つの世界で取り戻す」つまり異化の物語であるが、その異化の入口ないし契機として、「女」が使われる。日常→非日常へと手を引いて連れていくためにセックスが持ち出されるというのだ。

 イザナギノミコトの黄泉国でもオデュッセウスの冥界行でもいいけれど、いわゆるカタバシス(冥界訪問譚)の導く存在として女が出てくる。それは「お約束」としていい。だが、そこに女が、「性的な役割を全うしていくだけの存在になってしまう」のはどうかというのだ。

 はっきり質問の形で見えると、思い当たる。性行為の担当・謎かけ担当といった女に役が割り当てられていると感じていた。だから、村上作品の女性は見えやすかった。川上は「女の人は、女の人自体として存在できない」と鋭い指摘をしている。

 これに対し村上は、登場人物のことも、深く書き込んでいないという。「インターフェイス(接面)が主な問題であって、その存在自体とか、重みとか、方向性はむしろ描きすぎないように意識している」(p.247)と躱している。

 ただし、例外として、『1Q84』は真正面から女性の登場人物に向き合った話だという。わたしは未読なので、村上ファンに尋ねてみたい。

リアル・ファンタジー

 結局のところ、リアリズムの手法でファンタジーを描いたのが村上長編ではないか? という予想が確認できた。

 書いてることは現実的にありえないことだが、書き方がリアリズムなので、荒唐無稽感が甚だしい。それでも「お話」が面白ければ付いて行けるが、どういうつもりで書いたんだろう? 何も考えていないのでは? といったん疑問を抱き始めると、読むのをやめるか、「そういうもの」として読むしかない(答え:何も考えていない)。

 そして、「そういうもの」と納得ずくで付き合っている幸せな読者がいることが、何よりも財産なのだろう。わたしは、そうした読者が掬い取った様々なメタファーや解釈を、聞くのが楽しい。

 読みの豊饒さに、あらためて驚くことができるのだから。

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就職活動する学生向けに6冊紹介したが、即効性のある「さわり」をまとめる

現在進行形で就活している方や、来年に控えている方に向けて、6冊の本を紹介した。

全文は以下のリンク先で読めるが、例によって長文になった。しつこく何度も書いているが、言葉は武器である。エントリーシートや面接で飛び交うのは言葉だ。だから、言葉の実弾を準備しよう。

[答えが見つからないときは、問題を変えてみよう。就活という問いに向き合うスゴ本6冊]

ここでは、即効性のある「さわり」と、強調し足りなかった点をまとめる。

世界は、誰かの仕事でできている

まず、即効性のあるところ。「明日面接なんだよ、本なんて読んでられっか!」という人はここだけ対策しよう。

まず、ジョージアのあれ。他人事を自分の仕事とする。一つ一つは小さいかもしれないが、そんな誰かの仕事のおかげで、世界ができている。私が「いい仕事」をすることが、結果的に世界をよくすることにつながる。アレンジ例は、リンク先の『自分の仕事をつくる』節を参照。

次は、レオナルド・ダ・ヴィンチが書いたエントリーシート。万能の天才と呼ばれた彼も、就活に苦労したらしい。今でも役立つ自己プレゼンの技術は、リンク先の『ルネサンスの世渡り術』の節。レオナルドの天才すぎる面接術は、斜め上すぎるので割愛したが、めちゃくちゃ面白いぞ。

言葉は盗め!

そして、これも何度も書いたが、オリジナリティ糞喰らえ。自分を深く知ろうとか、本当の自分を探そうとか、心の底からどうでもいい。自分の好きなものから探そう。

でも、どうやって?

その「探し方」に相当するものを4冊、「探す例」として2冊紹介した。この記事を読んで、「いいな!」と思ったら、言葉は盗め(ここ重要)。そして自分のモノにしろ。

盗んだ言葉はすぐ使えない。自分のモノにするために、まずストックを自分の「外側」から探す。言葉にはエピソードを付けろ。エピソードは「盛れ」。嘘をついてはいけないが、ホントのことを言わなくてもいい。盗むべき言葉は、相手に刺さる言葉だ(自己満足禁止)。どこから「探す」か、どこまで「盛る」か、何が「刺さる」か、その機微も書いた。

そして、面接担当に向けた実弾に仕立てて欲しい。あなたが悩んでいる問題は、先人が悩んできたものであり、その傾向と対策も揃っている。就職後も役立つやつばかりなので、末永く使い倒して欲しい。

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1巻完結ラノベの傑作『MONUMENT あるいは自分自身の怪物』

 妻が珍しく薦めてきたのがこれ。

Monument

物語・構成・キャラ、どれも素晴らしい

 妻は、わたしの3倍くらい読むのだが、小説は、不思議なほどに被らない。お互い好き勝手に読み散らかし、海外、国内、ジャンルも選り好みしないものの、同じ一冊にたどり着いていた、ということはあまりない。それだけ小説という世界が豊穣なのか、夫婦ともども先鋭的に選書してるのかは、ご想像にお任せする。

 そして、ごくたま~に、「これ、面白かったよ。あんたにも合いそう」というのが出てくる。長い付き合いだから、お互いの趣味嗜好は分かりすぎるほど分かっているから、面白さは保証されている。他の人はいざ知らず、少なくともわたしにとっては間違いないことは分かっている。「騙されたと思って読んでみ?」なんて駆け引きなしで読む。

 結論:面白かった! なんでこれが1巻完結なの!?

 そう、巧妙な伏線&物語構成、ストライクゾーンど真ん中のキャラクターによる、「物語を純粋に楽しむこと」と、もう古典名作と言っていい小説や映画を、上手くまぶした会話や描写による、「読み手の経験に呼応する面白さ」が、絶妙に混ざっている。この面白さ、もっと長く味わっていたいと思うものの、1巻で完璧に終わらせている。

 これ、やりようによっては、もっと長引かせることもできたはず。特殊能力を持つイケメン主人公(中身は暗い過去を持つゲス野郎)が、巨額の報酬に釣られ、魔法学校に潜入するために下工作をするのだが、完全にナナメ上の展開になるところで、丸々1巻を費やしてもいいはず。

 そして、魔法が組み込まれた「この世界」―――読み手であるわたしたちが住む歴史に、魔法という概念が併設された世界―――この説明の語りだけでも、優に1章使ってもいいのに、エピグラフでさらりと触れているだけ。

人類が火を熾すよりも先に、発火の魔術に目覚めた世界。
あらゆる理論や法則に、応用として個人の魔力資質の差異が組み込まれている世界。
ソクラテスもプラトンも、ベートーヴェンもモーツァルトも、フロイトもユングも、ヒトラーもスターリンも、手塚治虫も藤子・F・不二雄も存在していたけれど、魔法がある世界。

不思議な力が存在しても、結局は似たような歴史を歩んできた世界の物語。

 あまりにもさり気なく書いてあるので、魔法の位置づけだとか、魔法という法則に基づいた社会制度や規格、物理的制約などの説明が、軽く扱われた気になる。だって主人公やヒロインの能力、実質的に無双じゃないか! 「この世界」は、読み手であるわたしの世界とずいぶん違うのに、まるで同じ様相に見える。ハードSFが(そのSF内で通用する)科学的厳密さを追求しているように、魔法的厳密さも書き込んで欲しいものよ。

 いや、これはライトノベルだから、そこは聞かないお約束でしょう。などと、いったんは納得したのだが、まさか、このエピグラフが伏線だとは思ってもみなかった。

 主人公(ゲス野郎)の暗い過去、進行する事件が牽引する「謎」、ヒロインが抱える苦悩、そして魔法的厳密さの不在―――これらが、MONUMENTと呼ばれる魔法遺跡の探索の果てに交わるとき、一挙に、一気に、タイトルとともに分かるようになっている。

 カタルシスとカタストロフが同時に味わえる。Amazonレビューでネタバレかましているので注意して。

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『戦争の世界史 大図鑑』はスゴ本

 古来、歴史とは戦史を指す。人類の歴史が始まって以来、人は常に戦ってきた。

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これはスゴ本

 古代から現代まで、戦争の歴史を俯瞰する本書を眺めていると、どの時代であれ、必ずどこかで戦争が行われていることが分かる。戦争がない世界の方が例外であり、戦争が人間の常態なのだ。

 本書は、記録に残っている各戦争の年月日に始まり、原因・経過・結果・影響を概説している。さらに、決戦が行われた場所の地図や戦術構成、兵力、戦闘技術、死傷者数といった基礎史料を網羅している。

 実はこれ、「大図鑑」の通り巨大な図鑑だったのだが、そのコンパクト版が出たのだ。巨大版は、重い! デカい! ハードカバー! なのだが、いかんせん持ち運びに不適だし、何よりも腰にクる重さである。今回のコンパクト版は、迫力はほぼそのままで、持って出かけられるくらいにまで軽くなっているのが嬉しい。

 本書が優れているのは、徹底的なビジュアルにこだわっている点にある。オールカラーで構成されており、の多彩な写真、絵画、地図、図解などを駆使して、多角的かつ斬新な視点から、戦争を捉えようとしている。ここは、巨大版、コンパクト版と変わらない。大きさだけを縮小し、中身は完全に同じなのである。

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大きさ比べ

 さらに、年代も場所も広範囲にわたって概説しているため、どんどんページをめくっていくことで、「いつ」「どこで」を取っ払って、「どのように」人は争ったのかに着目することができる。そして、時代を超えた視点から、全く別の時代の戦闘どうしの類似点やアイデアが浮き彫りになり、見るたびに発見がある。

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中はこんなカンジ

 たとえば、優れた将軍は、時代を超えた特質を備えていると指摘されている。チンギス・ハン率いるモンゴル騎馬軍と、1940年春にフランスに侵攻した装甲師団との間に類似性を見出し、機動力が戦闘と決する事例として紹介されている。

 あるいは、敵軍包囲という古来の戦法は、古代ローマの世界でも第2次世界大戦でも等しく奏功しているが、5千年分の戦略図を眺めていると、戦いとは畢竟「どのように敵を包むか」のせめぎあいであり騙し合いであることが見えてくる。

テクノロジーが戦争を変える

 テクノロジーが変えた戦争も興味深い(ここが一番面白い)。

 たとえば、古代ローマとカルタゴが争ったポエニ戦争。初期はカルタゴが制海権を握っており、陸戦が本業のローマ軍は、海戦での経験が圧倒的に不足していた。ローマ軍はコルウスという鉤の付いた乗船橋を開発し、カルタゴ軍のガレー船が近づくと、ローマ軍はコルウスを落とし甲板にめり込ませ、それを渡って軍団兵が大挙して乗り込んだのだ。

 つまり、船を操る海戦を、ローマ軍が最も得意とする陸上に変えてしまったのだ。この件は、『ローマ人の物語 ハンニバル編』(塩野七生、新潮文庫)で予習していたが、本書で指摘されているのは、軍の凄さだけでなく、ローマ人の工学技術と発明の才能である。

 小火器(火打石式銃からAK47まで)の変遷は、歩兵の役割の変化の歴史であることも分かる。銃はいわゆる「飛び道具」だから、弓兵のような立場だと考えていた。だが、銃器の精度や射程距離が伸びるまでの間は、弓兵よりも槍兵のような立ち位置であったことが分かる。

 つまり、遠距離(弓)と至近距離(サーベルや刀)の間にある、ミドルレンジを槍兵が担っていたのだ。16世紀の欧州が境目で、マスケット銃で武装した歩兵が増えるに従って、槍兵の占める割合が低下したという。

ブレイクスルーが戦争を変える

 同時に、銃器に対する防御効果がなくなったため、甲冑の人気が衰えていったのも興味深い。テクノロジーが装備を変えた例だろう。16世紀の伝記作家ルイ・ド・ラ・トレモイユは、「戦争でこのような武器が使われるとしたら、騎士が武器を扱う腕前や、強さ、不屈の精神、規律はもはや何の役にも立たない」と嘆いたが、21世紀のドローンによる遠隔攻撃について、同じ嘆きが繰り返されていないだろうか。

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ナポレオン時代の小火器

 また、弾丸の製造技術が戦術そのものを変えた例として、ミニエー弾が紹介されている。1850年頃、精密機械製造技術と大量生産技術の発達によりもたらされたブレイクスルーである。銃身内に腔線(らせん状の溝)が刻まれており、弾丸が旋回することで、射程も精度も飛躍的に向上したのだ。

 ここは、『銃の科学』(かのよしのり著、サイエンス・アイ新書)でも同じ指摘があった。ナポレオンの時代では、太鼓に合わせて行進し、敵の前で密集隊形を組んでいた。だが、そんなことをしていたら、格好の的になる。そのため、戦列を作って圧倒するのではなく、散開方式が中心になったのだ。古代のファランクス(重装歩兵による密集陣形)方式を消したのは、ミニエー弾を大量に製造する技術だったのである。

土木が戦争を変える

 長い目で見ると、要塞や大型船の変化を促したのは、火薬兵器の技術開発であることが分かる。陸上戦における顕著な変化は、大砲が積極的に導入されるようになった1500年代以降になる。すなわち、このあたりから、城塞の設計思想が変わったというのだ。

 古代から中世にかけては、背の高い石造りの城塞により、敵の侵入を阻んでいた。これが、近代になると城壁は低い土塁となり、敵からの砲弾を遮ることが目的となる。さらに、稜堡(突出部)を塁壁前面に突き出し、大砲などの発射兵器を配置し、敵がどの方向から接近してきても対処るように構造を変えたのだ。

 いわゆる星形要塞が代表的なもので、突き出た稜堡により互いの死角を失くし、さらに稜堡同士から同一の敵を狙うことで十字砲火を実現している。戦争が土木を変えたこの例は、『土木と文明』(合田良実、鹿島出版)で学んだ。土木から人類史を眺めたスゴ本なり。

写真が戦争を変える

 アメリカ南北戦争あたりから、戦争写真が増えてくる。それまでは、戦争は絵画により描かれ、伝えられてきたが、近代から写真による生々しい姿を目にすることができる。戦争写真家の草分け、マシュー・プレイディによる映像は、戦争をロマン視していた大衆に、戦争の現実を突きつけた。

 ゲティスバーグでは8千人が死亡し、戦場の至る所に死体が転がった。死体は夏の猛暑でたちまち膨れ上がったが、撤去には何週間もかかったという。その写真が、そのまま掲載されている。この写真は、当時の大衆の厭戦気分にも影響したという。

 また、ベトナム戦争に報道記者として付き従ったカメラマンの写真が、アメリカ人の厭戦気分を煽り、最終的に戦争の終結に向けた世論の後押しとなったという。人類の愚行の歴史ともいえる写真は、何度も撮影され、報道されており、『世界を変えた100日』(ニック・ヤップ、ナショナル・ジオグラフィック)で見ることができる。

 人類は忘れっぽい。ややもすると、こうした歴史が「なかった」ことにされてしまう。わたしが知らなかった、もしくは忘れていた戦争が、ここでは隈なく見ることができる。

戦争が「敵」を変える

 世界大戦により、「敵」の定義が変化したという指摘は鋭い。

 戦争の目的が資源の奪い合いである局地的なものであれば、攻撃対象は敵の兵士になる。ところが、近現代における総力戦は、国家の全資源が動員されることになる。一国の経済と民間人が、丸ごと戦争努力に総動員されれば、必然的に工場や民間人が軍事行動の標的となる。結果、第2次大戦では、民間の死亡者数が、軍人死亡者数を、はるかに上回ることになったのである。

 「戦争」という言葉は一つだが、それが指し示している行為は、技術、文化、宗教の背景とともに変化していることが分かる。仮に「戦争」を、「戦闘員同士の殺し合い」と見なすならば、第2次大戦の死亡者数で、軍人を上回った民間人は、「なかった」ことにされる。また、仮に「戦争」を、「人間同士の大規模な殺し合い」と見なすならば、異教徒は人にあらずと殲滅された人々は、戦争による死者数にカウントされない。

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もちろん日本刀も

フィクション・ノンフィクションを繋げる資料として

 今まで読んできた本が、どんどん繋がってくるのが面白い。

 アレクサンドロスは有名だが、彼の死後、配下の将軍どうしで主導権争いの戦争が行われる。その戦争の主導者は、『ヒストリエ』(岩明均、講談社)にもう登場している。ゆっくりと物語の時間が進む『ヒストリエ』では、まだそこに至っていないため、一種のネタバレのように覗き見ることができる。

 また、『ガリア戦記』(カエサル、講談社学術文庫)が傑作であり第一級の史料であることは疑いないが、真実の中に利己的なプロパガンダも含まれている指摘もされている。

 さらに、デーン人のイングランド侵略におけるアシンドンの戦いでは、『ヴィンランド・サガ』(幸村誠、講談社)のクヌート王を、源平合戦の倶利伽羅峠の圧倒的な逆転攻勢では、古川日出男が翻訳した『平家物語』を思い出す。

 概観としての戦争の世界史なら、技芸としての戦争から、商業化・産業化された戦争までを語った『戦争の世界史』(ウイリアム・マクニール、中公文庫)や、『ヨーロッパ史における戦争』(マイケル・ハワード、中公文庫)に繋がる。これが現代になると、SFよりもSFな現実のルポルタージュ『ロボット兵士の戦争』(P.W.シンガー、NHK出版)になる。

「戦争の歴史」≒「人類の歴史」

 戦争は文明より古い。戦争の変化の歴史が、人類の歴史と、ぴったりと重なっている。人類の様々な創意工夫は、戦争によりきっかけを得、数多くのブレイクスルーにつながった。その変遷を本書でざっと見るだけでも、ブレイクスルーどうしの繋がり合いに目を見張るだろう。

 より深く人類を知るための一冊。

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山が好きだからといって善人とは限らない『闇冥』

 三大「〇〇好きに悪人はいない」のカウンターができた。

 犬好きに悪人はいない → 『冷たい熱帯魚』
 子好きに悪人はいない → 『IT』
 山好きに悪人はいない → 『闇冥』

 最初は、埼玉愛犬家連続殺人事件をベースにした映画。園子温・監督・脚本で、猟奇殺人事件に巻き込まれた男を描いたホラーだ。死体解体など凄惨なシーンもあり、R18+に指定されている。

 次は、殺人ピエロの異名を持つジョン・ゲイシーから想を得た小説。みんな大好きスティーヴン・キングの長編で、映画にもなっている(リメイクされたハイ! ジョージーが有名やな)。怖さなら小説を、おぞましさなら、実話のほうWikipedia[ジョン・ゲイシー]をお薦めする。

 最後は、今回お薦めの山岳ミステリアンソロジー。馳星周が選んだとあって、ノワールなやつから悲哀に満ちた作品までさまざま。ここでは、山岳ミステリの傑作とも言われる、松本清張「遭難」について紹介しよう。

 悪天候の鹿島槍ヶ岳で、三人のパーティーが遭難する。一人が死亡し、生還したメンバーがその顛末を手記の形で山岳雑誌に寄稿する。読者はいきなり、この手記と向き合うことになる。

 手記を書いた人は登山初心者だが、他の二人は経験者であり、装備も準備もしっかり整えたうえで山に臨んでいる。前夜から寝台列車を使うなど、疲れを残さないよう配慮し、きちんと休憩を取りながら、無理のないルートで登ってゆく。

 ところが、急激な天候の悪化やメンバーの体調不良により、だんだん追い込まれてゆく。悪いことは重なるもので、強行か撤退かの判断に迷ううちに、霧が出て方向を見失い、体温と体力を失う中で夜を迎える。リーダーが決死の覚悟で助けを求めるために地図なしで山小屋に向かうのだが―――

 この件の描写がたいへん秀逸で、最初は楽しい山行きが、だんだん怪しく不安になり、暴力的な風雨まじりで夜が圧しかかってくるシーンは、頭がおかしくなっても仕方ないと思えるほど。

 手記には特に不備もなく、「山では絶対に無理をしていない」といったありふれた教訓を残すのみでしめられている。結局これは遭難事故として扱われるのだが、この時点でまだ、小説の半分にも至っていない。

 そして、松本清張の本領が発揮されるのはここから。たいへん面白い。最初は何でもない話だったのに、だんだんと疑惑が深まり、最終的に確信へと至る。その核心の部分は、さまざまな伏線の形をとり、最後に全てが重なるようにできている。

 これ、単にミステリとして極上の面白さだけでなく、小説の構造に含ませた仕掛けとしてもよくできている。そして、いかにも松本清張らしい。さらに、ラストで読み手に考えることを突き付ける。

 善悪のことよりも、この続きだろう。わたしは、清張のある長編小説に繋がるなぁと思った瞬間、これは清張が築き上げた社会派ミステリのテーマでもあることに気づいた。曰く、「人が一番おそろしい」やね。

 他にも、遭難の背後に潜む闇を描いた作品や、山同様に運命の容赦のなさを描いたもの、意外な因果応報など、一筋縄ではいかない傑作ぞろいなり。収録作品は以下の通り。

 松本清張 遭難
 新田次郎 錆びたピッケル
 加藤 薫 遭難
 森村誠一 垂直の陥穽

 そうなんだ、人の怖ろしさは、全て人が抱える闇の中にあるもので、山は、それとは別個に存在する。いや、そうではない。むしろ、人のおぞましさ・浅ましさは、山という極限状態の場でこそ、赤裸々に暴かれてしまうと言う方がしっくりくる。

 「〇〇好きに悪人はいない」という言葉そのものに罠がある。〇〇と善悪は関係がなく、ただ人の闇に善悪があるだけなのだから。

Annmei

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苦しまないと死ねない国で、上手に楽に死ぬために『医者には絶対書けない幸せな死に方』

 生活や仕事の質を上げるテクニックが「ライフハック」なら、本書は、安らかに死ねるためのテクニックを集めた「デスハック」である。QOL(Quality Of Life)ならぬQOD(Quality Of Death)を向上させるノウハウ集やな。

Ishaniha

「平均寿命」-「健康寿命」≒ 10年

 日本人の8割は病院で死ぬが、病院では迎える死は「安らか」でない場合が多いという。なまじ延命治療技術が発達してしまったため、病院のベッドに何か月も縛り付けられたまま拷問のような状態で死に至る人が大勢いるらしい。

 WHOによると、「健康寿命」の定義は、「医療や介護に依存せず、自力で生活ができる期間」になる。日本人の平均寿命(2016)と並べると、こうなる。

  健康寿命/平均寿命
男  71歳 / 80歳
女  74歳 / 87歳

 つまり、死ぬ前に、男は10年、女は12年程度、医療や介護のお世話になる期間があることが見込まれる。そして、他人のお世話にならないと生きていけない10年をどうとらえるかが、死に方・死に時を考える入口となる。

 その10年は、誰かにオムツを替えてもらう10年か、恍惚の人となり家族に見放される10年か、ベッドに縛り付けられて「やめてくれ」と意思表示もままならない10年か、あるいはその全てか、さまざまな可能性に満ちている。

 現役の高齢者になると、ピンコロを願うという。ピンコロとは、直前までピンピンしており、ある日、苦しむことなくコロリと死ぬ「ピンピンコロリ」の略である。「ぽっくり逝く」の現代版みたいだが、節子、それ突然死や。お別れも未練もなく断ち切られる人生である。良し悪しともかく、そういう死に方ができる人は5%だという。

「できる限りのことをしてください」

 本書によると、自然死というのは、一種の餓死になる。老衰や病気で身体機能が落ちてくると、人は自然とものを食べなくなり、枯れるように死んでいく。理想的な死の一つだが、病院ではなかなかそうさせてくれない。

 なぜか?

 まず、病院側の事情がある。病院に担ぎ込まれたのであれば、治療せねばならぬ。自力で飲食できなくても、チューブにつながれ、無理やりにでも水分や栄養分を補給する必要がある。そして、家族が「できるだけのことをしてあげてください」と言うならば、できる限りの治療を施すことになる。

 そして、人工呼吸や胃ろうなど、延命治療を始めたならば、それをやめるのは難しい。訴訟リスクがあるからだ。本人が、文字通り「必死に」なって、家に帰る、死なせてくれと訴えても、家族や周りの人が、最後まで頑張って、可能な限りの治療をと言うならば、医師は後者に従ってしまう。

 家で死にたい親と、家で死なせたくない家族。この状態になると、いつ死ぬかは分からない。延命技術は日々進展しており、「死なせないため」なら、本人の意思はともかく、寝たきりの状態をできるだけ長く続けることができるから。

 結果、死亡前1年間にかかる1人あたり医療費は膨れ上がり、平均でも300万円弱かかっているという。手厚い延命治療を施した場合、1,100万円になる。「終末医療をカネで測るのは筋悪」という議論があるが、事実だけは確認したい。

300万の出典は、(本書によると)以下の通り。『高齢者の医療の~』を参照してみよう。
『高齢者の医療の確保に関する法律の解説』土佐和男・法研2008年
「終末医療の動向」日本医師会雑誌113巻12号
「東京都老人医療センターにおける終末医療費の解析」[参考]

1,100万は、『医師の一分』で見かけた。出典を確かめてみよう。

「良い死」とは

 ではどうすれば「良い死」を迎えられるか?

 これは、多くの人の死を見てきた医師に聞くのが手っ取り早い。つまり、「自分なら」どんな終末期医療を望むか、と医師に尋ねるのである。[良い死、悪い死、普通の死]でも考察したが、「良い死」として医者がすすめる死に方は、当の医者が患者に施している方法と、全く異なる。つまり、医者は、自分にしてほしくない医療を、患者に対して行っているのだ。

  • ほぼ全員が事前指示書を所持
  • 大多数の医者は、心肺蘇生、透析、大手術、胃ろうを希望しなかった
  • 全員が鎮痛薬、麻酔薬を希望

 この技は、自分や家族について医師と相談する際にも使える。ある治療や処置を施すかどうかについて、医師から判断を求められたとき、「先生ご自身がこうなられたら、どういう処置を望みますか」と聞くのだ(家族の場合なら「先生のお母さまが~」と置き換えればよい)。

 また、事前指示書については、たとえば東京駅の近くの京橋公証役場で、「尊厳死宣言公正証書」が作成できる(1万1千円とのこと)。証書を作るだけでなく、延命措置を打ち切る医師のリスクを下げる方法について聞いてみよう(この情報、週刊ポストで知ったのだが、時代だな……)。

 あるいは、本書によると、少なからずの医師が、「死ぬなら癌がいい」と公言しているという。理由としては、余命宣告されてから死ぬまでに動ける時間があること、残務整理やお世話になった人へのお礼の言葉を伝えられることが挙げられる。

 しかし、これは表向きで、一番は「確実に死ねる」ことにある。ある年齢以上になった場合、一年ぐらいで確実に死ねる死は、実は歓迎するべきものなのでは―――という意見もある(丸山理一「死について」日本医事新報1991年1月26日号)。これを書いた丸山医師は、自分で胃がんを診断してから「治療はしない」と決断し、9か月後に亡くなったという。63歳だった。

 死に方について、医療関係者や宗教関係者によって書かれる本は多い。だが、本書はどちらの立場でもない。認知症になった親の介護に苦労して、金も時間も使い果たした末に掴んだ介護保険や介護施設の裏事情が書いてある。

 生々しい話や、壮絶なものもある。「お金はないが、楽な死に方としての凍死」も提案されている。カネがあれば幸せな死が迎えられるかというと、そうでもない。社会が変わるのに時間がかかる。その前に、わたしの死がやってくるだろう。願わくば安らかな最期だが、願うだけでなく、できる準備はしておく。

 最後は……どうか、幸せな記憶を。

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『ウイルスの意味論』はスゴ本

 見えてるはずなのに見ていないことに気づくと、より世界が見えるようになる。目にウロコなどなく、先入観に邪魔されていただけなのだ。そして、先入観に気づくだけで、世界が一変する。なぜなら、そこに「ある」という確信をもって、見ようとするからだ。

Virus

「惑星系=太陽系」という先入観

 たとえば、系外惑星。太陽系以外の惑星のこと。観測技術が向上したにも関わらず、近年までほとんど見つけることができなかった。しかし、1995年に「ホット・ジュピター」と呼ばれる系外惑星が見つかってから、ほとんど爆発的といってもいいほど大量に発見されている。

 ここで重要なのは、ひとたび見つかると、ラッシュのように見つけられる点にある。なぜか? それは、それまで探す対象としていたモデルが、太陽系だったから。われわれのよく知るサンプル(=1)を基に望遠鏡を向け、似たようなサイズや軌道や周期を探しても、なかなか見つからない。

 しかし、超巨大なのに恒星に近距離でしかも超高速で巡る「非常識な」惑星をたまたま見つけると、今度はそれに近いモデルで探すようになる。すると、そこらじゅうが「非常識な」惑星に満ちていることが分かってくる。太陽系というモデルは、実は例外だったのである。

 つまり、「太陽系という先入観」が、そこに「ある」確信を曇らせていたのである。かつて、地球のことを「ロンリープラネット」とか「奇跡の惑星」と呼んでいたが、『系外惑星と太陽系』を読むと、この常識も書き換える時代がやってきていることが分かる。

「ウイルス=病原体」という先入観

 これと同じことが、ウイルス研究にも起きている。病原体としてのウイルス研究が、「ウイルスという先入観」を生みだし、その先入観が「見る」ことの邪魔をしていたのだ。本書は、ウイルスの驚くべき生態と共に、生命そのものの定義を書き換えていることを明らかにする。わたしたちは、ウイルスに囲まれ、ウイルスを内に保ち、ウイルスと共に生きている。これ、教科書が変わるレベル(パラダイムシフト)だぜ。

 たとえば、ミミウイルス。1992年に発見され、「ウイルスは細菌より小さい」という常識を覆した巨大ウイルスだ。

 そして、ひとたび「非常識な」巨大ウイルスが見つかると、ここ十年でラッシュのように巨大ウイルスが発見されるようになる。シベリアの永久凍土に眠っていた3万年前のウイルスから、セーヌ川、ビルの冷却水、ハエの複眼、コンタクトレンズの保存液など、そこらじゅうで「非常識な」巨大ウイルスが見えるようになる。

 奴らは別に隠れていたわけでなく、われわれが「見て」いなかっただけなのだ。それは、病原体として研究してきたウイルスのサイズが、「ウイルスは小さいという先入観」を作り出していたにすぎない。

 あるいは、コミュニケーションをするウイルス。ウイルスは細胞に取りつき、増殖するだけの単純な存在だと見られてきたが、ファージ(細菌に感染するウイルス)同士でペプチドをやり取りすることで、細菌の生息密度を伝える集団感知システム[クオラムセンシングシステム]が紹介されている。枯草菌に感染したファージの数が一定の数になると、細菌を溶かすようになる。この溶かす・溶かさないを決定するペプチドを、ファージがメッセージとして放出しているというのだ。

 実をいうと、「クオラムセンシングシステム」は発光バクテリアや緑膿菌といった細菌の振る舞いについての説明である。もちろん細菌とウイルスは別物なのだが、ローテム・ソーレクが2017年にネイチャーにした報告[*]によると、ファージの間にもこのシステムがあるというのである。

*Callaway,E.:Do you speak virus? Phages caught sending chemical messages. Nature ,18 Jan 2017

 他にも、ウイルスに寄生するウイルスや、致命傷を負っても、DNA部品をかき集めて損傷した自分自身を再構成するウイルスが紹介される。これまで、ウイルスを無生物のような単純なものと見たり、「生物と無生物のあいだ」的な存在として扱ってきたことが、「ウイルスという先入観」を生みだしていたことに気づかされる。そして、ウイルスという先入観が、生物の定義を限定的にしていたことが分かってくる。

生命の定義を書き換える

 著者は、ウイルスの死は、生物の死の概念を超えているというが、本書を読めば読むほど、逆なのではないか? と思えてくる。ヒトが今まで陸上や水中で見てきて「生物」だと考えてきたものこそが限定的で、その定義では捉えきれない現象があることに、ようやく気付けるようになったのではないか、と思えてくる。

 生命とは何か? 英語だと、生命とはライフ(life)で、ライフとは生物のことを指す。岩波書店の『生物学事典』によるとこうなる。

 ・生物とは、生命現象を営む者
 ・生命とは、生物の本質的属性

あれだ、辞書でAを引くとBと書いてあり、Bを見るとAと書いてあるやつwww 本書では、この循環から大きく踏み出し、生命を3つの単語で定義することを試みる。すなわち、生命は、変化を伴う自力増殖が可能で代謝活性のある情報システムで、エネルギーと適切な環境を必要とする存在だとし、最終的に、

 self-reproduction with variations(変異を伴う自力増殖)

までまとめている。19世紀前半までは、生物とは動物と植物だった。後半になると、ワインやビールを発酵させる酵母(真菌)が発見され、さらに病気の原因となる炭疽菌が見つかった。さらに、20世紀末のDNA研究により、リボソームの構造から分類が見直され、3つのドメインが定説となっている。

 生命とは、
   ・真核生物(動物、植物、真菌)
   ・原核生物(細菌)
   ・アーキア
 である。

 しかし、巨大ウイルスやコミュニケーションするファージなど、上記では括れない「変異を伴う自己増殖」する存在が次々と見つかることで、新たな定義を提案する。

 生命とは、
  ●リボソームをコードする生命体
    ・真核生物(動物、植物、真菌)
    ・原核生物(細菌)
    ・アーキア
  ●カプシドをコードする生命体
    ・真核生物ウイルス
    ・ファージ
    ・アーキウイルス
 である。

 何のことはない、ウイルスを単純な存在だと見なしていたヒトこそが、見えてるものが全てだと思い込むくらい単純な存在だったのである。そして、それに気づくくらい「見える」ようになったのである。

ウイルスから地球を見る

 たいへん興味深いのは、系外惑星を見つけるのに望遠技術が必要だったのではなく、「先入観を捨てること」だったことと同じことが、生命の研究においても起きていること。そして、先入観を捨てて生命を再定義すると、世界はもっと「見える」ようになる。

 たとえば、水圏(海水、淡水)。水圏にいる藻類や微生物を宿主とするウイルスは、地球規模で影響を与えていることが分かってきている。すなわち、ウイルスが雲の形成に関わっているというのである。つまりこうだ、藻類が大気に放出する硫黄化合物ジメチルスルフィルド(DMS)が、エアロゾル(雲のもと)になるのだが、これは、ウイルスの感染によるというのだ。

 あるいは、生命の起源として、深海中の熱水噴出孔近辺だという説があるが、この領域でもアーキウイルスが発見されている。

 高温高圧の極限下、無酸素で増殖している微生物がいるが、微生物と共におびただしい数のウイルスが活動している。「高温高圧の極限下」という表現そのものがヒト中心の偏見であり、1ml中に1000万個検出されているウイルスにすれば故郷みたいなものだろう。そして、生命誕生そのものにもウイルスが関わっている可能性が指摘されている。

ウイルスから世界史を見る

 ウイルスは世界史にも影響を与えている。マクニール『疫病と世界史』が世界史からの「ヒト中心」のアプローチなら、本書はウイルスから世界史を見る。わかりやすいのはインフルエンザの流行だが、そうした「疫病」という形を取らない災厄もある。

 たとえば、モンゴル軍がもたらした牛疫だ。多くの品種の牛に感染し、致死率70%の毒性がる疫病である。

 モンゴル帝国が急速に拡大していった理由として、騎兵と弓兵を活かした機動力の高い戦術や、軍事国家であること、投石器や火薬といった中国やイスラムの技術を活用したことが挙げられるが、本書によると、牛疫ウイルスが一役買っていたという。

 ただし、モンゴルの高原地帯で飼育される灰色牛(グレイ・ステップ牛)は抵抗性があった。そのため、感染しても症状をほとんど出すことなく、数ヶ月にわたってウイルスを糞便で排出し続けることになる。

 そして、モンゴル軍は、物資の輸送役+食糧として、灰色牛を連れていた。灰色牛は行く先々で糞便と共に牛疫ウイルスをまき散らし、農耕での重要な労働力である牛を全滅させていった結果、国力を低下させる。つまり、灰色牛は事実上、モンゴル軍の生物兵器になっていたというのだ。

ウイルスからSFを見る

 著者はウイルス研究の第一人者である、山内一也東大名誉教授だ。そして本書はもちろんノンフィクションの分類に入るのだが、ウイルスの振る舞いと未来予想を見ていると、どうしてもフィクション、しかもSFを想起させる。あまりに生々しく、現実味のある脅威が、実は身近にある(あった)ことが、よく分かる。

 たとえば、天然痘ウイルスの人工合成だ。

 1980年に根絶が宣言された天然痘だが、「基礎研究のため」米国とロシアの研究所で保管されている。厳重に保管されていたウイルスが盗み出され、紛失するというシナリオは、小松左京『復活の日』を思い出すが、今ではDIY可能である。

 まず、天然痘ウイルスのゲノムの塩基配列はすべて解読され、公開されている。もちろん、天然痘ウイルスのDNA合成は禁じられており、WHOはゲノムの20%以上を作成することを制限している。そのため、DNA合成を受託する会社は、天然痘ウイルスのDNA合成できない制約が課せられている。

 しかし、これには抜け穴がある。カナダの大学がこの抜け穴から馬痘を合成してみせたのである。

 まず、馬痘ウイルスのゲノムを10個の断片に分けて、複数のDNA合成会社に発注する。できたDNA断片をつなぎ合わせ、馬痘のゲノムを構築した。それだけだと感染性がないため、ヘルパーウイルスを感染させた細胞に導入し、再活性化できるようにした。発注は全てメールで済ませ、合成の代金は全部で10万ドル(1100万円)だったという。

 理論上では、天然痘も可能である。この手順はあまりにも危険性が高いと判断され、「サイエンス」「ネイチャー」誌からは掲載が却下されたが、「プロスワン」誌は慎重に検討した上で掲載している。むかし、ネットで水素爆弾の製造の仕方が公開されて物議をかもしたが、今では天然痘の作り方が公開される時代となっている

 バイオテロリストにとっては嬉しい話だろう。インフルエンザの2倍の感染力を持ち、感染から発症まで10日間の潜伏期間がある(医師が天然痘に気づくまでにさらに数日はかかる)。テロリストは自分に種痘しておけば、自分が感染することなく、合成、培養、散布することができる。都市部ではパンデミック級の威力を持つのであれば、1100万円は安いものだ。

 他にも、冷蔵設備が無い状況でワクチンを運ぶため「孤児」を使う話から『ザ・ラスト・オブ・アス』を、芋虫に卵を産み付け、孵った幼虫が芋虫を食べるヒメバチの習性は、7000万年前に始まったウイルスとの共生からという話から『エイリアン』を、さらに致死的ダメージを喰らっても、他の生きた部品から自分を再構成する件なんて、『ジョジョの奇妙な冒険』のゴールドエクスペリエンスを思い出す。

 [基本読書の冬木さんと対談]したとき、冬木さんが「世界の様相をガラリと変えるのがSFだ」と喝破したが、これはまさにSFとしても読めるし、そう読むことで次のSFのヒントが詰まっているともいえる。

 ウイルスの興味深い振る舞いから始まり、「生命とは何か」の根幹に衝撃を与え、さらには世界の「見え方」が変わってしまう一冊。

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この「冒険」の本・映像・ゲームがスゴい!

 お薦め本を持ち寄って、まったり熱く語り合うオフ会、それがスゴ本オフ(最新情報は[facebookスゴ本オフ])。参加すると、読みたいリストがどんどん増えて、積読山がさらに高くなる。今回のテーマは「冒険」。時間・空間・非日常を飛び越えて、「これが冒険だ!」という本、映画、音楽、ゲームにマンガにメディアのもろもろが、集まったり集まったり。

Bouken01

山と旅と空への冒険

ありえない光景、シスパーレ

 度肝を抜かれたのが、ササキさんの紹介。日本を代表するクライマー平出和也が、シスパーレに挑んだ映像だ。端的に言ってありえない光景を見ることができる。一目見れば、「無理!」と叫びだしたくなる場所で、かつては、そこに登った人だけが目の当たりにできた。過酷で美しい世界を、安全で暖かな部屋から眺めることができる。

 冒険とはすなわち「危険を冒す」。何かの目的があって、時間や空間を超えて、危険に満ちた体験の中に身を置くこと。ただ、そこから還ってこなければならない(と思う)。行ったきりの冒険も物語としてはあるが、現実だとあまりにも辛い。

Bouken02

熱量高い

勇気と無謀の違い『サハラに死す』

 えりさんが紹介してくれた『サハラに死す』(上温湯隆著、ヤマケイ文庫)が重い。昭和の時代、誰もやったことのない、サハラ砂漠の単独横断に挑戦した記録だ。世界最大のこの砂漠は、現地の人々にとって「縦断」するものであって「横断」するものではない(従って「横断」ルートというものはない)。

 ガイドなし、ラクダ1頭のみで旅を始めるが、ラクダは死亡、水は無くなる、食べ物は無くなる……「著者が本人ということは、帰ってこれたんじゃないの?」というツッコミに、「遺された手記を元にした本」とのこと。「冒険とは、可能性への信仰である」と記されており、当時のバックパッカーのバイブルだったというが、「帰ったら大学受験しよう」と書き残しているのが日本人の呪い的だとのこと。

生きていることのレベルを上げる『ビヨンド・リスク』

 危険を冒すとは何かについて知りたいなら、『ビヨンド・リスク』(ニコラス・オコネル、ヤマケイ文庫)を読むと、そのヒントが得られる。伝説のクライマー17人にインタビューした冒険の思想集である。

 生きることは登ることと同様に意味がない。にもかかわらず、なぜ登るのか? 本書には数多くの「答え」があるが、ここでは、一つ、ロイヤル・ロビンスの引用をしたい。

危険があれば冒険の度合いが増す、ということは十分気をつけて行動しなければならないということです。クライミングは注意力や知覚力のレベル、つまり生きていることのレベルを引き上げてくれます。(太字化は私)

 他の人の話も併せて聞くと、共通する考え方が見えてくる。ただ生命を維持するというだけでなく、本気で生きる。生きることに真剣になる(せざるを得なくする)場所が、たまたま岩の上だったということが分かる。生きることそのものが冒険なのだ、というメッセージが伝わってくる。これは読みたい。

Bouken03

ロバート・パーカーごっそり

未読の人は幸せもの『シャンタラム』

 生きることが冒険なら、ルートポートさんが持ってきた『シャンタラム』、これはわたしもお薦めしたい。絵に描いたような波瀾万丈で、一寸先も見えない状況とドラマティックな展開に、ページを繰る手が止まらなくなる。もし、これを読んでいないという人がいたら、幸せ者だと伝えたい。できるだけ予備知識を排して手にとって欲しい(新潮文庫だから裏表紙にあらすじが書いてあるが、それすら読まずに読んで欲しい)。

冒険の冒険『ヴェルヌの『八十日間世界一周』に挑む4万5千キロを競ったふたりの女性記者』

八十日間世界一周に挑む 冒険の冒険、すなわちメタ冒険できるのがこれ。みかん星人さんとOnoさんのお二人から教わったのだが、面白そう。ヴェルヌの小説『八十日間世界一周』を、リアルで実行する「冒険」と、世界一周をするのが女性記者であるという意味で「冒険」が重なる。というのも、120年前の当時、女性であるというだけで様々な差別や困難が立ちはだかるから。さらに、女性記者は二人おり、それぞれ東回り、西回りで競争するのだ。NHK歴史秘話ヒストリアでも放送されたとのこと[決着!80日間世界一周]

Bouken04

バサラいいよバサラ!

公開中の『バジュランギおじさんと、小さな迷子』と『ファーストマン』は劇場で観るべし

 すごい勢いでプッシュされ、そのまま映画館に行きたくなったのがこの2つ。きはらさんお薦めの『バジュランギおじさんと、小さな迷子』は、インドに取り残されてしまった女の子を、偶然であったおじさんがパキスタンまで連れて行くお話。絶対感動するやつやん、と身構えながら観たけどやっぱり感動したとのこと。前中眺さん、みかん星人さん、sngkskさん激推しの『ファーストマン』は、ニール・アームストロングの人生を描いたもの。映像音も凄いとのことで、まず4DXで見て、それからIMAXで観るべしとのこと。2つとも劇場で観たい。本は積めるけど、ロードショーは行かないと!

数メートル移動しただけで人生は変わる「ウェイクフィールド」

 [キリキリソテーにうってつけの日]の中の人のふくろうさんが紹介したのが「ウェイクフィールド」だと知ったとき、「あっ!」と思った。「ウェイクフィールド」という男が、失踪したふりをして、自宅から目と鼻の先にある部屋に潜伏する話。時は流れ、死んだことにされるが、男はその部屋から、寡婦となった妻の生活を眺める。わたしは、ふくろうさんの[このレビュー]に惹かれて「ウェイクフィールド」を読んだが、このプレゼンで再読したくなった(ホーソーン怖いな)。

世界を言葉で更新する『えーえんとくちから』

 オフ会やってて良かったなと思うのが、わたしが知らないスゴ本に出会えること。前中眺さんお薦めの、笹井宏之の短歌集は、全く知らなかった。というか、この詩人の存在すら知らなかった。これ、文字列よりも音読するほうが沁みる。「えーえんとくちから」を声に出して読んでもらったが、意味が分かった瞬間にぞわっとした。口に出した音が意味として伝わる前に、その言葉が捉える世界をアップデートしてしまえるのではないか、とさえ思う(ポチった)。

だよね!『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』

 激しく同意したのが、きはらさんが持ってきたこれ。日本で100万本、世界で1,000万本売れた傑作で、わたしもこのためにSwitch買った。ゼルダシリーズ初のオープンワールドで、どこへ行っても何をするのも自由な世界で、目的を忘れて道草→探検→深みにハマり、ゼルダ姫に注意されること請合う。そうだよな! と思ったのが、「世界のあまりの美しさに、ゲームコントローラーの手を止めて、ずっと見入ることが、何度もあった」。

人生とは冒険だ『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』

 おそろしくそそられるのが、羊飼いの星さんお薦めのこれ。怪しげな表紙、冒頭のどん底感、下ネタ上等の構えなんだけれど、70人との出会いと別れの中で、著者自身が学び、世界が広がり、人生が動き出していく過程は、「冒険」そのものだといえる。ブックガイドとしても面白いとのこと。

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冒険野郎・高野秀行

 紹介された作品は以下の通り。やりたいゲーム、観たい映画、そしてもちろん読みたい本ががしがし溜まる。Amazonのカート、図書館の予約、ToDoリストが積み上がる。本を介して人を知り、人を通じて本に会う、すばらしいひとときでした。ご参加いただいた皆さま、ネット越しにご紹介いただいた方々、ありがとうございました!

山!
『銀嶺の空白地帯に挑む カラコルム・シスパーレ』平出和也 DVD
『ビヨンド・リスク 世界のクライマー17人が語る冒険の思想』ニコラス・オコネル(ヤマケイ文庫)
『栄光の岩壁』新田次郎(新潮文庫)
『アイガー北壁・気象遭難』新田次郎(新潮文庫)
『全ての装備を知恵に置き換えること 』石川直樹(集英社)
『いま生きているという冒険』石川直樹(理論社)

旅!
『サハラに死す』上温湯隆(ヤマケイ文庫)
『旅と冒険の人類史大図鑑』サイモン・アダムズ(河出書房新社)
『ヴェルヌの『八十日間世界一周』に挑む4万5千キロを競ったふたりの女性記者』マシュー・グッドマン(柏書房)
『謎の独立国家ソマリランド』高野秀行(集英社文庫)
『辺境メシ』高野秀行(文藝春秋)
『冒険投資家ジム・ロジャーズ世界大発見』ジム・ロジャーズ(日経ビジネス文庫)
『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』 斉藤惇夫(岩波少年文庫)
『ガリバー旅行記』スウィフト(岩波書店)
『バジュランギおじさんと、小さな迷子』(インド映画)

空!
『アポロとソユーズ 米ソ宇宙飛行士が明かした開発レースの真実』デイヴィッド・スコット/アレクセイ・レオーノフ(ソニーマガジンズ)
『ロケット・ボーイズ』ホーマー・ヒッカム・ジュニア(草思社)
『まんがサイエンスⅡ ロケットの作り方おしえます』あさりよしとお(Gakken)
『夏のロケット』川端裕人(文春文庫)
『夜間飛行』サン・テグジュペリ(新潮文庫)

物語!
『シャンタラム』グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ(新潮文庫)
『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』(任天堂)
『はてしない物語』(岩波書店)
『BASARA』田村由美(小学館)
『ヘテロゲニア リンギスティコ』瀬野反人(KADOKAWA)
『ラベルのない缶詰をめぐる冒険』アレックス・シアラー(竹書房)
『魔術師』W・サマセット・モーム(新潮社)
『人外魔境』小栗虫太郎(角川文庫)
『ねずみとくじら』ウィリアム・スタイグ (評論社の児童図書館・絵本の部屋)
『ドングリドングラ』コマヤスカン(くもん出版)
『セミオーシス』スー・バーク(ハヤカワ文庫)
『ぼくのロボット大旅行』 松岡達英 (福音館の科学シリーズ)
『COMIC恐竜物語』(ポプラ社)
『ヘルマンヘッセン全集13 』ヘルマンヘッセン(臨川書店)

冒険とは経験だ!
『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』花田 菜々子(河出書房新社)
『神話の力』ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ(ハヤカワノンフィクション文庫)
『物語の法則 』クリストファーボグラー、ディビッドマッケナ(アスキーメディアワークス)
『レンタルチャイルド』石井光太(新潮社)
『あたしを溺れさせて。そして溺れ死ぬあたしを見ていて』菊地成孔(東京キララ社)
『謝罪本』WACK(フリーペーパー)
『初秋』ロバート・B・パーカー(早川書房)
『レガイア伝説、というプレイステーションRPGのCM』
『BEFORE THEY PASS AWAY』(パイインターナショナル)
『ハードウェアハッカー ~新しいモノをつくる破壊と創造の冒険』(技術評論社)
『自己犠牲とは何か 哲学的考察』田村均(名古屋大学出版社)
『トマス・アクイナス 理性と神秘』山本芳久(岩波新書)
『会計が動かす世界の歴史』ルートポート(KADOKAWA)
『眼の冒険』松田行正(紀伊國屋書店)
『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン(新潮社)
『若き友よ。』五木寛之(幻冬舎)
『「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た!』馬場康夫(講談社)
『バザーリア講義録 自由こそ治療だ』フランコ・バザーリア(岩波書店)

言葉と文学の冒険
『えーえんとくちから』笹井宏之(パルコ)
『れもんよむもん』はるな檸檬(新潮社)
『百人一首という感情』最果タヒ(リトルモア)
『アメリカン・マスターピース古典篇』柴田元幸翻訳(スイッチ・パブリッシング)
『夜になる前に』レイナルド・アレナス(国書刊行会文学の冒険シリーズ)
『エバ・ルーナのお話』イザベル・アジェンデ(国書刊行会文学の冒険シリーズ)
『鞄図書館』芳崎せいむ(東京創元社)
『図書館の神様』妹尾まいこ(ちくま文庫)

 次回のスゴ本オフのテーマは「桜散る、ダークネス」だ。サクラチル、ブラック、ネガティブ、復讐、後悔、殺意、闇など、暗くて黒いやつにしよう(4月かな……)。

Bouken06

ガンバと文学の冒険

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橋本大也さんの最近のお薦め10冊を聞いてきた

 [情報考学 Passion For The Future]をご存知だろうか?

 科学の啓蒙書や経済・経営のノンフィクションから、SF、純文学、教養と思想、ゴリゴリの猟奇モノまで幅広く紹介するブログだ。更新頻度もひんぱんで、新刊もそうでないのも分けへだてなく、「基本誉める」を貫いており、たいへん参考にさせていただいた(というより、あこがれまじりで追いかけていた)。書評ブログといえばここだったのだが、ここ数年、あまり更新されていない。

 仕事が大変で、書評どころでないのだろうな……と思いきや、某所で活動されているのを耳にした。数年前、一念発起して英語を学び直し、今は英語の本が中心とのこと。audible も活用し、耳からの読書もしているという。書評も英語圏で発信しており、(当然のことながら)日本語ではない。詳しいことは、デジタルハリウッド大学の企画[今、この10冊が面白い!]という対談会でお話を伺ってきた。

 対談は、学生図書館長の森泉さんと、橋本大也さんのお二人で行われた。森泉さんは、日本人作家の小説が中心で、橋本さんは洋書オンリーという20冊+アルファの構成だった。ここでは、橋本さんが紹介された本を中心にまとめる。

”The Buddha in the Attic”Julie Otsuka/『屋根裏の仏さま』ジュリー・オオツカ

Imakono11

"We" で始まる独創的な小説

 めっちゃソソられたのがこれ。非常に前衛的で独創的といってもいい文体だという。その秘密はすぐに教えてもらった。Amazonの中身検索を見ると、ほぼ全てのパラフラフが ”We” で始まるのだ。

 本書は、写真花嫁(picture bride)たちの物語である。日系移民一世(ほとんどが男性)が配偶者を見つけるために写真だけでお見合いした結果、一度も会っていない夫を頼りに渡米してきた花嫁たちである。特定の登場人物がおらず、女性たちの集合的な記憶をつむぐかのように表現するために、”We” が使われている。

 そのため、英語としては非常に分かりやすくなっている。なんせ、全てのパラグラフが ”We” で始まるのだから。一方で、”They” が使われるとき、それは渡米した女性たちの「外側」を示すことになる。それは男性たちであったり、馴染めないアメリカ文化であったり、差別的な社会になる。邦訳は『屋根裏の仏さま』とのこと。

”The Fault in Our Stars”John Green/『さよならを待つふたりのために』ジョン・グリーン

 これはわたしもオススメ。「難病のカップル」「ボーイ・ミーツ・ガール」「タイムリミットのある恋」と、かなりキツいお話となっている。主人公は16歳のヘイゼルで、がんの進行を薬で抑えており、自分でもそう長くないことは分かっている。「自分が死んだ後、悲しむ人は少ないほうがいい」と割り切った生き方をする彼女が恋をしたらどうなるか?

 紹介とともに、洋書読みとしてのポイントもあわせて教えてもらう。YA(ヤングアダルト)のメリットは、比較的易しい表現が多く、読みやすいことと、今の若者用語を学ぶことができるという点にあるという。前者は分かるが、後者は今のYAを読む理由になる。"The Catcher in the Rye" (ライ麦畑でつかまえて)や ”To Kill a Mockingbird” (アラバマ物語)という名作もあるけれど、いかんせん古く、アメリカの若者はそんな言葉は使わないらしい。

 ちょっともったいないのが、タイトル。原作は、”The Fault in Our Stars” なのが、邦訳で『さよならを待つふたりのために』になり、さらに映画で「きっと、星のせいじゃない。」に変わる。そして映画にあわせて邦訳も変えられてしまうのだ。わたしもブログやSNSで紹介したが、名前をコロコロ変えたことで、検索してもらう力がダウンしたのではないかと思う。わたしが読んだのは邦訳だが[書評]、これは原書も挑戦したい。

”Sphere”Michael Crichton/『スフィア 球体』マイケル・クライトン

 「この作家のおかげで英語が読めるようになった!」というのがマイケル・クライトン。やさしい英語で、見てきたように明示的に書いてくれている。映画を意識しているのか、ビジュアルで全てを語ろうとする。文学小説にある、「行間を読ませる」とか、一文に意味を込めるといった技巧は凝らさないため、読むことと理解が同期する(リーダビリティが高いともいう)。

 何冊か読んだ中でのダントツは、”Sphere” だという。テクノロジをミステリ仕立てで語り、読者をノせるのが非常に上手いだけでなく、ちょっと「哲学」が入っているのがいいのだと。クライトンのお約束である、「何かトンでもないものが発見される」→「最先端の科学チームが結成されて調査に赴く」→「たいへんなことが起きる」を忠実に踏襲しており、安心してハマれそう。これは読みたい!

“The Nightingale” Kristin Hannah/『ナイチンゲール』クリスティン・ハナ

 ものすごく気になるのがこれ。英語の本を読むようになると、当然のことながら、英語の本を読む人々での評判もチェックするようになる。そして、「英語圏での傑作」を見ていると、「なぜ日本で売れていないの?」と首をかしげるような現象があるという。

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こんなに傑作なのに、なぜか日本で売れてない?

 つまりこうだ、質量ともに十分な読み手が「これは傑作」と太鼓判を押し、なおかつその高評価でもって邦訳を出したのに、日本では鳴かず飛ばずという(マーケティングの失敗なのか日本人ウケしなかったのか……)。

 その代表格として、これ。第二次大戦下のフランスの姉妹の物語。優しく受身の姉と、活発で反抗的な妹が、戦争の運命に巻き込まれてゆく。ドイツの侵攻から生家を守ろうとする姉と、レジスタンス活動に身を投じる妹の、それぞれの人生が歴史のうねりの中で大きく変わってゆく感動物語だという。

 原書と邦訳版のパッケージを見比べると分かるが、おそらく「読み手に届く」形になっていなかったのかも(あるいはアニメ化も念頭にあったのかも)。

“Cathedral”Raymond Carver/『大聖堂』レイモンド・カーヴァー

 これも大好きな作品。「ぐっと胸にせまる」「心あたたまる」という形容がぴったり。なかでも傑作なのが『大聖堂』だ。妻の古い友人ということで、盲目の黒人が家にやってくるのだが、語り手である「私」は固い反感じみたものを感じていた。それが、ふとしたきっかけで、心がつながりあってゆく。

 カーヴァーが書く小説の登場人物は、自分の感情をべらべらとしゃべらない。だから読者は、人物の外側の描写や、彼・彼女が感じた断片から推し量るほかない。わたしは村上春樹の翻訳で読んだのだが、(原文を知らないにもかかわらず)素晴らしい名訳だと思った。橋本さんを見習って、原作に挑戦してみるか。その場合、最初に読む Carver は、” Small, Good Thing” (ささやかだけれど、役にたつこと)だな。

”The Overstory”Richard Powers/『オーバーストーリー』(未邦訳)リチャード・パワーズ

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正座して邦訳を待つパワーズ本

 最近のベスト本とのこと。樹木に宿命づけられた10人の運命がばらばらに語られてゆくうちに、最終的にまとまって、一つの物語に収斂するという。個人個人の物語がだんだん絡み合ってゆき、最後に大きな流れに一体化する骨格は、『舞踏会へ向かう三人の農夫』[書評]が浮かぶが、今度は10人とは! めっちゃ気になる。橋本さんは、『われらが歌う時』[情報考学の書評]も絶賛していたけれど、これも負けず劣らず傑作とのこと。いずれ邦訳されるだろうし、わたしの英語力では追い付かないので、正座して待つ。

英語の本をどうやって探すか?

 これは頭を悩ませているところ。日本語の本なら、ネット、読書会、図書館、リアル書店、Amazonを通じて沢山のチャネルがあり、そこから本の情報を入手できるが、英語の本はどうするか?

 わたしがチェックしているのは、ブッカー賞や全米図書賞の候補作、ベストセラーリストぐらい。「ビルゲイツお薦め」が「キング絶賛」と同程度のコピーであることに気づいたいま、広告に惑わされない読み手が欲しい。

 それは、橋本さんであり、[未翻訳ブックレビュー]のかもめさんだ。そんな「読み手」をどうやって探せばよいか。「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」の「あなた」を探す洋書版である。

 そんな質問を橋本さんにぶつけてみたら、ど真ん中が帰ってきた。

 それは、[goodreads] だ。

 読書メーターやブクログのような、本の登録+評価+レビューサイトだが、凄いのはその質量。英語を話す人という時点で分母が巨大な上に、そこで洗練された評者のレビューがありがたい。出版社や作家といった「中の人」ともつながることができるのも嬉しい。

 インターネットの中で、知を発信し続けるスゴい人がいる。そのNo.1は[読書猿さん]だ。わたしの目標の一つに、「英語圏の読書猿を見つける」がある。市井に住み、知を愛し、ネットで発信する哲人は、必ず居ると信じる。なんとなく、米国よりも、イスラエルとかインドにいそうな予感だけれど、goodreadsから探せそうだ。

 goodreads での橋本大也さんのレビューの入口は[Daiya Hashimoto]、もちろん英語だ。

どうやって読書の時間を捻出するか?

 これも悩ましい。わたしの場合、通勤時間を利用しているが、橋本さんも一緒みたい。「通勤時間=読書時間」と決めてしまうことで、まとまった時間を読書に割り当てることができる。考えてみれば、自分の時間が比較的ある休日のほうが、本を読んでいない。もちろんこうして書いているからということもあるが、それでも、Dark Souls にかける時間を減らせば、もっと読めるはずだ(あとは薪の王のみ)。

 そして、もう一つ、嬉しいことが聞けた。それは、audible の利用だ。混雑した電車で小さい字を追いかけるのも大変だが、聞いて読むという手でクリアできる。audible を活用することで、英語力の向上+目を使わずに読書している。ノンフィクション系が良いとのこと。というのも、小説の場合、一文で状況が変わってしまうことがあり、聞き逃しの致命度が高い。一方、ノンフィクションだと似たような表現や補足をしてくれるため、audible 向けだという。なるほど。

 そして、日本のよりも米国のほうが質量ともに凄いらしい。audible 専用のラジオドラマシリーズがあるぐらいで、Netflix と同じビジネスモデルが成り立っているという。どんな番組がいいか分からない場合は、とりあえず audictid がお薦めらしい。audible の addict(中毒)で、女の子たちがお薦めを語ってくれるガールズチャットだという。

「今、この10冊が面白い!」で紹介された本のリスト

今、この10冊が面白い!
”The Buddha in the Attic” Julie Otsuka(屋根裏の仏さま)
”The Fault in Our Stars” John Green(さよならを待つふたりのために)
”Sphere” Michael Crichton (スフィア・球体)
“Jaws” Peter Benchley(ジョーズ)
”Me Before You" Jojo Moyes(ミー・ビフォア・ユー)
“The Nightingale” Kristin Hannah(ナイチンゲール)
“Cathedral” Raymond Carver(大聖堂)
“Olive Kitteridge” Elizabeth Strout(オリーヴ・キタリッジの生活)
“Washington Black” Esi Edugyan
"Sing, Unburied, Sing" Jesmyn Ward
“The Underground Railroad” Colson Whitehead(地下鉄道)
“Grinding It Out” Ray Kroc(成功はゴミ箱の中に)
“Google It” Anna Crowley Redding

英語読書の入口(映画の原作&やさしめ)
“The Godfather” Mario Puzo(ゴッドファーザー)
“The Exorcist” William Peter Blatty(エクソシスト)
“The Shining” Stephen King(シャイニング)

映画より原作が面白い
“The Sheltering Sky” Paul Bowles(シェルたリング・スカイ)
“The Hotel New Hampshire” John Irving(ホテル・ニューハンプシャー)

世界でベストセラーだけど日本ではほぼ知られていないノンフィクション(経済編)
“Conspiracy” Ryan Holiday
“Bad Blood” John Carreyrou
“Billion Dollar Whale” Tom Wright,Bradley Hope

最近のベスト
”The Overstory” Richard Powers
"Circe" Madeline Miller

森泉さんのお薦め
『いなくなれ、群青』河野裕
『罪人が祈るとき』小林由香
『望郷』湊かなえ
『ON 猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』内藤了
『君は月夜に光輝く』佐野徹夜
『かがみの孤城』辻村深月
『また、同じ夢を見ていた』住野よる
『星か獣になる季節』最果タヒ
『渦森今日子は宇宙に期待しない』最果タヒ
『夜空はいつでも最高密度の青色だ』最果タヒ
『ドグラ・マグラ』夢野久作
『舞姫』森鷗外

 最果タヒ作品が魅力的なので、これを機に手を出してみるつもり。
いっぽう、エログロ猟奇系なら『異常快楽殺人』、制限時間つきの人生なら『死ぬまでにしたい10のこと』、いじめの強烈なやつなら『ぼくはお城の王様だ』をお薦めしてきた。

 めちゃめちゃ充実した時間でした。橋本さん、森泉さん、ありがとうございます!

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『会計が動かす世界の歴史』はスゴ本

 シャーロック・ホームズの金銭感覚や、ダーウィンの資産活用から、会計と革命の意外すぎる関係、複式簿記から解き明かす知性の進化など、歴史を縦横に行き交い、ミクロからマクロ経済まで自在にピントを合わせながら、人類の歴史を損得の視点から紐解く。

Kaikeiga

 パッケージから、最初は「簿記の歴史」や「会計の世界史」という印象を持った。だが、本書の焦点深度はもっと広い。そして、めちゃめちゃ面白い。これは、お金と人との関わり合いをドラマティックに描くだけでなく、それを通じて「お金とは何か」ひいては「価値とは何か」についても答えようとしているからだ。

「お金」が人を作った?

 誤解を恐れずに言うと、「お金」が人を作ったといえる。

 逆じゃね? と思うだろう。壱万円札を作ったのは人だし、その紙に「壱万円分の価値がある」(ここ重要)と信じているのは人だから。なぜ壱万円に壱萬円分の価値があるかというと、壱萬円の価値があるとみんなが信じているから。この「みんなが信じる価値」がお金の本質である。

 そんな「価値」みたいな概念ではなく、金や銀といった貴金属がお金じゃないの? という疑問が出てくる。本書では、お金と人の歴史を振り返りながら、「みんなが信じる価値」と「お金」の関係に迫る。

 たとえば、スペイン帝国がもたらした価値革命の例をあげて、金銀はお金というよりも、お金を計るためのモノサシだと答える。植民地化した中南米から大量の銀が持ち込まれた結果、銀という通貨の供給量が増え、大規模なインフレが発生する。すなわち、ヨーロッパでの銀に対する「みんなが信じる価値」が下がったのだ。

 あるいは、最古の金融バブルと呼ばれているオランダのチューリップ・バブルや、詐欺師ジョン・ローが引き起こしたミシシッピ・バブルの話をする。彼が作り出した「利子付きのお金」は、良い意味でも悪い意味でも応用が利くだろう。欲望が欲望を生み、「みんなが信じる価値」が膨らんで弾けた出来事だ。

 面白いところをつまみ食いするだけなら、[ペペラのバブル物語]を読めばいい(めちゃくちゃ面白いゾ)。だが本書では、「なぜバブルが弾けたのか」という問いを立てる。ありがちな「みんなが現実に目覚めたから」ではなく、「なぜ現実に目覚めたのか」という視点から、生々しい理由を炙り出す(p.173の解説は、あらゆる先物取引(の損切タイミング)に応用が利くだろう)

なぜ文字より先に簿記が生まれたのか?

 本書が類書より優れているのは、さらに「みんなが信じる価値」の先へ踏み込んでいるところだ。サブタイトルの「なぜ文字より先に簿記が生まれたのか?」の秘密はそこにある。

 紀元前4千年までさかのぼる。最初の簿記はメソポタミア文明の「駒」だという。トークンと呼ばれる、粘土製のおはじきのようなもので、穀物や家畜を表していた。トークンは現実の羊やパンと1対1で対応し、税の取り立てや財産管理に使われていたという。

 紀元前3千年にイノベーションが起き、トークンそのものではなく、粘土板にトークンを押し付け、型を記録するようになる。現実と同数同種類のトークンを用意する必要がなく、トークンを現実の数だけ押し付け、粘土板を管理すればいいようになる(簿記の原型)。そして型押しが簡略化され、粘土板に溝を彫るようになったのが文字の誕生になる。

簿記に隠された進化の鍵

 そして、簿記の歴史を紐解きながら、「みんなが信じる価値」の本質に迫る。

 興味深いことに、粘土板から始まりルネサンス期に完成した複式簿記と、独自で発達した日本の簿記と、似たような構造をしているという。つまり、勘定科目を借方と貸方に分けて記載し、貸借を一致させるという構造だ。

 あたりまえだろ? 誰かにとっての「借り」は、その相手にとってみれば「貸し」になる。千円借りたら、千円返さないと。ここに時間の概念を入れると、利子や償却といった要素が必要になるが、簿記の基本は、「貸し」と「借り」が一致することにある。

 しかし、この「あたりまえ」こそが、ヒトを人たらしめた原因だというのだ。

 社会的動物であるヒトが、そのコミュニティの中でうまくやっていくためには、個体を分別し、その個体が自分にとって得となるか損となるか判断する必要がある。仲間だから協調する部分もあるが、食物や異性の取り合いとなることが出てくる。

 つまり、裏切ったり裏切られたりする関係性を続けながら、うまく生き延びる必要がある。場合によっては、自分に有利なときでも、仲間に恩を売ったほうがトクになることが出てくる。この協力と裏切りの駆け引きの中で、知性すなわち脳は進化していったという(これを[マキャベリ的知性仮説]と呼ぶ。以前の記事で、イカの脳についても同じ説が展開されている[頭足類の心を考える])。

 その中で重要なのは、身近な仲間を判別し、それぞれの「貸し」「借り」を理解し、記憶していくためには、高度な知能が必要となる。現代では、お金を貸したとき「貸付金」として登録しているが、昔は「貸した人の名前+金額」で債権を記録していた(人名勘定)。つまり、簿記の基本構造の中に、知性の進化の秘密が隠されているといえる。

「お金」の本質=譲渡できる信用

 誰かに「貸し」を作ったら、それを報酬として受け取れるのは、返してもらえると信用しているから。以前に「借り」たものを返すのは、それをしないとコミュニティでやっていけないから。

 そのための約束ごとが、「みんなが信じる価値」すなわちお金になる。時代によって、それは貝殻だったり金銀といった貴金属、あるいはデジタルデータとして計られるが、その計られる対象である信用が、知性を進化させたのである。

 会計という視点で人類史を斬ると、その断面にお金の本質が見える。18世紀イギリスの産業革命を経済現象として読み解いたり、未来の通貨と呼ばれる仮想通貨の構造的な弱点を明らかにしたり、盛りだくさんの内容となっている。

 愚者は自分の経験から学び、賢者は歴史から学ぶという。さらに、歴史を通じて現在の問題を理解することができる。「会計」という斬り口から歴史を眺め、伏線と謎解きを張り巡らし、極上のミステリに仕立てた一冊。

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«生きる目的なんて無いが、生きがいは有る。問題は、2つを混同させることにある。